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  •  Jesusその2

    (一応、昨日の続きから)

    ローマの護衛隊長を黙らせるオーラ?をまとったイエス・キリストですが、

    本気を出したらその力はホントにハンパじゃないって感じです(当たり前?)。

    新約聖書によれば、目の見えない人が、耳の聞こえない人が、舌の回らない人が ・・・

    みんな癒されてしまう。

    それも、「自然治癒力を高めて ・・・」なんてレベルではなく、即治なんですから。

    現代の常識から考えれば、「その人は先天的?後天的?。

    もし先天的に聞こえない人ならば、いきなり言葉を話せるわけないよねェ」と、

    なるのかもしれませんが、

    そんな小さなこと?はこのさい重要ではないのだと思われます。

    ホントの奇跡というものは、そういうものなのかもしれませんから。

    奇跡とまでは言わないまでも、

    臨床をさせていただいていると、「え!」と思うことがたびたびあります。

    そのたびたびが重なると、今度はそれが普通になり、普通が重なると確信に変わり、

    最後は信念となっていくのかもしれません。

    キリストは、「あなたがたも信仰を持ち、疑わないならば、山に向かって、

    「立ち上がって海に飛び込め」と言っても、そのとおりになる」と言われたそうです。

    「そんなわけねェだろ」と思ったら、きっとそれまでなんですよネ。

    三浦先生は「難しい」とか「出来ない」とか言うな!と、

    ワタシたちにいつもハッパをかけて下さいます。

    「わかっている人」に師事できるということは、ありがたいことです。

    中谷之美

  •  Jesusその1

    こう見えてもワタシ、結構映画好きなのです。

    (山本実行委員ほどのマニアではありませんけど)

    ちょうどワタシが中学生のころには、映画のチラシやパンフレット集めが流行っていて、

    豊島園駅近くにある古本屋にしょっちゅう行っていたのを思い出します。

    そこのおばちゃんが棚の上から、時々お宝を出して見せてくれるのが愉しみでした。

    ワタシが観るのは「仁義なき戦い」や「トラック野朗」だけではありません。

    一応いろんな映画を観るのです。

    ベン・ハー」という古い映画があります(有名ですネ)。

    サイレントの時代から映画化されてきたようですが、

    1959年度版はアカデミー賞を11部門も受賞した大作です。

    クライマックスは戦車競争のシーンですが、ワタシの最も好きなシーンはココです。

    ローマ帝国時代のお話。あれこれとあってベン・ハーは罪人となり、

    ガレー船(櫂で漕ぐ軍用船)の漕ぎ手となってしまいます(適当な説明だなぁ)。

    その護送中、休憩して水を与えるシーンがあるのですが、

    意地悪な護衛隊長?はベン・ハーだけに水をくれないのです。

    「ああ・・・ワタシもうだめなの・・・」

    という時に、スッと水を差し出す男がいます。

    彼こそはイエス・キリストなのですが、それを見つけた護衛隊長。

    「おいコラァ!そいつには水やるなって言ってんだろうがァ!(中谷訳)」

    しかし、キリストがスッと立ち上がると、護衛隊長の様子が一転。

    もじもじして言いたいことが言えません。

    威張りくさっているローマの護衛隊長が、もじもじしちゃうなんてことあるんでしょうか?

    頭では言いたくても、からだは言えない ・・・ 何で?

    ワタシはこのシーンを観ると、

    何か凄いヒントが隠されているような気がしてしまうのです。

    中谷之美

  •  分科会テーマおまけ

    ワタシは「万病を治せる妙療法」(橋本敬三著)の中での、

    この文が気に入っております(P124)。

    「・・・私の弟子に対しては有名な人のところに行ってぬすんでこいといっています。

    原理がわかっているからすぐわかる。

    ハハー、こんなうまいことやっているなという具合にわかります」

    つまり、全ては自然法則の中にあるのだから、一つの方法にこだわらずに、

    いろいろとヤジウマして学んでこいということなのでしょう。

    それをどう生かすかは人それぞれであり、原理はみんな一緒だということだと思います。

    話はちょっと変わりますが、ワタシは操体を本格的に学ぶ前に、

    ある治療法を勉強しておりました。

    ある所に6年半、弟子入りしておりましたが、

    先生から技術的なことを教えていただいたことは、ほんの数回くらいしかありません。

    後は全て自分で盗んで(という言い方が適切かどうかわかりませんが)覚えました。

    初めて患者さんを触らせていただいた時に(最初の3年間は見てるだけでした)、

    先生から言われたアドバイスは次の2つです。

    「治るように押しなさい」

    「全部治したら壊れるよ」

    こんなことを言われても意味がわかりません。

    でも、患者さんは次から次へと来るわけですから、やるしかないのです。

    やっていれば技術は多少なりとも身につきます。

    ただ先生から言われた言葉の意味まで理解するのには至らなかったかもしれません。

    しかし、操体を学んでその言葉のホントの意味が、少しずつわかってきたのです。

    同じく万病のP124には

    「・・・名人はたくさんいるのです。

    しかし、そうした名人がなぜ効力を発揮するのかといえば、

    どんなばあいにしても自然のバランスがとれるようにもっていくからです」

    ワタシがイマイチわからなかった言葉のホントの意味がわかるようになったのは、

    操体とはこういった原理を学んでいくことだったからだと思います。

    指圧もカイロも関係ありません。

    自然法則を学んでそれを生かしていこうという考えがあれば、

    ぜひ東京操体フォーラムへ参加してみて下さい。

    操体は何でも入る大きな器ですから、必ず自身の臨床に役立つと思います。

    (ただしヨコシマな考えではダメよ!)

    中谷之美

  •  分科会テーマその2

    分科会のもう1つのテーマ(サブ?)は、「橋本敬三のDNAを検証する」。

    これも凄いですねぇ。ヒヨコちゃんは、ますます引き気味です。

    でも、実行委員の皆さまは優秀ですから、きっと何かやってくれるに違いありません。

    (何か他人事だな ・・・)

    橋本先生は「気持ちのよさで治る」と唱えられました。

    「楽と快は違う」とも、近しいお弟子さんに伝えられていたそうです。

    「楽」と「快」については、フォーラムでもたびたび取り上げられています。

    ワタシのようなヒヨコちゃんには、むずかしいことはよくわかりません。

    でも、あることに気づくと、

    「う〜む、楽と快はやっぱり違うぞ」と何となくわかるのです。

    それは、ここに書くのも恥ずかしいような、あまりにも当たり前のことなのです。

    当たり前のことって、当たり前すぎて気がつかないものなんですよネ。

    でも、案外とそれが一番大事なことだったりするわけです。

    そうした気づきをいただけるのが、操体フォーラムという場なのです。

    ぜひご参加下さい。

    中谷之美

  •  分科会テーマその1

    来月の25日に東京操体フォーラム主催の分科会が開催されます。

    テーマは「生体の歪みを正す」です。

    凄いテーマですねぇ。

    ワタシのようなヒヨコちゃんには、ちょっと引き気味になるほど深いテーマです。

    そもそも生体の歪みって何でしょう?

    どのような状態が歪みで、どのような状態が正しいのでしょうか?

    ズレてるって、どこがどのようにズレてるのでしょうか?

    からだの左右を比べて対称ならば、正しい形なのでしょうか?

    解剖学的な標本と比べて同じ形が、正しい形なのでしょうか?

    生体とは正しく生きているからだですネ。

    では、生きているとはどういったことなのでしょうか?

    自分の力で生きてるのでしょうか?それとも生かされているのでしょうか?

    コンクリートで固められた川は、見た目も形も綺麗で真っ直ぐです。

    でも、自然な川は、草が生えて、土があって、しかも曲がりくねっている。

    生き物は一体どちらの川に住みたいのでしょうか?

    生体の歪みのことを考えると、

    三球・照代の地下鉄漫才と同じくらい、また寝らんなくなっちゃうのです。

    中谷之美

  •  金八先生のように

    今週は中谷が担当させていただきます。よろしくお願い致します。

    気がつけば3月も後半。この季節は卒業のシーズンです。

    ウチのお坊ちゃまも昨日は卒園式でした。

    みんなで歌を歌ったり、思い出の言葉を言ったり。

    一生懸命覚えた園児達も頑張りましたが、

    それを教えた先生方もきっと大変だったのだと思います。

    でも、保育園、幼稚園くらいの子は可愛いですから、

    大変よりも愉しいほうが大きいのかもしれませんけど。

    これが、そのうちに言うことをきかなくなり、

    その上「卒業式にお礼参りだ!」なんてことに ・・・(最近はこういうのないのかな?)

    どちらにしろ教育者として人間をつくっていくわけですから、やっぱり先生は大変ですネ。

    以前に「3年B組金八先生」というドラマで、腐ったミカンというのがありました。

    最後は卒業式を潰さないために生徒達が暴れちゃうという面倒なことになるのですが、

    警察に連れていかれた生徒達を守るために金八先生を始め、大人達が頑張ります。

    「我々はミカンや機械をつくってるんじゃないんです!」

    「我々は毎日人間をつくってるんです!」

    金八先生はいつも一生懸命です。

    多くの人が「こういった先生ならばいいなぁ」と思うのではないでしょうか。

    といったことを書いているワタシ自身、一応先生と呼ばれる立場です。

    ですが、先生と呼ばれるほどの技術と人間性があるのかどうかはわかりません。

    ある患者さんがワタシに言いました。

    「大学病院は確かに設備も凄いし、検査もしてくれて安心かもしれないけど、

     あまり行きたいとは思わないネ。それより設備は足りなくても「大丈夫かい」と

     本当に心のこもった一言をかけてくれる先生がいるところに行きたいよ」。

    我々民間の療法家は、いくら技術を駆使し、テクニックを磨いても診断すらできません。

    いくら知識を詰め込んで偉そうにしてみても、医師に比べたら赤ん坊みたいなものです。

    そんな我々にまずできることは、

    金八先生のように相手を一心に想うことではないでしょうか。

    そして、それが結果的に技術や知識というレベルを超えて、

    本当の意味でからだを感(み)るということに繋がっていくのではないかと想うのです。

    中谷之美

  • 自己効力感。

    バンクーバーオリンピックも3月1日で閉会しましたが、女子のフィギアスケートが
    終わった翌日の新聞を見ていると、自己効力感という言葉が自分の中に入ってきました。
    金メダルを獲得したキムヨナ選手と銀メダルの浅田真央選手の滑走順に注目し、滑走順も
    問題にしないキムヨナ選手の精神面の強さを、東北大の北村勝朗教授(スポーツ心理学)
    は心理学で使われる「自己効力感」という言葉で説明していました。
    自己効力感は、物事を成功できるかの見通しと、成功させたときに得られる利点を読み取る
    力を指し、成功体験の蓄積や境遇が近い人が目標達成するのを見ることなどで高まるという。
    「当初、キムヨナ選手は浅田選手を追いかける立場だった。追いつけ追い越せで成功体験を
    蓄積したことで、自己効力感が高まり、力を最大限発揮できるようになったのだろう」
    と分析している。 とありました。

    東京操体フォーラムのメンバーは、お互いに自己効力感を高めあっている集まりです。
    また「みんなで仲よく、ドンドンあばれろ。だけど威張ったら最後、バチ当たる。
    まあ、あとは若い人たちで思ったことやってみでくれや。天然自然の法則だけは、
    何したって変わんネェんだがら」
    という創始者、橋本敬三先生の言葉の意味も
    よく理解している集団でもあります。
    そんな集団が、4月25日に青山コンフォートにて、分科会を催すことになりました。

    このようにポスターが貼ってあったり、チラシが置いてありましたら
    是非チェックしてみてください。

    くわしい内容はこちらのhttp://www.tokyo-sotai.com/i/のサイトに
    プログラムが載っていますので、クリックしてご確認ください。

    一週間どうもありがとうございました。
    来週は中谷さんの担当になります。
    来週もどうぞ宜しくお願い致します。

    友松 誠。

  •  つながっている。

    先月の末に、南米チリの沖合いを震源とするマグニチュード8.8の大地震
    起こりました。
    チリでは死者700人以上で、建物の倒壊、道路には亀裂が入り、住民の話によれば
    「まるでこの世の終わりのよう」という悲惨な状態で、それから数日経った後も、
    被災者やそれにつけこんだ人による略奪行為の拡大や放火など治安の悪化が
    伝えられていました。
    日本からみたら、地球の反対側で起こった事象のようですが、日本とて無関係ではなく
    地震による津波の影響で、死傷者が出たとのニュースはなかったものの沿岸の養殖施設
    などは壊滅的被害を受けたそうです。
    チリや日本、その他の地域で被害を受けた人達は本当にお気の毒ですが、地球は全部
    つながっているんだなと感じさせられました。

    今回の地震震源の断層は400〜600キロメートルにわたり7〜8メートルの
    ズレが生じ、その地震波は地球を5週ぐらいしたといいます。
    ずいぶんな衝撃ですね。
    仕事柄、からだのことと結びつけてしまうのですが、ひとつの部位に異常があれば、
    その反対側にも何かしらあるものですもんね。
    でも、反対側から何かしら問いかける、働きかけることで、その部位の異常が解消される
    ことがあります。
    今朝コンビニに寄ったら、レジのとなりにチリ地震被災者に対しての募金箱があったので、
    小額ですが、募金させていただきました。
    反対側の日本からチリに、気持ちを送ることで、何かの働きかけになり少しは回復の手助けに
    なるのではないかということを願って。
    距離は遠いが、遠い分、その過程において調和を密にしながら、その要求に適うべく働きかけが
    成されることを願って。

    みんなつながっている。
    地球の裏と表、その地球に生きる人間同士。
    つながっている。
    響き合ってるはずだ。

    友松 誠。

  • 凸凹、ざらざら→ツルツル→写った。

    普段、生活していてアスファルトを見ない日はないですよね。

    道路はほとんどこれで舗装されており、よく見る光景なのですが
    写真の道路は色が違って見えます。
    新しいアスファルトと古いアスファルトなのだから違って当然ですが。
    新しいアスファルトの方は平坦性があり黒く見えますが、古いアスファルト
    方は、表面が凸凹していたり、削られて砂利の部分が出てきていたりして
    白っぽくなっています。
    これは昼間なら良く解りますが、夜だと見た目にはわからなくなってしまう。
    光があるから見た目の違いがすぐにわかります。
    太陽の光が反射したものを見ているわけですが、古い方は反射要因がいろいろ
    複雑になっているのかもしれない。
    だから、凸凹、ザラザラが見ただけでわかる。

    舗装用のアスファルトの様に、色々な成分が混じったものではなく
    単一の成分から出来ている何色のガラスやプラスチックでも、表面をザラザラに
    削ると白っぽくなります。
    透明なガラスも固いもので引っ掻くと、引っ掻いたところが白く見えます。
    光の反射で目に写るものが変わる。
    反対にザラザラではなく、ツルツルに磨きこめば、透明なガラスのあちら側が見えて
    いたものが、今度は鏡のように透明なガラスのこちら側が見えるようになります。
    これも光の反射で目に映るものが変わる。
    そして、こちら側の自分が映って見えます。
    しかし、これは本当に自分なのでしょうか。
    鏡は可視光線を反射させる物体であり、鏡像は前後(奥行き)が逆転しており
    鏡の語源は影見であるといわれております。
    ということは、鏡に映っている自分は自分の影でしかないのかもしれない。
    現に暗闇で鏡に向かっても、目では見えなくなってしまう。
    しかし、暗闇の中で存在している自分というのは感覚出来ている。
    明るいところでも、自分の顔、背部以外の手、足などは目で見えるが、顔、背部を
    目で見ようと思えば、鏡を使うことになる。
    明るいところで目に見える手、足も光源が違えば、色が違ってくる。
    そしてなにより、自分自身は常に一定ではなく常に流動的な存在だ。
    そうなると、目を中心とする視覚では本来の自分はわからなくなってくるのでは
    と思います。

    「神は自分の像の如く人間を創造りたまえり」とあります。
    神人合一の立場の人間である自分の像とはどんな像なのだろうか。
    鏡は鑑とも書き、鑑と書いた場合は、人間としての模範、規範を意味し、手本と
    じっくり照らし合わせることを鑑みるという。
    人間としての規範、模範とは神の理念である自然法則の中にあると思います。
    自分自身と自然法則をじっくり照らし合わせることで本来の自分がみえてくるのかもしれません。
    その為には自然法則を学んでいかなければなりません。
    その鑑は三軒茶屋におられます。
    同じ時代に生かされていることに感謝です。

    友松 誠。

  •  祭りに出ました。

    3月13日(土)と3月14日(日)は地元の笹森稲荷神社で春季例大祭
    行われました。
    毎年思うのですが、それまで雪が降ったり、寒い日が続いていても、なぜか
    祭りの日になると良い天気になり、風もやさしく暖かくなっている。
    不思議です。
    まるで冬が最後の踏ん張りで寒気を運んできて、最後の踏ん張りが終わって
    冬が満足して全軍を引き上げていったような、そんな穏やかな好天に恵まれ
    やさしい風にのって沈丁花の花の、さわやかですがすがしい香りも漂ってきて、
    なんとも心地が良い。

    笹森稲荷神社は今から1200年近く前に勧請され、衣食住、生活の神様として
    崇敬されております。
    13日(土)に神社から御神体をのせた御神輿とともに、太鼓や旗や弓を持った
    氏子世話人の人達の行列や稚児行列や太鼓や鐘、笛で祭囃子を奏でる小学生を乗せた
    山車とそれを引く人達の行列が町内を練り歩き、おたま屋で御神体に一泊していただき
    14日(日)の午前中には、また行列を作って神社まで御神体をお見送りし、お納めして
    終了となります。







    私は町内会で作った樽神輿を担ぐ係りの一員で、朝から町内を樽神輿を担いで練り歩き、
    写真のように最後は行列と合流して盛り上げるといった具合でしたが、天気が良くて
    本当に良かった。
    なにかを大勢でやろうと思ったら雰囲気って大切ですもんね。
    天気が良くて、沈丁花のさわやかな香りと、お囃子が聞こえてくれば、ウキウキして
    みんな童心にかえった様になってきます。
    普段、あまり付き合いのない人でも、「いや〜 天気が良くなって良かったいね〜」と
    言うだけで和んできます。
    それと掛け声、ただ黙々と担いでいても面白くないし、なんだか労働をしている感じに
    なってきてしまいますが、最初は小さな声でも良いから「わっしょい わっしょい」と
    声を出していくことにより、その掛け声は人から人に繋がり、呼吸も合うようになり、
    それが響き合い、エネルギーも増幅されるようになってくる。
    この感覚も気持ち良いですよね。
    翌日は勉強会が控えていることもあり、セーブしながら愉楽しもうと思っていましたが、
    一日中大いに愉楽しませていただきました。
    ありがとうございました。

    友松 誠。