カテゴリー: 友松 誠(ともまつ まこと)

  • 寒の時季より・・・6

    おはようございます。

     

    朝、車に乗り込もうとすると、タイヤが幾分凹んでいるように感じられる。

    極端に凹んでいるわけではないにしろ、これも気温が低くなるところに停め続けているせいでありましょうか。

     

    空気は冷やされると体積が減少し、温められると体積が増加するといった性質を持っているという。

    気温が低くなれば、タイヤの中の空気も体積が減り、圧力も下がるということも十分に考えられる。

     

    これは、車のタイヤだけの問題ではないと思う。

    私たち人間も、空間が在って、呼吸し、動いて生活しているのだから、空間の圧力の変化にも適応できていなければならない。

    圧の変化にどう適応できるかによって、健康の度合いも変わってくる。

     

    圧の変化への対応は、無意識の内にもからだが行ってくれている事だが、だからといって自分がからだの邪魔になるような事ばかりしていれば、からだも十分に行いを果たせなくなる。

    自分でも、呼吸の適正化、正当なからだの使い方、重心の適正化という目的を持ち、からだのお手伝いをしてあげる。

    そうすることで、健康維持、増進につながる。

  • 寒の時季より・・・5

    おはようございます。

     

    私は、操体を本格的に学びはじめてから、一度も風邪をはじめとする感染症で寝込んだことはないです。

    コロナ禍にあった時も、ワクチンは打たずじまい。

    それでも、コロナウィルスで発症したという事はなかった。

    何回か、熱っぽさや重だるさを感じた事はあったが、発症して寝こんだりとか体調不良が続くような事はなかった。

    操体を学ぶ前は、年に何回かは風邪などで体調不良に陥っていたので、有難い事だと思います。

     

    これも、操体が健康学であり、からだの感覚を重視する実践学だからだと思うのです。

    手技療法の臨床家として、症状、疾患に対する治療法だけ学んでいただけなら、自分自身も健康維持、増進が進められるという事はなかったかもしれません。

     

    操体の創始者、橋本敬三先生の言葉に、「からだの設計にミスはない」という本のタイトルにもなっている言葉がある。

    元々は病気などせず、健康で幸福に生きられるようになっている。

    しかし、それが実現しないのは、勝手をするから。

     

    好きな事を見つけ、気持ち良く生きて良いのだが、勝手は赦されない。

    自分は、からだがあって生存しているのであり、からだが無ければ此の世に存在もしていない。

    そのからだが、感覚をつうじて自分に生き方(生活習慣)を改めるよう訴えてきても、聞き耳持たずに自分の勝手をとおしていれば、健康は害され、やりたいことも出来なくなり気持ち良く生きていけなくなる。

     

    感覚をつうじてのからだの声に耳を傾けてあげる。

    からだだって、この空間の中で自律しており、息づらさ、動きによる窮屈感があれば、感覚をつうじて訴えかけてくる。

    「息」「動」そうした生命として必須の営みのところを、自分からからだに合わせてあげる。

    元々からだの設計にミスはないのだから、そうする事で本来の健康を取り戻し、維持、増進が可能なのだと思う。

  • 寒の時季より・・・4

    おはようございます。

     

    ここのところ、寒の内のわりには暖かく感じます。

    それでも、空気は乾燥しており、風邪やインフルエンザなどの感染症には十分に注意しておきたいものです。

     

    免疫機能にとって、細菌やウィルスの最初の関門となるのが、皮膚は勿論、鼻や口の呼吸に携わる器官。

    それゆえ、マスクをするのも勿論いいのだが、マスクは口呼吸になりやすいという難点もある。

     

    人間本来の呼吸法は、鼻呼吸であるという。

    鼻は息をする為の器官であり、口は食べる為の器官。

    呼吸器の一部である鼻は、温度調節や加湿機能、空気清浄機能を兼ね備えているという。

    鼻から入った空気は、鼻腔の中を通過する際に適切な温度と湿度に調整される為、肺の負担を軽減し肺の中でスムーズに循環される。

    その為、鼻から入る空気は口から入る空気よりも、感染症に罹るリスクも少なくなるという。

     

    しかし、鼻呼吸が良いのは分かるが、なかなか上手く実践できないという人もいると思う。

    重心が偏差すれば、呼吸の適正もかなわなくなる。

    だからして、動きと呼吸の相関性に着目し、からだの正当な使い方から呼吸の適正化をはかりつつ、全身の流れの循環を良くしていき、重心の適正をかなえていく事が重要となる。

    そして、それが健康維持、増進につながる。

    感染症にかかりずらくなるというのも、その効果の一面であり、操体臨床歴50年以上の三浦寛先生が提唱している重心の適正化には、まだまだ多くの可能性が秘められていると思う。

  • 寒の時季より・・・3

    おはようございます。

     

    これまで寒さが続いていたことに加え、空気も非常に乾燥しています。

    その為か、インフルエンザも猛威を振るっています。

    テレビのニュース番組でも、インフルエンザに関連したニュースを見ない日がない程です。

     

    先日も、テレビの番組内で、同じ家庭環境にありながらインフルエンザにかかる人と、かからない人がいるのは何故なのか、とのやりとりが行われていました。

    インフルエンザウイルスで発症するしないは、やはり各人の免疫機能の差にあるという。

     

    免疫機能には自然免疫と獲得免疫とがあるが、生まれつき備わっている自然免疫の免疫細胞や腸内細菌が十分に働いてくれる事が大切。

    なかでも免疫細胞のマクロファージが活性化された状態が維持できれば、自然免疫が保たれるだけでなく、獲得免疫も正常に機能させることにつながるという。

     

    その為に、免疫機能の大敵であるストレスを溜め込まないよう生活習慣を見直し、適度な運動を心掛け、食生活でもLPS(リポポリサッカイド)を含む食品を摂るのが良いと言われている。

    こう聞くと、大抵の人はLPSを含む食品の摂取ばかりに関心が向きがちとなる。

    しかし、免疫機能に良いとされる食品を摂っていれば安心とばかりに、ストレスを溜め込む生活習慣そのままでは効果がないばかりか、却ってバランスを崩す事にもなる。

    また、自分にとって適度な運動、自分自身にとって最適な動きとは、どのようなものなのかを体感しておく必要もあると思うのです。

  • 寒の時季より・・・2

    おはようございます。

     

    昨日の日中は、この時季としては妙に暖かく、日射しの雰囲気も3月頃かと錯覚する程でした。

    それでも今朝、起きて顔を洗う時の水道の水は、凍てつくように冷たい。

    しかし、まだ子供の頃だったか、井戸水を使っていた時の水は、何かあたたかくて手にも優しく、まろやかだったような憶えがある。

     

    寒の期間のうちに汲む水は、寒の水といって雑菌も少なく、日本酒の寒造りや味噌などの発酵食品の寒仕込みに最適なのだという。

    水道水は、あらかじめ消毒しているので、この場合は湧き水や井戸水などの、凍てつく大地の地層を潜り抜け、磨かれた水であろう。

    不純物や雑菌が少ないのも頷ける。

     

    また、水は言葉に反応するという。

    心地よく綺麗な言葉をかけてあげれば、その様に反応する。

     

    子供の頃、井戸水で手や顔を洗っていた時に感じた、何か暖かくて優しく、まろやかな水の感触というのは、凍てつく大地の内部で、自然の優しくあたたかな声も聞いていたから、という捉え方もできると思う。

    単に朝の気温が低いから、暖かく感じるというだけではない様に思える。

    人間の身体も、70%は水分だといわれる。

    心地よく綺麗な言葉をかけてあげたいものである。

  • 寒の時季より。

    おはようございます。

     

    実行委員リレーブログ、今週は友松の担当となります。
    どうぞ、よろしくお願い致します。

    寒い日が続きますね。

    なぞなぞではないですが、一番寒い日っていつ頃なのでしょうか。

    先日、テレビで気象予報士の人が、平均すると1月20日頃と言っていました。

    丁度、今頃でもあり、暦の大寒の時期とも重なります。

     

    いちばん日照時間が短くなるのは冬至ですが、その影響は一か月くらいかけて今の時季の海や大地の冷たさに至っているといいます。

    それだからか、日中に窓辺でポカポカした日射しを感じていても足元が冷えていたり、日が暮れれば急激に気温が下がったりという事もあります。

     

    インフルエンザが猛威を振るっている昨今でもあり、体調など崩されぬ様、くれぐれも御自愛いただきたいと思います。

     

  • より全体的な調和を目指して・・・7

    おはようございます。

     

    健康とは、身体が丈夫で元気なだけでは、成り立たないのは明らかな事。

    「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」ではないが、いくら肉体的、身体的に丈夫で元気になっても、その使い道を誤ればバランスを崩してしまう。

    精神制御も重要という事。

     

    ふと、宮澤賢治の有名な詩が思い浮かぶ。

    「雨にも負けず」
    (現代語訳)

     

    雨にも負けず

    風にも負けず

    雪にも夏の暑さにも負けぬ

    丈夫なからだを持ち

    欲は無く

    決して瞋からず

    何時も静かに笑っている

    一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ

    あらゆる事を自分を勘定に入れずに

    良く見聞きし判り

    そして忘れず

    野原の松の林の影の小さな萱葺きの小屋に居て

    東に病気の子供あれば 行って看病してやり

    西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を背負い

    南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくても良いと言い

    北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い

    日照りのときは涙を流し

    寒さの夏はオロオロ歩き

    皆にデクノボーと呼ばれ

    誉められもせず苦にもされず

    そういうものにわたしは なりたい

     

    この詩は、宮澤賢治の死後、愛用していたトランクの内ポケットから発見された手帳に記されていたものだという。

    公開する目的ではなく、病床にあった宮澤賢治の願いと祈り、それだけでなく戒めも込められた自分宛ての手紙ともいえる言葉の断片。

     

    調和というモノ、コトには、精神制御も必要となるが、精神制御を可能たらしめるのは言葉。

    自分を制御して、尚且つバランスの気持ち良さを味わえる状況とする言葉。

    そんな言葉を持てるほど、肉体的な不自由さがあっても、健康や幸福にもつながるのではと思う。

     

    一週間のお付き合い、ありがとうございました。
    来週は畠山裕美先生の担当となります。
    どうぞ、おたのしみに。

  • より全体的な調和を目指して・・・6

    おはようございます。

     

    健康の語源は、健体康心にあるという。

    健やかな体とやすらかな心。

     

    健やかな体の、健の字は人偏に建。

    この人偏に建の解釈は、人がしっかりした基礎をもつ建物のように、どっしり、揺るがずに立っている状態を示すと解釈する人もいる。

    また、人がすっくと立って歩く、すなわち身体を高くたてて行動する原義を、表わしていると解釈する人もいる。

    どちらにしても、古の昔から立って行動する事と健康との関連性が考えられていたのは確かだと思う。

     

    立つ姿勢一つとっても、その姿にはそれまでの人生が映しだされているともいう。

    また、その姿勢は生きる姿勢や意欲にもつうじるともいわれる。

     

    操体では、昔から自然体(健康体)としてのあるべき姿への問いかけがなされてきた。

    その問いかけは、巷でよく言われるような筋力に基づいたものではない。

    最小エネルギーで、どれだけ無理や無駄なく立ち、あらゆる動作にも無理なく対応できるような作法の追求。

     

    頑張って立って動くのではなく、生命体として空間と調和し、人間として環境に適応できうる立ち方と行動。

    生かされし空間に自在する重力や圧といったものと調和し、からだの正当な使い方が出来、様々な環境にも適応できるようにしていく。

    その為には、重心の適正にかない、呼吸の適正にかなう事が必要。

     

    先日に行われた秋季東京操体フォーラムでも、この立ち方について私達の師から濃密な指導をしていただいた。

    それだけ、この健康体としてのあるべき姿への問いかけと、その立ち方は重要なのであり、これを身悟りしていかなければ、操体臨床の場で被験者の動きをサポートするのは勿論、指導の質も高められない。

    また、基の元をなすもの故に、スポーツ全般、あらゆる武道、諸芸にもつうじるものがあると思う。

  • より全体的な調和を目指して・・・5

    おはようございます。

     

    より全体的な調和を目指すには、物事の物種、元の元を学んでいく必要もあると思う。

     

    前々から、健康を害して疾病に至る道筋には、必ずボディの歪み(ヒズミ)があるといわれてきた。

    ボディの歪みが元にあり、そこから感覚異常、機能異常へと進み、器質異常にまで至るという道筋。

    だからして、元のボディの歪みを正していけば、それらの異常の消失や改善、回復が可能だという事。

     

    ボディの歪みには、「環境」と「息」「食」「動」「想」の生活の営みのバランスが係わっている。

    だからして、ボディが歪まないように「息」「食」「動」「想」の営みを、「環境」により良く適応できるよう、自分でコントロールしていく事が求められてきた。

     

    しかし、ボディの歪みの元に在る不正に着目し、「環境」も元となる「空間」に着目する事で、自分の欲得や知識の意向からではなく、からだから生命活動の営みのバランスが、様々な環境へ適応できるように変わってくるように感じる。

    つまり、誰もがからだを有して生きているのだから、どんな人でも健康維持増進が可能という事。

    それによる効果も出やすい。

     

    操体臨床歴50年以上の三浦寛先生が、新たに提唱する「重心の適正化」は、元から丸ごと正して健康に導き、その効果も今までより早く、高いものとなっているように感じる。

  • より全体的な調和を目指して・・・4

    おはようございます。

     

    初期の骨格関節系の歪みを正す事に重点を置いた操体法も、気持ち良いという感覚に重点を置いた操体法も、「動かして診る」という点で、他にはない画期的な診断法だと思う。

     

    しかし「動かして診る」がいくら画期的でも、動けない被験者、動かせない被験者、動いても感覚のききわけが困難という被験者も、実際には居る。

     

    そんな時はどうするのか?という声は当然あると思う。

    操体法が、動いてその感覚をききわけられる人だけの、限られた人だけのものであれば、調和を目指してとか語れないし、健康学などと唱えられない。

     

    誰でも、どんな人でも健康に導けるよう、そのお手伝いや指導をするのが操体法。

    動きというと、運動的な動きが想像されがちだが、そうした意識的な動きもあれば、無意識的な動きもある。

    生命体として捉えた場合、意識的な動きよりも無意識的な動きの方が重要であり、どんな人でも無意識的なからだの動きによって、生かされて生きているのは確かな事。

     

    生かされて生きているという事に着目すれば、空間や環境といったものは、生命をともにするイノチでもある。

    それ故、生命体として空間と調和し、人間として環境に適応できているほど、健康でいられ、幸福な人生を歩むことが出来ると言えよう。

     

    その空間や環境といったものと、自分自身との境界を成しているのが皮膚。

    この境界を取っ払ってしまったらどうなるだろうか?
    考えただけでも怖ろしい。

    皮膚が無ければ生きていけないのは確かな事であり、それ故に生命体としての感覚情報も豊富であり、呼吸もし、動きもし、空間に調和して環境に適応するためのバランス制御にとって、無くては成らないからだのうつわ。

     

    そこに着目し、皮膚へのアプローチ(渦状波®)を体系化したのも三浦寛先生だった。

    皮膚へのアプローチが体系化された事により、急性期のギックリ腰をはじめ動きをとおせない人や、動きの感覚のききわけが困難な人にも、健康に導く為のお手伝いが出来るようになってきた。