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  • アマからプロへ

    始めてこちらで書かせていただきます。松浦と申します。

    今日から1週間よろしくお願いいたします。

     

     

     

    操体と出会う前、私はプロではなかった。

     

    独りで鍼灸マッサージの仕事をしていたものの、思うようにいかず、どん底にいた。

     

    意識、技術、根性、どれも中途半端であった。

     

     

    その時、自分の核となるものを持つ必要性を痛切に感じた。

     

    痛い思いをして大切なことに気づかされた。

     

    そして、ご縁があり、操体、三浦先生、諸先輩方と出会う機会に恵まれた。

     

    私自身は、プロの道半ばであるが、現在、先生、諸先輩方から、プロ意識とプロ根性を学ばせていただいている。

  • プロ意識とプロ根性(7)

    時が満ちない時はやらないのも、プロ。
     
    最終日になりました。
     
    操体でも、占いでもあるのですが、お互いにタイミングが合わない時があります。
     
    一ヶ月くらい全くタイミングが合わないとか。
    これを断易の先生に聞いてみたら
    「そういうことはある」
    「もしかしたら、今は鑑定してはいけないということなのかも」
     
    とのことでした。
     
     
    そして、こういう場合「売上げ」など目先のことに気を取られて
    施術をしたりセッションしたりすると、大抵いいことはありません。
     
     
    できない時はできないと割り切るのもプロなのです。
     
     
    私の知っているプロの占星術の先生は、クライアントの依頼も占って
    日が合わないと鑑定しないそうです。
     
     
    以前私が海外出張に出ている時に(物理的に無理ですよね)
    「これから電話で鑑定して欲しい」という人がいました。
     
    勿論お断りしましたが「でも見て欲しい」と言います。
    (無理だっつーの)
     
    私は「誰それの寿命」(いつ亡くなるか)とか「誰と彼は別れるか。別れるとしたらいつか」(占いというよりも、質問者が「誰と彼」に別れて欲しいということですね)
    という依頼は受けないことにしています。
     
    この、海外にいても見て欲しいというクライアント、婚約者がいる人を好きになり「彼と婚約者は別れるか。何時別れるか」という質問を毎日してくるわけです(汗)
     
    「私が男だったらこんなオンナいやだ!絶対別れてやる!」(笑)と思ったりもしました。
     
    「彼と彼女がいつ別れるかという前に、この二人はずっと一緒かもしれないし、そもそも私は『いつ別れるか』というのはみないことにしています」と言っても
     
    「でも、いつ別れるか知りたいの!」と、話がぐるぐる回るわけです・・・。
     
     
     
    最終的にこの方は鑑定しないことにしましたが、それはアリなのです。
     
    師匠が「我々にも患者(クライアント)を選ぶ権利がある」と言っていました。
     
    それもプロ意識の一つではないかと思います。
     
    また「自分の手にはおえない」と思ったら、潔くそれを認め、誰かできる人に任せるのもプロです。
     
     
    一週間ありがとうございました。 

     

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    これも「福猫展」。必殺仕事人の「三味線屋の勇次」。
    夏になると透けた着物をまとい、紫のアイシャドウとサービスの後れ毛がナイスだった中条きよし演ずる「勇さん」は、他のキャラの追従を許さないほど強烈なキャラでした。

     

  • プロ意識とプロ根性(6)

    そして、開業していようがいまいが「プロ意識とプロ根性」というのは関係ない、というのが、私の気持ちです。
     
     
    私が結構「ムカっ」とするのは「自分はプロじゃないから、操体はそこそこできればいいんです」という輩です。
     
     
    「別にプロじゃないから、ハタケヤマさん程熱中して勉強するつもりはありません」
     
    という方々です。
    本当に謙虚な人はそんなことは言いません。
     
    「プロじゃないし、開業するつもりもないから」というのは、責任逃れの言い訳です。
     
    また、操体を知らない人に対しては「自分は操体がそこそこはできる」と言いたいようないやらしさも感じます。
     
    つまり、プロに対しては「自分はプロじゃないですから」といい、全くのアマチュアに対しては「自分は操体を結構知っている」風に接するわけですね。
     
    また、橋本敬三先生の言葉に「間に合ってればいい」という言葉がありますが、以前、これを完全に自分仕様に都合のいいように解釈し、
     
    「橋本先生も『間に合ってればいい』と言ってたから、自分も操体は間に合ってるくらいできればいい」
     
    と言っていた人がいました(治療家として仕事してる人ですよ)。
     
    「間に合っている」というのは「6割程度」ですが、「六割程度」のを受ける人は、
    気の毒ですよね。
     
    というか、これもあきらかに責任逃れです。

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    これも「福猫展」より「必殺仕事人」の「秀さん」です。

     

    蛇足ですが、何故か理由もなく水に濡れながら走る三田村邦彦演ずる「秀さん」(ヅラを被らないという設定も斬新)はかっこよかったです・・。

     
  • プロ意識とプロ根性(5)

    映画でも「プロの運び屋」とか「プロの殺し屋」とか「プロの○○」というのはよくあります。
     
    007とか必殺仕事人とか、最近では「私、失敗しないので」の、大門未知子とか。
     
    何故、人は「プロの○○」に惹かれるのでしょうか。
     
    それは「極めた人」の「パワー」に対する「畏敬尊敬」もあるでしょうし「どうにかしてくれるかもしれない」という期待もあるのでしょう。
     

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    目黒雅叙園の「百段階段」で開催されていた「福猫展」より。

     

    この猫は「必殺仕事人」の中村主水さんなのだそうです。

     

    「昼行灯」の主人公が、実は・・・というのはやはり魅力的です。

  • プロ意識とプロ根性(4)

    本当は誰でも「プロ意識」と「プロ根性」は持つことができます。
     
    しかし、大抵は自分でそれを持つことを怖がっているのです。
     
    操体の勉強にしても、私はそういう人をたくさん見てきました。
     
    プロとして、仕事の対価を得るのは、当然です。
     
    これは繰り返し繰り返し、操体界のために、未来永劫言うつもりですが(笑)
     
    2000年に仙台で開催された「全国操体バランス運動研究会」の基調講演で、
    ある大学の先生が「操体でお金をもらってはいけない」という話をしました。
     
    その会場には、私や三浦先生を含め、鹿島田先生とか故瓜生先生とか、小崎順子先生とか、故中川重雄先生とか要は「操体で生活が成り立っている」先生方が沢山いました。
     
    つまり、操体のプロです。
     
    大学の先生(大学の先生は大学からお給料が出ますから、操体の臨床をやって
    お金を貰わなくてもいいワケです)が、
     
    操体のプロに向かって
     
    「お金をもらっちゃいけない」と言ったのです。
     
    この時は、会場のプロ達からブーイングが起こりました。
    瓜生先生とか立ち上がってブーイングしていましたよ。
     
    ワタシもブーイングしました。
     
    そして、橋本敬三先生は医者ですから、患者さんから治療費を頂いて家族を養っていたワケです。
     
    赤ひげ先生に養う家族がいたかどうかは知りません。
    また、橋本敬三先生も「いただけるところからはたっぷりいただき、そうでないところからは無理にはいただかない」というセオリーであったと聞いています。
     
    なにも「操体をタダでやれ」と言っているわけではないのです。
     
    これは、プロに対して失礼です。
     
     
    ★実際、自衛官や警察官、公務員などは「無料」にしていたそうですが、「無料」だと
    来なかったときいています。
     
     
    また、その後の長野の全国大会で、エスカレータに乗っていた私と三浦先生の前で、
    ある年配の女性が、隣にいる人にむかって「操体はお金をもらっちゃいけないのよ」と言っていてこれまたびっくりしました。
     
    こういう話がどこから出たのかしりませんが、多分、関西地方で盛んな「サークル、教室的な操体」から派生したのではと睨んでいます。
     
     
    サークルの仲間同志だったら、アマチュアですからお金はとれませんし、お金を貰うと、責任が生じます。
     
    つまり「お金をもらっちゃいけない」という言い分は、「責任を逃れている」のです。
     
     
    「私たち、アマチュアだし、責任とれないから、お金貰わないけど、だからプロのあんた達も操体でお金もらっちゃダメよ」
     
    と言っているのと同じです。
     
    「お金をいただく」というのは、プロとして当然のことなのです。
     
    まあ、道で倒れていたりぎっくり腰の人がいたら勿論助けますよ。
     
    ここで、私が先日フォーラム相談役の駒居義基先生のセミナーで教えていただいた、二宮尊徳の名言を書いておきます。
     
    「道徳なき経済は罪悪であり 経済なき道徳は寝言である」
     
    社会通念上やってはいけないことを通じてお金を得るのは、悪である。
    ただ、経済がない、つまりお金をしっかりと稼げない状態は、議論として成立しない。ということです。
     
    プロに向かって「操体でお金をもらっちゃいけない」というのは、「責任逃れの寝言」ということなのです。
     

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  • プロ意識とプロ根性(3)

    私は操体のプロでもありますが、プロの占い師でもあります。
     
    どちらも「こころとからだを癒す」という面では似ているなと思います。
     
    中国の「五術」というのがあります。
     
    占いは「命」「卜」「相」「医」「山」と言われ(普通は命卜相が有名)ますが、
    「命」は誕生日から鑑るもの、「卜(ぼく)」は、易やタロットのように、その時の波動や運を鑑るもの、「相」は手相とか人相を。これは操体の「形態観察」ですね。
     
    そして「医」は中国医学鍼灸など。矯正法としての操体も含まれると考えています)。
     
    「山」は気功や呼吸法、食事療法を指します。
     
    こうやって考えると、操体の「息食動想」も何となく繋がってるよね、と思ったりします。
     

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  • プロ意識とプロ根性(2)

    以前、「二郎は鮨の夢を見る」という映画を観ました。

     

     

    そして最近、
     
    NHKスペシャル「和食 ふたりの神様 最後の約束」というのも見ました。
     
    この「実行委員ブログ」でも自分のブログでも書いていますが
    「10,000時間の法則」という話があります。
     
    あることを「10000時間くらいやった人」同志は、業界が違っても深いところで
    わかり合える、という話です。
     
     
    鮨の神様と天ぷらの神様。
     
     
    この方達は、一万時間どころではなく「一万日」(約28年)以上の
    大ベテランです。
     
    見事なプロ根性です。
  • プロ意識とプロ根性(1)

    こんにちは。畠山裕美です。
    一週間よろしくお願い致します。
     
    最初にお知らせです。
     
    東京操体フォーラムの最高顧問であり、三浦先生の患者様でもある、島地勝彦先生の新著が発売になりました。
     

     

    神々にえこひいきされた男たち (講談社+α文庫)

    神々にえこひいきされた男たち (講談社+α文庫)

     

     こちらに、「半死のシマジが蘇った操体法の奇跡」という一節があります。

    こちらに、三浦寛先生が登場します。

    私は「高弟」(笑)として登場しますが、実際私もその場に居合わせていました。

    操体って凄いな」と思いました。

    是非お読みください。

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    さて、最近は、免許や国家資格をもっていても、それが仕事に繋がっているというワケではありません。
     
    瀧澤さんに聞いたところ、鍼灸学校を出て免許をとっても、鍼灸の道に進むのは1割。
    開業するのは1割、成功する(やっていける)のは1割なんだそうです。
     
     
    また、東洋医学関係の出版社に聞いたのですが、鍼灸師の平均年収は300万を切るそうです。
     
    そういえば、私が「健康運動指導士」の講習に行ってた時、鍼灸師の方が「鍼灸だけじゃ不安だから」と何人か受講していましたっけ。
     
    最近とみに思いますが、自営業は「蛇口が一つ」ではリスクが高すぎます。
    最低三つは持っておけと。
      
    つまり、自分の能力でできることを3つは持っておけということです。
     
     
    また「プロ意識とプロ根性」は、開業しているしていない、とは関係ありません。

    意識と根性の問題でもあるのです。
     
     
     
     
     
     
     
     
  • 最終日。

    おはようございます。

     

    今日で、今回の担当も最終日となります。

    今回のテーマを振り返ってみますと「プロ意識とプロ根性」でした。

     

    今回のブログで、私は当初「根性」という言葉を使うのを躊躇っていました。

    私の子供の頃は、「巨人の星」をはじめスポ根漫画が全盛でしたが、なにかスポーツをする度によくシゴカレましたから。

    その時、よく耳にしたのが根性という言葉であり、自分の中でも根性という言葉が浮かび、それをバネにして頑張り、からだに無理を強いていたと思います。

    今になって思い出すと、何でもっと効率的で理に適った指導がされていなかったのだ、という気持が強くなります。

    シゴキは限度を越すと、からだを壊してしまうんですね。壊すまでに至らなくとも、そのスポーツ特有のからだのアンバランスを招き、それが原因となって、時間空間のかかわりにつれ、健康を損ねることにつながります。

    ですから、根性という言葉にはあまり良いイメージはありませんでした。

    そして、「頑張るな」「威張るな」「欲張るな」「縛るな」というバルの戒めに反する事にもつうじると思っていました。

    しかし、それは「根性論」からの自分のイメージでしかなかったのですね。

     

    「根性」の本来の意味は、その人が持って生まれた性質とか、あるものに特有な性質のことですから、この意味からすると「根性論」の根性とは別物といった感があります。

     

    本来の根性の意味を考えていて、植物が思い浮かんできました。

    木は何百年、何千年と生き、幹や枝葉を伸ばし、その呼吸は私たちの呼吸を支えています。大変有り難い存在ですが、その存在を存在たらしめているのが、大地にしっかり根付いた根っこです。

    根っこが大地から養分を吸い上げるから,木は生長し何百年も生きることができる。この根っこの能力や素地。素地という事を人間に当てはめ、元々備わっているものを考えれば「感覚」は外せないです。そういった「根」。

    それから「性」は石田梅岩が言ったように、人間をはじめ全てのものが、生まれてくるときに天から授けられた理(原則)、もしくは天地があらかじめ備えている道理(宇宙の摂理)の事。

    この「根」と「性」を合わせるような捉え方でもいいのではないかと思いました。

     

    そうなると、無理や無駄というものがなくなってくると思います。根性論のように、何が何でも結果を求めようとするのとは、まるで違います。

    理に適うように感覚をとおして学び、そして務め、能力を高め生長していく。そしてそこには、木がそうであるように他への貢献、自分も生き、他も生かすということが伴います。

    「プロ根性」ということも、それを元にそれぞれ特有の分野で、感覚をとおして理に適うように、自分も活き、他も活かしていく、というものだと思いました。

    そして、その性質は木の根っこがそうであるように、年輪を重ねるごとに、深みを増し、広がりをみせるものだと思います。

     

     

    一週間お付き合いいただき、ありがとうございました。

    明日からは、畠山裕美先生の担当となります。

    来週もどうぞ、よろしくお願いいたします。

     

    友松 誠。

  • あるがまま、正直に・・・2。

    おはようございます。

     

    石田梅岩という人は、大きな開梧を2度体験しながら、その思想をより確かなものとしたといいます。

    はじめの開梧も素晴らしいものだったが、天地自然、宇宙、大自然というものを、まだ自分の目で見ていたところがあった。つまり、自分からみてどうかという、対象性の含みがあった。だから、自分でもいまひとつ腑に落ちないところが残っていた。

    しかし、2度目の開梧の時には、見ている自分を離れ、対象との一体化、大自然との一体化を感じ、見て考えるという、自我から解放され、自由になった自分に気づいたという。

     

    梅岩は、この自然との一体感をつうじて開梧し、そこに「性」をみた。

    性(本性)というのは、人間をはじめ全てのものが、生まれてくるときに天から授けられた理(原則)の事。言い換えれば、天地があらかじめ備えている道理(宇宙の摂理)の事であり、それは人間をはじめ、植物にも鳥にも魚にも、太陽や月にも、万物万象に与えられている。

     

    梅岩はこうも言います。

    「天は万物を生み出し、生み出されたものはおのずから養われるもの」

    天は万物を生み出し、生み出されたものはおのずから養われるのだから、その天地自然が備えもち、そこから万物に授けられたあるがままの理を自覚し、その理に沿ってあるがままに生きていくのが生命にとって最善だという事。

    万物の中には、もちろん人間も含まれ、人間にとっても天地自然は大いなる母であり、その摂理にもとづいて人の命はこの世に生み出され、その理に従って人の身体や姿形、仕組みや機能もつくられている。

    人は疑いもなく、天の子であり、人は天と一体の存在である。

    ですから、人間はそもそも正直な存在である、とも説いているのですね。

     

    人間はそもそも正直な存在である。しかし欲の衣を纏うがために、その本来の崇高な性を覆い隠し、自身のもつ可能性を狭めてしまっている。だから梅岩は倹約を説き、本来の崇高な性を呼び覚ますよう提唱した。

    操体を学び、実践している私達は、天の理に従って身体の姿形、仕組みや機能もつくられている「からだ」に注目し「からだにききわける」ということをとおして、自然治癒力、自然良能作用をはじめ、本来の崇高な性を呼び覚ますようにと提唱しています。

    アプローチの仕方は違えど、どちらも大自然、またその生みの親を畏敬し、その子である人間に神性をみいだし、その無限の可能性を導き出そうということなんですね。

    字に書いていない天地の書を読めと教えられた二宮尊徳、素直な心を提唱した松下幸之助、そして操体創始者橋本敬三、みんな言葉の表現は違えど、同じように真理を説いていると思います。

     

    心とからだは、2は1であり1は2であり、2元的に捉えることはできません。

    「からだにききわける」本来的には崇高な行いなんですね。「良心にききわける」「御霊にききわける」とも同義であり、心の根っこに問いかけるという含みもあるのです。

    しかし、一般的にはまだまだ行き渡っていません。臨床の場でも、初めての方に「からだにききわけて」と言うと、「ポカ~ン」とされる事も多いです。それでも、体感をとおして何となくわかっていただけるようになるんですね。

    その時どう思われようと、理に適う事をあるがまま根気善く。それもプロ根性だと思います。

     

    参考文献 

    魂の商人 石田梅岩が語ったこと

    魂の商人 石田梅岩が語ったこと