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  • かたち霊

            かたち霊
                   佐伯惟弘

    昨日は三浦寛先生の放たれた言葉から、思わぬシンクロニズムに出会う話をいたしました。
    その中で登場した親友・岩下徹は、大学時代、敷地近くにあったアパートの同居人。
    そこで今回は、当時、同じく同居人であった親友・鈴木啓造が自費出版した本の一部をご紹介したいと思います。

    この本は、大学のクラスメート(わたしと同様、彫刻専攻)であった神谷かん氏にインタビューしたものです。
    神谷氏は「愛知のピカソ」と呼ばれるほど、生命力溢れる絵を生み出す天才画家。

    鈴木啓造氏も、彫刻を学んだクラスメートで、「現代俳句の騎手」としてNHK BSの「俳句王国」にもたびたび出演しその才能を遺憾なく発揮。卓越した英語能力で英語俳句の新境地を作り出しています。
    また、代替医療と宗教に造詣が深く、今後の私が進むべく道に明かりを灯して戴ける人物です。

    「かたち霊の原造形論(神谷かん、かたち霊を語る)<第一話 ピカソはかたち霊の芸術家>」

    「カタチダマ」とは何か?

    鈴木
    まず、神谷さんの考える「カタチダマ」という言葉は、どう表記するのですか。
    神谷
    「かたち霊」と表記します。「たま」は「魂」と書いてもいいですが、より霊的な意味を込めて、言霊と同じように「霊」という字を使います。
    「かたち霊」という言葉には、そのかたちが「生きている、生命力がある」とか「霊力がある、霊性に作用する」という意味をこめています。
    つまり、より深く私たちの生や深層意識、運命、霊性にまで働きかける造形物を対象にした言葉です。

    これから話そうとするテーマは「かたち霊の日本原形論」というものです。

    僕は、日本美術が生んだ日本特有の「かたち霊」が親から子へDNAで遺伝するように、民族の血の中にあって、古代の作品から現代の作品に至るまで脈々と生きていると考えています。
    もっとも、ここでは日本の造形美術を中心にしながら、いろいろなことも話そうと思うので、「かたち霊の原形論」というふうにしておきます。

    鈴木
    僕はそのような神谷さんの美術に関するユニークな見方は、一般の美術史とか、造形論の概念とはずいぶん異なるように思います。
    また単に、美術史とか造形論に終わるだけでなくて、人間観とか文明観とか世界観とかの方向につながる話しになると思います。
    おそらく神谷さんの造形論はそういうところから出てくる造形論だと思いますが、そういう解釈でいいでしょうか?

    神谷
    はい。

    鈴木
    そこで、そのキーワードの「かたち霊」をもう少し具体的に説明してもらうところから始めていただこうかと思います。
    いわゆるわれわれ一般人が美術品を見る場合、特に知識人の鑑賞者が見る場合、西洋美術史に沿った作品の捉え方をしていて、それよっていろいろな作品を読み解いているんじゃないかと思います。
    まあ、作品に向き合い、生(なま)な、素直な感情で鑑賞すればいいのでしょうが、そういう西洋美術的な解読装置で鑑賞している人のほうが多いと思っています。

    神谷
    西洋の美術史もそれなりに優れた美術史なんですけど、そのような西洋美術史的な方法論でのみ世界の美術史を見るのではなく、西洋の美術史も世界の美術史の一つであるという視点が大切だと思います。

    西洋のみならず、全世界あらゆるところに同じように立派な美術史があるという視点です。
    そういう意味で、いまの日本の美術界に支配的な西洋美術史的な見方というのは、特殊といえば特殊です。

    「かたち霊」とピカソ

    鈴木
    西洋美術史の文脈においては、ふつう「近代美術」においてセザンヌ、「現代美術」ではピカソが代表作家として位置づけられていますね。
    このピカソですが、僕が思うに西洋美術を一人で全部、総括するかたちで実験みたいなことをしたんじゃないかと思っていますが、そういう解釈でいいんでしょうか?

    神谷
    実験というのはともかく、ピカソは二十世紀の大スターですね。まあ、二十世紀はピカソが一人いれば、終わっちゃいますからね。
    たとえば、ミロなんていう人がいますが、でもピカソと比べるとあまりにも才能的に違います。
    (ミロを尊敬している私てしては・・・・)

    鈴木
    そう、だからまず神谷さんの「ピカソ論」を通じて、「かたち霊」を論ずるきっかけとしていただきたい。ピカソの作品における「かたち霊」を具体的にしながら論じていただけたらと思います。

    まあ、ある程度、美術鑑賞に親しんだ人であれ、あまり美術には興味のない人間であれ、あのようなヘンなわけのわからない絵を描く人、というふうにピカソのことは誰もが知っていますよね。

    その人を神谷さんがどのように理解しているかを、あるいはピカソの中にある「かたち霊」がどのようなものかを説明していただけたらと思います。

    神谷
    ピカソの中にある「かたち霊」というよりも、芸術家の仕事はやはり、形に生命を吹き込むことだと思うんです。
    だから、ピカソはそういう点では、まさに天才で、たとえばちょっとした木切れにでも、一枚の金属の板にでも、手を加えることによって、生きたものに変えてしまうんですね。まさに、そういうのは本当の天才なんですね。

    鈴木
    そういう意味合いでは、ピカソは「かたち霊のアーテイスト」といっていいわけですか?

    神谷
    はい、そういっていいと思います。

    「かたち霊」とは「生命力」?

    鈴木
    だから、このキーワードの文脈で語れる偉大な芸術家といったら、まさにピカソということになるでしょうね。

    神谷
    代表選手ですね。僕が考えている「日本の原造形」というところからは、ちょっと違いますが、ピカソはまさに「かたち霊の美術家」だと思います。
    だから「かたち霊」とは、簡単にいってしまうと「生命力」なんですね。で、僕らはこうして呼吸したり、物を食べたりして生きているんだけれども、美術作品も生きているものだと思う。
    もっと言えば、「生きて呼吸している」ものなのだと思います。
    どうして美術作品に永続性があって、長い歴史を通じて残ってきたかを考えると、これは美術作品自体の生命力によって残ってきている。あるいは、これからも引き続き残ってゆくだろう、というふうに僕は思っています。
    真の美術品は生きているものです。人間でもいきているものと死んでいるものとは、全然違うのと同様に、美術品も生きているものと死んでいるものとは違います。
    かたちに生命を吹き込むという点で、ピカソという人はまさに天才です。ヨーロッパの人の考えでは「神が人間を創った」ということですが、何もないところから、美術家によってひとつのかたちができてくる。そしてそれが、生きたものになる。ある素材に手を加え「いのちを吹き込む」それがまさに芸術家の仕事です。つまり、それを拡大して言えば、芸術家の仕事は「神の仕事」ともいうべきものです。(中略)

    意識的な造形と無意識的な造形

    鈴木
    ピカソの話題から話しを転じますが、いろいろな日常品、あるいは民芸品みたいなものの中にも、その
    「かたち霊」が吹き込まれているのだと思います。

    神谷
    まあ。民芸品といっても、実はいわゆる民芸品ではないんですけど、かって柳宗悦さんなんかが菟集したよいものの中には、そういった「生命力」みたいなものが入っている。しかも、それは意識的な仕事ではなく、本当に無意識にそういうものが入っている。無意識のまま、ぱっと作品にできている。だから、それには、無意識のよさがある。

    鈴木
    意識するのと、無意識なのとはだいぶ違いますよね。美術品を作ろう、という意識ではないですよね。

    神谷
    そうそう、ピカソなんかは「作品を作ろう」という意識でしょ。それに対して、まあたとえば、日本の古い神社にある室町とか江戸初期に出来たお面を見たりすると、みんなほとんど無意識でつくったものなんですけど、「かたち霊」はそういう作品の中により純粋なかたちで残っています。それは一種の「氣」みたいなものなんでしょうね。(・・攻略)
    <上記対談集の一部をコピーし、送って戴いた書家・前田秀雄氏(大学のクラスメート)に感謝致します>

    この対談のなかでは、初めて耳にする「かたち霊」をキーワードとして、絶えることのない生命力を吹き込むことが出来る芸術家の存在意義を分かりやすく伝えてくれています。これほどまでに単純明快に言い切れている神谷氏の言霊に敬服致します。

    また、臨床の立場から、神谷氏の言葉をお借りすると、真の臨床家は病んだ人の生命力を呼び覚ますことの出来る芸術家であるといえます。特に触れるという行為により、400万年前から続く人類のDNAに何らかの活力をあたえ生命力を満たすことの出来る操体。これこそ芸術。
    かたちのない「かたち霊」と言えます。

    この二人の対談からは、国、地域における多様な美術史の発掘、意識と無意識の関与における芸術の違い等々、興味つきないテーマが浮かんできます。
    しかし、今日はこのくらいにして、明日は、この「かたち霊」にまつわるお話をしてみたいと思います。

    では ごきげんよう!

  • 操体庵ゆかいや物語(21)

           岩下・・・・・ゴメン
                       佐伯惟弘

    仰臥位膝1/2屈曲位での足関節外反の操法
    三浦先生が正座をされている両膝に、私は足底をのせ仰臥位膝1/2屈曲位のままで、動診をおこなっている時のことです。

    「佐伯、アレ見てきたか?」

    「・・・・はっ?・・・・ああ〜ミロですか?」

    動診から操法へ移行中、三浦先生が私に話しかけるのは、初めて。
    しかも、授業中他の受講生の目の前での事、まさに前代未聞でした。

    多分、私の顔にミロの絵が映っていたのでしょう。夜行バスで京都から新宿に早朝着き、東京大丸ミュージアムまで直行。10時の開場と共に、たっぷりとミロの絵を見てきた後の、講習会だったのです。

    それというのも、数日前に畠山理事から「東京大丸ミュージアムでミロの展覧会やってるよ。」というメールを戴き、是非とも“会いに行こう!”と思い、デートの前のワクワク感に浸ったあげく、デート三昧。様々な思いを巡らした後だったのです。

    どういう訳か、私の人生の節目に、ミロが関与しています。

    以前にも書いたので、余り詳しくは語りませんが、幼い頃、ミロの絵を見て描くことの楽しさを知り、1970年の大阪万博で、ミロの壁画を見て楽しくて、嬉しくてからだがユルユルになったのを覚えています。
    見た瞬間、からだが反応する絵って素晴らしい!

    あの当時の私にとって、からだが必要としていた反応だったのでしょう。

    9年前には、ニューヨークの画廊で、ミロの絵に出会い、「芸術の世界から離れなさい!」という啓示を受け、操体の世界に身を置くようになります。

    その後、三浦先生の勧めにより美山に帰り、知人の蔵(私は蔵で寝泊まりしていました)にあったミロの画集から、再びミロを勉強することになりました。
    そこで、無性にミロに関する文章を書きたくなり、書き殴っていた頃、美山で出会ったスペイン人アーテイストから、ミロ財団の奨学金の情報を戴きました。

    その文章を英文にし、応募。
    すると受かってしまい、スペイン・マジョルカ島のミロ美術館で子供を対象としたワークショップを2ヶ月に渡って行いました。

    そこでの、2ヶ月は実りあるもので、バルセロナのミロ美術館からも学芸員がやって来てかなりの評価を得ていました。ところが、幸か不幸かその最終日に、私は、“あるヘマ”をしでかしたのです。

    それで、バルセロナのミロ美術館での活動は無くなり、私は日本にすんなり帰り、より早く操体施術の世界に身を置くことが出来たのです。

    それはさて置き、東京大丸ミュージアム・ミロ展覧会での事。
    数十点ある作品は、マジョルカ島のミロ美術館からのものではなく、バルセロナのミロ美術館(マジョルカ島バルセロナにミロ美術館はあります)のものでした、そのため多くの作品は初対面の作品。
    ところが、見覚えのある一つの作品が私をじっと見つめているのです。

    「あれ、どこかでこれ、見たことがある!」

    しかし、ミロの作品群から醸し出される波動に身を置いていると、そんな些細な想いはどこかに捨て去られ、マジョルカ島での出来事、出会った人々の事など、様々な記憶が、浮かんでは、消え、また浮かんでは、消え・・・・心地よい時空を楽しんでいました。

    ふと時計を見ると正午近く。
    あわてて、三軒茶屋のターミナルビルへと向かいました。
    1時から操体の講習がはじまるのです。

    その講習で、三浦先生の「佐伯、アレ見てきたか?」
    発言があったのです。

    授業が終わってからも、やけに先生の言葉が耳に残り、頭の中をゆっくりと巡っていました。
    私はどこかに置き忘れた記憶をたどり、うつむきながら、ただただ歩く。

    すると突然、気になっていたミロの絵が、Tシャツの絵柄となって私の目の前に出現。

    「あっっ・・あの絵って、岩下のプレゼント!」

    気になっていた絵は、私の友人、岩下徹(舞踏集団・山海塾のメンバー)がスペインで公演した時、わざわざ私のために、バルセロナのミロ美術館で買ってくれたTシャツの絵柄だったのです。

    そのことに気がついたのは、キャロットタワーの入り口、背筋がぞっとするようなシンクロナイズでした!

    キャロットタワーは、2001年、私がアメリカから操体を学びに帰ってきて、小用のため初めて立ち寄った場所。

    そこで、偶然にも上演されていたのが、岩下徹の属する山海塾「卵を立てることからー卵熱」。
    帰国早々、親友・岩下徹と再会することが出来たのです。

    これで、全てが結びつきました。
    岩下が、初めての海外公演でバルセロナに行き、バルセロナのミロ美術館で私の大好きなミロのTシャツを購入。そして、私にプレゼント。

    2000年、私はそれを大事にアメリカまで持っていったにも関わらず、離婚という憂き目の中、そのTシャツをアメリカに置いたまま、一人帰国。

    あの絵柄のTシャツは破棄されているはず。

    大事にしていたTシャツが、三浦先生を介して、最後の別れに来たのです。
    それで、よくわかりました、あの絵が放つ鋭い視線の意味が・・・・・・・・

          「岩下・・・・・ゴメン」

  • 操体庵ゆかいや物語(20)

         
          カメムシの“お引っ越し”
                     佐伯惟弘

    「誰じゃ、ワシを起こしたんは!!・・・ええ気持ちで寝とったのに!・・・・ワシは、美山ちゅう食べ物のいっぱいあるとこで、大好物の柿をたらふく食べてナ・・・・ほんで、雪の降る間は、茅葺きの家で寝とったちゅうに・・・・

    何ちゅうこっちゃ!・・・・気がついたら東京のド真ん中におるやんけ!!」

    3月に美山から東京・世田谷に引っ越しした際の段ボールにまぎれ込んだカメムシのカメ八。その怒りは治まりそうにありません。

    「あのドアホが!・・・・だいたいナ、ワシらは4月末までは冬眠せなアカン。カメ一からカメ五一までの兄弟と仲良う寝とったんじゃ。
    それを、よりによって末広がりのええ名前をもろた、このカメ八が・・・なんでワシだけが・・・うう〜許せん!!・・・・ワシらが子どもの頃は、スギやヒノキの球果の汁を兄弟仲良う吸って大きうなったんじゃ。」

    と、身の上話をはじめるカメ八。

    「ほんで、スギの球果がようけ出来るちゅうのは、植林されたはええが、人間どもが、手入れをせんようになったんが原因じゃ・・・・ええか・・・スギも好きこのんで、球果つけて、スギ花粉飛ばしとるんとちゃうで!・・・・想像してみい、狭い場所に何本も植わったモヤシのようなスギを・・・・“このままやと、死んでまう!”と思て、子孫を残すために球果つけて、スギ花粉飛ばしとるんじゃ!

    考えてもみてみ・・・・ええ環境で1000年も生きとるスギが100年やそこら経ったくらいで、実やら花やらつけたりするわけないやろ!
    ましてや、毎年つけたりする訳ない、ない、ないじゃろが!!!

    スギやらヒノキやらを植えたら、金をやるちゅう戦後、日本政府の愚策に踊らされて、田んぼにまでスギを植えるアホが出おって・・・結果、花粉症じゃの、カメムシの大量発生じゃのぬかして、ワシらを目のかたきにしおって!!・・・・そんなん、おまえらの勝手じゃ。悪いのは、おまえら人間のほうじゃ!!!」

    なるほど、カメ八の言い分には説得力があります。もう少し聞いてみましょう。

    「ついでに言うとくけど・・・・スギやヒノキは昔の木や。
    昔、栄えたけどホンマならもっと少ないはずじゃ。
    今の気候で、シイやカシみたいにドングリのなる木と競争してみい・・・・スギやヒノキは負ける。
    当ったり前じゃ!
    スギやヒノキみたいな小さな実は成長がおそいんじゃ。ドングリのパワーに勝てるわけないじゃろ!

    それで、わざわざ苗木にして人間が植えとる。
    ところがじゃ、手入れをしてへん!!
    スギ、ヒノキはまっすぐ上向いて伸びる・・・・それに対して根っこは2mほどの深さで横に伸びて倒れんように頑張るんじゃ。

    ところが、手入れをしてへん山は、四方八方にスギ、ヒノキが生えとるので、根っこは横に伸びとうてもからまって板状になる。
    そんなとき、大雨が降ったらえらいこっちゃ!
    たった2mの深さの板のダムは、水をためこんだまま決壊するで!ほんなら、えらい土砂災害になってまう!
    ただ、何とか持ちこらえとるのは、シイやカシみたいな広葉樹の深い根っこが残っとるからじゃ!」

    少々あきらめ顔のカメ八。

    「もうええワ・・・・日本政府の愚策をカメムシが嘆いてもしゃない・・・・それにしても、この四畳間、居心地・・・・思ったほど悪うない。
    漆喰の壁やし、畳も新しい。美山ほどじゃないないが、結構静かじゃ。
    美山の家は、すき間だらけやったおかげで、家の外にはいつでも出られたが、こっちではアルミサッシの窓でカギまでかかっとる。
    これじゃ・・・外にでれへん!!!

    もっとも、外にでたとこで、ワシの食いもんはない・・・いや・・・あのドアホが言うには、松陰神社前通りに新鮮なくだものがあるそうじゃ。
    なにせ、キュウイ2個、ババナ1房で200円。

    お〜〜〜〜〜〜あのドアホが疲れた顔で重そうなリュック背負って帰ってきおった!手には、近くのスーパーでこうてきた切り干し大根、納豆、豆腐に竹輪・・・・・美山に居るときと同じもんこうとるワ。・・なにせ、冷蔵庫もない・・・テレビもない・・・・50過ぎのおっさんがする生活とちゃうで!!
    まあ〜そんなことは、どおでもええ〜〜〜逃げるンは今じゃ!!!・・・行くで〜・・・ほな、さいなら!」

    カメ八、“ドアホ”が帰ってきた空(す)きを見つけて、低空飛行。
    なんとか脱出成功のようであります・・・めでたし、めでたし。

  • 操体庵ゆかいや物語(19)

                 操体庵ゆかいや物語(19)
                     渦状波(2)                  

    さて、昨日に続きまして、渦状波のお話。

    一年程前から、私のからだは、快適感覚に対して“無意識の動き”をつけてくるようになってきました。
    これは、動診から操法に移行して快適感覚をゆっくりと味わっている時に、突然現れます。

    例えば、仰臥位で動きの操法を受けているとき、首が「カクカク」と動き始めたかと思うと、骨盤が震えるように上下運動を繰り返す。今度は、手掌が大きく開いて前腕が伸展し、それにあわせて全身が波打つようにうごめく・・・等々、全く予想もしないような動きが現れては、落ち着き、再び現れるといった状態になります。

    1960年代に天才舞踏家・土方巽(ひじかた たつみ)が暗黒舞踏なる踊りを創り上げました。
    これは、胎児を彷彿させるような踊りで、現在では“舞踏(Buto)”として世界的に知られています。
    “生命とは?美とは?動きとは何か?”を問いかけ、日本人のからだを培った風土に肉薄するような踊りです。
    重力に逆らい、より高く飛び跳ねることに美を見いだした西洋バレエ。その西洋的形式美のノド元にドスを突き刺すような、強烈なインパクトの“舞踏”。
    三島由紀夫も絶賛しました。

    しかし、これはいくらリアルに踊っても演じていることは事実です。
    とかろが、快適感覚をききわけ、味わっている時の無意識の動きは演技ではないのです。からだが必要あって創りだしている現象なのです。

    観客からお金をいただいて、見て貰っているのでは無く、勝手にうごめく生命体が存在しているだけ。この無意識の動きこそ本物の“舞踏”だと私は思います。

    よく、臨死体験をした人が、魂(意識体)となってからだから抜けだし、自分の肉体を眺めた“幽体離脱”のことを語っています。
    また、実行委員のなかでも、睡眠中に体験されている方が数名います。

    “舞踏”的無意識の動きが、始まった時、多少、この“幽体離脱”に近い感覚に襲われます。
    もっとも、“幽体離脱”の体験がない私は、どんな感覚かよく分からないのですが・・・あくまで、“多少”そんな気がするだけです。

    といいますのも、事の推移を非常に客観的・第三者的に見つめている自分が、自分の肉体の中か、あるいは、外にいる感覚が常に存在するのです。そのため、無意識の動きの最中でも、他人との会話は当たり前に出来ます。つまり、からだの動きは、からだに任せっきりになるので、逆に魂としての自己がからだを冷静にみることができるようなのです。

    まあ、そんな日々が続くある日、三浦先生のプライベートレッスンを受けている山本実行委員の授業に参加する機会を得ることがありました。私は、実験的なモデル。

    「佐伯の右頚椎5番から6番を触ってみろ。」

    仰臥位で、まな板のコイ状態の私に、早速、師匠の指示。

    山本さんのやさしい指先の感覚が伝わってきます。
    数十秒程経ったでしょうか、いつものように無意識の動きが出現。
    その日は、いつになく激しい動きです。からだ全身を使って大きな8の字を描き始め、まるで自分が龍になったような感覚。

    ただ、「右の頚椎に何か違和感があるな〜」という思いは付きまとっていました。
    すると何を思ったのか、からだが、急に左の頬に息を吹き込み始めました。

    「なんじゃ、これ!一体どういうこっちゃ?」

    目をつむったまま、ぼんやりと光を感じていたはずの視界が、突然真っ暗闇。
    それと同時に、あざやかな青い色彩があちらこちらで、輝いては消え、輝いては消え・・・・

    突拍子もないことが起こったため、山本さんに伝えようとしても、息がつまったままなので、
    「う〜〜ふ〜〜」
    くらいしか言えません。
    益々、左の頬は大きくなり風船状態。

    「ひょっとこみたいなおもしろい顔してんな。これは、きっと右頚椎のコリに対して、左の頬の一点に息を入れてふくらませてるんやなあ〜!」

    と冷静に判断し、しかも自分の顔の表情が客観的に見えるような不思議な状態でした。

    しかし、益々左の頬は大きくなって、息が全く出来ません。パニックで大騒ぎになっても良さそうなものですが、この“からだの修正フィードバック”体験をワクワクしながら楽しんでいる自分がいるのです。

    破裂寸前にまでなって、今度は急に息を吸い込み、一気にはき出し始めました。
    すると、今までの真っ黒い映像がこげ茶色、そして深緑へと変化し、青色の輝く星が、ピンクや黄色の星へと変化。

    ゆっくりと長い呼気が続き、やがて顔全体が鼻の真ん中に集約し、今度は、入れ歯を外した老人・・・いや、漬かりすぎた梅干しになった感覚。

    梅干し状態の顔をハッキリ見ている自分がいます。

    中央に集約されるだけ集約された顔の次にとった行動は、頭頂部とアゴを上下にゆっくりと伸ばすことでした。
    すると、今までシワの一部だった一直線の目が徐々に下弦の月になり、目を閉じたまま上を見る状態(多分、白目をむいていた?)。
    そして口は、
    「ほ〜」
    というような形で下を向き、アゴと一緒に下へ引っ張られていきました。

    その時の瞼に映る映像や色彩は、余り定かではありません。記憶が薄れているということは、茶色っぽいままだったのかも知れません。

    しばらくこの状態が続き、静かに、静かに元の状態に治まり、瞼に映る像は、金箔がたなびく様な明るい色を示してくれました。

    そして、まるで仏様になったような、穏やかでありがたい気持ちに満ちあふれたのです。

    こうして、授業は終了したのですが、余りにも強烈な体験であったため、私の顔の様子をスケッチして残したくなりました。
    その絵が、これです。

    数日後、三浦先生にこの絵を見て戴いたところ、

    「おお〜、この通りだ、こんな顔をしていた。」

    とのお言葉を戴きました。やはり、私の魂が天井付近でこの様子を眺めていたのかもしれません。
    それにしても、不思議な体験でした。ブログを読んで戴いた方に、その様子が上手く伝わったかどうかは分かりません。
    しかし、私の意志とは全く関係なく、からだが勝手に歪みの修正フィードバックを行ったことは、お分かり戴けたと思います。

    これから益々、操体に於ける皮膚へのアプローチ(渦状波)は、人智を越えた展開を遂げる可能性があります。

    環境が皮膚に及ぼす影響、表皮機能の再生機構研究などで海外からも高い評価を得ている傳田光洋氏。氏が出版された「皮膚は考える」岩波新書は、渦状波を科学的に解明してゆく手だてになります。

    興味のある方は、お勧めいたします。ではまた明日!

    佐伯惟弘

  •  操体庵ゆかいや物語(18)

    こんにちは!
    今先生のゴールデンウィークブログ“神人さんのコンサート”に引き続き、これから1週間のお付き合いを任されました佐伯惟弘です。
    よろしくお願い致します。

    それにしても、今先生の“ゴールデンウィーク=ブログお休み”って感覚、ずいぶん新鮮!
    家族想いの今先生らしい1週間でした。

    でも、今先生ファンの私としては・・・ゴールデンウィークに少しだけ文句をいいましたけど・・・。

    さて、今日は“母の日”。
    昨日送った花束が、最愛の母に届いているはずです。
    私の母は病気らしい病気をしたことがありません。いつも、笑顔で前向き、人の悪口をほとんど言いません。そして、驚くほど小食。
    私が大きなケガ、病気をしないで、健康に過ごしていられるのも、そんな母のおかげ。本当に感謝しています。

    しかし、母親に比べて、私に足りないのは笑顔。なかなか眉間のシワが伸びません。
    せっかくの“母の日”。
    母親の笑顔をイメージして、楽しいブログをお送りしたいと思います。

    前回(2008年12月)の私のブログ、ちょっと肩肘を張りすぎたかな?
    ブログ終了後は、充実感以上に虚脱感を味わってしまいました。

    そこで、今回は、心地よい“快”が残り、しかも充実感のあるブログに仕上げるよう心掛けています!
    それでは、スタート。

               操体庵ゆかいや物語(18)
                   渦状波(1)
                      

    三浦先生の著書“快からのメッセージ”―たにぐち書店―を読まれた方で、渦状波に興味を持たれた方は随分いらっしゃると思います。

    特に「弱者のからだ」をもつ被験者が、皮膚をとおしてききわけた感覚の一例(p166〜168)をご覧になった方は、半信半疑ではあったものの関心を持たれたはずです。たとえば、

    からだが無意識に動く。
    色と光を見ている。
    笑い出す等々。

    そして、三浦先生は、5例ほど実例をあげておられます。ただ読者の方々にとっては、文字だけの疑似体験。

    何のことだか本当はピーンとこないはずです。
    確かに、一般的な常識からはかけ離れた信じがたい現象のように受け止められても仕方がありません。

    そこで、私の体験談を、今日と明日の2日間に渡って出来るだけ忠実に語ることで、渦状波を誰にでも起こりうる現象として感じて戴きたいと思うのです。

    とは書いてはみたものの・・・文章にすれば、するほどウソっぽくなってしまいそう、・・・まあ〜信じて戴けなくてもいいっか!

    今から8年前の初夏。

    私は、骨董品屋と見間違うような三浦先生の治療所の片隅に正座。
    師匠の臨床をただ、骨董品になりきって見学するのが日課でした。
    しかし、その日は臨床も終え、火鉢をはさんで師匠の正面に座っておりました。すると、

    「佐伯、向こうに行って寝てみろ。」

    私は師匠の言われるままに高さ70センチ程の治療用ベッドの上で仰臥位になりました。

    「足趾の操法をする。」

    師匠は、おもむろに私の足元に立ち、両足の第1趾を拇指と示指でつつみこみ、静かにそして丁寧に揉み始められました。
    心地よいリズムがつま先から伝わり、からだ全身がゆったりと湯船に浸かっているような感覚。
    そして、気持ちよさがからだに充満してきた時のことでした。

    師匠は、ピタッと足趾を揉むことを止め、それと同時に、つま先から頭の天辺までゆっくりとした大きな波を送りながら止める動作をされました。

    すると、つむっている瞼のウラで感じていた暖色の視界が、突然、漆黒の闇夜へと変わって行き、一筋の光と同時に激しい風が疾走。
    そこに、映し出されたのは、黒々とした美しい波形の砂漠。
    サラサラと舞う砂がとてもリアル。

    あまりにも強烈な映像に驚きつつ、
    「う〜ん、あれは小学校の時に見た、ウオールト・デイズニーの“砂漠は生きている”の一場面そっくりやなあ〜。」
    と冷静に思い出している自分がいました。

    ただ、初めて味わう感覚だったため、びっくり仰天。思わず目を見開いてしまいました。
    そのとき、師匠の目と目が合ったのですが、映像のインパクト強すぎて、それからの記憶が定かではありません。
    その後、黒い砂漠の映像が、浮かんで来たのか、来なかったのかそれすら覚えていません。
    足趾の操法が終わり、

    「佐伯は、左足の第4趾(がよくない)。」

    とおっしゃったのを覚えているだけでした。

    これが、私の渦状波体験のプロローグ。
    私に起こったのは、“納めの間”(一つの操法をしめくくる際、操者が脇をしめ肘が正中線を向くようにして、約12〜3秒静止する動作)での一つの現象にしか過ぎなかったのです。

    それから、数週間後、師匠は実験的な渦状波を思いついたらしいのです。
    再びベッドで仰臥位になった私のからだ二カ所に、両手を置き、その渦状波は始まりました。

    被験者の私も、目をつむったまま、一体何が起こるのか興味津々。
    師匠の暖かい手掌の感覚がここちよく伝わり、ゆったりとし始めた時、

    「あら〜〜、また〜〜」

    まぶたのウラは、暗雲と共に、墨汁のようなにわか雨が降りそそぎ、日暮れ時から一気に暗黒の闇。
    全く光を感ずることができず、暗闇に沈んでいく感覚。

    不安がよぎったその瞬間、右斜め上から一筋の光が射し込んできました。
    次の瞬間、光源は途絶えますが、真っ黒な画面の中央水平線に一筋の光が残っています。
    そして、それは徐々に揺らぎ始めたのです。

    「ああ〜分かった!これは、真っ暗闇に映し出された海のさざなみや!」

    深海の海溝から眠っていた龍が、いつ現れても不思議ではないような怪しい海面。

    漂う光は、いつしか一本の蛇行するクッキリとした線へ変わっていきました。
    すると今度は、その光の線が震え始め、次第に激しい振幅に変化。

    まるで、ウオールト・デイズニーの“フアンタジア”で交響曲が織りなす音の波形を映像化した一場面とそっくり。
    ただし、“フアンタジア”のような色彩はありません。そして、波形は水平ではなく垂直に山と谷。
    しかも、徐々にその山は中央部に高く集まってきて、まるでエベレスト。

    その激しくうごめく波形を見ていると、思わず笑いがこぼれそうになります。それどころか、大笑いしたくて、したくて・・・・でも、師匠の前で、そんなことはできません。笑いをこらえるのに精一杯。

    しばらく、その葛藤が続きます。葛藤が収まるにしたがって、徐々にその波形が穏やかになってきました。
    そして、最後には一本の水平線が暗闇の中央に漂い、そして、消えたのです。

    実に絶妙なタイミングで師匠の両手が私のからだから離れて行きました。

    「うっっっそ〜〜!出来すぎ〜〜。」

    と思わず絶句しそうになるも、やはり師匠の前では、ただ沈黙を守るだけでした。
    しかし、この実験的施術終了後、私は一気に語り始めました。私の言葉足らずな説明では、うまく伝わらなかったかもしれません。
    それでも、師匠は淡々と聞いて下さいました。

    「先生、何故だか分からないのですが、可笑しくて、可笑しくて、笑いたくて仕方なかったんです。」

    思わず、本音がポロリ。

    「バカ!!そんな時は笑え!!」

    と一喝されてしました。
    そうだったのです、あの時笑えば良かったのです。笑えばどんなに気持ちが良かったことか!
    小さな自我のせいで、初めての渦状波体験を素直に受け入れられなかったことを、少々悔いています。

    しかし、それよりも、あの強烈な光のダンスを見ることが出来たことに感謝するべきでしょう。
    “快からのメッセージ”p167に書かれてある“皮膚につけてくる感覚”の
    ・ 色と光を見ている。
    ・ 笑い出す。
    という言葉を文字通り理解できたのですから。

    まだ、渦状波を体験されてない方には、多分信じて貰えないと思います・・・でも、少しは信じます???
    いや〜、三浦先生だから出来て、普通の人には絶対出来ない!!と思われる方が多いと思います。
    実際、この体験をしたとき、私はそう思いました。

    ところが・・・現在、私の操体臨床では渦状波が5割以上。その多くの被験者の方々から、様々な現象をお伺いすることができます。

    さて、皆さん・・・それでも、信じます?信じません?
    明日は、益々信じて貰えないような渦状波体験を紹介してみたいと思います。お楽しみに!

  • 神人さんのコンサート

    みなさんこんにちは。
    あったかい小代田さんの文に癒されて、今週はり
    きって担当の今です。
    連休に担当というのもなかなかいいものです。
    私、今日からしばらくパソコンのない所に出かけ
    ますので、一週間分をここにアップさせていただく
    ことにしました。
    文句のある人は「連休」に言ってください。(^^)
    では、はじまりはじまり〜。

      「神人さんのコンサート」

    4月29日の朝、家でメジャーリーグの野球中継を
    のんびり見ていたら、
    パンピポリ〜ン、トンピンシャリ〜ン♪と、
    聴きなれたメロディーが鳴り響きました。
    うちの電話の音です。

    今日は休日なのに患者さんかな?と思って
    電話に出たら、カトちゃんでした。
    ドリフのカトちゃんではありません。
    受講生のひふみ健康院のカト(加藤)ちゃんです。
    カトちゃんは理学療法士さんで古川駅前で開業してい
    るヤジウマさんです。

    「せんせぇ、おはようございますー」
    「おお、カトちゃんかー」
    「はい、せんせぇ今、大丈夫ですか?」
    「大丈夫だよ」

    カトちゃんはいつも電話をくれるとき、必ずこちらの
    都合を聞いてから用件を話してくれます。

    「せんせぇ今日はいそがしいでしょうか?」
    「ええっ?、いや暇だけどー、どうしたー?」

    「実は今日の午後から仙台で神人さんという人の
    コンサートがあるんですけど、良かったら一緒に行って
    みませんか?」

    私は、今日はテレビで楽天のマー君の先発で野村監督
    の1500勝がかかっている大切な試合を応援するから
    無理だなー。などとも言えず、
    「おお、いいよー、神人さんって昨日カトちゃんの
    ブログに書いてあった、あの人だよね」と言いました。

    「はい、三日前に山形でコンサートを聴いたり、昨日も
    講演を聞いたり、お話をしたりしてきたんですけど、
    なんかコンせんせぇと同じようなことを言う人だなーと
    思って、夕べからせんせぇを誘うかどうするか迷ってい
    たんです」

    「おお、オッケーオッケー!」
    「ほんじゃあ11時半頃迎えに来てくれるってことでー」
    「では、又あとで、、」
    (残念ながら2時からの楽天の応援はできなくなりました)

    私は昨日、カトちゃんのブログのリンクから神人さんの
    ライブの様子をyoutubeで少し見て、おもしろい太鼓の音や
    不思議な歌声などを耳にしていたのでした。

    そして11時半になりました。
    カトちゃんが奥さんの千恵ちゃんと2月に生まれたばかりの
    太一君を連れて家に寄ってくれました。

    「おおっ、太一君も行くのかー?!」
    「はい!」
    「大丈夫なのかー?」
    「大丈夫でしょう!」
    カトちゃんは平気そうに言いました。

    送り迎え付きのありがたいコンサート、出発です。
    私は、こりゃ帰りにビールでも、、、とちょっとだけ思った
    のですが、だまって助手席に座りました。

    家を出て5分程走ると、なぜかカトちゃんは泉インターから
    高速に乗ろうとしているらしく、もぞもぞとETCカード
    取り出して高速に乗る左レーンを走り始めました。
    「おいおい、高速?、高速より国道の方が早いぞぉ!」と私。
    「えっ、はいっ!」と急いで一般道に車線変更するカトちゃん。
    「いやー、実はETCを付けたはいいけど、まだ使ったことが
    ないので、せんせぇなら使い方を知っているかなーと思ってぇ」
    と笑って運転するカトちゃん。
    「いやいや私も知らないよー、うちの車はETC付いていない
    ものぉ」
    「予約注文はしているんだけどETCの製造が追いつかないら
    しいねぇ」
    「はい」
    そして神人さんのお話をしたり、太一君の泣き声を聴いたり
    しながら旧4号線から広瀬通り、そして国分町通りに入り、
    30分程で会場の宮城県歯科医師会館に到着したのでした。

    開演は12時半の予定です。
    12時に会場に入ると、なんと以前にお世話になった歯科医の
    大久保先生が受付をされていました。
    「せんせーどうもーご無沙汰していましたー」
    少しだけご挨拶と世間話をしました。
    このコンサートは大久保先生が主催されていたと聞いて
    びっくりしました。
    仙台では二回目らしいです。

    開演前に会場の研修室に入ると、麻の衣装を身にまとい、
    右足首に鈴を何個か巻き付けて裸足でシャリン、シャリン
    と鈴を鳴らして歩いている40才位の男性がいます。
    そうです、この人が神人さんです。
    この人はタダモンじゃないなー。
    私はそう感じました。

    私が神人さんに近づいて行くと、カトちゃんがすすっと
    来てくれて私を神人さんに紹介してくれました。
    「先日お話しした、操体の、人は人を治せないと言う
    コンせんせです」
    「はいどうもこんにちは」
    「こんにちは、はじめまして、今日はよろしくお願いします」
    「あそこのタイコ、なんかおもしろいですねー」と前方に
    置いてあるタンバリンを大きくしたような太鼓を指差して
    ニコニコ言う私。
    「あの皮は何を使っているんですかね?」
    バッファローとかを使うことが多いんですけど、あれは
    グラスファイバーです。あれ軽くていいんですよー、
    私は和太鼓の音が好きで、普通の和太鼓だと重いですけど、
    あれだと軽くて持ち運びも楽なんです。値段も安いんです。
    7〜8千円で買えるんですよ」とにこにこ気さくな神人さん。

    「あれ、いい音でますよね!」
    「はい」
    「何か楽器をされるのですか?」
    「はい昔ドラムをちょっとぉ」
    とヘタクソなくせにそういう私。
    「私はリズムセッションがダメなんですよー」と、
    あれだけ素晴らしいリズム感なのにそう言う神人さん。
    開演前の大切な時間なのに、どーでもいいお話しに
    お付き合いいただき、ありがたかったです。

    そしてコンサートが始まります。
    コンサートとは言っても神人さんのライブは普通じゃないんです。
    ライブは、語りと唄と霊伝の三本柱で構成されています。
    私は唄と語りまでで霊伝(個別のメッセージ)は予約して
    いなかったので受けられませんでした。

    ライブが始まりました。
    神人さんは初めにこれをやらないと落ち着かないとか
    言ってヒフミ祝詞を唱えました。
    「ひーふーみーーよーーーいー」と始まりました。
    私は、受講生の姫ちゃんが喜びそうだなーと思って
    聴いていました。
    「むーなーやーこーとーー、もーちーろーらーねーー、、」
    最後まで唱えました。
    それはそれは見事な祝詞でした。

    そして語りです。
    スピリチュアルなお話しの中で、神のこと、地球への
    感謝、ひとりひとりの存在の大切さ、いつもひとり
    ではないこと、想い、夢などなど淡々とやさしく
    お話してくれました。
    (もっといろいろ教わったんだけど忘れた〜)

    そして神人さんの想いを綴った自作の素敵な唄が間に
    入ります。
    神人さんはギターを弾かされながら熱唱させられて
    いるように見えました。
    ときどき太鼓や鈴がそれを後押しします。
    神人さんの歌声で空間がクリアーになる感じがして
    不思議でした。

    神人さんはギターがとても上手いです。
    私がヘタなのでよくわかるんです。
    楽器って音に弾く人の思いが重なって響いてくる感じ
    がします。
    あるときはゆっくりと静かにやさしく、又あるときは
    リズミカルに力強く激しく。
    まるで海のようでした。

    しっとりとしたアルペジオの曲や、沖縄調の曲、
    そしてお祭りの曲などもあって、一緒にハイ〜ハイ〜
    などとかけ声をかけたり、踊ったりもしました。
    歌わされて踊らされているうちに、だんだんスイッチ
    が入ってしまうんですね。
    ノリノリで踊っている自分にびっくりしました。

    おかげさまで、次の日全身の筋肉が喜んでいる感じが
    しました。
    心身ともに後味もとても心地のイイ不思議なライブでした。

    そういえば私は前半の最後から二番目の曲の終わり方
    がなんか違う感じがしたので、違うなーと思ったのでした。
    そしたら次の最後の曲で私の思った通りの終わり方をした
    のには驚きました。

    この説明では意味わからないですよね。
    どういうことかというと、
    ギターの弦を静かに流れるようにぼろろろろーーんと
    弾いて終わるよりも、四本の弦を軽く一緒にピンと弾く
    ようにクッキリと終わってほしいと感じたんです。
    そしたら最後の曲がその通りに終わったんです。
    いやーびっくりでした。
    神人さんに私の思いが通じたような気がして嬉しかった
    んです。
    そんなわけないと思いますけどね。

    あ、そして最後の全員総立ち踊りのときの大久保先生の
    太鼓がとても素晴らしかったです。

    あと神人さんがみんなに教えてくれた踊りがありました。
    このときの手の動きには感動しました。
    手の動きにちゃーんと意味があったんです。
    手の表現に天地人への想いが含まれていたんですね。
    知らなかった。脱帽でした。

    神とは。
    感謝とは。

    祭りごとを大切にしなさい。
    私の大好きな水戸黄門じいちゃんもよくそう言います。
    祭りとか踊りとか舞って、天地人の調和を目的に伝承され
    てきたみんなの宝物なのかも知れないなー。
    私は帰りにファミレスでビールをいただきながらそう思い
    ました。

    興味のある人は一度神人さんのライブをご堪能あれ。
    http://homepage2.nifty.com/kamihito/

    ここで一句。

    心身(こころみ)の 祭り楽しみ 味わいて
    踊りて芽吹き 花と咲くなり

    地の球の 皮膚で喜び 心地よく
    舞い踊る花 神の人かな
      
    なんちゃって〜。(^^)
    失礼しました。

    今昭宏

  •  未来

    お疲れ様です。
    今日で今回のブログも最後になりました。
    どうぞあと少しお付き合い下さい。

    今日は下の甥っ子の初節句のお祝いでした。
    元気に育っているのを見て、なんとも言えない嬉しさを感じたひと時でした。

    実は私、その昔、子供が苦手でした。
    それがなぜか今は身内内外、時代国籍問わず、すっかりチビちゃん達が
    大切な大切な存在になってしまいました。

    以前三浦先生が問われた「自分にとっての未来」、
    甲斐田さんと少しかぶってしまうけど、私が今考える未来は
    『繋ぐこと、伝えること』。

    今日はとても綺麗な空でした。
    こんな綺麗な空を見たとき、わたしの大切な子供たちが大人になった時にも
    同じようにこの綺麗な空を見せてあげたいなと思います。
    わたしがそう思うように、またその子供たちもきっと自分の子供達に同じように
    思うでしょう。
    だからその時までこの綺麗な空を残してあげたいと思うのです。

    綺麗なこころ、こと、エネルギーに触れた時も同じように思います。

    繋ぎ伝えてくれた人がいるから私も今こうしている。
    良いことも悪いこともあるが、生きているからこそ。

    今生きているということは生かされているということ。

    この子達の未来はどうなるか分からないが、その喜びを知り、また次の
    子達に伝えていって欲しいなと思う。

    だから私は操体を学び続けていく。

    子供達は未来、私たちの希望なのだ。

    この一週間思いつくままに書いたブログでしたが、自分でも思いもよらない
    ものが出てきたり、静かな驚きを覚えています。

    みなさんと向き合うこの時間、とってもとっても温かい時間を過ごすことが
    できました。

    一週間ありがとうございました。

    明日からはまだまだ「今先生にバトンタッチです!」というのがモジモジ緊張してしまう小代田から、
    「仙台の貴公子」今先生です!よろしくお願いします。

    ではでは!みなさん、また次回☆

    小代田 綾

  •  格闘報告

    こんばんは、今日も一日お疲れ様でした。
    もうGWに入っている方も多いようですが、皆さんはいかがお過ごしですか。

    さて、今回のブログもあと2日になりました。
    終わりに近づくとなんだかあっという間です。

    先日のフォーラムでは「からだの使い方・動かし方」について横森さんがとても良い
    お話をして下さいました。臨床に生かせるヒントもいっぱいでしたよね。

    毎回色々なヒントを頂きながら、ひよっこ臨床家は今日も患者さんと一緒に操体道を探求中。
    まだまだクールに臨床を・・・と行かない私は今日も患者さんと格闘です。

    知らない間に腰椎を圧迫骨折していた患者さん。
    これまでもリハビリを頑張りすぎて立てなくなった前科が数回有り。

    「うっ、あやちゃんちょっと待ってよ・・・いたたたたぁ〜(歯をくいしばって〜)、う〜ん」
    「あっ、お父さん、そんなに力まないで!ほらほらそういう時は目線から起きてみてって
     一緒にやったじゃないですか〜」「はい、そうそう目線から〜」
    「う〜ん、う〜、んっ?・・・おっ、あやちゃん良いみたい、楽に起きれそうだ」
    「そうですよ〜その調子、お父さん、目線目線っ!今度は行く方向と逆の目を利かせてみて〜、
    こっちの方がより楽じゃないですか〜」
    「うんうん、楽だよ〜」。

    「お父さん、また何か無理したんじゃないですか?好きだからって欲張りはいけませんよ!」
    「でもあやちゃん、そんなこと言っても楽しいしついやっちゃうんだよな〜。これ以上がダメ
    っていうのが自分では分かんないんだよな〜」
    「お父さんっ、からだに聞き分けて」
    「そのからだに聞き分けてってのが、まだよく分からないだよな〜」
    「もうっ、だからですね・・・!」

    2人であ〜だこ〜だと大騒ぎです。

    でもお父さんはすぐ忘れてしまい、次に行く時はまた歯をくいしばって、目をギュッとつぶって、
    今日もプルプルと自分のからだと格闘してます。

    叱咤激励したり、2人で動いたり、いたたたぁ〜、ふ〜、うぅっ、ニコニコ・・・。
    そしてまた2人であ〜だこ〜だ。

    「重心移動の法則」。
    言葉にするととてもシンプルなのですが、からだの使い方は本当に奥深く、
    それをからだに通せば通すほど次々学びや興味が湧いてきます。

    自分の固定観念を取り払ってみると、活用の場は無限大に広がり、学びの場も
    無限大に広がります。

    最近そんなことを思い、ひとり「ありがたいなぁ」と思うのでした。

    ではでは、今日はこの辺で☆
    おやすみなさい。

    小代田 綾

  • 香り

    こんばんは、小代田です。
    今日も良いお天気でしたね。あちらこちらで鯉のぼりが気持ち良さそうに泳いでいました。
    見ているこちらも気持ちが良い。
    先日鯉のぼりが大好きな甥っ子に「鯉のぼりの歌」をフルコーラス、全身で表現したら
    ダメだしされてしまいました・・・さてとっ!

    昨日少し触れましたが、我が家は今花ざかりです。
    花が大好きな母は春になり、自分自身もますます花ざかりになり、
    気が付くと庭に新しい花が次々咲いています。

    夜疲れて帰ると「ふわぁ」とどこからともなく良い香りが漂ってきます。
    その瞬間自分の顔とからだが固まっていたことに気づきます。
    一瞬にしてそれがほどけ、自然に笑顔になります「今日もありがとう」。

    花と香りが大好きな母の影響もあり、私は以前アロマの勉強に通いました。
    先生は漢方の勉強もされている薬剤師の先生です。
    夜の生徒は私1人。
    漢方とアロマ、物理の話、精油と歴史との関係など、
    夜の薬局で毎回話はどこまでもふくらみ、楽しい学びの時間を過ごしました。

    この間先生と久しぶりにあった時の話。

    フランキンセンスという精油があるのですが、皆さんがアロマや精油という言葉
    からイメージするフローラルな花の香りとはかけ離れた、ウッディーでスパイシーな香りで
    あまり好きでないという方も私のまわりでは多くいらっしゃいます。
    華やかというより、静かで地味〜な若さとはかけ離れた香りです。
    で、このフランキンセンス
    「イエス誕生の贈り物として捧げられ、古代エジプトでは化粧品や医薬品としても使われた。
    ミイラの防腐剤としても用いられたと言われている。さまざまな古代文明の祭壇や寺院で
    焚かれ、今も教会ではこの香りを薫らせている」
    という精油なのですが、なぜか私と先生はこの香りが好きで、とても落ち着くのです。

    そしてその香りについて先日また2人で同じことを言っていることに気づきました。

    「何だか懐かしいね」。

    以前勉強に通っていた時もどちらともなく同じ言葉。
    「遠い昔、どこかで一緒だったのかもね」先生と2人、そんなたわいない言葉をまた交わした。

    皮膚が覚えている魂の記憶というものがあるのなら、
    もしかしたら香りが覚えてる記憶もあるのかもしれない。

    操体と香りって結びつかないかな?
    たまにそんなことを考える。

    香りって大脳辺縁系だし、快だし☆

    さて、今日もそろそろ・・・。
    明日は香りを全身で表現してみようかな。
    そんな妄想と共に今日はおやすみなさい。
    ではでは。

    小代田 綾

  • 感じる肌

    こんばんは、小代田です。
    今日の静岡はお天気も良く、緑がとても綺麗な一日でした。
    家のまわりではそろそろ蛙が鳴き始め、空気や土の香りが早々と
    夏の気配を感じさせます。
    この独特の香りや風は、わたしのとても好きなもののひとつです。

    今日とっても久しぶりにジーパンをはきました。
    気持ち良かった。
    ほんの数年前まで毎日のようにはいていたジーパンですが、最近はすっかり
    遠ざかってしまっていました。
    はくのに何だかちょっと緊張してしまいました。

    最近ナイロンのインナーや洋服が増えましたね。
    シワも出来にくく、洗濯も楽で型崩れもしにくい。
    これはこれで良し。
    でも、この季節になると肌がナチュラルな素材感を欲しがります。
    わたしはコットンはもちろんですが、麻と絹がとても好きです。
    着ると肌に触れた感触がなんとも気持ち良く、肌と服の間を通る風が
    とても自由な感じがして、わたしを心地よくしてくれます。
    自分が自然の一部になったような気にさせてくれる大好きな素材です。

    先日久しぶりに解剖学の教科書を開いてみました。
    そこには人の体は、約60兆の細胞でできており・・・その形、大きさは変化に富み、
    小さいものは直径4〜8μm(マイクロメータ)・・・多くのものは直径10〜30μmの範囲に
    含まれる。μmは1/1000mmに相当するとありました。

    ほんの1つの細胞すら私達が肉眼で確認出来ないくらい、とてもとても小さな小さなもの。
    このパソコンを打つ指先の1㎜の空間にさえ、考えられないくらいとても多くの
    細胞が私のからだをつくってくれている。
    そうかんがえると私たちが何気なく口にする「細胞」、その大きさや存在を考えると、
    もしかしたら「触れる」「触る」というものはとてもとても大切なものなのかもしれない。
    肌に触れる布のように。

    私達は何気なく肌に触れる。
    やさしく触れたつもりでも彼女彼らにはもしかしたら違うかもしれない。
    風は私たちの肌の上をすり抜けていく。
    その感触はとても優しいが、充分その存在を教えてくれる。

    私たちの肌への触れ方もそれで十分なのかもしれない。
    風のように軽く軽く、そして太陽の光みたくジワリジワリ。

    肌は十分感じてくれる。
    そしてその方が私たちのメッセージを喜んで受け取ってくれそうだ。

    そんなことを考えながら、少し嬉しくなった一日でした。

    ではでは今日はこの辺で。
    場所は違えども同じ三日月の下にいるであろう皆さんを思って☆

    小代田 綾