からだの動きがよりかなうように
介助をかける
この介助は
鍵と鍵穴のように
クイツクような
絶妙なタイミングによって
叶う。
このタイミングをはかるために
体感を通して
学んでいる。
今日から担当します、香です。
よろしくお願いいたします。
「くいつく」というと、あんぱんが一番に浮かんだ私。
小学生の私は、パン食い競争にまさしくクイツいていました。
さて、何かに魅了され、くいつく時。
モノであっても、ヒトであっても、コトであっても、
「食い付きたい」衝動が抑えられないほど魅了されている背景には
非常に大きな器で私を受け入れる環境が
当たり前に整っていると思います。
魅了されたモノ、ヒト、コトに意識は集中しますが、
その背景には私が入っていける
場、環境、空間が
必然のように整っている。
許されている場、環境、空間の偉大な器があることで、
より魅力は増していると思います。
4月30日(月)に開催致します。
テーマは「スポーツ障害と操体」です
知識を持たずに故障した機械をいじるより、それに干渉せず、悪い状態のままにしておいた方が何倍も望ましい。 これと同じように人体組織は非常に複雑にできていて、異なるリズムと異なる必要性を持つ多くの器官を内蔵し、しかもこれらの器官は相互に関連しているからである。
あらゆるものを変えるか、何も変えないか、そのいずれかでなければならず、そうでないと、改善ではなくて、害を与えることになるかも知れない。 正直に言うと、人為的呼吸は多くの病気の原因である。 たまたま例外的に、手遅れになる前に中止した場合にのみ、弊害を免れている。 長期間続ければ、その結果はいつも有害である。
自分のからだについてワークするには、自分という機械のあらゆるネジ、あらゆる釘を知らなければならない。 そうすれば、どうするべきかがわかってくる。 少ししか知らない知識で試みると多くを失うかも知れない。 からだという機械は非常に複雑であるから危険が大きい。 簡単に壊れる非常に小さなネジがあり、強く押すと壊れてしまう。 しかもこういうネジはお店で買うことができない。
呼吸制御は非常に慎重でなければならない。 もし、今、呼吸の実習をしている人がいたら、手遅れにならないうちに呼吸制御に 「くいつく」 のはやめた方が良い。 からだのすべての知識を知ったときは、また別の問題である。
明日からは香実行委員に 「くいつく」 のバトンがわたります。 お愉しみに!
4月30日(月)に開催致します。
テーマは「スポーツ障害と操体」です
一般に行なわれているような人為的な呼吸制御を行なうと、からだは不調和を起こすと、昨日述べた。 従って、人為的な呼吸がもたらすかも知れない弊害を避けるには、他の食物を相応に変えなければならない。
そうするには、完全な知識があってのみ可能である。 たとえば、胃は一定量の食物を必要とするが、それは単に栄養摂取のためだけでなく、胃がそのように慣れているからである。 我々が必要以上に食べるのは、単に味覚のためや満足感のためと、胃が一定の圧力に慣れているためである。 胃の神経は、胃中の圧力がなくなると、この神経が胃の筋肉を刺激し、空腹感を与える。
からだの多くの器官は、我々の意識を伴わずに機械的に働くことができる。 これらの器官のそれぞれが独自のリズムを持ち、異なる器官のリズムが相互に一定の関係を保っているのである。
たとえば、呼吸を変えれば肺のリズムが変わるが、あらゆるものが関連しているので、他のリズムも次第に変わってゆくことになる。 人為的呼吸を長期間続けると、すべての器官のリズムが変わるかも知れない。
もし、胃のリズムが変わることになれば、食物を消化する時間も変わってしまう。 食物が胃中に3時間とどまる必要がある場合、胃のリズムが変われば、食物が速く通過してしまい、胃が食物からすべての必要なものを摂取する時間を失ってしまうことになる。 胃はそれ自体の習慣をもっている。 別の器官ではこれと逆のことが起こるかも知れない。
明日につづく
4月30日(月)に開催致します。
テーマは「スポーツ障害と操体」です
五日目からは、「労働にくいつく」 から 「呼吸エクササイズにくいつく」 に変わる。 私のまわりには○○ブレスセラピーなどという、呼吸エクササイズで夢中になっている人がたくさんいる。 しかし、そのような方法で呼吸を損なった人に、私はくいついた。 そして、この二、三年の間に別枠の治療収入を得ることができた。
書店の棚には呼吸エクササイズについて多くの本が並んでおり、誰もがそれを他人に教えようとしている。 こういう人たちは、「たくさん呼吸するほど酸素の流入が増える」 などと言っているが、そのあげく、私のところへやって来る。 私は、そのような本の著者や、呼吸スクールの創設者、その他の呼吸エクササイズに関係した人たちに大いに感謝したい。
空気は第二の種類の食物であり、化学や物理学で研究される現象などのあらゆることにおいて、正確な 「比率」 が必要とされる。 結晶作用は一定の対応があって初めて起こり、そうなったとき初めて、何か新しいものが得られる。
あらゆる物質は一定の密度の振動をもっている。 正の物質と負の物質の振動の組み合わせが可能であれば、物質間の相互作用は、異なる物質の振動間の厳密な対応によって初めて起こる。 しかし、実際の振動が厳密に合致していないと、いかなる組み合わせも不可能であり、機械的混合を生じて、元の構成要素に分解できてしまうので、新しい物質にはならない。
このように組み合わさる成分の量も、決定的な比率でなければならない。 ホットケーキの練り粉をつくるには一定量の粉に対し、一定量の水が必要である。 必要な量より少ない水ではまともな錬り粉はできない。
通常の呼吸は機械的であり、必要な量の空気を機械的に摂取している。 空気が多すぎると、一定の密度に組み合わさらないから、正確な比率が必要である。 一般の本やスクールで行なわれているような方法で人為的に呼吸を制御すると、からだは不調和を引き起こすことになる。
明日につづく
4月30日(月)に開催致します。
テーマは「スポーツ障害と操体」です
人間の労働の本質は、「運動」 と 「感情」、そして 「思考」 の三つの中枢部がともに働くことにある。 この三つがそろって働き、行為を生みだすことができる。 すなわち、真理にくいつくことができる三つの脳を持った動物の労働である。 これが人間の労働というものである。
そうあるべき方法で働くならば、床を磨くことにさえ、百冊の本を書くよりも一千倍の価値がある。 だが、三つの中枢部で労働を始め、これらを労働に集中させる前に、各中枢部を別々に訓練して、集中できるように準備する必要がある。
まず、運動中枢部を訓練し、他の中枢部とともに働けるようにする必要がある。 各中枢部それ自体が、三つの部分で構成されているのである。 人間の運動中枢は程度の差はあれ、適応している。
次に難しい中枢部は思考であり、いちばん難しいのが感情である。 我々は、運動中枢を集中させることでは、小さな点では成功しやすい。 それにひきかえ、思考、感情のどちらの中枢もまったく集中できない。
ただ望みの方向に思考を集めることに成功することを求めるのではない。 それは成功しても、単なる機械的集中で、誰でもできるものだ。 三つの脳を持った人間の集中力ではない。 いかにして連想作用に依存しないかを知るのが重要である。
真理に 「くいつく」 ことは、言葉を変えれば 「吸収」 である。 運動中枢の集中に慣れてきて、思考と感情の集中ができるようになれば、一つの行為、労働そのものを吸収したことになる。 それはひとつを知ってすべてを知ったということだ。 信じがたいかもしれないが、一つの行為、一つの行動を完璧にできるというのは、すべての労働をマスターしたのと同じことなのである。
4月30日(月)に開催致します。
テーマは「スポーツ障害と操体」です
「労働している中で、我々の誰一人として人間らしく働いていない」 と、すでに述べた。 これから言えることは、我々は今までとは違う別の働き方をすることが絶対に必要である。 誰もが自分自身で働かなければならない。 他人は自分に何もすることができない。
たとえば、陶器を初日に述べた、三つの脳を持った人間として造ることができれば、それとは違う機織りの技術をすでに習得していることになる。 人間には、あらゆることをするために必要な、すべての装置が与えられている。 他の人たちにできることは、誰にでもできる。 一人ができれば、他の誰にでもできる。 これは絶対的な人間の法則である。
天才とか才能といったものは極めてナンセンスだ。 その秘訣は簡単であり、ものごとを三つの脳を持った人間らしく行うことである。 考えることができ、人間らしく行なうことができる人は、一つのことを人間らしからぬ方法で生涯続けてきた人の仕事を、その人と同じように上手に、しかも直ちにすることができる。
一人が十年を費やして習ったことを、もう一人は二、三日で習い、しかも一生その仕事をしてきた人より上手にする。 このことを知らず、人間らしくない働き方をしてきた人々でも、この事実を知ると、かって一度も見たこともない最も細かい仕事や最も粗い仕事を容易にやってしまうことができる。
そんな人物を私は知っている。 操体の仲間たちの中にもそういった人がいる。 それは、いとも簡単に操体の手技を習得してしまう。 たぶん、三つの脳を十分に働かせている人間らしい動物なのだと思う。
その秘訣はちょっとしたことで、いとも簡単に理解できる。 それには三つの脳を持った人間らしく働くことを学ばねばならない。 ということは、何かをしているときは、何をしているかを考え、いかに労働すべきかを研究し、労働中は、労働以外のすべてを一切忘れ、それだけに 「くいつく」 ということだ。
明日につづく
4月30日(月)に開催致します。
テーマは「スポーツ障害と操体」です
「くいつく」 というのは、自分の身を生かすために働くことであると、昨日述べた。 そして、働くという労働は自分の可能性の限界まで動くことで、初めて価値を生じるのである。 通常、人間の労働には、「感情」 と 「思考」 が参加していなければならない。 このどちらかの機能が欠けると、労働の質は、昨日述べた二つの脳だけで働く動物と同じ水準になってしまう。
人間らしく働くことを望むのなら、人間らしく働くことを学ばねばならない。 この区別はわけなくできる。 動物と人間を見分けることができるように簡単であり、知性でもってすぐ識別できるようになる。 我々は今まで労働について、人間らしく働いてこなかったと言えるが、人間らしく働くことを学ぶ可能性は十分にある。
人間らしく働くということは、今、現にしていることを感じ、なぜ、何の目的でしているか、今どのようにしているか、昨日はどのようにしなければならなかったか、明日はどのようにしなければならないか、概してどのようにするのが最善であるか、あるいはより良い方法があるかどうかを考えることである。
正しく働いている人は労働を次々に改善していく。 ところが、二つの脳しか持っていない動物が同じように働いても、昨日も、今日も、明日も変わらない。 これについて、我ら操体の同胞たちは、三浦寛師の身近にあって、その改善の現実について身をもって体験しているようだ。
操体創始者である橋本敬三医師から派生した操体流派を名乗る各派の殆んどが、何の進歩発展も見せていないという現状がある。 これは一体どうしたことか。 今は橋本敬三医師の努力のおかげで、操体医学について、正しい知識を容易く学ぶことができる。 しかし、それらの知識だけで、からだの構造運動力学については、もう何でも分かってしまっていると考えたら大きな間違いである。
まだまだ、我々のまえには、未知の事柄が数多く満たされている。 橋本敬三医師は生前、弟子らに 「操体は一生楽しめるぞ!」 と言い放ったそうだが、その真意には、これらの未知の事柄については、「こんどは、これから君たちが責任を負うている。 この未知の事柄を探し求めて、君たちは進まなければならない」 と、言っているに違いない。
三浦寛師はまさにそれにくいついた! 未知の事柄について、終わりのない研究をやり続ける師の理論は、時の流れとともに絶えず進化している。 それは 「変化こそ生命」 というこの一言に尽きる。
明日につづく
4月30日(月)に開催致します。
テーマは「スポーツ障害と操体」です
テーマは 「くいつく」。
私の初日のタイトルは 「労働にくいつく」 から始めたい。
「くいつく」 というからには、自分にとって、きっと何か必要なものであるに違いない! そして、くいつくにはその動きが伴ってくる。 それが肉体的、もしくは心理的な行為であっても、自分の成長にとって外すことのできない何かであるはずだ。
どんな動物であってもからだに応じて働いている、つまり動いているのである。 自分の身を生かすために働くとは、これすなわち 「くいつく」 ということである。 ある動物は他の動物よりも多く働き、また別の動物はそれより少なく働き、しかしどれもそれぞれに自然な量だけ働いている。
我々人間も働いている。 ある人は多く働き、他の人は少なく働いている。 しかし、牛のように働いても価値がなく、また働かなくても価値がない。 働くことの価値は、量ではなく質にある。 残念ながら、我々はみな、質の点ではあまり感心した出来栄えとは言えない。 自分の今までの働きが悔恨の原因となっていれば、それは有用であり、そうでなければ何の価値もない。
どんな動物も、分相応に働いている。 ある動物、たとえば回虫は、まったく機械的に働いており、回虫にはこれ以外を期待できない。 なぜなら、機械的でない脳をもっていないからである。 また、別の動物は感性に従って、働いたり、ゆっくり動いたりするのは、 この動物の脳がそういう構造になっているからである。
もう一つの動物は、労働と呼ぶ運動を知性だけで理解はしているが、この動物は他の脳を持っていないから、それ以外を求めることはできない。 自然がこの動物にこの種の脳を造ったのであるから、他の何ものも期待できない。
このように、労働の質は、どんな脳をもっているかによって決まってくる。 種類の異なる動物について考えてみると、一つの脳を持っている動物、二つの脳を持っている動物、そして三つの脳を持っている動物が存在している。
人間は三つの脳を持っている動物である。 ところが、三つの脳を持っていると、往々にして二つの脳を持っている動物の、たとえば、五倍も働かねばならない。 動物としての人間は、からだに相応した生産性を上回る労働をするように作られている。 これは人間のせいではなく、自然のせいである。
明日につづく
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