ブログ

  • パソコンが上手くなる?方法

    先日不思議なことがありました。

    iPadにアンテナをつけて地デジを見ているのですが、特定の人が触ると、音が出なくなることがあるんです。

    私はその度に音を出す調整をやるんですが、ある時私が調整して、その人に渡したら音が出なくなり、その人がイラッとしてまた私に「音が出ない」と渡し、というのが3回連続して起こったことがあります。

    その方は、iPadに向かって文句を言っていました(笑)。

    機械もちゃんと分かってるんです。悪態ついたりすると、壊れたり音が出なくなったりします。

    これについて、面白い話を見つけました。

    「いい人をやめてスッキリする話」から。

    心屋仁之助の「いい人」をやめてスッキリする話 (王様文庫)

    心屋仁之助の「いい人」をやめてスッキリする話 (王様文庫)

    ここに「苦手ぶる」からトラブルが寄ってくる、という箇所があります。

    「いい人ぶる」というのもありますが、もう一つ「ダメな人ぶる」というのがあります。

    みんなに妬まれないように仲間はずれにされないように、わざわざ「ブサイクな着ぐるみ」を着ているのです。

    著者の体験によると、かつてはひどい機械オンチで、パソコンがいつもトラブっていたのだそうです。

    そのころの僕は、「パソコンが苦手な人ぶっていた」、と著者は書いています。

    パソコンを苦手ぶっていると、なぜか本当にパソコンが言うことを聞かなくなります。プリンターとの接続がおかしくなったり、電源が突然落ちたり、謎のエラー画面が表示されたりします。

    僕はある日、そのことに気がついたので、「苦手ぶる」のをやめてみました。
    それまではパソコンをいじりながらも、内心「どうせ、うまくいかないだろうな」と思っていました。
    それを、「どうせこれ、うまいこといくし」と言うようにしてみました。
    すると、不思議とうまくいくようになって、サクサクと意のままにパソコンを動かせるようになったのです(あ、でも「得意」ではないですよ)。

    だから、もしもあなたがパソコンを苦手だと感じているならば、
    「自分はパソコンを苦手ぶっているだけだ」と思ってみたほうがいいのです。
    なぜなら実際は言うほど苦手ではないから。
    苦手だと思っていると、うまくいくものも、うまくいきません。

    これ、結構当てはまるのではないでしょうか。

    f:id:tokyo_sotai:20160510162739j:plain

    2016年9月 新創生期操体法特別臨床講座 開講!

    www.sotai-miura.com

  • 上手いほめ方(続き)

    私が知っている人の中で、ほめるのが上手いと言えば、島地勝彦先生でしょう。
    色々お話を伺う機会がありますが「ほめるの上手いな~」と思います。

    f:id:tokyo_sotai:20160510162325j:plain

    島地先生のかつての部下の方もかいていらっしゃいます。

    先生ご自身は、タクシーの運転手をほめてタクシー代を払わなかった話などもされていますが、ホメの威力は凄いのです。
    また「ホメ」がおべっかとかお世辞に聞こえないようにほめるというテクニックがあるようです。

    東京操体フォーラム実行委員の岡村さんとは結構長いお付き合いですが、実行委員イチのほめ上手です。
    ホメ上手は絶対トクではないかと思う今日この頃です。

    というのは、私の場合、親、特に母親が私をほめない人だったので、自分も余りホメ上手ではないような気がするのです。

    まあ、長男長女というのは、甘え下手、ホメ下手というのが定説のようですが。

    とは言っても、私自身多分記憶が無い頃はベタベタにほめられていた(アルバムとか見るとわかる)のです。少し大きくなってからはどちらかというと、怒られたとかそういうことのほうが覚えていますし、今現在に至っては、けなされるほうが多い(笑)状態です。

    ほめるほめないというのに関しては、色々な意見がありますが、

    塩沼亮潤大阿闍梨が著書の中で、あまりほめすぎるのも良くない、と書いていらっしゃるのを読んでなるほど、と思ったことがありました。

    私も「ほめられすぎて、アホになった」という人物を知っていますが、はたから観ると「条件つきほめられ」なんだなというように見えます。
    つまり「ほめられるために何かする」というのが、子供の頃からのクセなんです。

    橋本敬三先生が「子供はほめて育てろ」と書いていますが、それは子供の頃です。

    以前50代半ばの受講生(基礎がなっていないのでしっかり指導)に、「橋本先生は、子供はほめて育てろって書いてましたよ!」と噛みつかれ、私は「子供じゃないだろ(笑)」と言ったことがあります。

    また、師弟関係を考えるとわかりますが、師匠は弟子をほめません。

    できて当然のことはほめないのです。

    ほめる時は本当にほめる時なのです。

    2016年9月 新創生期操体法特別臨床講座 開講!

    www.sotai-miura.com

  • 上手いほめ方。

    こんにちは。畠山裕美です

    一週間よろしくお願い致します。

    上手い下手、ということについて最近気がついたことを書いてみたいと思います。

    先日のことです。東京操体フォーラム実行委員勉強会で、先のフォーラムについて、個人個人が意見を述べる機会がありました。

    その時、あるメンバーが「今までの発表内容は、心に響かなかったけれど、今回のは心に響いた」という意見を述べました(ご本人はこうは言っていないかもしれませんが、私にはそう聞こえました)。

    私はその時、何故か無性に腹が立って(すんません)
    「その言い方は失礼なんじゃないの」と言いました。

    ★ネタにしてすいません(笑)

    何故そんなに腹が立ったのか、自分でも分かりませんでしたが、あとで考えると何となく分かってきました。

    「今までの発表内容は、心に響かなかったけれど」という、その一節です。

    内容的には「今回の発表は良かったね」という内容なのですが、「前回と比較して」そして、その比較が「今までの全否定」(に聞こえた)からだったのです。

    というのは、私を始め三浦先生や他のメンバーは、何度も何度も発表しているわけです。
    それを「今までの発表は心に響かなかった」というのは、「今までの16年間の発表は、心に響かなかった」というように、長年やっている私には聞こえたわけですね。

    本人が「今までの発表を否定した」というつもりがなくても、人によってはそう取る(特に当事者だと)可能性もあるということです。
    これが、私個人の発表に対して、「ハタケヤマの今までの発表は、心に響かないカスみたいな発表だったけど、今回は心に響いた」というのなら、カスと言われようが「今回は少しは成長したか」と、よしとするわけです。

    が、今回は、私のみではなく、師匠や今まで発表してきた色々な先生方を全部ひっくるめて「今までの」という言葉になっているので、私自身、今までの過去の発表を全部否定されたように聞こえたわけです。

    これが「今回の内容は、一段と参加者の皆さんの心に響いたと思います」というのならば、私も「むかっ」としないはずなんです。

    たったワンフレーズで、人の気持ちをかき乱す(少し大袈裟ですが)こともあるんです。

    しかし、結局一番良かったのは、モヤモヤをため込まずに、通じる同志にはっきり伝える事ができたことです。

    ★ホント、ネタにしてすいませんが、何故時分の感情が「たったのワンフレーズ」で動いたか、これも「コミュニケーションの上手い下手」に無関係ではないと思うので、書いてみました。

    f:id:tokyo_sotai:20160510161846j:plain

    2016年9月 新創生期操体法特別臨床講座 開講!

    www.sotai-miura.com

  • 習慣。

    おはようございます。

     

    環境に適応することが健康につながりますが、健康とは自分自身で創造していくものだと思います。創造とは新たにつくりだしていくという意味合いがありますが、まずは自然環境にからだとともに順応できるようにしていくべきであります。その為に自然法則を知り、からだをとおして識っていく必要があります。

     

    人間が生きていく上で、必須な生命活動を最小限まで突き詰めていくと、呼吸、飲食、身体運動、精神活動の四つに絞られ、それぞれに自然法則が自在し、責任も生じます。そして、生命現象はバランス現象ですから、この四つのうち一つが悪くなれば他も悪くなるという性質と、一つが良くなれば他も良くなるという性質があります。

    ですから、四つの自然法則を知った上で、その中の一つでも自然法則に沿ったものとしていくことで、生命活動の質は善くなっていき、自然環境への順応性が高まり、様々な環境への適応能力も増していくことになります。これは、健康状態がより善くなっていくという事でもあります。

     

    四つのうちで一番取り組みやすいというか、一番からだと自然環境との調和が意識できるのは身体運動の法則、つまり般若身経だと思います。自然環境の一つである重力との調和は、身体運動にとって切り離せないものですから。

    般若身経をつうじて、からだ(自分自身)と向き合い、それを習慣化していく。そうしていくことで、からだのバランスは勿論善くなり、他の生命活動である呼吸、飲食、精神活動も善くなっていく。自然界の一部であるからだは身体運動だけでなく色々と至らない点を、感覚をとおして教えてくれたり、励ましたりもしてくれるのです。からだと偕にある習慣をもつことで、心もからだも変わっていけるのです。

    私もそうでしたが、健康状態が善くなった人は沢山います。是非、善い習慣を基に日一日と、心新たに、より善い自分自身を創造していってほしいのです。神人合一の生命観からすれば、一人一人それぞれが、それぞれに無限の可能性と創造性をもっているはずですから。

     

    昨日も引用させていただきましたが、医師の日野原重明先生の書いた「生き方上手」という本には、このようなことも書いてありました。
     

    【 人生は、ひと言で言えば習慣です。アリストテレス(前384~322)は、「習慣とは繰り返された運動」であり、習慣が人間の性格や品性をつくると言っています。
     習慣に早くから配慮した者は、おそらく人生の実りも大きく、習慣をあなどった者の人生はむなしいものに終わってしまいます。習慣は日々の積み重ねですから、それが習い性になってしまえば、その後はつらいとも面倒だとも感じなくなります。よい習慣をからだに覚え込ませればよいのです。
     鳥は生まれついた飛びかたを変えることはできません。動物は這いかた、走りかたを変えることはできません。けれど人間は生き方を変えることができます。それは、人間だけがいのちに終末があることを初めから知っているからです。かぎりあるいのちをどう生きようか、と生き方を考えることができるのは、人間にだけ許された特権なのです。
     「人間は死に向かって成長する」と、精神分析学者のエリクソン(1902~94)は言いました。年とともに肉体は衰えても、心はつねに生きる意味を探求しながら前進できるとは、なんとありがたいことでしょうか。 】
     

    改めて、人間という存在は凄いと思います。人間に生まれてこれただけでも素晴らしいことであり、有り難いと感じます。

     

    一週間のお付き合い、ありがとうございました。
    明日からは、畠山先生の担当となります。
    来週もどうぞ宜しくお願いいたします。

    友松 誠。

     

     2016年9月 新創生期操体法特別臨床講座 開講!

     

     

     

  • 「生き方上手」という本より。

    おはようございます。

     

    今回のブログのテーマが「上手い下手」だと聞いた時、まず思い浮かんだのが「生き方上手」という言葉でした。

    この生き方上手という言葉から、誰もが思い浮かべるのが、医師の日野原重明先生の書いた「生き方上手」という本のタイトルではないかと思います。ベストセラーだったですものね。発刊から、もう15年ぐらい経つんですね。当時はどこの書店にいっても、入ってすぐのところに、健やかな微笑みをうかべた日野原先生の写真が表紙となった、この本がズラッと並んでいたものでした。

     

    その「生き方上手」という本の中にこんなことが書いてありました。

     

    【 あなたの置かれている環境や状況はそのときどきに変わります。その変化に自分を上手に適応できることは、健康であることの一つの証です。健康はつねに変わらない状態を言うのではなく、個々人にその対応が任された、応用自在なものであるべきなのです。
     きのうのあなたと今日のあなたがちがうように、健康もあなたとともに姿を変えます。環境の変化を読む熟練した舵取りは、医師ではなく、あなたのことを一番よく知っているあなたが取るべきだということを忘れないでください。 】

     

    さすが、その道に精通し、達観した方の言葉だと感じます。

     

    この本が発刊された当時、私はまだ操体の門下に入っていたわけではなく、まだ症状疾患に対する治療法を色々と探っていた「オレがオレ我」の頃だったので、不覚にもこの言葉はあまり響かず、見過ごしていました。

    しかし、今読み返してみると、ピンピンにヒビクものがあります。医師であった、操体の創始者、橋本敬三先生が生涯をとおして提唱してきたものとも共通するものを感じます。

     

    やはり、何事も上手くなるには健康という土台が必要なのだと思います、その健康とは単に体力が勝っているとか、内科的数値とか、そういう事で測るものではありません。数値はあくまで目安であって、からだのバランスとか心の問題とかを含めれば、必ずしも個々の数値が良いのが健康とは言えないのです。

    突き詰めれば、環境に適応する為の変化が出来るという事。その環境も、からだのことを想えば、まずは自然環境という事。人為、社会的環境ばかりに振り回されて、あっちに良い顔、こっちにも良い顔と変化することではありません。それでは疲れてしまうし、信用もなくなっていきます。

    自然環境へ順応する。これは自分自身でやっていくしかない。健康は自分の責任でもあるのです。この責任というのは、堅苦しいものではなく、やればやっただけ善くなるという事で、その為に自然法則(快へ向く)が自在するのです。

     

    橋本敬三先生は、健康増進の論理と題した論文の中で、このようなことを書いています。

    【 生命体が自然環境に適応するということ、これは生命の至上命令であるから、この絶対的原理は自然の救いになっているのである。】

     

    自然の救いになっている・・・有り難いですよね。

     

     

    生きかた上手

    生きかた上手

     

      

    生体の歪みを正す オンデマンド版―橋本敬三論想集

    生体の歪みを正す オンデマンド版―橋本敬三論想集

     

     

     2016年9月 新創生期操体法特別臨床講座 開講!

  • その感覚は財産。

    おはようございます。

     

    何事も動作一般に言えることですが、からだ全体で合目的な使い方ができれば能率が良く、見栄えも良く、心も晴れ晴れしてくるものです。

    からだを動かす事は、生きていく上での最小限必須条件であり、その使い方にも責任があるのです。能率よく使えていれば生活の質も向上しますが、責任を放棄していれば様々な面で不調和が生じてしまいます。

     

    責任を果たすには法則を知る必要があります。からだの使い方に関しては、身体運動の法則があり、世界で一番短いお経になぞらえて般若身経と名付けられています。

    この般若身経、その命名どおりに、からだの使い方を本当にシンプルに説いています。しかし、シンプルゆえに奥は深い。

    なぜかというと、人間一人一人は、一定の秩序や真理で成り立った上での、様々な可能性を秘めた個性真理体だからです。その個性真理体の誰にでも共通する真理を辿っていけば、その表し方はシンプルにならざるをえない。だから、本で読んで頭で理解しても、その本質や法則の有難味はわからないんですね。

    実際にやってみて体感しないと。やってみても最初は戸惑いがあるかもしれません。それは、自分の動きとからだの動きは違うからです。自分の勝手で動いても、なかなか協調した全体的な動きというのは表現されて来ないんですね。

    簡単そうに思えても、人それぞれ生活の間違いからの習慣化されたものがあり、勝手が違うんですね。その勝手を取り除き、自然体としてのからだの動きを体感するには、善い指導者の指導を仰ぐ必要もあります。

     

    操体の指導者というのは、動きを骨格関節、筋肉の働きの枠の中でしか捉えない偏った専門家ではありません。からだの動きには、呼吸や目線などとの相関性もあるのです。法則との相関性も生かして、からだの使い方を指導しているのが操体の指導者、臨床家なのです。

    今回の春季フォーラムでは、その好例がありました。三浦理事長から目線についての新たな提案がなされ、それを参加して下さった方々が実践されると、みるみるからだの動きが変わってきましたものね。

    そして、その表情も目がキラキラ輝いて、ほんとに愉しそうでした。自分の動きではなく、からだの動きが表現されてくると、からだも心も快の方向性に向くのでしょうね。

    自然法則に則り、自分自信で動き、得た快適感覚。上手くなるための財産になると思います。

     

    2016年9月 新創生期操体法特別臨床講座 開講!

  • 感覚を取り入れましょうよ。

    おはようございます。

     

    昨日ちょっと書きましたが、これだけ練習を続けてきたのだから、という裏打ちを自信にしている人は多いと思います。しかし、量を積み重ねるだけでは自己満足は得られても、上手いにはつながらないと思います。

    量より質という事は重要であり、スポーツの練習などでも昔は根性論が幅を利かせていましたが、今は科学的トレーニングも取り入れた方法が主流のようです。

     

    特にスポーツでは、ある一定の箇所に負担をかけることが多くなりがちです。一定のルールの下で、その優越を競うわけですから、頷けるものがあります。

    そして、本番でもミスがないよう、同じようなことを何回も繰り返し繰り返し練習する訳ですから、ある一定方向にからだが偏してきても不思議ではありません。

    また、からだからも、痛みをはじめ不快な感覚が、これ以上やってほしくないというサインとして発せられてきます。それでも続行して、からだの元に戻ろうとする働きを上回れば、からだは歪んで対処するしかなくなってきます。

    こうなってくると、はじめは楽しかった練習も、だんだんツライものとなってくるし、からだを壊す危険も出てきます。

    それでも、練習しないよりは能率的なのは確かでしょうが、練習しつつも、なおかつ全体的に合目的使用がされたからだよりは低能率なのです。

    それで、科学的トレーニングを取り入れて、スポーツ障害などの予防をしながら、合理的な練習をしていこう、ということになったのだと思います。

     

    しかし、科学的トレーニングの科学っていうのは、論理的、実証的で系統立てるものですから、個人個人の感覚って事とは相容れないんですよね。ここに恨みがあります。

    ある目的に向かって全体的にからだを使う、怪我をしないようにする、その為に共通するのは感覚なのです。

    感覚を磨いていく。その為には自然法則(身体運動の法則)を知っておく必要があります。感覚、感覚って言ったって、自然法則という根幹の基準がなければ、何をやっているのか捉えどころがなくなりますから。

    自然法則(身体運動の法則)に則ってからだを使い、からだ全体が協調的に連動していく感覚を体感し、からだで識っていく。その上で色々な動作に応用し、感覚をききわけながら、より能率的な動作にしていく。何事も上手くなるのに最善なやり方だと思います。

    また、そういうプロセスを踏みながら練習することで、上手い人が何故上手くいっているのかが解るようになってくると思います。

    私たち一人一人は、科学では計り知れない可能性を秘めています。枠でくくるよりも、感覚をききわけましょうよ。その感覚によって、かたちづくられたものが、科学の対象となっていくわけですから。

     

    2016年9月 新創生期操体法特別臨床講座 開講!

  • 自信。

    おはようございます。

    昨日の最後に、自己本質の善美を信じ、という言葉を使いましたが、これは橋本敬三先生の文章の中の言葉を引用させていただいたものです。文章ですから、この言葉の前も
    あり後もあり、文節として以下の様になっています。

     【 自分の失敗にこだわるよりも、本質の自分を信ずる方が勇気づけられる。キリストは「汝ら恐るるなかれ、我れすでに世に勝てり」と言った。自己本質の善美を信ずるほど、現象の自分には懺悔と謙虚を覚えるはずであり、そこに向上があると思う。 】

     スポーツでも仕事でもプレッシャーによって、本来の能力、上手さが引き出せない人もいる。自分自身に自信を持つことは大切だと思います。

    その自信も、相対的な自信ではなく絶対的な自信を持つ。つまり、どれだけ練習したから、どれだけ遅くまでやったから、という量や時間を裏打ちとする相対的なものではなく、絶対的な自信を持つということ。

     

    これだけツライ練習を続けてきたのだから、上手くいかないはずがない。そういった自信も必要かもしれない。しかし、それが上手いにつながるかといったら、そうなるとは限らない。そうならないどころか、無理がたたってからだを壊し、本番を迎える事すら出来なくなる可能性もあります。

     

    相対的ではない絶対的な自信。では絶対的な自信とは。それは橋本先生の文章にあるような本質の自分を信じる事なのだと思います。では本質の自分とは。それは神人合一の生命観にあるのだと思います。物体としての自分、自我としての自分ではなく、神仏にイノチをいただき、神仏と偕に在る自分自身という捉え方。これは絶対的なのだと思います。

     

    しかし、その絶対的自信に胡坐をかいてしまうというのも良くない。努力しなくて神頼み、というのではないのだ。努力した上で、あくまで謙虚に、すべてやることはやらせていただきました、あとは(結果はどうあれ)おまかせいたします、という心持。

    結果も、神仏や太極といった絶対的なモノの意志であるなら、有り難く受け止めるしかないではないですか。結果は良くても悪くても、それは絶対的なモノの愛だということ。

     

    良ければ、素直に喜び、更に善くするようにしていく。悪ければ、自分の至らなさを懺悔し、悔い改めて善くしていく。その時の結果はどうあれ、必ず向上があるという事であり、どちらも愛という捉え方、潔さ。そういった裏打ちがあっての自信。物事が上手くいくには大切な事なのでは、と思います。

    2016年9月 新創生期操体法特別臨床講座 開講!

  • 資本に見立てて。

    おはようございます。

     

    からだが資本という言葉をよく聞きます。怪我をしていたり、からだになんらかの不調を抱えていては何事も上手くいかないということは、誰でも周知の事柄です。資本となるものは大切にしなくてはならないですね。
     

    資本を活動の元になるものと考えてみると、資本が潤沢なほど、活動の選択肢や量が増え、その活動によって得たものを資本に上積みすることで、更なる発展をしていく。逆に、いくら資本が潤沢でも、その活動の仕方を誤れば、資本を食いつぶすことになってしまう。
    発展していくか、食いつぶすか、それはその活動の仕方の上手い下手にかかっているのだと思います。
     

    人間のからだは、本来もの凄い可能性を秘めているという。例えば脳にしても、本来の能力の5パーセントぐらいしか活用できていないという話もあります。それだけ元々の資本は誰でも潤沢だということ。 

    その人間の持つ可能性というのは、具体的に計ることは出来ない。しかし、自分自身は無限の可能性を秘めていると自信を持つことは出来るはずです。

    もう少しいえば、自分自身の可能性を自分で否定してしまえば、いくら上手く活動する環境要因や条件が整っていても、それに気づく前に、自ら資本を枯渇させてしまっているということ。資本は潤っていてこそ、活動の元と生り得るのだと思います。
     

    操体の創始者、橋本敬三先生の思想、哲学には、一貫して神人合一の生命観というのがあったようです。自己本質の善美を信じ、その可能性を否定しないこと。これは上手い下手という現象以前に重視しなければならない事であり、そうしなければ何事も上手くいかないよ、という事なのだと思います。

    2016年9月 新創生期操体法特別臨床講座 開講!

     

     

  • 聴き上手。

    こんにちは。 

    今週のブログは友松が担当いたします。

    一週間どうぞよろしくお願いいたします。

     

    今回のテーマは「上手い下手について」ということですが、このテーマは春の東京操体フォーラムのテーマでもありました。

    春の東京操体フォーラムといえば、先週ブログを担当して下さった寺本さんのホーメイと弦楽器の演奏も印象的でした。

    朝一番、プログラムの始まる前に寺本さんが演奏したことで、場の雰囲気やご来場の皆さんの心もちも穏やかになり、愉しく学ぶための空気が満ちていったように感じました。

    私は、この日、フォーラム会場へ向かう途中に列車トラブルに遭遇してしまい、予定より50分ぐらい到着が遅れることとなってしまった。中央線から慣れない地下鉄に乗り換え、大慌てで走りに走り、会場に着いた時には、息はセカセカ喉はカラカラ、開会しても気持ちが上ずったままの状態でした。

    しかし、寺本さんの倍音の利いたホーメイと演奏を聴いていると、そんな心とからだが癒されていくのを感じた。なんだか懐かしいような、安心できるぬくもりのような、そんな空気に包まれながら旋律がからだにヒビキ、心の奥深いところを嬉しくさせていく、そんな感じだったように思います。
     

    音楽で心とからだの不調が癒えるという事は、古くから知られており、巷にはリラクシングの音楽が数多く溢れています。数多くあるという事は、好みもありますが、人それぞれに合う合わないという事や、上手くいく場合とそうでない場合があるという事でもあります。

    これは聴く側にも問題があるという事を示唆しているのではないでしょうか。つまり上手く聴く態勢がとれていない。空間もそうですが、コンサートホールに行ってポテトチップをパリポリやるような空気の読めない人が一人でも居たら、台無しになってしまう。空間との調和、一体感を意識するということも大事だと思います。

    言葉もそうですが、上手く伝わる場合とそうでない場合がある。同じ言葉でもニュアンスが変われば違う意味になる事が多いですから。空間をつうじて波長が合わなければ、行き違いが生じる。それを合わせるのは感覚であり、思考優位になっている時ほど、言葉の行き違いを起こしてしまうと感じます。話でも音楽でも聴く態勢をとるという事は大切と思います。

    今回のフォーラムでは三浦理事長から音楽を聴く時も、こういうふうにしたらその音楽の善さをありのまま受け取れる、という提案がありました。ご参加の皆様は実践してみていただけたでしょうか。やってみて体感して、善いと感じたものは取り入れていく。そういう姿勢も何事にも共通する上手くなるコツだと思います。

     

    2016年9月 新創生期操体法特別臨床講座 開講!