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  • 歪み②

    昨日のつづき

     

     ヒトのからだの歪みにおける直立二足形態のもう一つのバランス問題は、からだの前面にある内蔵の重みをどのようにして受け止めるのかということである。 アンバランスな歪んだ姿勢だと、内臓の重みを支えることが大問題となり、動かなくてじっとしているだけでも疲れてしまうというようなことが起きてくる。 

     

     すなわち、直立二足歩行となったヒトにとって、内臓を支える器が必要になったのである。 四足歩行動物なら、その内臓は背骨から吊り下げていればこと足りた。 だから四足歩行動物の肋骨は縦に長くても横幅は狭く、骨盤においても、幅の狭い小さな骨盤で十分間に合うのだ。 百獣の王ライオンでさえ、からだのわりには貧弱な骨盤に見えるのはそのためだ。 

     

     しかしヒトの内臓は、直立したことによって、四足歩行動物のように背骨に吊り下げておくことができなくなり、内臓の重みの受け皿が必然的となったのである。 そうでなければ内臓が下がって変形してしまうからだ。 そしてその受け皿こそがヒトの骨盤なのである。 しかし、骨盤というのは内臓の重みだけでなく、女性の場合は胎児を育てる器としてもその役目を担っている。 だから男性よりも女性の方がより骨盤の幅が広くなっているのである。

     

     そして、いずれは出産を迎えるのであるが、ここで新生児が通り抜ける産道の大きさが非常に問題になってくる。 四足歩行動物の場合は出産後、間もなく立ち上がって歩けるところまで育ててから出産するのが自然である。 しかしヒトの場合は、骨盤底部の産道を大きくするわけにはいかない。 何故なら、そんなことをしたら内臓を受け止める皿としての役目を損なってしまうからだ。 そのために、制約された狭い産道を新生児が通るはめになってしまった。 が、それは不自然とも思える未熟児の状態で出産しなければならないという動物史上最悪の事態が起こったのである。

     

    また、ヒトの新生児の頭の骨は大きいので、細かく分けた部位を縫合線で繋いでおいて、出産時にはその縫合線の部分を折りたたんだ状態で産道を通過させることになる。 一方、母体の骨盤においても縫合線を活用して産道を拡げ、新生児が無事に通り抜けることができるようにしている。 とはいえ、哺乳動物の出産の中でヒトがいちばん母子ともにイノチを危険にさらすという犠牲を伴っているのは紛れもない事実だ。 これはからだの設計ミスではないと思うが、直立二足形態に生じたデメリットであることに間違いはない。

     

     ヒトのからだの歪みと内臓の重みについて、話を戻すと、最も影響を及ぼすのが筋骨格系のうち、「腹筋」である。 その腹筋とはからだを前屈させる筋肉であるが、腹筋の上端は肋骨を介して胸椎の上部につながっており、下端は骨盤の前端につながっている。 すなわち腹筋が作動することによって、骨盤の前面を引っ張り上げて、内臓の重みを受け止めることができるのである。 また、腹筋が内臓を前から押さえてもいるので、内臓の形を維持することにも貢献している。 

     

     つまり骨盤の前部は腹筋によって内臓の定位置が保たれているということだ。 人類は直立二足形態になった弊害として、内臓下垂、特に胃下垂を起こしやすくなったという説もある。 が、実際にはそのような弊害はなく、腹筋は骨盤の前方を持ち上げ、内臓を前から押さえることで、内臓の形を維持し、崩れないようにする仕組みになっているのだ。 このように腹筋が肋骨と骨盤をつないで、骨盤が内臓を支え、頭の重量は背骨が受け持って、そのコントロールは腹筋が一括して行なっているのである。

     

    明日につづく

  • 歪み

    今回のリレーブログは、 『歪み』 がテーマ。 

     

     操体で歪みといえば 故橋本敬三医師の 『生体の歪みを正す』 という本のタイトルを思いだす。 その本では、すべての疾患には必ずからだの歪みが存在していると書かれている。 「からだの歪み」 と書かれてはいるが、操体では心とからだの双方における優劣は初めから存在していない。 何故なら、心とからだは融通無碍に溶け合っている一如の存在であり、ここで言う「からだ」という言葉は、心とからだの双方を含めた広義の意味で使っているものだ。

     

     操体の臨床観では、心の歪みはからだの歪みであり、からだの歪みは心の歪みであるという相依相関的な考えに立っている。 だから心の歪みとからだの歪みの相互レベルは調和していなければならないのである。 このような相互総合的な考え方に立ってこそ、本当の健康の創造や病気の治療に対する道筋も自ずと開かれていくのである。 こうした心身の歪みの実体ではあるが、便宜的に「からだの歪み」と「心の歪み」に分類し、今回においては「からだの歪み」に限って考察してみる。

     

     まずからだの歪みについては姿勢を見れば一目瞭然である。 そして動物としてのヒトの姿勢はというと、直立二足形態になっているが、これについて 『からだの設計にミスはない』 という橋本敬三医師の本のタイトルがやはり思い起こされる。  からだの移動、すなわち歩行形態で見ると、四足歩行動物はある意味完成された耐重力姿勢である。 しかし、直立二足歩行するヒトはさらに洗練された耐重力姿勢だということだ。 

     

     何故なら、直立二足歩行をするヒトのからだは、柔軟であるが圧縮には強いという背骨の特性を最大限に生かした耐重力姿勢であるからだ。 ヒトにとって最も基本動作である立つことと歩くことは、我々人類がこの地球上でいちばん楽になった動物であることを証明している。 

     

     しかし、高速移動することにおいては、チータやシマウマのような四足歩行動物に比較して、直立二足歩行のヒトは背骨の能力を十分に使うことができなくなってしまった。 とはいえ、直立二足歩行特有の皮膚による優れた冷却システムと究極の耐重力姿勢によって、「持久力」という面においては、四足歩行動物と比べて圧倒的な優位に立っていることは自慢に値する。 

     

     我々人類の移動において、交通網が発達していない時代では、一日に十里(40㎞)もの距離を移動しながら幾十日も旅を続けることを常としていた。 まして飛脚に至ってはその何倍もの速さで、数百㎞の距離をわずか数日の内に駆け抜けていた。 が、四足歩行動物にとっては、そのような距離の移動はとても不可能だ。 これは直立二足歩行するヒトにとって特筆すべきことである。 まさに、からだの設計にミスはないのである。

     

     ただし、直立二足形態におけるバランス、すなわち姿勢が悪ければ歪みが生じ、ヒトにとって最も基本的な動作である立つことと歩くことですら、からだにとって重い負担となってしまうのだ。 ヒトのからだの歪みについて、いちばんの問題は何といっても頭の重さにつきる。 直立二足形態でバランスのとれた姿勢だったなら、頭の重量のほとんどを背骨で受けとめることができるようにヒトのからだは設計されている。 それどころか、頭の重さを上半身の安定に寄与させているので、むしろ頭はある程度重い方が良いとさえ言えるのである。

     

     しかし、姿勢のバランスが悪いと、からだに歪みができ、頭の重さがからだにとって負担になってくる。 その負担を減らすために、からだは自然に起こす反応パターンとして、腰をエビ状に反らせ、胸を張ったり、腹を前に突き出したりする動きをとるようになる。 そうすることによって、狂ったバランス姿勢である歪みを是正して、少しでもからだを楽にするために、そういった動きの反応パターンを無意識の内に行なっているのだ。

     

     また、アンバランスな姿勢を是正するため、からだは下腿をX字の状態にすることもある。 このX脚とは、両膝の幅は狭くして両足首の幅をそれより広くすることで、仙骨を立てて尻を後ろへ突き出すことができる。 すると、仙骨が丸まって上半身の前に片寄ったバランスを後ろへ移動させることができ、さらに両膝を正中線に引きつけることで、からだの支えとすることも可能となり、筋肉の助けにもなるということだ。 

     

    明日につづく

  • ゆがみとひずみ ~番外編~

    どうしても書かせて頂きたいことが生じました。

    実は私、小学校の頃からのファミコン世代で、現在までも続く任天堂

    のファンなのです。

     

    なぜ任天堂なのかと言えば、自由なものつくりの視点がありつつも、

    独創的であり、自分たちが本当に愉しめる、遊んでもらいたいものを

    常に発信することに関して、妥協を一切していないのですよ。

     

    儲けることを考えれば、開発の妥協もあっておかしくないのですが、

    それを会社のトップが全て排してしまうところが、相当な魅力です。

    (妥協しない魅力!東京操体フォーラムの三浦理事長もそうですネ)

     

     私は今でこそ「操体」を指導し、臨床に活かせる仕事をしていますが、

    小さい頃から何気なく、心の生長に必要な”良心回路”を「哲学」で通じ

    て支えてくれた一つには、任天堂の経営哲学があるように感じます。

     

    その記憶の(数多くの中の)一例を挙げます。

     

    岩田社長が、糸井重里氏(マザーの生みの親)と懇意にされていたのはご存

    じかもしれませんが、あの宮本茂氏(マリオの生みの親)との三者対談の中、

    噛み砕いて味わうほど深い、人生の指針をとなった言葉がありました。

     

    御三方に共通した見解は「簡単に大きな夢を語る人間は信用できない」

    という言葉であり、私はそのとき何故、大きく夢を語ってはいけないの

    かな、と非常に訝しがったのですが・・・それは、”夢を夢として終わらせ

    ない”ための工夫なんですね。

     

    「イメージできたことは、必ず実現への可能性がそこにある」

     

    つまり、もしできないなら、やり方の問題があるか、努力の方向性が

    少し違っているのかもしれない・・・という意味があった訳です。

    私はこのイメージを育てて膨らませ、様々な現象に、生かしています。 

     

    そう、今できていないという事は、大きな夢を小さな夢としてかみ砕き

    砕いた夢のかけらを積み上げた証(あかし)であって、何ひとつ恐れること

    無く、悲観する壁にしては勿体ないだけ確信し、イメージできたのです。

     

    いい大人になっても永遠に、操体でファンタジスタは狙っていける!

     

    そんなことも、岩田社長の「社長が訊く」で教えてもらったのです。 

    代表取締役でありながら、常に技術畑(プログラマー出身)であることを自認し、

    かつ、一人のゲーマー(ゲームを愉しむ事を自認している人)であり、誰よりも

    自分自身の夢を全うするために生き抜いた姿に、心より感謝と哀悼の意を

    この場をお借りしまして「帰一の法則」から、ご冥福をお祈りしています。

    そして「いつも(今迄ではなく)、ありがとうございます!」

     

    未知なる故の紆余曲折あろうとも、我身が滅びるとも「意志」は再生して、

    類魂は不滅であるがゆえに、此の世は美しき変化を感覚とし共有する!

        

    宇宙の生み出している調和現象は、螺旋の想いと愛を通じ、たとえ見た目

    で捻じれて歪んでいても、生かされし感謝の有難味を味わい、その刹那に

    時空元へ戻り、瞬時に反応できる優しく逞しい神性がヒトには宿るのです。

     

    歪んでも、たとえどの症状的変化があろうと、時の変遷にしかすぎない。

    今はどうなのか!生涯を見通せる学びの現役でこそ、人生の主人公ですネ!

                                

                                 岡村郁生

     

     

     

     

     

  • 6.正円・楕円

    6.正円・楕円

    歪みがなく中心軸が一つなら正円になる。
    軸に支点という要素が加わると
    楕円となる。
    その楕円を歪みと捉えるかどうかと同じ事。
    楕円で当たり前。
    完璧な正円などはない。
    楕円軌道で各々のバランスが
    とれていればよい。
    楕円だからこそ螺旋となり、
    変化進化していく。
    正円だと螺旋にならず、変化も進歩もしない。
    循環は同じところに同じものが返ってくるのではない。
    何らか少しは違う変化が生じている。
    変化を歪みと捉えるか、
    変化を変化と捉えるのか。
  • 5.息食動想環性

    5.息食動想環性

    息の歪み。
    荒い、浅い、早い、狭い、自我。
    食の歪み。
    他者の影響(TV含む)、記憶、観念、イメージ、偏食ダイエット、
    似非科学の陶酔、精神的な信仰。
    動の歪み。
    スポーツ、左右対称、我慢する、限界を超える、毎日継続的にやる、相手を超えるため、
    悪い癖。
    想の歪み。
    過去の経験、人の価値観、正しい正しくない、自分は間違っていない、これだけのことをやってきたのだから、相手の為を思って、みんなが言ってるから。
    環の歪み。
    空気、水、食物、電気、社会、政治、会社、
    世の仕組み、公害、被爆、磁場。
    性の歪み。
    発散する刺激的な、一方通行、後味の悪い、
    消耗、勝負。
    全て同時相関相補連動性である。
    深いゆっくりした息。
    からだにききわけた食。
    作法に則った自然な動。
    人類としての向上する方向性の想。
    これからの自分自身や、
    子孫に残したい環。
    静かなる接触で愛を感じあう
    穏やかな性。
    正・反どちらにも転ぶ。
    それが歪み。
  • 4.作法

    4.作法

    作法といえば茶道、華道、武道などにあるからだの使い方・動かし方の基本。
    平たくいえばその世界の最低限のマナーともいえる。
    日常生活での行動も作法のように気を配ることこそが、修行の一環となりえる。
    顔洗い、歯磨き、うがい、手洗い、料理、
    洗濯、掃除、お風呂。
    操体でいえば重心安定の法則。
    手は小指、足は親指。
    そういった日常生活に於ける動作の
    不作法こそが歪みを生み出している。
    治療所で治してもらってもまた歪むのは、
    その人の脳の使い方の癖と、
    からだの使い方の癖が原因であろう。
    日常作法に気を配る。
    別の言い方をすれば「ミを入れる」ことが
    重要だ。
  • 3.癖

    3.癖

    癖とはなんだろうか?
    鼻、髪、顎に触れたり、
    足を揺すったりする。
    無意識の動作。
    言葉にも癖があり、育った環境やその人の個性や考えてることが表れる。
    動きについて言えば、何らかのからだの偏りをむいしきに補正してるとも考えられる。
    偏りということは、
    歪みとも言える。
    睡眠時に動く無意識の動作は、
    日常で使ったからだの偏りを
    補正すると聞く。
    また、言葉で言えばその人の人格の癖
    以外にもある。
    それは溜め込んだストレスを晴らす
    無意識の言葉。
    音を伴わなければ「溜息」や
    「あくび」となり、
    音を伴えば、愚痴となり批判となる。
    溜息、あくび、身体の癖、
    睡眠時の動きと、
    愚痴との差はなんだろうか?
    それはその人の観念・記憶という思考の働きの部分が絡むからである。
    素直な直観や意見ではなく、
    いままでの記憶の間違った判断。
    記憶の偏り。
    脳の悪い癖。
    脳の悪い癖に気が付けば、
    からだの歪みもとれるかもしれない。
  • 2.シンメトリー・アシンメトリー

    2.シンメトリー・アシンメトリー

    左右対称が歪みがないとは限ら無い。
    その人なりの整ったバランスが左右対称とは
    限らず、様々な要素が複雑に絡んで
    今のからだを作り出してる。
    左右対象だからこそ歪みがあるという
    捉え方も出来る。
    逆も然り。
    左右非対称だからこそ歪んでいるとは
    限らない。
    構造的、運動力学的、発生学的、様々な要素が複雑に絡んで一見シンプルに見えるのが
    人体の不思議だ。
    左右だけでなく、上下にも対称性がある。
    肩甲骨に対して骨盤。
    上肢に対して下肢。
    頭に対して踵。
    対角に連動したり、
    上下に連動したり、
    左右に連動したり。
    「歪み」という言葉だけでなく
    「対称」という言葉もかなり含み、
    正反の意味がある。
    一般的に臨床家が使っている言葉も
    鵜呑みにするのではなく、
    それぞれの体感を通して深い理解や意味を
    持たせる事が必要だ。
  • 1.ユカミ・ヒスミ

    1.ユカミ・ヒスミ

    「歪み」
    読み方としては、「ユガミ」か「ヒズミ」。
    ユ…湧、わく
    カミ…上、根源的なモノ
    つまり、何か根源的なモノが湧いてきた状態。
    ユカミとは現象で言えば、バランスの崩れた
    状態ではあるが、それはある意味バランスを
    取ろうとしている本質的なネゲントロピーとも言える。
    プラスエントロピー100が死の状態、
    マイナスエントロピー(ネゲントロピー)は
    死に抗う反の方向性。
    息食動想環全てネゲントロピーに向かうことが健康への道ということ。
    反をイマ取り入れ続ける。
    ヒ…秘、カミにも通ずる根源的なモノ
    スミ…澄、雑味の無いピュアなモノ
    ヒスミとは根源的な雑味の無いピュアなモノ。
    からだのバランスが崩れた時、
    起こるネゲントロピーの反応。
    その反応により歪む訳ではあるが、もし歪まなければさらなる危険をからだに及ぼすかもしれない、ある意味好転的な反応。
    ユカミ、ヒスミ。
    どちらの読み方にせよ、
    あるチカラが内・外部(メンタルも含む)から
    働き、それに抗う反応・チカラが歪みなのだろう。
    歪まなければ更に悪化していたのかもしれない。
    ありがたい、からだの働きだ。
    治るべき歪みと治さないでよい歪み、
    そこの識別手段として
    「からだにききわけたきもちよさ」がある。
  • 7.歪み その7

    現在も先生から講義を受けている。絶えず新しい要素が加わる。私の好きなミスターチルドレンの新しいアルバム「REFLECTION」の「進化論」という曲の中に

     

    「変わらないものがあるとしたら皆、変わっていくってことじゃないかな?」

     

    という歌詞がある。まさに操体は常に進化している。一生飽きない勉強を続けている。

    「第二分析」の次に「第三分析」がある。「第三分析」が皮膚へのアプローチ。これはどこにもない「異形(いぎょう)」である。通常のからだの歪みであれば整体などの筋肉や骨格へのアプローチを想像してしまう。皮膚?に触れただけでからだの歪みが取れるとは中々想像しにくい。自分はトンでもないものに首を突っ込んでしまったようだ(笑)。

    おわり

    1週間おつきあいいただきありがとうございました。

     

    REFLECTION{Drip}初回盤

    REFLECTION{Drip}初回盤