ブログ

  • すなおに投げかける

    投機という言葉がある

     

     

    人はあなたのことを知れば知るほど

    好きになるものなのだ

    心を投げかけ、心に思うことを素直に言いあう

    素直に思いを伝える

     

    没交渉

    ぼっこうしょうと読むのではない

    「もつこうしょう」と読む

    互いの対立点を解消し

    互いの悪には避け

    それを実行するために

    よく話し合うこと

     

     

    f:id:tokyo_sotai:20170615161308j:plain

  • 一無位(いちむい)の真人(しんじん)

     

    人は

    生涯自分から離れることはできない

    そんな自分には一無位の真人が眠っている

     

    一とは普遍的で絶対のもの

     

    無位とは物事にとらわれない

     

    嘘、偽りのない

    全てを正しく理解している真人が

    自分自身のうちに眠っているのだ

     

     

     

    ある操体法の発表の場で

    モデルを使い実技が行われていた

    その実技は危険きわまる指導だった

     

    からだを

    「後屈に取らせたまま、全身の力を瞬時に抜く」ように

    指導していたのである

     

    いったい、そのような教えを

    誰に受けたのかは知らぬが

    危険きわまりない

    被害者がでてもおかしくない

     

    「好き勝手の我」が

    のさばるようでは、先はみえない

     

    指導するということは

    細心の注意が必要だ

     

     

    f:id:tokyo_sotai:20170615161155j:plain

  • 齢を重ねる

    人は生涯
    「自分から離れる」ことはできない

     

    それは生涯
    「自分として生きていく以外にない」ということである

     

    日々精一杯生きていくことで
    心が飢えることはない

    自分を知り尽くすこととは学ぶこと

    学び続けることは、自分を大切にすることに通じている

    すると、ものまでも大切にするようになる

    ものは道具だが具足ともいう

     

    そうやって美しく齢を重ねていけばよい

     

    f:id:tokyo_sotai:20170615161111j:plain

  • 主人公よ 目覚めているか

    今日から七日間、三浦が担当いたします。

    どうぞよろしくお願いいたします。

     

    人生には

    朝、目覚めて

    「今日は何をしようか」と思っているうちに

    明けてしまうような「暇つぶし」もある

     

    しかし、暇つぶしにも、

    「極上の暇つぶし」がある

    極上のそれとは

    王道をきわめること

    その道をきわめることである

     

    きわめるには

    生涯一貫して自分を知り尽くすことだ

    こんな素晴らしい暇つぶしはない

    人生は一日として同じ日はないのである

     

    自分はどうしたら「美しく齢を重ねられるのか」

    これ、極上の暇つぶしに通じる

     

    生涯をかけ、自分を知り尽くす

    これこそ極道の暇つぶしである

     

    人は年を重ねていくうちに

    人相がよくなる人と悪くなる人がいる

    これを「面相」という

    年と共に並でない顔を作るには

    「知恵と教養」を身につけていくしかない

     

     

    f:id:tokyo_sotai:20170615161020j:plain

  • 生き方

    一般的にはプロと言われている人でも、あまり惹かれない人もいる。

     

    一方、プロの中でも特別惹かれる人がいる。

     

    私がそう感じる人に共通するのは、

     

    生き方、生活がそのまま仕事になっているような人である。

     

    やらずにはいられないことをやっている人。

     

    からだの奥底、こころの奥底の声、それが微かでも、それを大切にして、それに従い生きている。

     

    名声や成功、世間や周囲の評価に惑わされず、その声を大事にしようと耳を傾け、ことをなし続ける。

     

    その行為が仕事となり、プロと呼ばれ、プロとして第一線で輝き続ける。

     

    そんな人が本物のプロだと、私は感じる。

     

     

     

    1週間ありがとうございました。

     

    明日からは、本物のプロ、三浦寛先生です。

     

    よろしくお願い致します。

     

  • 変化

    今、プロであったとしても、数年後にプロでなくなっている、ということもある。

     

    プロであり続ける為には、変化し続けること。

     

    時には今まで積み重ねてきたことを捨て、新しいことに取り組むことも厭わない。

     

    変化する柔軟さがある。

     

    変化し続けるためには、現状に疑問をもつこと。

     

    問い掛け続ける。

     

    そして自ら変化を生み出し、創造していく。

     

    それを今、傍で見せていただき、肌で感じている。

  • 純粋

    「動きに搾取がある」

     

    これは、私が先生に指導していただいた言葉の一つである。

     

    しばらく前に言われたことであったが、今も響き続けている。

     

    私の搾取しようとする心に響いているのである。

     

    自分の人生の中で、搾取、小手先、誤魔化しで凌いできた場面があった。

     

    それでなんとかなってきた面があった。

     

    というよりは、ツケを回していただけなのであった。

     

    いつの間にか、それがからだに染みついてしまっていたようである。

     

    しかし、プロには誤魔化せない。

     

    それはプロには搾取がないからなのではないか。

     

    純粋なのだと思う。

     

    他人にはもちろん、自分に対しても。

     

    そして妥協がない。

     

     

    今は毎日、からだに染みついた垢落としの日々である。

  • 当たり前

    プロは難しいことでも簡単にやる。

     

    簡単にやっているようにみえるので、自分もできそうだと思い、実際にやってみるが、どうもうまくできない。

     

    人ができない技術を持っているのがプロ。

     

    人ができないことを「当たり前」のようにする。

     

    しかし、それと同時に、

     

    凡人にとっては当たり前すぎて見過ごすようなごく日常的な『当たり前』のことを大切にしている。

     

    一つ一つのことを蔑ろにせず、大切にしている。

     

     

    それに倣い、今、日常の毎日繰り返される一つ一つの動作を見つめなおしてみる。

  • 覚悟

    覚悟して、操体の門を叩いた。

     

    しかし、恥ずかしながら、継続していく過程で気の緩みが生じ、学ぶことに対し、甘えや迷いが生じる。

     

    面白くて学んでいるはずなのに、意識が甘くなる、やはり根性が足りないのではないかと思う。

     

    そんな時、半端具合がボロを出し、人前で恥ずかしい思いや悔しい思いをする。

     

    自分の半端具合が情けなくなり、自分に対し申し訳なく思う。

     

    そうして自分の甘さに気づき、覚悟を改める。

     

    覚悟が意識を変える

    覚悟が根性を生み

    根性が覚悟を支える

     

    そんな側面がある気がする。

  • 育む

    初めからプロはいない。

     

    いるかもしれないが、私のような凡人はプロ意識もプロ根性も育てていくしかない。

     

    積み重ねることで少しずつ視野が広がり、見える世界が変わり、自然と意識が変わってくる。

     

    コツコツ積み重ねるには根性がいる、と思われる。

     

    しかし、自分に根性があるか問われると返答に困る。

     

    ではなぜ今、操体を継続できているか、

     

    それは面白いからである。

     

    操体が捉える「からだ」の世界に魅せられているから。

     

    面白いから、もっとからだのことを知りたい、なんとか自分でも表現したいと、やる気、根性が湧いてくるような気がする。