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  • 江戸の女と恋愛観。

    義経記」を最初に読んだのが小学校二年。いや、その前に「一休さん」を読んでいた。マンガではなく、一生を描いた伝記である。6歳で出家するが、その時の名前は周健。「とんち」で有名な子供時代は「しゅうけん」と呼ばれており「一休さん」ではなかったことは知っていた。
    その後、父親が池波正太郎藤沢周平マニアだったため、家にあった時代小説を読みまくり、勿論月曜8時の「水戸黄門」は欠かさない。必殺シリーズもその頃から好きだった。
    水戸黄門」よりもはまったのは「江戸を斬る2」だった。私はmixiの「江戸を斬る2コミュ」にも入っている位である。
    西郷輝彦が遠山の金さん、森繁が水戸斉昭、松坂慶子が斉昭公の娘で、故あって「魚政」という日本橋の魚屋の女将「お政」に預けられた娘で実は「紫頭巾」、松山英太郎がねずみ小僧次郎吉、千葉周作中谷一郎風車の弥七)という豪華キャストであった。

    江戸を斬る II [DVD]

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    また、高校生の時は「Lala」に連載されていた、山岸涼子の「日出処天子」(ひいずるところのてんし)にはまっていたため(聖徳太子こと、厩戸皇子が両性具有的な魅力を持って描かれていた。今読んでも面白い)、歴史テストはほぼ満点だったが、地理ができなかったので割って2、みたいな感じだった。
    厩戸皇子がもしかしたら両性具有かも?というような描写をしたのはおそらくこの作品が初めてである。ちなみに私の友人は、LaLaを買ってきて家の居間に置いておいたところ、お父さんが「何だお前は!!!」と怒鳴ったらしい。「どうしたの?パパ」と聞いてみると、何とお父さんはLaLaの巻頭カラー口絵(下の第3巻の表紙のイラストで、雑誌のほうは見開き折り込み豪華カラー口絵だった)を見て「春画」だと勘違いしたらしい。それくらい妖しい雰囲気が漂うイラストだったのである。

    日出処の天子 (第3巻) (白泉社文庫)

    日出処の天子 (第3巻) (白泉社文庫)

    日出処の天子 (第1巻) (白泉社文庫)

    日出処の天子 (第1巻) (白泉社文庫)

    その後「独眼竜政宗」が放映されるが、両親が宮城出身であり、仙台には親戚が数多く住んでいる私にとって、非常に魅力ある番組だった。ちなみに、宮城には「畠山」が多いが、登場する「畠山家」は、政宗公の父、輝宗公を拉致し殺害し、政宗に攻められ落城している。また、私の屋号「TEI-ZAN」は、政宗公の諡号(貴人の戒名)「貞山公」から戴いている。仙台に行くと必ず瑞鳳殿(政宗公墓所)に詣でるが、最後に行ったのは昨年の12月。3月の震災で、石の灯籠が倒れている写真を見た。もう、元に戻ったのだろうか。一日も早い復興を祈るばかりである。

    余り長くなると「今回のテーマと何が関係あるんじゃ」と言われそうなのでここらへんにしておくが、最近時代劇映画が多く制作されている。実は結構観ているのだが、最近も何本かみた。大抵は武士の話で、出てくる女性はみな凜として、慎ましやかで、しかし芯は強い女性が描かれている。

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    ところで、この本。

    江戸の女と恋愛観 (双葉文庫)

    江戸の女と恋愛観 (双葉文庫)

    春画で性知識を身につける娘に、奔放な性愛を楽しむ長屋の女房・・。三つ指ついて夫の三歩後ろからついてくる」女性像なんてとんでもない。本当は”超恋愛体質”だった江戸の女たち。

    まず、江戸時代の町娘たちは12歳から13歳くらいで異性を意識しはじめ、15,6歳で一人前の色恋いを楽しんでいたらしい。その際の「恋愛マニュアル」のひとつが春画だったそうだ。江戸時代の有名な絵師達も役者絵、美人画などと共に、春画を手がけている。というか絵師だったら大抵は春画を制作するものだったらしい。また、春画は恥ずかしいものではなく、堂々とした作品として制作されていたので、老若男女問わず鑑賞するものだったようだ。当時は「枕絵」とも言ったようである。当然「エロ」の雰囲気はあれど、淫靡なものではなく「お笑い」感覚だったようで、なんとおもちゃ屋の軒先に貼ってあったりしたので、子供も当然目にしていた。確かに「淫靡」というよりは、「何これ(笑)。こんなのあり〜?」「絶対あり得ない(笑)」みたいな絵が多いのは事実である。

    幕末に来日した外国人の多くが、町中に平気で春画があふれているのを見て度肝を抜かれたという記録もあるそうだ。

    面白いのは、黒船来航の際にあわてていたのは武士だけで、庶民は小舟を出して黒船からのボートに近づいて、水夫をからかうために、丸めた春画をボートに投げ込んだらしい。水夫が飛んできた紙を広げて赤面するのを見て、江戸っ子は大笑いしていたのだ。
    プロイセンの使節団として来日した、ラインホルト・ヴェルナーは、「10歳の子供でも既にヨーロッパの貴婦人の殆どが知らないような性愛のすべての秘密と馴染みになっている」「若い女性が当然のことのように、また何の嫌悪すべきことでもないように、そういったもの(春画)を買い求めるのは普通である」と、書いている。

    春画は「お笑い」感覚であり、武家では嫁入り道具の一つでもあった。面白いのは、武家では甲冑をおさめておく具足櫃(収納箱)の中に春画をいれておくと、戦に勝つという迷信まであったらしい。そこまでして隠しておきたいか(笑)。とにかくみんな大好きだったらしい。

    私は時代劇マンガも好きなのだが(「乱」とか読んじゃうのがバレバレ)、江戸時代の風俗を書いているのがこれ。勿論「艶物」なのだが、武家の姫様が嫁入前に、御指南役に春画その他を使ってトレーニングする話とか、介添女(若い夫婦と一緒に添い寝して夫婦生活を指導する年増)の話、江戸時代の混浴風呂の話などが書かれている。時代物としても読み応えがあるし、絵がきれいで女の子が可愛い。

    浮世艶草子 (1)

    浮世艶草子 (1)

    これは、私の以前の同僚(かなり年上)の方から聞いた話である。彼は某大手電機メーカーに勤めており、若い頃は海外駐在が多かったそうだ。
    彼がギリシャに駐在していた時の話。彼が下宿していたところは、石造りの高い建物だったらしい。そして夜になると、女の子が石の壁をよじ登って夜這いしてくるのだそうである。
    どうやら日本人と聞いて、珍しさもあったのだろうが、コトが終わってから「ウタマロかと思ったらピッコロ(子供)じゃないの」と言われたそうだ。おそらく、江戸末期から海外に流れた浮世絵(勿論春画含む)から「日本男性はウタマロ(の書いた春画)並」だと期待されたのだそうだ。これもお笑いと言えばお笑いである。

    おまけ。
    もうひとつ思い出したこと。
    大学生の頃、毎週新宿のツバキハウスで遊んでいた。私はヘヴィメタル好きだったのである。日曜の「メタルナイト」だった。当時のDJは今も日本のヘヴィメタル界のゴッドと呼ばれる伊藤政則(マサ伊藤)だった。60越した現在でもメタル道を貫いている。
    まあそれはいいとして、その中の同年代の女の子が、夏休みにアメリカに留学して無修正の男性ヌードが載っている雑誌を買い、それを持ってきたのである。いわゆる「ブルーボーイマガジン」というヤツだ。私も見せてもらったがまだ子供だったのか(笑)『エロというよりグロ』という感じであった。つまり、様々な人種の逞しいハンサムな男性がぶらんぶらんさせている写真が載っているわけで(笑)、私にとってはかえって間抜けな感じがした。

    一方、その雑誌に群がってあーでもないこーでもないおおきいのちいさいのと騒ぎ、食い入るように写真を見ていたのはむしろ男の子のほうだった(笑)。

  • 源氏物語2 廓源氏

    源氏物語」を調べていたら、この本を思い出した。吉原といえば、江戸をいや日本を代表する歓楽街、オトコの夢の里である。同時にそこで働くオンナにとっては苦界でもあった。

    廓源氏 (まんがグリム童話)

    廓源氏 (まんがグリム童話)

    元々吉原は日本橋(現在の人形町)にあった。しかし、明暦の大火(1657年)で日本橋吉原遊郭は焼けてしまい、吉原は浅草の田んぼの中に移転した。これを「新吉原」と言う。
    もともと江戸時代初期、江戸には職を求めた浪人、江戸の都市機能整備工事のための人足など、多くの男性が集まった。江戸は圧倒的に男の数が多かったのである。と同時に、江戸の町中に遊女屋ができはじめた。

    遊廓を公許にすることでそこから冥加金(上納金)を受け取れ、市中の遊女屋をまとめて管理する治安上の利点、風紀の取り締まりなどを求める幕府と、市場の独占を求める一部の遊女屋の利害が一致した形で、吉原遊廓は始まった。wikipediaより

    吉原というのは幕府が許可した「公娼」制であり、上納金(冥加金)を幕府に献上していた。反対に幕府の許可を得ていない違法営業の遊女屋は「岡場所」という。子供の頃、よく時代劇を見ていて「オカバショってなんだ?」と思っていたのを思い出した。その後、昭和31年の売春防止法施行まで、吉原の歴史は続いたのである。

    ちなみに、年季奉公のため遊女になる娘達は、「親孝行な娘だ」と言われていたらしい。
    私は「仕事人」に仕事を頼むために身売りをする娘の姿を思い出す(←必殺の見過ぎ)

    吉原の別名を「ありんす国」という。その名のとおり、遊女が使う独特の言葉である。これについては諸説あるが、遊女の出身地を隠すという意味もあったらしい。お里が知れなければ客も勝手な幻想に浸れたのだ。更に「花魁(おいらん)」という言葉があるが、これもお里を隠すための言葉だったらしい。
    田舎出身の娘は、自分のことを「オイラ」というが、客が興ざめしてはこまるので、自分のことを「おいらん」というようになった。これが「花魁」の成り立ちらしい。

    吉原御免状 (新潮文庫)

    吉原御免状 (新潮文庫)

    初期の吉原には「太夫」という最高級の遊女がいた。吉原は武家の客も多かったそうで、武士の接待ができるだけの高い教養を身につけていたらしい。そのため、太夫に入れ込んで身請けした大名も多数いたという。しかし、太夫は高い教養、豪華な衣装など、太夫の育成には大変な費用がかかる。そういうわけで江戸中期(宝暦期以降)以降太夫はいなくなった。
    太夫よりも比較的下のランクの遊女を沢山育成したほうが、見世にとっても都合がよく、その中でも「昼三」(ちゅうさん)というのが最高位の遊女だった。
    よく時代劇などで、張見世(店先に座って、格子越しに客の指名を待つ)のシーンが出てくるが、張見世に出ている遊女は格下の遊女である。

    昼三というのは、張見世をすることなく、廓の中にいて引手茶屋(吉原の中にある茶屋)からの客の呼び出しを待つ。茶屋から客に呼ばれた後は、禿(かむろ)を引き連れた「花魁道中」で客を迎えに行った。

    なお「金に媚びず、権威に屈せず」というのが吉原遊女の心意気で、これを「張り」と言った。
    金、権威になびかず、自分の生き方を貫くという意味らしい。江戸っぽい話である。

    面白いのは、客と遊女の関係で、かりそめとは言え、吉原の中では夫婦と同じ事。吉原内での浮気は厳禁だったらしい。浮気がバレると、馴染み遊女の店の者や妹分に囲まれ、髷を切られたり顔に墨を塗られたりしたそうだ。吉原には粋に遊ぶためのルールがあったのである。また、「間夫」という存在もあった。一節には遊女が身銭を切ってあげていたという話もあるが、「間夫は甲斐性」と言って、「彼氏の1人くらいいたほうが、励みになるよね」ということだったらしい。年季が明ければ間夫と一緒になるケースもあったようだ。確かに花魁稼業とは、間夫の1人くらいいないとやってられないのかもしれない。

    さて、吉原の話が長くなったが、以上のような基礎知識をアタマにいれておくと、この「廓源氏」は分かりやすい。

    登場する遊女は、葵、六条、夕顔、という名前、また源内典待(げんないしのすけ:恋人がありながら源氏の君に恋をする女性。初老の可愛らしい女性として描かれる)がモデル、元花魁で今は遣り手の「お浜さん」、末摘花をモデルにしており、器量が悪いので遊女になれず、下働きをしている「お末」など、源氏物語の登場人物を重ね合わせている。

    主人公の「源ちゃん」は、遊女の「仕込み」を生業としている。素人をいっぱしの遊女に育て上げるのである。(なにするかはご想像のとおり)

    「葵」は信じていた男に吉原に売られ、それが信じられなくて客をとらない。狂言自殺を図ったりするが、源ちゃんの色々な働き(女装したり)のお陰で、昼三として出世する。ちなみに、「葵」というのは源氏物語の中では、源氏の君の正妻である。六条御息所の生霊に取り殺される役柄。

    「六条」は、吉原一の大傾城。源氏物語同様、源氏の君のかつての恋人。
    「夕顔」は、源氏の君の恋人の1人であるが、若くしてはかない一生を終える。ある夜、女性の霊(六条御息所とも言われている)に取り憑かれ、人事不省となり、そのまま亡くなる。

    「廓源氏」で、夕顔は新造(まだ客を取らない若い娘)として六条の側にいる。顔は綺麗なのだが、口も聞かず、笑いもせず、頭が弱いのかと最初は下働きに出されたが、六条にだけは懐くのだった。「源ちゃん」は、見世の主人に頼まれて、夕顔を外に連れ出して飴湯をおごったりする。夕顔を連れ出す源ちゃんを見て、六条は(私には飴湯もおごってくれたことはないくせに)と、呟く。
    その後何日も源ちゃんに連れ出され、だんだんと表情が明るくなってくる夕顔を見て六条は自分でも気がつかないうちに嫉妬に苦しむことになる。生々しい夢を見て、涙を流しながら目が覚めたりするのだ。
    そして、体調を崩し、身上がり(遊女が仕事を休むこと)をして伏せっていた。夕顔は源ちゃんと一緒に外出して、六条と揃いの簪(かんざし)を買ってきて、寝ている六条に「お揃い・・」と簪を渡そうとするが、六条は幻影を見て、夕顔を絞め殺してしまうのである。夕顔は「よくある話」として、お歯黒溝に沈められる。

    六条御息所がモデルと言われている、上村松園の『焔』 。東京国立博物館蔵。
    「嫉妬」は妄想苦の一つであるが、「性」(さが)の一つでもある。

    話の途中で、源ちゃんには「藤壺」という、引き離された仲の遊女の存在が語られる。

    源ちゃんが遊女の「仕込み」をやっているのは、藤壺に対する復讐であるかのようにみえる。彼は遊女の「仕込み」をしながら、心のなかで「不幸になれ」と言っているのだ。

    どろどろとした愛憎劇だけではない。「源内典待」という章では、もと「容野(かたちの)」と言われた花魁で、一時期は百人のお相手がいたという恋多き女性で、「お浜さん」という。遊女は年季があけても外に出ない場合もあり、いわゆる遣り手になるケースも多かったらしい。お浜さんは60歳近いのだが、相変わらず「恋」に生きるオンナなのである。源内典待同様、可愛らしくコミカルに描かれている。
    ちなみに「源氏名」というのは源氏物語から来ているらしい。

    廓源氏 (2) (まんがグリム童話)

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  • 源氏物語

    教科書で名前は知っているものの、源氏物語を解説付きでしっかり読んだことがある人は、現在そんなに多くはないのではと思う。
    周囲の人達に「源氏物語」って、マンガでも映画でも何でもいいから、読んだこととか、見たことある?と聞いても「読んだことない」という人が圧倒的に多かった。

    源氏物語に限らず、人物の相関関係がわからないために、なかなかとっつきにくい古典は多い。私も「古事記」は口語訳やコミック、日本書紀はコミックで読んだ。しかし、ちゃんと家系図とか誰がどんな人物なのか、というのがわかれば、結構面白い。

    連環日本書紀 上 (キングシリーズ 漫画スーパーワイド)

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    日本書紀。これで読むとよく分かる。

    連環日本書記 2 (キングシリーズ)

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    口語訳 古事記―神代篇 (文春文庫)

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    口語訳古事記。日本の神様は浮気ばかりしているので、相関関係がわかりにくい。

    17歳のための世界と日本の見方―セイゴオ先生の人間文化講義

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    日本神話も分かりやすく書かれている。17歳じゃなくても充分面白い。

    私は高校時代、古典が苦手だったので「源氏物語」という名前だけは知っていた。つまり、全く興味がなかったのだ。しかしある時、源氏物語そのものではなく、どんな人物であるとか、どういう関係だとか、歴史背景や宮中の行事を中心に説明した本を読んで「へえ」と思った。白状すると、半分以上はコミックの類だが、これが結構面白いのである。

    いずれにせよ、日本が世界に誇る「愛の物語」だ。

    第一部:数多の恋愛遍歴を繰り広げながら人臣最高の栄誉を極める光源氏の前半生
    第二部:愛情生活の破綻による無常を覚え、やがて出家を志す光源氏の後半生と彼をとりまく子女の恋愛模様
    第三部:源氏死後の子孫たちの恋と人生

    まず、この時代は通い婚だった。女性も財産を持つことが許されていた。また、この時代は戦争が起こらなかった。通い婚という習慣があったため、殿方は恋愛に忙しく、戦をしているヒマがなかったのだ。女性のところに通うにしても、まずはあらかじめ根回しが必要である。今夜行きますから、戸が開くようにしておいて下さい、とお付きのものにも伝えておかなければならない。

    いざ目的を果たして朝がくると、夜が明ける前に退出し、戻ったら「後朝の文」(きぬぎぬのふみ)という、ラブレターを女性に書かなければならない。この文にセンスがなかったりすると、バカにされてしまう。そのため、後朝の文専用のゴーストライターもいたようで、とにかく殿方は忙しかったのである。

    面白い?ルールとしては、基本的に殿方は姫の顔を見ることはできない。あの姫はキレイだとか、見目麗しいという噂などに頼る。また、姫様は殿方に寝所の御簾の中に入られてしまったら、関係を持ってもしかたないというルールもあったらしい。三分間ルールみたいだ。

    そして、源氏物語が、何故こんなに日本人に愛されるのかを考えてみた。

    セレブ(帝の王子様)と、母への慕情、義母との許されざる恋なんだろうな、と思う。もう一つは、年若い少女を拉致同然に連れ去り、自分の好みに育てるという「禁断シリーズ」二本柱に当てはまるからなのかもしれない。

    ティーンズコミックの「禁断シリーズ」の主人公の相手は大抵は「お兄ちゃん」である。「お兄ちゃん」がこんなことするなんて、と、主人公はめそめそするのだが、やがて愛欲の世界に(笑)というのがそのおおよその筋書きだ。しかし、流石に「最後の一線は越えない」というのがコミックである。あ、脱線。

    源氏の君はマザコン桐壺の更衣は、帝に寵愛されていたが、他の妃の嫉妬やいじめを受けて源氏が3歳の時亡くなる)、更に亡き母、桐壺の更衣に生き写しの藤壺(前の奥方にそっくりな先代の帝の娘)を慕う。慕うのならまだしも、藤壺のところに通い、寝所の御簾の中に押し入り、やがて王子が生まれてしまうのだ。
    桐壺の帝は、源氏と藤壺の間の子とは知らずに、大事に育てるのである。マザコンで、義母と通じて子をなしてしまったわけだ。
    桐壺帝は優しい方で、その皇子を抱きながら、源氏に「あなたにそっくりですよ」と言う。

    ★ちなみに、後に源氏自身も妻、女三宮が不義の子(薫)を生むという目に遭う(因果応報?)

    その後、桐壺帝は亡くなり、藤壺は出家してしまう。いくら源氏でも、出家した女性には手を出せない。
    その後、病気療養していた源氏は、藤壺の姪である紫の上(まだ幼い)をいわば略奪し、自分の理想の女性に育てる。そして自分の妻にしてしまうのである。

    源氏の正妻の葵の上は、六条御息所(ろくじょうみやすどころ)の生霊に取り殺されてしまう。この辺りは女の嫉妬の恐ろしいところで、クライマックスの一つでもある。
    源氏はその後紫の上と初床を迎える。それまでは、まるで優しい兄の如く、添い寝してくれていた源氏の君が、突如「男」となったのは相当なショックに違いない。物語には、紫の上が朝になっても不機嫌で起きてこない、というようなことも書かれているのである。

    ザコンで、義母と通じ、義母の姪を略奪し、自分のモノにすると、こう書いてみると結構とんでもない輩だが、関係した女性達は誰も光源氏のことを悪く言っていないのである。それは多分、どの女性に対しても、ピュア(?)な気持ちで接していたからなのだろうか。

    末摘花(すえつむはな)は、源氏が関わった女性の中でも、不美人(ハナが大きくて赤い)だと書かれている。古風で堅苦しくて、気が利かないので源氏に「一緒にいて恥ずかしくなる」とまで言われるが、それは純真な心の裏返しで、源氏も感動し、晩年は妻の一人として迎えたと書かれている。
    不美人でも源氏はちゃんと面倒をみるのである。そういうところも源氏のモテる原因なのだろう。

    なお、とっつきやすいのはやはりコミックだろう。

    あさきゆめみし 1 完全版 (KCデラックス)

    あさきゆめみし 1 完全版 (KCデラックス)

    少女マンガで「源氏物語」と言ったらこれだろう。

    源氏物語 (第1巻) (SCオールマン愛蔵版)

    源氏物語 (第1巻) (SCオールマン愛蔵版)

    江口源氏。現代語でなく、古典をそのまま使っている。江口氏なので結構エロい(笑)

    まんがグリム童話 艶聞源氏物語

    まんがグリム童話 艶聞源氏物語

    葉月つや子氏によるもの。源氏の君が何だか現代的。女性は皆色っぽい。

  • タダトモ夫婦。

    昨年「タダトモ夫婦」という言葉が流行った。私は「単に一緒に住んでいるだけ」だけなのか、あるいはセックスレスなのかと思っていた。
    しかし、調べてみると、女性が「一人の時間」を、求めているのだということが分かってきた。家事や育児の時間を、夫に負担してもらって、自分の時間に充てたいのだそうだ。
    男性は「イクメン」(育児をする男性?)化し、妻は「おひとり妻」化である。

    それはさておき、DV(ドメスティック・バイオレンス)について調べて見ると、身体的虐待、精神的虐待性的虐待、経済的暴力、社会的隔離などがあげられる。

    性的虐待の定義として、性交の強要・避妊をしない・特別な行為を強要する・異常な嫉妬をする、など一方的な行為で、近親間強姦とも呼べる。中絶賛成派は中絶をさせないこともこの中に含まれるとしている。

    私が考えるに、性的に放置する、というのも含まれるのではないかと思う。

    まあ、私が虐待されたわけではないのだが、後輩のためにもちょっと書いておこうと思う。

    私の場合、コトのおこりは、婚約期間が比較的長かったため、友達化している事実があったものの、盛大な結婚式も控えていたりして、「今更結婚をとりやめるわけにはいかない」という状況や、自分の中で、確かにわき上がってきた「どうも自分は相手の遺伝子を残したくない」という感情に気がついたことだった。微妙ではあるが「嫌いじゃないけど、遺伝子を残すっていうのには一抹の不安がある」という感覚だ。

    これは原始感覚に従った気持ちでもあったと思う。「そこでやめときゃ良かったのに」と言われれば元も子もないのだが、人生の勉強である(笑)。一抹の不安と共に「ま、何とかなるか」という感じだった。実際は何とかならないのだが(笑)。

    ★笑って済ませられるというのは、今ハッピーだからです

    また、先方の母上と初めて会ったとき、まだ彼女ですらない私が言われたのは「この子(息子)の孫が初めての内孫だね」ということだった。私は大学生だったが、そんなことは微塵も思っていなかったので、何だかいやな気がした。そういう目で見られているのか、という妙な感じである。

    結婚してから5年は会社に勤めていたし、操体の学びも深まり、開業することもでき、順調に進んでいた。運良く操体の本も出すことができた。三浦先生はじめ、第二世代の操体の先輩達とも巡り会い、操体は私のライフワークになっていた。

    この間は「仲は悪くないけれど、一緒に住んでいるだけ」の生活である。一度相手に「私に興味はないのか」と聞いてみたところ「腰が痛いから」という答えが返ってきたのを覚えている。
    そうなると、もうどうでも良くなってくるではないか(笑)。

    また、二年に一度くらい、突然「コドモはどうするんだ」と言われたりするとびっくりするものである。二年に一度位思い立って、いたしたからといって、どうなるわけでもないか。これで命中したら大したもんである。

    ふーふせいかつはないんだけど、相手は子供だけは欲しがっている、という妙な状況だ。何だか「子作りのウツワ」として見られているんだなという感じだ。

    こんな時は、朝から晩までダブル、トリプルワークでくたくたになっている時、夜中に突然叩き起こされたりする。勿論こちらも応じたりはしないのだが、これは本当に苦痛だった。これってもしかして虐待??

    また「子供でも生まれれば操体にそんなに夢中になることはないだろう」と思ったようだった。明らかにそんな雰囲気、いや言葉を発することもあった。私はこれが一番イヤだった。

    相手の下のお姉さんは子だくさんで、四人の子供がいた。上のお姉さんのところには子供はいない。下のお姉さんが三人目か四人目を妊娠したという話を聞いた時、余程「内孫」が欲しかったのか、先方の家族会議みたいなところで私は正面きって「腹切って死んでもいいからマゴを生め」と先方の親御さんに言われた。こうなると、意地でも応じないぞ、と思うではないか(笑)

    その翌年、私はシングルに戻る選択をした。親も最初は出戻り娘に「ヨメに行け」とうるさかったが、最近では「操体」を認めてくれつつある。

    私とは全く逆で「東大卒男子のタネが欲しい」と、東大出の男性と結婚し、可愛い男の子を授かった後、子供を連れて実家に帰り、電撃離婚した友人もいた。優秀なタネが欲しいというのも一理あるか。でも極端だな(笑)。

  • 一度ワンランク上のものを味わってしまったら

    私が愛読しているネット上での連載「乗り移り人生相談」で、島地勝彦氏が書いていたが、キリスト教などでは、長い間女性の快楽を宗教的に細かく抑圧していた。オンナはあくまでも産み育てる器だったのだ。
    それは恐らく「快」というものを女性が知ってしまったら、コントロールが効かなくなることを知っていたのだ。

    乗り移り人生相談 -柴田錬三郎・今東光・開高健、降臨!!

    乗り移り人生相談 -柴田錬三郎・今東光・開高健、降臨!!

    これは書籍版。ネット上での連載をまとめたもの

    これもある女医さんに聞いた話だが、アフリカの女性で、妊娠と出産を繰り返し、40歳過ぎて初めて月経という存在を知ったという話もある。
    アフリカは未だに女性器切除(女子割礼)という習慣がある部族もいる(Female Genital Mutilation、略称FGM)私が読んだ限りでは「割礼」という言い方で、陰唇を陰核もろとも鋭い刃物で切り、穴を二つだけ開けて、縫ってしまうのだという。穴二つというのは、小水と経血が出る穴のことだ。

    こうすることによって、結婚まで処女性を保てるとか、切り取ることによって性欲を押さえることができるとか考えられているらしい。
    明確にわかるのは、女性の快を味わう器官を最初から切除し、それとは「無縁」、つまり働き手であり、ひっきりなしに妊娠と出産をくり返すことに専念させることと、一種の女性蔑視もあると言われている。世論でも残酷な行為として声が上がっている。また、感染症で亡くなるケースも多いらしい。私も勿論反対だ。

    先の島地勝彦氏の本によると、昔の日本の男性の多くは、処女と結婚して正常位だけで済ませて、ツマには「夫婦の営みとはこんなもんだ」と、思わせて、自分は外で遊んでいたという。遊んでいたというと聞こえが悪いかもしれないが、家は家、外は外だったのだろう。

    しかし今は情報があふれているし、女性も「そんなもんじゃなかろう」という人のほうが多いだろう。
    「うちの彼って、○○して××してこれで終わり?!」とか。これは「愛の技」でも同じではないだろうか。「こんなもんだ男」が普通だと思っていたところ「ええええっ?愛の伝道師」に出会うという体験をしてしまったら女は「こんなもんだ男」で満足できるのか?

    シマジ氏は「知る悲しみ」ということも書いているが、洋服も、シガーも、シングルモルトも一度いいものを味わって知ってしまったら、ランクを下げられなくなるのだ。これは男も女も同じだ。

    操体も同じで、第1分析しか知らない場合は「こんなもんだ」と思うのだろうが、第2分析、第3分析での「快」を味わってしまったら、「こんなもんだ」では済まなくなってしまう。これは紛れもない事実である。

    また、よく思うのだが、第2分析しかり、第3分析は、女性が感じる性的な快感に通じるところがあると思う。男性のフィニッシュが、瞬間急速脱力だったら、女性のは、第3分析以上と言ってもいいかもしれない。生まれ変わったら男と女、どちらがいいですか、と聞かれると、女性の中には「モテ男になって、女性を制覇しまくりたい」という人もいるが(わからないではない)、大抵は「オンナのほうがいい」と言うのは何故か。それはやはりからだが受容する「快」が深いからではないだろうかと思う。

    第2、第3分析の「快」を味わってしまったら、ハマる男性が多いのもわかる気がする。
    まあ、ウソかホントか味わって頂ければと。

  • 侍女の物語と産児制限

    こんにちは。東京操体フォーラムの畠山裕美です。今回は橋本敬三先生が生涯のテーマ(レーベンス・テーマ)として追求された「性(セックス)」がテーマです。男性諸氏とは少し違った観点から語ってみたいと思います。

    私の猫は16歳になる。

    12,3歳の頃から「目が緑の黒猫がいいな」と思っていた。ある日、デパートでやっていた「世界の猫展」に行き、猫がいないのに、何故かキャットフードのサンプルをもらって帰った。丁度その夜、自宅マンションの前で鉢合わせして、初対面ですり寄ってきたのがこの子だった。キャットフードのサンプルは無駄にはならなかったのである。

    当時は野良子で、近所の白いボス猫の「情婦」だった。強面の白いボス猫の脇で「うにゃ〜ん」と鳴いていた。よくマンションの階段を上って私の家まで遊びに来ていた。

    その時黒猫はお腹が大きかったのだが、しばらくして、子猫を5匹産んだ。マンションの一階に住んでいる人が子猫をベランダで預かってくれた。里親を捜して3匹はもらわれていったが、2匹は外にいる間に車に轢かれて亡くなった。

    その後、私は決心して猫をキャリーバッグに押し込み、病院に連れて行った。避妊手術のためだ。一度子猫を産んでおり、その後も雄猫と接触した可能性があるので、子宮と卵巣全摘である。
    この話をすると「かわいそう」という人とそうでない人に分かれるのでどちらがいいかとは言わないが、年間、保健所で一酸化炭素で窒息処理(敢えて処理と言う)されている犬や猫のことを考えると、やはりどうにかしなくちゃな、と思う。

    かわいそうに、というのは簡単だ。勿論かわいそうだし、雄猫はタマをパチンと切って絆創膏を貼っておわりだが、雌猫は開腹手術をしなければならない。自然は自然でもいいんだが、増える子猫の責任を持てるのか?と、思うと、都会の飼い猫はやはり避妊去勢手術をするのが飼い主としての愛情だと思う。

    以前、地方在住のある女流作家が、猫に子猫が生まれたら、崖から海に捨てると言っていた。彼女いわく、自然に任せているのだそうである。そういう考え方もあるかもしれない。残酷というのは簡単だが、他にどんな選択肢があるのだろう。いずれにせよ、私は子猫を崖から海には捨てるなんてできない。
    かわいそうとか、自然が一番というのは簡単だが、いずれにせよ、妊娠してリスクを背負うのは雌と女なのだ。

    アメリカなどでは未だに妊娠中絶が認められていないところがあり、年に数人は過激な宗教者による、中絶医の殺害が絶えないとも聞いている。

    20世紀初頭、産児制限(受胎調節)運動を唱えたマーガレット・サンガーは、貧しい女性が、望まない妊娠出産をくり返すことを防ぐため、つまり「女性には産みたい時に産む権利がある」ということを唱えた。貧しい女性が妊娠出産をくり返すということは、からだへのリスクをはじめ、経済的にも不安定にもなり、生まれた子供に充分な栄養や教育を与えられないということでもある。
    当時、バースコントロールをすることは「変態」だと思われていたようで、サンガー自身、感化院に入れられたりしている。
    カトリックでは避妊を禁じているところがあるようだが、昔は人口の増加がそのまま国が富み、働き手が増えることでもあった。男性の自慰は、精子を無駄にするな(笑)ということだ。同性愛が禁じられていたのも、それが直接の生殖繁殖につながらないからだ。ほんの半世紀前まで海外では「手淫するとバカになる」とか言われていたのだ。

    私が非常に印象深いと思っている本に、カナダのマーガレット・アトウッドの「侍女の物語」という話がある。

    侍女の物語 (ハヤカワepi文庫)

    侍女の物語 (ハヤカワepi文庫)

    20世紀最後のあたり、アメリカが過激なキリスト教集団「ギレアデ」によって大統領が殺害され、中央アメリカが新政府に制圧されるという話だ。
    世界中で環境汚染か何らかの理由で女性の妊娠能力が落ち、子供が生まれなくなる。ギレアデは、女性の銀行口座を全て凍結し、金銭的自由を奪う。また、名前も奪う。
    例えば「オブグレン」「オブフレッド」のように、グレンの妻、フレッドの妻、というように呼ばれるのである。

    出産経験のある女性ならば、妊娠の可能性が高いとして、若い経産婦を集め「侍女」とする。聖書には、正妻に子が生まれぬ場合は、侍女を代理にして子を産ませても構わないという一節があり、それに従っているのである。

    ギレアデ政府は、「侍女」を、軍の上級幹部にあてがう。侍女は公認の「妾」なのだ。その儀式の際、正妻は仰向けに寝て、侍女は正妻の恥骨の辺りに頭を乗せ、二人はしっかりと手をつなぐ。そうして、正妻と侍女は「一つ」になっており、その状態で、「御主人」と交接するのである。これは姦淫でも何でもなく、聖書に基づいた儀式として行われる。女性は、人格を持つものではなく、子を産み育てる器として扱われるのだ。

    NANA (1)

    NANA (1)

    人気コミック、「NANA」では、ナナは婦人科医に通ってピルを処方してもらっている。何故かと言えば恋人レンが避妊に非協力的だからだ。レンは子供が好きだから沢山つくろうぜ、みたいなことを言うのだが、ミュージシャンとしてのキャリア街道を進んでいる最中のNANAにとって、子供を作るということは、キャリアを断つことにもなる。

    もう一人の主人公、奈々(ハチ)は、逆に少しお間抜けで、二人の男性と関係し、「どっちの子だ?!」という妊娠をしてしまう。
    ナナが奈々の相手(同じバンドの仲間)に言うのが「最初からコンドームつけたか?」「途中からつけても意味ないぞ」ということで、実は日本人男性の多くは、「最後につけりゃいいじゃん」と思っているらしいのである。先走り汁(す、すんません)の中にも精子は含まれており、それで妊娠が成りたつ可能性も十分あるのだ。

    ★これは「できちゃった結婚」と、避妊に失敗した、という原因の殆どをしめるらしい。また、日本人男性の多くは、射精直前にコンドームの装着をするという調査結果もある(日本の結婚の半分ができちゃった婚で、5組に一組は中絶を選択するらしい)
    ★耳が痛いという方がいたら、ごめんなさい(笑)
    ★これから気をつけてください。STDの予防にもなりますから

    ピルと言えば、低容量ピルは現在、生理不順とか更年期障害などの治療に使われている。解禁までには時間がかかったが、一番時間がかかったのはオヤジ議員の説得だったらしい。「ピルを解禁したら女性が開放的になりすぎる」というので、なかなか通らなかったのだ。

    女性はばらまく性ではないから、「ピル解禁だからもうやりまくりよ」と、全ての女性がか言うわけないし(笑)、愛のないセックスは自分の体をいためることもわかっている。なので、ピル解禁したら女性が云々というのはオヤジの考えなのだ。また、未だに「ピルを飲んでいると遊んでいると思われる」という女性もいる。

    効果的な避妊方法が普及されていない国ほど、中絶率が高いというデータもある。日本は先進国の中でもトップクラスのピル後進国だが、年間の中絶率は約33万件(実際は倍くらいらしい)もある。

    私の古い知人で、若い頃は何人もの女の子を「孕ませて堕ろさせて」をくり返した男性がいる。最近手紙が来た。
    再婚し、子供が生まれました。こんなに子供が可愛いとは思いませんでした。私にはもう連絡を取らないで下さい、と書いてあった。若い頃のやんちゃを知っている私とはこれ以上付き合いたくはないのだろう。
    住所録と携帯から彼のデータは消去した。

  • 『性』という大きなテーマ

    最終日となりました。「性」というテーマを語るのは面白いですが、大変です。

    今回、見当違いな事を、書いているのかもしれませんが、それも一つの捉え方と言う事で、ご了承下さい。

    僕が本当の意味で、女『性』が偉大だと本当の意味で実感したのは、出産に立ち会った時からかもしれません。

    何が起きても妻に対し、これだけは尊敬し感謝する事があります。

    それは、自分の子どもを産んだと言う事。(もちろん他にもありますよ(笑))

    僕は2人目のお産に立ち合いました。

    (一人目の時は間に合わず分娩室の扉に張り付いていて、看護士さんに笑われた記憶が・・・)

    陣痛の時も背中をずっとさすっていた。けど、それだけしか、出来なかった。

    でも、妻はそこから何時間もの痛みに耐え、新しい『生』命をこの世にうみだした。

    分娩室では新しい生命の誕生し、言葉にできなかった自分を、

    今でも鮮明に覚えています。

    そういう感動も『性』の大きなテーマの中にはあります。

    女性は包み込む事ができるから、お腹の中で新たな命を育てる事も出来たりする。

    そして、僕はそんな『性』に惹かれたのだと今は感じています。

    そういう事だけでなく、女『性』には、特別な何かがあるような気がします。

    女性から見た男性は、どういった所にそういう事を感じたりするのでしょうかね?

    『性』というテーマは、各実行委員の内容からしても本当に深く、広いですね、

    今回、書くにあたり変な先入観をもった自分がいましたが、

    最終日となりこのテーマは書くべきテーマだし、今後も探求すべきだと感じました。

    皆さんはこの『性』というテーマをどのように捉えますか?

    皆さんの考える、感じる『性』とは違った内容だったかもしれませんが、

    1週間ありがとうございました、西田でした。

    明日より畠山先生です、お楽しみに。

  • 『性』という大きなテーマ6

    今日は朝からバタバタとしていました。
    明日は結婚式にカメラマンとしても参加しますし、練習?!も兼ねて
    散歩もしました。気持良い風にしばし、からだをゆだねてみました。

    『生』命。

    今現在僕は二児の父となっている。

    そこに至るまでは色々な経験をした。

    そんな経験の中から現在の大人?の考えに至るまでを書かせて頂こう。

    恋愛と呼べる物、そうでないもの。。。

    僕の恋愛対象は女性であるので、女性に対する温かさにふれてみたいと思う。

    女性がもつ温かさは、姿からはもちろん、性器からも理解する事ができる。

    包み込む温かさは、なんとも心が落ち着く。

    高揚する気持ちが大きくなるのはもちろんだが

    大きな安心感に包まれる。

    ホテルなどのデザインモチーフになっているとも聞いた事がありますが、

    うなずける話ですよね。

    そして、建築物だけでなく他にも安心感を与えるものとして表現されているのかもしれない。

    僕が好きなインディアンジュエリーにもモチーフとして使われていたりする。

    母なる大地とか母なる海というが、「母」(女性は)そういう壮大なものに形容される。

    女性とはそう言う意味でも偉大です。

    そして人は一番きもちの良い場所から生まれ、

    死ぬ時はまた一番きもちの良い場所へ帰る「帰一」。

    これは最高の快であり、「性」という大きなテーマとしても語れそうですね。

    ありがとうございました。

    続く

  • 『性』という大きなテーマ5

    毎日気温差が激しいですが、体調管理は大丈夫ですか?

    昨日書いたものと、内容が重なるかもしれないですが、お付き合い下さい。

    性を性別と捉えるとまた、それぞれの「性」がもつ、生きている上での役目があるように感じます。

    そして、性を性欲ととらえるとその延長にはSEXというものがあるし、それは、性別とも訳される。

    全てをまとめて考えた時、色々な捉え方があると言う事になると思います。

    そして、時間をかけて、そのものの本質の接し方を学んでいる気がします。

    最初は本当にそのものをしたい!という性欲の発散。

    お互いがそう思っている時期もあると思う。

    そして、「愛」というものが一時的の物でなく大きくなってきた時に、興味本位の物ではなくなる気がする。

    繰り返す事により、より深く相手を知ることにもなるし、その行為そのものの「快」を超える「快」がある気がする。

    それが、生命につながる・・・

    続く

  • 『性』という大きなテーマ4

    仕事に行く前に、自転車で風を感じてきました。今日は今日で暑いくらいですね。
    今日も宜しくお願いします。

    前日の流れから・・・

    恋愛の仕方は教わらなくても、両方の魂が惹かれあうと、最終的にはお互いに心を開きからだも解放し結ばれる。もちろん実際には重ねるからだの相性もあるから、すべてが、それでハッピーエンドとはいかないのです。

    そこに至るには、優しさも、温もりも、自分のからだに対する好みも・・・色々な要素が噛み合う必要がある様に思います。

    お互いの形状の異なる鍵が鍵穴に入っても回らないように。

    そして、そんなにしょっちゅうピッタリの鍵も鍵穴も見つからない。

    でもたまに、「なにかビビッときた」と聞く事があります。

    お互い信号は発しているのです。

    たまに間違いもあるだろうけど。

    高校生の時は、無意識にそうやって恋愛を繰り返し「性の一部」を学んでいたのかもしれないですね。

    このように書いていると、確かに「性」も一生学べるテーマなのだとわかります。

    現段階の僕が書くとどうしても話が偏ってしまう、でもこれは今の気付きとして。

    『性』に対しては、時間と共に考え方も変わり、さまざまな解釈が出来るようになってくるのだと思います。

    ちょっとした、異性への興味からはじまり、からだに対しての興味をもち、からだを重ねる事に興味をもち

    そして、新たな「生」命。

    ありがとうございました。

    続く