投稿者: karib_sotai

  • 指導法。

    最近、立て続けに「雑巾の絞り方」(あるいは手の使い方)で、手首や上肢、首や肩まで壊している人に遭遇しています。
    その場合「こうやってやってね」と指導します。
     
    操体のプロならば、結構細かいところまでやるのですが、一般の方にお伝えする時は、余り難しくても実行できなくなるので、
    その方のやりやすさに応じて伝えます。
    小学生に大学生のテキストの内容を伝えても、本人が使いこなせないことがあるからです。
    本人が理解できて、使いこなせるような範囲から始めて行けばいいんです。
    指導する側は、知っているので、立て板に水状態で伝えるのですが、習う方は、初めてだし分からないことだらけだし、
    普段のからだの使い方とは全く別のことをやっているので、言われてもピンとこないこともあるのです。
  • 言葉。

    良き言葉を使う、というのは操体の「想」にもつながります。
    ここでよく聞くのが「感謝」とかいうけれど、本当に感謝していないのに、言葉だけ「感謝」とか「ありがとう」というのは、気持ちが伴っていない場合はどうするの?とか、アファメーションで「満たされています」とか「最高の状態です」というのは、満たされてもいないし、最高の状態でもないのにそんなことを言うのは、ウソをつくみたいでイヤ、という人もいます。
     
    これは「言葉がまず最初」でいいんです。
    例えばお店でバイトしている場合、お客様には別にめちゃくちゃ感謝していなくても「ありがとうございます」は言いますよね。
    こういう場合、心の底からありがたいと思っていなくても「ありがとうございます」って言いますよね。
    それでいいんです。アタマの中で「このやろう」とか思っていても。
     
    アファメーションでは、基本的に「過去形か完了形」で言葉にすること、と言われます。
    というのは「○○になりますように」という、まだ叶っていない願いを未来に投げると、叶っていない未来がくるからだと言われています。
     
    ちなみに、ある実験をしてみました。
    ある言葉をある方に対して唱えてみました。
     
    結果ですが、その日、なぜか焼肉を奢ってもらいました。
     
     
  • 胸肋関節の捻挫

    私は生まれつきだと思うのですが、T1がかなり妙な位置にあります。
    ということは、附随している肋骨にも歪みがあるわけです。
    これは、生まれた時からなので、治そうとおもったら、手術くらいしかないと思いますが、
    もとからこうなっているので、今更どうこうしようとは思っていません。
     
    ただ、たまに胸肋関節の捻挫をやります。
    最初は、手技療法の世界に入って直後のことですが、突然肋骨と胸骨の境目(胸肋関節)の
    あたりで「こきっ」という音がして、紫色になりました。
    内出血です。この時学校の先生(柔道整復の先生)に「珍しいとこ捻挫したね~」と言われたのを覚えています。
    確か深呼吸のようなことをしていて起こったんです。
     
    深呼吸して胸肋関節捻挫するとは思いませんよね。
     
    皆さんも、胸肋関節付近が痛い、という方がみえたら注意しましょう。
     

  • 産屋敷あまね様は手ぬぐいを横絞りしていた

    なお、タイトルですが、もうすぐ鬼滅の「無限城編」が公開されますよね。
    というわけで、数日前から「遊廓編」「刀鍛冶の里編」と、復習(何度復習したやら)していたんです。そして昨日「柱稽古編」の一話を改めて観たんです。

    なお、この投稿のタイトルですが、もうすぐ鬼滅の「無限城編」が公開されますよね。

    というわけで、数日前から「遊廓編」「刀鍛冶の里編」と、復習(何度復習したやら)していたんです。そして昨日「柱稽古編」の一話を改めて観たんです。

    先日から「雑巾の縦絞りと横絞り」に、仕事柄敏感になっているわたくしですが、産屋敷あまね様が、お館様(産屋敷耀哉様)の看病をしており、手桶で手ぬぐいを絞るシーンで

    「お?」

    「お???」

    「おおおおおお?」

    「あまね様が雑巾の横絞りしとる!!」

    と、なりました。柱稽古編一話の39分あたりです。

    画像
    お館様を看病中のあまね様

    画像
    横絞りしてる!

    これ、コミックでは上の「看病シーン」を遠目に書いているだけなのですが、アニメでは手ぬぐいを絞るシーンがしっかりと出てきます。

    この時代(大正)で、なおかつ神社の系統で、産屋敷当主の奥方であれば、掃除などはしないにせよ、手ぬぐいや雑巾は縦に絞りなさい、と習ったはずです。いいとこの奧様なら、なおさらそのように教わったはずです。

    こちら、↓ 「べらぼう」で、丸屋の畳を拭きながら雑巾を絞るていさん。

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    美しい所作のおていさん。

    というわけで、こんなところに気づいてしまいました。

    そして、手首や腱鞘炎、肩や首の不調を防ぐためにも、雑巾や手ぬぐいは、縦絞りしましょう!

  • 蔦重は雑巾を縦に絞っていた

    「べらぼう」と天明の大噴火

    先日「べらぼう」を見ていたところ、吉原から脱出成功した新之介とうつせみ(現在は農家?)が浅間山を見上げるというのがありました。

    余談:鬼押出し(浅間山)での心霊写真

    ちなみに私は林間学校で、浅間山の「鬼押出し」に行ったのです(鬼押出し:1783年(天明3)7月8日の浅間山の大爆発で噴出した溶岩流が凝固したもの)よ。

    そこで記念撮影をしたのですが、私は丁度二列目か三列目の左一番端にいたのです。
    で、私の肩に、手が何本か写っていたんです。
    勿論びっくりしました。親に言うと、その手のモノを全く信じない母は「誰かの手だ」と言いました(誰かの手だろうけど誰の手だ)。

    学年主任の先生が、お坊さんだったので(学校自体が芝増上寺系だったようなので、浄土宗系だったのかも)その先生に相談したところ
    「天明の大噴火で亡くなった人達の霊が、たまたま女子中学生が林間学校でたくさん来たので、ついつい嬉しくなって出てきたらしい。心配しなくていいよ」と言われ、その写真はご供養してくれる、ということで終わりました(霊は複数いたらしい)。

    なので「天明の大噴火→鬼押し出し→心霊写真」という図式が私の頭には浮かぶわけですね。

    というか、女子中学生がわんさかいるのに、どうして私の肩なんだ?と思いますよね。

    さて「べらぼう」では天明の大噴火の後、江戸にも灰が降った様子が描かれていました。

    町に降り積もった灰を川に捨てろという奉行所からのお達しがあり、そういう面倒なことを「遊び」にしちゃう蔦重。そしてライバル鶴屋も蔦重を見直すという素敵な展開でした。

    その後、丸屋を買い取った蔦重が日も暮れた丸屋を訪れると、ていさんが掃除をしています。

    ぞうきんの縦しぼり

    一緒になって雑巾をかけはじめる蔦重。
    桶の側に行って雑巾を洗って絞ります。

    お、蔦重、縦絞りしてます。
    おていさんも雑巾を洗って縦絞りしてます。

    2人で雑巾がけ
    「みせじゃなくてたな」
    「オレじゃなくてわたし」
    これがきっかけで2人は祝言を挙げることになります。

    所作指導の人もいるのだと思いますが、以前は雑巾を絞ると言えば、縦に絞ると習った記憶があります。

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    縦絞りしてます。

    最近、雑巾を横に絞る人が多いのです。
    が、横に絞ると親指に力が入ります。

    なお、古い記憶ですが、確かイギリスでは雑巾を横に絞る人が多いと効きました。この辺りは、西洋で「モップを絞る機械」とか、マシンが発達した理由もあると思います。
    また、日本の刀(引いて切る)と、西洋の剣技(フェンシングなどのように突くとか刀をぶん回してたたき切る)のように、遠心性と求心性の違いもあるのでしょう。
    刀じゃないですが、包丁もそうですね。
    和包丁は、お刺身を引いて切りますが、西洋の包丁は押し切ります。

    最近の傾向ですが、年配の女性で「横に絞った方が、力が入る気がするから」と言って、雑巾を横絞りして、手首や肘を痛めているケースをかなり見ます。

    力が入る気がするのではなく、やりにくいので、力が入っている気がするのです。

    ここを改善してもらうだけでもかなり違います。
    私のクライアントで、首の痛みが消えたという人もいました(先週の話です)。雑巾の絞り方と、床に落ちているモノの拾い方に注意してもらっただけで、二週間で首の痛みが消えたのです。

    これは、からだの自然な(理に適った)使い方をしたので、首への負担が軽減したんです。

    理に適った動作をする。これも実は立派な操体法です。

    体操(体操ではないですが)みたいなことや、仰向けになって膝を左右に倒すとか、それだけが操体法ではないんです。

    からだの使い方、動かし方を学び、疲れにくく壊れにくく、運動効率と作業効率がよく、美しく見える所作を学ぶ。それも操体法の一面です。

    人間の手(上肢)は、構造から言うと、肩から肘までは一本の骨になっていますが、肘から手首までは、橈骨(とうこつ、親指側)と、尺骨(しゃっこつ、小指側)の二本の骨あり、この二本の骨が、手首の関節に繋がっているので、複雑な腕の動きができるんです。

    なお、橈骨側(親指側)を使うと、この二本の骨が捻れてくると言われています。構造上の理由です。

    尺骨側を使うと、これが自然な使い方なので、運動効率が上がり、動作に無駄がなく、脇がしまり、美しい所作になります。

    ぞうきんを横絞りする→親指側を使う、親指に力が入る
    ラケットを親指でぎゅっと握る→テニスエルボーの原因になる
    美容師が親指に力を入れてカットする→腱鞘炎の原因

    他にもありますが、親指に力をいれて手を使うと、親指を痛めたり、肘を痛めたり、首にも故障が起きたりします。
    人間のからだって、繋がってますから。

    画像

    この場合の注意です。

    ①小指側で絞る、というのは小指だけで絞るわけではありません。小指を運動力点、作用点として、だいたい中指を介して小指側側(こゆびそくがわ)で絞ります
    ②縦絞りをする場合に、親指を使って絞る必要はありません(何人かに1人は、縦絞りをしているのに親指で絞る人がいる)。中指を介して小指側側で絞りましょう

    最初は慣れないかもしれませんが、小脳のパッケージ化(無意識にできるようになるまで落とし込む)まで行けば十分です。

  • 小暑の候より・・・7。

    おはようございます。

     

    暑くなってくれば、冷たいものを摂りたくなってきます。

    それは、それで良いのですが、摂りすぎるとお腹を冷やして体調を崩してしまう。

    やはり、これだけ暑いと、渇きを癒す事が優先されて、あまり味わいのないまま、そのままお腹に入れるような感じになりやすい。

    喉は潤い、すっきりするのだが、いきなり摂り過ぎると、お腹の調子が悪くなってしまったりする。

    お腹も腑の部分ばかりに注意がいきがちだが、中の環境のバランスという事にも、気を配ってみる必要があると思うのです。

     

    この暑い時季に、真逆の冷たいものを摂れるという事は、本来は貴重で有難い事。
    十分に、よく味わいたいものです。

     

    話は変わりますが、先日、ニュースを見ようと朝にテレビをつけたら、日曜日な為か演芸図鑑というのをやっていました。

    これも一興と、白湯をすすりながら見ていて、ゲストで出演していた歌舞伎の尾上右近氏の言われていた言葉に、凄くインパクトを受けました。

    一部を抜粋しますと

    歌舞伎の先輩からの稽古、指導は臓腑の一部をもらい受けるようなもの

    先輩に先立たれても、その内臓は俺の中にあって、ずっと生き続ける

    これは、操体の学びにも、つうじるものがあると感じられるのです。

    創始者、橋本敬三先生から三浦寛先生、そこから私達への系譜。
    操体を学んでいる者として、凄く共感できるものがあると思えるのです。

    一週間のお付き合い、ありがとうございました。
    来週は畠山裕美先生の担当となります。
    どうぞ、おたのしみに。

  • 小暑の候より・・・6。

    おはようございます。

     

    暑くなってくると、朝の比較的涼しい時間帯が貴重に感じられます。

    日中は暑さに耐えながらも、社会生活の喧噪に身を置かなければならない。

    日中、暑さが厳しくなる程、朝、いつものように目が覚めて、トイレに行けて用が足せる事に有難さを感じる。

     

    まだ覚醒していない頭の状態で、用を足していると、からだへの感謝の気持ちが湧いてくる。

    日中、暑さによって、ぐったりしてしまうなかでも、からだは自律に向けた働きをしながら、自分に合わせて行動を共にしてくれていた。

    今朝の便にも、からだが空間と腔間の調和をはかり、目では確認できない天文学的数字の数の小さな生命との調和の痕跡のかたちがある。

    「あ~、今日も御蔭さまで生きている」

     

    まだ半分寝ているような頭の状態だからこそ、余計な思考がまわらず、素のままからだと向き合える。

    夏の朝は、豊かだと想える。

  • 小暑の候より・・・5。

    おはようございます。

    連日のように続いている猛暑。
    熱中症、熱あたり、また冷房病にならないよう、からだにききわけた適切な行動をする事が大切と思います。

    また、そうならない為の自身の健康維持、増進も必要です。

     

    自身の健康維持、増進を図るためにも、からだにききわけるという事が大切。

    生きて、生活を営んでいるという事は、自分の思考、判断だけで営んでいるのではなく、からだとともに、からだに支えられながら営んでいる。

     

    その生活(生命活動)の大部分を占めるのが、呼吸と動き。

    無意識のうちにも、からだがこの2つを適切に行ってくれているから、生きていられるし、人生をたのしめるよう生きられる。

     

    健康を害する要因として、ボディの歪みが挙げられるが、ボディ歪みが正されたとしても、呼吸や動きが不自然であれば、時間の経過、空間との関わりにより、また歪んでくるのは自明の理。

    その空間との関わりについては、常に作用している重力というのが重要な意味をもってくる。

    重力というのは普遍的なものであり、地球上で生活する人間にとって、地球の重力に逆らった生き方というのは非常にしんどく、エントロピーの増大に向きやすい。

     

    自然体としての呼吸と動き。
    これが可能となれば、ボディの歪みなど問題外になる程、健康維持、増進がかなうように思える。

    そして、その自然体に不可欠なのが、重力との調和が成る重心の在り方なのではないかと思える。

     

    操体は、創始者の橋本敬三先生の「生体の歪みを正す」という本の題名にもあるように、生活の間違いから生じる歪みを正す事で、健康に導くという事が重要視されてきた。
    それと同時に、真の自然体、人が正しいとはどの様なものなのか、という問いかけも長年されてきた。

    その問いかけは、橋本敬三先生の遺志を継いだ三浦寛先生により、今まさに実してきたと感じる。

    それが、「重心の適正化」「呼吸の適正化」「正当なからだの使い方」という事なのだと思う。

     

     

  • 小暑の候より・・・4。

    おはようございます。

     

    まだ、暦は小暑だというのに、この時季としては異常な程の暑さが続いています。

    頑張って暑さに対抗しようとせず、適切にエアコンなどで温度調節したり、水分も適切に摂るようにするのが望ましいと思います。

     

    その「適切に」は、その状況やその人その人で違う。

    それ故、「からだにききわける」という事が重要になってくる。

     

    この「からだにききわける」は、その時のその状況に於いて、最適な行動をする事にもつながるが、それだけでなく健康維持、増進にもつなげられる。

     

    健康を維持する為に不可欠なのは、外部の環境変化に対して、からだがそれに応じられる事。

    熱中症や熱あたりの原因は、外の高温化にばかり注意が向きやすいが、からだが外の高温に応じづらくなっているという事も挙げられる。

     

    からだが外部の環境変化に応じづらくなる一因には、ボディの歪みが挙げられる。

    ボディの歪みが著しければ、血液をはじめ様々な流れ、循環が悪くなる。

    熱もこもりやすくなるし、発汗作用にも影響し、体温調節もスムースにいかなくなってくる。

     

    ボディの歪みは、骨格、関節脊柱配列の異常にスポットがあてられる事が多いが、これもメカニズム的観点から理屈づけしやすいものばかりではない。

    また、その脊柱配列の変位は、それ以上不調に陥らない為に、あえて椎骨を変位させて、バランスをとっている場合もあるという事で、一概に悪者には出来ない。

     

    気になるところをかたちだけ整えても、不快、不調和を招く事もあるという事であり、不快に陥らないためにも、からだに感覚をききわける必要がある。

    これは、他力療法では無理があるかもしれないが、操体法の場合は自力で動くからこそ、それが可能となる。

     

    自力でもって、不快は遠ざけ、気持ちがいいという快適感覚をききわけ、味わうからこそ全体的な調和の元にからだのバランス制御が可能なのであり、バランス制御の成る過程に於いて、脊柱配列の異常も自ずと整っていくという事。

     

    ですから、「からだにききわける」とは、その状況に於いての適切な行動をする上でも必要ですし、そうした環境にも上手く適応できるよう身心のバランスを整え、健康維持、増進を図る上でも必要という事なのです。

  • 小暑の候より・・・3。

    おはようございます。

     

    暑くなってくると、連日のように耳にするのが熱中症への注意喚起。

    熱中症は、生命の危機にすらつながる事もあるので、無理もない。

     

    これだけの暑さの環境なのだから、無理に暑さに対抗して頑張ると、悲惨な結果を招く恐れがある。

    そのため、メディアでも冷房を適切に使用し、水分も適切にとるようにと、連日呼びかけられている。

    「適切に」というのが肝要であり、冷房も薄着のまま冷風に当たりっぱなしでは、風邪をひいたり冷房病になりやすくなってしまう。

    水分も、喉の渇きを自覚する前に補給することが奨励されているが、過剰な水分摂取は内臓に負担をかけ、水あたりとなってしまう。

     

    「適切」とは、その状況に適した丁度良いという意味がある。

    その人の丁度良いは、メディアや行政が決められるものでもないし、押し付けるものでもない。

    ある程度の基準は示せるが、そこから丁度良い感じにしていくのは、本人がしていくしかない。

    本人が、からだにききわけた感覚を元に、生活をより良く営んでいく事が大切。

     

    からだは、常にその自然環境に適応した自律に向けた働きをしてくれている。

    その意に添うようにすれば気持ちよく過ごせるし、その働きを妨げるようならば不快感で知らせてくれる。

    そうした、からだの感覚に素直になるという事が、「適切」な行動にもつながっていくと思うのです。