カテゴリー: 友松 誠(ともまつ まこと)

  • 小暑の候より・・・5。

    おはようございます。

    連日のように続いている猛暑。
    熱中症、熱あたり、また冷房病にならないよう、からだにききわけた適切な行動をする事が大切と思います。

    また、そうならない為の自身の健康維持、増進も必要です。

     

    自身の健康維持、増進を図るためにも、からだにききわけるという事が大切。

    生きて、生活を営んでいるという事は、自分の思考、判断だけで営んでいるのではなく、からだとともに、からだに支えられながら営んでいる。

     

    その生活(生命活動)の大部分を占めるのが、呼吸と動き。

    無意識のうちにも、からだがこの2つを適切に行ってくれているから、生きていられるし、人生をたのしめるよう生きられる。

     

    健康を害する要因として、ボディの歪みが挙げられるが、ボディ歪みが正されたとしても、呼吸や動きが不自然であれば、時間の経過、空間との関わりにより、また歪んでくるのは自明の理。

    その空間との関わりについては、常に作用している重力というのが重要な意味をもってくる。

    重力というのは普遍的なものであり、地球上で生活する人間にとって、地球の重力に逆らった生き方というのは非常にしんどく、エントロピーの増大に向きやすい。

     

    自然体としての呼吸と動き。
    これが可能となれば、ボディの歪みなど問題外になる程、健康維持、増進がかなうように思える。

    そして、その自然体に不可欠なのが、重力との調和が成る重心の在り方なのではないかと思える。

     

    操体は、創始者の橋本敬三先生の「生体の歪みを正す」という本の題名にもあるように、生活の間違いから生じる歪みを正す事で、健康に導くという事が重要視されてきた。
    それと同時に、真の自然体、人が正しいとはどの様なものなのか、という問いかけも長年されてきた。

    その問いかけは、橋本敬三先生の遺志を継いだ三浦寛先生により、今まさに実してきたと感じる。

    それが、「重心の適正化」「呼吸の適正化」「正当なからだの使い方」という事なのだと思う。

     

     

  • 小暑の候より・・・4。

    おはようございます。

     

    まだ、暦は小暑だというのに、この時季としては異常な程の暑さが続いています。

    頑張って暑さに対抗しようとせず、適切にエアコンなどで温度調節したり、水分も適切に摂るようにするのが望ましいと思います。

     

    その「適切に」は、その状況やその人その人で違う。

    それ故、「からだにききわける」という事が重要になってくる。

     

    この「からだにききわける」は、その時のその状況に於いて、最適な行動をする事にもつながるが、それだけでなく健康維持、増進にもつなげられる。

     

    健康を維持する為に不可欠なのは、外部の環境変化に対して、からだがそれに応じられる事。

    熱中症や熱あたりの原因は、外の高温化にばかり注意が向きやすいが、からだが外の高温に応じづらくなっているという事も挙げられる。

     

    からだが外部の環境変化に応じづらくなる一因には、ボディの歪みが挙げられる。

    ボディの歪みが著しければ、血液をはじめ様々な流れ、循環が悪くなる。

    熱もこもりやすくなるし、発汗作用にも影響し、体温調節もスムースにいかなくなってくる。

     

    ボディの歪みは、骨格、関節脊柱配列の異常にスポットがあてられる事が多いが、これもメカニズム的観点から理屈づけしやすいものばかりではない。

    また、その脊柱配列の変位は、それ以上不調に陥らない為に、あえて椎骨を変位させて、バランスをとっている場合もあるという事で、一概に悪者には出来ない。

     

    気になるところをかたちだけ整えても、不快、不調和を招く事もあるという事であり、不快に陥らないためにも、からだに感覚をききわける必要がある。

    これは、他力療法では無理があるかもしれないが、操体法の場合は自力で動くからこそ、それが可能となる。

     

    自力でもって、不快は遠ざけ、気持ちがいいという快適感覚をききわけ、味わうからこそ全体的な調和の元にからだのバランス制御が可能なのであり、バランス制御の成る過程に於いて、脊柱配列の異常も自ずと整っていくという事。

     

    ですから、「からだにききわける」とは、その状況に於いての適切な行動をする上でも必要ですし、そうした環境にも上手く適応できるよう身心のバランスを整え、健康維持、増進を図る上でも必要という事なのです。

  • 小暑の候より・・・3。

    おはようございます。

     

    暑くなってくると、連日のように耳にするのが熱中症への注意喚起。

    熱中症は、生命の危機にすらつながる事もあるので、無理もない。

     

    これだけの暑さの環境なのだから、無理に暑さに対抗して頑張ると、悲惨な結果を招く恐れがある。

    そのため、メディアでも冷房を適切に使用し、水分も適切にとるようにと、連日呼びかけられている。

    「適切に」というのが肝要であり、冷房も薄着のまま冷風に当たりっぱなしでは、風邪をひいたり冷房病になりやすくなってしまう。

    水分も、喉の渇きを自覚する前に補給することが奨励されているが、過剰な水分摂取は内臓に負担をかけ、水あたりとなってしまう。

     

    「適切」とは、その状況に適した丁度良いという意味がある。

    その人の丁度良いは、メディアや行政が決められるものでもないし、押し付けるものでもない。

    ある程度の基準は示せるが、そこから丁度良い感じにしていくのは、本人がしていくしかない。

    本人が、からだにききわけた感覚を元に、生活をより良く営んでいく事が大切。

     

    からだは、常にその自然環境に適応した自律に向けた働きをしてくれている。

    その意に添うようにすれば気持ちよく過ごせるし、その働きを妨げるようならば不快感で知らせてくれる。

    そうした、からだの感覚に素直になるという事が、「適切」な行動にもつながっていくと思うのです。

     

  • 小暑の候より・・・2。

    おはようございます。

     

    「心頭滅却すれば火もまた涼し」

    何十年か前まで、本来の意味や言葉の成り立ちとは別に、夏の暑さに耐え忍んで、何かを成し遂げようとする時に、よく使われていた言葉。

     

    しかし、気温が体温と同じくらいに上がる昨今の夏場では、こうした精神論を口にする人は、ほとんどいないと思われる。

    環境が変われば、それに応じた対応をしていかなければ、生命の危険さえ生じてくる。

     

    無理な頑張りは、自分や自分のからだばかりか、周りの人達にも迷惑をかけてしまう。

    これは、コロナ禍を経て誰もが学んだ事柄。

     

    そうした風潮に乗じて、自分だけ「楽」をしようとする人もいる。

    しかし、「楽」と「苦」は隣り合わせであり、その報いはいつか受けなければならない。

    それは、本人もうすうす感じている事だと思う。

     

    心配なのは、真面目に一生懸命やっていて、無理に頑張ってしまう人。

    自分のからだを顧みず、他人様の為、正義の為と頑張ってしまう。

    立派な事なのだが、そうした人が心身の不調に陥った時、自分のからだにもう少し関心を向けてもらえばと、やるせない気持ちになる。

     

    自分の良心、自分のからだに正直になる。

    これからの環境に適応して、より良く生きていくのに大切なことだと思うのです。

     

     

  • 小暑の候より。

    おはようございます。

     

    東京操体フォーラム実行委員リレーブログ、今週は友松の担当となります。
    どうぞ、よろしくお願い致します。

     

    前回のブログ担当の時は、清々しさやさわやかな天候の時季でしたが、今回は時期的には小暑でも、一気に真夏になったような暑さが続いています。

     

    例年であれば、じめじめした梅雨どきですが、今年は6月末には西日本で梅雨明けが発表され、東海地方では7月4日に、その他の地方でも梅雨が明けたような日射しと暑さ。

     

    夏場に体調を崩す人は、梅雨明け時の茹だるような暑さになった時に多くなるという。

    それまでのジメジメした梅雨も、低気圧でそれなりに気温や気圧も安定していたが、夏の訪れとともに気温や気圧が急激に高くなる一方、ゲリラ豪雨も起こったりで、気温や気圧の変化が激しくなる。

    そうした時季、そうした状況に、順応しようとするからだも大変だと思う。

     

    からだの大変さを、わかってあげられる。

    そうした気持ちを向けてあげられる。

    大事な事だと思うのです。

    その上で、御自愛いただければと思うのです。

     

  • 薫風の時季より・・・7

    おはようございます。

     

    青葉に萌える山々。
    山々に響く鶯の鳴き声。
    さわやかで優しい風に、かすかに混じる夏の匂い。

     

    ふと、鳥のように、この大空を自由に飛び回れたら、気持ちいいだろうなという想いがよぎる。

    しかし、鳥と人間ではツクリが違うし、呼吸による内部の空気の流れも違う。

    そもそも自然の中での適性が違うという事。

     

    それでも、人類は知識と知恵により、飛行機をはじめとする飛行物体を発明し、空を飛ぶ事を可能としてきた。

    その元には、地表での生命活動での人間としての適応性をつうじて、知識と知恵を高めてきた事が挙げられるであろう。

    二本足でしっかり立ち、両手を器用に使い、自然の理を解明し、活用していく。

    そうして、鉄の塊を空に飛ばす事を成し遂げた。

     

    飛行機やロケットの飛行安定性には、空力中心と重心の在り方が大きく影響しているという。

    空力中心は、物体にかかる空気力(揚力や抗力など)の作用点。

    重心は、物体の重さの総和の中心点。

    安定飛行には、空力中心が重心の後ろにあるのが望ましいという。

     

    そういえば、子供の頃に、紙飛行機を飛ばしていて、クルッと回ってすぐ落下してしまう紙飛行機も、先端に事務用のクリップを付けたら、真っ直ぐにス~と飛んで行ったのが思い返される。

    物体の形状が単純で、重さの分布が一様であれば、重心と空力中心はほぼ同じ位置にあることが多いが、安定した飛行の為には空力中心より重心が前に位置するように、設計を工夫した方が良いとされる。

    子供の頃の、紙飛行機の工夫も、間違っていなかったという事であろう。

     

    では、これを人間の身体に当てはめたらどうなのだろうか?

    人間の身体の、重さの分布は一様ではない筈。

    内臓の位置関係からの重さも、左右で違うし、上下で違うというのは明らか。

    そして、2本足で立ち、呼吸し、動いて、この空間で生命活動を営んでいる。

     

    従来の正中中軸のちょうど真ん中、というような重心の考え方で良いのだろうか?

    この考え方は、古くから常識のように引き継がれているが、そこから健康体、自然体を考えた時、それで良いのだろうか?

    そこから、健康維持増進へ向かえるのだろうか?

     

    人類は、鉄の塊を空に飛ばすくらいの凄い知識と知恵を身につけた。

    今度は、その身からの基の健康という事も考える必要があると思うのです。

    一週間のお付き合い、ありがとうございました。
    来週は畠山裕美先生の担当となります。
    どうぞ、おたのしみに。

  • 薫風の時季より・・・6

    おはようございます。

     

    風は、気圧の高い方から低い方に向かって吹く。

    つまり、気圧の高い方から低い方へ空気が押し出されて動く。

    そして、流れを生じさせる。

    流れが生じれば、様々なものが動き出す。

     

    「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないが、因果は巡り全然無関係と思える事柄も、必然性をもって起こってきたりする。

    そして時代背景が変われば、それが当たり前になっていたりする。

     

    空気の存在は身近すぎて、あまり意識する事はないが、無くては成らない存在であり、空気が無ければ私達の生命は無い。

     

    空気にも重さがある。

    地球が大気を引きつけてくれているからで、この重力は私達の生活圏では1㎡あたり10トンにもなるという。

    凄い重さの圧であり、これだけの重圧を受けていれば、ペシャンコになってしまうと思ってしまう。

     

    しかし、空気の圧は四方八方からもかかっており、人間の内側にも空気や水分が満ち溢れているので、圧力を打ち消し合う為、ペシャンコにはならないのだという。

    これを説明するのに、空気の入ったペットボトルから空気を抜きとり、グシャッと潰れる実験を目にする。

    この実験は、周りの空気の圧力の凄さや、自分自身の内にある空気が無ければどうなってしまうかを知る為には、良いと思う。

     

    しかし、ペットボトルと人間は違う。

    ペットボトルと違って、複雑に構成されて生きている人間が、この凄い空気の空間の元で、いかにより良く生きていくかに関して、この実験からでは見えてこない。

     

    二本足で立ち、呼吸をして、様々な動作をして生命活動を営んでいるのが人間。

    そして、人体にも勿論、重さがあり地球の重力がかかっている。

    この空間への、呼吸の適正化、動きの正当化、重心の適正化にかなう事が、圧の適正化にもかない、より良く健康で長生きする事につながっていく。

     

  • 薫風の時季より・・・5

    おはようございます。

     

    さわやかな風。
    暖かな日射しで輝く川の流れ。

     

    よく勝負事には、風向きや地の利というものが大事だといわれる。

     

    戦国時代、織田信長が羽柴秀吉を重用した理由の一つには、風向きへの敏感さと地の利を活かす発想と、それを可能にする土木力にあったといわれる。

     

    それまでの、武勇に優れた者が揃っている程、戦に強いというのではなく、その武勇を成り立たせている根本から崩していく。

    備中高松城の水攻めのように、流通経路を遮断して全く動きのとれない状態になってしまえば、いくら武勇に優れていようが戦にならない。

     

    私達のからだでは、病原体と免疫細胞の攻防が繰り広げられている。

    しかし、いくら免疫細胞が武勇に優れていようとも、病原体を確認したら直ぐに駆けつけられなければ仕様がない。

    血液、リンパは勿論、様々な流れが身体の隅々まで、微小循環まで滞りなく行き渡っている事が肝要。

    そうでなければ、交通渋滞に嵌った救急車のようになってしまう。

     

    しかし、殆どの人は、この流れがスムースには、いっていない。

    しかし、それでもからだは、血圧然り他の面から補うようにバランスをとり、間に合うようにしてくれている。

    有難い事ではあるが、からだのはたらきに報いるためにも、流れを良くするような生活習慣を心掛けるべきだと思う。

    その為の智慧が、生体の歪みを正すという着眼を得た橋本敬三先生を創始者とする操体の系譜には詰まっている。

     

  • 薫風の時季より・・・4

    おはようございます。

     

    私達は、身体そのものを構成する細胞の数と同数、あるいはそれ以上の数の微生物と共に生命活動を営んでいる。

    逆を言えば、常在菌をはじめとする微生物が居てくれなければ、生きていけないという事でもある。

     

    常在菌は、外部と触れ合うことの多い皮膚や消化管に多く存在し、免疫機能はじめ心とからだの健康に貢献しているという。

    常在菌のバランスが崩れれば、からだにも不調が生じてくる。

    気持ちも悪くなり、この場合は特に情緒不安定にもなりやすいと思える。

     

    常在菌のバランスを保つうえでも、天然自然のリズムや指示性を再確認する事は大切。

    天然自然のリズムや指示性に合っていれば、気持ちがいい。

     

    この緑の葉の萌ゆる時季の薫りは、清々しくて気持ちよく感じる。

    この清々しさは、鼻の嗅覚だけで感じているのではなく、粘膜、皮膚といった外部空間と接しているところもとおし、からだがききわけている気持ちのよさだと感じる。

     

    からだがききわけている気持ちよさに委ねていると、社会生活からの不自然な緊張もほぐれてくるように感じる。

    それだけでなく、からだの求める適正な呼吸を意識すると、気持ちよさの間がひろがり、質も高まっていく。

    常在菌も含めてからだのバランス制御につながり、癒しにつながり、健康維持、増進へとつながっていくように感じる。

     

  • 薫風の時季より・・・3

    おはようございます。

     

    薫風の薫はかおりとも読むが、よい香が自然に染み込むといったような、意味合いがあるという。

    確かに、薫は文字的にも燻製の燻にも似ており、香りが染み込むという表現は、言い得て妙だと感じる。

     

    若葉や青葉の香の染み込んだ空気の薫り。

    この薫りには、フィトンチッドという揮発成分が溶け込んでいるという。

    フィトンチッドとは、植物が有害な微生物や昆虫から身を守って生命を維持したり、自らの生長を促進するために、主に葉から放出している揮発性物質。

     

    この揮発性物質は、人間にとっても有用であり、心身をリラックスさせてストレスホルモンを減少させるのをはじめ、様々な効能も明らかになっているという。

     

    植物が自ら身を守る為に放出する成分が、動物である人間にとっても有用となっている。

    植物と人間では、呼吸のエネルギー生成過程からして、まるで違うのに…。

    面白い事でもあり、有難い事でもあると思う。

     

    フィトンチッドの語は、植物と殺すがかけ合わされた語。

    これだけ聞くと、なんだか怖い感じがする。

    しかし、自然からしたら、それは物事の一面でしかなく、本当は動物、植物、微生物といった生物の生態系の秩序を保ち、それぞれが同じ空間を共有しつつ、それぞれがバランスよく生きていくのをサポートする成分物質であり、それを植物が放ってくれていると考える事もできるのではと思う。