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  • 連想法記憶術

    みなさんこんにちは!7月14日、第4日目のブログです。
    7月14日といえば、私が20年程住み着いた京都・美山町田歌(とうた)の祇園祭の日です。

    私も、奴(やっこ)役でよく踊ったものです。
    この日は、どんなに雨が降っていても、正午には晴れてくるから不思議でした・・・・ああ・・懐かしい・・みんな元気かな?
    お祭りの無事成就を心からお祈りいたします。

    (午後5時頃、我が家に住んでいる友人に電話したところ、京都は大雨で、京都市内から美山に行く国道は土砂崩れ。それにも拘わらず、祇園さんが始まる時だけ晴れて、お祭りは出来たそうです・・・・・やっぱり神様はいらっしゃいます)

    さて今回は、悪戦苦闘している学校での様子をお伝えしたいと思います。私の通っている医療専門学校は、年間6回(実技試験2回を含む)も試験があります。そして、3年の3学期には国家試験より遙かに難しい卒業試験があり、それをパスしないと国家試験を受けることができません。

    ノー天気のおバカさんは、そんなことも知らずに入学。
    まあ〜のんきな話です。

    小学校の頃から、私は国語が苦手。
    まず、本を読むのが嫌いで、外で日が暮れるまで遊ぶのが日課でした。
    得意な科目は、美術、体育、算数。
    算数は、「ボクは頭がええ!」という単なる思い込みだけで、得意な科目にしていましたが、高校になり、「オレはアホじゃった!」と気付くや否や、極端な不得意科目。

    つまり、国語、数学が出来ない劣等生!もちろん英語は最低。
    そんな高校時代を過ごした私です。
    特に、記憶力が悪いので、一夜漬けもそれほど効果をあげませんでした。
    そんな私が、2浪したあげく見つけたのが、連想法記憶術。

    当時、しっかりとこの術を身につけ、一時、劣等生から並の受験生に変身したことは確かなのですが・・・・それを使う機会が全くなくなり術が消えてしまいました。

    大学では、作品提出(芸術専門学群彫塑科)でペーパーテストなし。
    企業で働いた経験がないため、テスト、レポート提出なし。
    再び、劣等生への道を歩む事に。

    そして、一年半後には国家試験が待ち構える学生になったのです。

    幸い、昔から記憶力が悪かったので、年齢というのは全くハンデイにはなりません(何が幸いするか分かりません)。
    むしろ年の功か、睡眠時間5時間で十分。早起きは得意。
    その上、気分は少年。頭はノー天気。
    老眼鏡使用のハンデイ以外は全くなし。

    そんな中で、例の連想式記憶術を思い出さなくてはなりません。
    この術の基本はイメージとイメージの衝突。しかもあり得ないようなハッとする場面を産み出し、記憶を定着させる方法です。
    例えば、「豚が空を飛び、雲に衝突、その瞬間マリリンモンローが降ってきた」とします。
    こんな決してあり得ない場面に遭遇すると、人は誰でも記憶します。
    これを連想式に繋げていき、ナンセンスストーリーを作ってしまうのです。

    例えば、経穴を覚える場合。
    太陽膀胱経:睛明→攅竹→眉衝→曲差
    睛明のイメージは、父親(清明)神主の格好。
    攅竹のイメージは、竹林に太陽
    眉衝のイメージは、眉毛が衝突
    曲差のイメージは、サーカスの曲芸師。
    これらのイメージをぶつけ合って連想し覚えていきます。

    睛明→攅竹
    神主の父親が竹林の中で太陽に向かい祝詞をあげる。

    攅竹→眉衝
    その太陽を太い眉毛がぶつかって挟む。

    眉衝→曲差
    太い眉毛2本を、曲芸師(ピエロ)がつかんで眉毛回し。

    これらのイメージを文字で表すと長くなりますが、イメージするのは、数秒。ですから、個々の経穴イメージが出来ると、連想して覚えるのはあっという間です。

    そのため、361の経穴を入学して約1ヶ月で覚えました。
    但し、これは忘れる為に覚えたので、完璧には覚えていません。
    というか、イメージが徐々に薄らいで行くのを感じます。
    そこで、教科書にある経穴の余白に鉛筆で、イラストを描いていく事にしてみました。
    すると、ぼやけていたイメージが、ある程度はっきり。
    しかし、まだモノ足りません。
    また、私の場合、イメージして浮かびあがる場面は、うっすら色が付いているだけです。
    そのため、色の力を借りるまでは行っていませんでした・・・・・

       突然ですが、今日は、ここまで!!!!

    ということは、明日のテーマは、どうやら・・・・・・色?
    お付き合いありがとうございました。では また あした!

    佐伯惟弘

    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催

  • 三つ子の魂百までも

    こんにちは、ブログ3日目、お付き合いの程、宜しくお願致します。

    「三つ子の魂百までも」といいますが、これは真実であろうと思います。
    ただ、私の記憶を懸命に遡ってみても、3才以前の映像はなかなか浮かんできません。ということは、本人は魂の形成された時空を認識できないまま生きているわけですね。
    実は、その空白部分を埋める為に人は生きている???
    まあ〜まあ〜そんなことはないでしょう・・・と否定しつつも、今を作り上げている空白の時空に、私を知るカギがあると思っても決して不思議ではありません。

    そこで、無念無想!
    今一度、記憶を遡ることに挑戦してみました。
    (自分探しは初日で終わったはずだったのですが・・・・・記憶を辿ることで、再び自分探しの旅に・・)

    ・・・・・はっきりと映像が出てくるのは、弟が生まれた日。
    昭和34年9月12日、私が、4才10ヶ月の時。

    築200年程の古い茅葺き民家のすすけた台所は、土間。奥には、釣瓶(つるべ)を吊した井戸があります。

    谷川の水は、大きな鉢にこんこんと注ぎ込まれ、おくどさんには、お湯がたっぷり入ったお釜が2つ。
    湯気がモウモウと立ち上がっています。

    薪(たきぎ)は常に用意され、祖母さんは白い割烹着姿、忙しそうにシャクシで、お湯をタライに入れています。

    産婆さんと、お医者さんが慌ててやって来てきました。そして、母親の寝ている部屋に。
    私も部屋の中を覗いてみました。
    すると、白い浴衣姿の母親が四つん這いになり、苦しそうな表情。
    「ひろむ、そっちへ行くな。こっちへおいで!」
    父親の大きな声が聞こえ、しぶしぶ父親の膝に座り込み、母親の姿を思い出していました。着物姿の父親は、私を柔らかく包みこみ・・・・

    そこからの記憶が全くありません。
    普通に考えると、弟の誕生をしっかり記憶しているはずなのですが・・・

    その後の記憶は、台所と居間の断片的な映像が飛び交っています。もう弟の出産とは関係のない時空。
    家族そろって(8人)の食事。マッチの軸のような針を動かして、チューニングする大きな箱形のラジオからは、
    「これこれ〜いいしの、地蔵さん〜」
    美空ひばりの歌。

    祖父さんがつぶしたニワトリですき焼き。美味しそうな湯気が立ちこめていますが、会話は聞こえません。

    続いての記憶。
    目が覚めた後、タンスや天井の木目を、ただひたすら眺めています。すると、木目が人の顔になったり、竜に見えてきたり・・・それが楽しくて、楽しくて・・・時間が経つのも忘れています。

    今度は、積み木遊び。
    厚さ1センチで、4センチ平方の積み木には、ひらがな1字。裏には、絵が描かれています。
    「ひ」の裏には「ひよこ」。
    私の名前が「ひろむ」だから、最初に思い出したのでしょう。
    あの時の肌触り、感触の良さを今でも指先が覚えています。
    そして、積み上げては壊し、積み上げては壊し・・・
    ドミノ倒しに、お城作り、延々と作り続けていました。

    あれ、今、臍の緒がついたままの弟の映像が浮かんできました。ガーゼと紐のようなものが、弟の臍に絡みつき、タライの中に入っています。

    しかし、お臍の緒がどのようにして切られたか分かりません。

    もう映像が動かなくなりました。

    霧が立ちこめるようで・・・弟の誕生以前の記憶は、やはり浮かんできません。浮かんでくるのは、庭先の風景。雨戸、土壁、石垣、筧の水・・・当時の映像は、子供目線。
    落ち葉となった松葉のじゅうたん。2〜3輪となってしまった白いツツジの花。
    カタツムリの家となったモミジの木の洞。

    ここまでの記憶、多くが我が家の庭先のデイーテイル。
    溢れるほど浮かび上がってきます。時には動画、時には静止画。
    あまり人物は出てきません。
    どうやら、一人遊びを楽しんでいたようです。

    ここまで記憶を描いて来て、私の20年間の芸術活動が「積み木」であったということが、よくわかります。

    また、「積み木」を作っているとき、幼いころの記憶が蘇っていた理由も分かります。

    やっぱり、「三つ子の魂百までも」ですね。

    1995年 ー積み木の杜ーニューヨーク・アンダーソンギャラリー

    今日は、ここまで!お付き合いどうもありがとうございました。では また あした!

    佐伯惟弘

    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催

  • サッカーW杯との出会い

    こんにちは、ブログ2日目です。
    サッカーのW杯はスペインの優勝で終焉。スペインの皆様、本当におめでとうございます。
    それにしても、日本サッカーの健闘に感動!

    私は、テレビを持ってないので、パソコンから流れる3〜4分遅れの、試合速報を読みながらの静かな応援でしたが・・
    それでも、十分に臨場感を味わえました。

    しかし、W杯がこのように身近なイベントとして定着したのは、つい最近のこと。日本が1998年のフランス大会に初出場する以前は、W杯がどのようなものか知らない日本人の方が多かったと思います。

    私が初めて、W杯のことを知ったのは、1982年。
    丁度、ニューヨークのダウンタウンにある、リトルイタリーを、当時つきあっていた彼女と歩いているとき。

    突然、頬に国旗を描いた若い兄ちゃんが、イタリアの国旗を付けた車や、オープンカーに乗り、クラクションを鳴らし始めました。
    とにかく、うるさい!
    「いったい何事なの?」
    「あっ〜、多分ワールドカップでイタリアが優勝したのよ!」
    「何それ?」
    「あなた、ワールドカップを知らないの?私でも知ってるのに!」
    「全然!」

    確かこんな会話をしたように思います。
    彼女は、日米のハーフでアメリカ育ち、日本語は出来ません。それほどスポーツが好きではないけれども、ワールドカップクラスの大イベントは知っているわけです。
    1930年には米国は3位になっており、今大会まで6期連続で出場している世界ランキング14位の強豪国。
    野球やアメリカンフットボールほどの人気はないけれど、アメリカ人ならば、ワールドカップくらいは常識として知っている訳です。

    アメリカに於いて、サッカーは男衆にはそれほど好まれてはいませんが、女性・子供には人気のスポーツ。

    私が10年前に住んでいたペンシルベニヤではいたる所に、サッカー場があり、子供達がサッカーをしていました。
    スポ根のママ達は、からだをぶつけ合うアメフトよりも、サッカーのほうが安全という考えがあり、我が子のためには、サッカー!
    また、メキシコや南米からの移民が増えているので、益々米国のサッカー熱は上がっていくと思います。

    さて、その後ワールドカップに縁があったのは、4年後の1986年メキシコ大会。
    同年4月26日にはチェルノブイリ原発事故。
    まだベルリンの壁は崩壊しておらず、東からの情報が乏しいなか、6月上旬、私はベルリンに行くことになりました。

    当時、舞踏家・石井満隆氏の舞踏ワークショップに参加していた私は、石井氏がベルリンのクンストラハウスベターニアンに呼ばれるや否や、付き人となったのです。

    1986年1月21日に舞踏の創始者・土方巽氏が死去。
    同年、ベルリンで舞踏の大回顧展を行うことになり、大野一雄氏、田中泯氏らと共に石井氏は招待されました。

    当時のベルリンは、ご存じの通り、東ドイツの中央部に壁を巡らし、西ベルリンが存在し、壁を隔てて東ベルリン。
    質素な共産圏東ドイツの中に、きらびやかな西ドイツが不夜城のごとく輝いているという、不思議な世界。

    そんなベルリンでは、途轍もないハプニングに次から次へと見舞われながらも、石井氏の付き人として、何とか使命を全うしました。

    その時に知人のアパートで、たった一人見たのが、ワールドカップ。
    しかも、そのテレビは、東ドイツの放送しか入らず、白黒。コマーシャルのない静かで穏やかな画面に、アルゼンチンのマラドーナだけが強引に突っ走っていたのを覚えています。

    また、ベルリンのクロイツベルグというトルコ人労働者の居住地区のバーでは、アンチドイツの嵐。
    ドイツと対戦するチームならどの国でも応援するという、異様な雰囲気を味わうことになりました。
    かれらにとって、ドイツは単なる仕事の場。様々な偏見を受けながらの暮らしぶりが、その声援、血相に恐ろしいように映し出されていました。

    その年は、アルゼンチンと西ドイツが決勝。
    夜の静まりかえったアパートで、固唾をのみながらの一戦。
    西ドイツが得点すると、どこかしこから歓声、拍手。まるでアパート全体がサッカー場のような雰囲気。
    結局3対2でアルゼンチンの勝利となりましたが、
    ドイツにいながら、初めて味わうワールドカップの醍醐味でした。
    それまで、あまり興味がなかったサッカーに格別の思いを持つようになったのは、この一戦からだと思います。

    その後、私はチェルノブイリ原発事故現場に近いポーランドに行き、積み木パフォーマンスを行うのですが・・・これは、またいずれお話することに・・・・
    今日は、この辺でおしまい。
    お付き合いどうも有り難うございました。
                   では また あした!

    佐伯惟弘

    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催

  • 矜持

    今先生、一週間お疲れ様でした。
    ほのぼのとした先生の描写に癒された佐伯です。

    それでは、今先生に代わってノー天気のおバカさんが、1年で1番暑い1週間を、時に涼しく,時に熱く語っていきたいと思います。
    お付き合いの程、宜しくお願いいたします。

    さて、いきなりではありますが、このブログ週間を自分探しに当ててみたいと思うのです。

    何を今更!

    と思われるかも知れませんが、操体の世界に飛び込み10年目。そして、新たに医療専門学校に通い始め、2年目。
    それ以前に、20年の芸術活動。
    未だに独立出来ず、フラフラ。
    一体何してんの・・・自分? 

    もう一度自分探しすることで、人生のグランドデザインを産み出すヒントが見つかるかも・・・
    と、のっけからギアをトップにいれ突っ走ってみたくなったのです!

    まずは、生い立ち以前に遡りましょう。
    私が生まれたのは、1954年(昭和29年)。四国・愛媛の山奥にある神社の社務所。
    まだまだ、戦後の香りが漂う、高度経済成長以前の胎動期。
    その頃、もっとも恐怖を感じていたのが、祖父。
    この祖父は、私の父・清明の父親。
    私の父は、結婚し養子として、野口→佐伯へと姓を変えました。
    ですから、普段はこわい祖父と出会うことはないのですが、正月などの祝い事では、どうしても会うことになるのです。

    この祖父も神社の神主(川上神社)。
    神社の境内ウラに古墳(7世紀中頃の終末期古墳)がありました。
    古墳は、道後平野を見渡すことのできる場にあり、その地に、川上神社は、伊予を統括していた河野通久によって移されたと言われています。
    応永四年(1396)のことです。

    その後、河野氏の衰退は著しく、土佐の長宗我部氏の侵攻の前になすすべ もない状態で、永禄11年(1568年)ついに長宗我部氏に降伏。秀吉により河野氏の所領は没収され、河野通直安芸国竹原に移り、河野氏は滅亡しました。

    河野氏が滅亡後も松山藩主・松平氏の祈願所となり、地域の氏神として今日に至っております。

    と書いて、初めて父方の家系を知ったのであります。
    とにかく、日本史が大嫌いで常に赤点・・・少年のころは、最も知りたくない分野。
    ひとたび知ると、とんでもない世界に入り込み,封じ込められそうな予感。
    何となくパンドラの箱だったのです。
    しかし、開けてしまいました!!!

    さあ前に進みましょう、そこで、思い出してきました。
    相変わらず、ノー天気でおバカさん高校生活をエンジョイしている私に、
    「野口の家系はのう、代々松山藩主を教えよったんぞ!(ちいとわ、そのこと自覚せい=少し自覚しなさい)」かっこ内は行間。
    と、見るに見かねて父親が一度だけ私に喋ったことがあります。しかし、それを言っちゃあ、おしまいです。
    そして、それを書いちゃもっとおしまい。

    まあ〜そういう訳で、おしまいになりました。
    で、前に進めないのですが・・・

    まあ〜とにかく・・・サイドブレーキかけながらでも、前に突っ走る!
    父親の家系には、400年以上神社を守り続けているという矜持が存在していました。これは、一種独特のものです。
    どうやら幼いなりに私はそれを感じ取っていたようです。
    その矜持が漂う祖父に、幼い私はとても怖くて近づくことが出来なかったのです。

    何しろ、白装束に白髪、胸元まで伸びる顎髭も真っ白。
    そして、めがね越しの眼光の鋭さ。

    私は、物陰にかくれて、祖父に会わないようにしていました。
    あの時の感覚は今でも生々しく私のからだの中に染みこんでいます。

    祖父は、愛媛新聞の編集長をしており、歯に衣着せぬ性格の持ち主。ある時、社内で起こった良からぬ事を摘発し紙面に記載。
    もちろん首(くび)となり、その後は、地元に帰り郵便局長として仕事を全うしたそうです。
    400年継承したサムライ魂。
    当時、このような魂をもった人々は数多くいたと思います。

    思い返してみると・・・・・いました(すみません、身内です)。

    末っ子である私の父親が最も尊敬し、怖がっていた長男の晃(あきら)叔父さん!
    この叔父さんが祖父の血を一番濃く引き継いだ人物だと思います。

    私の父親が一つ上の兄とけんかをし、父親が馬乗りになって、「ボカスカ、ボカスカ」。
    もちろん、子供の頃です。
    それを見ていた晃(あきら)叔父さんは、木刀で父親の頭を一撃。
    父親は、あわれにも失神。
    意識が戻ってきた父親と、兄を神棚の前に連れて行った晃(あきら)叔父さん。

    清明(私の父親)、すまん。」
    と、正座したまま、短刀を抜き出して,自らの左前腕部を斬りつけたのです。
    幸い、橈骨で短刀はとどまった為、動脈が切れるだけの重傷で済んだそうです。本人は本気で腕を切るつもりだったのだろうと思います。

    そんな晃叔父さんは、戦争に行っても部下を守るため、平気で上司を殴りました。晃叔父さんのお通夜の時、その部下の方が、しみじみと涙ながらに話して下さいました。

    叔父の数々の武勇伝は、私が幼い頃から聞かされており、私にとってヒーロー。

    私は、とてもこのような事はできませんが、祖父や叔父と同じ血が流れていることの矜持。
    これを忘れては、いけません。
    戦後、アメリカン・ポチ化して気がついてみると、家はツーバイフォーのアメリカ式建築、キンコーズマクドナルドが、一等地を買収。
    私の通う四ッ谷の一等地などは、アメリカの宗教団体に押さえられています。
    子供の体型もアメリカン様肥満が目立ち始めています。

    このままでは、1万5000年前から続く縄文文化を基礎とする日本文化がわずか半世紀で、アメリカンウィルスにやられてしまいます。

    とは言え、私一人で何が出来る?
    出来ることはあります!

    日本思想の源流・相似象を研究された医師・橋本敬三先生が、体系化なさり、三浦寛先生が確立されておられる操体
    この至宝とも言える操体の継承であります。
    矜持を持って、日本刀で腕を切る気概でやることであります。

    ここまで書いて自分探しが出来ている自分に気がつきました!
    ブログ初日で一週間分終了!!
    ・ ・・二日目はワールドカップの話にいたしましょう。
            では また あした!

    佐伯惟弘

    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催

  • 骨粗しょう症のおばあちゃん最終回

    ねじる操法の次に片方ずつ手を挙げる操法をやりました。
    おばあちゃんは左手を挙げると左肩が痛く、右手の方が
    挙げやすいといいました。
    私は「こういうときはどうしたらいいですか?」と逆に
    質問をしてみました。
    そしたらおばあちゃん、「左を挙げるっ!」。
    私はガクッとづっこけ「ええっ、挙げやすい方を挙げるんじゃ
    なかったっけ?」
    「あっ、そうだったねぇ」と笑うおばあちゃん。
    みなさん、特におじいちゃんおばあちゃんは、わかったような
    返事をしてにこにこ顔でうなづいてもだめです。
    ほぼわかっていませんから。
    これが事件なのでした。

    そして今度は仰向けに寝てみてもらいました。
    おばあちゃんは寝て起きるときがすごくつらくて、起きるのが
    大変だと言っていたのでした。
    仰向けに寝るときも腰が痛そうでした。
    「アィタター」とからだを斜めにしてゆっくりと寝ました。
    寝てしまえば痛くないとのことでした。

    私は膝裏を調べてみました。
    コリは見当たりませんでした。

    首、肩、肩甲骨周囲と触診したら、やはり最初に気になっていた
    右肩甲骨と背骨の間のコリに手が止まりました。
    そのコリを軽く押したり皮膚をずらしたりしてみると、
    おばあちゃんは「押してもらうど腰まで効ぐねー」と
    驚いた顔で言いました。
    「こうして押したままにしていてほしいですか?」
    「はい、いい気持ぢで効ぐ感じだねー」と言いました。
    「いい気持ちがなくなったら教えてくださいよー」
    40秒程して、コリがメリメリほどけてくるのがわかりました。
    それと同時位におばあちゃんが「なぐなったねー」と
    私を見ました。

    「はい、ではそのまま少し余韻を味わっていてください」
    少ししてから「ではゆっくりと起きてみますか?」

    「起きるときにイデんだよね」と不安そうなおばあちゃん。
    「あらっ、あららっ、イデぐないぇ!」
    すんなりと起きて腰掛けて微笑みました。

    「腰じゃなくて肩が凝っていたんだね」
    「今までこの腕でたくさん働いたんでしょう」
    私はおばあちゃんのいっぱい働いた感じのする手を見て言いました。
    「んだねぇ」
    「コリに、ごくろうさまでしたねーと言って押しときましたから」
    「はい、ありがどうごじゃいます」
    「自分でも言うんですよ、からだに」
    私はおばあちゃんに教えながら自分も言うのを忘れているなーと
    すぐに感じました。
    「ありがどうごじゃいます」

    今 昭宏
    。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

    読者のみなさま、
    一週間、おつき合いをいただきましてありがとうございました。

    来週はみなさんお待ちかねの佐伯さんです。
    お楽しみに。

    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催

  • 骨粗しょう症のおばあちゃん3

    「あそうだ、言うの忘れてたけど、あまりまじめに動くと
    効かないんですよーこれ」
    私は少し笑っていいました。

    おばあちゃんもつられてくすくす笑いました。

    笑ったら膝裏のコリが半分位消えてしまいました。

    私は右にねじる動きをゆっくりと誘導しました。

    おばあちゃんは、少し背中が丸くなっています。
    こういうときは後屈するのがツライ人が多いので、
    右にねじってから右肩を下げるように誘導しつつ
    少し前屈に導いてあげます。
    (これが良くないときは、右にねじって、前屈しなが
    ら少し左肩を下げるように導きます。(三軸操体参照)

    「どうですか、こんな感じにすると?」
    「これは、楽でいいですねー」
    「はい、そのままいい感じを味わってよー」

    この時、膝裏のコリはきれいに消えています。

    「いい感じがなくなったら、ゆっくりと元に戻ってください」

    「はい」
    30秒程してゆっくりと元に戻りました。
    「はい、一息入れてください」
    「これでさっきつらかった方に動いてテストしてみましょう」
    「どうですか?」
    「あら、腰いで(痛い)のがねぐなったねぇ!」
    「いやーたまげだねー」
    「こっちでなぐこっちにやったんだものねぇ」
    「はい、それに、自分でやったんだものね」
    「たいしたもんだー」

    おばあちゃんは、ほめられて上機嫌です。
    でも、この後事件が起こるのでした。

    つづく

    今昭宏

    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催

  • 骨粗しょう症のおばあちゃん2

    私は、おばあちゃんにベットに腰掛けてもらい、
    操法をする前にからだ全体を調べてみました。
    首、背中、腰、膝裏、足と大雑把ですが、触診です。
    右の肩甲骨と背骨の間に大きなコリがあり、膝裏は右に
    コリがあります。

    おばあちゃんにやった操法は、まず腰掛けたままからだを
    ねじる動きのバランス調整です。
    私は右膝裏のコリが消えるかどうかを確認したりして動きを
    へらへらと誘導します。

    「ツライ動きがあったらやらないで、反対の動きを気持ちの
    いいようにやると良くなるんですよ」

    「はい」

    「こうしてこうしてからだを左右にねじるのはどんな感じですか?」
    ねじって見せる私。

    左右にねじって確かめるおばあちゃん。

    「しだり(左)にねじっと右の腰がいだいねぇ」

    「はい、ほら、この膝裏もゴリゴリになって痛くなるでしょう」

    「あららら、なんだべいでごだぁ!」と左にねじった
    格好でびっくり顔のおばあちゃん。

    「右にねじんのはいでぐねぇですか?」

    「うん、こっちは大丈夫だねぇ」

    「ほら、こっちにねじっているとこの膝の裏、ぜんぜん
    痛くなくなるでしょう。

    「あら、ほんとだー!」

    「だから、右にねじって気持ちのいい感じを味わえば
    コリがなくなってきて直ってくるってことですよ」

    「では、やってみましょう」
    「はい、右にねじってー、ゆっくりよー」
    「からだの感じが一番なのよー」
    私は右膝裏のコリを確認しながら言いました。

    おばあちゃんは、立派にロボットのようにキチンと
    右にねじりました。
    膝裏のコリはさっぱり消えませんでした。

    つづく

    今昭宏

    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催

  • 骨粗しょう症のおばあちゃん

    今朝一番の新患のおばあちゃんは、なんと予約時間の一時間も
    前に治療室に着きました。
    私はこのブログに何かを書こうかなーと思って座ったところに
    ピンポーンときたのでした。(早すぎ〜)

    なので、このおばあちゃんのことを書いてみることにします。
    おばあちゃんは病院でレントゲン検査をしてもらったら骨が
    スカスカで骨粗しょう症になっていて、背骨も曲がっているので
    腰痛は治らないとお医者さんに言われたとのことでした。

    私は、
    「からだは骨の密度を低くして丈夫にしているんだよ!」
    「電信柱たって中が空洞でしょう」
    「コンクリートがギッシリ詰まっていると折れやすいんです」
    「木だって老木になると中を空洞にして強くなるでしょう」
    「人の骨もそうなんです」
    「良かったねぇ、骨粗しょう症になって」
    「丈夫になったんだもの」
    私はにこにこ本気で言いました。

    こんな話だけで、おばあちゃんの顔がさわやかになりました。

    「レントゲンで骨が少し曲がっていても普通に元気に生活して
    いる人がたくさんいるから大丈夫だと思いますよー」
    「ただ、つらい体操なんかをがんばってやっていると、なかなか
    良くなりませんけどねー」

    「あらっ、あだす(私)プールでありぐ(歩く)のをやってんだげっとも〜」
    「ちんな(昨日)もやってきたのっしゃ〜、ちぎ(次)の日がちらくて
    ちらくてぇ〜(つらくてつらくてぇ〜)」

    「ちらいことはしないようにして、気持ちよくプールで遊んで
    くればいいんだがなー」(少しナマル私)

    「へえ〜っ」

    「もっと早く直したければ、これからやることを覚えてください」

    そんなホントのお話をしてから操法をやりました。

    操法も大切ですが、操法に入る前のお話もとっても大切だなー
    と思いました。

    今 昭宏

    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催

  • キュウリの神様

    6月はじめに植えた三本のキュウリの苗が順調に育って、
    昨日の夕方、最初の一本を収穫し味噌をつけていただきました。
    取り立てはみずみずしく歯ごたえもよくやわらかでうまいです。
    (キュウリがキライな人もいるようですが、、)

    今朝、畑のキュウリを見てみたら、また一本大きくなっていて、
    今日の夕方にはちょうど食べごろの感じでした。
    黄色いキュウリの花には、蜂さんがきてつぎつぎと受粉をして
    くれていました。
    蜂さんはきっと受粉してあげているつもりなどなく、ただ花の
    蜜がおいしいだけなんだと思いますが、、、。
    自然界はうまいこと出来ていますね。

    。。。。。。。。。。。。。。。。。

    ヒフミヨイムナヤコト、ヒフからはじまりますね。
    風水土植虫魚鳥獣十、昔の人はエネルギーの順番を
    ヒフミヨイ、、、と数えたんですね。

    キュウリの花に蜂さんが引き寄せられるのも、
    イの植物の次がムの虫とつながって流れるシステム
    になっているからかも知れません。

    こうしてみると、全体がひとつのサイクルになっています。
    ヒトは火十。
    全エネルギーに生かされてバランスを保っている姿ですね。

    昨日も書きましたが、
    「イノチを生かす働きそのもの」を昔の人は「神」と直観した、、。

    こう考えると、全体が「神」だったことに気がつきます。

    ヒトはキュウリという「神」をいただいて生かしていただいて
    いるんですね。
    いやはや感謝しないとハチにさされます。
    キュウリさんありがとう!。

    話がおもしろくなってきたところで少し軌道修正。

    ヒフは火風で「温かな風の流れ」。
    皮膚にもそんな感じがある気がします。
    温かな風の流れが滞っているとき、皮膚への働きかけで流れが
    回復して元に戻る。皮膚の操体
    こじつけですけど。

    今 昭宏

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    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体フォーラム in マドリード」開催

  • 地球

    私はこの皮膚の操体DVDのジャケットの表面がお気に入りです。
    三軸操体DVDのジャケットもそうだったように、表面に地球を
    表現してみました。

    前回の地球は日本が見えなかったのですが、今回は日本が
    中心に見える写真です。
    そして、今回の地球はバックの色を黒にしてみました。
    これが地球の輝きを引き出してくれました。

    魂が宇宙から母体の自分に入ろうとしていた時、きっと
    こんな地球の美しさにみとれてホイホイ飛んでやって
    きたんだと思います。

    DVDの最後も、この地球の映像とともに音楽が流れます。
    大画面のテレビで見たら、地球の素晴らしさに圧倒されて
    感動する仕組みになっています。
    簡単な歪みだったらこれを見ただけで消える予定です。

    以前も書きましたが神人さんという人は地球が「神」だと
    言います。そして太陽も月も、、、。
    私もなんとなくそう感じます。
    「イノチを生かす働きそのもの」を昔の人は神と直観したの
    かも知れません。
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・
    美しく 水が輝く 地の球の
    皮膚で味わい 楽しみタマへ
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ここまで書いたら三浦先生から電話をいただきました。
    ありがたいものです。
    先生は皮膚の操体DVDの感想として、皮膚への刺激と接触の
    違いを話して教えてくれました。
    私の知識では接触も刺激のひとつなので、最初はすんなりと
    理解できませんでした。
    言葉って難しいですね。イメージが違うんですね。
    今日も三浦先生の皮膚に対する熱い想いがひしひしと伝わって
    きてとても嬉しかったです。
    私の皮膚の操体は、まだまだ始まったばかりですのでどうぞ
    長い目で見守ってあげてください。三浦先生。

    今 昭宏

    8月28、29日は大徳寺玉林院にて「東京操体フォーラム in 京都」開催
    9月18、19日スペイン、マドリードにて「操体セミナー in スペイン」開催