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  • 太極の意志を知る物質・・かも?

      昨日はビッグバンについて自分なりに想像してみたことを書きましたが、ビッグバン直後の火の玉宇宙では、水素とヘリウムしか生き残れず、時間とともに宇宙は膨張し、膨張にともなって温度が低下し、核反応は起こらなくなり、水素とヘリウムを主とする宇宙が出来上がったそうです。
     そこから水素とヘリウムを主とする第1世代の星が数億年後に誕生し、その星の一生の中で様々な元素(原子の種類)がつくられ、そして星の死によってつくられた元素が宇宙空間にまき散らされ、それが第2世代以降の星がつくられる元となるという様に、何世代も星の誕生と死が繰り返されています。そしてこの流れの中で太陽系も誕生し、地球も46億年前に誕生しました。
     地球には92種類の天然の元素が存在しています。そして人間のからだに含まれている主な元素は、酸素65%、炭素18%、水素10%、窒素3%、これらが主要元素となり96%を占め、残りの4パーセントはミネラルと呼ばれ約16種類の元素が占めています。
     重量比で多いのは酸素ですが、酸素原子は水素原子の16倍の重さがあるので、原子の個数で比較すれば最も多いのは水素ということになります。
    人間のからだの約65%は水分ですが、これも水素と酸素の原子が結びつき水の分子となり、水の分子どうしは水素結合で結びつき、液体の水となっています。もちろん水の分子どうしだけに限らず、様々はものと結びつきます。
    この水素結合というのは、生物にとって非常に重要なものとなっています。
    例えばタンパク質が螺旋構造をつくったり、DNAから情報を読みとるときにも使われており、人間がその形態を維持できるのもこれがあってこそです。そして液体としての水は体温を調節したり、水に溶けた成分を血液によってからだのあちこちに送るなど、数え切れないほどの働きをしています。
     それからもう一つあげれば、水は言葉にも反応しますし、からだの感覚にも反応しますし、からだの営みの快、不快現象にも反応してくるのです。
     水は気体にも、液体にも、固体にも変化しますし、他のものと比べて、数々の異常性があると言われています。生命はこの水の異常性で支えられており、この異常な性質はいずれも水分子の水素結合によると考えられています。
    この水の性質は、人間が他のものと比べると異常ということになるのでしょうが、水の方が一枚も2枚の上手で、人智を超えた存在なのではないかと思います。

    137億年前の、宇宙の誕生とともに誕生し、数多の星の生死をみてきた水素。
    宇宙は何にもない無の状態から、無極無限の太極の意志で誕生しましたが、この太極の意志を知っているのが水素なのかもしれません。だから、恐れ多くも人間の頭で合理的にその性質を決め付けようとすれば、様々な矛盾が生じて理解不能になってしまうのだと思います。
    しかし最もシンプルで大切な面では人間と同調しており、それが快、不快のききわけの反応なのだと思います。
    水は気持ちの良い言葉、美しい言葉の波動には美しい結晶を現わし、不快な言葉の波動では結晶も崩れたものとなり、無視されるとボロボロになってしまいます。

    何年か前に開催された東京操体フォーラムで「ありがとうございます」という言葉を掛けつづけた水で炊いたご飯と、「バカヤロウ」という言葉を掛けつづけた水で炊いたご飯、無視しつづけた水で炊いたご飯を、カップに入れてテーブルの上に並べて置いたことがありました。私も確認しましたが、「ありがとうございます」のご飯はかたちも良く嫌な臭いもしませんでしたが、「バカヤロウ」のご飯は嫌な感じがあり、無視し続けられた水で炊いたご飯は見た目も明らかに変で嫌な臭いを放っていました。
    水が無極無限の太極の意志を知り、気持ちの良い言葉と、不快な言葉に反応し、その波動を具現化しているならば、私達の発する言葉というのは、この宇宙を創造した太極と同じ位のエネルギーがあるのだと思います。ただ、その意志の波動というのは太極と同じ自然理念に順応していれば、永遠に引き継がれますが、順応してなければ、そのボロボロになって消滅するしかないのだと思います。

    蒸し暑い日が続きますが、美しい言葉の波動を学びながら、その美しい言葉を水に掛け、そして自らのからだを潤おし、イノチを活性化させるということも、大切な自己生成であり、これも時空を超えるということにつながるのではないでしょうか。

    友松 誠。

    [http://www.tokyo-sotai.com/?p=281:title=東京操体フォーラムin
    京都2011]は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    [http://www.tokyo-sotai.com/?p=314:title=Sotai Forum
    inMadrid]は、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • ビッグバンを想像してみる。

     ちょっと前まで私はビッグバンのイメージというと、とてつもない大きな、それこそ太陽の何億倍、何兆倍、とにかく想像を絶する大きさの物体が突然大爆発したというようなイメージを漠然と抱いていました。だからどうしても時間と空間がそこから始まったというイメージが涌いてこなかったのだと思います。はじめから物体ありきで考えてしまうと、その物体の空間が存在してしまうし、その物体に伴う時間が発生してしまいます。だからビッグバンが宇宙の始まりと本などで見聞きしても、その前にも時間というのは流れていなければおかしいのではないかという考えとなってしまっていました。つまり無とか無極無限ということから始まるイメージが涌いてこなかったのです。
     先日、何気なく「いのちの起源への旅137億年」という本を読んでいると、その中に
     宇宙は137億年前に誕生したというのが現在の宇宙論の到達点です。時間も空間も、そのときに誕生したとされます。よく、宇宙が誕生する前はどうなっていたのかという質問が出されますが、時間自体が宇宙誕生とともに始まったのですから、それより前の時間というものは存在しません。
     宇宙がどのように始まったのかについては、さまざまな理論的研究がおこなわれています。しかし、1個の原子より小さかったような宇宙に適応できる物理法則は発見されていません。このような宇宙では、時間と空間に関する現在の概念も適応できなくなると考えられます。
    と書いてありました。
     私はこの中の「1個の原子より小さかったような宇宙」という文によって、今まで自分が漠然とイメージしていたビッグバンは超新星爆発と混合した間違ったイメージだったと気づかされました。この文からイメージしていくと137億年前に宇宙が誕生する前は、本当に何もなかったのだと思います。本当に何もない、時間も空間も本当にまるで何もない無極無限だったのだと思います。
     ビッグバンから1秒後に存在していた陽子と中性子から水素とヘリウムがつくられましたが、この陽子と中性子がつくられたのは10万分の1秒から1万分1秒のころに、クォークが結びついて出来始めるのだそうです。
    この本の中では、1兆分の1秒のころのことも書いてありました。
     宇宙誕生から1兆分の1秒のころまでは、物質とエネルギーの相互交換が絶えず続いていたと考えられています。このころ、宇宙にはまだ原子も原子核も存在していません。宇宙を満たしていたのは、クォークなど最も基本的とされる素粒子でした。これらの素粒子も、一方ではエネルギーから粒子と反粒子が対で生まれ、他方では粒子と反粒子が合体、エネルギーになって消えてしまう対消滅という反応がくりかえされていました。
     ここまでは、エネルギー波動の世界なのでしょうが、波動は陰陽二極の世界から起こります。陰陽二極の世界というのは、自分勝手な解釈をすると、もう物質は存在しない世界であり、ビックバンを起こした世界なのだと思います。つまり物質を最小まで突き詰めたものさえない状態からビッグバンが起こったのではないかということです。
     私達の世界には物質をとおしての(+)(−)の存在は沢山あり私達自身もそうなのですが、あちらの世界は物質のエネルギーがなくても陰陽二極ができたという世界なのだと思います。
     だからどんな機械を使っても目に見えないし、科学的に証明しようにも物質を使った時点で本末転倒となってしまう、そんな世界です。だから、これは物質的なエネルギーを超越したエネルギーの世界であり、本当にまったく何もないが、そのエネルギーはあり、そのエネルギーの意志が陰陽2つの面として表れ、そこからビッグバンが起こり、ほとんど瞬間的に物質が出来ていき、物質の生成される際には膨大なエネルギーが生じ、それが想像を絶するような空間に膨張していった、それがビッグバンなのではないかと思います。
     そして、そのエネルギーはどこから発生したのかというと、無極無限の太極からなのだと思います。
     「生体の歪みを正す橋本敬三論想集」の285ページには
    聖書に「元始に言あり、言は即ち神なりき、万物これによりて成り・・・・」とあるが、言が宣せられるということは、陰陽未分の一なるものの意志が陰陽二質を現わして、そこに運動が起こり、物象が形成せられることであろう。とあります。
     言すなわち言葉の持つエネルギーは、本来とてつもないものなのだと思います。もしかしたら、エネルギーという言葉さえ、あちらの世界からしてみたら、認識の次元が違っているのかもしれません。

    友松 誠。

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  • 時空について考えてみる。

    おはようございます。

     今日は7月最後の日だというのに記録的な豪雨の影響で、肌寒くさえ感じます。昨日の夜からの雨は私の住む地域でも凄まじく、おまけに早朝に地震もあったりとビックリして不安に駆られたりしましたが、私のところではもう雨も治まってくれています。一昨日あたりから大雨にみまわれている地域もあると聞きます。今朝の地震で被害が拡大しないことを祈るのみです。

    今回は「時間」「空間」「時空」「時空を超える」についてです。
     時計、暦、カレンダー、時間を表すものは色々ありますが、これらの進む速度とかリズムといったものは、地球が一回自転すれば一日、365回自転しながら太陽の周りを一回公転すれば一年といった周期から割り出しています。ですから、この宇宙空間に太陽系が存在していなければ、今の時間観はなくなってしまいます。太陽系が存在しても人間が存在していなければ、時間という観念はなくなり、太陽の周りを地球が自転しながらまわっているという事だけとなってしまう。よく光の進む時間で宇宙空間での距離を表したりするが、人間が時間という観念をもたなければ距離感もなくなってしまう。
     いろいろ考えていると、頭の中がオーバーヒート気味になってきましたが、時間とは存在なのではないかと思います。
     自分(人間)が存在するから時間があり、その時間の尺度は太陽系の存在から得ている。そして太陽系は宇宙空間に存在している。もし、宇宙空間がなかったら・・・それは存在も時間も何もない無なのだと思います。人間の存在があり、存在するだけでなく、生かされし環境があるから時間がある。太陽系が力学的に今のバランス状態でなかったら、時間の尺度は違ってきたでしょうし、生命自体が誕生していなかったかもしれません。
     宇宙空間に存在する太陽と地球のバランス、人間が存在しうる地球の環境、これらは宇宙の137億年の歴史の中のただの偶然などではなく必然であり、この宇宙の創造主が必然的に最初から予定して組み込んだものなのだと思います。
     人間を含む生物にも、有機物にも、無機物にも、素粒子にも、この宇宙を創造した創造主の理念が貫通し、それらが愛とその法則により結びついて体を成している。そして、様々な物質から成る星にも、太陽系にも理念によるバランス感覚が生じている。だから、自分たち人間の存在があり、そこに時間があるのだと思います。
     もう少し突き詰めて考えると、自分たち人間や、まわりのそれぞれの存在にも、時間がそれぞれあり、同一のものはない。個々の存在の過程やエントロピーはそれぞれだが、同じ理念が貫通している限り、集団でも一定の共通認識が生じている。それが地球の自転や地球が太陽の周りを公転する時間であり、時計や暦の時間となり、共通概念となっているのだと思います。
     しかし共通概念は時間ではなくて、時間の尺度であり、本当の時間というものは、自分自身や自分自身を生かしてくれている存在にある。そして、時空とはこの宇宙のことであり、時空を超えるとは宇宙を超えた無を認識することである。無を認識するとは、この宇宙の創造主である無極無限の太極の中心理念とその意志を感じることであり、生かされている意義やイノチを意識することでもあると思います。

     今日は第5日曜日、塾操体の日でもあります。そろそろ三軒茶屋に向かわなければ。

    一週間どうぞ宜しくお願い致します。

    友松 誠。

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  • 原始感覚をききわける

    昭和52年の日本医事新報に、橋本先生の「人間悲願の達成へ」が掲載されました。(全文は、からだの設計にミスはない、快からのメッセージに載っています。)

    20項目の提言ですが、その内の一つ。

    原始感覚は意欲と追求の仕方で向上、または衰退する。

    操体は原始感覚を指針にしています。(快適感覚をききわけ、味わう)

    原始感覚というと小難しく感じるかもしれませんが、本来誰でも持っているものであり、磨けば鋭くなってきます。

    先日、足趾の操法体験大会を行いました。これは日曜の午前中に行っていた集中講座の総仕上げも兼ねていて、操体を受けたことがない方もきもちのよさを味わっていただいて、からだの変化を体験いただこうという趣旨でした。
    スペースの都合で4方向とはいきませんでしたが、極性をききわけていただいた後に操法に入りました。
    ちょっとした事ですが、からだはきちんと原始感覚をききわけているようです。

    普段肩こりとか腰痛が気にならないという方もいますが、原始感覚が鈍っていて気づかないか、或いは鋭くて表面化するまえに対処できているかのどちらかでしょうね。
    わからないという方も、きっかけさえあれば実感できるものだと思います。

    京都での操体フォーラムもあと1ヶ月にせまってきましたが、今回は実際に操法を体験できる時間を組んであります。
    きっかけの一つとしていかがでしょう。

    辻知喜

    からだの設計にミスはない―操体の原理

    からだの設計にミスはない―操体の原理

    快からのメッセージ―哲学する操体

    快からのメッセージ―哲学する操体

    東京操体フォーラム in 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum in Madridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

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  • 平常心

    先日、岡村さんのブログに平常心是道(びょうじょうしんこれどう)がでてきました。
    これは個人的に好きな言葉です。

    (道は考えてわかるものではないが、しかし、わからないと言ってしまうこともできない。
    考えてわかるならそれは妄想であり、わからないとすれば、無自覚というものだ)

    道は知にも属せず、不知にも属せず。知は是れ妄覚、不知は是れ無記。若し真に不擬の道に達せば、なお太虚の廓然として洞豁なるが如し。豈に強いて是非すべけんや。(南泉普願)

    平常心というと現在では冷静で落ち着いた心持ちをいいますが、元々は、ありのままの心の状態を平常心と読んだようです。
    楽しい時は楽しいように、悲しい時は悲しいように、その時々の心の持ちようが平常心。
    特別なことではない、ありのままの心。思慮分別にとらわれない心。
    日々の生活の一つ一つがそのまま道につながっています。

    ちなみに、最初にこの言葉を使ったのは、前出の南泉の師、馬祖道一だと言われています。

    若し直ちに其の道を会せんと欲すれば、平常心是れ道たり。何をか平常心と謂わん。造作なく、是非なく、取捨なく、断常なく、凡なく聖なきなり。経に云う、凡夫行に非ず、聖賢行に非ず、是れ菩薩行なり、と。只如今の行住坐臥、応機接物、尽く是れ道たり。(馬祖道一)

    う〜ん、深いですね。

    辻知喜

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  • 心はどこに

    心とからだ、よく使われる表現です。この2つは切り離せないものだといわれますが、心ってどこにあるんでしょうね。
    心の問題はからだに現れますし、からだに問題があれば心にも影響を与えます。

    金剛般若経に、

    過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得

    とありますが、過去は現在の願望を多分に映し出すものと言われますので、実体はないもの、未来は過去と現在を反映するものなので、不確定なもの、現在は常に移り変わるものなので、とらえどころのないものでしょうか。
    過去も未来も現在からの視点を元にしているので、現在そのものが捉えられないのならば、過去も未来も捉えられないものですね。そこにあるのは自我。

    思うとか考えるということは常に過去を材料としているのであれば、現在はその瞬間瞬間を感じるしかないのでしょうか。

    操体では、頭で考えずに、からだにききわけなさいと教えます。
    移り変わる今を感じること。意識ではなく無意識の世界です。
    自我があるうちは、なかなか実体はつかめないけれど、手放して委ねてみるとまた見えてくるものがあるのかも知れません。

    心について好きなうたを一つ。

    心こそ 心まよはす 心なれ 心に心 心ゆるすな
    (不動智神妙録 沢庵)

    辻知喜

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  • 帰一の法則

    手技療法の世界に入ってから10年くらいになります。
    当初は、板橋の接骨院で働きながら新宿の整体院でも勉強をしていました。

    そこで教わったものの一つが操体法でした。やっていたのは初期の操法で、楽かつらいかの選択で行っていたものでしたが、自力自療の考え方に惹かれ興味を持ちました。
    操体を本格的に学ぼうと思ったのは、週末に通っていた本屋で三浦先生の操体法入門を目にしてからでした。
    連動について纏められた本で、初心者向けというよりは、ある程度学んでいる人間が基礎として勉強するのに参考になる本です。
    それはともかくとして、講習に通うことにしたのですが、それは、新宿で一般向けに行われていたものでありましたが、最初がそこでよかったなと今では思います。

    ノートの最初に書かれていたのは、帰一の法則。

    人は一番きもちがいいところから生まれ、一番きもちがいいところに帰っていく

    生まれる先から絶対的に救われている生命であり、また、その神性に帰っていくのだという、一番印象に残った言葉でもあります。

    釈迦は、死後の世界があるのか、それはどういうところかと問われたときに、「生きている間の事でさえわからぬのに、死んだ後の事がわかるだろうか」と答えたそうです。
    考えてもわからないものに思い悩むのではなく、今、行きている瞬間をよりよく生きる事が大事なのでしょうね。

    ちなみに、橋本先生は、「みんなが行くところだから、いいところに決まっている」とおっしゃていたそうです。
    このように考えられるなら、人はもっと大らかに生きて行けるのではないかなと思います。

    辻知喜

  • 未生以前

    橋本先生は若い頃、生前の身分を知りたい、また、何とか罪を犯さぬような救いを受けることはできないものか、申訳ないが神を呪って死んでも救われる道はないものかを思い悩んだ時期があるそうです。
    そして5年間思い悩んだ末、「自分は生まれぬ先から、聖別され祝福された神と同格の永遠の生命そのものであるとの自覚を得ました。
    この時期の体験が、操体の想の部分の中心となる、「救い」と「報い」の元になったようです。

    「救い」と「報い」の区別というのは、わかりやすい言葉で言い表すなら、「救い」は絶対、「報い」は相対、ということである。「救い」とは絶対の無罪宣言であり、神性相続権であり、何ものも覆すことのできない久遠の事実である。
    (生体の歪を正す 〜橋本敬三論想集〜 P.376)

    芭蕉の句に、

    古池や
    蛙とび込む
    水の音

    という有名なものがあります。
    これは、単に自然の風景をうたったものではなく、父母未生以前本来の面目の問いに出した答えであったと読んだことがあります。
    芭蕉が全国を旅する以前、師である仏頂和尚に、問われます。

    「今日のこと什麼生」
    「雨過ぎて青苔湿ふ」
    「青苔いまだ生ぜざるときの仏法いかん」
    「蛙とび込む水の音」

    万物創造以前の宇宙風景、時間なき時間はいつであるかの芭蕉の答えです。
    こういった答えは、意識的に頭で考えていてはなかなかでてきませんね。

    「偉大な行為はみな、人間が意識的な自己中心的な努力を捨て去って、『無意識』の働きに任せるとき成就せられる。神秘的な力が何人の内にも隠されている。それを目覚ましてその想像力を現すのが参禅の目的である。」(鈴木大拙

  • 時間って何だろう

    先週20日、アメリカのスペースシャトルアトランティスケネディー宇宙センターに帰還しました。
    1981年から始まった、スペースシャトルの活動はこれで終了したようです。
    月に到達したアポロ計画の後、人と貨物を同時に運べる宇宙船として、ISS国際宇宙ステーション)を完成させ、30年の歴史に幕を閉じました。
    自分の世代は、宇宙といえばスペースシャトルのイメージがあったので、感慨深いものがあります。

    古くから人々は宇宙を眺めながら、生活の中に取り入れ、関わりを持ってきています。天文学や物理学など、難しいことはわかりませんが、興味深い分野です。
    今は立川に住んで落ち着いていますが、最初に東京に住んだ吉祥寺から引っ越す際に迷った候補
    の街に、プラネタリウムがありました。
    子供の頃は星がよく見える土地に住んでいたので、あまり気にしていませんでしたが、星のあまり見えない東京で、プラネタリウムが近くにある、というのは魅力的であった思い出があります。
    結局は図書館が気に入って今の街に決めたのでした。

    アインシュタイン相対性理論において、絶対時間は存在しない、ということを明らかにしました。

     お互いに等速度で運動しているすべての慣性系において、すべての基本的物理法則は、まったく同じ形で表される。

     真空中の光の速さは、光源の運動状態に影響されない一定値cである。

     いかなる座標系においても物理法則は不変である

     重力によって感じる『重さ』と、加速によって感じる『重さ』は同じ物である

    光速に近づけば時間の流れのテンポは限りなく0に近くなる。
    重力が大きいほど時間の流れはゆっくりになる。
    ということらしいですが、
    理論上、未来へ行くことが可能であるという事実には興奮しますね。

    また、よく、年を重ねると時間の流れが早く感じるといったりしますが、調べてみると、時間学というものがあるようです。

    ・代謝が良いほど、心の時計が早く進み、時間を長く感じる
    ・恐怖を伴う時間は長く感じる
    ・頻繁に時計を気にすると、時間を多くの部分に分節化して認識し、長く感じる
    ・印象に残る出来事が多い時間の方が、長く感じられる傾向がある

    心の時計という表現が印象に残りますが、面白そうですね。

    http://www.rits.yamaguchi-u.ac.jp/
    (時間学研究所)

    辻知喜

  • 今日でアナログ放送終わりですね

    こんばんは、今週担当の辻です。よろしくお願いします。

    本日、2011年7月24日は、テレビのアナログ放送終了日のですね。
    ここ数年は、テレビを見ない生活に慣れてしまっているので、あまり実感のないままこの日を迎えましたが、Twitterのタイムラインでも多く流れていて話題のようです。

    子供の頃は、ドリフが好きだったり、独眼竜政宗三匹が斬る!で歴史に興味を持ったりして、テレビにはだいぶお世話になりました。

    操体が全国的に認知されたのは昭和51年にNHKで放送された「温古堂診療室」がきっかけの一つでした。当時はまだ操体の名称はありませんでしたが、放送後に、名称がないのは困るとのことで、操体と名付けられたそうです。
    DVD「橋本敬三の世界」で映像を見れますので、興味のある方はどうぞ。

    http://bit.ly/nCgiw8 (農文協より)

    操体法/橋本敬三の世界[DVD]

    操体法/橋本敬三の世界[DVD]

    時代は流れて、インターネットでも番組を視聴できるようになり、動画共有サイトでも操体の現在を見ることができます。
    操体に興味はあるけれど、まだ受けたことがない方、本でしか知らない方、実際に専門家の操法を受けていただくのが一番ですが、東京操体フォーラムの動画ページが参考になりますよ。

    http://bit.ly/q5nWly

    では一週間おつきあいください。

    辻知喜

    東京操体フォーラム in 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum in Madridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。