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  • 祖母に感謝。

    五日目よろしくお願いします。

    昨日は祖父の話がでましたので、今日は祖母の話を書きたいと思います。

    私の両親は仕事が忙しかったこともあり、子供の頃は同居していた祖父母に面倒をみていただいていました。

    私の両親は、私のためによく叱ってくれました。イタズラをしたりよく怒られることを友達とやっていたのでしかたないのですが・・・。夜の真っ暗な土蔵が反省場所になったり、火鉢で叩かれたりなど本当によく叱られました。

    叱られた後は、きまって祖父母がフォローしてくれました。本当に優しい祖父母でした。そんな優しい明治生まれの祖父母ですが、私が15才の時に祖母が、19才の時に祖父が他界しましたが、沢山の思い出が残っています。その中でも祖母の伝説?を書きたいと思います。

    祖母の名前は「ちう」です。この名前は嘘か本当かは分かりませんが、祖母は酉年生まれであり、トリはチュウチュウと鳴くから「ちう」と名付けられたとのことです。チュウチュウはねずみの鳴き声じゃないの?と疑問にも思いましたが・・・。

    今では考えられないのは、名前だけでなく服装もこだわっていました。祖母は着物しか着ないのです。だから洋服というものをもらっても、みんな近所の方々にあげていました。
    すごいこだわりのある祖母ですが、ひとことで言うと本当にすごい祖母なんです。

    あるエピソードを紹介します。

    祖母はみんなから「おちゅうさん」と呼ばれ、毎日誰かがお茶を飲みに来ているような人気者?です。家の前を通る人には、「お茶のんでけぇ」、セールスマンにも「お茶のんでけぇ」、物をもらいに家を廻ってくる人にも「お茶のんでけぇ」と誰にでも「お茶のんでけぇ」となるわけです。なので、家に帰ると誰かがお茶をのんでいるのです。なので「あの人だれ?」と聞くと「知らない」ということがよくありました。

    あるとき、「なんでそんなに知らない人にも、誰にでもお茶をすすめているの?」と聞いたことがあります。祖母は「子供が、孫が、さらにその子供達が、いつ・どこで・誰にお世話になるかわからないから、人には親切でいなければいけないんだよ。」と言いました。そのとき子供ながらに、やさしい想いに守られているんだなぁと感謝の気持ちになりました。いつも自分のためでなく、人のためにと考え行動をする祖母でしたが、今おもえば自己犠牲の心とは簡単のようで奥が深い気がします。ただ人の親に自分がなり無償の愛ということが少しずつですが理解できるような気がします。

    今この場にいられるのも、天地の恵みと親や祖父母やさらには先祖の方々、たくさんのこの世界の愛情に支えられて生きているんだなぁと思い、自然と感謝の気持ちになります。

    ありがとうございます。

  • 続けること。

    四日目ですお願いします。
    昨日も書きましたが僕は今、操体の勉強・農業・クリニックの仕事・野球・趣味の板乗り・子育てなどなど楽しみながら毎日を過ごさせていただいております。沢山のことを楽しむということは、どうやら子供の頃から学んでいたようです。

    小学生の時は、柔道クラブ(週2)・野球クラブ(週2)・陸上クラブ(夏季のみで週3)・スキークラブ(冬季のみ週2)そろばん教室(週2)・習字教室(週1回)というなかなかのスケジュールです。特にスポーツは運動神経がよかったらしく、どのスポーツでも県の大会では賞状をいただくほどでした(^-^)v

    すべてのスポーツは本当に楽しかったのですが、一度だけ何のスポーツだったか忘れましたが「やめたい」と祖父(明治生まれで私が19才の時に他界しました)に言ったことがあります。この時、最初で最後だったのですが、大好きな祖父にはじめて怒られました。(ちなみに両親にはいつも怒られていました)

    祖父に怒られたのがこの一度きりですから、今でも鮮明に覚えています。

    「マサ(私のことです)が自分でやると決めてはじめた以上は、途中で投げ出すような辞め方だけはダメだ!!そんな辞め方じゃ何も学ぶことも、得ることもないだけじゃなく、失うことの方が多く、はじめたことが何もなかったことになるじゃないか。」と言われ、その後はまた穏やかな顔に戻り、「はじめると決めるのも、やめると放り出すことも簡単だけど、続けるということは大変なんだよ。だから続けるということができれば、得る物は成績かもしれないし、友達という人間関係かもしれないし、経験という学びかもしれないし、とにかく何かを神様がご褒美に何かを与えてくれるんだから」と本当にやさしい顔で語りかけてくれました。

    これは今おもえば「報い」の「相対的評価」を祖父なりの表現で経験からおしえてくれたことなんですね。
     

    その後は、皆にハードなスケジュールだねと言われても、本人の私はなぜか楽しく日々を過ごすことができる大人になりました。

    ちなみに9月22日に操体フォーラム副実行委員長の福田さんに、操体格闘倶楽部に入れていただき光栄ですが、高校卒業後は一度も柔道をしていないのに大変恐縮しております。ちなみに今の顔はアウトドアのスポーツ大好き人間なので、インドアのクリクリ頭高校時代の柔道全国大会出場記念パネルでものせておきます。(はずかしいのであまり見ないでくださいね。)

    高校卒業後は一度も柔道をしていない私ですが、当時一緒に過ごした仲間とは今でも仲良くさせていただいております。続けることまた続けたことで、間違いなく仲間との信頼関係が強くなるような気がします。

    祖父に感謝です。

    ありがとうございます。

  • 今年も沢山からだを使わせていただきました。

    三日目よろしくお願いします。

    昨日で今年のコスレタスという野菜の出荷が終わりました。
    毎朝、仕事に行く前の朝四時から六時の二時間だけですが、両親のお手伝いということでコスレタスの出荷をしていました。この出荷がついに終わりました。
    この10月は稲(お米)の収穫・野菜の収穫・山に行けばキノコの収穫と収穫の秋なのです。家の周りに畑がたくさんあるので家庭菜園というのかわかりませんが、今年はひとりで畑のチカラを借りながら大根や白菜など沢山の種類の野菜を作ってみました。(カタチは悪いですが・・・)まさに大地の恵みですね。

    今年も沢山からだを使わせていただきました。
    朝は農業、昼間はクリニック勤務、夜は区の役員やら野球指導とやってきました。これを聞いて皆さんは大変だなぁと思いますか?僕本人は大変だぁとかあまり思わないんですよね。むしろ楽しませていただいております。楽しみながらやっていると、ご褒美がいただけるんです。例えば太陽が昇る空の色など自然の美しさをいただいたり、出荷場の人・患者・スポーツ選手など沢山の人との出会いをいただいたり、達成感などの気持ちをいただいたりと、気持ちと回りの環境がともにすべてが楽しく・良く思えるから不思議です。まさにこれは環境と生活態度の同時相関相補的に連動していると言えますね。
    今年はさらにからだ・気持ちともに調子が良いんですよ。すべての生活・動作についてからだの使い方・動かし方である身体運動の法則を常に考え学びながら、農業・仕事・スポーツなど沢山の事を行わせていただくと、身体運動の法則を通じて常にどこでも・どんなことをしていても学ぶことができるんです。結果、理に適ったからだの動きとなり今年はからだの調子が良いということに繋がったのだと思います。
    身体運動の法則はからだに無理をさせない・壊さないために、からだの理に適った使い方・動かし方を頭でもからだでも学べ、予防にも治療にもつながるすべてに適う法則ではないでしょうか。

    今年も沢山使わせていただいたからだにも感謝ですね。
    ありがとうございました。

  • 字を書く。

    二日目よろしくお願いします。

    9月30日に三浦先生のブログに、『橋本哲学に心酔しているなら、先生の「からだの設計にミスはない」か「生態の歪みを正す」の一冊位は、書き写しながら読んでほしい。』とのコメントがあり、その日より「からだの設計にミスはない」を毎日コツコツ書き写しながら読んでします。

    書き写しながら読んでいるといろいろなことに気付かされます。
    何度か読んだはずなのに書き写しながら読むことで、言い過ぎかもしれませんが橋本先生の想いを垣間見ることができるような気がします。
    漢字・カタカナ・ひらがなの使い分けであったり、気持ちが込められている文には、方言や強い言葉尻だったり、橋本先生の想いも感じながら読む方法が、書き写しながら読むということなのでしょうか。そんな気がしました。
    その他にも書き写しながら読むと、言葉が頭に残るんですよね。手とくに指先でも字を読んでいるようです。
    字を書くということにはとにかく不思議なことがあるんです!書き写すということは必然的に字をたくさん書きますよね。最近、指先の感覚がとても鋭くなっている感じがします。臨床のとき患者さんのからだに触れさせていただきますが(触診)、圧痛部位がスムーズに察知できたり、患者さんに介助をかけるさいの触れる感触がソフトになったような気がすると言われたりしたんです。
    皆さんは字を書きますか?
    恥ずかしながら今回の書き写しながら読むという機会がなければ、講義の時にメモをとるぐらいでまったく字を書くということをしませんでした。文章作成はパソコンですし、手紙のかわりにメールの時代ですからパソコンや携帯、クリニックのカルテは電子カルテという時代ですから、文字を書くということがないんです。
    よく考えると、字を書くということは別の言い方で、紙の上をペンで滑らせるなどということもありますよね。確かに字を書く時、ペン(鉛筆)の感触や紙の感触を(皮膚で)感じながら書きますが、パソコンや携帯で文章作成するときはキーを打つとか叩くと言いますから、かなり暴力的な言葉・動作になりますよね。

    字を書く・書き写しながら読むということの大切さを学ぶことができたことに感謝です。
    ありがとうございました。

  • 子供の成長。大人は・・・。

    この1週間の担当になります。よろしくお願いします。
    僕のブログの初日は毎回、娘の成長の報告からと一応きめておりますので、すみませんがお付き合いよろしくお願いします。

    前回のブログを担当したのは、6月1日からの1週間でしたので、約4ヶ月半経過しました。この4ヶ月半の間の子供の成長は早いもので現在約6ヶ月になります。 
    今では、上手に寝返りをしながら、どこまでもコロコロ転がったり、匍匐前進したり、声をだしたり、笑ったりなど元気に成長しています。
    子供の笑顔と成長は親として本当に楽しみで嬉しくなります。必然に子供をよく観察するようになるのですが、子供の寝返りの動作は綺麗なからだの使い方・動かし方を披露してくれます。

     
    右側への寝返りの場合は、最初に右斜め上に目線が動き、そして首が後屈(伸展)し、続いて体幹も後屈(伸展)して、ブリッジしながら体幹を右寝返り(捻転)させます。
    生後6ヶ月の赤ちゃんは、まだ力も弱く手・足の巧緻動作も発達していないので、目線を上手に使い寝返りをおこないます。けしてからだの中心の腰から寝返りしません。この目線を使って寝返りをする動作を、誰かに教わるわけでもなく発達のなかで目線を利用して寝返りを覚えていきます。
    神秘的じゃないですか。誰かに教えていただくのでなく、大人のように頭で考えるのでもなく、この小さいからだが覚えていくんですよね。ひょっとしたら神の声を聞いているのかもしれませんが・・・。

    力がない幼児にもできる目線を使った寝返りということは、理に適った寝返りということではないでしょうか。この理に適った目線を使った動作を大人はできているのでしょうか。
    当クリニックに来院される方の寝返りをみていますと、目線をつかった動作をしている方をみることはまずいないような気がします。不思議ではないですか。目線を使った動作が理に適っているのに、からだの発達が不十分の幼児ができていて、からだの発達が完成している大人は目線を使った寝返りをしなくなるというのですから不思議です。

    幼児の動作には、からだの使い方・動かし方の身体運動の法則の大切なポイントがたくさん秘められているのかもしれませんね。

     
    子供の成長には、自然と笑顔になり、自然と感謝の言葉がでます。ありがとう・・・と。
    今日はこのへんで。ありがとうございました。

  • 2008年春季東京操体フォーラム 特別対談 人間・橋本敬三を語る その3 おまけ

    橋本先生とは・・・

    ・美代子氏が橋本先生に言われて一番嬉しかった言葉は、色紙にかいていただいた、「めんこ」(かわいい)という言葉。その色紙は美代子氏の宝物である。

    橋本敬三先生の歯は全部自前だった。近所の歯医者に「一番いい治療をしろよ」と通っていたが、先生は後で請求額を見てびっくりしたらしい。

    橋本敬三先生の魚の食べ方。身は弟子にやって、自分は魚の頭や内臓、骨、尻尾を食べていた。当時美代子氏は鳥の骨をバリバリ食べる橋本先生を見て驚いたそうである。

    橋本敬三医師は、長男のお嫁さんが作る辛いカレーが大好きで、カレーに生卵と納豆を入れてかき混ぜていた。辛いのをごまかしていたという説もある。

    2008年春季東京操体フォーラムより。

  • 2008年春季東京操体フォーラム 特別対談 人間・橋本敬三を語る その2

    三 ミヨちゃん、橋本先生はどんな食生活を送ってました?
    美 お昼ご飯、若先生の奥様が必ず腕によりをかけてお昼ご飯を必ず作って下さって、私も先生と一緒に頂くんですが、とにかく何を食べても、何が出てきても、とにかく美味しい、と。本当に感謝する以外ない、と。すごく美味しいんだと言って本当に感謝して食べておられました。
    三 やっぱり、言葉にする必要があるね。例えばケーキを食べるにしたって、言葉に出して感謝すれば毒が消えるかもしれないな。なるほどね。
    美 あと、先生は「あんこ」が、大好きで。この世にこんな美味いものがあるのかと、という位にあんこが好きで、毎週和菓子屋さんから水曜日に『鹿の子』っていうあんこ玉が届くんです。それが届くと、とにかく美味しい、幸せだと。それを食べながら、この世の中に、あんこが嫌いな人間がいるのか、と。
    三 ミヨちゃんは嫌いなんだよな。ウハハハ・・・・。
    美 あんこっていうものは、私にとってこの世に存在しなくていい食べ物だったんです。とにかく嫌いで、あんなにまずいものがこの世の中にあるのかと。ですが、それを聞いた瞬間、さすがに私も言葉に出せなくて。そうしたら、とにかく美味しいから食えと。
    (会場爆笑)
    三 食べたの?
    美 泣きながら食べました。ここ(喉を指して)に詰まりながら飲み込みましたね。その後胃腸薬を飲まなきゃいけない。甘いものを食べるとどうもこの辺がむかむかしてくる体質で、胃腸薬を飲みながら、一個食べるのも死ぬ思いで食べてました。それが今となっては、あんこ、美味しいと思える今日この頃です。(会場笑)
    三 なるほどね。でも食えっていわれれば、イヤとは言えず、やっぱり食べないわけにはいかんもんな。
    美 そうなんです先生がとにかくあれだけ美味しい美味しいって食べてるものをけなすわけにはいかないし、そこはもう私が折れるしかない(笑)でも毎週届くっていうのが(会場爆笑)、地獄でしたね(笑)
    美 ええ。それから裏に冷蔵庫がありまして、そこに必ず入ってる物があるんです。バナナの冷凍。あと巨峰っていうぶどうの冷凍、あと、近くの甘座(あまんざ)っていうケーキ屋さんがとにかく大好きで、そこで作るシュークリームがとにかく美味しいんだと。そこのシュークリームを買ってきまして、それを敢えて冷凍するんです。とにかくそれを買ってきたら、冷凍しなくちゃいけない。その冷凍したものを、その日の気分で、※こういうサインが出た時は、巨峰を3つ持ってこなくちゃいけない。それが何気なく出て来るので、見逃さないようにしなきゃいけないんです。これが出た時は即行で冷凍庫から巨峰を3つ。それが決まりで、あとバナナはこう。指先でモノを語るんです。その3種類は必ず冷凍庫に入っていて、その日の気分で選ぶわけですね。で、その冷凍シュークリームなるものを初めて冷凍で食べて、どこが美味しいんだかわからない。でも、それが美味しいんですって。私はそのままの方が美味しいと思うんですが。

    ※注)美代子氏によると、バナナの時は人差し指一本を立ててひゅっと動かし、巨峰のときは人差し指と中指と薬指の三本を立ててひゅっとする感じだそうである。

    三 僕の時代はね、渋柿。ほっておくと甘くなるでしょ。あれを冷凍庫に入れて、シャーベットにして食べてたね。こだわりがあるんだよね。先生。
    美 こだわってますよね。バナナの冷凍っていうのもどうなのかなぁと。

    ※※注)畠山が美代子氏から聞いた話によると、橋本敬三医師と、冷凍バナナを美代子氏が手で折れるかどうか、一万円の賭けをしたことがあるそうだ。橋本敬三医師は絶対折れるわけないと、折れない方に賭けたが、美代子氏があっさり冷凍バナナを折ったので、美代子氏は一万円手に入れたそうである。

    三 橋本先生と5,6年一緒に過ごして、温古堂の診療室で同じ空気を吸って、先生から感銘を受けた事とか、今でも何か実践している事はありますか?
    美 感銘を受けた事は、やっぱり感謝するって事ですね。常々言っておられたのが、人間は口に出す方向に進んで行くんだ、いうことですね。ありがとうっていうのは、ありがとうになるし、馬鹿野郎っていうのは馬鹿野郎の人生になると言っておられまして、とにかく感謝していれば幸せになれるんだと。今も「人間は口に出す方向に進んでいくんだ」、というのは頭から離れませんね。
    三 何がからだにいいとか悪いとか言う前に、感謝することじゃないの?ありがとう、ってネ、口に出せば、毒も消えて無害になるかもしれない。本当にありがとうっていう言葉を意識して言葉にすれば、全てからだにいいものとして働いてくれるのではなかろうかと思うね。

    三浦、畠山に向かってビデオを流すように、なおかつ音は消すように指示する。スクリーンには、温古堂時代に今顧問が撮影した橋本敬三医師の日常生活が流れる。

    三 (東京操体フォーラム実行委員から寄せられた美代子氏への質問一覧を見ながら橋本先生が、患者さんに対して必ず言っていた言葉があるかなァ?
    美 きもちいいことすれば、からだは必ず良くなるんだ、痛い事を無理してやるからおかしくなるんだ、というのは一番最初に患者さんに言っていましたね。普段の皆さんの生活って、痛いことを無理してやれば良くなるっていうような教えみたいになっているじゃないですか。それで、きもちいいことをやるということに対して、罪悪感みたいな事がありますでしょう?
    三 一般常識的には、きもちいいという事、そういった言葉をすら口にすると罪悪感があるみたいな社会的観念みたいなものがある感じはするね。操体をやっていて感じるよ。きもちよさをききわけて下さい、っていう意味の「きもちよさ」っていう言葉すら口にするのに多少勇気がいるような時代がありましたね。
    美 それで、俺が治してるんではない、全部自分の力で治ってるんだ、と常に患者さんには言ってました。人間のからだはそうなってるんだ、と。
    三 あと、頑張るな、って言うことも言ってたんじゃない?
    美 そうですね。60点取れればいい、というのは言われていたので、何でそれ以上70点じゃだめ?って聞くと、それは欲張るし、その欲張るっていうのが怪我するもとなんだと。まして100点なんか取る必要はない、綱渡り人生でいいんだ、と。間に合っていればそれでいいんだ、と。だから60点でいい、ということを言われました。
    三 間に合ってればいいと(笑)。ところで、逆に先生の愚痴って聞いたことある?
    美 愚痴?愚痴言う前に私に当たってましたから。今日は機嫌が悪いぞっていう時は、全身に現れていて、それが私にぶつかってくる。
    三 そうか。あのね、あんまり愚痴を言うような先生じゃないんですよ。滅多に愚痴を吐かないけれど、医者として患者を憂える一つの愚痴としてね。「いくら言ってもわかんねぇ」そりゃ愚痴だろうな。でもそれは相手を思っての愚痴なんだよね。でも僕は余り聞いたことがないなぁ〜。
    美 (温古堂で治療が終わって)帰るときまだ満足しきれない方とかいるじゃないですか。(三浦、頷く)そうすると先生、肩の辺りが上下して。(笑)そこで先生、一言「肩だけおいでけ」と。(会場笑い)「明日まで治しといてやっがら」(会場笑い)それはできない相談ですよネ。やっぱり全部(体は)一つなんだって事を訴えたいんですけど、なかなか理解して下さらないお客様や患者さんもいるので、肩が、頭がとか、そこだけ置いてけ、明日まで治しといてやる、っていうのは良く言ってましたね。
    三 臨床やってると、「やっぱり先生、もう少し肩が」とかね。もう今日はここまでと、キリがついているんですよ。それをね、先生、ちょっとここも、って言われると、気が入らないんですよね。そういった経験っていうのは、皆さん方臨床のなかで結構体験しているんじゃないかと思うけど、それは切らないといけない。いつまでも引きずっちゃう。で、それでも診てると、先生今度はここが、って、全然しまらない。そういった時はやっぱりバッサリ切るっていう事も必要になる。橋本先生もそうやって※ごしゃきながら切っていたんだよ。肩置いてけ、そら、目ン玉置いてけとか言いながらネ。

    ※ごしゃく 仙台、東北弁で、怒る、怒鳴るの意味

    三 患者さんから見た橋本敬三のイメージとか印象っていうのはどうでした?
    美 私が入った頃は、もう温古堂っていうのは非常に有名な診療所になっていて、あそこに行けば一発で治るという噂が全国に流れてたんですね。それで、橋本先生が言うには、ここは治療の墓場だと。要は病院回るだけ回ってどうにもならないって、占いにも行って、神頼みもして、それでも良くならない。で、最後に行き着くところが温古堂。それで、ここは墓場だ、って、おっしゃってました。
    三 実際にはね、一発で治るかと言えば、まあ僕も見てるけど一発で治った患者様もいらっしゃったよ。しかし一発で治るわけないからな。そこは何でも一発で治るんですか、何て思わないこと。僕のいた時代っていうのは、橋本先生が70歳から75歳の間でしたけど、まあ苦戦してましたね。ビデオに出てるように、あんなに簡単に「はいっ」っていう訳じゃなくて、患者をひっくり返して、また、立たせ、寝かせ、腰掛けさせてネ、このからだにどんな歪みがあるのか、それを解決すれば、どのように患者の全身リウマチが治るのか、全身性エリテマトーデスが治るのかって、本当に真剣に取り組んでいましたよ。その時代の橋本先生の臨床を見ていたら、一発で治るなんていうのは、先生に対して失礼ですね。神様じゃあるまいし。だからそういった意味で、どのような臨床でもそんな一発で治るものでもない。何故かっていうと、治療を受けに来ている訳だから、それは、続けないと治らないような患者が来ていますよ、って事。慰安で来てるんじゃないって事なんだ。症状疾患を抱えて来ている患者が、何で一発で治るのよ。(会場に向かって)そんな臨床をもしも君達が望んでいるのであれば、やめた方がいいよ。一発で治そうなんて。でも治るものもあるんだ。それは理に適うことがあるから治るわけだから。でもね、どんなものでも一発で治していた、なんて、そりゃ橋本先生に失礼だよ、と俺は思う。臨床っていうのはそういう訳にはいかないよ。
    三 橋本先生がテレビに出た頃は知らない?
    美 その頃の事はわからないですね。
    三 79歳の時にNHKのテレビに出て、何年か後NHKのラジオ、「人生読本」に出演されました。あの当時僕は(仙台に)行かなかったけど、電話で聞いた。もう門前市を成すって感じで患者がひっきりなしに来ていたと。それが三年くらい続いたんだよ。あの時代っていうのは、橋本先生が快適感覚っていうことに対してどのように診断として臨床に導くのか、そのことを考えつづけていたのだと思うんだけど、(NHKの)番組でやってたように、はい、つま先(上げて)、すうーっと、はい、ぱんぱん、それで終わり、はい、次、そういった診療しかできなかったの。あの時代は余りにも患者が来すぎて。橋本先生にもっと研究の時間を与えてあげたかったな、と思いますよ。とにかく患者患者で明け暮れていたわけだから。余りに患者が来るんで貴重な時間、研究する時間、そういった時間が奪われてしまったんじゃなかろうかと思いましたネ。
    三 橋本先生の実際の臨床をミヨちゃんは実際に見たことがあるよね。あれば他の人との違いはどんな風に感じました?他の人っていうのは、他の先生っていう意味だと思うんだけど。橋本先生と他のお医者さんとか他の治療師との違いっていうものは側で感じていました?
    美 私にとってはそういう存在ではなかったし、他の先生との違いって言っても、皆さんいらっしゃる方は勉強したくって、長年色々なことをやって、手を尽くして先生に質問している、みたいな。
    三 でも結構著名な先生方も来てたよね。.あの当時。そういった先生方と違うところがあったとか。
    美 難しいですね(笑)どの先生にも「ウソかホントかやってみるしかない」って。操体を学びに来る先生しかいないわけですよね。どの先生にも分け隔てなく同じように、患者さんに対しても、医者だろうがそうじゃなくてもやっぱり言ってる事は一緒で。
    三 垣根がないよね。
    美 そうですね。ちょっと有名な方が来られると翁先生が敬語になられたのはちょっとおかしかったですね(笑)
    三 ミヨちゃんしか知らない橋本敬三先生の秘密ってありますか?「美代子、これはちょっとナイショにしてくれ」っていうのは。
    美 秘密ですか?
    三 橋本敬三の秘密。ミヨちゃんしか知らない。
    美 どの程度の秘密ですか?
    三 どんな秘密か僕は知らんけど。
    美 スケベ心は山ほどありましたね。 会場笑
    三 すけべごころ?!ああ、それそれ、それ行ってみよう。
    美 やっぱり男ですよね。
    三 ほう。例えば。具体的に?
    美 ちょっと私ヤキモチ焼くんですが、私の前にいた受付の女性の方、お気に入りだったんですよ。もう秘密じゃないんですヨ!みんなの前で堂々と「オレ、オマエにラブしてんだよぉ」って言ってました。(会場笑)もう、バカヤロウ、とか思いましたよ(笑)。もう、堂々と告白してましたね。でも後藤先生にさらわれていってしまいましたけど。ざまあみろって(笑)それから温古堂の座布団から立ち上がる時、結構力がいるんですが、その時私が抱えて持ち上げるんですよ。これはナイショの秘密なんですけど(笑)。先生は必ず私のここ(胸元を指さす)に決まって顔を埋めてくるんですよ。(会場爆笑)そこまでやる必要ねぇだろ!って。ここですよ。ここにこう、顔を・・・(笑)で、それを見ていた稲田君が「先生、やるじゃない」って。(三浦・会場爆笑)
    三 そんなことあったんだ(笑)
    美 結構若い女の子が大好きで、そういう雑誌のページも大好きで、「ヒッヒッヒッ」って見てました。 (会場大爆笑)そういうところが茶目っ気あって、でも全くいやらしくないんです。(ビデオを見ながら)あれは外科の受付のBちゃんっていうんですが、あのように何気なく若い女の子に触るんです。あれが元気の源(笑)。
    三 いやらしくないっていうのはいいよな。不快感を与えずにっていうのはさすがだね。
    美 一番印象に残っていることがありまして、つま先上げる時、足に抵抗をかけてもらうじゃないですか。(足関節の背屈)その時の先生の手の感触が未だに忘れらないですね。ものすごく柔らかくて、安定感があるんですよ。ぱっと見には全く想像できないような手の感触なんです。表現し難いですね。あの感触は。それはこれくらい年月経っても忘れられない感触なんです。
    三 感触。手の感触ね。うん、本当にそうだな。何て言うんだろう。あの手の感触は。不思議な手でしたね。見かけは普通なんだけど、触られると何てあったかなふんわりとした手をしてるんだろうと思ったものネ。

    ミヨちゃんにはまた来てもらうからね。来てくれる?ミヨちゃん。ええ。喜んで。(会場笑い)ありがとうございました。
    三 来年辺りね。貴史も来いよ。今日はどうもありがとうございました。

    後半おわり。おまけに続く

  • 2008年春季東京操体フォーラム 特別対談 人間・橋本敬三を語る その1

    2008年5月4日(日)、東京操体フォーラム2日目(東京千駄ヶ谷津田ホール)。仙台温古堂で、5年間橋本敬三医師のお世話をしていただいていた今美代子氏と、橋本敬三先生の愛弟子である三浦寛理事長との対談が行われた。

    今美代子:宮城県仙台市出身。1983年温古堂の受付嬢兼先生のお世話係として活躍。『操体法治療室』(たにぐち書店刊)に、“受付のミヨちゃん”として登場する。東京操体フォーラム顧問、今昭宏氏の奥様。二男の母。その歯に衣着せぬ絶妙な語りは会場の爆笑を誘う。

    三浦寛東京操体フォーラム理事長、操体法東京研究会主宰、人体構造運動力学研究所 所長。宮城県出身。赤門柔道整復学校在学中に、橋本敬三内弟子として、操体を学ぶ。23歳の時、橋本先生の命により東京都世田谷区で開業、現在に至る。今昭宏顧問はじめ、東京操体フォーラム実行委員は操体法東京研究会のメンバーとして操体を学んでいる。研究、執筆と若手操体指導者の育成に多忙な日々を送っている。

    司会(東京操体フォーラム 理事・副実行委員長 福田勇治)
    今美代子さんを紹介します。今日は遠方はるばる仙台からお越しいただきました。今美代子さんは五年もの間人間橋本敬三を間近に見てこられた唯一の方です。貴重なお話が聴けることを楽しみにしています。それでは宜しくお願い致します。

    三浦:ミヨちゃんです。私の妹です。何故妹かと言うとね、公私に渡って非常に長いご縁があるんですよ。三浦寛は今美代子に深く関与してきました。美代子さんは、実は当フォーラムの顧問である今先生の奥様です。橋本先生は85歳の時に現役を引退されました。その時、橋本敬三医師の代診として、私が今先生を温古堂に紹介したわけなんです。今先生と私のご縁というのも、今先生が赤門※の学生のころから東京の僕の所に来て操体を勉強してらっしゃったんです。橋本敬三先生と操体を通して、お互いに温古堂診療室で学びあってきた兄弟弟子なんです。そんな時、美代子という、非常にユニークな女性が温古堂に入ってきた。そうすると、温古堂の空気が変わってきた。何ともいえず、ほっとする雰囲気に変わってきたんですね。ミヨちゃんが温古堂の職員として採用されたのは、確か1983年、橋本先生が85歳の時、同年1月にミヨちゃんが採用され、その四ヶ月後に今先生が橋本先生の代診として入ってきたんだ。橋本先生が85歳から91歳位までミヨちゃんは橋本先生のお世話をして下さった訳だけど、ミヨちゃんは僕ら弟子が経験することができないような橋本敬三との接し方を体験したと思うんですけどね。医者としての人間像ではなく、橋本敬三そのものの姿をミヨちゃんに話してもらいたいんだよ。

    ※赤門鍼灸柔整専門学校。三浦・今共々こちらの卒業生である。

    今美代子:皆様、改めまして。今ご紹介頂きました、今美代子と申します。よろしくお願い致します。ここに来る前、色々打合せをして、何を話そうかと思ってはいたんですが、当時の記憶をたどり、思いつくままにお話させて頂こうかと思います。この空気、ちょっと緊張しますね(笑)今日は息子に付き添ってもらっていますし・・。長男です。
    三 今貴史(たかし)さんです。今年から赤門の柔整の一年生です。僕としてはいい後継者ができたな、何とか操体の道に入ってきてもらいたいなっていう希望はあるんだけど。こちら長男の貴史さんです。
    会場拍手。貴史氏、立ち上がって「よろしくおねがいします」と挨拶

    ★温古堂に入った経緯と結婚

    三 ミヨちゃんが温古堂の職員になった時、橋本先生の面接を受けた時の事を思い出して話してもらえる?
    美 私、歯科医院で、歯科助手の仕事をしていました。そこに通っていらしたご婦人がいらっしゃいまして。丁度その病院をやめて違う歯医者さんに行こうかと退職を決めた時に、そのご婦人が、「あなた、ここやめるんですって?」と話してきまして、はい、って言ったら「それじゃうちのおじいちゃんの所へ面接にいらっしゃい」という話をされたんです。   
    三 承平さんの? 橋本先生のご子息橋本承平さんの奥さんですね。
    美 そうなんです。その歯科医院によくいらしていて、それで12月の暮れに面接に行ってきたのです。温古堂って言われても何が何だかわからないし、東洋医学の世界は全くわからないので、取りあえずいいや、面接だけでも受けてみようと思って・・・。温古堂で、おじいちゃん先生が目の前にいらっしゃって。私、元々東洋医学って何だか辛気くさいと思っていて、暗い世界というイメージがありまして、「ああ、ここか」っていう感じだったんですが、何も話すことなくて、だまっていたら、先生が「お前で五人目だ面接者は」って言われて・・・・。
    三 ははは。五人目か。みんな蹴ったんだ。
    美 そうしたら、帰りに「おまえ正月明けたら来いや」って言われたんです。何で私?って思ったんですが、お正月明けから勤めさせていただくことになって、どうして私でしたか?って聞いたら、お前の笑顔がよがった、と言われて。それで、温古堂に入ることになりました。
    三 はははは。すごい殺し文句だな。不思議なんだけど、橋本敬三は何でもミヨちゃんの言うこと聞くんだよ。やっぱり年をとると、逆らってちゃ生きていけないから、自分の世話を親身になってやってくれる人には、何でもはいはいって素直に言うことを聞くと得するんだ。そっか、笑顔が気に入ったんだ。
    美 (すこし照れて)一応先生からはそう言われました。まあ、受付と先生のお世話役ということで、そこから温古堂生活が始まって。  
    美 でもですね、最初にいたのが今先生ではなく、A先生だったんです。
    三 ちょっと暗いんだよね。彼。
    美 はいちょっと。(橋本)先生の怒鳴り声の中で四ヶ月位過ごしたんですね。
    三 その、橋本敬三の怒鳴り声っていうのはなに?どんな事で怒鳴ってた?
    美 患者さんにたいして怒鳴ってました。「ひとのいわねぇごと、やんな」って(笑)
    三 他には?「いくら言ってもわかんねぇ!」って言わなかった?
    美 ああ、それもありますね。そういう暗い雰囲気の中、A先生がやめることになりまして、そうすると、温古堂の後継者がいない、ということで、温古堂を閉めようかという話になったんですね。で、その時の雰囲気と先生の怒鳴り声と、結構無理難問を言う先生だったもので、少し嫌気がさしていて(笑)、勤めて三ヶ月くらいで、もう元の歯医者さんの仕事に戻りたいと、気持ちがそちらに動いたんですが、そこへ余計な事を言って下さった三浦寛先生っていう方が、今先生を紹介して下さって(笑)。
    三 承平さんが俺のところに電話を入れてきたんだよ。「父、敬三が現役を引退するんだけど、暖簾はそのままにしておきたいから、橋本敬三の代診になれるような人材はいないか」ってネ。その時に、あ、今さんしかいないって思ってね。で、今さんに電話して一寸行って面接受けてくれないかっていう事だったんだよ。ハ、ハ、ハ、ハ。すいませんね。
    美 いいえ(笑)。でもそこで私の運命が分かれてしまいまして。今先生っていう方がいらっしゃることになって、その前から今先生は赤門から時々見学にいらっしゃっていたんです。色々な人がひっきりなしに見学に来ていらっしゃったんですが、その中の一人でしたね。そして、今度今さんという方が入りますよ、ということになって、私、やめる理由がなくなってしまったんですよ。
    三 よかったね。本当にめでたい、めでたしでした・・・。s
    美 ええ(笑)。その時、今さんという方と三浦先生をはげしく恨みまして(笑)。でも今先生が入ってから温古堂の中がすごく明るくなりまして。おんころや先生の会話も増えて笑いもとっても増えて。そこへまた色々なお客さんがいらっしゃって結構和気藹々と。皆さん何日間か滞在していかれるので、一緒に夜の町へ繰り出したり、そういう日々を過ごしました。

    ※おんころや先生:橋本先生の事。翁(おう)先生と呼ぶ方もいる。

    三 ミヨちゃんが温古堂に入ってさ、何年目に今さんと結婚したの?
    美 二年目くらいですね。
    三 青木のママ(橋本先生のご長女)が温古堂の側に住んでるんですよ。俺の所に電話がかかってきて、「ちょっと三浦さんきてくれない?」って。「あの、今さんと美代子さん、どうにかしてくれない?」ってネ。何で?って聞いたら「いや、仲良すぎる」って。で、俺、今さんにに「結婚しろ」って言ったんだ。
    美 あはははは・・・・。
    三 お前ね、そんなに仲良くしてて結婚しなきゃミヨちゃんに包丁でさされるぞ、っておどしたことあるよ(笑)
    美 今先生にはちゃんと付き合っている方がいらっしゃいまして。
    三 ああ。それは聞いていたよ。
    美 私も、ちょっと息子がいるんで言いにくいんですが(会場爆笑)、私にもちゃんとおりまして。
    三 いやな、貴史といういい息子を目の前にしたら、その彼と別れてよかったろ(笑)
    美 お陰さまで(笑)。翁先生(注:橋本敬三医師)が美代子と今君はとにかく結婚しろよと言われまして。「はあ?」っていう感じで。で、「美代子、お前はきかない(きかんぼう、気が強いの意)」、で、今君は優しい、と。だから、お前達はバランスがとれるんだから、それで結婚してお前達が温古堂の跡を継げと。 隣に橋本外科の若先生、信先生(橋本敬三医師の長男)がいらしたんですけど、温古堂を継ぐってことを条件に仲人するっていう話になって。それで結婚いたしまして、別れることなく現在に至っております。可愛い息子にも恵まれまして。はい。
    三 もう一人の息子は中学何年だっけ?
    美 三年生です。
    三 三年生になったのか。一寸小柄でなかなか背が伸びないって本人は気にしてるんだけど、それがね、お地蔵さんのような愛くるしい顔してるんだよ。なかなか可愛い次男坊なんだよね。それじゃ、続きに行きましょうか。そういうことで今さんとミヨちゃんが目出度く結婚するっていうので、ちゃんと礼服を着て橋本先生と腕組んで結婚式に行ったんだよ。
    そういうわけで、今さんとミヨちゃんが結婚したわけなんです。

    橋本敬三先生の日常生活と秘密

    三 この後ビデオ流すけど、その中で橋本先生がミヨちゃんに手を引かれて治療所に姿を現わすんです。それから大きな火鉢の前に座るんですね。その時にミヨちゃんがやることがあるんですよ。何かっていうと、整髪。櫛で髪の毛を整えてあげる。それには順番があるんだって。そういった事をちょっと話してもらえる?
    美 橋本先生はかなりお洒落で。(三浦、頷く)いつもシャツを着たら必ずスカーフをして棒タイ(ループタイ)をするんです。それをすごい数持ってまして、今日の洋服にはこれ、みたいな選び方してましたね。先生が選んでました。それで、朝温古堂に着いて先生が指定席(火鉢の前)につくと私が必ず髪の毛をセットしなければいけなくて、そのセットの仕方も必ず順番が決まっていまして、最初は頭にリキッドを。先生はすごい“ひよこ頭”なんです。
    三 ひよこあたま?
    美 ぽしゃぽしゃ、毛がない(笑)そのひよこ頭にいつも決まった銘柄のリキッドをつけて、最初は後ろから前へ全部もってこないといけないんですね。そこから七三に分ける。最初こっちに、それからこっちに、櫛の線がぴーっと入るように流して、そこから今度こっちから斜め45度にたくし上げなきゃいけない。それから脇をぴっとやって、眉毛をやってヒゲをやって、完成(会場笑)。それが朝のお仕事です。

    三 橋本先生は必ず、診療室の座布団に腰を据えてまずお茶を飲んでらしたようだけど、どんなお茶飲んでたの?
    美 それはですね。仙台に井ヶ田(いげた)っていうお茶屋があって、そこの、もの凄く高いのを。100グラム、聞いてびっくりして下さい。600円です。(会場笑)一号芽茶っていうのがありましてとにかくそのお茶しか飲まないんです。とにかくそれが好きで。
    三 そういえば機嫌が悪いとお茶がらみでミヨちゃんにあたるっていう話を聞いたけど?
    美 一号芽茶というのは、淹れたてはすごく濃い緑になるんです。置いておくと沈殿する位に。それを竹べらで混ぜて飲むのがお好きだったんですが、そのお茶を何回も入れた後も急須の中に入れておくんです。
    三 出がらしってやつだね(笑)
    美 それをすぐに取り替えると、怒られるんです。勿体ないって。それもかなり葉っぱが開ききっているのに、ある日おい美代子、そのお茶で一番濃いお茶を淹れてこいと。(三浦、会場笑)どこをどうやっても一番濃いお茶なんて出るわけないじゃないですか。どうしたもんかと最初は可愛らしく悩んでみたんです。でも毎回出がらしのお茶っていうと、お湯を入れてシェイクして、暫くの間シェイクしてそれで満足して飲んでくれたんですけど、その日は何故か機嫌が悪くて、濃いお茶じゃないとダメだ、って。その開ききった葉っぱで淹れろと。最初は初々しく困ったなあと思ったんですが、こう、むかっ、むかっという思いが私の中に発生しまして(笑)、出来るわけがないじゃないかと。それで、それでもやれと先生が言い張るもので、だったら、先生が淹れて、(三浦・会場爆笑)私にお手本を見せてくださいと。それで出来たら私もやるよ、「ハイ淹れてみて」と。そしたら、イヒィっと笑って「葉っぱ替えてもよろしい」(会場爆笑)。
    三 なるほどね(笑)。弟子にはそういった姿は見せないしね。やはり可愛いミヨちゃんにはだだこねたり無理難題をふっかけてたんだね。それで、医者としての橋本先生はさんざん我々も見ているけれど、女性の目からみた橋本先生っていうのはどんな印象なんだろうね。
    美 素敵です。可愛いです。あの笑顔を見せられるとね、メロメロっとなりますね。あの怒った時の表情と満面の笑みが極端なんです。怒った時は鬼じゃないかと思うような形相なんですね(笑)。そこまで怒らなくてもいいじゃないか、っていうくらい。でもそれは本気なわけではなくて、ただ自分の思いを訴えたいだけなんです。
    三 先生の怒り方ってのは、絶対根に持たないのね。からっとしてるんですよ。もう次の瞬間忘れてるっていうね。本当に可愛い先生だと思いますね。従業員として見た、医師、橋本先生ってどんな方でした?
    美 医者としては追求し続ける姿勢がありました。若い人の話も聞くし、色々な人の話も受け入れるし、自分がこうだ、これが正しいっていう押しつけはしないで、自分自身で思ったことをとにかくやってみろと。それでウソかホントかやってみて、その結果を自分で受け入れなさい、そういう教え方をどの人にもしていましたね。
    三 ああ、本当に橋本先生の口癖はね、我々に指導する場合でもネ、ウソかホントかやってみてから言えと。やってもみないでなんだかんだと理屈を言うなってネ。
    美 そうですね。ヤジウマ根性っていう言葉を常々言われてましたね。
    三 で、誰が一番ヤジウマ根性旺盛かというとね、俺だ、って言うんだよね。儂(わし)が一番ヤジウマ根性旺盛だと。それがね、上に何か付くんだよ。「ずるいヤジウマ根性」。ずるい、って言うんだよね。ずるさがないとヤジウマ根性も板につかないと、ね。ただのヤジウマじゃダメ。やっぱりそれは探求心だろうね。
    橋本先生が温古堂の診療室で日々、日常これはかかさずやる、っていうことは何かあるかな。
    美 橋本先生はとにかく花が好きで、「とにかく花を見て怒るやつはいないんだ」と。とにかく幸せな気分になると。先生の座っているところから正面に草花が飾ってあるんです。それが見える位置や角度にもこだわりがありまして、1ミリずらしてみたり。何をやってるかと思うと、自分から見える一番いい位置を探すんですね。ずらしては座ってみて面白くないと立ってまたずらして。あれはいい運動ですね(笑)
    そういうのを繰り返しやっていて、あとは目の前の灰皿の上に繭でできたニワトリがありまして。(注:『操体法治療室』の『温古堂ものがたり』にも登場)ひよこの形をしたような落花生がありまして、それをキレイに並べたり。その位置関係が大事なんですね。(会場爆笑)それをきれいに並べてないとだめなんですって。雑然としているんですけど、先生なりのこだわりがあって、位置がこう、びしっと決まってるんです。
    三 確かにそんなことあったな。それじゃ橋本先生の癖って?側にいて何か気がつくことがある?
    美 常に耳をこすってました。耳を常にぱたぱたぱたぱたと。耳って確か柔らかくないとだめなんですよね。常にマッサージしてました。それから耳がもの凄く大きいんです。内緒話にならないんですね。よく聞こえるんです。 

    (前半終了)

  • Natural Aging

    世間では、Anti Agingが謳われている。高齢化社会における具体的な眼目の一つに挙げられている。
    私はその全貌を知らないが、私の解釈によれば、その本質はNatural Agingではないかと思っている。
    人生において、確かなことは「生まれる」と「死ぬ」だけである。こればかりは仕方がない。また、誰にも平等である。
    そこで、多くの人々が望むことがいわゆる”ピンピン、コロリ”、即ち、死の直前までは健康でピンピンしていて、その期が来ればコロリと逝く、である。
    私は、若い頃には漠然とスポーツ医学に興味があった。実際に勉強してみると、大きく分けて、競技スポーツのための医学と、健康増進のためのスポーツ医学があることがわかった。
    私はどうやら後者に対する関心が深い。
    これは、治療医学だけでなく予防医学とも密接に関与しており、これぞ自分の進むべき道だと思った。
    いかに健康に生きるか。
    仏教では、「生・老・病・死」を四つの苦しみとして教えている。
    そもそも”健康”とは何か?
    WHOの健康の定義を持ち出すまでもないが、この問いに答えることは難しい。
    健康といっても、晴れる日もあれば、曇る日もあり、雨の時もある。それが暴風雨や大災害にならない様にコントロールすることが肝要なのである。これが未病医学である。
    また、健康に気を使いすぎて、危うきに近よらず、というのもつまらない人生である。
    私は、20代の後半に『朗らかに生き、健やかに老いる』という(自分だけの)キャッチコピーを作った。
    人生の中で目標(あるべき未来、志)を立て、それに向かって邁進する。その過程において、自分の仕事(workやjobではない、将に「事に仕える」ことである)に支障を来たさない様に心身をコントロール出来ていること、これぞ“健康”ではなかろうか?
    その頃、相前後して、橋本敬三先生の遺稿に出会った。 時空を超えて百万の味方を得た気がした。「救いの生命感」「60点でいい、間に合っていればいいんだ。」「息・食・動・想・環」「自力自療」「治しはからだがつけてくれる、治すことまで関与するな。」・・・・・どれも、治療者としての私を安心させてくれた。
    操体医学は深い、一生楽しめる、というのは本当である。しかし、深い実践がないと楽しめない、というのも実感である。
    「きもちよさで治る」と言うが、何でもいいから気持ち良くすれば治る、というものではない。理に適った仕様に法らなければ実現するものではない。

    Natural Agingに対する答えの一つが、確実にここに在る。
    「美味いか、まずいか、まずは“野次馬根性”で食ってみろ!」と、現代人に向けて、橋本先生が祖神の里から微笑かけておられる様な気がする。

    山野真二

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  • 難しいなんていわないで

    もりたです。

    昨日は10月10日、銭湯(1010)の日でしたので、久しぶりに銭湯に行ってきました。
    大田区は東京23区の中で、最も銭湯の多い区です。

    温泉は浸けた肌が3センチの深さで見えなくなる黒湯です。

    これは、自力自動の操体をするにはいいぞ!

    そう思ってネタのつもりで銭湯にいったものの、
    銭湯にしてはぬるま湯で、黒い湯にゆったりとからだを浸し、のびのびしてしまったら、
    動診する前にほうっと気持ちよさでいっぱいになってしまいました。

    こんなときは、「なにかしてやろう」というよりも
    快適感覚に委ねた方がよろしいようで。
    この日は露天風呂でからだをあっためてほこほこになって帰ってきました。

    話は変わって、今日は「難しい」という言葉について書きたいと思います。

    講習をやっている時には、いくつかの禁句があります。
    その一つが、「難しい」です。

    操者が患者さんを動診に導く時に、介助をするわけですが、
    からだの使い方、これは9日「合目的」にもちょっと触れましたが、
    般若身経が身に付いてないと患者さんの感覚の聞き分けができません。

    講習の中では般若身経、連動、ポジションの設定など、腑に落ちるまで、
    何度も繰り返して学んでいます。
    何年か前の自分を思い出してみると、
    からだの使い方の法則にのっとっていることの重要さも理解していなかったし、
    なぜ、介助をする人によって患者さんの快感度がこうも違うのか、
    三浦先生が教えてくださることができないことばかりで、
    「難しい」「手が小さいから仕方ない」「力が足りないから無理」など、
    今にすると、恥ずかしい言葉をよく吐いてたな〜とおもいます。

    そういう時に、周りから「難しい」は禁止!!
    という言葉が飛んできました。

     
    三浦先生や、畠山先生はこのように説明してくださいました。

    「確かに、何かを習得し始めの時は、ぱっとできなくて当たり前。
    でも、できるようになって過去を振り返ってみれば、できてしまったことはもう難しくはない。
    はじめから難しい、という言葉で定義してしまったらそれを身につけるのは無理。
    ことばは運命のハンドルだと橋本先生もおっしゃっている。」

    言い回しは違いますが、このような内容だったと思います。

    それを聞いてからは、なるほどそうだと思い、
    「難しい」を口にしたり、首をひねりながら練習することはやめました。

    確かにからだも手も小さい女子(まあまあ女子といわせてください)には、
    一見大の男の太い足を持ち上げねば! ということであれば無理もあるやも知れません。
    でも、操体は腕力で介助するのではありませんし、
    からだの使い方、皮膚や目線、意識、言葉をうまく使うことによって
    いくらでも操者に無理のない臨床をすることができるのですから。

    それができて、やることやってできなければ「難しい」といってもいい。
    でも、一緒に学んでいる先輩が変わっていく姿を見ると、
    みんなあきらめずに学びを深めている。

    それを超えてからじゃないと言えないのであれば、
    講習中に「難しい」なんていえません。

    ついでに日常でも「難しい」という言葉は、その場で使うのに正しいかどうか
    確認してから使うようになりました。
    われわれは医療者なのです。

    ある高齢者専門の医療現場にて、患者さんの治療に行き詰まった時に、
    「もう寝たきりだからこれ以上は治らないよ」「難しいよね」
    というのが口癖の方がいました。
    たしかに自力で歩行できる患者さんのようには機能が回復ないとしても、
    行き詰まった時に「難しいよね」の一言で、
    その場にいる人がなんとなく意見が一致してほっとするような状況が居心地悪かったのを覚えています。
    もうちょっとあきらめないでいい手がないのかな、と考えることをやめてしまうような気がしたからです。

    難しいという言葉を使うことで、誰かの可能性の芽を摘むこともあるかもしれません。
    もちろんその言葉を選んだその人自身も。

    言葉の使い方について、気にするようになること。
    これも、橋本先生が伝えたかった操体哲学です。

    秋のフォーラムでも、臨床の中でのからだの使い方について触れるはずです。
    参加される方には、やってみて「難しい」という前に、
    もっといいポイントがあるんじゃないのかな?と、
    周りの実行委員を捕まえてなにをどうやればいいのか、しっかり聞いてみてください。

    みんな豆腐の角に頭をぶつけて学んできたメンバーなので、
    説明も上手なんじゃないかと思います。

    まだまだ、修行まっただなかの私ですが(修行に終わりはありませんが)、
    また言葉について、気になったことがあれば書きたいと思います。

    では、1週間、おつきあいありがとうございました。

    明日から山野さんにバトンタッチです。
    よろしくです。

    森田珠水

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