仙台の病院に着くと叔母がベットで寝ていた。
意識はなかった。
大宮から妹も来ていた。
妹が小学生の頃にお母さんが亡くなった。
だから妹もいっぱい叔母さんにお世話になっている。
2人が揃った時間に、意識が無かったのに、叔母が急に目が醒めた。
少しお話して。
ベットの周りに来てるみんなを見て。
また眠った。
大丈夫そうだというので、その日の最終の新幹線で帰った。
翌朝電話が来た。
叔母が亡くなったと電話が来た。
そのまま再び仙台に向かった。
一度帰ってるから、全部お葬式とかに必要なものは用意して向かった。
意識が無くなって、みんなが揃った時間にみんなと会って。
そのまま眠って、一度家に帰る時間をみんなにくれて。
きちんと準備出来る様にしてくれたのかな。
叔母が意識が無くなる時間、僕と妹は2人とも叔母と会ってる。
その場にいない筈の叔母と2人とも会ってる。
大分経ってからそんな話をどちらからと言う訳でもなくした事がある。
「実は意識が無くなった時間に声が聞こえたんだよ。」
「たぶん、同じ時間に2人で聞いたんだ。」
お葬式が終って大分経ってから連絡があった。
叔母の銀行の担当の方に、叔母はこう伝えてくれてた。
叔母が亡くなったら、僕と妹にあげてください。
叔母の貯金だった。
操体を学ぶホンの少し前の時期だった。
僕はそのお金を操体を学ぶ時に使わせて頂いた。
柔整じゃなく、操体を学ぶ時に使わせて頂いた。
何かの意味があるかもしれない。
人は繋がってる、記憶の中でも繋がってる。
繋がってる叔母にも色んな事を聞かせてあげたいな。
生きてる者の役割は生きる事を楽しむ事。
こんな楽しい事があったよって聞かせてあげたいな。
そんな生き方をきっと笑いながら聞いてくれる。
叔母だけじゃない、お婆ちゃん、お母さん。
色んな方々、ご先祖様に感謝の気持ちを込めて、日々を楽しく生きたいな。
僕はそんな事を感じれるようになったんですよ。
色んな事を学んで日々楽しいのです。
仙台で生まれた操体っていうの凄いんですよ。
色んな事を学ばせて頂いて、感じさせてくれるんです。
僕は学べるのが楽しいんです。
ありがとうございますっていう言葉って凄いんですね。
良い言葉だって解かって来ましたよ。
ありがとうございますが素直に言える
そんな日々は最高に嬉しい日々なんですね。
ブログ
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叔母との思い出その2
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叔母との思い出その1
僕は仙台で19歳まで過ごした。
温古堂の前の道を自転車でいっぱい走っていた。
実は気が付いたのは数年前なんですが。(笑)
仙台の春は東京よりも一ヶ月くらい遅れてやって来る。
自転車で走るのは気持ちが良い。
もしかしたら、その頃、橋本先生や三浦先生と道ですれ違ってたかもしれない。
今先生や奥様になる、ミヨちゃんはそれからもっと後にあの辺にいたんだな。
そんな事を考えると面白くて、楽しい。
操体を学ぶ少し前に叔母が亡くなった。
その時に始めて温古堂を見た。
タクシーで向かう時間。
偶然信号で止まった時間。
ふと横を見ると温古堂が横にあった。
数えきれない程、自転車やバイクで通った道なのに気が付かなかった。
始めて気が付いた時間。
不思議な時間だった。
まだプロの若手だった僕は引退したらどうしようか。
悩んだ時間があった。
柔整に通おうかな、そんな事を考えた時期があった。
ジムの会長がある日、僕に聞いてきた。
「将来どうしたい。」
僕は柔整に通いたいって言った。
会長は知り合いの接骨院の院長を紹介してくれて。
偶に食事とかご馳走になって色んな事を一緒に考えてくれて。
色んなアドバイスを頂いていた。
その先生は区議会議員になった。
僕はプロとして大きくなって
いつの間にかプロに専念するようになっていた。
いつの間にか柔整の道は忘れていた。
小さな頃から可愛がってくれた叔母。
その頃にそんな事をお話したら。
こう言ってくれた。
「柔整の学校のお金はあたしが出してあげる。」
「だから安心して、今はプロで頑張りなさい。」
凄く不思議な安心した時間を僕はもう15年以上も前に叔母から戴いた。
小さな頃両親が二人とも働いていた。
朝早く仕事に出かける。
僕は朝早くからお婆ちゃんの家に行く。
お婆ちゃんの家は数件先にあった。
僕の家には風呂がなかった。
お婆ちゃんの家の風呂にいつも入っていた。
お婆ちゃんと、まだ若かった叔母さんは一緒に2人で住んでいた。
僕は叔母さんにいっぱい可愛がってもらっていた。 -
分科会に向けて楽しき日々
4月25日に行われる分科会。
実行委員みんながその日の為に日々精進しています。
僕は甲斐田実行委員と2人で発表させて頂く機会を頂きました。
甲斐田実行委員は元相撲取り。
僕は元プロ格闘家。
2人で発表するテーマは
合気道部顧問橋本敬三先生(合気道未経験)を検証する。
ちなみに2人とも合気道未経験です。
橋本先生は学生にこんな風に
お話してたらしいです。
「相手の力を合理化するのが合気道である。」
合気道の達人のお話みたいでしょ。
でも合気道は未経験なんです。
「合気道はそんなものじゃない。」
学生達にこんな風にも言って
叱っていたらしいです。
でも合気道やった事は無い筈なのです。
橋本先生は知らない事を
知ったかぶりはしないでしょうから。
やった事ないのに知ってたんでしょうね。
僕はきっとそうなんだって感じてます。
普通は見えない部分が良く見えていたに違いない。
橋本先生の目を通じて見た
合気道の原理原則とは一体何だったのか。
原理原則とはそれ程沢山在る訳ではない。
操体の原理原則が正しければ。
その原理原則は当然合気道にも当てはまる。
原理原則がなければ操体にはなり得ない。
原理原則を学ぶ事が操体を学ぶ事になる。
操体を学ぶという事は原理原則を学ぶ事でもある。
原理原則を学ぶのには時には、他の形を通じて学ぶのも理解するには良い。
形が違った物で同じ原理原則を感じる。
いつもと違った見え方があるかもしれない。
僕はそう感じます。
分科会に向けて日々色んな事を考える。
それはとてもありがたい学びの時間。
普段とは違ったスイッチが発表という素材のお陰で入るから。
そのありがたいという気持ちを参加者にお分けする事で。
お返ししたいな。
そう考えています。
身体の原理原則は同じ。
それを学ばなければ操体は学べない。
僕はそう感じます。
そう感じると面白い事がいっぱいやって来るんです。
分科会までの日々が凄く面白いのです。
是非ご参加ください。
お待ちしております。 -
あばらがばらばらで楽しい(笑)
3日目よろしくお願いします。
日曜日に痛めたあばら月曜日の朝、痛いぞ、あばらがばらばらだ。
起きながら一人でニヤリ。
あははいつもと違うのは楽しむのです。
だって目の前の時間は楽しむ方が良いから。
月曜日は子供空手を2回、それから移動して大人の指導。
少しだけ出てくる、もちろん出てくるんですよ、今日は誰かに代わってもらおうかな。
それが出ると気が済むんです。
昔プロで試合してた頃、試合前の練習とか本当に面倒臭い。
だから始める前に叫ぶんです、あー面倒クセー、やりたくない。
言葉は運命のハンドル、操体で学んでます。
僕は嫌な事は隠さない。
出してしまうんです。
言葉にして出すと消えるんですよ。
嫌だけどやるしかないならやる。
どうせなら楽しくきちんとやる。
次に出てくるから、僕は隠さない。
嫌な物を大好きって言葉にすれば、きっとウソが自分を包むから。
嫌だって言葉にすると、何が楽しいか気持ち良いか来てくれる。
僕の中の言葉のハンドルはそうなってるんです。
嫌な事の向こうに良い事が必ずあるから、嫌な事は嫌だって言葉にして出してしまう。
昨日もやっぱり面白い。
身体痛いから鍛錬したくない。
だったらとりあえずやってみれば。
痛くないようにやって、無理なら休めば良い。
あはは全然痛くない。
身体をいつもより感じれるから、余計な力は抜ける、いつもより抜ける。
痛いから力む事が出来ない。
足の裏の感覚が面白い。
足は親指、それ以外にも足の裏ってある。
あるものには無駄がない筈。
力が入れられないから、他の部分、小指側は自転車の補助輪に
踵側は力のスイッチと安定の元になるんだな。
親指1点よりも他の2点が助けると身体が変化する。
3点で分けるんじゃない。
親指を中心に2点が助ける、親指だけに任せるよりもその方が良い。
昨日何となく感じたんです。
あばらを痛めたお陰でやって来てくれた気付き。
分科会でもしかしたら発表するかです。
身体が痛いと面白い、力入れられないから、色んな身体の部分に敏感になれる。
治るからまた良い、ずーっと痛いと困ってしまうから。
今週は面白いな。
今日は手で遊んでみようと思います。 -
よろこびのうた。
昨日練習であばら痛めてしまいました。
多分、肋軟骨痛んでます。
朝起きる時、身体捻ると、激痛で起きれませんでした。
昨日スパーリングの途中で、変な体勢で身体使ったのです、途中ピキッと音がしました。
その場でやったなと分かる感じの痛み。
スパーリングそのまま30分位続けました。
痛い時どんな感じで動けるのかな。
楽しんで実験です。
若い頃は全然問題なかったから、いまはどうなのかな、調べるチャンスなのです。
あはは問題なし普通に出来ました。
先週こんな思い付きが来たんです。
そのようになってるものを最高に楽しむ。
そこに一番の贅沢があるんだって気が付いたんです。
現在を最高に楽しむ、過ぎた過去にこだわったり、まだ来てない未来に支配されない。
そこに最高の贅沢がいっぱいある、過去や未来に捕われすぎると勿体ない。
目の前の現在をそれでは捨ててしまっているんだなって気が付いたんです。
日下実行委員に聞かせて頂いたインドのお話が僕の中で形をかえて染み出てきたんです。
三浦理事長に聞かせて頂いた、見えない存在のお話も一緒に、気付きをくださいました。
気が付いた、その日にメールが来ました。
昨年イベントに出演してくださった、樋口了一さんのスタッフから。
新しいCDが発売になるという事。
すぐにアマゾンで注文。
便利ですね。世の中便利だ、ありがたい事です。
イベントから、1年近くになるんです。
一度お話しただけなのに、良い感じで思い出すんです。
新しいCDは僕が学んだ1年と似たような歌詞がいっぱい。
ビックリで嬉しい気分でした。
全く違った1年を過ごして、似たような事感じてる人がいる、嬉しいんですよね。
よろこびのうたの歌詞を少し引用します。
もしも 走れないのならば 歩けるよろこび歌おう。
もしも歩けないのならば 立ち上がるよろこび歌おう。
それは君には 今は悲しい歌かもしれない。
けれど本当は いつも変わらないよろこびの歌だよ。
僕は感じるんです、全ての現象に無駄はないって事を。
そもそも生きてるって事、生まれてここにいるって最高の贅沢だから。
その最高の贅沢を無駄にしてしまうのは自分、それを活かすのも自分。
目の前の現象からしか、決して始まらないって思うんです。
過去にも未来にも現在はない。
繋がってるだけ、だから現在を感じると素晴らしい。
そう感じると全ての事に、嬉しさ、楽しさをいっぱい感じたりする瞬間がある。
いつもではないのです、もちろん、そうなったら神様ですよね。
だから偶にでも良いんですよ。
その時間は気持ちが良い嬉しい楽しい時間だから。
そんな事を感じてたら、良いタイミングでメールが来て、CDを聴いて。
面白いでしょ、嬉しい、楽しいが繋がってる。
臨床もきっと似てる。
現在を感じると良い、現在の最高は絶対にあるんだから。
考えた理想はなかなか難しい、こうして治そうって実は難しい。
感じる力があって初めて知識が活きるって感じます。
アバラが痛いからジッとしてみた。
左を痛めたからなのかな、左に側屈が良い。
そのまま感じてみる、考えないで聞き分ける。
身体に聞いてみる、左は固い感じ。
そのうちに首が動き出す。
首が動いても痛くない、ゆっくりと偶に動いてくれる。
少し経つと右に少しだけ側屈してきた。
また左に戻る、首が動いて、足も少しだけ動く。
段々右側が柔らかくなってゆく。
なにも考えない、身体に任せる。
最高を味わう、怪我をしてる現在の最高を味わわせて頂く。
そのうち左も柔らかくなって来る。
最高の現在を味わうと、最高の未来が勝手に来てくれる。
怪我をした過去も嫌じゃなくなったりもする。
怪我をしたから味わえる最高もあるから。
いつも最高を探す。
それは違う、無い物をねだると辛くなる。
そのままの中にいつも最高が存在してる。
気が付くのも早いけど、僕は忘れるのも早い。
怪我が治るまで1週間と少し位。
調度良いようになってる。
気分で全てが変わる。
本当は変わるんじゃない、最高はいつでも存在してる。
だからそれに気が付けば良い。 -
日々更新してます。
佐伯さん1週間お疲れ様でした。
今週1週間担当させて頂きます平直行です。
学ぶって最高に面白いですね。
○○道ってある。
空手道とか柔道とか。
お茶も茶道だし、書道とか華道とかもある。
その道っていったい何なんでしょうね。
最近思うんです。
楽しく日々を過ごすと、楽しい事がやって来る。
気持ち良さで良くなるみたいですね。
何となく買った本にこんな事が書いてあったんです。
術とは大陸で生まれた言葉。
大陸とは中国がまだ群雄割拠の時代。
遥かな昔の時代中国は大陸と呼ばれていた。
術とは道を進む前に祈るものである。
見えない道を進む前に行う。
それが自分をそして志を守る。
途中の判断を知る。
本当にどこかに行く前に行っていたのが術。
そしてこう続きます。
その術がやがて羅針盤となる。
術は道は全てに通じる。
それは戦術に通じる。
やがて、あらゆるものに通じる術となる。
術を持って道を進むと必ず目的地に到達する。
少し僕のアレンジも加えて書いてみました。
○○道には実は術がなければいけない。
僕はそう思います。
武術には本当に術が存在します。
見た目では同じ動き。
身体の内側には術が存在してる。
それは弟子になって学ばなければ決して理解出来ない。
決して術は一人では手に出来ない。
術がなければ道は進めない。
ツイテル日々を過ごさせて頂いて。
僕は師匠から直接術を学ぶ日々を過ごしています。
術を持って進むと、向こうから教えに来てくれます。
それが道を歩むという事。
僕は日々更新して楽しく過ごしてます。
操体道ってなんだろうな。
そんな事も想ったり。
その時間は橋本先生を想ったりもする時間。
不思議なご縁から始まった操体とのご縁。
いま太気拳と柳生心眼流とのご縁も加わって。
日々更新して楽しみながら進んでる。
学びながら術が解かると面白い。
術が染み込んでくると教えが勝手にやって来てくれる。
不思議で面白い日々。
いつもと違った文章で今日は書いてみました。
今週1週間よろしくお願いします。 -
小松広明の4日間(4)
こんにちは!今日が私のブログ最終日。
こんなに、バタバタしたブログ週間は初めてでした。ある程度書きためた原稿を用意してお贈りするのが筋。
と常々思っており、ふだんから、書きためておくはずでしたが、今回は全く余裕なし。まあ〜お陰様で、ノー天気が随所に顔を出し、地が出っぱなし!!なかなか、こういう週間もスリルがあって、良いですね。
さあさあ、今日が「小松広明の4日間」の4日目。
最後になって、やっと小松広明の人となりを紹介することとなりました。といいつつも、かなりアバウトな紹介。
とにかく、手足がでかい!
身長が170〜175cm位の中肉中背にも拘わらず、節々のしっかりした手足をしています。とくに足の第一MP関節の大きさは驚きです。先日、施術後、二人でバス停まで歩きました。
その時の歩き方。大きな足が地にしっかり食い込み、しかも肩胛骨が緩んだ状態で、上肢に力みがない。「あれ、岩下に似ている」
と感じたわけです。
この岩下とは、以前、このブログにも紹介致しました山海塾という舞踏グループのメンバーで、大学時代からの友人。
彼の踊りをカメラで収めると、常に美しい姿、自然なたたずまいになっています。
彼は、東京操体フォーラムの顧問である国際的ヴォーカリスト巻上公一さんとコラボレーションを何度もしています。
また、彼も手足(手首・足首から下の部分)が大きく、特に第一MP関節の大きさは、小松さん並。とにかく、そんな才能のある舞踊家・岩下徹に似た体型と歩き方をする小松広明実行委員は、才能がある。
と、私は見るのであります。さて、アバウトな小松さん紹介を続けます。
生まれは東京のはずです。その後三重県伊勢市と東京での生活。年齢は、26才。中学2年から、ギターを始め、中学3年にはバンドを結成。
高校は、伊勢市の皇學館高校。強調したいのは、ここであります。
日本の中の伊勢市、その中の皇學館高校。
日本神道の本流を、高校時代からからだに染み込ませているのです、小松さんは!
なんとも、まあ〜うらやましい!そんな小松さんがはまっているのは、仏教発祥の地・インド。
このぶっ飛び方が素晴らしい!
インドでの数ヶ月の生活で、すっかりインド人になりきった小松さんは、インド衣装を身にまとい、でかい足で歩く。すると、回りの人間が道を譲り、振り向く。
(ここで、ピーンと来たひとは、東京操体フォーラム通であります)
誰かに、似ていませんか?
そうです、われらが師匠・三浦寛先生。
言わずと知れた三浦先生は三茶の仙人。先日も、行徳ゴールドジムに参加した友人が、
「三茶を歩いてた時さあ。人混みの中、角っこを回ってきた人が居たんだけど・・・明らかに他の人と違っているんだよね。
あっああ・・・三浦先生だ・・・・と思って、声を掛けようと思ったけど、思わず道を開けちゃったよ」
そして、振り向き後ろ姿を眺めた訳です。これが、三浦先生との出会い初級編。
その初級編に近い行動を三茶界隈の通行人に取らせる小松さん。
後ろ姿、特に肩胛骨のたたずまいが、三浦先生に似ています。我が師匠の肩胛骨と小松さん肩胛骨が似ているとなれば、もう「操体の申し子」ということになるわけです。
ただし、私の眼力はノー天気。
小松さん!一切責任を持ちませんよ・・・さて、小松さんが皇學館高校入学当時に、もう一度さかのぼってみましょう。
高校では、ブラスバンド部に所属。
自己表現ができないもどかしさを感じながら、名古屋の専門学校に。
この頃から、アンダーグラウンドの音楽に目覚め、京都で4年間活動。いずれ、その当時のことは小松さんのブログで紹介があると思います。
それで、ここではあまり触れませんが、かなりのめり込んでいたことが、彼との会話でよく分かります。
一例をいいますと、
私が20才後半、ニューヨークで活動していた頃、ダンステリアというデイスコで「ナイトミュージアム」というイベントをしたことがあります。
その時に参加したジョン・ゾーンとか、イクエ・モリのことを彼は当たり前の様に知っていたのです。小松さんが生まれる以前のことです。
これには驚き、当時のアートシーン(芸術の流れ)を語ると、やはり理解していました。まあ〜そんな小松さん。手技療法に興味を持ち始め、
「操体法の実際」「万病を治せる妙療法」橋本敬三著(農文協)の2冊に出会うことになります。
その後、友人から
「今の、操体はもっと進化していて本とは違うみたい!」
という情報を得て「操体法治療室」三浦寛、今昭宏共著「操体臨床の要妙」三浦寛著(たにぐち書店)に出会います。インターネットから東京操体フォーラムを探しだし、美山の山奥に操体をしている人がいる。
となり、我が家訪問となるのです。小松さんが、そこまでして操体を追い求めたのは、操体の根幹となっている橋本敬三哲学。
他の療法と全く違うのは操体が「生き方」である、ということ。手技だけを身につけても、それは操体ではありません。生きる姿勢、そしてからだ、心の有り様がもっとも大切。
つまり、存在して在る、天然自然の法則を学ぶ学問なのです。この法則には、誰一人として逆らうことは出来ません。
知れば知るほど、この法則に生かされていることに気付き、
謙虚になっていきます。
感謝の気持ちで満ちあふれてきます。そして、己の運命を感じて来るようになるのです。
操体はあらゆることを入れることの出来る「大きな器」と言われる所以です。20才後半で、このことに気づいた小松広明実行委員は、偉い!!
今後のご活躍を期待いたしております。
そして、今後とも、今まで通りのお付き合いのほど、宜しくお願いいたします。1週間の長きにわたってのお付き合い、本当にありがとうございました。
明日からは、ご存じ平直行相談役の登場!今回は、どんなお話になるのかホントに楽しみです。
それでは、皆さん21週間後にお会いいたしましょう!佐伯惟弘
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小松広明の4日間 (3)
こんにちは、今日はブログの6日目。
期待の新人・小松広明実行委員のご紹介日であります。
この小松さんから、2ヶ月ほど前に、電話を戴きました。「佐伯さん!僕の施術を受けて、三浦先生の講習会に参加したい、操体を学びたいという人が出て来たんですよ!」
と弾むような声。
あれ・・・これって・・・あの時の・・・私と小松さんの関係とそっくり。
歴史は繰り返し、渦を巻いているようです。
と言うことで、2年前のあの時に、タイムスリップしてみましょう。私は、美山の山奥で積雪50センチ程に閉ざされた冬眠状態。茅葺き家の真ん中にストーブを焚き、細々と生活していました。
そんなある日、
「もしもし、操体をされている、佐伯さんでしょうか?」と、突然の電話。
その方は、整体師をしていて、操体に興味を持ち、一度操体施術を受けてみたいという内容でした。
この電話の主が小松さん。その数日後、雪深い我が家に、先輩の整体師が運転する車で来られました。
京都市内から車で、1時間30分程の距離なのに積雪量は雪国並。二人とも随分驚いておられます。
もう施術を受ける前から、からだが環境による反応を示しているようです。我が家は、築60年の地元小学校舎の建具、床板を使った板張りのなかなかシャレた空間。赤々と燃えるストーブの炎はその空間に暖かい息吹を放っています。
都会では味わうことのできない、非日常性がお二人を魅了したようです。
もうこうなると、私のペース。まずは、先輩を施術することにしました。90キロ位の大柄な男性。
仰臥位で、皮膚からのアプローチ・渦状波を足底にし始めると、豪快なイビキが始まりました。
ベッドの脇には小松さんが座り、ニコニコ顔。私が先輩に話しかけますが、その時はしっかりと応答してくれます。そして、まもなくイビキ。
こんなやりとりが、ずーと続いたように思います。そして、施術終了後、
「よく眠っておられましたね」
すると、
「えっ! そうですか?」
ご自身は眠ったという意識感覚をもっていないにも拘わらず、からだが眠っているという不思議な体験をされています。
これは渦状波につく現象として、よく見受けられます。今度は、施術の一部始終を見ていた小松さんの施術。
仰臥位膝1/2屈曲位で左膝の裏を触診。大きな硬結の中心目がけて中指を押し込むと、
「痛い〜」
腰が右捻転しながら両膝右傾倒の逃避反応。こういう時は、からだが、「右捻転しながらの両膝右傾倒を欲している」と理解します。
そこで、両膝右傾倒の動診・操法に入り、気持ち良さを十分味わって戴きました。
そして、
「脱力の仕方は、からだによくききわけて、脱力してみて下さい」
この言葉がけに対応する小松さんの脱力仕方は、両膝ストン!
「・・・ふーん・・以前に操体施術を受けたことありますね?」
ここで、何故私がこんな質問をしたかというと、気持ち良さを十分味わったからだは、決して「両膝ストン」となる急速瞬間脱力はしないからです。つまり、小松さんは、以前誰かの操体施術を受け、急速瞬間脱力を学習していたと、私は理解したのです。
ところが、実際には操体を受けるのはこれが初めてでした。
小松さんは、橋本敬三先生の「万病を治せる妙療法(農文協)」
を読み、数十年前の脱力方法を、独学していたのです。これは、本当に素晴らしいこと!今考えてみると、もうこの時点で、われわれの仲間に入ることを示唆していたのです。
ただ、残念なことに、操体を独学で身につけることは出来ません。しかも、橋本敬三先生の愛弟子である三浦先生の施術は、日々進化しており数十年前の脱力方法など、我々同門で行う者はいません。
なぜなら、先ほど述べた様に、本当に気持ちの良さを味わったからだは、急速瞬間脱力が出来ないからです。これは、美味しい食事をお腹一杯食べた後、全力で走ることが出来ないのと同じです。
そこで、もう一度、からだによくききわけて、脱力をしてもらいました。すると、風船がゆっくりすぼむように、美しい脱力。
その後は、皮膚からのアプローチ・渦状波。
気持ち良さを十分味わって戴き施術終了。「未だかってないトリップ感覚を味わいました。ちょっと、本当に操体を学びたいです。」
「本当ですか?ならば師匠に電話をしますが、いいですか?」
「お願いします!」
ということになり、私は三浦先生に電話。
小松さんは、例の明るい調子で三浦先生に臆することなく話しをし、インド旅行の後、東京に引っ越しが決まりました。そのテンポの良いこと、あっという間でした。
そして「小松さん、これからは我々と同門ですね」と
私の残したこの言葉が、やけに小松さんの心の中に残ったそうです・・・・あれから2年経ち、もうすでに小松さんは東京操体フォーラムの実行委員。
そして、小松さんの施術に感動して、学ぶ人が誕生するまでになったのです。ノー天気の私など・・・この文章を書きながら、少々涙ぐんでしまいます。そして、小松さんがその方にお贈りした言葉は
「これからは我々と同門ですね」
今日は、ここまで!佐伯惟弘
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甥っ子の入試
おはようございます、今日はブログの5日目。
「小松広明の4日間」の予定でしたが、お楽しみは後日に残しておくというのも、ノー天気ならではの作戦であります。
まだ、明日、明後日とありますので、急遽予定変更。
誠に申し訳ありませんが、甥っ子の入試というブログに致します。甥っ子の入試
昨日の3月24日、愛媛の実家から弟の息子が、入試の為上京。
叔父の私としては、全面的に協力するため、入試合格作戦を練ってはみるもの・・・特になし。
ただ、受験する大学が、我が母校・筑波大学となれば、キャンパス案内ぐらいなら出来ます。そこで、10年ぶりに甥っ子を連れて行くことになりました。
1時30分、品川駅で待ち合わせ、秋葉原へ。
10年前、硬式野球部監督の功刀(くぬぎ)靖雄先生が退官されるときの記念パーテイーに出席して以来のつくば。10年前は、常磐自動車道が東京からつくばまで開通し、距離が一挙に縮まりびっくりしたのですが、今は、つくばエクスプレス!
まるで、つくばが、東京の一部!!
もう、これには驚きました。ポカポカ陽気の関東平野を居眠りする間もなくつくばへ。30年もその昔、ボール、バット、ヘルメットを常磐線車内に運び込み、東京へ野球遠征の旅に出ていたころの記憶が、かさぶたとして、はがれ落ちるような感覚。
記憶としての風景が、現存する風景の中から浮かび上がり、当時の出来事が湧き上がっては消え去ります。
30年という時空を波のように漂い、立ち止まり30年前の自分との遭遇に寄せる期待。
錯綜する想いの中、突然、見覚えのある像が・・・
「あっ、晝間(ひるま)先生!」
右手を天空へ、左手を前方へ伸ばした男性像が芝生の上に毅然と立っています。
私が大学時代に師事した晝間弘先生の作品。
晝間先生は、長崎の平和記念像の作者として有名な、北村西望先生の弟子。「長崎の像の下半身は、僕が作ったんだよ。」とお酒の席で話しておられたのを良く覚えています。
実直なお人柄で、その誠実な姿勢がそのまま作品に現れています。
像の前に立っていると、思わず頭が下がり。「すみませんでした・・・」
日頃のノー天気さを認め、どこか後ろめたい思いを持ち続けていると、誠実な魂の塊に出会う時、思わず懺悔してしまいます。
もうこれは神様に対する畏敬。明日から、しっかりやろう!(今からじゃないの?)と思うのであります。
しばらく経って、甥っ子を連れ、学生会館にやって来ました。
私が学んだ体芸棟を背景に、ピース
随分な様変わり。
「おじさんが、初めて展覧会をしたギャラリーに連れて行っちゃるけんの(行ってあげるよ)」と31年前に初めて個展を開いたギャラリーに行ってみると、空間そのものが変わってしまい、もうありません。
そのかわり、筑波大学の歴史紹介のサロンがありました。そこには、東京高等師範、東京教育大学、筑波大学の学長や著名人が大きなパネルで紹介されています。
まずは、柔道の創設者であり、東京高等師範の創設者、嘉納治五郎先生、またノーベル賞受賞の朝永振一郎博士、江崎玲於奈博士ら、筑波大学にゆかりのある方々のコーナー。
歴代のオリンピック選手。体操の遠藤幸雄選手、小野喬選手、加藤沢男選手。
甥っ子とこれらのパネルを見ながら、「おいちゃんな、この加藤沢男さんとは、いっしょにお酒のんだことがあるんぞ。
大学入って直ぐの頃は、飲み屋がないので、バスを改造した飲み屋が、学校の中に来て、みんなでワイワイ飲んどったんよ。その中に加藤沢男さんがよう、おった。」当時、加藤沢男さんは、教授(あるいは、講師)として大学におられました。
「おう、この石原恒和(ポケモンの仕掛け人)な、おじさんと同じアパートの住人。最初のおじさんの個展をビデオで撮ってくれた人じゃ。」
今をときめくポケモンの仕掛け人・石原恒和氏は、私の所属していた芸術専門学群の1年後輩。「この三屋祐子さん(バレーボール日本代表)、おじさんともしかしたら、一緒のアパートに住むようになったかもしれん人じゃ」
3人で台所、トイレ兼用のアパートで共同生活!もう少しで三屋さんと、生活することに・・・しかし、結局はお流れ・・・ちょっと、意味深(今は死語?)ですが、共同生活をしていた野球部の後輩が引っ越しするので、三屋さんを大家さんに紹介。
私が、必然的に同居人となるはず・・・でも、男女の共同生活は・・・協議した結果、やめることになったのです。等々、甥っ子に説明をしていると、甥っ子も、たまに里帰りする“おじちゃん”の存在感をやっと知ったようです。
そのあと、野球場に行き、後輩にあたる選手と雑談。
何と、現在は120名もの大所帯。今年も120名の受験生
が30人程度に振り落とされる難関。私がいたころには、こんな球場はありませんでした
草野球の様に、ワイワイと楽しんでいた我々の時代とは、大きく様変わりしていました。
そして、最後にいつもお世話になっていた、“太丸鮨”へ。
「これから、鮨食べに行こう」
「うん」立派な3階建てのマンションの一階に“太丸鮨”。
やはり、マスターの人柄と腕前が人を呼び、こんな大きなビルを建てたのです。ただただ、感服。
相変わらず、美味しい鮨と楽しい会話。笑顔が素敵なママさんもご健在!30年前と同じ。
私には、つくばでもふるさとがあったことを改めて知りました。甥っ子もたった2時間程のつくば生活を十分堪能したようです。
こんな貴重な体験を作ってくれた甥っ子に感謝。
ただただ、今日の入試が上手くいくよう、祈るだけです!では また あした!
佐伯惟弘
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小松さんの施術(2)
今日は、ブログ4日目。
えっ!もう4日目ですか?!
一体何をやってるんでしょう?私は・・
ボーとするのが習性になっている私にしては、忙しい日々が続いている様に思います。
先週は、3学期末の試験でバタバタ。
今週は、京都経由ありのブログ担当。
今までに無い、エキサイテイングな体験をしています。でも、こういう時間を味わえるなんて、本当に有り難い事。
十分に楽しんでいます。感謝、感謝です。というところで、「小松広明の4日間」の2日目。本題に入ります。
先週の土曜日(2月20日)、再び小松実行委員の施術を行いました。その時の様子をお伝えします。
前にも述べましたが、小松さんは新婚旅行の前日、交通事故に遭い、手術を行い全治1ヶ月と診断されました。
並の人間なら打ちひしがれて、鬱状態になっても不思議ではありません。ところが、小松さんの元気で明るい事!
先日も、病院の看護婦さんに、
「あなたは、何でそんなに前向きなんですか?」
と真剣に質問されたそうです。病人の並ぶ待合室で、ただ一人元気な小松さん。
彩度、明度の低い色合いの中で、輝くようなオレンジ色の波動を、ばらまいていたのだと思います(何でオレンジ色?なんて突っ込まないでください・・・小松さんは、オレンジ色が似合うの!)。このような性格の人は、絶対、素晴らしい施術家になると思います。
さて、施術。
一番楽なポジションになってもらいます。
ベッドの上で、右側腹部を下に側臥位。丁度、ベッドの前で正座をしていた私の目の前に、小松さんの大きな足底が2つ並びました。クライアントの体位が自然で、しかも私の前の部位が「ここを診てよ」と訴えているような時は、躊躇無く診ます。
今回の小松さんは、右足の第1趾が訴えています。
「ちょっと、痛いかもしれませんよ」
とやはり前回と同じ、第1中足骨と第2中足骨との間の太衝(たいしょう)という経穴に触診。
「痛い〜」
と訴えながら、右捻転。
その動きのまま、気持ち良さが有るのか、無いのか聞きわけてもらいました。
気持ち良さがあるので、一番気持ちの良いところまで、からだの造りを操って、気持ち良さを味わって戴きました。その間約5分(それほど長くありません)。
次に、同じく左右の太衝(たいしょう)に皮膚からのアプローチ(渦状波)。
しばらくすると、指先が温泉に浸かっている感覚。その後、骨折した左の脛骨に気持ち良さの伝達・拡散。
そして、
「足の指先がチンチンですヮ」またしても、名台詞。
小松さん自身、この言葉に酔いながら、少し微笑みを浮かべ、からだ中でチンチン(という熱感!)を表現している感じ。
その間、約15分。この操法後、苦しくて出来なかった仰向けが出来るようになりました。
「静かな気持ち良さに委ねるのと、動きの刺激的な気持ちの良さに委ねるのとは、快が違いますね。田舎的な快と都会的な快というか・・・何か、筋肉を感じる快ではなく、骨と皮だけになったような感覚になりますね。」
傍目には、ゆっくりとした動きの操法でも、皮膚からのアプローチ(渦状波)に比べると、その快は刺激的に感ずるようです。
再び、からだに聞きわけて、一番楽な体勢になってもらいます。
今度は、今まで窓際にあった足を、180度反対のドア側に。そして、今まで苦しくてできなかった仰臥位で両膝1/2屈曲位。
そこで、私が座る位置を、小松さんのからだがどう感じるか尋ねてみました。
すると、小松さんの足側に座ると、「ひんやり」。頭付近に座ると「ぼわ〜ん」。腰付近だと、落ち着くようです。そこで、腰付近に座り、右手首の橈側・陽渓(ようけい)に渦状波。
また、小松さんの右前腕後面に私の左手先の皮膚をあてがい、皮膚の走行感覚を尋ねます。皮膚を、肘の方向に引き寄せると快の聞きわけがあるそうです。途中から、呼吸に気持ち良さの聞きわけがあり、骨折している胸郭の圧痛点が快へと移行してゆき、かなり深い呼吸が出来るようになりました。
落ち着いたころに施術終了。
仰臥位でふつうに呼吸が出来、歩行も左足を引きずる様子もありません。かなり、改善しているようです。
施術後は、バス停まで、200〜300mの距離を一緒に歩いて案内をしてくれました。
「事故から初めて、こんな距離を歩きます」
力強く歩く姿に、私の方が勇気付けられました。
寒い中、小松さん、道案内本当にありがとうございました。では、また あした!
追伸:小松さん!折角撮った施術前と後の写真、保存ボタンを押し忘れ撮れてませんでした!
寒い中、裸で我慢して戴いたのに、ホントにごめんなさい!! ノー天気
追伸:小松さんの回復の早さは、私の施術によるものではありません。小松さん自身のからだを
実験材料として、自分に向き合う姿勢を作っている小松さんの静かなる汗
によるものです。
ここのところを、決してお間違えの無いように!
佐伯惟弘



