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  • 『気持ちよきこともなき世を気持ちよく』

    いつの間にか月が変わり今日から10月です。まだあと3カ月は今年も残っているのですが今年は自然災害の多い一年でした。3月の東北地方の地震、四国・紀伊半島や東海地方に被害をもたらした2度の台風など改めて自然の脅威というものを気づかされた一年であったと思います。未だ復興出来ていないところばかりだと伝え聞いておりますが、被災者の方々が一日でも早く完全に元通りとまではいかなくとも、安心して生活できる環境に戻られることをこころから願っております。

    今週一週間は『快と楽の違いについて』というテーマで一週間書かせていただきました。私自身書いていて新しい気づきや改めて再確認したことなど本当に勉強になる一週間でした。今回書いたように気持ちよさというものがからだに与えてくれる恩恵は本当に計り知れないものがあります。しかも気持ちよさを味わえば味わうほど、感覚のフィルターが研ぎ澄まされ気持ちよさの感覚を感じやすくなるという使えば使うほど性能が上がってくる夢のようなシステムです。またこの快適感覚という感覚はからだのバランスが取れまに合っている時にはそれほどでなくても、心身の不快指数が高ければ高いほど快感度の質が高くなるという性質を持っています。自分自身が逆境や辛い状況にある時きほど日常生活でつい見落としてしまうような人のふとしたやさしさや温かさが身にしみて感じらるのじはそのためなのかもしれません。今このような時期だからこそ自分のためではなく自分以外の誰かさんのために気持ちよさの種をまいておきたいし、その種が誰かさんを幸せにすることがもしできたとしたらその幸せな姿を見て心底喜べるような感性を持っていたいと思います。おれがおれがという我を通す生き方は確かに力強くはみえますがやはり柔軟性に欠けとても硬くてもろい生き方であると思います。我を張るために頑張るのでは自分の地位や名誉欲を満足させるためにはいのかもしれませんが、そのために生じた軋轢やストレスによってあなたのからだは深く蝕まれていくのです。周囲と円滑な人間関係を気づけない方は自分自身のからだとも上手にお付き合いを出来ていないかたが多いのです。以前三浦理事長の講習の中で、『人間に耳が2つあって口が一つしかない訳』というお話を聞かせていただいたことがありました。私たち人間は自分が1話したらその2倍人の話を聞きなさいというお話でした。人の話もそうですが自分のからだとの付き合いもじぶんが何かしたいなと思ったらその2倍くらいはからだの要求に耳を傾ける時間をつくってあげられたらよいですね。からだは口を持っていませんが快不快という感覚を使って私たちに色々な情報を与えてくれます。それでは年末にもう一度お会いしましょう。一週間ありがとうございました。

    ”YES” is the answer  and you know that for sure

    ”YES” is surrender , you got to let it, you got to let it go

    イエスは答えです。そしてそれを必ずあなたは知っています。

    イエスはあなたが咲かせた花です。そしてその花は確かにあなたが育てました。

                                John Lennon 『MINDGAME』より

    うさぎさんのお耳はうんと大きいからいっぱい話をきかなきゃね。

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 『願わくば気持ち良く生きて行きたいですね』

    これは本当にそう思いますよ。私自身も痛いの嫌だし、病気になるのは怖いし、家族や友人、私の周りにいてくれる大切な仲間達が辛い想いをしている姿なんて見てられませんよ。そう考えてみると私が操体を学んでいる理由って実はこれなのかもしれません。橋本先生は操体を通じて痛みを取る為の治療テクニックを教えたのでは無くて、気持ちよく生きる為のヒントをたくさん残してくれているのです。

    操体法が一躍世間の注目を集めるきっかけになったのは昭和56年にNHKラジオで放送された人生読本「人間の設計」なのですが、三日間にわたる放送の最後の方で橋本先生は「アダムとイブが知恵の木の実を食べて天国から追い出されたでしょう。だから知恵が発達して勘が鈍ってきた。野生の動物には獣医はいない。みんな勘で行ってるんですよね。人間だけは知恵があるから、今度は勘を意識しなさいっていうの。だから基本は気持ちいいことをね、勘を鋭くしなくちゃ。気持ちがいいってことになれば自然と安心するしね、愉快になるし、結局最後には有難いって思わなきゃ。」と書かれていますが、本当に私達は知恵が発達しすぎて何をやるにもまず頭で考えてからじゃないと行動に移せなくなっているきがします。

    私達に多くの知識を与えてくれるはずのテレビやラジオやインターネットも、あまりにも情報量が多すぎて紹介されている健康法を全部試していたらからだがいくつあってもたりません。やっぱり行き着くところは、自分自身の勘だよりということなのでしょう。要らないものをどんどん削ってシンプルにして行った先が気持ち良さに委ねるというライフスタイルなのかもしれません。

    ところで勘を磨くっていっても、一体何から始めればよいのでしょうか。山にこもって滝にでも打たれながら念仏でも唱えなければいけないのでしょうか。

    いやまさか橋本先生がそんな無理難題を押し付ける訳がありません。威張らず、縛らず、欲張らず。自分のからだの声を無視せずに良くからだにききわけながら『呼吸』『食事』『運動』『想念』という4つの最小限責任生活とこれにその人を取り巻く『環境』を含めた5つバランスを取っていけば、きっと鈍くなっていた野生の勘ってやつも取り戻せるに互いありません。


    どうせ俺等にはお医者さんなんかいないもんね〜

    操体法/橋本敬三の世界[DVD]

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    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 『では気持ち良いってどういうことなのだろう?』

    私達のからだは「気持ちの良い」という感覚を味わうことで、筋肉・骨格の歪みが取れて生体の歪みが正されるということは先日書いた通りですが、では何故「気持ち良い」という感覚を味わうだけでからだの歪みが矯正されるのでしょう?実際に他の手技療法を用いてもからだの歪みは矯正されるのですが、その為にはそれなりの医学的知識や技術そしてそれなりの労力が必要になります。しかし実際に操体の臨床ではからだのある一点の皮膚に軽く触れておいて、その皮膚感覚による気持ちの良さを味わっているだけで全身の緊張が緩みからだのバランスが取れて来ることは良くあることです。

    橋本先生はその著書の中で

    つらい動きを我慢してやる必要はありません。なぜか。みなさんは用たしに外出するのと、お宅に帰るときとどっちが気持ちよいですか。家に帰るときの方が良いでしょう。もとにもどることは気持ちがいいのです。もとのからだはもともとよいのです。気持ちよく動くともとにもどるように人のからだはできているのです。こんなありがたいことはないでしょう。これが自然の法則なのです。

    橋本敬三著 『万病を治せる妙療法 操体法』より

    万病を治せる妙療法―操体法 (健康双書ワイド版)

    万病を治せる妙療法―操体法 (健康双書ワイド版)

    と気持ちよさでからだが治ることは私達が本来持った能力であると書いておられます。なにも操体法が特別なことをやっているのではなく、からだが本来もっている能力に従って臨床を行っているだけなのです。あくまでも治しているのは患者自身のからだであって、私達治療者は患者さんのからだが気持ち良さをききわけ味わってもらえるようにナビゲートしている存在に過ぎないのです。からだの持っている自然治癒能力というのは本当に有り難いものです。しかし残念ながらこの有り難い能力を誰もが皆享受出来ているかと言えば必ずしもYESとは言えないようです。それは我が国の34兆円を超える医療費を見てもわかるように病気や怪我により医療機関を受診し治療を受けているのです。実際に「気持ちよく動けばからだが治るんだよ〜。」と言っても「えぇ〜っ、本当ですか〜?」と疑問をもたれる方が大半を占めていることは、実際の現場でも痛い程感じます。考えてみると私達の普段の生活の中で『気持ちよい』と感じる瞬間というのが一体どのくらいあるのでしょうか。気持ちが良いと感じる為には、自分自身のからだと対話しなければなりません。それぞれが自分自身のからだにききわけるという過程を経て初めて気持ち良いという感覚を味わうことが出来るのですから、『気持ち良さってどんな感じ?』という疑問を持つということ自体が、自分自身のからだと上手くコミュニケーションが取れていないということなのかもしれません。あなたは上手にからだとコミュニケーションがとれていますか?

    気持ち良さとは原始感覚なり  

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 『楽って一体どんな感じ?』

    ここまで書いてみて『楽』とはどういう意味なのだろうかと、気になり辞書を引いてみようと思ったのですが、残念ながら手元に辞書がありませんでしたので、文明の力を用いてインターネットで検索してみました。(完全に楽してますね。)

    『楽』
    これをガクと呼ぶと音楽の意味となるのだけれど、今回はラクという音読みでYAHOO辞書で検索すると

    1、身も心もやすらかなこと・安楽
    2、ゆっくりくつろぐこと・身も心もゆったりしていること。
    3、経済的に豊かなこと
    4、簡単でやさしいこと・苦労しないこと。

    まとめてみるとこころも身体的にも身体的にも経済的にも苦痛が無い状態にある状態と言えるようです。この言葉を聞いてふと思い浮かんだのが、「健康とは身体的・精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態であり、たんに病気あるいは虚弱でないということではない。」というWHO(世界保健機関)の健康の定義です。
    健康であるということは楽な状態とほぼ同じであると見ても良いのではないかと思うのですが、この健康な状態というものは、そもそも身体的・精神的・霊的・社会的に偏りが無いバランスがとれた状態であるということなので、症状や疾患を持つ患者にでは健康になる方に動いてくださいというのは無理があります。「こっちの方が聞きたいよ。」と一笑されるのが関の山です。実際に健康で生体のバランスが取れた方であればどちらに動かしてみても痛みがなくスムーズに動くことが出来るのですが、歪みが存在するからだでは必ず動きの非対称が生じてしまうものです。この楽な状態というのは生体の歪みが正され健康体になった時に到達する状態なのではないかと思います。

    しかし一般的に「楽したい。」と言っている人達は同じ楽でもcomfortable(快適である)ではなくeasy(やさしい)ことを望んでいるに過ぎないのではないでしょうか。

    私の好きな歌の歌詞の中にこんなフレーズがあります。

    難しく考えだすと 結局全てが嫌になって
    そっとそっと 逃げ出したくなるけど
    高ければ高い壁の方が 登った時気持ちいいもんな
    まだ限界だなんて認めちゃいないさ

    まだ僕たちが小さかった頃にはわからないことや出来ないことばかりで、出来ないことやわからないことと出会うたびにがむしゃらにその目の前の壁をよじ登ろうともがき苦しんでいました。何度も失敗していっぱい傷も作ったけど、出来なかったことが出来るようになったときの達成感というものは何者にも代え難い輝きがありました。でも少し大人になってある程度の知識や知恵がついてくると、目の前の壁を越える為に、一生懸命によじ上ろうとすることが鈍臭く感じてしまい。道具や他人に手伝ってもらって、よりスマートに乗り越えようと考え始めます。でも、それでなんとかその壁をクリアーしたとしても、果たしてそこに満足感や悦びはあるのだろうか、更に高い壁を乗り越えようと思える程のモチベーションを維持することが出来るのであろうか。ここが限界だよと大人ぶってみるのも悪くはないのかもしれないけど、いつまでも壁にぶち当たっては一生懸命にもがいている大人はとても魅力的だと思います。僕もまだ限界だなんて認めていません。だってブログまだ3日も残っているのですから・・・

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 『何故楽な方よりも気持ちの良い方が良いのか?』

    昨日は操体の臨床で『気持ちよい』という感覚を操法に通した方がからだの歪みが取れやすいのに何故痛みの無い『楽』を操法に選択してしまうのか?というとこロまで書きました今日はその続きです。これは一言でまとめてしまうならば『治療者の勝手な思い込み』に寄るところが多いのではないかと思います。その理由はいくつかあるのですが、まず第一に操体法創始者の橋本敬三医師の書き残した文献の中で気持ち良さをききわける動診と操法についての記載が一切無いと云う事があげられます。晩年橋本先生も近しい弟子に対しては「操体法の指導は気持ちの良さ(原始感覚)以外は指導するな。」と気持ち良さによってからだが変化するということを理解し、その指導を行っていたのですが、残された文献というのが、未だ気持ちの良さに対しての動診と操法の確立される以前の痛い方と痛くない方の二者択一の動診と操法についてしか記載がありません。それで実際に橋本先生から「気持ち良さで治るんだ。」という言葉を受けていない治療者にとっては痛くない方に楽な方にからだを操る操法こそが操体法による治療のセオリーであるという固定概念が出来上がってしまっているように思えて仕方ありません。確かに対になる動きを動かしやすいか動かしにくいかを比較して動かしやすい方に動かす事でボディーの歪みが矯正される事は紛れも無い事実であり治療者にとっても患者にとっても単純明快である事に疑いの余地はありません。問題は楽な動きでは改善する事が出来ないものに対してどのように対処するのかという治療の質が問われるケースがあるということです。そのような緊急事態に際して「もうお手上げです。」と白旗を上げてしまうのか、より質の高いアプローチを模索し続けて行けるのかが『楽』に固着しつづけるのではなく『快』をききわける動診と操法へ発展進化していったプロセスではないかと考えております。

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 『快と楽の違い』

    「暑さ寒さも彼岸まで」とは良く行ったもので、私の住んでいる福岡の街も暑さも和らいで来て随分過ごしやすくなって来ました。暑くて眠れなかった熱帯夜の苦痛を思うと本当に『楽』になって来ました。初日はSotai Forum in Madridの話題から入りましたが、今日2日目からは今回のリレーブログのテーマであります。『快と楽の違い』についてという内容で書いて行きたいと思いますのでお付き合いをお願いいたします。

    どうやらお茶にも、お花にも、謡にも、フラダンスにも日本舞踊にも何かにつけて○○流や○○派といった派閥や流派というものがあり、考え方や作法など様々な違いがあるそうだ。手技療法の世界でもカイロプラティックや指圧の世界では、行くかの流派というものが存在している様子、しかし私達が日々学んでいる操体においては、操体の創始者である橋本敬三医師の意志を継いだもの達が切磋琢磨しつつ、その学びの質的な差こそあれ○○流操体や○○式操体などと云う様なスットンキョウなネーミングをつける事無く発展しているように理解しています。(希望的観測ではありますが・・・)

    しかし、先にも書きましたがその学びの深まりの中でひとつ未だに曖昧にされているものがあるます。操体法の臨床を行う際の動診を「気持ちの良い方」に通すのか、「楽でスムーズな方」に通すのかという『快か楽かの違い』です。これを読んでいる一般の方には「何のこっちゃ?」という話だと思いますので、まずは操体法のいろはの「い」から今日は入って行きたいと思います。

    操体法は仙台のお医者さん 橋本敬三医師によって正体術、あんま・指圧、鍼灸、ヨガなどの様々な東洋医学のエッセンスを集約したい系図けられた医学であり、それはひとつの治療技術だけには留まらず、呼吸、食事、運動、思想という生きて行く中で誰にも変わってもらう事の出来ない4つの場(最小限責任生活)のバランス制御を柱にした包括医療の形態を取っている。通常我々が操体法と読んでいるのは、その中でも運動のカテゴリーに入ってくるのではありますが、全ての症状疾患の元となってくるボディーの歪みを取り除く為のアプローチの方法を指しています。


    橋本敬三医師

    私達のからだはからだの中心(腰)からの連動装置になっていて一箇所の関節が動くと全身が連なって動くようになっています。だからこそ一箇所の以上が全身のボディーのバランスに影響してしまう。またこのボディーの歪みが生じてくるとそこには必ず感覚異常が起こり痛みは無いまでも「重たい」「だるい」「疲れやすい」などと云う診断はつかない不定愁訴に悩まされる事になるのです。そしてこのような状態の時にからだの関節に相反する動きを動作分析してみると必ず動かしやすい動きと動かしにくい動きに分けられる。そしてこの相反する動きがある場合は動かしづらい運動はやめて、動かしやすい方に運動するだけでもボディーの歪みは整復される。このような筋肉や骨格関節の持っている特徴を使いボディーの歪みを正常な状態に回復させるのが操体法による治療です。

    これだけ書くと「じゃ〜、痛くない方に動かしてやれば痛みが取れるんじゃないの?」と思われるかもしれませんが、これは半分ピンポンで半分はブーなのです。どんな治療にもパーフェクトという事はあり得ないのでしょうが、この痛くない方に楽な方に動かす方法で素直に取れてくれる歪みもあれば、楽な方に何十回、何百回やっても取れない歪みも存在するのです。様はからだが楽に反応しないのです。あんま・マッサージ・指圧に上手下手があるのは、治療者の技術的な差が大きいのかもしれませんが、操体法ではその差は操法に楽な方へ動かすのか、気持ちの良い方へ操法を通すのかという「楽か快の違い」で変わって来ます。楽な方よりも、気持ちが良い方を患者さんのからだにききわけてもらって、そのからだが要求する気持ち良さを味わっていただく事が最適な整復コースに繋がって来るのです。

    このように書いてみると、誰もが「じゃ〜、みんな気持ちが良い方にすれば良いよね。」と思いますよね。では何故気持ちよい方にではなく、未だに楽な方を選択してしまうのでしょうか?

    3日目につ・づ・く

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 健康輸出 

    先日より東京操体フォーラム理事長三浦寛先生を筆頭に畠山裕美常任理事、福田勇治理事の三名が操体の伝導師のなるべく海を越え遥々ヨーロッパのスペインに渡っている。今日9月25日は Sotai Forum in Madrid の2日目が開催されている事だと思う。Sotai Forum in Madrid は昨年に続いて2年目の開催であるが、昨年の様子は一般社団法人日本操体指導者協会が制作したDVDでその雰囲気が十分に感じていただく事が出来るので、ご興味のある方は是非ご覧頂きたい。

    http://www.sotai.jp/?page_id=288

    操体法創始者である橋本敬三医師の論想集『生体の歪みを正す』の中に『健康輸出』という文章が載っている。(316頁)今から40年以上前の昭和43年に書かれたものであるから多少内容が古くは感じるが、基本的には今でも変わっていないように思う。

    生体の歪みを正す オンデマンド版―橋本敬三論想集

    生体の歪みを正す オンデマンド版―橋本敬三論想集

    文中『故に学者は、更に謙虚に自然法則を探求して知識を整理すべし。医師は、自らこれを実践試行して、祖先が惟神(かむながら)の道として体験した弥栄の偕なる悦びの生活を再現し、WHOが期待する健康を同胞国民に示し、国手としての責任を果たすべし。 世界にこれを提供する健康輸出を持って、日本がなしうる二十一世紀への貢献たらしめたい。』と書かれている。

    今から40年前に操体が海を渡り、世界の健康な生活の手本となりうる事を橋本先生はこの文章で示しその言葉を具現化する為に三浦先生が丁度今スペインで操体のセミナーを開催しているのである。操体が世界で花開く様子を目の当たりに出来る悦びを噛み締めたいと思う。

    Sotai Forum in Madridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 実際に時空を超えることは可能か

     最終日の七日目になりました。壮大なお題である「時空を超える」というテーマで今回の東京操体フォーラム実行委員のブログでしたが、無事にバトンを受け取りゴールまで繋げることができましたが、完結したわけではありません。これからも学びの中で、時空とも繋げて考えることも必要かと思いますので、数年後か数十年後にどのような自分の考えになっているのか楽しみです。
     今日は科学的に「時空を超える」について書いてみたいと思います。広島大学総合科学部の斎藤忠資 氏が興味深い報告をされているのでご紹介したいと思います。
     物質世界の中で、1900年にマックス・プランクが発見・提唱した物理量の最小単位が「量子(りょうし、quantum)」とされています。この量子の世界には、時間と空間による分離が存在しないことが現代物理学によって確証されているそうです。実際の実験では、A.Aspect等の実験とN.Gisin 等の実験によって、一度相互作用した二つの電子のスピンは、どんなに遠く離れていても、いかなる情報やエネルギーの伝達も伝わっていることが実証されているそうです。また、R.NadauとM.Kafatosによれば、J.A.Wheelerが考案した遅延選択実験の成功によって、過去・現在・未来という時間の分割のない無時間性の世界の存在が確証されているそうです。
     この報告をみてビックリしました。科学でここまで実証・確証されているんですね。
     植地浩志 氏は、人間のからだは素粒子→原子→分子→細胞→臓器→器官→からだ全体というように成り立っていると報告しています。(素粒子は物質的で、量子はエネルギー・力学的に使い分けられているようですが、素粒子も量子も最小単位で使われているようです)
     魂・意識は肉体という物質界の制約を受けているが、本来は時間や空間の制約を超えて、思考したり想像したりでき、これは魂・意識が量子や素粒子の世界と関連しているような気がします。現在のこの世で、肉体から何らかの理由で魂・意識が押し出されて状態が臨死体験となり、包みこまれるように時空を超えるのが神秘体験と区別され、操体法による快によって起こる現象とは、神秘体験になると思います。
     人は意識の使い方によって、時空を超えることができ、帰一の法則によって肉体の死後は、快に包まれ神秘状態として空間の制約を受けない状態ということになるでしょうか。
     今日から二日間、マドリードにてSotai Forum in Madridが開催されます。肉体の制約として日本とマドリードの距離は遠く離れていますが、きっと意識の通し方によっては同じ空間を感じることができるのかもしれませんね。
     意識の使い方について今後も学ぶ必要性を感じます。ブログを書いていて、今後の学ぶ課題まで見つかったような気がします。一週間、お付き合いありがとうございました。自分の勉強になりました。

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 時間の感覚

    六日目です。よろしくお願いします。
    昨日のブログに、心拍数・脈拍数の早さの違いで、時間の進み方の感覚が違うのではないかと書きましたが、あれから面白い内容が記載されているものと見つけましたので、ご紹介したいと思います。
    著者 本川達雄 氏の「ゾウの時間ネズミの時間―サイズの生物学―」(中公新書)の中に、「生物が感じる時間は、体重の1/4乗に比例する」と書かれています。また、「哺乳類ではどの動物でも、一生の間に心臓は20億回うつ計算になる」、「ゾウはネズミよりずっと長生きだが、心臓を時計とした場合は同じ長さだけ生きて死ぬことになる」と書かれており、脈拍数の比較ではゾウは遅いのに対してネズミは速く、寿命はゾウが長くネズミは短いが、寿命の時間的長さは違いがあるものの、ゾウもネズミも一生の感じた時間の感覚はどちらも変わらないということです。
     本川氏の理論から考えると、大人と子供の感じる時間の早さの違いは、心拍数や脈拍数の違いによって、体内感覚による時間の感じ方が違い、子供の頃の方が時間を長く感じる傾向があることを、裏付ける内容だと思います。
     からだの感覚は、人それぞれで、年齢や性別などあらゆる条件によって変わってきます。治療者の決め付けで、からだの望むこと以外のことを行うと、必ずその反動が表れると考えられます。だからこそ、からだの感覚に聞き分け、からだの要求に答える必要があり、操体法は理に適った臨床と言えるのではないかと思います。
     からだの要求にどこまで答えることができるか、これはからだの肉体や魂が望む質の高い快であり、簡単のようで奥が深い学びであり、今後も日々研鑽・精進していかなければ、からだの反応として表れてこないはずです。この世の不変な絶対時間の中にある肉体と、時空を超える魂の両方を満足させられるよう今後も学びを大切に精進していきたいと、ブログを書きながら改めて感じています。
    ありがとうございました。

    Sotai Forum in Madridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 時間の進み方

    五日目です。今日もお付き合いよろしくお願いします。
    東京操体フォーラム実行委員の今回のブログを書いていて、頭の中に面白いことが浮かんできました。きっと何処かの誰かも同じことを考え、統計データをとって報告されていることだと思いますが、頭の中に浮かんだことを今日は書いてみたいと思います。
    子供の時と、大人になってからの自分では、どうも流れる時間が短く感じてしまいます。皆さんはどうですか。歳を重ねるほどに1日の時間が短く感じることはありませんか。「一日が充実しているってことだよ」と聞こえてきそうですが、僕の小学生時代は、学校が終わると、柔道・野球・陸上・そろばん教室と毎日何かと忙しい毎日でしたが、現在の1日の生活の方がやはり短く感じます。
    年代によって時間の進む感覚については、様々報告があるようです。調べた中では、年齢です。年齢での累積日数は10歳で3650日、15歳で5475日となり、累積日数を逆数化したものを1日の感覚的な長さとすると、感覚時間を1としたときの年齢別感覚時間倍率は、10歳で0.5倍、15歳で0.33倍、20歳で0.25倍、40歳倍で0.13倍、60歳で0.08倍と年齢とは反比例するそうです。値が小さくなるということは、1日の感覚時間は、年齢を重ねるほど短く感じるということだそうです。その他にも、1日の変化率を調べると、年齢を重ねるほど変化率が低くなりマンネリ化することによって、時間が短く感じることもあるという報告があります。
    さて、ここで僕が考えたことを書いてみます。
    僕が注目したのは、心拍数と脈拍数です。心拍数は通常1分間に心臓が拍動する回数をいい、脈拍数は心臓が血液を送り出す際に、動脈に脈拍が生じる回数をいいます。
    豊橋創造大学 鈴木秀明氏らは、年齢による平均心拍数変化を幼児が98.1拍、成人が70.6拍、高齢者が77.4拍と報告している。また、英オックスフォード大学のMatthew Thompson氏による平均心拍数は出生児が127拍から約1ヵ月後に最大145拍となり、2歳時には113拍と減少していくことを報告しています。
    年齢による平均脈拍数変化は、新生児は120〜140回、乳児は110〜130回、幼児は100〜110回、学童期は80〜90、成人は70〜80と減少していきます。
    拍動数と脈拍数は、子供から大人になるにつれて減少していきます。ということは、時間の絶対時間は不変でも、体内の心臓を中心として内臓感覚は、大人より子供の方が早く活動しているということになり、からだに感じる時間は必然的に子供の方が、1日が長く感じるのではないかと考えました。こんな考え方を僕はしてみましたが、どうでしょうか。
    ただ間違いなく多くの人が、時間の感覚は年齢とともに短く感じ、若い頃の方が時間の感覚の変化は大きいと思っているということです。感じる時間は人それぞれでも、肉体が存在する以上1日24時間という限られた時間の現在のこの時を、どのように過ごすのか、どのように時間を使うのかと考えると、時間も自分の感覚時間も大切に使わせていただきたいと思います。
    ありがとうございました。

    Sotai Forum in Madridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。