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  • 継続

    ある捉え方を知ってから

    自分の「下手」を

    素直に見つめていくことに

    興味をもてるようになった。

     

    ある能楽師の名人が書き残した藝談のはなし。

     

    生まれもっての「美声」や

    若い頃から「器用にできすぎること」

    に対して

    「深く注意すべきこと」として

    眼差しを向けている。

     

    何故なら

    器用な人はその生まれ持った器用さ

    故に、「鍛錬」を重ねないから。

     

    逆に、器用に出来ない人は

    「何故出来ないのか」。

    師匠を前にして

    「正解」を教えてもらうことなく

    鍛錬を繰り返し、出来るようになるから。

     

    続けていくなかで

    自分自身で、 感じ、考え、気付いていく。

    ゆっくり時間をかけながら

    「自得」のプロセスを歩んでいくから。

     

    その結果、

    前者と後者の数十年先の

    藝の厚みというものを見たときに

    どうしようもない差として

    現れてきてしまう

    という捉え方。

     

    「生涯」をかけての

    「藝道」の世界のはなし。

    「うさぎとカメ」の童話から

    「ゴール」という概念を

    なくしてしまったような世界。

     

    初めて知ったとき

    愕然としてしまった。

    でも、安心もした。 

       

    自分の「下手」を

    大いに愉しめばいい。

    そうすれば

    道中を歩み続けていくことができる。

    ゴールはあるようでいて、ない。 

     

    器用なうさぎも

    不器用なカメも

    歩み続ければいい。

     

     一週間のお付き合いありがとうございました。

    明日からは

    時をかける操体の吟遊詩人、友松実行委員の登場です。

    お愉しみに。

     

    2016年9月 新創生期操体法特別臨床講座 開講! 

  • 質問

    「上手い下手」に

    大きく関わる要因として

    「誰の傍にいるか」

    というのは外せない。

     

    その道の「プロ」から学ぶ

    といっても

    並のプロと

    一流のプロとでは

    大違い、ということがある。

     

    並のプロを前にして

    その姿を見ていると

    「〜よりも上手い、下手」という

    「比較」の概念が芽生えてくる。

     

    一流のプロを前にして

    その姿を見ていると

    何か「絶対的」なものに

    触れているような感覚にすっぽりと入り込む。

     

    比べながら、学ぶ環境

    そして

    比べ様のないものに接しながら、学ぶ環境

    その違い。

     

    どちらを選んでもいい。

    わからなければ

    ききわけてみてもいい。

     

    「自分」は?

    「からだ」は?

    「自分自身」は?

     

    2016年9月 新創生期操体法特別臨床講座 開講!

  • 練習

    以前、月に一度

    龍笛という日本の伝統楽器を

    とある先生に習っていたことがある。

     

    「大きな音で練習する場所がない。」

    「時間がない。」

    「他にやらなければいけないことがある。」

     

    色々な理由を

    自分自身へのいいわけにして

    ほとんど練習をしないで

    稽古に向かうことが多かった。

     

    稽古の場で

    器用に、表面的に

    その場その場を

    取り繕うことはできた。

    否、

    「できた」と思っていた。

     

    私の笛の音を聴いて

    一部の稽古参加者の方の中には

    「いい笛を吹きますね」

    と褒めてくれる方もいた。

     

    一方で、先生は

    私が笛を吹いた後に

    決まって、しみじみと

    少し「冗談」めかして

    こう呟かれていた。

     

    「練習をするのはあなたで

    私があなたの代わりに

    練習をすることはできませんからね」

     

    いま振り返ってみると

    痛いほどに

    すべてを見抜かれていたのだと

    伝わってくる。

     

    そして、 その上で

    この言葉を

    問い掛けて下さっていたのだと

    感じる。

     

    冗談ではなく

    本気で

     一番必要なことを。

     

    2016年9月 新創生期操体法特別臨床講座 開講!

  • 謙虚

    どこまでいっても

    自分のやっていることに

    妥協しない人がいる。

     

    どんなに

    他人から褒められようが

    他人が認めようが

    その「先」があることが見えている。

     

    ジャンルをこえて

    名人・達人の文章には

    何とも言えない

    「謙虚さ」が漂う。

     

    「これでいいや」

    で終わらない。

    何故なら、

    「これでいいや」

    で終われない

    理由が分かっているからだ。

     

    「下手」な人は

    その理由がわからない。

     

    故に容易く

    「これでいいや」と、

    自らの可能性を

    終わらせていくのだろう。

     

    2016年9月 新創生期操体法特別臨床講座 開講!

  • 指導

    自分では「上手くいったかな」

    と思っていても

    分かる人からみれば

    「まだまだだな」

    という風にみえる。

     

    分かる人はその相手を前にして

    何故「まだまだ」なのか。

    分かっていても

    敢えてその可能性について

    伝えないこともある。

     

    伝えないことの理由は色々あるが

    「本人が気付くこと」が

    「教えてもらうこと」よりも

    ときに、遥かに良質で

    必要なプロセスになることを、

    その妙味を知っているからであろう。

     

    分かっているけど、伝えない

    否、

    分かっているから、伝えない

     

    それがあの

    静寂に

    充実した「間」に

    繋がるのだろう。

     

    2016年9月 新創生期操体法特別臨床講座 開講!

  • 世界

    何事においても言えることだが

    自分が見ている世界

    自分に見えている世界

    というのは本当に狭い。

     

    それが「狭い世界」であることを

    生きているうちに気付くことなく

    「あっち」に逝ってしまうこともあるだろう。

    気をつけているようでいても

    そういうことはある。

     

    何かをきっかけにして

    「まるごと」で

    そのことに気付いた人は

    本当に「ラッキー」な人なのかも知れない。

     

    張り切って

     

    どんなに「上手く」

    なろうとしても

     

    「自分」のことだけ

    見ているわたしは

     

    「下手」なまま

     

    2016年9月 新創生期操体法特別臨床講座 開講!

  • 発見

    おはようございます。

     

    「好きこそものの上手なれ」

    いつも最高純度の「好き」を

    姿勢を通して魅せてくれる瀧澤さん

    一週間ありがとうございました。

     

    本日からは一週間、寺本が担当致します。宜しくお願い致します。

     

    しばしの間を置きましたが、先日の昭和の日に開催された

    2016春季東京操体フォーラム

    ご来場いただいたみなさま誠にありがとうございました。

     

    今年も御陰さまで、無事に。

    そして大いにマニアックに(笑)

    皆様と丸一日、操体について十分に味わうことができたように感じています。

     

    今回のメインテーマは、実行委員ブログのテーマでもある

    「上手い下手」でした。

     

    どんなことが「上手い下手」に繋がるのか。

    そのエッセンスをフォーラムに向けて抽出し、

    座学と実技を通してお伝えしました。

    また三浦理事長からは

    さらに「あからさま」な最重要ポイントも報告がありました。

     

    さて、今回のフォーラムでは、伝える立場に立ち

    色々な発見がありました。

     

    「上手い下手」に繋がってくる「ポイント」というのは

    煎じ詰めていくと「え?そんなこと?」というくらいシンプルに納まる。

     

    参加者の皆様の中にも、このポイントについて

    「え?そんなことなの?」と思われた方もいたのではないでしょうか。

     

    はい、そんなことなのです(笑)。

    一方で、「そんなこと」というのは、

    気付かなければ いつまでも「そんなこと」のままです。

     

    では実際にそのポイントを踏まえて、からだを通して体感していただく。

    すると、「そんなこと」だったものが

    体験者のなかでガラッと変化していっている様子が感じられる。

     

    「あぁ、今この方はからだを通して、意識が変化しているんだ」

    「そんなこと」だったものが「そんなことでなくなる」

    その変化に立ち合う瞬間。

     

    伝える内容が「肝心要」であるほどに

    からだを通した実技から体感出来る気付きというのは

    生まれやすいのではないか。

    そういったからだを通した気付きのプロセスについて

    新たな眼差しを見たような気がしています。

     

    そして私自身にとっても、この上手い下手のエッセンスに関して

    皆様と実技を体感しているときに新たな発見がありました。

     

    初めて操体と出会う方や

    その方のからだを通して見えてくるもののなかに

    次に繋がるヒントがみつかる。

     

    こういった気付きというのも

    まさにフォーラムというあの空間ならではの気付きなのだと感じています。

     

    夏には操体マンダラ

    秋には秋季フォーラムがあります。

    気付きの味をしめた方は是非、またフォーラムの場でお会いしましょう。

     

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  • 好き

    「好きこそものの上手なれ」という言葉がある。

     

    僕はこの言葉が好きだ。

     

    知識が少なかろうと、経験が浅かろうと、照れずに、

    ごまかさずに「これが好き」と言えることは素敵だと

    思う。

     

    何かを身に付けようと思った時、「ここに辿り着いた

    ら、これだけのものが身に付く。それによってこれだ

    けのものが得られる。」と目標を定めてスタートする

    ことはよくある。

     

    僕もそんなふうに何かをスタートさせることがある。

    そこに到達するまでに辿るであろう地図を握りしめ

    て。なるべく最短ルートで「下手」から「上手」に辿

    り着けるように。苦しくなったら「何のために」を思

    い出して、自分を奮い立たせながら。

     

    でも、ある瞬間から「何のために」という動機が消失

    することがある。そんな時は、真っ暗になっても泥だ

    らけで遊んでいるかのように、「ご飯ですよ」の声が

    耳に入らないかのように愉しんでいる。

     

    そして、いつの間にか地図を手放していることに気づ

    く。

     

    「動機」が「好き」に変わる瞬間がある。辿り着くこ

    とよりも、辿っていることが愉しくなる瞬間がある。

     

    僕はそんな瞬間が大好きだ。

     

    一週間ありがとうございます。

    明日からは「好きこそものの上手なれ」を体現してい

    る寺本実行委員です。お愉しみに。

    2016年9月 新創生期操体法特別臨床講座 開講!

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  • 状態

    今日は2016年春季東京操体フォーラム開催日。

     

    テーマは「上手い下手について」。

     

    僕は「上手い、下手」という概念は固定的ではなく、

    流動的だと思っている。

     

    だから、誰でも上手くなるし、誰でも下手になる。

     

    たとえ今現在下手であったとしても、それは「下手な

    人」ではなく、「下手な状態の人」なのだ。反対に今

    現在上手であったとしても、それは「上手い人」では

    なく、「上手い状態の人」なのだ。

     

    「状態」とはその時々のありさまだ。それは変化でも

    ある。そして、その変化をキャッチするには感覚が必

    要になってくる。

     

    「慣れたころが一番危ない」という言葉がある。

     

    「無意識にできる」ことと、「感じなくなる」ことは

    同じではない。ここを混同すると「自分は上手いゾー

    ンにいる」と思い込み、感覚を手放し、そこに安住し

    てしまう。これでは危ない。

     

    「上手い、下手」も行きつくところは感覚。いわば僕

    らの自己責任。だからこそ、そこには可能性が眠って

    いる。

     

    そんなことを感じながら、今日一日を愉しもう。

     

    2016年春季東京操体フォーラムは4月29日(金)開催です。

    http://www.tokyo-sotai.com/?p=1278

    2016年9月 新創生期操体法特別臨床講座 開講!

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  • 感覚

    出来るようになってから分かることがある。

     

    僕が現役でバスケをやっていた時、苦手だったことが

    一つある。

     

    それは長距離のシュート(スリーポイント)。

     

    スリーポイントラインはゴールから6.25m(当時)。

    シュートが入る、入らないの以前にボールがゴールに

    届かなかった。

     

    小、中の頃はもちろん、高校一年ぐらいまではゴール

    にかすりもしなかった記憶がある。

     

    シュートに必要な技術、筋力、体力が足りなかったこ

    とは言うまでもないが、一番は「ボールがゴールに届

    く」という感覚が分からなかったのである。

     

    それが、いつの頃かをきっかけにして、ボールがゴー

    ルに届くようになった。

     

    一度「ボールがゴールに届く」感覚が分かるようにな

    ると、次は「シュートが入るか、入らないか」の感覚

    が分かるようになった。

     

    この感覚を掴んだことで、苦手な長距離のシュートが

    面白くてたまらなくなった。

     

    感覚を掴んだことで、必要なことは何かということが

    分かったのである。

     

    2016年春季東京操体フォーラムは4月29日(金)開催です。

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