カテゴリー: 未分類

  • 正義4

    自分の中の正しさの基準から人を判断し、その基準から外れている人を心の中で非難していることが時々ある。
    しかしそれより、その人の背景を想像したり、深く理解するためにコミュニケーションをとる等、その人を理解しようと努めることが、より正義に近い様に思う。

    思考で判断する正しい間違いに絶対的なものはあるのだろうか。
    大人になるにつれて、色々なルールを覚え、判断基準となる。それは年を追うごとに増えていく。
    家族のルール、社会のルール、規則、常識、思考癖、
    それらは一度身につけると、外部から取り入れたルールであることも忘れて、自分を構成する一部となる。
    それらを常に剥がし、壊し、再構成して柔軟な状態を維持していくことも必要なのだと思う。

     

     

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    2018年春季東京操体フォーラム

    4月30日(月)昭和の日に開催致します。

    テーマは「スポーツ障害と操体」です

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  • 正義3

    私が嫌いだった父の、幼少期の話。

    父は終戦の年の生まれ、物資がない時代に育ち、父の家自体も貧しく、トタンの家で、雨漏りしていたり、隙間風が吹いており、冬は凍えていたそうだ。

    そして、父の父親、つまり私の祖父は、酒飲みで暴力的、家族に手をあげる様な人だったそうだ。

    家を出たくて、中学を卒業して、調理の仕事について、下宿生活をした。

    しかし、職場では先輩にひどいイジメにあったいたそうである。

    父の内向的で不器用な性格やその時の時代背景を考えると、そうだったのだろうと思う。

    未だに親友と言える人はいないと、また後になって聞いた。

     

    そんなことを聞いてから、父が悪いとは思えなくなってきた。

    父も苦しみ悩んできたのだから。

    環境は人に大きな影響を及ぼす。それと同時に、同じ環境でも人によっては異なる反応を示し、異なる人生を歩むこともある。

    だから幼少期はともかく、そこから立ち直るのはその人自身の意思である、とも言えるだろう。

    ただ、そこから立ち直る力があるのかないのか、その勇気があるのか、素直さやハングリー精神を持ち合わせているのか、サポートしてくれる人に恵まれるのかそうでないのか等、その界はなんなのであろうか。

    運なのか、運命なのか、魂のレベルなのか、生まれ変わりの回数なのか、色々言えるのかもしれないが、今は私には本当のことはわからない。

    ただ、正義を振りかざして父を裁くことには違和感がわく。

     

    同じ様に、日常で出会う、私が不愉快に感じることのある人たちも、その場の行動、一側面だけみればただ不愉快な人と私には映るが、その人の生い立ち、環境を想像すると、その人を一方的に責める気は薄れる。

    (・・・こともあるし、そうできない時も多々ある;)

     

     

     

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  • 正義2

    世の中には他の人に対して良いことをする人もいるし、逆に意図して悪いことをする人もいる。

    また、良いことをしてるつもりでも、他の人にとっては迷惑になっている場合もある。

     

    なぜそんなことをするのか、

    そうせざるを得なかったからなのだろう。

    他者との関わり方を学ぶ機会を逸してしまったきたのであろう。

     

    そう思う大きなきっかけは父であった。

     

    私は父が嫌いだった。

    私が大人になるにつれて、父は家族とほとんど会話をしない人になっていた。

    時々声が聞こえると思ったら、不機嫌な返事や、怒鳴り声だ。

    ただ、物にあたることはあっても、暴力を振るうことはなかった。

    また、大酒飲みではないが、いつもアルコールの匂いがしていた。

    当然、家族からは孤立していた。

    コミュニケーションが不得手な人で、自分の殻に閉じこもり、自分のことしか考えていない様な人に見えた。

    私が20代の頃、そんな父と面と向かって、「なんであんたはそんななんだ」と責めたてた。

    そして、流れで、父の幼少期からの話を聞くことになった。

     

     

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  • 正義1

    畠山先生一週ありがとうございました。

    今週は放浪癖のある私、松浦が担当いたします。

    一週間、よろしくお願いいたします。

     

     

    テーマは正義。

     

     

    正義について、私は今まで深く考えたことはなかった。

    子供の頃にマンガや映画で見ていた、強いヒーロー、弱き者を助け、悪を懲らしめるもの、その程度の認識しか未だに持ち合わせていなかった。

    心のどこかで憧れはあれど、正義を振りかざすほどの気概も勇気も特別持ち合わせてなかったこともあるのだろう。

    「正義感」という言葉にすると、感じることがある。

    私の場合、規律、ルールを守らない人をみると、イラっと感じたり、不正を正したくなり、正義感を感じることが多かったし、今もそれを感じることはあるしかし、段々とそういったこととは別の視点が生まれてきていることも近頃感じている。

     

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  • 自分自身と向き合うことで。

    おはようございます。

     

    よく大病した人が、その後の生き方が明るく前向きになった、という話を聞きます。

    何故そうなることが可能なのでしょうか。

    それは病んでいる時、自分自身と向き合う事で、何か大切なものを得るからなのではないでしょうか。

     

    今を生きる私達は、忙しい忙しくないに関わらず、自分自身と向き合う時間がとれていないのが実情と思います。すぐにスマホとかに手が伸びてしまいますものね。

    常に何かの情報に振り回されて、なかなか安息が得られない。病んで、からだが思いどうりにいかなくなって、はじめて何らかの縛りから解放されるのかもしれません。

    病んだ事で、ありのままの自分自身と素直に向き合う空間と時間が持てる。何とも皮肉なものです。

     

    その病みの時空でどんなことを考えるでしょうか。「何で自分がこんな目にあわなければいけないんだ?」といった自分中心な想いから、自分の行いの反省に至ったりと様々な想いが交錯することでしょう。

    しかし、痛みや辛さが大きいほど、考える事すら困難になり、娑婆を生きようとする心を放下して、ただひたすらからだ(自然)に委ねるしかなくなってくる。

    娑婆を生きるための鎧を脱いだ、ありのままの大自然の一員としての自分自身として、自然に委ねる事で安息が得られ、やがて眠りにつく。

     

    捕らわれの心を放下して、自然と調和する時空。それによって得られるもの。それは人によって多少違うでしょうが、自分自身の内部での対立が減って穏やかになるのは確かなようです。それによって、迷いがなくなり少々の事では動じなくなったりとか、自信がついたりとか、腹が座ってくるようです。
    人間的に強くなるとは、そういう事なのだと思います。

     

    今回のテーマである「正義」にしても、自分の描く正義というのは人それぞれでしょうが、それを貫く強さが必要だし、時にはそれを変更する英断も必要。一筋縄にはいかないから正義は尊い

    だから自分一人で背負う必要はない。自然の叡智に富む自身のからだが共にあるではないですか。
    自分自身と向き合うことで、自分なりの正義のとおし方がみえてくる。

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    2018年春季東京操体フォーラム

    4月30日(月)昭和の日に開催致します。

    テーマは「スポーツ障害と操体」です。

     

     

  • こだわらない

    桜井章一氏の本の中に

     

    「自分の命にさえこだわらない感覚」という文章がある。

     

    どの本に書いてあったかは忘れてしまったのだが…

     

    手離す技術 20年間無敗、伝説の雀鬼の「執着転換力」 (講談社+α新書)

    人を見抜く技術──20年間無敗、伝説の雀鬼の「人間観察力」 (講談社+α新書)

    生き残るヤツの頭の働かせ方~20年間無敗の雀鬼が明かした本質洞察力~ (アスコムBOOKS)

     

    この感覚ってどういう感覚なのだろう。

    いつか味わう事ができたらいいなと素直に感じる。

     

    一週間、ありがとうございました。

    明日からは瀧澤実行副委員長です。

     

  • 触れる

    学ぶ中で、触診力の大切さをいつも感じる。

    触診の本には

     

    「指が対象筋の筋繊維を感知できる深さで圧迫、

    その深さを維持しながら触診する指を筋繊維の横断方向に動かすのが原則」

    ID触診術―Individual Muscle Palpation

    と書いてある。

    この文章を体感でつかみ取るためには、実際に触れるしかない。

    とにかく地道に続ける事が近道なのだと実感しながら

    触診力を高めている。

     

    正義という言葉になぜか私は触診力が思い浮かぶ。

     

     

  • 仕える

    命につかえる

    いのちにつかえる

    イノチにつかえる

     

    この問いかけをし続ける

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  • 検証する

    からだにアプローチをし、

    その後に変化があると

    振り返り

     

    からだにアプローチをし、

    その後の変化がイマイチだというときも

    振り返り

     

    検証し続けることは正義につながるのではないだろうか。

  • とにかく、やる

    自分という自意識と

    どう日々の中で考えていくか。

    向かい合っていくか。

    からだと向き合うためには

    この向かい合いが必然になる。

     

    精神科医名越康輔氏の著書、「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」

    この問いの答えを見つけるための手段が書いてあるのだが、

    その中にも自意識について書いてある。

     

    自分が行動する「行」の大切さが書いてある。

    橋本敬三氏の「嘘か本当かやってみろ」という言葉にも結びつくように

    自分で向かい合うことがとても大切なのだと気が引き締