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  • 呼吸のリズム

     心と呼吸とは、非常に深く関係づけられている。
     怒っている時には、呼吸のリズムはいつもと違っている。性的に刺激されている時も呼吸のリズムは異なる。沈黙している時も、幸福な時も、悲しんでいる時も呼吸のリズムは異なる。呼吸は、心の気分とともに変化しつづける。そして、逆もまた同様にあてはまる。呼吸が変化する時には、心の気分も変化し、呼吸が止まる時には、心も止まる。
     息というのは非常に抑制的に使えるものである。というのも息が律動するごとに、ある特定の気分が心に湧き上がってくるが、他の気分が消え去ったわけではない。ただ、隠れただけである。
    怒りたければ、怒りが生じるようなリズムで呼吸をすれば怒りがやってくる。俳優はそれをやっていて、怒りを表現したい時には呼吸のリズムを変えるのである。その呼吸のリズムは、ちょうど怒っている時と同じにしなければならない。呼吸のリズムを速めることによって怒りを感じ始めるのであって心の中にある怒りの部分が出てくるのである。
     また、呼吸のリズムは心の中のどんなものでも抑圧するために使うことができる。心の中のものは何でも抑えつけられる。たとえば、自分にくつろいでいる人は、同じリズムの呼吸を続けることができる。このように、呼吸リズムを標識として用いることができる。しかし、その呼吸リズムは決して心のせいでは変わらない。呼吸から変わるのはよくない、不自然である。変化はまず、心から生じるのが自然である。つまり、まず、心が変わり、その結果として息が変わるのである。
     タントラというのをご存知であろうか? タントラとは、インド密教のことである。タントラでは実に多くの呼吸リズムを秘儀として使っており、SEXすらも瞑想として許している。が、タントラが許すのはSEXの際に呼吸が一定である時だけである。さもなければ許しはしない。もし、心が巻き込まれたなら、呼吸のリズムは同じままではいられない。またもし、呼吸のリズムが同じままなら、心は少しも巻き込まれることはない。SEXのような深い生物的なものにさえ心が巻き込まれないとしたら、ほかのどんなものにでも巻き込まれることはない。と、タントラは教える。

  • 息を吐く

     吐息とは、仏道用語である。普通「呼息」というのを吐息と表現するのは「吐」は嘔吐の文字が示しているように邪物を吐くという意味がある。息を吐くと、全身の筋肉が一気にゆるむ。筋肉に付着している凝りが吐き出される。病気の素因は、筋肉の凝りにあるから、それが吐息によって消えていくとすれば、毒という邪物を吐き出したと見做してもいいのではないだろうか。心の状態と呼吸の形とは、まったく同じだから筋肉がゆるめば、必ず心がくつろぐものである。
     息を吸うのはやや難しいが、吐くのはやさしい。そのやさしい吐く息に乗じて十分に吐くと、凝っている筋肉がゆるむ。筋肉がゆるむと、心の過剰緊張がとれる。吐息はやさしいながらもからだと心の両方にわたって、すばらしい効果を出すことができる。
     頸が緊張し続けると、あくびが出る。肩が緊張し続けると、ため息が出る。昼間緊張し続けると、いびきが出る。これらはみな吐息の変形であり、自然は常に過剰緊張を緩和して健康を護ろうとして余念がない。
     動物は笑わないが、人間だけが笑うことを覚えたのは、人間は緊張しすぎるから笑うことによって、全身をくつろがせるわけである。母音の「ア」音が最高に横隔膜を動かして肺活力をつくるからア音で笑うことを勧める。ただし、ひとりで笑っていると頭にきていると思われてもいけないから場所を考えられたい。
     また、歌うのも、お経をあげるのも、気合いをかけるのも、みな吐息の恩恵にあやかれる。仕事をしている時、運転している時、便所にいる時、時を選ばず、所を嫌わず、深い吐息をすることで積りやすい生活の凝りが刻々に解消することを請け合う。

  • 腹で息をする

     人間は立って歩くので腹部に血が滞りやすいが、動物は横に歩くからこの心配はない。そして、人間は頭も使うから重心が上に上がり、本来的に行われている腹式呼吸が肩式呼吸に変わってしまう。そうすると腹部に血が集まり過ぎた結果、その血が渋滞して流れないと、血液が腐敗しはじめて腹がまず犠牲者になる。あらゆる胃や腹の病気は、これが主因である。特に、腸は最も腐りやすいので腐敗は腸から始まる。
     「転がっている石は苔つかず」とか「流れている水は腐らず」とか「どんな汚物でも三尺流れればきれいになる」と昔の人は教えてくれている。腐った血液であっても流れの軌道に乗りさえすれば、新鮮さを取り戻すことができる。伝染病の毒菌でも、流れている血液の中では、繁殖できない。恐れなければならないのは伝染病菌ではなく、血液の淀みである。
     ここに腹式呼吸の必須性がある。吸うときに下腹部を突き出すようにして、吐く時には下腹部を背中の方に引き締め、ヘソが背中にくっつかんばかりになるのである。特に注意しなければならないのは、吐くときに肛門を必ず引き締めなければ、効果は激減するばかりか、痔になったりする。下腹を引き締めて腸の血を追い出しても、肛門を強く引き締めておかないと、そこへ濁血が追い詰められて痔になるのである。
     人間は直立歩行するので肛門は胴の最下部にくるが、動物の肛門はむしろ胴の上部に位置している。この絶対の相違を無視できない。肛門が緩んでいると痔や便秘だけではなく、胃腸疾患や脳血管の諸症状まで引き起こすことにもなる。
     吐く時に下腹部を背中の方に引き締めるのは、横隔膜を上げ、吸うときに腹を突き出すというのは、横隔膜を下げるためである。呼吸は胸部と横隔膜との二つの働きであり、胸郭を拡げただけでは意味がない。努めて横隔膜を圧し下げるように工夫することが必要である。これは腹式呼吸が酸素吸収にも役立っており、血循をよくすると同時に血質もよくなるので、この腹式呼吸だけで多くの疾患に効果がある。
     人間は頭をよく使うが、その頭脳と腸とは直結しており、腸の内出血が右側に起こると、脳の右側に内出血が現れるのである。腸患部と脳患部とは対照していることから、右半身不随の患者は、反対側の左脳の内出血からきているので、必ず左腸にも疾患がある。腸が悪くなると、頭が悪くなるというのはこれである。文明が進むと人間は頭脳を使うがために、腹にあるべき重心が肩にまで昇っていくことになる。それゆえ、現代人は意識して重心を降ろすように心掛けないと心身不安定に陥ることになってしまう。肩に重心が上がれば、怒りたくなくても怒るようになり、心配したくなくても心配するのである。習慣として日頃の腹式呼吸にしたいものである。

  • 息を止める

     呼吸を一時とめるのを「クンバカ」とヨーガでは云う。人は一日のうちで何度も無意識的に止息をしている。物を注意して見ようとするときは、誰でも自然に息を止めるのは、注意力が高まるからである。重いものを持ち上げるときも息を止めるのは、筋力が強まるからである。俳優は、ここ一番というときに息を止めて演技力をつくる。それを「つめる」と云っている。相撲もここぞというときに息を止めて、金剛力を出している。それを「おし」と言い馴らしている。

     この止息というものを訓練することによって健康度が高まる。吸息によって十分肺が膨らんだ時に止めると、肺胞七億が一斉に脹らんだままになる。畏縮しがちな肺胞が、これによって十分拡張することを覚えるので、肺活量が増し、酸素の吸収力が上がってくる。
     特に、高血圧、心臓、癌、神経痛といった疾患は、決まって酸素欠乏症といえるので、止息の訓練によって肺活量を高めると、必ず好転するものである。
     酸素が乏しくなってくると、からだよりも先に脳がやられる。大脳がやられて思考力が鈍ってくると、間脳以下の自律神経が侵されて血循が止まる。これが難病といわれるものの素因である。脳はからだと比較してはるかに小さいが、恐ろしい酸素消費者である。酸素は脳の食物であるが、同量の筋肉の十倍も要求してくる。

     止息は酸素の吸収力を高めるというのは肉体に関してではあるが、精神力発揚のためにも偉大な貢献をしている。脳に酸素が満たされると、注意力が高まるので今までわからなかったことが忽然とわかるようになってくる。注意力は決断力をつくり、意志力は忍耐力をつくる。いわば実行力の人をつくる、とヨーガで教える。

     重いものを持ち上げようとして、ギックリ腰になったというが、重いからではなく、止息が足らなかったのである。腰を十分に後方に引き、腹に力をこめ、相撲の「おし」の要領で持ち上げることである。

    日下和夫

  • 長い息

     今回は息にこだわってみたい。

     呼吸の目的はまず、酸素を吸収することである。というのも、あらゆる癌の病気は、酸素の欠乏からくる。心臓の悪いのも、血圧の高いのも、神経痛一般の筋肉の痛みも素因は酸素の欠乏であると医療では云う。
     医学は学問であり、精密を要するので分科的研究を必要とするが、医療は学問ではないので、現実に苦しんでいる患者を救うのだとヨーガで教わった。
     そして、自然は酸素のほかに窒素など幾十の元素を配合して人間に最もよい「空気」がつくられている。肺は気管からだんだん枝分かれて、ついに七億を超える肺胞に至る。そこまで空気が達しなければ、汚れた静脈血を清めていくことはできない。極めて細い七億の肺胞にまで、空気を十分に到達させるには当然にかなりの時間がかかることになる。
     細胞生理学によると一つ一つの細胞は皆、独立の人格をもち、感情を具えているという。これら全肺胞本来の願いは、一呼吸ごとに、全同胞が平等に空気を配給されることである。これには長い呼吸が必要であり、速くても浅くてもいけないのである。七億に万遍なく新鮮な空気を配るためには、是が非でも深い長息が必要となる。長息が長生きに通ずるのは、単純な生理学からだけではない。七億の肺胞たちが、こぞって掌を合せ、「この人のためなら、一致協力して尽くそう」という歓びがあがるからである。
     呼吸の形は心の形である。長い静かな呼吸をすれば心が穏やかになる。心を心で支配するのは難しいが、呼吸と心の法則に従って良い呼吸をすれば、いとも容易に心を支配できるものであると、習った記憶がある。

     眼に見えるノイロンのような原形質のからだと、眼に見えない電気性の波動をもつインパルスの心とをつなぎ、または仲介の役目をしているのが神経である。その神経系に強い影響力をもっているのが呼吸であることは疑いようのない事実だ。 からだと心の相互交渉の原理から云うと、からだの病気と心の病気のどちらか一方だけを治そうとする療法はものの道理に合わないことになる。肉体だけを考えてからだを治そうとすると、心の悪条件によって妨害されることになる。心の改造だけでからだの病気を治そうとすると、通常の人間の意識の働きには、神経を通じて肉体に届くほどの力はない。少なくとも通常人の場合は、心とからだの両面から改めてゆかないと、こころの病も、からだの病も、容易に治すことはできない。ここに、心とからだの両方に働きかけることのできる呼吸の重要性がある。

  • ”公人”として生きる意味とは・・忘己利他・・

    わたし自身の心と共に、臨床も変化し続けております。
    ブログ担当日最後にも、正直な気持ちを書かせて頂いて宜しいでしょうか?

    以前からよく患者さんに聞かれます。
    「OO痛なんですけど、OO治療で効果ありますか?」
    「病院でOO病って言われたですけど、OO治療で治りますか?」
    「どうせOOだからあきらめているけど、少しは良くなるんですか?」

    またこんな質問?もあります。
    「以前OO治療をやってもらったけど、私にはOO治療って効かなかったのよ」
    「私のOO病には、OO治療とOO治療ってどっちが良いのかしら?」

    そうかと言えばこんなお話も聞きます。
    「OOってOOに効いて良いらしいですね、私もやってみようかな」
    「あの先生にかかれば、すぐにOOを治してくれるから上手なのよ」
    「OO治療で治してもらったOO痛は、前回すぐに治ったからまたやって下さいよ」
    「今週のOO日までに間に合うように、OOを治してくれますか」

    このようなお話しを聞くたびに、やりきれない気持ちが大きくなります。
    どうしても自分自身に葛藤がありました。

    この問いかけにどう答えていくのか?
    自分の欲を通したくなってしまう自分がいるのです。
    答えれば答えるほど、自分自身の本来やりたいことと離れていくのです。

    臨床とは己との対峙にあるのではないだろうか・・・。

    欲と無我の境は一体どこにあるのだろう?
    からだの要求と効果は必ず両立できるはずなのに・・・こんなはずじゃないのに・・・。

    それに対しての答えを追求する日々がありました。
    感謝してもらっているのに、気づいたらどこかをすり減らす日々になっているのです。

    「病気の目的が見えなければ、それを治しても意味がないことがある」
                      =クリストファームーン=

    増永静人先生の言葉に、

    「(指圧の効果は)する人がどれだけ無我になれるかにかかっている。
    私たちは指圧をすることで、自分が無我の境地を得る修行をしている。
    指圧をすること=無意識の領域に働きかけるのだから、する人も我を捨てる。
    病気が治るのは、病人の我が無くなって、
    身体に任せる、自然治癒力を信頼するようになるからだ」
    とあります。

    野口晴哉先生の言葉に、

    「自らが健康の原理に生きてハツラツとしていれば、相手は自ら従ってくる。
    口先、手先の技術で 人を導くつもりのうちは、
    ただ独り気張っているだけで終わるものである。」
    とあります。

    橋本敬三先生の言葉に、
    操体で治るからネ ただ急がないでネ
    一ぺんでは治らないけれど 治る理由があるのだからネ
    信じてやること まあやってみなさい 
    ただ力んでやっては 駄目だよ」

    ありがたい先人の教えに共通していること。
    「治療なんか下の下だ」という信念があります。

    そうなんですよね!、山の登り方が一つではないように、
    てっぺんから見れば、それほど大きな差はないのでしょう。

    一体どのようなルートを取れば、僕が僕らしくいられるのか?
    それは、自分がやっていることを好きになること。
    やりたいことをやっていること。
    やらなければならないものを好きになること。

    答えはいつも自分自身への問いかけにあったのです。

    もう少し温故知新を学ばせて頂きながら、コツコツ歩んでいきます。
    いつもどこかで、いつも見ていてくれるのです。
    最近の習慣にしていますが、天に感謝の気持ちを捧げてから自宅へと帰ります。
    ありがとうございます。お陰様で、自分らしくユックリ歩んでいますヨ・・と。

    まだまだ道半ば、食に関しても、動に関しても、自然法則を学び続けたい!
    あなたと共に、僕が、ここに在る理由を知りたいから・・・。

    その中の一つ、”食”についてチョットだけ・・・、
    動物はみんな知っているのに、人間だけが忘れている事がある。
    本来あるべき自然な姿、野生動物から学ぶべき点は、とても多いのです。

    飼われている動物は、人間にとって魅力的な特徴(色・形・気質など)を選んで繁殖させられてきた。
    自らが健康を維持する為に必要な能力、ここに注意を払われることはなかったように思う。

    ペットや家畜は、人間と共にライフスタイルを共にした結果、
    産業社会が生み出した、大量生産・加工された食品によって与えられた餌を食べている。

    果たしてアレルギーや肥満に始まる動物にも生じている病気が、
    一体何を失っているのか?という問いに答えていく必要があるのではないだろうか。

    利益は生みませんが、なにが本物なのか、を知る。
    それこそ現代における、重要研究テーマであって欲しいのです。

    それでは、一週間ありがとうございました。
    リレーのバトンを、僕と同じ三人の子供がいて、
    可愛らしい双子ちゃんの優しいパパでもあるナイスガイ、甲斐田実行委員にお渡しいたします。
    よろしくお願いいたします。

    @今日の一言!
     「健康はじつに貴重なものである。
    これこそほんとうに、人がその追求のために単に時間ばかりでなく、
    汗や労力や財宝をも、生命さえも費やすに価する、唯一のものである」
    =モンテニュー=

    岡村郁生

  • 安心感と気持ちの良さ

    週末はお花見を予定されている方も多いのではないでしょうか?

    お花を愛でる喜びを知り、命あるものの美しさと健気さを知り、一時足りとて同じ瞬間はないという儚さと、

    だからこそ生じる、大いなる希望を味わいたいですネ。

    私たちが生まれた国、ニッポン。

    日本人として生まれたことには大きな理由があるんです。

    橋本敬三先生も、日本という国は地形的にも恵まれた良い場所にあるんだよ。

    色々と良いものが、自然にとってもたくさん集まって吹き溜る。

    だから日本人は世界に恩返ししなければならないよネ。とおっしゃっています。

    現在、北朝鮮が日本海に向かって準備しているミサイル、目的として中身に何を入れるのか?

    多くの声を聞き入れるでもなく、実験は計画されて実行されるようです。

    主要六カ国の強力な団結力、全体につながる力の方向性は、

    核兵器の廃絶に向かう為にも、抑制・減少から団結して欲しい!

    長距離弾道ミサイルが、人工衛星であるのでしょうか?そんなはずがありません。

    核兵器の減少から始める廃絶への道のりは遠くもあり、近くもある。

    操体を通して学ばせて頂いて理解していくこと。何に生かしていくのがここにもつながります。

    更に橋本先生は、

    「自然法則の応用貢献の中に、自由がある。真の幸せへとつながる道がある」

    と、お話しされていました。

    快の方向性をいろいろなものに生かす。それが私たちの希望です。

    何かその理想、希望に対して、実現が困難なように思えたときに、

    ・・う〜んそれは、”難しい”ンじゃないの・・いや、”難しい”ナア・・という言葉に対して、

    これは否定的な言葉だから、使わない。出来る限り使わない。

    否定的な言葉は自分自身の”からだ”を傷つけてしまうのです。

    そんな私に、三浦理事長は分かり易く伝えてくれます。

    「業、欲、執着、に対しては、薄めていけば良いんだから、気がついたら薄めていけば良いんだ」

    もう本当に操体を学んでいると、つながりますよね。

    (私の頭は〜パイルダ〜オ〜ン!!という感じです)

    その昔、伝説のバラエティー番組で懺悔して審判を仰ぎ、

    「迷える子羊よ、入りなさい・・・」という台詞の後で、

    その結果でバッシャ〜ンと水を掛けられてしまうというのがありましたが覚えていますか?

    そんなわけで(なんとも強引なつなげ方ですね)

    この世の中に生を受けて、人間活動をしていれば、不自然なこともある程度はやむを得ないです。(やたらに多いのはマズイですけど)

    ですから、道に迷いそうになっても、戻って来ることができる。

    と言うことがとても重要になってくるわけです。

    灯台が、暗い海に浮かぶ船に安心感を与えているように、

    航路を示す”北極星”が変化せず、その場所で輝き続けるように・・・。

    操体”という自然法則の応用貢献を成す為の大きな支柱があります。

    コツコツ学び続けることでしかたどり着けない場所があって、

    その場所で輝き続けるように、

    その道が照らしてくれる光の中へ浸っていられるように。

    ”快適感覚”、”快の方向性”を感じ、味わうことで、還ってくることができますしネ。

    例えば、(症状疾患は問いませんが)ギックリ腰の治療一つとっても、

    ”からだ”は勿論、般若身経を通して、患者さん自身も学べるモノが多いので、これで間に合うことが出来て助かります。

    かならず楽になるというのは、やはり理に適うからですネ。

    平和といえば、我が東京操体フォーラムの”和”が、平直行相談役です!

    今回も魅力的なテーマ、「発声と発生、武術からの動き」を用意して下さいました。

    しかもフォーラムでの濃い質問に答えてくれる、ナイトセミナーが懇親会です。

    渾身で、懇親会の司会もお願いしてありますから、懇親会も是非参加して下さいね。

    サア皆様、春のフォーラムで、是非お会いしましょうね〜。

    それでは素敵な週末を!ありがとうございました。

    @今日の一言

    「事の成敗は、必ず小から生ず。」

                =准南子=

    岡村郁生

  • 愛と青春の旅立ち

    1980年代にヒットした映画のタイトルのようですが、この話はノンフィクションです。

    操体法を本格的に学ぶということは、色々なことが関係してくるのです。

    それは操体を、どのように捉えているのか?に尽きるのです。
    例えば、
    操体に関する本を読んで知っています。」
    という方に対してですが、
    操体は実践することで、自らのからだと向かい合い、不自然なことが削ぎ落とされてくる過程にその妙味があります。
    ですから、

    ・読んだだけで“頭の知識”として知っている。
    ・“耳学問として”充分に知っていても、角度を変えると薄い。
    ・何となくわかったことで満足してしまう。

    ・・・等によって、大きく誤解されてしまうのです。
    試しに個々に一つの問いかけをしてみましょうか。

    ① からだの動きとは、いくつあるのでしょうか?
    ② 快と楽の感覚はどう違いますか?
    ③ 自分自身で管理しなくてはいけない営みとは何ですか?
    ④ 体を動かすことと、からだ本来のうごきを通す違いは?
    ⑤ 形態の変化と、機能異常を結び付ける鍵とは?
    ⑥ 関節可動域・骨格筋力・軟部組織の緊張変化・感覚変化
         この中でチェックすべき項目のうち、“動診”で判別するのは?
    ⑦ 全身でうごく場合に、特に重要な部位はどこですか?
    ⑧ からだが歪んでいる、これは不自然ですか?

    こんな事を考えながら自問自答していますと、
    一番はじめに操体法の本を読んで、“理解した”ような気がした自分自身に伝えてあげたい言葉があります。
    「アノネ、解ったつもりになってしまうことが間違いの始まりなんだよ」って。私事ですが、
    現在の治療院を構えて十年を過ぎ、現在の操体に対する恩返しとして、何か行っておきたいと考えていたところ、
    東京操体フォーラムの同志、草階理事からの吉報がありました。
    それは、地域公民館で市が主催する操体法教室を茅ヶ崎で行う事になったので、アシスタントとして手伝ってみませんか?というお誘いでしたから驚きです。
    これは丁度良いお話しですから!と、喜んで引き受けさせてもらいました。

    全三回「始めよう!操体生活」と、職員の方が名付けて地域の回覧板に回したところ、受け付け開始時間からアッという間の定員オーバーを出してしまう大盛況ぶりで、キャンセル待ちまで出るほどです。

    草階理事は操体臨床を営むと同時に、有名なカルチャーセンターで講師歴も長く、操体の著書も刊行しているような活動的な臨床家です。
    (余談ですが東京操体フォーラム実行委員は、個性的な方々が多いのです。)
    私自身学ばせて頂くことが非常に多く、全三回を通して操体の持っている間口の広さに驚くことが多かったのです。
    例えば、
    ・全身でからだを動かすのは“いつ・何時においても”可能。
    ・ご褒美(飴)と大事な指導(鞭)のバランスの取り方。
    ・指導者の自己満足・一方通行にならないための間の取り方・使い方。
    ・声を出すときに意識を使うこと、目線で声のバランスをとる使い方。
    ・からだを喜ばせることは勿論、参加者の頭を喜ばせる言葉の回し方。
    などです。

    操体を学ぶ姿勢に変化があって、
    このような経験をいくつか経て、わかる事があります。

    操体法の創始者、橋本敬三先生は、
    もともと“救い”が成り立っているんだよ・・と教えて下さいます。
    そして、“報い”との違いも教えて下さっていますよネ。

    「果報は寝て待て」と言います。
    自分自身が成してきたこと、行っていることに対してのご褒美ですよね。

    善いものを投げかけていれば、嬉しいものが必ず“自分に返ってくる”し、
    悪しきものを投げかけていれば、それなりのものが“自分自身に”返ってくる。

    「これは“心の法則”なんだよ」と、三浦理事長は伝えます。

    誰が言ったとか、本に書いてあったとか、映画で見た〜、
    そんなこと知っているよ・・。ッン?
    「ちょっと待った〜」(お〜っと懐かしい!ねるとん紅鯨団のようッ)

    先ほども挙げたように、
    頭の知識としてわかったことと、
    からだのエキスとして“実際に行い続けて”わかっていくこと。
    この結果は途方もなく差があります。
    (まさに、だ〜いどんでん返しッ懐かしい〜!わからない方ごめんなさい)

    わたし自身が、知識を思う人間でしたからとても違いがわかるのです、
    全く今もそうではない!とは言いきれません。

    しかし以前と変わっていく自分を、
    心から歓迎してくれる“何か”に大きく後押しさせてもらえるのです。

    智慧・・自然法則・・真理・・そんなものを感じさせてくれる“何か”
    が、我が身をもって確実に感じらるのです。
    目に見えずとも感じられる、不変の“愛”が在るんですね。

    頭で考えずに、心で感じよう。
    心で感じたものにウソはないから。

    そうです!皆様、その草階理事も春のフォーラムにて皆さんを、
    満を持してお待ちかねです。
    (さあ、振り込みなら二千円もお得で嬉しい・・ってしつこいですか?)

    今日はこのあたりで失礼します。
    エッタイトルが、落ちてないですか?(写真は、格好いい姿で青春していますでしょう?)
    それは、個人的に諦めてしまう前に信じていれば愛があるってことで・・。

    では皆様〜お元気でッ今日もありがとうございました。

    @今日の一言
    「他人を感動させようと思ったら まず自分が感動せねばなるまい」
                        =ミレー=

    岡村郁生

  • パロールって知っていますか?

    雪柳って近くで出会うと本当に綺麗ですね〜。
    真っ白の雪のように白い花が可憐です。低い位置なのでゆっくり観賞させてもらっています。

    さあ今日も張り切って参りましょう!(適度な張りで、頑張り過ぎないで下さいね)

    お待たせしました〜と、復調気味の?岡村が担当です。

    さて、学ぶことは、身につけたいという要求があってのものですよね。

    勿論、自由に学びあうことが許されているのですけれど、

    操体を学ぶということで言えば、理に適っているのか?という”気づき”は必要です。

    うわべでは立派に見えても、「足下を見る」、「足元を見られる」という慣用句があるように、

    その土台に、しっかりした揺るぎない安心感がある。というのは重要ではないでしょうか。

    私の場合ですと、従業員のいる事業主なんです・・・が、それは上辺だけであって、

    ”信念の基”に開業当初より手伝ってくれて、三人の子供を育てながら、応援してくれる家内がいます。

    治療院、接骨院を一緒に盛り上げてくれる優しいスタッフ、誠意を持ち、頼り甲斐のあるスタッフに支えてもらいつつ、

    二十代の若造であった私を温かく見守って下さり、大事な”からだ”を通じて患者さんに教えて頂きながら、

    操体を学ばせて頂いていることは間違いありません。(お陰様で私の”環境”は本当に恵まれております)

    私は幸福にして、ご縁もあり、”信念の基”を頂いて感謝しています。本当に嬉しいのです。

    何にでも通じていると思うのですが、

    土台こそしっかりしていなければ、立派に見えても”外面”だけであって、意外と脆いのです。

    そして大いなる学び場の一つとして、

    東京操体フォーラム実行委員一同、月に一回以上共に学場せて頂く機会があります。

    ある時、三浦理事長曰く”僕のモデル?”こと、山野実行委員(ベストプレイヤーと人は呼ぶ?)の提案がありました。

    「ラングとパロールとランガージュ」(これはフランス語です。正確な意味はともかく私自身はもうこれで十分?)

    簡単に説明すれば、

    操体を学び続けて、わかったこと全てを”説明言葉”にするのは難しいことも多いのです。

    三浦理事長(ラング)、今顧問、畠山常任理事、実行委員同志の理解したことを(パロール)、

    臨床に生かし、生活に生かし、操体を学んだことのない方にも理解できるように対外的、専門分野や、一般的関連性を、

    噛み砕いて解いていくような作業(ランガージュ)を、同志で行っていくのも大事なこと思われませんか?そうではないですか・・と。

    このとき、(”カッチーン”とスイッチが入りました!私・・埼玉人じゃないですけど)

    そして、今までもコツコツ」書き留めてきましたが、更に直に感じたことを日記に書いています。

    それをめくってみますと、おやおや〜・・。

    こんな感じです。

    ・生命そのものの定義
     
     「生命とはみずから秩序をつくり出す能力である」
                                     東大薬学部教授 清水博先生

    秩序を保つということは、エントロピーを減らすと言うことです。

    エントロピーを増大してしまう方向性に”イノチ”は向かない。

    ”イノチ”の方向性とは自然法則そのものに適っていると言うことですよネ。

    自然治癒力とは

     「秩序性の高い方向に自然に進んでいく生命という”場”のもつ特性のこと」

     「こうした考えに立つと、生命場に思いをやり、生命場を整えること、人間の全体を整えることには、人間の活動のすべてが関わってくるからです」

     「呼吸をすること、食べること、頭で考えること、動くこと、といった人間活動の基本が全部、
      その人の”場”を高めるか低めるかに関わってくるわけです」
                                               帯津三敬病院名誉院長帯津良一先生

    言わずもがなですが、

    操体において自己責任分担として、欠かせない息・食・動・想・環境は、同時相関相補性に通じているわけですから、

    ホリスティック医学の中においても同様であるところに、自然法則の学びがあります。(この言い方が気になる方は、逆に読んで下さいネ)

    *ホリスティック医学:生命の”場”を考える医学。
               ホリズム=全体論
               全体を考えることに意味があり、各部分の和だけではない全体論が基礎となっている。

    操体法とは、まず橋本敬三生の哲学思想の上に成り立っておりますし、

    それを通じて学ばせて頂くことで、本当の理・真理を通して僕を、生命をそのものを救ってくれるからです。

    私に、三浦先生が教えてくれましたが…

    「存在するものは、全て感覚と結びついているんだよ」…と。

    感じることが先!
    考えることは後!

    イヤ〜学ぶことって嬉しいからありがたいですね〜!

    嬉しいから学びたくなっているんですね〜つまり快につながっているのです。

    それは自在して、元々あるモノだから。

    そうです!春の東京操体フォーラムまで一ヶ月を切っています。

    皆様〜振り込みはお済みでしょうか?(振り込みならなんと!定額給付金と同様に嬉しい?二千円もお得〜!!)

    今日もお付き合いありがとうございました〜!明日もお元気でッ。(NHKの朝のニュースの男性がハッスルして?挨拶してくれるのが好き)

    @今日の一言!
           「千里の行は 足下にはじまる」
                           =老子
     

    岡村郁生

  • 主人公は私

    テクノラティプロフィール

    始めまして、黒子さんの兄弟で、ゥパコと申します。

    今日は治療院で同居してる方が寝坊しているので、代筆しますゥ。

    得意技は、周囲観察しながらの考察と水中浮揚=中性浮力と、カービーもビックリの吸い込みです(ゴックン!)

    ちなみに主人公って、禅語から来ているんですね〜(無門関より瑞巌寺の師彦和尚のこと)

    どうも和尚さんが毎日自分に向かい合って、主人公って声をかけて、「ハイ」とお返事をしていたところから、

    常に自分自身であれ。

    人に流されず、自分自身であれ。

    という意味の禅語らしいんですゥ。

    そういえば、周りを見ているとですね〜基本的に同居人てば、壁に張るのが大好きですゥ、

    ですから治療院でも私の部屋中は、文章やら、写真やらで一杯です(フィギュアとか・・・)。

    たまに仕事が終わっているのに帰らないでペタペタ貼ったりしてます(笑)

    なんだか滑稽ですゥ〜それをプカプカ浮きながら見てますゥ。

    それらを紹介しますゥ。色々あるんですけどね〜壁中ですから・・・。

    でも普通に紹介してもつまんないですから、誰が書いたのか?

    わからなくしてみますゥ。

    「花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根 根は見えないんだなあ」
     (終わりが特徴的な、あの有名な方ですね。)

    「人は仕事を辞めちゃだめだ 米国では金持ちになったらリタイアするけれど 
     俺には考えられないね 何が大事って 人生で1つのことをやり続けることだ」
      (あの、ちゃん付けで呼ばれる、赤の巨匠歌手ですね)

    「生きていける素質が 充分にあるから 生まれてきたんだ」
      (これはもう、同居人が言わなくて良いって・・皆様ご存じです)

    「大義を思え さすれば 眼前の小事に 浮かれることも 嘆くこともない」
      (これは時代的に福田理事が好きそうな・・もう少し前の時代かな)

    「絵でも 漫才でも 映画でも 自分が好きなことをやっている人間は
     例え貧乏でも 成功しなくても楽しい人生だろう そういう連中がうらやましい」
      (あの軍団率いる有名人です、ある県知事の師匠です)

    「身にならないような 恋や奉仕 献上を 身を投げ出してやってみると 
     今のような世の中でも 亀のようなスピードで 変っていくと思う」
      (同居人の昔から好きな、シンガーソングライターです)

    「すずと 小鳥と それからわたし みんな違ってみんないい」
      (抜粋ですゥ。すずは鈴、童謡や詩人として有名な方です)

    「わからないってことが 臨床だ」
      (これも同居人が言わなくて良いって)

    「足りないと 嘆けば足りず ありがたいと 笑えば足る」
      (同居人の趣味、自然回帰指向雑誌の編集長ですって)

    「我々はもっと迷うべきであり 常に自分を疑うべきである 
     その態度こそが 人間が人間である事の限界を克服できる 唯一の可能性である」
      (バクチュウOOダイのあの方です、深夜番組に出て欲しいですゥ)

    あれッもうこんな時間!今日はお食事の時間なので〜(パックン)このくらいで失礼しますゥ。

    明日は同居人もフィギュアの片付けが終わりそうですゥ!

    お付き合いありがとうございました。

    オッとそうでした!答えは・・えっとですね。その方の名前だけ記しますゥ。

    ・相田 みつを様 
    ・矢沢 永吉様
    ・橋本 敬三様
    ・石田 正継様
    ・北野 武様
    ・大江 千里様
    ・金子 みすず様
    ・三浦 寛様
    ・菅生 雅文様
    ・太田 光様   本当にご協力ありがとうございました

    *今日の一言!
     「湧くからに 流るるからに 春の水」 
                      =夏目漱石

    岡村郁生