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  •  三日目。宇宙不変の法則

    橋本敬三先生は

    社会主義弁証法よりも、陰陽弁証法のほうが優れている」
    というようなことを書いていらっしゃいます。

    シベリア抑留中、いわゆる「アカ(社会主義)」思想を
    叩き込まれるわけですが、その中で
    陰と陽のある日本神話(例えばイザナギイザナミの国生みとか)、
    「無双原理」を説いている桜沢如一(ジョージ・オーサワ)の
    陰陽弁証法がこの世の最高原理ではないかと。

    私はこの「陰陽弁証法」と「無双原理」にもう少し突っ込もうと
    思っていたのですが、
    ふとしたご縁で、易を勉強することになりました。

    これも愛の導き(笑)

    それに、易って「八卦」(はっけ)といいますが、
    8×8=64卦(か)あったり、
    8という数字と6という数字が結構出てきます。
    8にご縁があるのも面白いなと。

    さて、

    宇宙の法則というものがあります。

    その中で、一番確実だと思われるもの。

    それは

    「この世に変わらないものはない」

    ということです。これが不変の宇宙の法則なのです。

    つまり、宇宙は変わり続けるということですね。
    宇宙は変わり続けるというのが、変わらない法則。

    「愛と言葉」について私も色々考えてみました。

    私は占いもやりますので、
    ご相談を受けることがあります。

    その多くは、男女の愛に限らず
    「相手の言葉を信じられない」という
    コミュニケーションの不足から来ているのです。

    つまり、愛を現象に表すことができる言葉が
    信じられないのです。

    これは一体どういうことなんでしょうね。

    言葉は時に、ウソになったり
    人を欺いたりするからです。

    「彼の気持ちが知りたい」という相談を受けます。

    そこを深掘りしていくと、出てくる問題は

    「相手の言葉の真意が読み取れない」という不安なのです。

    その前に、
    好きな人になにかあげたい、というのは
    生物として自然なことなのではないかと思います。

    花が枯れるのは当たり前です。
    私達が花を愛でるのは、そのライフサイクルを目の当たりにして
    改めてイノチのことを考えるからかもしれません。

    「花はどうせ枯れちゃうから、悲しくなるから最初から育てない」
    というのは極論ですし、
    そういうヒトは、何か寂しい。

    「花はどうせ枯れちゃうから最初から育てない」ということは

    「愛」の否定だと思うんです。

    最近「どうせ付き合っても別れて傷つくから、彼(彼女)なんて
    いらない」という人もいるようですが・・。

    「言葉」というのは目に見えません。
    お花や宝石は目に見えます。

    この世では、
    目に見えるものも、見えないものも大事なのではないでしょうか。

    そうなんです。私は多分「陰と陽」ではないですが、
    太極のように、陰と陽は全く反対の気質を持つものも
    太極図のように、丸く一つにおさまる、というのが好きなのでしょう。

    また、ギリシャ十字(縦と横が同じ長さ)は、
    からだ(横軸)とたましい(縦軸)が同じ長さで、
    こころとからだのバランスがとれている状態なのだそうです。

    いわゆる普通の十字架は、縦と横の縦が長いですが
    これは身体よりもたましいを重んじているのだそうです。

    ○とか六芒星とかクロスとかの単純でなおかつ奥深いシンボルを
    ヤントラと言います。
    人間の潜在意識にアクセスするツールであるとも言われています。

    愛というと、私がイメージするのは太極図かもしれません。

    聖なるチカラと形・ヤントラ―なぜ、翼をもった大人になれるのか?

    聖なるチカラと形・ヤントラ―なぜ、翼をもった大人になれるのか?

    ★ヤントラに御興味がある方はどうぞ。

    以前、フォーラム相談役の太田剛先生と、実行委員の日下さんが
    対談をしたことがありますが、その時「面白いな」と思ったのは、

    人間が言葉を使うようになってから、そんなに時間は経っていない
    ということでした。

    ネアンデルタール人は、発声はできたようですが、多分
    「ウホウホ」とか、会話にはなっていなかったと言われています。

    クロマニヨン人(3万年〜5万年前)は、好きだとか嫌いとか
    嬉しい、悲しいという表現を行っており、また装飾品を作り、葬儀を
    行い、言語を使っていたと言われています。

    もっと遡って、人間の脳梁(言語能力を司る)が左脳と右脳を
    繋げたのは、せいぜい2000年〜3000年前だと言われています。

    これは、ブッダとキリストという宗教家が登場した時期とも
    重なっています。

    人間の言語能力が、脳梁の発達によって一気に世に出た結果なのかも
    と思います。

    以前、イギリス人の友人に言われたのが
    「イギリス本土で僕らの祖先が『うほうほ』言って言語を持たなかった頃
    日本人は高等な言語を持っていたらしい」という話でした。

    宗教の発生とともに
    「最初にことばありき」だったのでしょう。

    日本は、西洋に宗教が発生する以前に、
    高等な言語文化を持っていたのは事実です。

    畠山裕海

    黒と白。陰と陽。

    「2015年春季東京操体フォーラム」開催決定
    4月29日(祝)に開催いたします。
    『目からウロコ』のプログラムを企画しております。
    詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
    http://www.tokyo-sotai.com/?page_id=980

  • 二日目 愛あればこそ。

    突然ですが、
    団十郎さん、勘三郎さんに続き
    三津五郎さんまでお亡くなりになりました。
    歌舞伎の名優がまた・・という感じです。

    合掌。

    私は生まれて初めて見た歌舞伎が
    団十郎(当時はまた海老蔵)さんで、高校生の時
    文化鑑賞に力を入れていた学校の課外授業で
    海老蔵解説つきというなかなか素敵な機会に恵まれたのでした。

    そして、

    思ったのですが、
    宝塚って
    歌舞伎に通じるところがありますよね。

    あと、先日
    フォーラム相談役の巻上公一さんに
    「KISSは歌舞伎だ」という話をしたら
    「あれは歌舞伎だね」というお答えが返ってきました。

    さてさて

    今回のお題の「愛」ですが
    「LOVEではなく、愛」というお達しだったので、
    男女の愛情云々ではないということですね。

    ちなみに
    私は「愛か・・」と
    一瞬考えていたら、
    アタマの中で、宝塚が始まってしまいました。
    私は別にヅカファンではないのですが。

    これは人生のインパクト大でした。

    愛、それは甘く
    愛、それは強く
    愛、それは尊く
    愛、それは気高く
    愛、愛、愛
    ああ、愛あればこそ 生きる喜び
    ああ、愛あればこそ 世界は一つ愛故に人は美し
    愛、それは悲しく
    愛、それは切なく
    愛、それは苦しく
    愛、それは果敢(はかな)く
    ああ、愛あればこそ 生きる喜び
    ああ、愛あればこそ 世界は一つ愛故に人は美し

    作詞 植田紳爾 作曲 寺田瀧雄
    有名な「ベルサイユのばら」の
    一番盛り上がる、
    「愛あればこそ」です。

    これも改めて歌詞を見ると、なるほど、と思うのですが、
    一番と二番、同じ「愛」ですが、全く違う面からとらえています。


    こちらは杜けあきバージョン(スタジオ録音版)

    こちらは、オスカルを涼風真世、アンドレを天海祐希という
    バージョン。

    最初は、心が高揚するようなイメージ
    次は、対象あればこその苦しみ
    そしてサビの部分ですが
    「ああ、愛あればこそ 生きる喜び
    ああ、愛あればこそ 世界は一つ愛故に人は美し」
    これが何だか世の真理をあらわしているような
    気がします。

    今、

    色々な力(ちから)によって、世界は分断されていますが
    これは誰かが、例えば宗教や国の違いによって世界を分断しようと
    している結果です。
    でも、本当は分断されていないのだと思います。

    愛あればこそ。

    畠山裕海

    「2015年春季東京操体フォーラム」開催決定
    4月29日(祝)に開催いたします。
    『目からウロコ』のプログラムを企画しております。
    詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
    http://www.tokyo-sotai.com/?page_id=980

  •  一日目。 愛の反対側にあるもの。

    ご無沙汰しております。
    畠山裕海(はたけやまひろみ)です。
    一週間よろしくお願い致します。

    愛の反対側にあるもの。

    今回のブログの共通テーマは「愛」だそうです。

    「哲学」とか「操体」とか「編集」という言葉くらい
    幅広い言葉ではありませんか。

    愛の反対語は「怖れ」だといいます。

    というわけで、最初に「愛の裏にあるもの」を考えてみたいと思います。

    私は陰陽があるように、どちらも必要だと思っています。
    今が陰の時代だからといって、陽をバカにするとか、ないがしろに
    しているわけではありません。

    また、左目を重視するからと言って、
    右目をないがしろにするわけでもない。

    快の対極に不快があるとしても、
    不快あっての快かもしれないと思います。

    ある宗教家の先生の本に書いてあったのですが、

    最近のポジティブ過多のいわゆるスピ系というのは、
    光しか見ないのだそうです。

    そうすると、死とか闇とかの存在を無視するようになり、
    仏像を素直に拝んだりできなくなるとか、そういうことも
    あるようです。

    また、中世の魔女狩りは、
    余りにも「光」を崇拝しすぎて
    逆に邪悪な存在、つまり悪魔を作ってしまったこと、
    厳しい教会の戒律のプレッシャーにより、
    聖職者達がその対象を「魔女」に向けて
    残虐なことを行ったとも言われています。

    つまり、あまり「光」にばかり目を向けていると、その結果
    「闇」、つまり「悪」を作ってしまうのです。

    なるほど。

    もう一人、あるスピリチュアル系の指導者は、
    陰と陽、光と闇、オトコとオンナ、裏表というものがあるし、
    昼の顔、夜の顔というものもあるけれど、
    その裏側は、あまり意識を置くものではない。

    意識したものが、拡大するから。
    なのだそうです。

    この二人、どちらも一理あると思うのですが、

    裏表、陰と陽、昼と夜、光と闇、
    物事は対になっています。
    光と闇、この「光」ばかり見ていると、
    逆に「闇」が拡大する。

    反対に「闇」にばかり意識を置くと闇も拡大しちゃう。

    どちらもある、と認識して、こだわらないのが一番なのかもしれません。
    愛というのは片方から見ただけでは、その本質が見えないようです。

    「2015年春季東京操体フォーラム」開催決定
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  • ヒヨコちゃんの愛と操体 おまけ

    「ぜにのないやつぁ 俺んとこへこい 俺もないけど 心配すんな・・・」。

    『だまって俺についてこい』(作詞 青島幸男 作曲 萩原哲晶)。

    この歌サイコーですよねぇ。ワタシ大好きなんですよ。

    特に「そのうちなんとかなるだろう〜」なんてシビレちゃいますぜ。

    金も、恋人も、仕事もあるに越したことはありませんが、

    たとえなくても今この瞬間をいつも愉しんで生きることができたらきっと幸せですよね。

    もしかしたら今あるがままの自分を愛して、

    そのままの自分を受け入れられれば、そんな生き方ができるのかもしれません。

    橋本先生が言われるように「すでに救われている」んですから、

    あまり肩肘張らずに、なるべく愉しく気持ちよく毎日を過ごしたいもんです。

    一週間ありがとうございました。

    来週は「操体やるなら私のところへこい」の畠山先生です。

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    中谷祐祥

  • ヒヨコちゃんの愛と操体 その6

    「いつまでも変わらぬ愛を 君に届けてあげたい・・・」。

    『いつまでも変わらぬ愛を』(作詞 織田哲郎 作曲 織田哲郎)。

    何だかポカリスエットが飲みたくなりますが、

    「いつまでも変わらぬ愛」ってのはスゴイですよね。

    だって恋も、愛も、いつかはさめてしまうもののようなんですから。

    一時はラブラブだった夫婦間の愛だっていつのまにかさめてしまい、

    そのうちに「あれから40年・・・」なんて

    綾小路きみまろさんの漫談みたいになっちゃったりしてね。

    感情としての愛は条件がつく場合がありますので、

    その時々によって見方や感じ方が変わってきます。

    でも、その条件を取り払って無条件の愛ということにしたら、

    これはきっと「いつまでも変わらぬ愛」ってことになるのかもしれません。

    例えば太陽は一切の条件をつけることなく光を放ち続けています。

    ワタシだけには無料で光を与えてくれて、

    藤沢の某実行委員殿からは「一万円ちょうだいな♪」なんてことはしませんから。

    太陽が光るのに条件はないんです。

    そして、そうした無条件の愛をワタシ達自身も与えられるとしたら素晴らしいですよね。

    ワタシのような日頃の行いの悪い人間にはとてもできそうにない感じもあるんですが、

    操体には「命あるものは無条件の愛から生まれた」という帰一の法則という考えがあります。

    命あるものは無条件の愛から生まれ、その神性に帰っていく。

    そして、生まれたところがそこならば、

    ワタシ達の内にはそういった源がきっとあるんだと思います。

    操体は自分のからだの内に意識を向けて気持ちのよさをききわけますが、

    その結果として最終的に内なる無条件の愛に触れることができれば・・・。

    操体を学ぶということは、そういったところにいきつくということなのかもしれません。

    「2015年春季東京操体フォーラム」開催決定
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    中谷祐祥

  • ヒヨコちゃんの愛と操体 その5

    「どんなに困難でくじけそうでも 信じることさ 必ず最後に愛は勝つ〜」。

    愛は勝つ』(作詞 KAN 作曲 KAN)。

    この歌は流行りましたよねぇ。

    それに「必ず最後に愛は勝つ」って何だか勇気がでますよ。

    そんな勇気に押されてか、

    愛は勝つ」を口ずさみながら好きな子に勝負をかけた某友人がおりました。

    結果はブーメランフック一発で真っ白な灰になっちゃったわけですが、

    まぁいつまでもモヤモヤしてるよりはよかったのかもしれませんね。

    ワタシも恋愛ではありませんが、困難でくじけそうになることはありますよ。

    例えばなかなか良くなってくれない患者さん。やっぱり悩みますよね。

    もっと知識があればとか、もっと技術があればとか、いろいろと考えます。

    でも、悩んでも仕方ないんです。

    だって治すのは施術者ではなく、からだの仕事なんですから。

    橋本先生も「治すことまで関与するな」と言われております。

    治療はただの技術ですが、癒しというのはもっと違う次元のものなのかもしれません。

    だからからだの治癒力を信じて、ヘタはヘタなりに一生懸命やるしかないんですよね。

    以前に元日赤従軍看護婦だった方が

    「一生懸命しよる人には、手の先に真心がこもっとります」と

    述べられているのを見たことがありますが、

    きっとそこには愛があるということなのではないでしょうか。

    「信じることさ 必ず最後に愛は勝つ」ってのは、案外治療の根本なのかもしれません。

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    中谷祐祥

  • ヒヨコちゃんの愛と操体 その4

    「あの人のことなど もう忘れたいよ だってどんなに想いを寄せても 遠く叶わぬ恋なら・・・」。

    『片想い』(作詞 浜田省吾 作曲 浜田省吾)。

    何だかどよ〜んとした空気になりますな。

    お医者さまでも、草津の湯でも、恋の病は治せないそうなんですが、

    とにかく片想いってのは一方通行ですからねぇ。まぁ辛いもんでございます。

    ところで一方通行といえば、ワタシらの仕事もそんな感じなのかもしれません。

    施術する先生と施術してもらう患者さん。

    その場合、施術の主体はあくまで先生であって、

    患者さん自身が施術に参加するということはあまりありませんから。

    つまり先生が全て診断し治療するという一方通行的な空間です。

    でも、操体法の場合はちょっと違うんです。

    操体法の場合は先生と患者さん、

    さらに患者さんのからだという三位一体の空間となります。

    一方通行ではなくて、スクランブル交差点ってところでしょうか?(意味不明)。

    先生からの一方通行的なアプローチではなく、診断も治療も患者さん自身に委ねてしまう。

    面白いですよね。そこが操体法の他に類をみない特徴といえるかもしれません。

    そんな操体法の施術でワタシがとっても好きなシーンがあるんです。

    三浦先生の操法に渦状波というものがあります。

    ワタシもヘッポコながら使わせていただくことがありますが、

    その渦状波を行うと、ただ静かに涙を流す方がいらっしゃるんです。

    どうしてなのかわからないけど、ただ静かに涙が流れる。

    そのときの静かで温かい何ともいえない空間。

    そんなシーンが大好きなんです。

    そして、そんなときワタシは何となく愛を感じちゃうんですよ。

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    中谷祐祥

  • ヒヨコちゃんの愛と操体 その3

    「好きだよと言えずに 初恋は・・・」。

    『初恋』(作詞 村下孝蔵 作曲 村下孝蔵)。

    あ〜村下孝蔵さん懐かしいですよねぇ。

    こないだ中学生の女の子に

    「先生の初恋っていつですか?」なんて聞かれちゃいましてね。

    「へ?ハツコイ?それって初めて鯉を釣ったときのことじゃないよね?」

    なんてわけのわからないことが一瞬アタマの中をよぎりましたが、

    そんなワタシにも放課後の校庭を走る君を遠くから探してた・・・

    なんて日があったようななかったような。

    まぁそんなことはどうでもいいんですが、

    よく恋と愛の違いは?なんてことを言われますよね。

    愛は真ん中に心があるので真心、

    恋は下に心があるので下心なんてハナシもあるようです。

    とりあえず下心はワタシの得意分野?なんですが、

    真心ってのは真実の心で偽りや飾りのない心ってことなんだそうです。

    そして、それはたぶんそのまま治療の心ってことにも繋がるのかもしれません。

    指圧の浪越徳治朗先生はそれを「母心」と言われました。素晴らしいですよね。

    操体の橋本先生はそれを「気持ちのよさ」と説かれました。これも素晴らしいです。

    そして、「母心」や「気持ちのよさ」には、きっと共通する何かがあると思いますよ。

    操体でいう「愛」のヒントも、たぶんその辺にあるのではないでしょうか。

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  • ヒヨコちゃんの愛と操体 その2

    「もしも願いが叶うなら 吐息を白いバラに変えて・・・」。

    『恋におちて〜Fall in love〜』(作詞 湯川れい子 作曲 小林明子)。

    いやいやワタシこの歌好きなんですよ〜(似合わねぇなんて言わないで)。

    ドラマの主題歌にもなりましたよね。

    不倫を題材にしたドラマでしたが、今でいえば昼顔ですな。

    何だかドロドロしててイイじゃないですか。

    ワタシもぜひドロドロしてみたいもんですが、

    何たってワタシなどは「おちる」と聞いてまず連想するのは、

    「恋」じゃなくて「チョークスリーパー」なんですからねぇ。

    残念ですがドロドロはおあずけっぽいです。

    そういえばアンドルー・ワイル博士は『癒す心、治る力』の中で、

    治癒とこころの相関関係において

    「恋におちることによって重病が治ってしまうという例が見られる」と述べられております。

    そして、「患者さんが頻繁に恋におちる機会をアレンジすることができれば、

    きっと優秀な治療家になれるのでは」とも述べられております。

    なるほどねぇ。何となくわかるような気もします。

    ワタシも女性の患者さんに「カレシできたぁ〜」なんて

    セクハラおやじ丸出しなことをたまに言ったりもしておりますが、

    やり方はどうであれ治癒系のスイッチが入ってくれるような

    お手伝いができればそれに越したことはありません。

    でも、やり方だけにこだわっていては単なる技術・テクニックで終わってしまいますからね。

    治療は確かに技術が必要ですが、技術だけで治れば苦労はしませんよ。

    三浦先生は「操体(法)は技術・テクニックではない」と教えてくれました。

    その意味が本当にわかるようになれば、

    ワタシもヒヨコを卒業してコケコッコーと鳴ける日がくるかもしれない・・・かな。

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    中谷祐祥

  • ヒヨコちゃんの愛と操体 その1

    今週は操体法東京研究会のヒヨコちゃんこと中谷の担当でございます。

    一週間よろしくお願いいたします。

    今回のブログのテーマは「愛」なんだそうです。

    それも「LOVE」ではなく、操体に通じる愛だということ。

    う〜む、またまたオツムの弱いヒヨコちゃんには難題ですなぁ。

    だいたいワタシなんぞは横浜銀蠅じゃありませんが、

    「知っているのはI LOVE YOUだけ」くらいのもんなんですから。

    まぁでも、ワタシのやり方は5秒ならば反則OKのプロレスルールですので、

    いろいろとごちゃまぜになるところもあると思いますが、その点はご勘弁下さい。

    ところで操体で「愛」となると、

    ワタシはやっぱり「救いと報い」ということを思い浮かべます。

    このブログを読んでくださっている方々はもちろんご存じでしょうが、

    救いは絶対で報いは相対でしたよね。

    とにかくこの絶対ってのはスゴイことですよ。

    絶対なんですから千発千中、万発万中ってことです。

    つまり野球の打率ならば10割ってことですぜ。

    あのイチローの打率だって3割台なんですからね。

    ちなみに野球やってるウチのお坊ちゃまの打率なんて目も当てられません。

    人間のすることや作ったものに絶対はないとするならば、

    救いの絶対とはどういうことなのか?

    ワタシたちはすでに救われているんですね。

    だからあるがままの自分でいいんです。

    救いの愛は無条件なんですから。

    そんなことが本当にわかったとしたら、

    橋本先生のようにイイ意味で呑気者になれるかもしれません。

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    中谷祐祥