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  • 「プロの臨床家として必要なもの」

    本日で最終日になります。

     

    一流のプロ意識を持った人は一流の指導者でもある。

     

    「いかに生きるかという志さえ立たせることができれば、人生そのものが学問に変わり、あとは生徒が勝ってに学んでくれる」(「覚悟の磨き方」超訳 吉田松陰 編訳 池田貴将 

    Sanctuary books出版より)

     

    これは一流の指導者でもある吉田松陰松下村塾における教育に関する信念の一つである。

     

    吉田松陰は生徒と共に学び成長し、そして同じ目線で物事が見れる教育者であったと言われています。

     

    ただ自分の習得した技術を教えるだけでは「ただのプロ」、そこで共に学ぶことで自身の成長だけでなく、自分のやっていることを進化させていけることが「真のプロ」なのだと感じます。

     

    そして何より指導者として大切なのは技術の伝授以上に教わる者の生き方に何らかの種を蒔いていくことなのだと思います。

     

    それを示していく為にも指導者自身がやっていることだけでなく、生き方そのものを磨いていく必要があります。

     

    そういったことは臨床にも通じていて、臨床家は指導者でもあるべきだということです。

     

    ただ患者が訴える症状を治すことだけならプロなら出来る。

     

    真のプロはそれを引き起こしている元の元、つまり患者自身の生き方に目を向け指導していく。それが本来在るべき治療の姿のように感じます。

     

    それには施術者自身の生き方が患者自身を感銘させるものでなければならない。

     

    治療をこのような捉え方をしていくと、橋本敬三先生が「治すことまで関与するな。治すことはからだに任せればよい」と言われていたことも理解すること出来ます。

     

    まだまだ橋本敬三先生の言葉には深い意味がありそうです。

     

    一週間どうもありがとうございました。来週からは半蔵さんの出番です。お愉しみに。

  • 「探究心とプロ根性」

    私の母の実家は佐賀県で農家を営んでいて、現在は叔父が引き継ぎ一年365日、お米と向き合う毎日を送っています。

     

    以前、私が行った時に叔父の部屋には膨大な量のお米の作り方に関する本がありましたが、それらの本はあまりにも膨大な量で読んでも分からないことだらけでした。

     

    しかし普段の叔父のお米に対する姿勢、また少しでもおいしいものを作ろうとする探究心にはとても感動したことを昨日のことのように覚えています。

     

    その姿勢からは熱意と情熱を持って米一粒一粒に命を吹き込んでいるような強いプロ意識を感じました。

     

    そういった祖父のプロ意識はお米をどんな状況であろうとまるで自分の家族のように守っていこうとするプロ根性から生まれているように思います。

     

    「常に24時間自分がやりたいこと、やっていることのために生きる」

     

    叔父はそういった生き方をしているように見えます。

     

    叔父にとってお米を作ることは決して生活の為の仕事ではなく、人生を愉しむための時間なのだと思います。

     

    それはとても幸せなことであり、私も生活のためだけの生命時間の浪費をしないように叔父の背中を見て学んでいきたいと思います。

     

     

     

     

     

  • プロとしてのモノとの向き合い方

    最近は出会った人の使っているモノとその使い方に注目しています。

     

    直感的に「あ、この人凄いな」と思う人はモノ選びから、その使い方まで筋を通していて、決して中途半端な使い方をしない。

     

    例えばボールペン一本にしても一流が人が選ぶのは使い切ることを前提に書きやすさ、デザインを選び、インクが無くなるまで使い切っています。

     

    昔から親から物を大切にすることの重要性は口酸っぱく言われてきたことですが、自分の筆箱を見てみると中途半端に使った100円のペンが増え、本当に心から愛用しているものというのはないということに気が付きました。

     

    意外に自分のそういった一面に気が付くと自分のプロ意識の足りなさを痛感します。

     

    そういえば操体を学び始めた当初、三浦先生から空のボールペンを何本か頂いたことがありました。

     

    当時は「なぜ空のボールペンなのか?」という意味はよく分かりませんでしたが、今になり分かってきたことは「使っているものへの敬意」なのだと思います。

     

    臨床家として人やからだへの気遣いを行き届かせることも大切ですが、それ以上に大切なことは自分自身、そして自分が使っているモノへの気遣いなのだと思います。

     

    それが行き届かなければ、臨床家として、プロとして本物だとは言えないのかもしれません。

  • プロの「間」の取り方

    真のプロは「間」の使い方に長けているように思います。

     

    「間」(マ)には限りある生命の時間や目には見えない空間、また人間関係にある空間と様々な「マ」がある。

     

    プロとアマの違いはこの「マ」の使い方で、本当のプロ意識を持った人ほど、限りある生命の時間や目には見えない空間、また人間関係にある「マ」を意識でコントロールしているように見えます。

     

    時には天性の持つ才でそれをコントロール出来る人もいますが、大抵の人はそれとの向き合い方に何かしらの問題が生じている。

     

    ビートたけしさんの著書(間抜けの構造 新潮新書出版)でも間の重要性について書かれていて、「間を制するものはお笑いを制する」とまで言っています。

     

    それはお笑いだけでなく、全てのものに通じることでマを上手く使える人は自分を取り巻く状況を常に客観視し物事を見れるので、何をしても良い成績が残せるのだと思います。

     

    その「マ」の使い方も基礎があってこそ出来ることで、基礎を習得していない人の「マ」というのは「マが悪い」ということです。

     

    臨床においてもプロの「マ」の使い方は絶妙です。からだに触れるタイミングにしても、ほんの何コンマの時間でしかありませんが、なかなか真似の出来ない「マ」の取り方をします。

     

    私達は学びの中でそういった「マ」の使い方を学んでいて、それはやがてプロ意識を育てていくことにも繋がってくるように思います。

  • 「真のプロが見ているもの」

    「一芸は道に通ずる」

     

    これは「一つの芸道について奥義を究めた者は他の分野にも通ずる道理を身に付けている」ということわざです。

     

    よくプロ同士の対談を見たり聞いたりしますが、一流のプロは他の分野のプロの話を聞けるのは一流が見ている道は同じものだということです。

     

    先日、過去のTVの対談でスキーの葛西選手とサッカーの三浦和良選手の対談を見ましたが、この対談が見ている人を惹きつけるのはその道を究めても、なおその先の道を歩んでいるもの同士の共通した何かがあるからだと感じました。

     

    それまでの経緯、年齢、現在の立場の違いはあるものの超一流同士共通しているのは最高レベルのプロ意識とプロ根性、そして何よりやっていることに対し「純粋さ」や「素直さ」、そして「悔しさ」があるからだと思います。

     

    私自身もまだまだ修行が足りない身ですが、操体の学びを得てから8年のいう月日が経ち、少しは真のプロが見ているものが見えてきたように感じています。

     

    それがただの真似事にならないように、中身のあるものにしていけるように自分自身のやっていることと向き合っていきたいと思います。

  • 「気付ける力をつける」

    本当のプロ意識、プロ根性を持っている人ほど謙虚さを持っています。

     

    謙虚さとは謹みでもあり、一流になるほどやるべきことをコツコツと一日の習慣としてやっている。

     

    一見、地味で面倒だと思われそうなことほど当たり前のようにやっている。

     

    そういった姿勢を見ていると、人としての本当の強さや優しさは自分がやっていることの延長線上にあり、やがて目配りや気配りが出来ることにも繋がってくる。

     

    つまり真のプロは「相手が何を求めているのか?」を察知する力があるということです。

     

    逆にそういった「気付ける力」を培っていくことがプロへの近道でもあるということです。

     

    それは何も特別なことをしているわけではなく出来ることを怠りなくやる中で自然と身に付いてくるものだと思います。

     

    そういった力に身に付いてくるだけで自然と自分自身の生き方も行き届くようになる。

     

    それだけでプロとしての半分はクリア出来るようになると思います。

  • 「プロの学び」

    三浦先生、ありがとうございました。

     

    今週からは三浦寛幸が担当致します。

     

    今回は「プロ根性とプロ意識」というテーマです。一週間よろしくお願い致します。

     

    「プロ」というカテゴリーの中でも、その中の「プロ」がいます。

     

    全く同じことをしていても「プロ中のプロ」がやると何か一味も二味も違うスパイスが加わっている。

     

    それは長年培われた技術・テクニックもあるが、それ以上に大切なものを持っているように感じます。

     

    それが何なのか?

     

    操体の学びの中で出会った一流の人達との出会いの中で見えてきたことは「学び方」が他の人とは違うということです。

     

    一流の人達には一流の師がいて、技術やテクニックではなく「生き方」そのものを学んでいるということです。

     

    それを学んだからこそ行き詰らない、進化し、応用することが出来る。

     

    ただの真似事で終わらない。

     

    それが真の一流の姿勢であり、プロ意識のように感じます。

     

    その境地はお金や技術を追い求めていては辿りつけないものなのかもしれません。

     

    プロは誰にでもなれる可能性があるが、一流のプロは限られた人にしかいないのもこういった本質的な所に目がいかないからではないでしょうか。

     

    私達が操体のプロとして三浦先生から学んでいることも技術やテクニックではなく、真のプロになるための生き方なのだと思っています。

     

  • 学びの場

    時間とチャンスがあると目を通すものの一つに

    仙台温古堂から年6回送られてくる「イサキ」がある

     

    イサキとは「元気」の意味

    このイサキは、誰が責任を持って編集しておられるのかは知らぬが

    いつも気になるのは誤字、脱字が目立つ

    いったいどんな管理をしているのだろう

    こんな無責任きわまるものは

    めずらしい

     

     

    もっと

    もっと

    大切に

    扱ってほしいものである

     

     

    今年の全国大会は昨年に引き続き

    仙台で開催されるようだ

    初日は甲野さんが特別講演会をされると聞いた

    「身体運動の法則」がテーマのようだ

     

    操体法の基礎になっているのも

    「身体運動の三法則と一相関性」である

    橋本敬三先生が唱える三法則と相関性理論)

    この橋本理論にも触れて講演されればとても勉強になる

     

     

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  • 続ける学びには福がある

    「ものには限度 風呂には温度」

     

    「学びは無尽蔵」

     

    学べば学ぶほど豊かになる

     

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  • 自分でやってみる

    自分が本当に幸せになりたいと思っているなら

    「至道(しどう)難しきこと無し 唯だ揀擇(けんじゃく)を嫌う」である

     

    つまり他人と比較して自分を見るなということである

     

    あの人のようになりたいと思うなら

    まず自分らしく

    自分のことをやって見ることだ

     

    人真似は、人まね

    身につく真似ではない

     

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