こんにちは。
シモン兄ちゃんは結構外に遊びにいくけど、
ボクは外には出ません。
っていうかこわいんだもん。
出たことないし。
大きなおとがするし。
たまにおとーたまがボクを抱っこして
外に連れて行ってくれるけど、
こわいから
「やめて~」と
あばれます。
ボクは迷子になっても大丈夫なように、
チップっていうのが入っているみたいですが、
迷子になるのはいやです。

シモン兄ちゃん。
こんにちは。
シモン兄ちゃんは結構外に遊びにいくけど、
ボクは外には出ません。
っていうかこわいんだもん。
出たことないし。
大きなおとがするし。
たまにおとーたまがボクを抱っこして
外に連れて行ってくれるけど、
こわいから
「やめて~」と
あばれます。
ボクは迷子になっても大丈夫なように、
チップっていうのが入っているみたいですが、
迷子になるのはいやです。

シモン兄ちゃん。
こんにちは。
ボクは、小十郎景綱ジョン・ランボーっていいます。
でも「チビちゃん」と呼ばれています。
8月でさんさいになります。
おとーたまはミウラセンセイといいます。
シモン兄ちゃんと一緒に住んでいます。
おねーちゃん(おとーたまの弟子らしい)によると、
おとーたまの治療室の前で
おねーちゃんが「あ、子猫の鳴き声がする」と気がついたそうで、
おとーたまが隣の家のヒトにお願いして、塀を登ってみたら、
ボクが木の枝と壁の間にはさまっていたそうです。
翌日、おねーちゃんがどうぶつびょういんに連れて行ってくれました。
猫好きのおねーちゃんも「こんな小さい子猫は育てたことがない」
と、焦り、びょういんの先生に相談したところ
びょういんの先生も「これは小さいねぇ」と言い、
体温が下がっているから温めて、ミルクをあげてください、って
おしえてくれたそうです。
ミルクがおいしくて、ボクはたくさん飲みました。
おとーたまがタオルにくるんで飲ませてくれました。
おいしくておいしくて仕方なかったんですが、あるとき
よくわからないけれど、飽きちゃったな、と思いました。
お兄ちゃんが食べているカリカリを食べてみたら
美味しかったので、カリカリを食べることにしました。
子猫用のカリカリを買って貰ったんだけど
お兄ちゃんが食べてるカリカリが美味しいので、
一緒に食べてます。

拾われた時のボクです。まだ瞳孔が開きっぱなし。うちゅうじんみたい。
おさまるとかおさめるとか、似ているようでちょっと違います。
「豆腐」は箱に豆乳を入れて(納めて)作り
「納豆」は豆を腐らせる(発酵させる)から、漢字的には
逆だよね、という話を聞いたことがあります。
確かにそうだな、と思います。
「おさめ」という言葉で思い出すのは
「見納め」という言葉です。
見納め、または見収めとも書きます。
意味はどちらも同じで、
「これで見るのが最後であること」という意味があります。
つまり、今後見ることがないだろうということです。
見納めというのは、実はとても深い意味があるんです。
例えば、今は映像や動画などで同じものをくり返し
みることができますよね。
私もカメラをやるので分かりますが、
「ああ、この景色は撮っておきたい」と、
見納める前にカメラに収めたい(撮りたい)と、
思います。
ファインダーを覗いた世界と
自分の目でみる世界。
この一瞬を切り取る、つまり
見納めしたくないという、
また見たいという、
人間の願いが結集したのが
カメラとかビデオなのかなと思います。
猫の話になりますが、
私はよく猫を撮ります。
チビ猫(といっても今は結構大きい)を拾ってきた時は
手のひらサイズで「これがホントに大きくなるんかいな」と
心配したものでした。
猫友には
「子猫の時期はとっても短いから、写真を撮るべし」という
アドバイスをもらいました。
というわけで撮りましたが、
本当に「可愛い子猫」というか、我々が
想像しうる「子猫の時期」というのは、本当に短いのです。
子猫はあっという間にミルクを飲まなくなり、
あっという間にカリカリをばくばく食べて大きくなりました。
そして、子猫だと思っていたら九ヶ月で、去勢手術です。
大きくなってから
「いやあ〜、子猫って毎日が見納めみたいなもんだ」と
思いました。
これは子猫に限りませんが、
一期一会というか、これが今生の見納めというか
そういう気持ちで何にでも臨むことなんだなと。
今、操体をやっていらっしゃる、
あるいは勉強していらっしゃる皆さん。
先生や先輩方の模範を見ることがあったら
「見納め」あるいは「見収め」くらいの気概で見てください。
動画とか写真で見返すことはできますが、
生でその波動を心に焼き付けておくことです。
一週間ありがとうございました。

道で出会った美しい若い猫。
こういう若々しく凛々しいのは一瞬だけかも。
明日からは我らが師匠、三浦寛センセイです。
と思ったら、猫の小十郎君が書くそうです。
流しのマタタビ師 畠山裕海
あることがあり、
今現在、東京大学駒場の生産技術研究所で、
月に何度か、東北の再生可能エネルギー関係のプロジェクトを
手伝っています。このプロジェクトで微力ながら、東北復興のお手伝いをと。
よく、私達を朝から晩まで白衣着て治療室にこもってると
思ってる方もいらっしゃいますが、
「治療所にこもってばかりいると、脳みそがくさるぞ」by Dr. Keizo Hashimoto
というわけで、大学院にいたりするわけです。
実はこちら、理系の研究室なんですが
英文学、それもオカルトとかファンタシー(英国式では、ファンタジーとは
言わず、ファンタシーというのです)を英文学科で勉強していた私にとって、
たまに「メガワット」とかいう記号がでてくるとそれだけでびびります(笑)。
また、大学院の研究室って、先生方がそれぞれコアな研究をなさっているので
操体もどこかの大学で
私を「特任教授」として雇用してくれないかね、とかマジで考えたりします。
話は戻りますが、リスボンというのは1755年の大地震で津波と火災により
町が壊滅し、なんと復興に250年(失われた250年とも言う)かかったのです。
津波と火災で6万人が亡くなったと言われています。
この時の復興を日本でも見習っていいのでは、という話もあります。
そして、私が手伝っているのは先の震災後の復興を、再生可能エネルギーでやろう
というプロジェクトの一端です。
釜石市と岩手県大槌町が出資する「釜石・大槌地域産業育成センター」(同市)などが提案したリニア式波力発電システム開発プロジェクトが25日、独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)の事業に採択された。
開発するのは、波のうねりによる上下運動を最大限に利用する発電システム。発電コスト低減を図る次世代発電制御技術の確立を目指す。
研究はセンターのほか東大、東北大、ともに釜石市の小鯖船舶工業、及川工務店などが参加。研究期間は2014~17年度の4年間。事業費約7億円はNEDOが負担する見通し。
期間終了後は、開発した技術を釜石沖で実証実験し、地元企業などによる事業化を目指す。
釜石市は、漁業者との調整を図るほか岩手県と連携し、取り組みを後押しする方針。以上河北新報 2014年12月26日金曜日
というわけで、また、私が20代の時の英会話の先生、Margot(カナダトロント在住)のお兄さんが住んでいたりもします。なので割と意識に昇っている土地なのでした。
また、今年、毎年スペインでやっている「操体フォーラム」が
夏にリスボンで開催されることもあります。
「あること」ってコレなんですけどね。
あ、すいません、ついつい(笑)
でもね、
こういうことはちゃんと言わないといけないんです。
誰も言わないから。
以前、スペインで、
奥さんが日本の方なので、
夏休みに二週間ある操体の先生の講義をうけ(根本先生です)
スペインで「ヨーロッパの正式な操体の継承者は自分だ」と
ネモトを名乗っていたのがいました。
また、30年位前だと、
町の八百屋さんがカイロプラクティックの
短期間のセミナーを受けて突然開業し、
未熟な手技で事故が多発するという問題などもありました。
さて、
数日前のことです。
師匠、三浦先生に
「おい、ボルネオってどこだ」と聞かれました。
「ボルネオですか?」
私のアタマの中には、オランウータンとか
インドネシアとかマレーシアとか(行ったことがないので
地理をよく理解していない)色々思い浮かびました。
「う〜ん、インドの向こうあたりですかね」
(めちゃくちゃうろ覚え)
「えっ?インドか?」
「そんなとこでやるのか????」
「先生、それはボルネオじゃなくて」
「リスボンでは??」
ああ、おさまった(笑)
あああ〜っ??
思い出しかけてるけど何だっけ。
何だかひっかかって気になる〜っ!っていうとき、
ありますよね。
以前からわたくし、何故か
「ぼんぼこつるりんぼんつるりん」という歌が
アタマの中を走っておりまして、
「何だっけ??」と、アタマを捻っておりました。
周囲に聞いても
「そんな変な歌知らない」と言われました。
四、五年前にネットで調べてもヒットしませんでした。
ところがです。
先日休みを取っていて、
ぼけ〜っとしていたら
「ワニとバナナが踊ります
ボンボコツルリンボンツルリン」
というのが脳裏に甦ってきました。
そうすると、芋づる式に思い出すではありませんか。
再度調べてみると、これは「みんなのうた」でやっていた
「とんでったバナナ」という曲だということがわかりました。
その時の「おお、おさまるとはこういうことか!!」という
私の爽快で晴れ晴れしい気持ちがおわかりいただけるでしょうか。
しかし、ワニとバナナが踊るというところに
妙に惹かれてたのか私よ。
おさまると言えば。
これは何例も何例もみている実例である。
人が仰向けに寝ていると、
なぜ猫は足の間に入ってきて寝るのか?
なぜ、足の間にすっぽり収まるのか?
私の友人宅にはお猫様が3匹いた。
一匹は足の間。もう一匹は右腕、もう一匹は左腕で
腕枕をするので
「毎晩十字架はりつけ状態」だと笑っていた。
また、猫が箱に入るのは何故なのか?
土鍋に入る猫とかもいる。ふとんの隙間に収まっていることもあるし、
隙間をみたら、収まりたくなってしまう本能があるのだろうか?

★某家の庭にある「お稲荷様」におさまっている大猫。
近所の野良君らしい。
「気」の話の続き。
5月の「実行委員勉強会」の際、
「気が上がる」という話が出た。
半蔵氏曰く、一時「気が上がりすぎておかしくなる人が続出した」らしい。
私も同じような話をきいたことがある。
20年~15年程前の話だが、チャクラ(クンダリーニ)を目覚めさせる
方法を自己流でやって、クンダリーニが目覚めてしまい、いわゆる「気が変になった」人が結構いたらしい。
気功もそうだが、こういう強力な修法は、指導者のもとでやることが大切だ。
「至高体験」をして戻ってこないことと同じなのである。
ニーチェが発狂したのは、実は至高体験をして「こちら」に戻ってこなかったからだという話を聞いたことがある。
つまり、至高の体験をした後は、こちら(娑婆)に戻ってこないといけない。
高みを観た魂は、元の地上の肉体におさまり、日常に戻るのである。

GWの集中講座にて。渦状波®(商標登録済みです)中の
寺本君、グレゴリー君
GW中に、5日間の集中講座をやった。
そのうち最初の2日間は、フォーラム実行委員と現受講生のみの参加だった。
最初の2日間は三浦先生、後半3日間を私が担当という予定だったが、
開講の前日にスケジュールを大幅に変えた。
20数年前に修業した医療気功(外気功)の鍛錬により、
臨床家としての手のチカラをアップさせるというものを
まずはこの内々の熱心な参加メンバーに伝えようと思ったのである。
申し訳ないとは思ったが、受講をお断りした方もいる。
師匠も「それでいい」とおっしゃった。
特にこれは非常にパワフルな技法なので、
教えたいヒトに教えたかったのだ。
実際、昨年は「ド素人」が、動診操法はおろか、足趾の操法もおさめていないのに
いきなり開業しちゃうとか、中途半端な学び方で「操体から卒業」しちゃうのか、というケースもみたりしていた。
★とても不思議なことだが、いいとこ取りとか、中途半端な方々は学びを途中で放棄していく。多分これはどの業界でも同じだ。
経済的にみれば、受講生が多いほうがいいに違いないのだが、
それよりも自分の気持ちを選んだ。
本当に大事なことは、本当に伝えたいヒトに伝えたい。
自分が伝えることを躊躇するようなヒトにはまだ早い。
結果的には、
自分の気持ちにウソをつかなったので、とても気分よく
長時間の講義を終えることができた。
さて、気功の鍛錬で大事なこと。
それは最後に「収功」といって収めること。
気を得て広がったエネルギーが上がりっぱなしではよくない。
それを収めるのである。

今週一週間は畠山裕海が担当致します。
よろしくお願い致します。
さて、私の本名は「畠山裕美(はたけやまひろみ)」です。
一昨年からペンネームというか芸名というか
「裕海」を使っています。
読み方は変わりませんが
ハタケとヤマと裕(ゆたか)な海、って何だかいいじゃないですか(笑)
また、ますます性別不明っぽいし(笑)
私が生まれた頃は、親が子供の名前を色々考えるというよりは、
割と適当につけていた時代ですから、字画を考えるとか
そういうことはなかったと思います。
何でも最初は「美香」だかなんだか忘れましたが、
そんな感じだったらしいのですが、父の姉の伯母が
「名前負けするからやめろ」
と言ったので、ヒロミになったと聞いています。
「名前負けとはなんと失礼な!!!」と思いますよね。
なお、私の世代はお父さんが「サユリスト」(吉永小百合ファン)が
結構多いので「小百合」という子も結構いましたが、
「名前負け・・・」(すんません・・)という子もいたので
確かにちょっと考えてもいいかと思いました。
ちなみに、私は「姓名判断」についてはあまりいい印象がありません。
というのは、昔銀座の占い師のところに行ったら、
「あんたの名前はこの前殺された(幼女連続殺人事件の被害者)○○ちゃんと
同じ画数だから、厄除けにハンコを買ったほうがいい」
と、高価な印鑑を買わされそうになったことがあるからです。
恐怖を煽って印鑑とか壺を買わせるとか、霊感商法ですよね。
そして、私は10年弱ヨメに行っていたのですが、
ヨメに行った先の名前にどうしても馴染めず
(仕事をしているから別姓を頼んだが却下)
元の「畠山」に戻った時は
「おさまるところにおさまったなあ」と思ったものです。
ちなみに「美」を「海」に変えてからどうなったかというと
「ハタヤマユミさん」と言われなくなりました。
これは結構「へえ~」ものです。
それまで結構な割合で間違えられていましたし、
名刺にフリガナをふっても、ローマ字読み仮名をつけても間違えられることが
多かったものですから。
名前というのは、実は最強の呪文なのだそうで、
それを読み間違えられた時は、その場で訂正したほうがいいんだそうです。
この他に俳句を詠まないのに俳号とか、
師範代を頂いた時の名前とか占術時の雅号とかもありますが、
それはそれで面白がっています。

「私の周囲には腰痛に悩んでいる人たちが、おどろくほど多い。
腰痛に完治という例がないのは、体験者なら誰でも実感できることだろう。
治(なお)る、のではなくて、治(おさ)める、というべきである。
病院や整体などで、いったんは治(なお)ったようにみえても
それは一時的に治(おさ)まっただけのことだ」
「治(なお)る」と「治(おさ)める」。字は同じでも何となく違いますよね。
また五木氏は同じ著書の中で
「治療より養生。これから健康を考える上でのキーワードは、
まちがいなく養生であると私は信じている」と述べられております。
「治(なお)る」「治(おさ)める」「治療」「養生」。
キーワードはいろいろとありますが、
それらをまとめて面倒みちゃうようなものがあればきっと最良ですよね。
そして、その可能性を大いに秘めているのが操体(法)なのかもしれません。
一週間ありがとうございました。
来週は真摯に操体を修めている畠山先生です。
中谷祐祥