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  • 六日目 意識(いのち)を耕す木

    常識以上の知恵を得る由に必要なことにお金を使う。成績がよろしくない人は、もう少し自分に気を配ればいいのに。また、お金がない人は、もう少し働けばいいのに、お金を使うことばかりを考え、また、お金を持っている人は、お金を使うことを考えればいいのに、お金を儲けることばかりに熱心である。下心と欲は違うのだ。魂を上昇させるエネルギーとして欲がある。人が豊かさをもてる者にはさらに与えられ、ない者からはさらに奪われる。
    この豊かさの中には「失うものはなく、困ったことはおこらない。
    ある人曰く、豊かさとは一人の人間を救っていることだと言った。その一人は自分であると。また、人曰く「まづ、自分が幸せになること。それで他の誰かが幸せになる」んだと。
    精神的な豊かさ、と物質的な豊かさを求めて両立するのか?両立して困ることは起こらないようです。
    もし私に解決できそうにもない問題が起きたとする。しかしその問題は、私に解決できない問題は100%起きないようです。また、その問題は私でないと解決できない問題らしい、それが私に起こる問題だと言うのです。
    またその問題は、段階を越えてクリヤーしていくと、複雑で深刻にならづ、よりシンプルになっていく、もし深刻になるなら、その方法や考え方が間違っているようです。やり方、考え方を改めなさいと教えているのです。

    三浦寛 操体人生46年の集大成 ”操体マンダラ Live ONLY-ONE 46th Anniversary”は2012年7月16日(海の日)に開催致します。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催決定

  • 五日目

    おおぃ!主人公
    ハイ
    ちゃんと目を醒ましているか?
    ハイ
    これから先も周りに惑わされるなよ
    ハイ

    昔むかし中国に、毎日自分に向かって独り言を言う瑞巌和尚という禅師がいました。毎日、毎日、自分にむかって「主人公」と呼びかけ、自分で「ハイ」と返事をしていたのです。もし、この禅師が、自分にむかって、このように呼びかけ、自分に返事をしたら
    おおぃ主人公
    イヤ私は主人公ではありません
    ちゃんと目を醒ましているか
    イヤ目を醒ませません
    これから先も周りに惑わされるなよ
    イヤ、約束できません
    と、返答し、くり返していたとしたら、この言葉を自分にあてはめてみる。スナホに「ハイ」と言える自分でありたい。スナホに自分を肯定したい
    おおぃ、おまえは、人生の主人公なのか、それとも奴隷なのか。ただ人生の役割を演じているだけなのか。おおぃ、目を醒ましているか、惑わされるな、おまえは人生のサーバント(召使い)ではないのだぞ、人生の主体なる自己であれ、目を醒ませ、目を醒ましているか?

    三浦寛 操体人生46年の集大成 ”操体マンダラ Live ONLY-ONE 46th Anniversary”は2012年7月16日(海の日)に開催致します。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催決定

  • 四日目

    人間とは不思議だ。この世に、この時代に、この世界に自分という自分が一人しかいないという自分の不思議。自分という自分が、何故独りきりなのか、とても不思議。その事実は、なんという、すごい、すごい、ことなんだ・・・・と思ってしまう。いったいこの世に私が存在しうるまで、どんな不思議なストーリーが重なり重なりあっていたのだろう。意味もなく、この世に足を踏み入れた訳じゃないんだなとおもう。ただ、ただ、日々、日々生活時間のなかで人生を送りつづけていたのではなァ・・・と思う。独り一人の人生にはとぎれることのない、めんめんとしたいのちの連鎖があるんだろう・・・なと。
    私という私の部分は人格的知性が10%で、あとのほとんど、90%は非人格的知性に包まれている。
    「人間、非なるもの、未知なる存在」
    私は私として肯定はするが、わからない自分。「こうなんだ」といえない非なる、未知なる自分に包まれている。不死という無限の空間と、生と死という有限の空間をまたいでいる。
    今の私は「生きていい、ここにいてもいい」という境地と、「死ねるんだ、死んでいい」という自由を得ている。それは不死の回生をくりかえしていること・・・・。それは不死(自在)ありて生(存在)なのだ。
    それが、わからない自分の納得です。肯定です。

    三浦寛 操体人生46年の集大成 ”操体マンダラ Live ONLY-ONE 46th Anniversary”は2012年7月16日(海の日)に開催致します。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催決定

  • 三日目

    先日、久しぶりに銀座のITO-YA伊東屋)に足を向けた。私専用のノート買うためだ。このノートはLIFE No.31、今回は六冊買いこんだ。ITO-YAには、私が好きなボールペンと万年筆が数多く置いてあって、私を愉しませてくれる。万年筆はこりにこったものまで品数多くそろっている。ふと目がとまると、そこに竹風の万年筆が一本だけ、”貴品”をただよわせて納まっている。店員に頼んでケースから取り出してもらい、書き味を確かめる。なめらかにすべる書き味である。職人の匠を感じさせる一本、これだなとうなづいてしまった。福島のペン職人が最後の作品として制作した、600本限定のなかの一本、054と打ってある。600本限定の54本目の万年筆。八十歳で現役を引退されたそうだ。
    万年筆は今まで何本も手にしているが、これほどしっくりなじんでくる万年筆に出会うことはなかった。本物に出会える喜びの一瞬である。豊かな感性と感動を与えてくれる一本だからこそ、こだわりたい、のです。

    三浦寛 操体人生46年の集大成 ”操体マンダラ Live ONLY-ONE 46th Anniversary”は2012年7月16日(海の日)に開催致します。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催決定

  • 二日目

    ミスタードーナツミスド」は朝七時に開店する。早朝四時〜五時台は二十四時間オープンしているデニーズで、自分自身と向かい合っている。自分自身の時間である。日記をつけ、読書し、執筆している。私きりの独りの時間である。この時間帯は、水商売の若い、カラフルな女性が流れてくるし、アルコール漬けの若者がたむろして、騒々しい。デニーズは客のガラが最低だが、ほとんど気にもならないほど自分に集中している。三時間ほど居すわり続けて七時すぎにミスドに移る。いつもの定席が空いている。ウインドウガラスに向いて、温かいいれたてのコーヒーを頂きながら、NEXTを一服。時間が許す限り、自分自身に集中する。ふと、人の気配を感じ、外を見ると、私をカメラにおさめている男性がいた。彼はあわてて立ち去ろうとする。私は外に出て彼を呼び止め、コーヒーを飲まないかとすすめる。五十代後半の、三茶に長年住んでいる人らしい。以前から私を見ていて、いつかはと、シャッターチャンスを狙っていたのだという。数年前まで写真店を経営していたようだが、大病を患い、店を閉め、好きなように生きているという。いってみればカメラのプロなのだ。彼は申し訳なさそうに失礼を詫びたが、誠実な方だったので、カメラがこわれない程度に撮っていいですよ、と彼の希望を受け入れた。それから朝ミスドで会う機会が増え、会うたびに私を撮っている。撮った写真を丁寧に私に手渡してくれる。七月の「操体マンダラ Live ONLY-ONE」のサイトで使っている私の写真も、彼が撮ってくれた。

    彼は若い頃、小説を書いていたのだという。彼の写真はもっぱら人物のようだ。私は人物は余り撮らない。言葉をもたず、私に語りかけてくる存在が、対象である。
    この間、花屋の若奥さんから、ハスの球根をいただいた。泥も肥料も頂いて、説明どおりにやってみた。まだ数週間しかたっていないが、ムクムクと茎が伸び、葉が開いた。日に日に大きく成長している。この分では花をつけてくれるな、と愉しみである。朝、必ずハスを観察し、感動している。こいつはすごいよ!ついシャッターを押してしまう。

    彼は、日本人外国人を問わず,若い女性に声をかけ、シャッターを押しているようだ。
    私はある著名な写真家を知っている。作品は絵の中に浮き出る。パステルで描いた写真である。彼の名は「天涯」花は揺れ闇はかがやく(第一部、第二部)の作品を世に贈った放浪の写真家で詩人の沢木耕太郎である。
    私はこの二冊を古着屋でみつけ、手元においている。毎日手が届くところに置いて、目をとおしている。
    彼の写真集には、アンティークな時計がよくにあう。

    天涯〈第1〉鳥は舞い 光は流れ (SWITCH LIBRARY)

    天涯〈第1〉鳥は舞い 光は流れ (SWITCH LIBRARY)

    三浦寛 操体人生46年の集大成 ”操体マンダラ Live ONLY-ONE 46th Anniversary”は2012年7月16日(海の日)に開催致します。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催決定

  • 一日目

    今日から一週間、三浦が担当します。
    いよいよ、夏の到来。すっかり私の服装も、半袖、上着一枚、そしてジィンズもうす目の軽いものに変化し、革靴にかわって、長楽園のゲタで三茶の街を闊歩しています。カラン、コロン、カラン、コロンのゲタの音も鮮やかです。先日まで白靴下の上からゲタをつっかけていましたが、今は素足のままで闊歩しています。
    先日、ワラジをつっかけてみました。あまりにいい感触なので、笑いがこみあげてきます。うれしい感動でした。
    二日前、下北沢の帰りに、高ゲタを見つけて感動し、注文しました。この手のものは、注文を受けてからつくるのだそうです。つまり高ゲタなどは、陳列しても売れないのだそうです。出来上がりは金曜の午後とのこと。高ゲタの高さは約8センチと決まっているそうです。私がはくと、約179センチの身長になります。ジィンズにもよく似合います。ワラジもゲタも高ゲタも、下品にはかないように、ワラジはワラジなりの、ゲタはゲタなりのよさを生かせるように、気くばりしてみます。

    ごく最近、栄通りの奥まったところに、古着屋が開店しました。この店のオーナーと、すっかり親しくなりました。上智大学の哲学科を卒業した、まだ30代前半の青年、今風に言えば、必ずしも学んだ学部と職業と人生は比例するものではないようです。ただ、考え方に一つの哲学があるようです。それは、美学とでもいったらいいし、経営に必要なセンスとして生きているようです。彼にはちょくちょく操体観をとおしてのセンスや、もち味を教えました。
    彼は、人の語るところをよく聞く素直さがあるし、謙虚なんです。
    当初、店のハンガースペースには最大限すきまもなく、服をつるしていたのです。服と服とのスペースが全くなくて、呼吸ができないほどでした。私はそれを見逃さづ、服が呼吸できなくて、窒息しているよ、それじゃお客様は買わないな、服だって人間と同じに、呼吸しているんだからね、とアドバイスする。服と服の間をはかり、服が呼吸しているように感じさせると、一つ一つの服が生きてくるんだ、服に呼吸させてあげないとネ・・・。
    数日後、オーナーに会うと「三浦さん、言われた通りにしてみたら、手に取って買って下さるお客が増えた、客足が伸びた」と語る。
    実は、初めてこの店に足を運んだ時、私に古風な文字盤の時計を見せてくれた。この時計、どうやっても秒針が動かないんですよ。自動なんですけどネ。
    どれ見せて。手に取って文字盤に触れる。
    ・・・秒針が動き出す。オーナ−、手に取って見てごらん、動いているよ。本人びっくり、どうなさったんですか、と不思議そうである。
    その後も三浦さん、時計動いてますかと聞く。二ヶ月たっても狂うことなく動いている。この時計、実は私の手元に納まっている。

    三浦寛 操体人生46年の集大成 ”操体マンダラ Live ONLY-ONE 46th Anniversary”は2012年7月16日(海の日)に開催致します。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催決定

  • 46th Anniversary

    不思議なご縁を感じるのが、このタイトルになっている46th Anniversaryです。これは師匠である三浦先生操体とのご縁があって今年で46周年を迎えられたという意味で、来月16日海の日に、津田ホールでLive ONLY-ONE 46th Anniversaryと題して、三浦先生のワンマンライブが開催されるのです。
    不思議なご縁を感じると言うのが、46年前と言えば、私がこの世に生を受けた年だからなのです。三浦先生が操体との縁があった年に自分が生まれたなんて、何だか目に見えない縁(えにし)を感じてしまうのです。
    三浦先生が操体とご縁があった、又、私が生まれた昭和40年ってどんな年だっただろうか?とふと振り返りたくなってみました。

    昭和40年、1965年は三浦先生17歳、青春真っ只中と言ったところでしょうか。この頃の世相はどうだったかと言えば、VAN(ヴァン)のアイビー・ルックとして広まった3つボタン、細身のズボンの背広を着たしゃれたファッションを身に纏った若者たちが出現「アイビー族」と呼ばれた人々です。
    「アイビー」とは米国東部の名門私立校8校の連盟アイビー・リーグから命名されたそうです。但し、日本のアイビー族は学歴不問で、ファッションでアイビー族と呼ばれたとのこと。
    後は「テケテケテケ」で有名なベンチャーズを中心とした”エレキブーム”が起こったことです。ベンチャーズに至ってはメンバーが入れ替わったりしてはいますが、たいへんな親日家であり、いまだに毎年日本にやって来ています。日本の音楽に与えた影響たるや凄いもので、今、日本で大御所と言われているミュージシャンの殆どに影響を与えたのではないでしょうか。
    このエレキブームのお陰で、日本のギター人口が一気に増加、結果として各地にエレキ・バンドが誕生しました。しかもその翌年、ビートルズが来日したことで、その後のグループサウンドブームへと繋がっていくのです。因みにベンチャーズはその多大な貢献度に対して、2010年に旭日小綬章も叙勲されたようです。
    2009年に結成50周年を迎えたとのことなので、老いて益々盛んとはこのことでしょうねぇ・・・

    昭和40年の主な出来事としては、特に大きな事件等は見当たらないので、目に付くものをあげてみますと、2月に大塚製薬オロナミンCを発売しています。この頃は崑ちゃんがキャラクターでは無いですよねぇ・・・3月に西表島で新種の猫ではないかと思われる頭骨と毛皮を発見!命名はご存じイリオモテヤマネコトヨタがSports Carトヨタ800」を発売!今でも手入れして乗っている方がいらっしゃいますねぇ、俗に言う「ヨタハチ」です。
    日産も「シルビア」を発売してますねぇ・・・7月には日本初の報道協定がひかれた吉展ちゃん誘拐殺人事件の容疑者が逮捕されています。後はJRでみどりの窓口が出来東海道新幹線、東京〜新大阪運転開始第一回プロ野球ドラフト会議が開催されたのもこの年だそうです。因みに巨人の一位指名は悪太郎こと堀内恒夫氏だったようです。

    当時流行った歌謡曲としては、一番売れたのは美空ひばり「柔(やわら)」で、前年度の東京オリンピックも手伝って、わずか半年間で180万枚のミリオンヒットだったそうです。後はペギー葉山「学生時代」都はるみ「涙の連絡船」が共に100万枚のミリオンだったようです。その他も錚々たるメンバーで、石原裕次郎(二人の世界)、北島三郎(兄弟仁義)、越路吹雪(サン・トワ・マミー)、デューク・エーセス(女ひとり)、マヒナスターズ(愛して愛して愛しちゃったのよ)、水前寺清子(涙を抱いた渡り鳥)など若い人は知らないだろうと思われる、往年のスター達の顔ぶれが並んでおります。

    映画は興収が高い順に「007/ゴールドフィンガー」「マイ・フェア・レディ」「サウンド・オブ・ミュージックと洋画がベスト3を独占しておりました。邦画のトップが網走番外地/北海篇」と洋画との芸風の違いに吹き出しそうになりました・・・

    テレビに関して言えば、この年は私にとって思い入れの強い番組が幾つかスタートしております。私と言えば大河なので、この年の大河ドラマ太閤記でした。秀吉役は故緒形拳氏、信長役が高橋幸治氏と錚々たるメンバーです♪
    そして、あのセコムがモデルになっているドラマ、「ザ・ガードマン」がスタートしたのもこの年です。このドラマは私にとんでもないトラウマを植え付けてくれました。真夏の恐怖シリーズと称して、幽霊や怪談をテーマに番組が構成され、子供心に余りの恐ろしさに、夜に一人でトイレに行けず、母親を起こしてトイレの入り口で待ってもらうという、今考えると何てことしたんだろうと思う様なことをしておりました・・・

    そしてもう一つ、あの11PMがスタートしたのもこの年です。性春のバイブル的番組で、個人的に好きだったコーナーが“うさぎちゃん”が温泉を紹介する「秘湯の旅」が何故か好きでした。意味の無いカット満載で、頭弱そうなリポーターの女の子が、温泉の効能が書いてあるパネルを持ちながら「こ〜の〜は(効能は)」って言いながら温泉の効能を説明するのです。後は矢追純一氏がコーナーでUFO特集をやっていたのも覚えています。まぁ当時のカバーガールも今では大女優になった人や、他人と姉妹になった方など、色々いらっしゃいました。個人的に好きだったのは小栗香織でした・・・

    とまぁ、昭和40年って年を振り返ってみましたが、自分が生まれた年に何があったかなんて、当時は分かる訳も無く、改めて今回調べることで、へ〜って発見が色々とありました。
    でも冷静に考えると、私が生きてきた46年は長かった様な短かった様な気もしますが、その46年を操体と共に過ごして来られた三浦先生は凄いです。
    生きてきただけでも長いのに、誘惑の多い青年期から今に至るまで、創始者である橋本敬三師の背中を追いかけ、人生を命をかけて取り組んでいらっしゃる姿には誰も真似が出来ません。師匠とは自分自身が目指すべき頂であり、その頂に登ってみたいと思える師匠に出会えたことに、喜びを感じます。

    人の縁(えにし)は必然であり、偶然は存在しません。その貴重な縁を自らスルリと手から離してしまう人もいます。相手から切られる縁は仕方ないとしても、自ら切る縁はよっぽどの深い考えが無ければ、無謀です。
    精密な神の設計図に狂いは無く、出会うべくして出会い、意味の無い出会いなど、図面には無いのです。時には反発することもあるでしょう、時に迷うときもあるかもしれません。
    ですが、そのどれもが神からの試練なのです。その試練に挫け、縁を自ら切ってしまえば、人生の設計図は大きく変わり、その後の人生は迷い多き人生となるでしょう。
    先ずは受け入れる、飲み込む、そして深呼吸をして考える、人生の設計にミスは無いのです。人は人に活かし活かされる、この人を繋ぐ大切な命のリレーを私も私の人生をかけ取り組んで行きたいと思います。
    私の46周年は後、35年位あります・・・生きているんだろうかと一抹の不安を覚えつつも、師匠の様な46周年が迎えられる様に精進したいと思います。一週間ありがとうございました。来週からは我らが師匠、三浦先生の登場です。お楽しみに!

    三浦寛 操体人生46年の集大成 ”操体マンダラ Live ONLY-ONE 46th Anniversary”は2012年7月16日(海の日)に開催致します。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催決定

  • 一日一食生活

    以前のBlogにも書いたのですが、私は「食研究」を自分自身のテーマとしておりまして、自分にとってのベストな食事、食生活とは何なのかを若い頃より自らの身体を通して検証しております。
    20代前半から中盤は身体作りに熱中し、ウエイトトレーニングで身体を作り上げるのを取り憑かれる様にやっていました。週三回のトレーニングとトレーニング後のプロティン摂取など、この頃はサプリメントを何も考えず摂ったのを覚えています。プロティン、VC、VE、VB群、ミネラル系などありとあらゆる栄養素をこれでもかとサプリメントにより摂取していました。
    そのお陰である程度の身体を作り上げることが出来ましたが、如何せんサプリメントが高額なため、最後はプロティンだけを必死で摂っていました。
    ですが、仕事の関係で運動そのものが出来なくなり、必然的にプロティン生活も終了しました。

    その後やってみたのが、徹底した油抜き生活でした。タンパク質は鶏のササミか胸肉のみ。脂身も自分で取りながら、蒸して調理をしていました。卵に至っては黄身を捨てて、白身だけを白身焼きにしてタンパク質摂取していました。
    徹底した食事管理で、カロリーと栄養素をどう組み合わせるのがベストなのかを考え、当時は頭で食事をしておりました。これは余りにもストイックにやり過ぎてノイローゼ一歩手前になり、その反動で開き直りすぎてとんでもリバウンド状態になってしましました・・・

    そんな状態の時に出会ったのが、酵素断食」でした。私は性格上、適度に食べるとか、バランスよく食べるといった中途半端なことが一番苦手です。やるなら0か100の人なので、“断食”と言う響きは私にとってはとても心地よい響きでした。もっとも、完全断食では仕事をしている身の上で、とても出来ないと思っていましたが、この酵素断食」に関しては、一日の固形物で摂取するエネルギーを酵素という形で、液体で摂取することで、身体への負荷を軽減することが目的でした。そこで、善は急げで早速、酵素作りから取りかかりました。
    この手作り酵素は基本、自然にあるものが材料なので、いつでも出来るというわけではありません。春と秋の年二回しか仕込むことが出来ないのです。春であれば、4月から6月の中旬位迄でしょうか。春の野草が勢いよく出てきている頃までが仕込み頃です。作り方は至って簡単!仕込む量だけ野草を採集します。私は大体、5Kg位を毎回仕込んでいました。採取した野草を水洗いし、1〜2Cm角位に切り、手早く漬け物樽に入れ、それにプラス白砂糖を加えていきます。砂糖の量は材料の1.1倍です。それを毎日、手で混ぜます。それをひたすら1週間から10日間行い、最後にこし布に材料を入れて、水を出し切ります。
    出た液体を一升瓶などに入れて、日陰で保存します。1mlが4Kcalなので、1500Kcal摂取するなら375mlの酵素を飲めば、一日の活動に必要な糖質は摂れるので、その酵素断食を10日間行いました。
    それを当時、3ヶ月に1度の割合でやっていたので、当時は本当に体調が良かったのを覚えています。

    断食の次にマイブームになったのが先日まで行っていた、“純・日本食生活”でした。特に米をシッカリ食べようと、ご飯の量を今までの倍以上に増やし、おかずを質素に、一日三食キッチリと食べていました。
    この日本食生活は二年弱行いましたが、やはり重量Overになってきましたので、何かマニア心を擽るものは無いだろうかと、つらつらと考えていました。

    その時、師匠である三浦先生が私の身体を見つつ、ボソッと「福田も一日一食かな・・・」おっしゃいました。軽く聞き流しそうでしたが、今までの数々の食のチャレンジの中で、最も体調が良かったのが、やはり“断食”生活だったことにふと気付きました。これこそ神の啓示かも・・・
    我々の世代はたくさん食べないと身体が持たないと言われて育ってきた世代なので、スタミナを付けるには肉!とか、しんどくても食べないと駄目だ!と食べることが健康の証みたいな、食べること信仰の呪縛が強い中で、食べないことの効用が、中々理解出来ませんでした。

    しかし、最近、医師である南雲吉則氏も著書「空腹が人を健康にする」の中でも一日一食の効用を様々謳っています。
    日本人が一日三食キチッと食べられる様になったのは戦後になってからだと言います。逆に生活習慣病がこれだけ増加したのも、戦後になってからで、この飽食との因果関係は無視することが出来ません。
    著書の中で南雲氏もお腹がグーッと鳴ることは、人間の中の若返り遺伝子でもあるサーチュイン遺伝子が活性化しているときだから、喜びなさい、お腹が鳴るから即食べるのでは無く、暫くは若返っているなぁという感覚を楽しみなさいと言っています。
    このお腹が鳴る現象は私も臨床の中でバロメーターにしており、足趾の操法をとおしているときなどに、クライアントのお腹が「グ〜ッ・・グ〜ッ」と本人の意思とは関係なく鳴り出すことがあります。
    「スイマセン・・お腹が空いているわけではないのに・・スイマセン」と申し訳なさそうに謝るクライアントに、身体が喜んでいる証拠ですから、良いことなんですよと言いつつも、南雲氏の言葉を借りれば、快を感じた身体がサーチュイン遺伝子を活性化させているところであって、免疫力とか抵抗力が高まっているところだということなんですねぇ。

    因みにこの「一日一食生活」を始めて未だ一ヶ月ほどですが、感想としては非情に快適ってことでしょうか。一番の変化はお肌がツルツルになったことです。
    自分で触っても気持ちいい位ツルツルになっているので、化粧でもしたら、さぞノリが良いだろうなと・・・
    それと朝と昼に食事をしないということは、その時間が空くということなので、本を読んだり、今まで無かった時間が出来たことも新たな発見です。
    後、不思議と夜更かしが辛くなってきて、23:00が限界になってきたことです。今迄、夜ガラス福ちゃんと言われる位、遅くまでゴソゴソしていた私が信じられないほど、早く寝て、早く起きているのです。
    朝は5:00位に目が覚めるので、目覚ましがいらなくなりました。
    体重に関しては一ヶ月で約5Kg程落ちました。お陰で着られなくなっていたTシャツが着られる様になったり、Gパンが入る様になったりと、ボツボツ目に見える結果も出てきています。
    後ビックリしたのは、一日一食なのに、排便はシッカリとあることです。しかも驚いたことに、ちょっと尾籠な話で恐縮ですが、便の色がとっても明るい色に変わったことでしょうか。今迄も便秘になることは無かったのですが、赤ちゃんのウンチの様な綺麗な色に変わっていてビックリです。

    まぁ、この食生活はこのまま継続していければと思っています。今迄様々な健康法や食事法を試してきましたが、出来ればこれで終着駅になればいいなと思っています。これからもBlogなどを通じで、途中結果をご報告出来ればと思っております。その内、腹筋が仮面ライダーの様になると思われます♪

    「空腹」が人を健康にする

    「空腹」が人を健康にする

    三浦寛 操体人生46年の集大成 ”操体マンダラ Live ONLY-ONE 46th Anniversary”は2012年7月16日(海の日)に開催致します。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催決定

  • 石見グランフォンド2012

    昨年の6月から野球の補助トレーニングにと思い立ち、膝に負担がかかりにくいという理由から、自転車に乗る様になりました。
    車種としてはクロスバイクを選択し、フォーラムでも岡村実行委員長がクロスバイク乗りだということですが、世の中のブームに乗っかる形で“バイク乗り”になっちゃいました。
    バイクにも色々種類があり、一般的にはドロップハンドルの「ロードバイク」がよく乗られており、ロング・ライドにも疲れにくく、快適なのがロードの特徴でしょうか。
    後はスタントや悪路を走るのに適しているBMXもありますが、長距離を走るのには向いていません。

    で、私が敢えて選択したのは初心者からいきなりロードもこっぱずかしく、いつまで続くかも分からない物に数十万も投資するのもどうかと思い、真ん中を取ってクロスバイクにしたのです。今考えれば最初っからロードにしときゃ良かったのですが、ここはそれ、男のショーも無い意地といいますか、トコトン乗り倒したろと思い、今に至っております。
    仕事の関係もあり中々、毎日乗るというわけにもいかず、殆どがSunday Rideで、普段走らない分、週末は大体100Km位を走る様にしています。
    私が住んでいる宍道町は幸いなことにバイク乗りにとっては最高の立地条件で、10分も走れば激坂Rideや湖畔Ride、山あり海ありと、コース選択には困りません。ご近所には先輩Rider方もいるので、お誘いを受けて走ったりと、すっかりエコな出雲人になっております。

    約一年間走ってみて気が付いたのは、思っている以上にストレス解消になっていることです。ランニングをしていた時は、ランニング中に後何キロかなぁとか、様々なことを思い巡らしながら走るので、割とストレスになったりするのですが、ことバイクに関しては私みたいな素人でも平地で約30Km前後のスピードで走ると、心地よい緊張感があります。下りになると50Km位のスピードが出ますので、気を抜けないのです。よそ見をしていたり、ボーッとしていると、思わぬ大事故に繋がったりもしますので、常にバイクだけに集中出来るので、無になると言いますか、頭を空っぽにして集中出来るので、心地よいリフレッシュになるのです。長距離を乗っているとお股が痛くなったりと、オマケもありますが、スッカリ虜になってしまったようです。

    そんな私にご近所の先輩Riderから、大会があるから出てみないか?とお誘いを受けました。その方も大会に出場したことは無いとのことで、まぁ、そんなにしんどくないそうですから出ましょうよ。とのお誘いに特に断る理由も見つからず、いいっすよ!と気軽に返事をしました。
    それが、今回のタイトルにもなっている、先月行われた、島根県世界遺産石見銀山周辺を舞台とした「石見グランフォンド2012」という大会でした。
    山陰のサイクリストでこの大会を知らない人は居ない位の大イベントです。今年も東京や九州から多数の参加者になり、610名の参加者だったようです。
    私も詳細を知らずに返事をしたものの、コース等が気になって、YouTubeでコース確認をしてみて唖然・・・私は完走出来るのだろうかと大きな不安に苛まれながらも、ペダル回せばとりあえず前には進むだろうと、いつもながらの脳天気振りで当日を迎えました。
    やや肌寒いながらも雨が降ることは無いとの予報なので、良い一日になれば良いなと思いつつスタートしました。因みにこの大会はコースが三種類あり、最長がとんでもない山岳地帯を激走する石見山塊往還200Kmコース三瓶カットコース190Km、そして私がエントリーしたショートコース140Kmの3コースです。途中までは全員が一緒なコースを走りますので、普段はそんなに人が居ないだろうと思われる町の中を、派手なジャージを着た人々がたくさん走っているのは、かなり奇妙な光景だろうと思いつつ走っておりました。
    すると、沿道の方々が旗を振ったり、手を振りつつ「がんばれ〜」と声をかけてくれるのは何だか、こっぱずかしさと同時に、踏み込む足に力が入るのが分かりました。毎年恒例の行事なので、地元の人はよく分かっていて、沿道に出て応援をしてくれるのです、しみじみ応援って力もらえるなぁと感じつつ、走りました。

    最初のエイドステーションで、地元産の蕎麦を食べ満足しつつ、いよいよ本格的なヒルクライムへと向かいました。
    6〜8%クラスの激坂を延々と上り続けるコースがこの大会の特徴だそうで、そんなこと一言も聞いていなかった私は何度も心が折れそうになりながらも、う〜だまされた・・う〜だまされたと念仏を唱える様に恨み辛みの言葉を吐きつつ、一番軽いギアでひたすらハムスターの様にペダルをこぎ続けました。
    坂の途中で大の字になって休憩している人々を見ると、降りて歩ければどれだけ楽だろうか・・休もうか・・イヤイヤ!男としてのプライドがぁ!などと自問自答を繰り返しつつ、ひたすら坂を登り続けると、頂上付近にメッセージボードを持った大会関係者が、「8%クラスの坂はここで終わりです」と書かれた看板を出していました。
    地獄に仏、距離的には後、半分位残っていましたが、何だかゴールした位に安堵しました。
    しかし、そんな安堵も束の間、前半の激坂で体力を奪われた身体はちょっとした坂でもヒーヒー言いながら後半も、こぐこととなりました。
    一緒に走っていたご近所様にも、このコース考えた担当は絶対サドだよ!鬼!悪魔!と最後までぼやきつつ、ゴールしました。最後あたりは疲れもピークで黙々とこいでいたら、割と早くゴールした様でした。
    会場で最後のチェックをした際に、「来年もお待ちしてます♪」と受付嬢に言われましたが、私の顔は確実に引きつっていました・・・正直、二度と勘弁・・

    と、それから一ヶ月経った今では、坂を探して自転車を走らせています。苦しいこともあったけど、今聞かれたら走ってみようかなぁという気持ちになっているから不思議です。
    来年は今年よりも楽に走りたいな、楽に走れる様な身体を作って行こうかなと前向きな気持ちになっている自分に、コース設計はサドだけど、参加しようとする私らは明らかにマゾだなと妙に納得した私でした・・・

    三浦寛 操体人生46年の集大成 ”操体マンダラ Live ONLY-ONE 46th Anniversary”は2012年7月16日(海の日)に開催致します。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催決定

  • The Walking Dead

    毎回恒例、最近はまっているものシリーズ?ですが、毎度の事ながら海外ドラマシリーズから、「The Walking Dead」です。
    ウオーキング・デッドと聞いて分かった方は、結構なホラー好きですなぁ。。
    タイトルから言えばそのまま、死んだ人が歩くゾンビドラマです。
    私は昔からホラー大好きで、特にスプラッター・ホラーと言われるB級作品が私の心をくすぐってしょーがありませんでした。そんな中でも神作品Night of the living Deadから始まり、「ゾンビ」「死霊のえじきといったジョージ・A・ロメロ監督の三部作にまんまとはまり、特に「ゾンビ」は私の中では衝撃的作品でした。内容はともかく、特殊メーキャップに衝撃を覚え、若かりし頃の一時期、真剣に特殊メーキャップ・アーチストを目指そうと思った時期もありました。
    このゾンビでの特殊メーキャップ・アーチストが人体破壊系アーチストの神こと、トム・サヴィーニ氏でした。ジョージ・A・ロメロ監督にはトムがセットという位に一時期のハリウッド特殊メーキャップに、残酷描写アーチストとして一大センセーションを起こしました。
    この特殊メーキャップにも色々と芸風があって、ディック・スミス氏の様に、「ゴッドファーザー」のマーロン・ブランドへのメイクなど、シリアスな映画のイメージを壊さない芸術的繊細なアーチストや、リック・ベイカーやスタン・ウインストンの様にマイケル・ジャクソンのPVやSF的要素も含めた創造的なメイクを施すアーチストもいます。

    しかし!そんなアーチストと一線を画すのがトム・サヴィーニ大先生なのです。芸術を微塵も感じさせない、ひたすら“血!血!血”と胴体はちょん切れるわ、顔面吹っ飛ぶわ、内臓飛び出しのオンパレード。まともに見ていると、当分肉料理は食べられません。まぁ、今に至るゾンビの社会的認知はジョージとトムの功績と言っても良いでしょう。

    このままだと、またまた話が脇道に逸れていくので、元に戻しますと、私が現在ハマリ中の「The Walking Dead」もゾンビ満載の物語なのです。
    但し、私が愛してやまないトム先生とは芸風の違った、ゾンビストーリーとなっております。最初は単純にゾンビが大量に出てくる際物ストーリーかと思いつつ見ておりましたら、設定が妙にリアルで気が付けば、思いっきりはまっていました・・・保安官である主人公のリックが職務中に拳銃で撃たれ、昏睡状態の長い眠りから醒めると、世界は大きく変わっていた・・・とまぁこんな感じの出だしだったのですが、街中に溢れるゾンビ達と戦いながらも、別れ別れになった妻と息子を探しながら、生き残った人間の仲間達と安住の地を求めて旅をするゾンビ・ロードムービーといった感じでしょうか。
    面白さの一つは人の描き方です。法律も常識も無くなった世の中で、必死に正義を貫こうとする主人公に対し、生き残るために非情に生きることを是としたかつての同僚など、男女問わずその都度の生きるための選択が、誰が正しいのか?思わず考えずにはいられません。正常な精神状態で無くなった時に何を基準に物事を考えるのか?など、自分だったらどうするだろうか?を思いつつ見ております。

    最初はゾンビドラマと思って見ていたら、途中から何だか以前見たことがある様な錯覚にとらわれました。よくよく考えてみると、一昨年、WOWWOWで日本初放送された、アメリカのテレビドラマ「The Pacific(ザ・パシフィック)」と重なる部分が多々あり、何だか妙に考えさせられることとなりました。
    このドラマはスティーヴン・スピルバーグが映画プライベート・ライアンテレビドラマ“バンド・オブ・ブラザーズ”の二作品で欧州戦線を描き、最後に太平洋戦線を描いたのが、この「The Pacific」でした。
    アメリカ側から見た太平洋戦線ということで、当初から興味を持って見ておりました。ガダルカナル戦線、硫黄島、沖縄といった激戦地を転戦して行く主人公達が徐々に心を蝕んでいく様子が物語を通して描かれ、最初は恐ろしくて引き金を引くのもためらっていた若い兵士が、戦線を重ねる度にまるで、物を処理するが如く引き金を引いていく様は、アメリカ・日本どちらから見ても、戦場の狂気を充分に描かれた作品だと思いました。

    「The Walking Dead」でも最初は元々人間だったであろう人々に銃口を向けるのをためらっていた人々が、仲間を殺され、自身が生きていくためにと理由付けてゾンビの頭を打ち抜いていく様は、何だか「The Pacific」での日本兵と対峙したときのアメリカの若い兵士の姿とダブるところがあり、妙に考えさせられました。
    自分の身内がゾンビに噛まれれば、数時間後にはゾンビになってしまう。生き残るためには頭を打ち抜かなければならない。この究極の選択・・・元は人間だから治るかもしれないと納屋にゾンビを監禁して、殺さないという選択をする人々や、こんな世の中には生きていたくないと、自ら死を選ぶ人など、ゾンビドラマでありながらも、現在の先が見えない混沌とした世の中を暗示しているかの様な描き方に、見る人を引き込む魅力があります。

    個人的に家族愛を前面に押し出す今のアメリカ映画には余り共感出来ませんが、ことテレビドラマに関しては秀逸なものが多く、日本の様に見栄えが良いだけのタレントを使って喜んでいるドラマとは違い、中身も予算もふんだんに使われ、視聴率が悪ければバッサリと切るのも制作側を含め、緊張感があり、それがより質の良い番組製作へと繋がっているのだと思います。
    まあ、「The Walking Dead」に関してはグロ系NGと言われる方も是非、見て下さい。そして、自分ならの選択肢を考えてみても面白いと思います。

    三浦寛 操体人生46年の集大成 ”操体マンダラ Live ONLY-ONE 46th Anniversary”は2012年7月16日(海の日)に開催致します。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催決定