投稿者: karib_sotai

  • 自然の法則と生命の覚醒と臨床③

    生命の本能は、もっと先へ行こうとしている。自然は、止まらない。

     

    天然自然の法則に則るということは、からだが覚醒し、生命の要求を受け取れる状態になるということです。

     

    その覚醒が進めば、自然と「100%を目指したくなる」という欲求が芽生えてきます。

     

    それは、滝が下へ流れるが如く、重力によって物が落ちるように、ごく自然な方向性です。

     

    つまり、「覚醒」が起こると、人はさらにその先へと意識を向けてしまう。

     

    これが本来の流れなのかもしれません。

     

    自然というものは、もともと「あるがまま」に成立していたはずです。

     

    しかし、文明の発展とともに、人間は自然を「環境」として外在化し、それを「操作」し始めました。

     

    自然に対しての執着や操作が、やがて私たち自身の生き方に歪みをもたらすようになってしまったのです。

    晩晴老人「天意怜草,人間重晚晴」

    まとめ:“自然に還る”とは、ただ戻ることではなく、覚醒したからだで再び流れに乗ることなのだと想うのです。

     

                    (続く)

  • 執着と操作から自由になる臨床②

    操作するほど遠ざかる。

    執着を手放すと、からだの声が聴こえてくる。

     

    「何かに執着する」ということは、それに縛られることでもあります。

     

    それは「操ろうとする意識」と表裏一体です。

     

    操ることをやめたとき、初めて私たちは「間に合う」ことに近づくのかもしれません。

     

    自然であるということ。

     

    それは、つながりが多く、フィードバックの質が高い状態だと思われます。

     

    古来「自然(じねん)」という言葉は、「おのずからそうであること」という意味で使われていました。

     

    これはつまり、「質の高いフィードバックの循環」がある状態ではないでしょうか。

     

    からだが「正直」になればなるほど、フィードバックは明確になります。

     

    ただし、自分に「違和感がない」=「間に合っている」というわけではありません。

     

    気づかないうちに内・外部の環境が乱れていても、それを違和感と感じないこともあります。

     

    そうなると、60%の健康状態を「正しいとして満足し、本来の100%には至らないこともあるでしょう。

    蟻鱒鳶ル

    まとめ:からだの違和感に鈍感なままでは、本当の“間に合う”感覚にはたどり着けないのだと想うのです。

     

                     (続く)

  • 「間に合っている」ことを感じる臨床①

    今週のブログを担当する岡村です。

    引き続きテーマはフリーとなります。

    一週間よろしくお願い致します。

     

    「100点じゃなくてもいい」は本当か?

    ——“間に合う”の意味を問い直す。

     

    「間に合っている」という言葉について、考察してみたいと思います。

     

    橋本敬三先生は、「100点を取らなくてもいい。60点くらいで“間に合っていれば”いいんだ」と語られています。

     

    また、全く別の観点から、

    人間が「あるものをないと思い、ないものをあると思う」ような思考を妄想と呼び、これに囚われることを「妄想苦」とも表現しています。

     

    では、「妄想をなくして、間に合うように生きる」とはどういうことなのでしょうか?

     

    そもそも「何が間に合っていればいい」のか、という問いが浮かびます。

     

    「私自身」が間に合っていれば、

    それでいいのでしょうか?

     

    「内部環境」や「外部環境」でしょうか?

     

    「からだ」が、間に合っているとは?

     

    遺伝子や細胞、腸内環境の視点からは?

     

    さらに、自分を超えた環境や社会、地球の生態系、宇宙全体にまで意識を広げると、何をもって「間に合っている」と言えるのでしょうか。

    まとめ:“間に合っている”とは、ただ足りている状態ではなく、自然と調和した生の在り方を指しているのかもしれません。

     

                   (続く)

     

  • 七日目

    『私は、「体とは占(裏綯)であり、からだの神にくことである」といっている。「貞」と「操」とは、そのコトバの本質の「問・聴・聞・祈」において同義である。

     

    人間の生きることのすべての営みは、大自然の神・からだの神に貞(き)(操)いて定(さだ)(貞)めることが、素朴で素直な生き方ではないかと思っている。私のからだの中身には、今、新しく、原初の信仰が、若々しく生々しく息づいている。』

    「野口体操・おもさに貞く」(柏樹社)246P

     

     

     

  • 六日目

    『あらゆる知識による先入観を捨て去った所で(このことは極めて難しいことだが)、自分自身のからだの中身の事実としてのあり方を「からだの中身の神の声を貞く」という、敬虔・謙虚なあり方で、そして素朴・素直な感覚で、常に新しく「問いかけ」を繰り返すことが、何よりも大切であるとつくづく思う。「もともと自然そのものであった自分のからだが、今も本来の自然そのものであることを、動くことのからだの実感によって、再体験・再確認する営みを体操という」』

    「野口体操・からだに貞く」(柏樹社)239P

     

     

     

  • 五日目

    『呼吸は、意識の世界から無意識の世界への唯一の回路(手がかり)である。』

    「原初生命体としての人間」(岩波現代文庫)91P

     

     

     

  • 四日目

    『一般に五感と呼んでいる基礎感覚の「視・聴・嗅・味・触」は、主として外界の情報を受け容れるものである。そのために感覚とは自分の「外界に向っているもの」という強い先入観ができている。私は感覚の本質とするものは、むしろ自分の内側に向かうもの、すなわち内界の情報を受容することにあると思う。自分自身とは、皮膚をふくめてその内側の中身だからである。中身の状態を知ることが先ずあって、はじめて、自分が生きるために必要な好ましい対象を外界に見つけて、それに接近し、それを取り入れ、生きるために好ましくない対象を外界に発見して、それから遠ざかる生の営みが行なわれる。』

    「原初生命体としての人間」(岩波現代文庫)260P

     

     

     

  • 三日目

    『人間にとって最も重要な、全体統合的・結論的感覚(感情)であると同時に、すべての感覚の底に流れているものは「快・不快」であると思う。

     

    この快・不快感に深い直接関係を持っているのが体性感覚や内臓感覚なのである。重さの感覚もこれに交錯しているものといえる。』

    「原初生命体としての人間」(岩波現代文庫)259P~260P

     

     

     

  • 二日目

    『体操がからだの動きにおいて、筋肉と骨格(いわゆる運動器)によって起こる外側にあらわれた大雑把な形の変化にのみ注意を向けるのはおかしなことなのである。すなわち、人間の動きを問題にするときは、中身の状態をこそ問題にすべきなのである(中身が同じ状態で動くのは機械の動きであり、機械はそれ故に意味をもつのであるが)。骨や筋肉の内部の微細な変化や、複雑でダイナミックな内臓の動き(脳の中身ももちろん内臓である)、神秘的で具体的でもある体液(血液・組織液・涙……)や体気(呼吸気・皮膚呼吸・発汗・げっぷ・おなら……)の変化・流動にこそ着眼しなければならない。それこそ人間の動きにとって本質的なものというべきであろう。』
    「原初生命体としての人間」(岩波現代文庫)31P

     

     

     

  • 一日目

    橋本敬三先生と野口三千三先生とは、生前に交誼がありました。
    同じ講演会の講師として「一体人間て何だろう、自然て何だろう、生きるってことは一体どういうことだろう。そんなことを本気で考えています。したがって橋本先生の場合と余りにも似ていて、体操の仲間は、体操と呼んでいない者もいます。」(「地湧きの思想1」(柏樹社))

    という言葉も残されています。

     

    橋本先生は、「操体」は、「自然法則の応用貢献」である、と述べられています。
    自然法則は、遍く世界(宇宙)を包んでいるものです。
    野口先生の目には、自然法則はどの様に映っていたのでしょうか?
    今回は、その言葉を味わってみたいと思います。

     

     

    『皮膚という原初的な脳、今は外側の脳ともいうべき生きているひとつの袋、この袋の中に体液という生きものがいっぱい、その体液にとっぷりつかって生きているのが筋肉・骨・脳・内臓……、この多重構造の生きもの全体が自分なのである』

    「原初生命体としての人間」(岩波現代文庫)40P