投稿者: karib_sotai

  • からだへ⑥

     

    からだへ

     

    以前はあなたを上手に操ろうとしていましたね。

     

    意図したとおりにあなたを操って、「ちゃんとできている」という実感が欲しかったんだとおもいます。

     

    けれども、そのときの「ちゃんと」という基準は何だったんでしょうね。

     

    あなたが感じとっていることを共に感じとっていきたいとおもいながら、ふと、こんなことを振り返っていました。

     

    あなたを介して、空間との関わりに意識が向くようになってくると、そのときの「ちゃんと」では、ちゃんとあなたの声を聴けていなかったようにおもうのです。

     

    どんな意識になっているかで、ずいぶんとあなたとの向き合い方は変わるものですね。

     

    あなたを上手に操ろうという意識を手放すと、あなたの声がとどいてくる実感があります。

     

    そして、あなたの声は、あなたの背景にある生かす力のはたらきそのもののようにもおもえてくるのです。

     

    すると、どこからどこまでがあなたなのか、ということに想いが至り、天と呼ぶもの、地と呼ぶものをより身近な存在にしてくれるのです。

     

    それは飛躍しすぎでしょうか。

     

    けれども、そこに至るまでの、素朴な感触があればこそです。

     

    あなたの左右の違いもその一つです。

     

    あなたをよりふかく感じることは、あなたが広がっていくことでもあるのだとおもえてならないのです。

     

    いつもふかい感謝です。

     

  • からだへ⑤

     

    からだへ

     

    外にいると、ジリジリとした皮膚感覚で日差しの強さを感じます。

     

    半袖で一日外作業をしていたら、手首から肘の上辺りまで真っ赤に焼けてしまいましたね。

     

    日焼け止めのクリームを塗っていれば良かったと反省しています。

     

    けれども、面白く感じた現象もありました。

     

    左腕と右腕、同じ条件下に在ったはずなのに、なぜか、左腕の方がより焼けて、痛みと赤みが強くなったことです。

     

    数日経って、ようやく痛みと赤みが落ちついてきた頃、今度は日焼け止めクリームを塗って、一日外作業をしていたら、今度は同じ部位に薄い水疱のようなものができましたね。

     

    それも、ほとんどが左腕でした。

     

    その日の夜、左腕の薄皮が一部むけてきたので、ついむいてしまいましたが、脱皮しているように感じられたのも面白かったですね。

     

    それにしても、どうして左腕の方がより焼けたのでしょうか。

     

    畑の中をいったりきたり、特別意識して太陽にかざしていたわけでもないのに不思議です。

     

    もしかしたら、こういった現象も空間との関わりの中で、あなたが何かを感じとっていることにつながっているのかもしれませんね。

     

    いつもふかい感謝です。

     

  • からだへ④

     

    からだへ

     

    周囲に広がる空間を感じながら作業ができると、うごきが軽く、息もしやすい。

     

    皮膚感覚を介して、あなたの外側に広がる空間と、あなたの内側に広がる腔󠄂間が調和しているような、そんな感触さえあります。

     

    そのような一日の終わり、涼しくなった風に吹かれたり、赤々と沈んでいく夕日を見ていると、あなたをとても身近に感じるのです。

     

    あなたを介してとどく生かす力のはたらきにふれているからなのかもしれませんね。

     

    あなたのリズムと重なっていると、不思議とここに在っていいという安心感が湧いてくる。

     

    それは何とも比較できない絶対的な生の感触だとおもうのです。

     

    あなたと共に自然でありたいけれど、まだまだ不自然になってしまうこともあります。

     

    それでも、あなたの声がとどいていることを自覚しながら、新たな一日を迎え続けたい。

     

    いつもふかい感謝です。

     

  • からだへ③

     

    からだへ

     

    暑い日が続いていますが、時折吹く風に癒されています。

     

    作業をしていても、そのことにふっと意識が向く瞬間は有難いものですね。

     

    そんなときは、刻む時間から解放され、時間とは違った「ながれ」を感じとっているのだとおもうのです。

     

    「ながれ」といえば、何か作業をしているとき、すっと動けていることがあります。

     

    作業そのものに意識が向いていないわけではないけれど、思考せずに動けている。

     

    筋肉を使って動いている感触とはまるで違って、「うごき」が軽いのです。

     

    うごきが軽いと感じているときは、背中が解放されて、膝や腰に負担がかからず、息もしやすい。

     

    すると、不思議なことに周囲の空間がより身近に感じられたりもするのですね。

     

    風が吹いていなくても、風を感じているような皮膚感覚といったらいいのでしょうか。

     

    それも、あなたの左右で感じ方が全く変わるのも、とても不思議です。

     

    こういったことを感じているとき、「ながれにのっている」感触があるのです。

     

    あなたのリズムより、速くもなく、遅くもない、ちょうどいいリズムで動けている。

     

    それは、あなたと重なっているということなのでしょうね。

     

    いつもふかい感謝です。

     

  • からだへ②

     

    からだへ

     

    あなたのリズムより、速くもならず、遅くもならず、同じリズムでいられるときは、作業をしていてもあまりストレスは感じないものですね。

     

    むしろ、心の余裕が生まれるようにも感じます。

     

    先日のように、はやる意識が先行し、あなたを置いてけぼりにしてしまうと、息がしづらくなったり、体力が消耗するだけでなく、心の余裕がなくなるのを感じます。

     

    時間に追われているときは、意識できる範囲も狭まってしまうのですね。

     

    そんなときは、あなたの声だけでなく、あなたを介してとどく生かす力のはたらきをも、感じとれなくなっているのだとおもうのです。

     

    作業自体は予定どおりに間に合ったとしても、ほんとうに大事なことは失われてしまう。

     

    ほんとうに大事なことは、あなたと共に感じとっていくことで、確かな感触として深めていけるのだと、あなたは教えてくれますね。

     

    そして、生かす力のはたらきを感じとりながらはたらくことにも、悦びはあるのだということも。

     

    いつもふかい感謝です。

     

  • からだへ①

     

    岡村さん

     

    「間に合っている」ことの考察と、その真摯なメッセージ。

    一週間ありがとうございました。

     

    引き続き、テーマはフリーで瀧澤が担当します。

     

     

    からだへ

     

     

    いつも真摯に向き合い、あなたの声を素直に聴いていたいとおもっていますが、時折、あなたから離れてしまうことがあります。

     

    急に気温の上がった先日も、そんな一日でしたね。

     

    うだるような暑さの中、そのことに気づいたのは、ずいぶんと呼吸が浅くなってからでした。

     

    鼻腔がつまり、おもうように鼻で呼吸ができず、しまいにはあえぐような口呼吸に。

     

    足取りは重くなり、いつも以上に体力を消耗しましたけれど、暑さだけが原因ではなかったとおもうのです。

     

    作業を早く進めようとはやる意識が、いつの間にか、あなたを置いてけぼりにしてしまった。

     

    はやる意識が先行すればするほど、あなたとの距離は広がるばかり。

     

    それをみかねたあなたは、呼吸をとおして教えてくれたのですね。

     

    あなたとわたしの関係が崩れ、不自然な状態になっていることを。

     

    呼吸の変化を感じとりながら、うれしくなったのです。

     

    自然であることだけでなく、不自然なこともまた、あなたと共に感じられるのだと。

     

     

    いつもふかい感謝です。

     

  • 共生を通して「間に合う」状態へ還す臨床⑦

    治すのではなく、響きあう。

    生命は、“交流”の中で調和されている。

     

    では、「間に合うからだ」の状態をつくるためには、どのような臨床が必要でしょうか?

     

    答えのひとつは、「刺激的なものに気付き、接触を本来の目的とする」のです。

     

    つまり、「治す」ことをやめ、

    「交流」を大切にすること。

     

    パターン化された一方向的なやり方でなく、双方向の即時的なフィードバックがある関係性。

     

    それが体にとって自然であり、「間に合っている」と体が教えてくれる方法です。

     

    呼吸を通して認識されるからだの変化──。

     

    硬く縮んだものが緩み、姿勢が変わり、感覚が戻り、破壊されそうだった器質や機能は蘇る。

     

    そこには、囚われや執着から解放された生き方も生じてくれるようになっているようです。

     

    60点では間に合っていなかった。

     

    本当は、100点を目指したときに初めて「今の60点」に気付く感じがある。

     

    地球に存在する重力、足裏が受け取る反力、大気圧と天候変化、多種多様に繋がり合う生命の星の下で、満ちていくサーカディアンリズムといった「自然のリズム」と共にあること──。

     

    それこそが、間に合っている生き方であり、「生かされている」という実感を持つための方法なのだと想うのです。

    国登録 震災湖

    まとめ:自然のリズムと響き合うからだこそ、「今ここ」に間に合っているという実感を与えてくれるのです。

    そう間に合うように生かされています。

     

    ということで、一週間のお付き合いをありがとうございました。

     

    明日からは、滝澤副実行委員長の登場です。

    おたのしみに!

  • 「からだ」の要求と「無意識な反応」と臨床⑥

    本当に間に合っているとき、

    からだは「気持ちよさ」で繋がっている。

     

    からだの要求には、くしゃみや咳、鳥肌、吐くといった反射がありますが、それらとは異なり、「あくび」は“気持ちよさ”を伴う、無意識の反応です。

     

    あくびは、脳の温度を下げ、眠気を抑え、身体を目覚めさせます。

     

    そのとき、私たちは自然にからだを伸ばし、緩ませる動きをします。

     

    これはストレッチとは異なる、より根源的な調整行為であり、皮膚と神経系、内部組織のつながりを整える作用があると感じています。

     

    生命には振動があり、その周波数が体内のリズムを作り、調和を生み出しています。

     

    宇宙実験でも、振動のない空間では細胞分裂が止まるが、細胞を「揺らす」ことでその働きを取り戻すことができた、という結果が示すように、揺れ・振動こそが「間に合うからだ」の鍵なのではないでしょうか。

    まとめ:生命の振動に耳を傾け、からだの自然な要求に従うことで、“間に合う感覚”は還ってくるのだと想うのです。

     

                   (続く)

  • 脊椎動物としてのヒトの構造を生かす臨生⑤

    進化の記憶は、背骨に宿っている。

    「からだの設計にミスはない」

    生命は、かつてから間に合っていた。

     

    脊椎動物である私たちは、魚類、両生類、爬虫類、原始哺乳類と進化の過程で背骨という構造を維持してきました。

     

    各椎骨がそれぞれの働きを持ち、連携しながら一つの「流れ」を生み出しています。

     

    私たちの手は元々胸びれであり、前足でした。

    足は尾びれであり、後ろ足だった時代もあるわけです。

     

    ところが現代では、からだの自由をみずから制限してしまう環境が多く存在します。

     

    人工の光、締め付ける靴や下着、角度を固定させる家具、スマホやPC、アスファルトの道、固定された階段やトイレの高さ──。

     

    こうしたものが、からだ本来の流れを止め、「間に合わないからだ」を生んでいるのかもしれません。

    まとめ:生命の構造を感じとることは、私たちの“今”を自然に間に合わせるための第一歩だと想うのです。

     

                    (続く)

  • 間に合うために「操らない」臨床④

    間に合うために「操らない」こと

    間に合うためには、何もしない“勇気”がいる。

     

    では、それを元に戻すにはどうすればよいのでしょうか?

     

    まず必要なのは、「何かを操ってしまう」という無意識の姿勢に気づくこと。

     

    捉え方そのものを問い直すことです。

     

    操作とは、ある意味で「意図的にコントロールしようとする姿勢」であり、そこには「囚われ」が含まれています。

     

    その捉え方が本当に「自然」かどうかは、自分のからだに訊いてみることは大切です。

     

    つまり「余計なことをしない」ほうが、実は『間に合っている』状態に近づくということ。

     

    60点で満足とするのではなく、100点の感覚を目指すことで、結果として本質的な気持ちよさや快適さが得られるのではないでしょうか。

    まとめ:余計なことをせず、からだの自然な働きを信じることが、本当の意味で「間に合っている」状態を生むのだと感じています。

     

                   (続く)