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  • モノ申ス Part2

    『少年老い易く学成り難し』この諺、私が好きな諺の一つです。一般的に言われる意味としては、若い時は未だ先があると思って必死に学ばないが、時は直ぐに過ぎてしまい何も学べず年をとり終わってしまう。だから若い時から必死で学ばなければならないと言った意味です。
    ここでは時間の進み方と学びについて戒めています。これは幾つになっても言えることで、学びとはいつでも良いのではなく、常に今が学び時、今が旬の気持ちが必要なのではと思います。
    かく言う私も未だ学びの真っ直中であり、生涯通して学び続けるのであろうと思っています。
    特に我々は師匠という自身の目指すべき目標がある中での学びなので、そういう面では非常にありがたいと思っています。
    この学び方も昨今は多様化しており、昔の様に秘伝は門外不出!弟子入りしなきゃ何も教えない等と言うことは徐々に無くなりました。今では聴講生・受講生などいわゆる昔的なお師匠様とお弟子さんみたいな図式ではなく、学生感覚で自分に必要なものだけチョイスして学ぶなどという学び方まで出て来ています。
    しかし、人間の一生は限られた時間しかありません。学ぶということは限られた時間の中で、どれだけの気付きを自身が得られるかだと思います。
    気付きとは『破壊』であり、過去の価値観との決別でもあります。昨日までの考えを捨て、新しき価値観の中での自己の『創造』となっていくわけです。
    そのためには何が必要かと言えば、やはり偉大なる『師匠』の存在なのです。
    ここで大切なのは師匠との価値観の共有であり、否定の無い学びなのです。
    最近の若い人達の特徴は『でも・だけど・何で?』といった『はい』と言えない人達が非常に多いことです。師匠の言葉は絶対であり、そこにはデモやダケドは必要無いのです。師匠がカラスは白いと言えばカラスは白ですし、宇宙人はいるぞと言われればいるのです。
    若い人達にこの話をすると、『間違っていることは間違ってると、例え師匠でも言わなければならないんじゃないんですか!』などとアホな逆ギレする人がいます。
    しかし、それこそが自分自身の『学び』の妨げとなっており、自分の稚拙な考えを捨てることが、新たな価値観の破壊と創造なのです。
    自分の今まで生きてきた中での価値観で物事を考えることこそが、学びの最大の邪魔になっていること、成長の妨げになっていることに、いち早く気付く必要があるのです。今の目線では見えないものが、脚立の上に上がると遠くまでよく見える。目線が変わると見える世界が180°変わるのです。師匠の言葉とは目線を変え、もっと広い世界を見なさいという啓示でもあるのです。
    そして、それに対して素直にハイと言える人間だけが師匠の居る場所へと上がっていくことが出来るのです。

    ですから学びにおいて『自分らしさ』『私は』は必要ないのです。自分の心のヒダにこびり付いてる『自分・私』といった一人称の我を捨てることこそが学びの第一歩なのですから。『学ぶ』とは『真似ぶ』ことであり、師匠の完全コピーから始まり、完コピ終了後、初めて自分らしさの様なものが芽生えてくるのではと思います。
    未熟な奴ほど『自分は自分は』と主張するが、自分はと言う奴に限って自分が見えてないのが現状です。一度、自分という重い衣を脱ぎ捨てて、ひたすら“真似ぶ”ことを突き詰めてみると、真の学びの道が見えてくるのではと思います。
    『少年老い易く学成り難し』そして『光陰矢の如し』なのです。

    東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • モノ申ス Part1

    時間・空間についてなど考えることもなく人生を過ごして来た私にとって、今回の岡村実行委員長からのテーマは勉強と言えば勉強・・書きにくいと言えば書きにくい・・などとボヤキつつ、今週一週間勤めたいと思います。
    まぁ、来週の日曜日は第二回になる東京操体フォーラムIn 京都であり、毎度の事ながらイベント近くにブログの順番が回ってくる己の所業に反省しつつ、テーマを突いて行きたいと思います。
    まぁ私のブログの順番時は箸休めだと思って戴ければ幸いです・・・
    初回のテーマが『モノ申ス』となっておりますが、今日と明日の二日間を使ってここ最近、私の中での突っ込みたいところ、もの申したいことを書いてみたいと思います。
    え?テーマと違う?いえいえ、強引に結びつけますのでご心配なく・・・

    早速ですが、私にとって毎年恒例の夏の高校野球が昨日、終了致しました。今回は圧倒的打撃力を誇る西東京代表、日大三校の優勝で幕を閉じました。
    毎年、この時期になると島根県予選観戦から始まり、甲子園の本戦終了まで野球漬けの一ヶ月となります。これは自分の仕事上、弊院で診ている生徒が試合に出ているという理由と、後は時間を飛び越えて過去に遡ること28年前、自身も高校球児だったという過去もあり、この時期は丹田の辺りがムズムズしてショーがないのです。

    で、今回のタイトルにもなっている“モノ申したい”案件は以前のブログにも書いたのですが、地区大会も含め、特に今回は甲子園の大会で多く見られた、球児達の精神面の弱さです。これに関しては年々酷くなっている様な気がするのは私だけでしょうか?
    特にテクニカルな面に関しては、左右に打ち分ける高い打撃技術や、多種多様な変化球を投げ分けるプロ顔負けの投手など、個々の技術面だけを見れば、年々レベルアップしています。
    その反面、今回の大会は精神的に脆い選手が多く見受けられました。
    その典型的な例として、今回の甲子園での試合は9回からの逆転試合が多いこと多いこと。甲子園の様々な修羅場をくぐり抜けてきたはずの名将ですら、予測出来ない展開が多く見られました。9回2アウト3点差という状況から、8点とられて負けるなどという展開は本来、そうある試合ではないですが、それに近い試合が今大会は幾つも見られました。
    多分、この様な状況は今後も続く様な気がします。

    私は単に精神論だけで、涙を流すのが駄目だと言っている訳ではありません。
    体育会系としては、試合が終わってもいないのに泣くなんて!アホか!と一喝したいところですが、最近の草食系男子にそんなことを言うと更に泣かれそうなので、言いませんが・・・

    そもそも涙を流すという行為が身体に及ぼす影響がどうなのかを、体育会系発想で考えるのではなく、もう少し科学的に考えてみたいと思います。
    先ず、選手達の精神状態を考えてみれば分かりやすいのですが、9回表という状況は野球をやったことがある方なら分かると思うのですが、後アウト3つで試合が終わってしまうという、非常に追い込まれたストレスフルな状況です。
    交感神経は限界ギリギリのテンパった状態で血流量は増加、心臓もバクバク、興奮状態の極みと言えます。一見すると身体的には非常に危険な状態に見えますが、こと競技スポーツに関して言えば、気力、集中力共に高まり、火事場の馬鹿力的要素も含んだ最高のパフォーマンスが表現出来る、ベストな状態と言えます。
    その最高状態の対極にあるのが、『泣く』という行為です。この『泣く』と言う行為から生まれるモノは『ストレスからの解放』いわゆる『癒やし効果』です。
    アドレナリン全快で行かなきゃいけない場面で、エンドルフィンを放出し、緊張からの解放をしてしまうのです。
    これこそが目の前にある辛いモノから目を背けたい、勝負に負けるという現実から目を背けたい、ストレスから解放されたいと言った、逃げの姿勢、勝負の放棄に他ならないのです。
    ある意味スポーツとは究極の我慢比べであり、我慢出来なくなり集中力が切れた個人やチームが負けるのがスポーツなのです。名将・智将と言われる監督は相手チームを精神的に動揺・崩壊させる、そのノウハウを数多く持っているのです。しかし、今回の大会はそんな名将もビックリの自チームからその様な選手が出てしまうとは予想も出来なかったと思います・・・

    操体に言えば『放出』は最高の『快』なので、勧めたいところですが・・
    人間って身体から何かを放出する瞬間って本当に気持ちいいんですよねぇ♪
    『汗・涙・涎・尿・便』などなど。。これ、前回のテーマだと迷わず“射精”と書いたのですが、今回はテーマ違うので・・
    とにもかくにも、究極の我慢比べことスポーツは技術も大切ですが、もっと上のステージや世界で戦うためには、技術を支えるタフなメンタル強化も大きなテーマとして肝に銘じたいものです。

    東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • とらわれない操体

    お盆のせいなのか、猛暑のせいなのかヘンな夢を見た。

    操体の仲間達と海外に遠征に行き、今日帰国するぞ、と言うときに、東京が未曾有の災害で壊滅したというニュースが入るのだ。ホテルにまとめて預けてあったパスポートを受け取り、それぞれのメンバーに配る。不気味なのは、未曾有の災害が何だかわからないのだが、飛行機はこれから成田へ向かう、という話だった。何だかリアルだったが、夢だな、と分かっていた。

    まあそんなことは起こらないと思うけど。

    私達はとんでもない転換期に生きている。
    陰陽のサイクルは800年周期で訪れるが、先の「陽」のサイクルが終わったのは、1945年(昭和20年)。戦争が終わり、日本が大転換期を迎えた年だ。
    今は本格的に「陰」の時代に入っている。次の転換期がやってくるのが、約730年というはるか先のことである。
    男性原理が支配する1000年から1999年が終わり(物事は9年サイクルで動いている)、「1」が支配する最後のサイクル、1999年から2008年が丁度終わる頃、リーマンショックで世界が変わった。今年2011年は9年サイクルのうち「4年目」にあたり、「安定」または「大災害」の年にあたる。まさに「大災害」の年となった。このような転換期に生を受けたのはやはり何か意味があるのだろう。この世界を見ておけ、記録しておけということなのだろうか。

    臨床家は皆気づいている。
    クライアント(患者)が訴える愁訴の内容が変わってきていることを。

    2011年7月6日、厚生労働省は、それまでの四大疾病(がん、脳卒中、心臓病、糖尿病)に精神疾患を加え、五大疾病とすることとした。現実にはうつ、統合失調症の数が増え続けているのである。これは陰陽のサイクル変化の影響とともに、それまでは精神疾患などは「女々しい病気」のように考えられていたようだが、病気に対する理解とともに、受診者が増えたという理由もあるらしい。

    橋本敬三先生の時代は「正體術」でも「対なる動きを比較対照し、楽なほうに瞬間急速脱力させる」という第1分析でも間に合った。しかし、それは「陽」の時代仕様だったのだ。

    橋本先生がなぜ「楽」ではなく「快」にシフトチェンジしたのかといえば、恐らく「陰」の時代が本格的にやってきたという直感と「楽では間に合わない」という実感ではなかったのだろうか。
    三浦先生は5年の年月をかけて、第2分析(ひとつひとつの動きに快をききわけさせる)を体系化されたが、そこで「動けない場合に操体はどう対応すべきなのか」という、操体の盲点が明るみに出てきた。一つの手は、最大圧痛点に触れ、逃避反応を起こすことだが、これでは「きもちよさでよくなる」という操体の一番の特徴が活かせない。そこで、三浦先生が皮膚への接触という新たな分析法の体系化に着手し、それはほぼ完成しつつある。

    私がここ数年本当に悩ましく思っているのは、多くの臨床家でさえ、殆ど第1分析しか知らないということである。「楽と快の違い」が上手く伝わっておらず、そこに「動診と操法の区別」が加わっている。「操体がわからない」という場合のおおもとの問題点は、楽と快の違いの捉え方である。

    ちなみに、私達は「楽」「快」「不快」と、3つに分けて考えている。ボディに歪みが生じると「動かしてきもちいい」あるいは「動かすと不快」という「快不快の法則」が成り立つ。「楽」というのは、バランスがとれていて、何ともない、という状態である。なので「楽で何ともない」という状態に、「快」のききわけを持ち込むのは避けているのだ。
    (バランスがとれていて、活力にあふれていて生きていること自体がきもちいい、という場合もあるが、これは特別だと思う)。

    また、第3分析、皮膚へのアプローチは「陰」の性質の愁訴をもつからだに対して、非常に優しいということを伝えておこう。そして、操体は第3分析をも超越した、新たなステージを迎えている。いままでの「とらわれ」で操体や臨床に向き合ってはいられないのだ。

    http://d.hatena.ne.jp/lovecats/20110819

    ご興味のある方は、アタマの中で妄想を膨らませているのではなく、ホンモノの操体を体験して欲しい。京都、間に合います。
    操体の門戸はいつでも開いているから。

    何だか不死者とかタイムスリップとか今回の大震災とか、何だか明るくもなく、どよ〜んとした話題が多かったような気もしますが、100%ポジティブで明るくて元気じゃなくてもいいじゃん、という感じです。

    私が今年一番ショックというか情けなかったというか世の中にはこんなヒトもいるんだなと思ったのは、東北の大震災に対して「東京の消費生活の戒めです」と言ったヒトがいたことです。それが、少なからず操体に関わっていた方で(今は無縁)何故、東京の過剰な消費生活の戒めが、東北に行くのでしょうか。それは、東北人に対して失礼なのでは。私は東北ブラッズなので、そう思いました。

    師匠が、「もし、自分の妻や子供が被災したらどうなんだ」と聞いたそうですが(師匠も東北出身)「自分はそういう目にあったことがないから、それはわからない」と言ったそうです。正直言いますが、こんなヤツは去勢して島流しにでもしたろ〜かと思いました(すんません)。師匠にも不義理の限りを尽くした方ですから、仕方ないのかも。

    同じ事を思い出しました。私の父が急逝した際、ある同僚が「私は親を亡くした事がないから、あなたの気持ちがわからない」と言ったのです。多分、こういう方々ほど、ご自身の家族に何かあった場合、めちゃくちゃ騒ぐんだろうな。

    というか、肉親を亡くしたとか、災害に遭ったヒトに対してこういう事が言えるのか。凄いなと思った次第。これはすごい発見。ある種の無常観というか、こんなヒトもいるんだな、へー、という感じです。まあ、偽善的に「わたくしはそんな目に遭ったことがないのでハッピーだけど、おかわいそうに」というのもなんかイヤだな(笑)

    そして、共通しているのが、皆50歳越えた立派な大人なんです。ふつう大人がこんな事言うんでしょうか。

    まあ、いろんなヒトがいるからというので今回は終わりにするけれど、「痛みがわがんのががプロよ」という、橋本先生の言葉で少しは救われたかなと思います。

    人の痛みがわからん輩は、プロじゃない。

    というわけで一週間ありがとうございました。明日からは出雲の福田画伯の担当です。

    京都のフォーラム、来週です。

    東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 時空を越えることが出来たら

    私がもし、タイムスリップできるのだったら、1966年、あるいは67年あたりの仙台の赤門鍼灸学校に飛んで、自転車に乗って颯爽と登場する橋本先生と、当時の三浦寛青年を物陰からそ〜っと眺めてみたいと思う(笑)
    このへんはかなり本気かも(爆)

    もしかしたら、本当はそういうことをやっているのかもしれない。「この人と会うのって初めてだっけ?」とか「どこかで知っているような気がする」というのは、案外時空を越えているのかも。

    筒井康隆氏のジュブナイル小説(少年少女小説)と言えば「時をかける少女」が有名だ。筒井氏は実はこの作品があまり気に入っておらず、本来の自分のテイストとは外れていると言っているらしいが、短い期間に何度も映画化され、アニメ化されるということは、やは人を魅了するテーマなのだ。

    主人公はラベンダーの香りを嗅ぐとタイムスリップしてしまう。タイムスリップと言っても、1日か2日のことだ。ストーリーは多くの人が知っていると思うが、同級生の一人は、600年位先の未来からやってきていた。未来の世界では、ラベンダーが絶滅してしまっているため、彼は過去に飛び、ラベンダーを持ち帰ろうとしていたのである。結局、未来から来た同級生は、主人公はじめ、周りの関係した人々の記憶を消して帰って行く。主人公は「覚えていない何か」を心の隅に抱えながら大人になってゆく、という話である。

    時をかける少女 デジタル・リマスター版 [DVD]

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    原田知世バージョン。

    20代前半の頃、余りにもサイケデリックで賑やかで鮮やかすぎる夢を見る日が続いた。賑やかすぎてよく眠れない。もう、極彩色の曼荼羅毎日夢に出てくるのである。宗教的な啓示かもしれない、と真面目に考えたこともある。今思うと、からだが熟睡していて、脳が覚醒している状態だったのだろう。
    西葛西の実家の近所で一人暮らしをしていた私は、近所のかかりつけのクリニックに行った。この先生は女医さんで、未だに元気で診療に当たっておられる。私がこの一件を相談すると、先生はハルシオンを処方してくれた(治療目的以外で、使用する目的もなく所持すると、麻薬及び向精神薬取締法にて、逮捕・処罰される)。

    私はハルシオンが何だかよく知らなかったので、確か飲みに行った日の夜寝る前に服用したのだと思う。ヘンな夢も見ず、ぐっすり眠って爽やかに目がさめると、次の日の夜になっていた(笑)。金曜の夜から土曜の夜まで爆睡していたのだ。
    朝目が覚めるのではなく、夜目が覚めるというのは妙な気分だった。これこそ時空が飛んでしまったようだった。後に、ハルシオンはアルコールと一緒に摂取すると、効きすぎるということを知った(真似しないで下さい)。

    畠山裕美

    東京操体フォーラム in 京都 はいよいよ来週末開催です。

    東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 小さい頃の自分に出会う

    大きくなってから、通っていた幼稚園や小学校を訪れると、何だか随分小さい建物に見える。幼稚園、小学校の時は、集団登校していたので、年長組、年少組が一緒になって道を歩いていくのだが、毎日えらく遠く感じたものだった。幼稚園の頃は、身長順だと前から2番目くらいのチビだったのである。団地は東京オリンピックの頃に開発されたところで、現在の千葉県稲毛区にあたる。千葉の小高い丘を切り崩して作ったものだ。幼稚園と小学校は丘の上にあった。毎日毎日朝は坂を登って行かなければならないし、幼稚園は小学校より200メートル以上先にあった。幼児の私にとって、毎朝の幼稚園通園は毎日が遠足みたいなものだったのである。

    数年前のある日、私は当時住んでいた団地の一室から、幼稚園まで歩いてみた。余りに近いのと、急な坂道だと感じていた坂は、短い緩やかな坂だった。これも自分が大きくなったからなのだろう。幼稚園の園舎は立て替えられており、昔の面影はなかったが、それでも小さく見えた。もっと驚いたのは、幼稚園の隣にある小学校の小ささである。小さいと言っても私の通っていた小学校は、千葉市内で2番目に児童数が多かった。私が3年生の時、3つの分校に分かれたが、それでも大きな学校だった。坂の終点に幼稚園があり、坂の角に小学校のプールがあった。そのプールも「こんなに小さかったっけ?」という感じである。
    要は私が大きくなったからなのだが、子供の時は何でも大きく見えるんだな、と改めて感じた。

    ということを書いていたら、購読しているメルマガが届いた。
    偶然にも面白いことが書いてあったので、引用してみよう。

    『思い出の場所を訪れてみる』

    思い切って青春時代の思い出の場所を訪れてみましょう。
    小、中学校や高校、大学など、自分の通っていた学校を訪れることで、
    あの頃の想いがよみがえってきます。

    あの頃と同じ場所に立つだけでいいのです。
    家から学校までの道のりをたどり、周辺を歩き回ってみるだけで十分です。

    できれば、「今のあなた」から、「その時のあなた」にひと声かけてあげましょう。
    それだけで、あなたの中の「子供心」は目を覚まし、癒されることになるのです。

    へえ、小さい頃の思い出の場所所を訪れるということは、こういうことなんだ。

    小さい頃の思い出の場所と言えば、今年3月11日に津波の被害に遭った、私の両親の故郷、気仙沼だ。

    小学生の頃は、夏休み毎に帰省していた。私は東京生まれなので、最初はおばあちゃんが何と言っているかわからなかった。母も私と話すときは標準語で話すのだが、親兄弟と話している時は何だかさっぱりわからない。しかし二週間もいると、私も段々東北弁がになってくるのだった。
    母方の実家は江戸時代は庄屋をしており、広い畑を持っていた。青臭いトマトや、甘くないとうもろこし、祖母が作る蒸し菓子や団子などを食べて過ごしたことを覚えている。祖母と母と妹と、江戸時代から付き合いがあるという鳴子温泉の湯治場に行くこともあった。二週間くらい母方の実家で過ごすと、夏休みをとった父が東京からやってくる。
    父が来たら、父方の実家に移動する。港の近くで、伯父が魚市場に勤めていたりしたので、毎朝気仙沼の魚市場に行った。
    楽しい思い出である。

    母方の実家は大船渡線気仙沼駅から二つ離れた、陸前高田市に隣接したところで、山の中だが、父方の実家は気仙沼の魚市場からも近い高台にある。避難所となっていた気仙沼小学校、中学校のすぐ下で、テレビ中継では、父方の墓へ行く道が映っていた。祖母は私が4歳の時に他界しており、祖父が高校3年の時に他界してから、家には誰も住んでいなかった。
    そして、誰も住んでいなかった家は、津波の被害に遭わなかったのである。親戚は皆無事だったが、家を流された家族もあった。テレビ中継では、見覚えのある風景が無残な様子を見せていた。

    私が愛してやまない、気仙沼あさひ鮨も津波で流されたらしい。地震後、電話が全く通じなかったので、心配していたが、丁度仕事で仙台に帰省した平さんが、仙台の駅ビル(仙台駅ビルにあさひ鮨の支店がある)の人に聞いて、気仙沼の人達の無事を知らせてくれた。
    その後、川崎隆章氏(秋のフォーラムで講演予定)から携帯に「8月から気仙沼あさひ鮨営業再開って、テレビでやってたよ」というメールが入った。

    ゴールデンウィークに、松岡正剛さんが東北を訪れたという話を聞いた。気仙沼にも足を踏み入れたそうだが、絶句してしまったそうだ。俳句でも詠もうと思ったそうだが、あまりの酷さに一句も詠めなかったとのことで、私は気仙沼に行きたいと思ったが、少し躊躇している。

    フリーアナウンサー生島ヒロシ氏は父のTBSの後輩である。同郷ということで父とは親しい付き合いがあった。生島さんの妹さんは、お母さんの遺骨を持ったまま気仙沼入りし、そこで被災した。先日財布だけは見つかったと聞いたが、身の周りに、被災して亡くなった方が確実に存在するのである。

    気仙沼にはいつ行けるだろう。

    果たして「小さい頃の私」を見つけることができるのだろうか

    畠山裕美

    東京操体フォーラム in 京都は来週開催です

    東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

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  • 輪廻転生

    広い意味で考えると、輪廻転生も時空を越えた現象ではなかろうかと思う。一時、フォーラム実行委員の間で中谷さんがインスパイアされた「前世療法」という本が流行ったことがある。アメリカの医師が退行催眠を用いて治療に当たるという本である。これは退行催眠自体の効果というよりは、クライアントの問題(症状疾患など)の原因をその過去世に求めることにある。例えば、水が怖くて仕方ないクライアントの場合、何故水が怖いのか、何故水を見るとパニックを起こしてしまうのか、わからないから余計恐ろしいのである。しかし、退行催眠によって、過去世で溺死していることがわかった場合、「何故、水が怖いのか」という理由が分かるため、本人も納得がいき、水への恐れも解消してくるのである。

    前世療法―米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘 (PHP文庫)

    前世療法―米国精神科医が体験した輪廻転生の神秘 (PHP文庫)

    また、これは誰でも思い当たる節があると思うのだが、理由はないけれど何となく好きな場所や、理由はないけれど惹かれる絵はないだろうか。多分それは時空を越えた記憶だ。

    昨年フォーラムのメンバー何人かとマドリッドイスタンブールに行った。マドリッドには直行便がないため、最初はヘルシンキ経由かロンドン経由で行く予定だったのだが、その中の1つの候補として上がったのがイスタンブール経由の便だった。これは、師匠の『オレの前世はトルコの商人か踊り子だった気がする』という一言で簡単に決まった(笑)。話を聞くと、以前からトルコは行きたかったのだそうだ。

    私自身、イスタンブールは初めてだったが、何だか最初から懐かしい感じがした。モスクに入るとき靴を脱ぐのだが、入り口でビニール袋を渡してくれる。何だか日本のお寺に上がるような気がした。トルコはイスラム教の国だ。私達はイスラム教に対してあまりにも知識が乏しいが、キリスト教同様イスラム教にも輪廻転生の考えはない。
    輪廻転生の考えがないイスラムの国で自分の前世を考えるのもなかなか面白いものだ。


    ブルーモスク。

    最初にイスタンブールに降り立った時は夜8時を過ぎていた。トランジットのためのホテルに移動し、翌日の5時ロビーに集合という強行スケジュールである。お風呂に入って寝て、朝早く起きて、飛行機にのって出発、という感じで、異国情緒を楽しんでいるヒマはなかった。マドリッドでのセミナーを終え、バルセロナを経由して再度イスタンブール入りをしたが、今回はたっぷり2泊である。帰りの飛行機は夕方18時半の発なので、まるまる2日のんびりできる。
    その時泊まったホテルは、16部屋程度のプチホテルである。日本語の得意なオーナーが、アンティーク家具を集めて整えたもので部屋の天井にはランプが煌めいていた。部屋に入っただけで「ここっていつの時代だ?」という感じである。なお、泊まったところはかの有名な地下宮殿の近くで、徒歩2分くらい、ブルーモスク、アヤソフィアも徒歩圏、グランバザールも徒歩圏という便利なところである。何だかこれだけでもタイムスリップしたみたいだった。


    宿泊したKybele Hotelのロビー。

    朝、まだ薄暗い時間に、コーランの放送で目が覚めた。朝日が昇る前の町にコーランが流れる。これを聞いて何だかますますタイムスリップしたような気になってくるのである。
    外に出ている女性が滅多にいないのも、何だか不思議な感じだった。

    飛行機にのって、時差があるところに行くのも、1つの時空を越えた経験かもしれない。
    来月、再びマドリッドイスタンブールを訪れる予定だが、どんなタイムスリップが待っているのか、楽しみである。

    畠山裕美

    来週はいよいよ「東京操体フォーラム in 京都」開催です

    東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 歴史時間

    「真実は時の娘」という英語の諺がある。”Truth is the daughter of time.”「時の娘」とは真実を指す。
    「真実は、今日は隠されているかもしれないが、時間の経過によって明らかにされる(明らかになる)」という意味だとされている。

    時の娘 (ハヤカワ・ミステリ文庫 51-1)

    時の娘 (ハヤカワ・ミステリ文庫 51-1)

    • アラン・グラント警部は犯人を追跡中に怪我をし、しばらくの間病院のベッドで横になることになった。彼はふとしたきっかけから、イングランド王リチャード3世に興味を持つようになり、知人から渡された当時の文献などを調べ、リチャード3世の知られざる素顔、そして彼が2人の王子エドワードとリチャードをロンドン塔に幽閉して殺害したとする悪名高い逸話は真実なのかを、寝たきり探偵的に推理していく。

    昨年の夏、奈良に行った。奈良の北村先生のお気遣いで、奈良の大仏様のお膝元まで上げていただいたのである。
    大仏殿の正面からではなく、特別に横から入れていただき、大仏殿を見上げた。確か日本で最大の木造建築だったと思う。戦乱で何度も焼け落ちてサイズダウンしているそうだが、やはり大きかった。私が歴史的建造物好きなのは、時代を越えて、ここに立っていた人々がいたからだと思う。1000年前にも多分こうやって大仏殿を見上げていた人達がいたに違いないからだ。私はそこに何だか懐かしさを感じるのである。
    とにかく仏教の世界の時間感覚はすごいものがある。弥勒菩薩様はお釈迦様の入滅後56億7千万年後の未来に姿を現れて、多くの人々を救済するとされるそうだが、56億7千万年とは一体どんな時間感なのだろう。まあ、それくらい長いよ、という意味もあるのかもしれない。


    大仏殿

    なお、奈良の大仏様は大きいのだろう?と思った事はないだろうか。
    聖武天皇が幼くして亡くなった我が子を弔うため、国家と自身の健康のために建立したそうである。また、大きくしたのは全国的なイベントでもあったので、「大きいことはいいことだ」みたいなノリで大きくしたらしい。大きい方が御利益があるということもあったのだろう。
    しかし、大仏様を金めっきした際に用いられた「アマルガム法」は、精銅で鋳造した大仏を、水銀に金を溶かした金アマルガムで覆い、加熱すると水銀が蒸発して金だけがめっきとして残るというものだった。何とこのめっきには20年近くの時間が費やされ(20年間水銀ガスが放出されっぱなし)ている。
    そのお陰で、当時水銀中毒が大流行し、これは日本史上初の公害病と言われている。また、奈良から京都への遷都の原因は、水銀中毒のせいだという説もある。民の幸せを願って建立したものが、水銀中毒の原因となったとは、聖武天皇も思いも寄らなかったに違いない。もっとも、当時は水銀の害毒は知られていなかったので、「たたり」や「疫病」として扱われたのではないかという意見もある。

    時間と言えば、昨年の秋訪れたスペインのトレドの町(マドリッドから50キロくらい、町自体が世界遺産になっている中世からの要塞都市)の中央には、トレドの大聖堂が立っている。トレド大司教座が置かれている。トレド大司教は、スペイン・カトリック教会の首位聖職者だそうだから、一番すごい教会(?)らしい。この教会は1226年に建造が始まり、完成したのは1493年というから、約270年もかけて建造されたものだ。13世紀のフランス・ゴシック様式の影響を受けているそうだが、ムデハル様式イスラム教徒の建築様式とキリスト教建築様式が融合したもの)も取り入れており、何となくエキゾチックな感じもある。それにしても気が長い話である。270年と言えば親子何代に相当するのだろう。そして、何故そんなに長い時間をかけて教会を建てるのだろう。
    ガイドの人(マドリッド在住の日本人)曰く、時間をかけて大きな建造物(特に教会)を建てるということは、教会の権力を示す為だったそうである。


    トレドの大聖堂


    街自体が世界遺産に指定されている

    トレドの後、バルセロナに移動して、サグラダ・ファミリア(聖家族教会)を見物した。1882年に建築が始まり、約130年経った現在でも工事は続いている。私達が行った時も、クレーンが動いていた。面白かったのは、町の一角だけがサグラダ・ファミリアなのである。通りの反対側は普通のオフィス街なのだが、その周りだけはカメラを持った観光客が口を開けて遙か上空に見える、教会の屋根の先端を見ているのだった。


    サグラダ・ファミリア。クレーンで工事をしている。世界中からやってきた観光客が皆上を向いて写真を撮っている。

    そこで私が気づいたのは、大仏も巨大な教会も「見上げる」という人間の動作によって「なんだかありがたい」とか「御利益がありそうだ」とか「神々しい」とか「畏怖」を感じさせるのではないかということだった。教会のステンドグラスは、元々字が読めない人達にキリストの生涯を伝えるために作られたものだと言うが、高いところに飾られ、光を通した幻想的な風景は、人の心を敬虔にし続けてきたのかもしれない。

    1200年前から大仏様を、その口をあんぐり開けて目を見開いて見つめてから、次の瞬間手を合わせる。そんなことが幾度もくり返されてきたのだろう。

    畠山裕美

    東京操体フォーラム in 京都 はいよいよ来週開催です

    東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 不死者たち

    お盆なので、橋本先生もこちらに戻ってこられているかもしれない。

    はるか昔より、時空を越えることができたのは「大いなる存在」か「呪われた者」だったのではなかろうかと思う。

    さまよえるオランダ人」というのを聞いたことがあるだろうか。イギリスの伝承で、アフリカの喜望峰近くの海で、船長が風(あるいは神)を罵って呪われた。船長は1人で永遠に(あるいは審判の日まで)さまよい続けることになった、というものである。「パイレーツ・オブ・カリビアン」にも出てきた様な記憶が。

    インモータル(immortal)というのは「不死者」のことである。もしくはギリシャ、ローマの神を指す。
    私が一番先に思い浮かべるのは、アン・ライスの「ヴァンパイア・クロニクルズ」だ。Immortalという言葉は、原書を読んで覚えた単語である。ちなみに、確か私が原書で読んだ2冊目の本ヴァンパイア・クロニクルズの第3作目”The Queen of the dammed” 「呪われし者の女王」だった。

    呪われし者の女王〈上〉―ヴァンパイア・クロニクルズ (扶桑社ミステリー)

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    クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア 特別版 [DVD]

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    映画化もされているが、原作とは結構かけはなれている。映画は映画として楽しんだほうがいい

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B9

    ヴァンパイア・クロニクルズ
    アン・ライスの作品のうち、ヴァンパイア・レスタトを中心に、彼を巡るヴァンパイアの仲間達を描いた一連の作品。後には脇役のメンバーが主人公となったスピンアウト作品もある。ヴァンパイア・クロニクルズに並ぶ「メイフェア・クロニクルズ」(十数代にのぼるメイフェア家の歴史を描いたもの)とも途中でリンクしている。緻密な歴史の描写は時を忘れてしまう程面白い。

    ライス女史が「インタビュー・ウィズ・ザ・ヴァンパイア」(トム・クルーズとブラット・ピット主演で映画化)を書いたきっかけは、幼い娘を白血病で亡くしたことによる。人を生かす血液が何故人の命を奪うのか、そんな中、僅か二週間で書き上げたこの作品は大ヒットした。それまでヴァンパイアものと言えば、「ドラキュラ伯爵」とか「吸血鬼」という昔のホラー映画のようなイメージが一般的だったが、ライス女史が創造したヴァンパイアはそれまでのものとは全く違っていた。まず登場人物は皆美貌の持ち主である。墓場に住んでいるわけでもなく、十字架もニンニクも平気で、優雅な暮らしをしている。テレポーテーション能力や、読心術を操ることができる。昼間は棺桶の中で眠っているのはお約束だが、レスタトに至ってはサハラ砂漠で日焼けまでしている。型破りのヴァンパイアなのである。

    インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア [DVD]

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    夜明けのヴァンパイア (ハヤカワ文庫NV)

    夜明けのヴァンパイア (ハヤカワ文庫NV)

    原作。翻訳が「美形ヴァンパイア」っぽくないのが残念。この本以降の翻訳者、柿沼瑛子氏の翻訳は素晴らしい。

    「不死者」というと、西洋では神に呪われ、永遠にさまよい続けるという意味があるようだ。「インタビュー・ウィズ・ザ・ヴァンパイア」では、ニューオリンズの農園主、ルイ(映画ではブラット・ピットが演じた)が、弟の宗教的自殺によって自暴自棄になっている時に、ヴァンパイア・レスタトに目をつけられ、不死者として生まれ変わる(なお、映画では「妻がお産で亡くなって自暴自棄」と、変更されている)。不死者になった者は、最初皆その「不死」という状況が受け入れられないようである。これは多分キリスト教の教えもあるのかもしれない。ヴァンパイアの掟で、自分の創造者(自分を不死者にしたもの)を破壊してはいけない、子供を不死者にしてはいけない、というものがある。ルイは人間の血を拒み、ネズミの血をすすっているが、ある日、病気で死んだ母親の側で泣いていた6歳の少女、クローディアを発作的に襲ってしまうのだ。ちなみに、クローディアのモデルは、ライス女史が白血病で亡くした娘、ミッシェルだと言われている。演じているのは、何故か日本の男性には人気がない?、スパイダーマンの思い人、MJこと、子役時代のキルスティン・ダンスト。6歳の少女のからだに、大人の女性の知性が宿っているのは残酷なことであり、これが悲劇の発端となる。

    一方、中国では「不老不死」の研究が進められていた。徐福(秦の始皇帝の命で、東海の三神山に不死の仙薬を求めたという伝説上の人物。日本に渡来、熊野また富士山に定住したと伝える)は日本に来たと伝えられている。結局不老不死の仙薬は見つからなかったのだろう。
    日本と言えば、そういえば日本神話に出てくる神様は皆寿命を全うしている。これは多分「おかくれ」になった後も神社にお祀りされ、鎮座されているということだろう。
    日本で「不死」と言えば、人魚の肉を食べて不死となった娘の話がある。八百(やお)比丘尼の伝説は日本中に残っているそうだ。

    夢枕獏原作、岡野玲子画の「陰陽師」の中に八百比丘尼が出てくる。彼女は枯れない泉でありずっと若々しい。比丘尼は自害を試みるが命を絶つことはできないのである。また、30年に一度穢れを祓わないと鬼女と化す、という運命も背負っている。

    陰陽師 (9) (Jets comics)

    陰陽師 (9) (Jets comics)

    9年前に手放してしまっていたのだが、iPad2を購入したのをきっかけに、「自炊」して「電子化」した。

    やはり「あの世」は、橋本先生が言われたように「みんな行くんだから、きもちいいところに決まってる」のだろう。

    来週末はいよいよ「東京操体フォーラム in 京都」です。

    畠山裕美

    東京操体フォーラムin京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 時空を越えて

    それでは、一週間よろしくお願い致します。

    しょっぱなから何ですが、今回のテーマについて一言。

    女性の脳は割と二次元的にモノを捉えるらしい。男性は三次元的なのだそうだ。赤ちゃんの時、女の子は赤ちゃんの頃からお人形を持たせておけばご機嫌で、車のおもちゃなどに夢中になって椅子から落ちるのは大抵男の子だ。
    また、ダンナが田舎生活に憧れ、奥方はいやがる、というのも同じ理由らしい。男性脳は山のある風景や宇宙に立体感を感じる。逆に女性脳は田舎や山の風景も嫌いではないが、平面(まるで絵のように)キャッチするので、暫くすると飽きてしまうのだそうだ。
    宇宙、いや、星空を観ても「ビッグバンに始まる宇宙のロマン」というよりは「キレイな宝石箱みたいだな。一個欲しいな」というようにキャッチするそうだが、なるほどね、と思った次第である。星空を見るにしても、一人ではつまらない。誰かと一緒に「キレイだね」と見るほうが楽しいと思う。

    というわけで、今回岡村実行委員長の提案による「時空を越える」というテーマは、非常に「男性脳」的な問いかけなのである。

    女子で真面目に「物理的な時間って何?」とマトモに考える人は少ないのではないか(私はあまり考えたことはない)。宇宙の始まりがどうだったのか、などと真面目に考えたりしないのだ。

    だいいち「ニュートンの物理時間」とか「相対性理論」と聞いただけで「はいはい、失礼いたします」と言いたくなるし、高校の物理と数学は『間に合っている』程度だった。どう考えても私のアタマは理系のアタマではない(笑)。
    しかし、折角なのでこのテーマに挑戦しようではないか。でも「相対性理論」とか「絶対時間」はちょっとおいておく。

    時間・空間を越える、というテーマで発表された作品は多い。エンリケ・ガスパール・イ・リンバウの1887年の作品『時間遡行者』 El Anacronópete で登場したものが最初とされるが、1895年にH・G・ウェルズが発表した『タイム・マシン』で概念として広まった。ただしタイムマシンは使わないがタイムトラベルを扱っていると見なせる物語はそれらの作品以前にも存在するそうだ。

    単純に思い出しただけでも、筒井康隆氏の「時をかける少女」(こんなに短期間で映画化がくり返された作品はないらしい)、「神隠し」も一種の時空を越える現象だ。「千と千尋の神隠し」や、時代小説にはよく神隠しの話が出てくる。日本では神や天狗の伝承、妖怪の伝承などで、ずっと行方不明になっており、何年かぶりに子供の姿のまま帰ってきた童子の話などもある。このあたりは研究してみると面白そうなのだ。

    また、山下和美のライフワーク「不思議な少年」は、「神」の目線で人間界を観ている。多分この少年は「天使」なのではないかと思っている。確か「モーニング」に不定期連載されているはず。

    不思議な少年(1) (モーニング KC)

    不思議な少年(1) (モーニング KC)

    永遠の生を持つ少年は、時を超え、場所を超え、あらゆるところに現れる。人間を愛しているわけでもなければ憎んでいるわけでもない。ただ飽くことなく、人間を見つめ続けて、何度も問いかける。「人間とは何か」と。(wikiより)

    映画「ターミネーター」も第1作目は、未来の反乱軍の指導者、ジョン・コナーの母親となる女性、サラ・コナーを殺すために未来から送られてきたアンドロイドである。空間移動と言えば「ジャンパー」もそうだ。こちらは人類の歴史早くから「ジャンプ」する能力を持つ(遺伝子疾患)「ジャンパー」と呼ばれる人間達が存在しており、多くは自分たちが利益を得るため、そして自分たちにとって都合よく歴史を変えるためにその力を使ってきたという設定になっている。「ジャンパー」の派生と同時期位から、「ジャンパー」を抹殺するための組織、パラディンが存在し、その戦い、という話である(もともと小説だったが、映画化され、今年続編が製作予定)。
    最近では、ビートルズの解散を防ぐため、タイムマシンを使って、ジョンとヨーコの出会いを阻止する熱狂的なファンを描いた映画もあるらしい。

    ターミネーター」の第1作は、最後がめちゃくちゃコワい(笑)

    ジャンパー 上 (ハヤカワ文庫SF ク 8-5)

    ジャンパー 上 (ハヤカワ文庫SF ク 8-5)

     

    ジャンパー 下 (ハヤカワ文庫 SF ク 8-6)

    ジャンパー 下 (ハヤカワ文庫 SF ク 8-6)

    こちらが原作

    長い歴史の中では、時空を越える能力を持つ人々がいるのかもしれない。テレポーテーションは文字通り瞬間移動する能力だが、SF作家の創造力のみによるものではないような気がする。そして、それは「ジャンパー」を抹殺しようとするパラディンのように、時空を越える人々を社会から葬り去っているのかもしれない。

    こうやって考えてみると、人間は時空を越えられないとか、飛べないというのは本当かな、と思ったりする。本当は時空を移動できる人種がおり、飛行(あるいはジャンプ)できる人達は存在するのではないか。それが、小説とか伝承となって残っているのでは、なんて思ったりする。

    畠山裕美

    東京操体フォーラムin京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

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  • 時間と空間と橋本語録 おまけ

    「たとえば、大乗仏教の経典は、実際にお釈迦様が語ったものではない。

    にもかかわらず、必ずその冒頭は「如是我聞」、

    すなわち「私はお釈迦様からこう聞きました」という言葉で始まる。

    それは経典を語らしめている悟りが、たとえ何百年という時を隔てていようと、

    お釈迦様さまからいただいたものであるという自覚があるからだ

     〜 したがって、書物を通してであろうと、実際に面接を受けてであろうと、

    この道の心をさえいただければいい。

    それに対する絶対的な自覚があるならば、そこで師弟関係は成り立つのである」

    (「気の経絡指圧法 安らぎのツボ 実技篇」より 遠藤喨及著)

    タオ指圧の遠藤喨及先生の文を引用させていただきましたが、

    橋本先生がお亡くなりになったのが1993年(97才)で、

    ワタシが手技療法の勉強を本格的に始めたのが1992年。

    ですからワタシは橋本先生に実際にはお会いしたことはありません。

    でも、実際にお会いしたことはなくても、何となく感じていくことはできるんです。

    それは、残された言葉からも、内弟子だった三浦先生の言葉や存在を通しても。

    今回「橋本語録」というお題目を聞いて、三浦先生からお聞きしたハナシを思い出したり、

    本を読み返したりしてみましたが、やはりそうしていると橋本先生を身近に感じたりもしてしまいます。

    「なんでもヤッテミロ〜」なんて声が何となく聞こえてきたりして。

    ワタシは去年のVisionSでも「時感」ということで書かせていただきましたが、

    そうした時間は生活上の時を刻む単なる時間ではなく、もっと特別な「時感」なんだと思います。

    過去も、現在も、未来もない、自分の意識の中にいられる時間です。

    どんなことでも自分だけの特別な「時感」を味わえるってことはサイコーなのかもしれませんねぇ。

    そんな「時感」をいつも味わえるような生きかたができれば、

    橋本先生が言われてるようなことに少しは近づけるかな?なんて想ったりもしています。

    そんなところで一週間ありがとうございました。

    来週は畠山先生です。

    それでは京都で特別な「時感」をご一緒に過ごしましょう〜。

    中谷之美

    東京操体フォーラムin京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

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