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  • 京都前夜祭

    松江から岡山まで約2時間半特急「やくも」に揺られていった。「やくも」はいわゆる「振り子列車」というもので、左右にゆらゆら揺れてバランスを取りながら走る。その揺れが絶妙で眠気を誘うのである。ちょっと寝て、ちょっと話をして、というのを繰り返しているうちに、岡山に着いた。「やくも」から新幹線への乗り換え時間はわずか10分なので、皆で急いで駅弁を買い、新幹線に乗り込んだ。時間的には一時間もないので、駅弁を食べていたらあっと言う間に京都に着いた。

    京都に降り立ち、下りのエレベータに乗ると、むっとするような風を感じた。昨年体験した暑さよりはましだったが、やはり暑い。タクシーに分乗してホテルへ向かった。ホテルは昨年泊まったのと同じホテルである。会場である大徳寺塔頭玉林院の準備は殆ど出来ているそうなので、三浦先生、岡村理事、福田理事、私の4人で挨拶に行くことにした。

    タクシーに乗り込んですぐ、もの凄い勢いで雨が降ってきた。私達は車の中にいるからいいものの、観光客が急な雨に雨宿りをしているのが見えた。すごい量の雨だが、いくらか涼しくなるのかもしれない。運のいいことに、大徳寺に着くと雨が止んでいた。実行委員の日下さん達が準備をしてくれていたが、聞いてみると大徳寺では雨が降っていなかったという。こちらはこんなことは珍しくないらしい。

    お寺の方にご挨拶し、荷物の搬入やパソコンのセッティングは明日やることにして、ホテルに戻った。その前に京都に続々と到着していたメンバーはどこかに行っていたようなので、電話をすると「錦市場」という近くの市場にいるらしいので、早速追いかけることにした。

    どこか旅行に行った時、一番面白いのは市場やスーパーマーケットに行く事だと思う。錦市場はお総菜が豊富だった。ゆきさんと私は市場で下駄を買った。その後皆で休憩することにした。入ったお店は居酒屋だか甘味屋だかよくわからないところで、皆で巨大な高さ23センチ位のかき氷をシェアして食べていた。


    ★かき氷で涼んでいるところ

    その後ホテルに戻ると、奈良の北村先生が着いていた。明日使う資料があるので、福田理事と一緒に近くのキンコーズにコピーを取りにいった。そこではたと気づいたのが「今日の『前夜祭』をやる場所を押さえていなかった!」。何軒も断られたが、結局昨年と同じ居酒屋を押さえることができた。


    ★歓談中

    二時間ほど歓談し、各自は部屋に戻った。このホテルにはスパがついている。天然の温泉をひいてあるのだ。スパに入って一汗流し、その後は各自で過ごしたのである。

    いよいよ明日はフォーラムだ。

  • 混浴露天風呂、そして京都へ


    ★夕食。島根牛の陶板焼きが美味しかった。

    ボリューム満点の夕食の後、腹ごなしに広い日本庭園を散歩することにした。昨年は女性モノの赤い鼻緒の下駄があったのだが、今年は何故かない。いわゆるつっかけを履いていったが、履きにくいので男モノの下駄を履いていった。

    日本庭園、旅館の周辺を散歩してからいよいよ混浴露天風呂「龍宮の湯」である。勿論撮影禁止なので写真はない(笑)
    男性はタオルを腰に巻けと言われるが、タオルは腰に巻ける長さではないので、誰一人タオルを巻いている人はいない。女性はパラオのような一枚布を巻いて入る。昨年は女子は私一人だったが、今年はゆきさんがいる。また、思い出すと去年は何だか男性諸氏は遙か彼方でぱちゃぱちゃやっていたような気がするが、今年は6人で盛り上がった。お約束通り皆泳いだりしている。丁度お湯が噴水のようになっているところがあり、その辺りを私達が陣取ってワイワイ騒いでいるのを、遠巻きに見ている若者達(それも若い男の子ばかり。男同士で温泉に来たのか??)がいたりした。混浴露天風呂は大人数で入ったほうが楽しいことを痛感。

    お湯はぬるいのだが、長く入っていると温まってくる。のぼせる前に出ることにした。

    その後は夜遅くまで色々な話で盛り上がったのだった。


    ★部屋から見える風景。

    朝5時位に起床。

    着替えてスーツケースに荷物を詰めてから、朝ご飯前に再び露天風呂に行った。朝は噴水も止まっており、夜とはまた違った雰囲気である。のんびり入っていると、雨が降ってきた。風呂に入りながら雨に降られるというのは滅多に出来る経験ではないが、ゆきさん曰く「野生動物になったみたい」。なるほど、原始感覚がふつふつと甦ってくる。何だか雨がものすごく楽しくなってくるのだ。機会があったら是非体験して欲しいと思う。

    結局またアタマからずぶ濡れになり、温泉の内風呂で軽く頭を洗った。8時なのでそろそろ朝ご飯である。

    朝食は昨日と同じ部屋で、昨日と同じ仲居さんが給仕をしてくれた。話を聞くと、この旅館で定年まで勤め、その後も週末だけ働いているのだそうだ。


    ★朝ご飯。夕食はお澄ましだったが、朝はしじみのみそ汁だった。

    そこで、三浦先生が「お母さん、僕達どんな集団に見える?」と仲居さんに聞いてみた。仲居さんは「先生」とか「芸能関係」とか「画伯」とか「治療家」とかさっぱり分からないと言っていた(笑)。仲居さんが出て行った後、今度どこかに皆で泊まる時は「親分」とか「元締め」「姐御」とかそういう芝居を打とうという相談となった。是非今度やってみたいと思う(笑)。


    ★東京では見かけなくなった丸形ポスト。旅館の前に立っていた。

    ★出発時の記念写真。

    玉造温泉に別れを告げ、一行は松江駅を目指した。これから「特急やくも」に乗り、岡山経由で京都入りだ。

  • 京都前夜。京都操体フォーラム

    今週はフォーラムが重なったこともあり、畠山が執筆担当しております。

    8月26日6時。三浦先生、岡村氏、さがゆきさん、私(畠山)の4人は羽田空港に到着した。昨年は京都のフォーラムが終わってから出雲の玉造温泉に行ったのだが、今回は京都に行く前に寄ることにしたのだ。一行は空港のカレーショップで一休みしてから手荷物検査を済ませ、搭乗ゲートへ向かった。朝から天気が良く、暑い一日になりそうだ。飛行機に乗り込むとすぐに飛行機は離陸し皆で窓から外の写真を撮った。やがて飛行機は雲の上に出て、地上は見えなくなったがそれでも一行は写真を撮りまくっていた。4人で色々話をしていると、あっという間に出雲縁結び空港に到着した。

    飛行機からの風景。撮影は三浦先生

    預けてある荷物を受け取って、出口を出ると、博多から夜行バスでやってきた秋穂氏と、出雲の住人、福田氏、それに福田氏の奥方が待っていた。今日はこれから一日レンタカーで出雲を回り、夜は玉造温泉に泊まる予定なのだ。

    一行は福田氏の奥方に見送られて出発した。途中出雲ドーム(日本一の木造建造物)の横を通り、ひまわり畑や田んぼの中を走って出雲大社に到着した。
    現在大社は「平成の大遷宮」の最中で、本殿は建設中だった。平成25年には、大遷宮が終了し、大國主大神が本殿に鎮座されるのだ。そのせいもあるのか、大社の門前町はリニューアル工事をしているビルが目立った。大社の鳥居の横でも工事をしていた。
    http://www.izumooyashiro.or.jp/sengu.top.html

    出雲大社の参道。

    お手水をつかう。


    拝殿。



    パワースポット。ここにパワーが降りてくる。

    拝殿で参拝を済ませ、お土産を買うと、そろそろ10時半だった。お昼を食べる事にしようと、私達は参道を戻る事にした。参道と鳥居の丁度中間辺りに広々とした草地があった。私も気になったが、さがゆきさんが「ここはすごい!」と、草地に向かった。地元の福田氏によると、出雲大社で一番パワーがあるのは、本殿というよりも、後ろの山らしい。建設当初の出雲大社は、巨大な神殿があり、その階段は山の上辺りまで続いていたらしい。この草地は、そのパワーが降りてくる通り道らしい。
    さがゆきさんは「現代の巫女」と言われている。彼女は「『うた』をやってる」と言うが、完全即興というパフォーマンスを行う希有な存在である。完全即興というのは、まさに自らを無にして「うた」が降りてくるようなものだ。
    三浦先生が、ゆきさんに向かって「何か表現してごらん」と言った。彼女は数秒目を閉じた。すると、涼しい風がすうっと吹いて、風が止まったのだ。それからゆきさんはまさに巫女に何かが降りてきた如く、草地に響くようなパフォーマンスをはじめた。歌詞があるわけでもなく、決まったパターンの旋律があるわけでもない、まさに「降りてきた」ような感じだった。私はこれをiPhoneで撮影することができた(なので写真は撮っていない)。

    もっと不思議なのは、ゆきさんが二度目の表現を終えて、いつもの「素」に戻った瞬間、また涼しい風が吹き始めたことだった。

    それから私達は参道を下りながら、途中で焼きかまぼこを食べたり、ソフトクリームを食べたりしながら歩いて行った。そこから少し車で移動して「荒木屋」という出雲蕎麦のお店で早いお昼にすることにした。出雲蕎麦というのは、めんつゆをつけて食べるのではなく、丸い器に入れて重ねたお蕎麦に、紅葉おろしと細葱、海苔をのせ、上から濃いめのめんつゆをかけて食べるのだ。つゆは独特の形のびんに入っている。最後は蕎麦湯が出てくるので、つゆを少し入れて飲む。
    「オトナ」が何故蕎麦が好きなのか、やっと何となく分かってきた今日この頃だ(笑)。

    出雲蕎麦のあとは、日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)へ移動した。向かう途中の曲がりくねった道路から日本海を眺めた。いい景色だった。

    神社の境内で暫く休憩を取ったあと、今度はグラスボートに乗ることになった。

    グラスボート「うみねこ号」結構年季が入っている(笑)

    天井からぶら下がっている青くて四角いものは、いわゆる「ゲロ袋」である。

    私はグラスボートの乗り方を知っているので、最初は秋穂さんと後ろの展望デッキにいた。最初は海の底は見えない。見えるような場所に移動したら船の底のガラスを覗けばいいのだ。最初から覗いていると船酔いしてしまう。
    船は小さな港を離れ、沖に向かった。もの凄い揺れだが海風のきもちよさのほうが勝る。

    階上から見た出雲日御崎灯台世界灯台100選にも選ばれた灯台。

    その後、船は浅瀬でスピードを落とし、海の底見物となった。小さい魚の群や、たまに現れる大物、海藻の森を上から眺めた。やはり、余り下を向いて集中するのは良くないらしく、ゆきさんが少し船酔いをしたので、三浦先生が展望デッキで治療をした。そのお陰で船が港に戻る頃には、彼女はすっかり元気になっていた。

    その後は「島根ワイナリー」に移動。意外かもしれないが、島根はワインの醸造が盛んなのだ。砂地なので水はけがよく、ぶどうの栽培に適しているらしい。白ワインは特に評価が高いそうだ。少し甘めというイメージがあるが、新酒はフルーティで口当たりがいい。
    このワイナリーは、試飲コーナーがあるのだ(笑)。運転手の福田氏には申し訳ないが、ゆきさんと私はこれが目当てだったりする。有料の試飲コーナーもある。私は無料試飲のコーナーに置いていなかった、無添加の濃いめの赤ワインを見つけ、試飲を申し込んだところ、担当の方がサービスしてくれた。これが非常に美味しかったので、ゆきさんと私で一本ずつ購入した。海外産のワインはほぼ間違いなく(チリなど一部無添加ワインもあるが、その場合はリーファーという冷蔵船で運ぶ)亜硫酸塩という酸化防止剤が入っており、これがワインの二日酔いの原因となる。島根特産「あご(トビウオ)野焼き」(ちくわ)や、のしいか、カワハギなどを買って、次の目的地へ向かった。

    次に向かったのは、今日の宿泊地でもある、玉造温泉(たまづくりおんせん)入り口にある、いずもまがたまの里伝承館へ。昨年もここに寄ったが、石とか貴石、鉱物好きにはたまらないところだ。この8月31日でサービスをやめてしまうそうだが、足湯があり、自由に入れるようになっている。気温が高くてお湯は結構熱いが、膝から下をお湯に浸けるととても気持ちよかった。


    みんなで足湯。

    その後、目的地である玉造温泉「長楽園」へ向かった。この温泉には「日本一大きな混浴露天風呂」がある。
    チェックインして、一休みしてから「混浴ではない露天風呂」へ行くことに。そこで浴衣を着ることになったが、一つ事件が起こった。男性諸氏は「着物は男は左前で女性は右前」というのである。ずっと「女も左前」だと思っていた私は少し心配になってきた。右前は死んだ人じゃないのか?圧倒的多数の声で、私は浴衣を着るのが面倒になってきたが、結局「女も左前」ということが分かって浴衣を着た。ちなみに女性が右前なのはブラウスとか、洋服である。理由は「男性が脱がしやすいように右前」なのだ(何故かこういうことは知っている)。

    その後、温泉旅館的な夕食の時間となった。島根牛のステーキはじめ、あわびの天ぷらなどに舌鼓を打ったのだった(写真は追ってアップ致します)

    そして、いよいよ混浴露天風呂の時間となったのだった

  • 出雲から京都の旅

    京都から東京へ向かう新幹線の中です。

    出雲を経て京都のフォーラム、フォーラム終了後のことなどをご紹介する予定です。
    お楽しみに

  • 2011年東京操体フォーラム in 京都

    本日は京都大徳寺塔頭(たっちゅう)玉林院にて、フォーラム開催中です。

    玉林院

    詳細は追ってアップ致します

  • シベリア抑留と橋本敬三師 その2

    昨日は「シベリア抑留」に関して島根県邑南町在住、品川始氏の著書より抜粋して、抑留時の日常的生活を一部紹介致しました。
    そして最終日の今日は本題にもなっている橋本敬三の著書『生体の歪みを正す-橋本敬三 論想集-』の中の『ロスケ・ヤポンスケ(ソ連抑留記)』から橋本敬三ソ連抑留数年間の中で、どの様な抑留生活をしていたのかを読み解いて行きたいと思います。
    先ず橋本師の論想集の中にある抑留記の内容と、昨日紹介した品川氏の抑留記内容が同じ抑留記にもかかわらず、トーンの違いに最初は戸惑いました。多分に両氏の性格的違いが影響しているのかと思いましたが、品川氏の著書にその理由を見つけることが出来ました。それは、抑留された人々は手に職が有るか無いかで、最初に振り分けられるのだそうです。技術者、調理人、経理などの専門職等々、そして何も技術が無く、体格のいい若い人達はマイナス四十度にもなるという極寒の過酷な労働環境で外仕事に回されるのだそうです。
    そして、その中でも特に優遇されたのが、軍医(医師)だったようです。これは多分にソ連側の事情であった様な気がします。捕虜の健康管理と言うよりは、ソ連側の将校を含めた自分たちの健康管理のために、医師を必要としていた様な気がします。ですから、そういう意味では橋本師はソ連側から厚遇されていたと思われます。それが分かる記述として、論想集の中で、橋本師が収容所に連れて行かれた時に、兵隊達とは違う部屋に通され、新聞紙をちぎった様な紙片の上に、パラパラとオガ屑みたいな物を摘み出し、押してよこした。よく見ると茶褐色のオガ屑の中に緑色のツルツルした細片が少し入っている。と有ります。これはマホルカというタバコの一種で、タバコの茎を小さく刻んだ物で、良質な物は緑色が残って見た目にも美しく、吸ってもとても良い香りがしたようです。悪い品は茶色っぽく一見、オガ屑同じに見えて、吸っても辛く、香りも無かったそうです。橋本師が部屋に通され、マホルカの緑色の茎が入ったタバコを出されたことでも、ソ連側からVIP待遇で扱われているのが分かる記述です。部屋に通された時の相手の少尉位の奴(橋本師記)が自分はマーリンキ・ドクター(マーリンキはロシア語で小さいの意味になるので、小さい医者、つまりは未熟な医者だと)だと言っていることでも、橋本師がかなり頼りにされていたことが分かります。

    ソ連での橋本師の治療に関しては操体を使用した治療であったのが文章からは理解出来ます。収容所の所長の奥方が体中が痛いと言ってオイオイ泣いている時も、身体の歪みを直して急所に数カ所、鍼を打ってやった。アラ不思議や、今までの痛苦がケロリと消えた。とあります。
    それ以来、所長の信頼が絶対になり、どんなに転属命令が来ても、あの手この手を使って、手元から離さず、三年間その収容所にいたそうです。
    この理由の一つはソ連という国家の問題だと思います。基本、社会主義国「物を作り出す人」が素晴らしいと言われ、医者などサービス業的な職業は社会的地位も低く見られていたようです。キツイ仕事の割に、見返りも少ないということで、旦那さんにある程度の収入が見込める、既婚者の女性医師が多かったようです(現在でも女性医師多し)。
    橋本師の論想集に出て来るソ連側の医師も、女性が出て来ます。その様な国側の事情もあり、橋本師は優遇された面もあったようです。

    ソ連将校の治療以外には当然のことながら、収容所内の捕虜達の治療を行っていたようです。治療内容も多岐にわたり、患者の殆どが栄養失調による症状だった様で、皮膚に赤い小斑点が出現し、一週間の内に増えて大きくなるという「壊血病」がかなり蔓延した様で、野菜の配給が無いのでVCの補給が出来ず、苦労したとありました。この時に橋本師が行ったのが松の枝を折り、松葉を集めてきて生葉を兵隊に毎食二、三十本ずつ噛んで汁を呑ませたそうです。
    この話には後日談があり、日本へ帰還して十年以上経ってから橋本師を尋ねてこられた抑留時の兵隊の方が、仲間内で橋本師のあだ名が『松葉軍医』だったと告白されたそうです。

    この橋本師の抑留記と昨日の品川氏の抑留記は共通する項目が多く、当時の収容所の様子が、場所は違っても同じだったんだと妙に納得しました。その中でお二人が共通して書かれていたのが、日本人という民族の素晴らしさでした。数千人の捕虜がいると、殆どの物が作れるというのです。馬車馬の蹄鉄を作れと言われれば、蹄鉄工が探し出され作る。鍛冶屋の大将は廃車の残骸から包丁、カンナ、ノミ、ハサミ、床屋の道具からノコギリまで作ったと記述があります。食事の面でも品川氏の抑留記の中に、塩スープばかりで、味噌汁が飲みたいと皆が思っても、米や大豆があっても味噌麹菌が無ければ味噌は出来ません。そんな麹菌など有る訳無いと思っていたのに、持っていた兵隊が一人だけいて、味噌の香りのする味噌汁を戴くことが出来たそうです。千人もの人が集まると、色々な考えや技を持っている人が居るものだと、感心され、日本人は器用な民族だと改めて思ったそうです。

    橋本師の具体的な治療内容が見られる記述もあり、落盤で左大腿骨頭全脱臼したのにクロール・エチルをかけて、屈曲外旋させたら、ポキンと入ったこともある。と書かれています。後、衛生下士官達に鍼を教えて、治療に使わせたそうです。鍼も衛生兵の中に電話線を拾ってきて、細い銅線の束の中に一本入っている鋼線を抜いて、適当に切って、細く磨いて銅線を竜頭に巻いて、立派な直径0.1ミリ位の一番鍼を作り上げた衛生兵が居たそうです。

    品川氏の抑留記にあったのが、神経痛腰痛は収容所では病気、病人としては認めてくれず、痛い足、腰を引きずりながらでも、作業に出されていたようです。目に見えない神経痛や腰痛は『横着病』だと言われていたとのこと。
    にわかマッサージ師やお灸の先生が登場し、施術する代わりにタバコやパンをせしめていたとのこと。
    そう考えると、橋本師が居た収容所では衛生兵は元より、縁あって橋本師に診てもらった末端の兵隊達に、般若身経などを教えていたとしても不思議では無いと思える。現実、将校や兵隊に対して操体での施術を行っていたので、聞かれれば橋本師の性格として、『こうやんだょ』などと言いつつ、指導されていたとしても何ら不思議では無いと思われます。その頃、操体が橋本師の中でどの程度、体系化されていたのかは不明ですが、過酷な労働下での自力自療は効果的だったと思われます。
    橋本師がロスケに施術をされる中で、民族は違えど、ヤポンスケと同じ効果があるんだ、操体は万国共通だ!と確信したかしなかったのかは定かではありませんが、間違い無いのは、自らがやってこられたことへの確信と、揺るがない自信だったと思います。

    私も以前の仕事の関係で、10年以上前にロシア領サハリン(旧樺太に行ったことがあります。夏なのに海に足を付けるだけで「ガクガク。。ブルブル」全身に鳥肌がたったのを覚えています。町の中心部ユジノサハリンスクにある建物や道路といったインフラ設備の殆どが、旧日本軍が作ったものをそのまま使い、道路の真ん中に大きな穴が開いており、夜は危ないからスピードを出せないと言われたのが印象に残っています。そんな中でも、一番印象に深く残っているのが、とにかく街を歩いている若い女性が皆モデル並みにキレイだったということでしょうか。しかし一方で、キレイなおばさま達を殆ど見かけなかったということは、三十五歳位までが、我が世の春ということだと気付きました・・・

    これ又話が汚れそうなので元に戻しますが、橋本師がソ連で数年間に渉って抑留を経験されたことが、逆に『日本は宝島だ』と思われるに至った心境ではなかったかとも思いました。世界に誇れる文化や、何よりもどの様な状況にあっても何かを作り出せる、人こそが財産であると確信されたと思います。
    この日本生まれの操体が今年も海を渡り、遠くスペインの地で操体の種を蒔いて帰ります。今年も又、師匠お二人と共にスペインに行けることを、最高に楽しみにしています。来年は何処で種を蒔くのか今から楽しみです。
    今週一週間お付き合い戴き、本当に有難う御座いました。明日から我らが師匠三浦先生の登場です。

    東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • シベリア抑留と橋本敬三師 その1

    描く夢は未来の夢、浮かぶ夢は過去の夢、それも今はとぎれとぎれ。
    この書き出しで始まるのが、橋本敬三師の著書『生体の歪みを正す』橋本敬三論想集の398ページから始まる、『ロスケ・ヤポンスケ』の書き出しです。
    これから、どうなるか分からない川面に浮かぶ木の葉の様な心境がこの書き出しに込められているようです。
    今年は大東亜戦争集結から66年となり、徐々に私の周りでも戦争の話を聞かせてくれる人が少なくなってきました。よく考えれば私の子供時代には明治生まれの爺さん婆さんがたくさんいましたが、今、明治生まれとなると今年99歳の方がギリギリ明治生まれとなり、もはや明治男と明治女は100歳Overじゃないとお目にかかれない時代となって来ました。脱線ついでに、記録が正確であったなら、私が見た最後の江戸時代(慶応元年)生まれの方は徳之島の泉重千代翁であったかと思います。
    幸いなことに私のクライアントは80歳Overの方が何人もいらっしゃるので、戦時中の話は色々と伺うことが出来、広島県呉市海軍工廠で機密事項を扱う業務を行っていたという方や、激戦地ガダルカナルや硫黄島から生還されたという方など、当時、10代後半や20代前半といった、若年で公のために命を懸けて戦った皆様にはただただ頭が下がります。

    私が橋本敬三師の書籍を読んでいて、一番興味をもったのが、先述した論想集の『ロスケ・ヤポンスケ』の章でした。何故興味を持ったかと言えば、昨年、私達東京操体フォーラムはスペインのマドリッドにて初の海外フォーラムを開催致しました。言葉が通じない中での施術は色々な意味で勉強にもなりましたし、何よりも操体には言葉を超越した何かがあり、これから日本国内のみならず、海外でも操体が通用するという確信と自信を持つ切っ掛けとなりました。そんな中で、創始者橋本敬三師が遠くロシアの地でどの様な治療を行い、生活をしていたのかを時空を飛び越え、検証してみたくなったのです。

    私にとって『シベリア抑留』は理解の範疇を超えており、先ずは“シベリア抑留”とは?そして橋本敬三師がシベリアに抑留されるに至った流れを追ってみたいと思います。
    【シベリア抑留とは?】
    1945年8月、日ソ中立条約を破り対日参戦したソ連軍が、満州などで日本軍将兵や軍属、一般邦人ら約57万5000人をシベリアやモンゴルなどの収容所に抑留した。鉄道建設や鉱山、炭鉱などでの強制労働を2〜11年間にわたり強いられ、極寒や飢えにより約5万5000人が非業の死を遂げたとされる。抑留者、死亡者の正確な総数は現在も明らかになっていない。ロシア人調査の極秘資料によると死没者は10万人にのぼるとも言われています。
    このシベリア抑留が理不尽なのは日本軍が武装解除した状態で、国際法も無視し強制労働を強いたことです。抑留経験者の方に伺うと、中国人と戦ったので中国人の捕虜になるのなら分かるが、戦ったことが無いソ連軍の捕虜になる意味が分からないと言われていました。
    (写真は舞鶴港に帰還した日本人捕虜、共同通信社所有)
    では実際どの様な状況下で多くの方達が抑留されていたのでしょうか。現在、島根県邑南町在住の品川始(しながわはじめ)氏の書かれた『私のシベリア抑留記 凍った大地に』から抜粋し書かせて戴きたいと思います。
    当時、殆どの日本人が騙された形で抑留されたのだということが、本を読んでいて分かりました。品川氏も関東軍と戦車隊の混合部隊に編入され、約1200人位の人数でソ連の捕虜として監視されていたのだそうです。その頃の戦車隊の下士官から「皆は三ヶ月ほど我慢して、ロスケのいいなりにやっておけば日本に帰れるのだから」と聞かされたのだそうです。収容所内でも噂として「今、終戦の混乱で満州には石炭が無いので、日本に帰るための燃料分だけ、三ヶ月ほど奥地の炭鉱で掘ってから日本に返してやる」と、さもあらん様な話で日本にも物資が無いことを知っていた皆はその話を信じていたそうです。
    帰国したい!という日本人の気持ちを逆手にとった、本当に卑劣なやり方だと思います。有蓋貨車に押し込まれ数十時間も行き先も告げられず、列車に揺られ、着いた場所に海があって、日本海だと喜び、水を飲んだら真水で「バイカル湖」だと気付き、「ダモイ!ダモイ!(帰国)」の言葉に又、騙されロスケを恨んだとあります。
    収容所に着いて翌朝初めて食べた朝食のことが書いてありました。初めて食べる黒パン、朝は150gと飯蓋の蓋に湯飲み一杯の塩スープ。中には馬鈴薯が小さく切って、二つ三つ入っている。昼はお粥のおじやの様なものが、子供用の茶碗に一杯。朝食と一緒に出るので、誰もが一度に食べます。そうすると一時は満腹感が味わえるからだそうです。昼食の食物は季節により変わったり、入荷する品物によっても変わったそうです。コーリャンが入荷すればコーリャンとキャベツの汁が出たり、大豆が入れば大豆が一ヶ月、粟なら粟ばかりと、そんな雑穀を日本兵当番が上手に料理してくれたそうです。
    一番恐ろしかったのは便所だったそうで、戸も無い空っ風の吹くところに掘っ立て小屋があり、それが便所です。厚い板が長く二枚、それに梯子状に板が又、二枚ずつ横に置いてある。十人は一度に用が足せる。氷点下四十度にもなると、一人が済ますと竹の子の様に伸びていく。鍾乳石の様にと言った方が、分かりやすいかもしれない。コーリャンやヒエの七分づきを食べると、渋があって、便秘になり、便が出ないのと、酷寒の中で尻を出す寒さのための痛みがあり、耐えきれず泣いているものもいた。私が聞いた地元、古老の話では、便所の脇にトンカチが置いてあって、竹の子の様になった便をトンカチで叩き割ってから大を済ませたのだそうです。

    このシベリア収容所での記述で特に目にとまったのが、毎年秋にある日本人捕虜の身体検査の話だった。普通、身体検査なら体重計や聴診器などを使用すると思うが、ここでは腰掛けてる女医の前に立つと、すぐ後ろ向きにされて尻を出させ、親指と人差し指でその尻を捻る。その肉の厚さ、薄さで人間の価値を決める様に、大きな声で「一グル(アジグル)」「二グル(ドバグル)」「三グル(ツリグル)」「O・K(オーカ)」と四つのグループに分けるそうです。
    一グルは尻の肉も厚く、最も健康で重労働に耐えられる
    二グルは普通の体格
    三グルは尻の肉もやや薄いので、軽作業班へ
    O・Kは栄養失調者
    これでは牛や馬の競り市に出されている様なもので、人間としての人権などは存在せず、完全に奴隷扱いだと言えます。
    ロクな食事も与えられず、不規則な労働時間、そして過酷な労働環境の中で、ノルマをこなせば、優秀者は「ダモイ!ダモイ!」と帰国を餌に重労働を課し、実際はノルマをこなしている組は一番遅くまで抑留されるという、理不尽な仕打ちを受けていたようです。
    日本も終戦70年を前に、シベリア抑留で未だ帰国出来ていない英霊達の遺骨収集をロシア側の協力を得ながらも、毎年行っているようですが、未だ充分な結果が出せずにいるようです。

    この理不尽なシベリア抑留という所業に関して、全てを語るのは難しいですが、操体法創始者橋本敬三師も同じように抑留を経験されているお一人です。最終日は橋本敬三師のシベリア抑留に触れてみたいと思います。

    東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • タイムトラベル・スリップもの

    時空を超えると言えばやはり、私的に外せないのは『タイムトラベル+スリップ』物の映画や漫画です。
    因みに正確な定義は無いものの、過去に行ったり、未来に行ったりするものを我々は何となく“タイムトラベル”と呼んでいますが、どうやらモノの本に依りますと厳密には幾つかにジャンル分けされるようです・・・主なところでは

    1. タイムトラベル
    2. タイムスリップ
    3. タイムリープ
    4. タイムワープ

    以上の4ジャンル位でしょうか。個々のジャンルにはそれぞれ甲乙付け難い名作がたくさんあります。先ずは個々のジャンルの定義と、私的代表作をあげてみたいと思います(あくまでも個人的嗜好です)。

    タイムトラベル
    (定義)タイムマシン等の機械を使って意図的に時代を移動する
    (作品)バック・トゥ・ザ・フューチャー、H.G.ウエルズ「タイムマシン」、ジャン=クロード・ヴァン・ダム「タイム・コップ」、ターミネーターバブルへGO!、ドラえもんタイムボカンシリーズ

    タイムスリップ
    (定義)大きな事故や天変地異により、時空にタイムホールが出来てしまい、意図しない時代に送り込まれてしまう。ある意味パニックムービーか?
    (作品)戦国自衛隊猿の惑星、ファイナル・カウントダウン、ニューヨークの恋人漂流教室JIN-仁-

    タイムリープ
    (定義)タイムトラベルとよく似ていますが、超能力を使用して時空を行き来する物語の時に用いられる
    (作品)時をかける少女、ジャンパー、HEROES(アメリカTVドラマ)、時の行者(横山光輝先生の名作)、王家の紋章(漫画)

    タイムワープ
    (定義)ワープ航法を用いた時空移動方法、主に乗り物使用
    (作品)Star Trek(アメリカTVドラマ)、STAR WARS宇宙戦艦ヤマト

    などと、ジャンル分けしてみましたが、微妙にどれだか分からない作品もあり、この辺りはご愛敬ということでご勘弁願いたいです。
    各ジャンルの作品を見ると、どれも捨て難い!魅力的な作品が多いです。各ジャンルの中から私的お勧めをご紹介致したいと思います・・・

    タイムトラベルものと言えば、やはりバック・トゥ・ザ・フューチャーでしょうか。余りにも王道と言えば王道なのですが、楽しいタイムトラベルものとして、マイケル・J・フォックスの代表作と言っても過言では無いと思います。
    特徴としてはありがちな、恐竜時代に行くとかでは無く、ごくごく身近な数十年前、両親がティーンエージャーだった頃に行くというのが逆に、タイムトラベルをよりリアルに捉える切っ掛けとなる一本だったと思います。マイケルが「ジョニー・B・グッド」を演奏している時に、バンドメンバーの一人が、チャック・ベリーに電話するくだりなどは本当に笑えます。

    タイムスリップものは、やはり千葉真一先生ネ申の私としては戦国自衛隊を外すことは出来ません・・半村良先生の原作を読むと、かなりの消化不良となる映画ではありますが、もう少し原作に忠実な物語として、TVドラマで制作して欲しいと思います。何ならテレビ東京新春ワイド時代劇の枠でやってもらえないだろうかと切に願います・・JIN-仁-も作品として面白かったですし、子供心に猿の惑星のラストシーンは何だか来るものがありました。
    自分の思惑とは違うところで時代に翻弄されながらも懸命に生きて行こうとする姿に感銘を覚えるのが、このタイムスリップものの特徴でしょうか。

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    タイムリープものは余り聞き慣れない言葉ではありますが、作品としては結構な数が作られています。この中のお勧めは『時の行者』です。へ?と思った方が正常です。この物語は横山光輝先生が書かれた漫画です。時代設定としては戦国時代〜江戸時代中期位を題材に書かれている作品です。10年毎に時の権力者の元に現れ、「時の行者」として未来の武器や道具を駆使し、様々な予言(助言)をしていくという物語です。球体のバリアーの中に入って登場し、鉄砲で撃たれても大丈夫だったり、夜間には赤外線ゴーグルを装着し、夜間で見えないはずの忍者達をレーザー銃で撃ったりと、当時の人達からは神と崇められる存在となって行きます。信長の死を秀吉に予言し、10年後に現れた時に逆に怖くなった秀吉から命を狙われたりと、色々な人達と関わっていく姿が描かれています。私的には名作です。

    タイムワープものStar TrekSTAR WARSヤマト位でしょうか。子供の頃によくMr.スポックの耳の真似をしたのを覚えています。ワープは物語の一部として出て来るだけで、物語のメインとして出て来るものでは無いので、ジャンル分けした割にではありますが、ワープはStar Trekで一般化され、STAR WARSでは当たり前のことの様に使われていたのが印象的でした。

    スター・トレック ディレクターズ・エディション 特別完全版 (本編ディスクのみ) [DVD]

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    時間旅行は誰しもの夢であり、太古の昔へ行って恐竜を見たいとか、数日前の自分とか、遡ってみたいことは山ほどありそうな気がします・・・私も行けるモノなら過去に遡って、その子と付き合うのはやめた方が良いぞ!とか、その笑顔に騙されちゃ駄目だぞ!とか、化粧を落としたら別人だぞ!とか・・・話が汚れてきましたので、元に戻しますが・・・
    理論上未来へは行ける可能性があるようですが、個人的には未来に行ってもなぁ・・って感じでしょうか。過去に戻るのは夢がありますが、未来に行くのは何だか勇気がいる様な気がします。日本という国は未だあるのだろうか?年金は?自分は?と考えると憂鬱になりそうなので、私はやはり過去に行ってみたいと思いました。皆さんはどうでしょうか??

    東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 歴史のif〜時空を超えて(幕末篇)

    福田君、一度だけ君をどっかの時代に飛ばせてあげよう!と神様にでも言われれば、迷い無く答えるのが『幕末』という時代です。
    冷静に考えれば非常に物騒な時代でもあり、他の時代と大きく違うのは単純に領地を武力で奪い合う『武力闘争』のみでは無く、『思想闘争』とでも言うべき複雑な時代であったとも言えるからです。
    佐幕派尊皇攘夷公武合体倒幕派開国派などなど、その時々で思想の変更を余儀無くされたりと、非常に複雑な時代だったと言えます。
    それまで数百年もの間、太平を貪っていた日本人(体制側武士階級)にとって、諸外国から急激に高まってきた開国要求に答えるだけの充分な人材も知識も無く、武力的圧力を背景にした要求に答えて行かざるを得なかったという、国家の明確な指針無き、迷走の時代でもありました。
    一方で、幕府の弱体化に伴い地力を蓄え人材を育成してきた地方諸藩の若者達は幕府の弱腰外交に憂国の思いは暴発寸前となり、自らの思想に則り、行動を起こしていきます。こうして地方から火が着いてきた革命の炎がやがて日本全土を巻き込み、幕府を滅ぼす事となって行くのです。

    かなり端折りましたがザックリとした幕末説明?でしょうか・・・行ってみたいと言ったものの、顛末を知っているから言えるだけであって、当時、その時代に生きて居れば時代に翻弄され、右往左往してパニックしていたと思います。
    昨年大河ドラマにもなった坂本竜馬西郷隆盛など、幕末に生きた偉人達にシンパシーを感じる方が圧倒的に多いのも、モノの考え方とそれに対しての潔い姿に感銘を覚えるのだと思います。
    竜馬には何ものにも囚われない自由な発想とその人間力に憧れ、新撰組には滅びの美学とでも言うべきサムライの潔さを、西郷隆盛人間力などなど、挙げればきりが無いほど魅力的な人物が多数存在します。
    戦国武将との大きな違いは、幕末の志士達は行動規範が自分の思想に基づいているからこそ、我々は自分の今の状況や心境に人物を重ね、勇気を貰ったり、涙したりと感情移入しやすいのだと思います。

    では、私が幕末に誰の所に行きたいかですが、大方の予想では竜馬の所でしょと言われそうですが、残念ながら然にあらず、以前のブログにも書かせて戴いたのですが、前世でもご一緒させて戴いておりました高杉晋作先生の元ですねぇ・・・一応、毎年墓参もさせて戴いている位にRespect致しておりますので。
    但し!!一回こっきりと言われると、マニア的に今回は西郷隆盛先生ですねぇ♪西郷は写真も現在、確認される中では残っていませんので、デジカメ持参で写真を撮りたいです。キヨソネの肖像画通りなのか?はたまた全然違うのか?等々、興味は尽きません。
    当然それだけでは無く、西郷さんに同行を認めてもらえれば、維新の裏舞台が全て見られる訳ですから、マニアにとってこれほど魅力あることはありません。
    本当は薩長どちらから切り出したのか薩長同盟締結の現場、竜馬暗殺を指示したのかどうか?江戸城無血開城での勝との対談内容、征韓論の真意、西南戦争に至るまでの心の動き、自決後の首の埋葬場所。
    自分で書きながらもワクワクしてくる内容ですが、是非、現場で目撃したいです。『大きく打てば大きく響き 小さく打てば小さく響く是 西郷南州也』勝海舟が西郷を評して言っています。相手によってどのようにでも変化する西郷の人間性を顕していると思います。『一日先生に接すれば一日の愛を生ず、三日先生に接すれば三日の愛を生ず。親愛日に加わり、去るべくもあらず、今は善も悪も死生を共にせんのみ』この言葉は西南の役の際に、中津藩の義勇隊を率いて西郷と共に戦った増田栄太郎が隊の解散に当たり残した言葉です。結局、増田は西郷と最後まで共に戦い、城山で壮絶な最期を遂げています。
    男を心底惚れさす西郷の人間性に本当に触れてみたいです。個人的には政治家としては大久保の方が優れていると思いますが、西郷には『敬天党』でも設立して戴いて、今のぬるい日本の政治に渇!を入れて欲しいです。
    党派を超越して人をまとめていける様な大人物が日本に出てくることを願わずにいられない今日この頃です。
    今の日本に必要なのは日本が近代国家に生まれ変わるための人柱に敢えてなった西郷の様な私心の無い指導者が必要なのではと思います。
    辞めるための条件を突きつけ延命をはかる様なケツの穴の小さい政治屋では無く、公の心を持った指導者をいつの時代も民衆は待っているのです。

    話がとんでもなく飛びましたが、歴史の中には今を生きるヒントが、たくさん隠されているのだなぁと改めて感じました。。。viva historical

    東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

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    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 歴史のif〜時空を超えて(戦国時代篇)

    このブログはご存じの通り各実行委員が毎回、テーマの中から自分の考えを表現していくわけですが、時として趣味嗜好が似通っている方がいらっしゃいますと、当然、ネタがかぶったり、同じテーマを書こうとしたりと否応なしに書き換えを必要とされるのです。それが数ヶ月前の実行委員であれば猶予があるのですが、一週間前となればひたすら焦りの一途でしかありません。
    などと、ここでボヤいても始まらないので、時空ネタで今日もお付き合いを・・・

    先週の畠山先生のブログにも何度か出て来ていましたが、私も個人的にタイムスリップ、タイムトラベルネタは大好きです。歴史好きの方なら一度は歴史上のifを考えたことがあると思います。今回は個人的に好きな戦国幕末ifを取り上げてみたいと思います。

    私の中の戦国ifはやはり織田信長でしょうか。もし、信長が本能寺で斃れていなければその後の日本はどうなっていたのか?この話は様々な歴史学者の方や小説家も取り上げているネタなので、今更って感じもありますが、私なりに時空を飛び越え考えてみたいと思います。

    しかし、この信長ifはどう考えても、最後は人間関係で行き詰まってしまい、時期や人間は違っても、誰かが“本能寺”を起こしてしまい、信長は天寿を全う出来ないという結論に至ってしまいます・・・
    では、本能寺前後の信長の心理状態、有力家臣団の心理状態はどうだったのだろうかと?ふと、其の時の状況を考え分析してみました。

    先ず、当の信長公本人はと言えば、まさに我が人生最高の時でなかったかと思われます。数年前に長期に渉った信長包囲網も本願寺との講話により、実質上破綻し、信長自身の驚異となる勢力は、国内においてはほぼ居なくなったと言ってもよい状況となっていました。
    一方で有力家臣団はと言えば、筆頭家老の柴田勝家においては信長に絶対服従であり、ひたすら秀吉、光秀などの中途採用家臣団に遅れをとらない様にと必死だったと思われます。状況的にも東北方面の抑えに必死で、謀反の余裕無し。自席家老的存在の丹羽長秀は信長の子息信孝の補佐で四国征伐の道中であり、しかも自身の独立した軍を持っておらず。滝川一益は関東の抑えに必死、地理的にも謀反の余裕無し。池田恒興も同様に目前の仕事に追われ余裕無し。
    信長という人は親族以外には徹底した能力・成果主義であり、現代的に言えば会社開業当初からの古参の重役や部長クラスの人材でも使えないとみるや、追放・放逐したりと、どんなに現在重用されていても将来的な保証、安泰とはならず、いつ首を切られるか分からないビクビクした気の休まらぬ精神状態で日々をおくっていたのだと思います。
    現代的感覚で考えれば非常にドライな人事であり、今の日本の状況なら余り違和感を覚えないのかもしれません。ですが、信長当時の戦国大名家での雇用状況を考えるとかなり異質だったと言えます。当時は大名家に使える代わりとして一族郎党の生活を生涯保障するのが常識であり、その代償として主君のために命を懸けて働くのが、日本武士団での一般的雇用形態だったのです。
    それが、ミスをすればそれまでお家に貢献していても、明日から一族郎党が路頭に迷う状況では、誰しも心休まらず過労死寸前の状況だったと言えます。
    その中でも決定的だったのが、当時、出世頭で実質上織田家NO2だと思われていた明智光秀が、当時治めていた領地を全て没収の上、未だ敵方の領地だった地への国替えの沙汰を出されてしまいました。
    多分、この国替えが行われた時に織田家の全重臣達が、あれだけ出世しても未だ駄目なんだと奈落の底へ突き落とされたと思います。
    この集団ヒステリー状態が最高の沸点に達したのが、『本能寺』であった様な気がします。未だに様々な黒幕説が歴史家の中からも言われており、真偽の程は不明ですが、光秀に直接聞けば、案外肩すかしを食うほど人間臭く、単純な動機だったのかもしれません。光秀がやらなくても条件が揃えば、秀吉が実行していたでしょうし、歴史の事実なんて学者が考えるほど複雑なものでは無く、単純に動物的であり、種の保存や我欲だったりと、NHK大河の脚本以上に肩すかしかもしれないのです。
    あれだけ緻密に多方面に内政・外交・侵攻戦略を練っていた信長が、国家経営といったマクロな視点に目を奪われすぎ、家臣団というミクロな部分に目が行き届かなかったということが何とも歴史の皮肉だと思います。

    よく考えれば現代も、この頃の日本とよく似た状況にあり、多くのサラリーマンの方達が、不安定な政治状況、世界的不況による円高と雇用への不安など、明るい要素が見えない中での生活を余儀無くされています。
    それを表すかの様に、我々臨床家が日々思うのが年々増加している『ストレス性疾患』が原因であろうと思われる症状です。
    私が開業した約10年前には『肩こり、腰痛、神経痛』などと言った症状が大半を占め、その殆どが原因が明らかなものだったのですが、昨今では病院に行っても特に悪いところは無いと言われるとか、ストレスですねぇで片付けられて、特に何もしてもらえないなどと訴える方が非常に多くなっていることです。
    大丈夫と言われてるのに、この不快な痛みは何ですか?と・・特に今年に入って、震災以降は、目に見えないストレスとの戦いという新たな局面も向かえており、何とも悩ましい限りです。
    もはや物事を数値化することで成立していた現代医学の限界が来ている様な気がして仕方ありません。信長の話から何故、ここまで話が飛んでしまったのか不思議ですが、今後の臨床家は見えないストレスという怪物との戦いに終始するでしょうし、よりクライアントにストレスを与えない施術へと変化を求められてくるものと思います・・・


    最後に信長ネタをもう一つ、この閉塞感漂う日本の政治状況を打破するには信長の様な固定概念を持たない破壊者が必要なのかもしれません。そこで、興味がある方は1994年にヤングアニマルで連載していた内閣総理大臣 織田信長をお読みになるのをお勧め致します。新党のぶなが党首の織田信長が主人公になっており、その他秀吉、家康、勝家など信長好きならずとも歴史好きの方にはたまらんマニアックなエピソードが幾つも散りばめてあり、笑えます。
    やはり信長は偉大です・・・

    内閣総理大臣織田信長 1 (ジェッツコミックス)

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