マンガ「ワンピース」では海軍が背中に「正義」という文字を掲げています。
主人公のルフィーは海賊。海軍はその敵。いままでのウルトラマンや仮面ライダーと違いどちらが正義か悪かはっきりしていません。やはり各々の正義で戦っているようです。

一日の中で何回「ありがとう」を口にしているのだろうか?
このブログを書きながら、こんなことを考えていました。
職業上、百、二百以上は口にしているであろう私自身の「ありがとう」の中に果たして本当の「ありがとう」は一体どれだけあるのだろうか?
いつも言葉にしている、言わなければいけないから仕事だからなのか、言っている「ありがとう」が機械的なものとなり、自身を取り巻く環境への感謝が薄れていっているように感じます。
また心のない「ありがとう」は相手だけでなく、私自身の身と心も傷つけているような気がします。
だからこそ自分が言葉にする「ありがとう」に重みを持たせねばならないように近頃は感じています。
例えその言葉に対して相手が素っ気ない態度、返事でも重みのある「ありがとう」は自身にとってかけがえのない財産になる。
操体の臨床においても感謝の言葉はからだにとって何よりの治癒力になっています。
それは診てもらう側の人間だけでなく、見る側の人間にとっても同じことだと思います。
もし本当に心から健康でいたいならば一日わずかな時間でも自分の心とからだに「ありがとう」と言葉にしてみるのが健康寿命を長く保てる秘訣ではないでしょうか?
感謝しながら生きていきたい。
感謝を言葉にする、という意味だけではなく、「あぁ、ありがたいなぁ」と感じて、こころがふわーっと暖かくなっている状態、それを感じながら生きていきたい。
その暖かい心で満たされていたら、自然に人にも優しくできることが多くなってくるのではないか。
それには人から何かをもらったり、何か親切をしてもらわなければいけないわけではない。
もうすでにある、受け取っているものに感謝できたら良いのではないだろうか。
今こうして生きていられることには、沢山の自然の恵や、人の労力、気持ち、エネルギーが関与し、それを享受しているはずである。
そのことに気づき、実感できれば、自然と感謝は湧きでてくるのだろう。
一週間、ありがとうございました。
明日からは三浦寛先生です。
松浦伸考
日々の中で、嫌な人もいれば、不愉快な思いさせられることもある。
以前はどう対処したらいいか、どう正してやり込めるか、どうやって関わらないようにするか、等考えていた。
しかし、ここのところ、その人、その出来事を嫌悪したり、不快に思ったり、葛藤が起きる根本の原因が、自分の心の内側にあるのではないかと少し省みることができるようになってきた。(十分に不快な状態に巻き込まれて、しばらく不愉快になった大分後ではあるが…)
よくよくのぞいてみてわかってきた自分の心の中にある、人より偉くなりたい、人より優れたい、人に勝りたい、人を服従させたい、人を支配、コントロールしたい、といった思考は、逆の立場の人と、摩擦を生む、不快を生む、争いを生む原因となりうる。
また、「~しなければならない」、「~すべきではない」と自分を縛ると、そうしていない人に対して、嫌悪しかねない。
嫌な人、不快な出来事はなくなってほしいとは思うが、自分の心が穏やかでないのに、人様、世の中に平和を求めるのは、虫が良すぎるか。
できることなら、まずは自分の心を少しずつでも穏やかに、平穏にしていきたいのである。
その為に、自分の心の不和を気づかせ、平和を見つめる機会を与えてくれたのだと思えれば、嫌な人も、不快な出来事も、ありがたいと少し感謝の気持ちが湧いてくる。