カテゴリー: 未分類

  • 直感という思考

    六日目です。よろしくお付き合いください。
    皆さんは将棋をやったことがありますか?僕も久しぶりに将棋をおこなう機会がありました。先の手を読みながら指しているつもりでも、結果は惨敗です。将棋は先を読むこともですが、直感も必要な頭も最大限に使うのではないかと思います。プロの棋士の頭の中はどんな状態なのでしょうか?と思っていたら、羽生名人をはじめとするプロ棋士60人の頭をfMRI(機能的核磁気共鳴装置)で撮影した結果の論文をみつけましたので紹介します。
    実験の方法は、将棋の(1)序盤(2)中盤(3)終盤(4)詰将棋の各局面を棋士に見せ、そこで指すべき手(正解手) を 「ごく短時間のうちに」 示させる、というものでした。 このときの棋士の脳内をfMRI計測 (脳のどの部位を活動させているか) と 脳波計測 (いつ、どのように活動させているか)を行ったものでした。
    結果は、プロ棋士の全員が正解手を示し(1)の序盤では局面を見てから 0.2秒後、(2)の中盤(3)の終盤では局面を見てから0.9秒後、(4)の詰将棋では、局面を見てから 1秒間ですべての駒の配置と駒の利きを把握し4秒以内に解いてしまったという。この時の脳の働かせ方こそ、実際の対局の場において プロ棋士たちが採用している「思考」 のプロセスがあり、脳科学が 「人間の思考のメカニズム」 を解明する手がかりの1つとして注目しているもののようです。プロ棋士のfMRIと脳波計を使った 測定の結果は「小脳」の活動が確認されたとのことです。小脳と聞いて「えっ」と思うかもしれません。小脳の本来の働きはヒトの脳のなかで「運動機能を統合する」役割を担うことで知られるのが小脳だからです。これらのことから、将棋で小脳が働くということは、プロの棋士達は脳のなかでスポーツをしているということになります。
    また今回の結果では、小脳の他にプロ棋士でのみ活動している脳の領域が見つかり、それは「大脳基底核」だったようです。大脳基底核は大脳皮質と視床や脳幹を結びつけている神経核の集まりで情報の選択装置として働くことで、大脳基底核が選び、小脳が答えを出すという直感の閃きのメカニズムなのではないかとのことでした。
    「直感には小脳が行う予測が重要である」と「小脳仮説」を唱えていた博士もいたようですがこの仮説を立証する内容でした。またこの博士の説では、次のように述べています。大脳皮質で起きていることは人間の意識に上ってくるが、それ以外の小脳や脳幹で起きていることは意識に上ってこない。脳内では無意識の状態でもたくさんの情報処理が行われている。運動では、最初、大脳皮質を使って意識的に手足を動かして、上手くいったかどうかを確認しながら練習をする。そして練習を重ねるうちに、手足の模型のようなものが大脳皮質にできてくる。それが「メンタルモデル」と呼ばれるものだ。大脳皮質にメンタルモデルができると、当初はそれを使って予測をするが、ある段階でそれが小脳にコピーされる。すると、その「内部モデル」を使って、小脳自体が予測をするようになり、意識をしなくても手足が正確に上手く動くようになる。大脳皮質のメンタルモデルが小脳に移されることによって、意識から無意識への移行が行われるわけである。思考はモノを動かすという点で、運動と似ている。運動では手足を動かすが、思考ではイメージや概念を動かす。そして運動の場合と同様に、思考でも最初は大脳皮質にメンタルモデルができる。大脳皮質の後側にある 頭頂・側頭連合野にイメージや概念が記憶されていて、それを前側の 前頭連合野が動かす。それが意識的な思考である。そして、いろいろ思考しているうちに、概念やイメージのモデルが頭頂・側頭連合野から小脳にコピーされ、無意識のうちに内部モデルを使って小脳自体が予測をするようになる。 つまり、直感的に答えを出すようになるのである。という内容です。
    プロ棋士のみならず、人間の誰もが 多かれ少なかれ持っている 「本物の直感」この直感という思考は、楽な状態や、人任せや、何もない状態でただ出てくるものではないと思います。真剣に向き合い、物事の本質を心にとどめ、常に真理を求める心が必要ではないかと思います。
    からだの感覚(快適感覚)も同じではないでしょうか。

  • 天才その2

    五日目です。昨日に引き続き天才についてですが、今日もよろしくお願いします。
    偉人の天才達はとてもよく似た共通点があるそうです。それは精神的な問題を抱えていた方が多いという特徴があるそうです。
    天才の多くは生まれながら何かしらの障害を持っていることが多く、外界からの上方に反応して脳が変化していく「脳の可塑性」により、ある部分が集中的に発達した状態とも言われています。バリー・レビンソン監督の映画「レインマン」では、ダスティ・ホフマン演じる自閉症患者が、床にばらまかれた楊枝の数を一瞬のうちに246本と数えてみせました。アンバランスですが、並外れた記憶力を持つ天才です。アインシュタインゲーテもダビンチもエジソンも、うつ病も含めれば、ニュートンチャーチルユングも、そうしたアンバランスな面を抱えていたとのことです。
    確かに視覚に障害をもっている方は、聴覚や指先の感覚などから情報を得るための感覚が、障害を持たないからより発達しているとも聞きます。
    天才といわれる方がなぜ精神的な問題を抱えているかたが多いのかを自分なりに考えてみると、やはり天才とはからだのある感覚が発達し、私達の想像以上に感覚が鋭い状態にあり脳が発達した状態にあるのではないかと思います。脳が活動するためには、化学物質が神経から神経へ流れて情報を伝えてゆく必要があります。この化学物質(神経伝達物質といいます)のうちドーパミンという物質が過剰に放出されると「過覚醒」の状態になり、統合失調症の幻覚や興奮などの症状が起きるという説があります。
    普通の状態では、たとえばにぎやかなところで話をしていても、相手の言っていることがきちんと聞こえます。これは神経のネットワークによって作られた「フィルター」によって、必要な情報を取り入れ、不必要な情報をカットしているためです。しかし統合失調症の急性期では、フィルターの役割が低下して無関係な情報が入り込んできます。そのために、気にとめないですむ音に敏感になり、まわりの人のしぐさや表情なども気になります。「笑っているのは何か特別な意味があるのではないか」と疑い深くなったりもします。これはフィルター能力の低下から不必要な情報が流れ込んで、神経の働きが混乱してしまうようです。
    そうなると天才とされる偉人達が、感覚が想像以上に発達していたとするならば、通常は使わない今の状況に必要ない情報まで含めた感覚が情報として常に脳に上がっている状態であれば、偉人の天才達にとって精神的な問題を抱えていたという共通点もうなずけるのではないでしょか。
    天(神様)からいただいたからだの感覚をどのように使わせていただくかということになり、すべての感覚を快適感覚がバランスをとっているような気がします。ありがとうございました。

  • 天才その1

    僕が担当している今週のブログも折り返しとなる四日目になりました。今日もお付き合いよろしくお願いします。
    僕は今、縁がひろがり野球をトレーナーという形で少年野球から高校野球を中心にサポートをしています。また冬の間は、スケートもサポートさせていただくことがあります。帯同をしていると沢山の子供たちの親と話す機会が多くなり、会話にでてくるのは○○君は才能があるとか、特に天才という言葉には引かれるようです。たしかに最近のニュースでは、スーパー中学生とか天才少年・少女という紹介を耳にする機会が増えている気がします。本当に天才なのでしょうか?周りと比較して結果がでていると、周りが勝手に騒いで天才を作っている所もあるような気がします。現代に天才とは結果がすべてという感じがします。
    才能や天才とは何なのでしょうか?調べてみることにしました。
    まず才能とは、日本語で「素質」といえば生まれつきその人が持っている才能や潜在能力などを意味することが多いようですが、中国の「素質」を日本語にするなら「常識」「礼儀」「品位」などが意味合いとすれば近いと思います。日本で言うなら「育ちの良い・悪い」と言うような、後天的な意味合いを「素質」と呼んでいるようです。
    才能の開花のポイントは、自分がこころの底から夢中になる大好きなことを極めていくことで開花するとのことでした。
    天才とは、まず天才の定義ですが、「万人よりも遥かに優れた能力を有し、その能力を活用して社会に認められた人」を指すそうです。エジソンが残した有名な言葉があります。「天才は1%のひらめきと99%の汗である」という言葉がありますが、この言葉をそのまま解釈すると「天才でもたゆまない努力が必要」ということになります。ですが実はこのエジソンが残した言葉の伝わり方(解釈)が間違っていたそうで、この言葉の真意は、「1%のひらめきがなければ99%の努力は無駄である」というのが正しいそうです。ひらめきとは直感(インスピレーション)を意味すると思いますが、直感は誰もが持っているものでもあると思います。誰もが天才の要素を持っていて、頑張るとか気持とか自我というものでなく、感覚である特殊感覚の五感(六感)を研ぎ澄まされた状態なのではないか思います。
    よく天才といわれる偉人の方々には科学者や芸術家が多いこともあり数学的天才と、芸術的天才の2つのタイプに分けてみました。
    数学的天才は計算速度や記憶力がとても高く、計算式を使わず右脳の機能をフル活用して頭に描いたイメージ(絵や形や記号)で計算処理するそうです。記憶に対して天才といわれる方は、言葉の概念や数字などを覚えるのではなく見たものをそのまま画像として記録し、頭の中で記録した画像を正確にイメージして、それを心の目で見ているというように、起きてはいるけど夢を見ているといった感覚のようです。
     芸術的天才は感性や思考が突出しているタイプで、芸術家をはじめ思想哲学者(哲学者研究者を除く)などが含まれます。この種の天才達はとてもよく似た共通点があり、精神的な問題を抱えている場合が多いのが特徴だそうです。理由は明日のブログでふれてみたいと思います。天才的な演奏者は音が音階ごとに色分けされていて、また音の強弱も色の濃薄で分けられ記憶されているようです。また、演奏している音を感じるとき、普通の人は耳から入ってきた音(情報)を脳で処理して聴いていますが、天才的な人は聴覚だけではなく、皮膚に伝わる振動(感覚や触覚)なども音の情報として受けとり、総合的に判断して音(音楽)を聴いているとのことです。
     いわゆる天才と共感覚を有している場合が多いようです。共感覚については2010年10月5日の実行委員ブログを参照して下さい。
     野球の天才と言われている長嶋茂雄さんの野球指導の内容をみると、現巨人監督の原さんが現役の時、長嶋さんの打撃指導では「腰をグーッと、ガーッとパワーで持っていって、ビシッと手首を返す。ビューと来たらバーンだ」と指導を受け、少年野球教室では「球がこうスーッと来るだろ。そこをグゥーッと構えて腰をガッとする。あとはバァッといってガーンと打つんだ」と指導し、子供たちは「???」となったというエピソードがありますが、これも長嶋さんがからだで感じた感覚を表現するとこうなるのだと思います。
    天才とは天(神様)からいただいた、からだの感覚を最大限に活かしている状態で誰もが生まれながらに天才の素材をもっているような気がします。それをありがたくどのように使わせていただいているかではないでしょうか。
    からだの能力や感覚は未知の可能性が秘められているような気がします。僕は操体を通して感覚について学ぶ機会が多くなっていますが、学ぶにつれてからだにも環境にもすべてに感謝する気持ちが大きくなっているような気がします。「ありがとうございます。」

  • 学びに繋がる楽しさ

    今日も雪かきをして出勤をしました佐助です。三日目もよろしくお願いします。
    最近というかここ一年ほど前まえから、気付きから生まれる学びが楽しいと感じている自分がいることに気付きました。何をしていても気付きや疑問が生まれ、みずから調べたり復習したりと学びに繋がっています。
    操体の基本理念である息・食・動・想は最小限必須責任生活であり、当たり前といえば当たり前なのですが、この息・食・動・想がからだの基本となるわけですから、意識を向けることがすべての学びや気付き・疑問などに繋がるわけです。そしてみずからの意思で文献の検索や・復習するといった行動にでるのですから楽しいはずです。
    最近も指紋について疑問に思うことがあり調べる機会がありました。指紋の役割を簡単に紹介すると、滑り止めの役割として捉えている方が多いようです。指紋について興味深い報告をされていたのが慶応義塾大学の前野氏の指紋がある場合とない場合、真皮乳頭(乳頭層)がある場合とない場合の解析についての論文報告です。マイスナー小体・メルケル小体・ルフィニ小体・パチニ小体の4つの触覚受容器は応力が集中している箇所に配置されていること、指紋や真皮乳頭は表層にあるマイスナー小体やメルケル小体の感度を増大させることを報告しています。
    つまり、指紋は単なる滑り止めではなく、つるつる・ざらざら・しこりを察知するなど触覚の検出感度を向上する役割を担っていることになります。
    そこで!!手の指紋を観察していると、手の平(手掌)の手心点(手掌側のMP関節付近)にも指先と同じ指紋をもった人が多いようです。(沢山の患者さんの手を観察させて頂きました。)特に多かったのが、薬指と小指の間の手心点です。ということは!センサーとして指先と手心点は同じ感度がある可能性が考えられ、重心安定の法則であるからだの使い方の手は小指を運動作用点・運動力点にするというように小指を活かす小指のセンサーとして高めている可能性も考えられたり、またそこから学びが広がっていきます。

    指紋についても意識しなければ、気が付くことではありません。学びが楽しいと思えるようになり見えてくるものがあるから不思議です。
    気付きが生まれる瞬間は楽しいと感じたり、充実していると感じることが出来るというのは、意識と無意識、自我が強すぎない、からだと魂など調和がとれている状態なのでしょうか。導かれる感じがします。
    「感覚をききわける」これも本来誰もがもっている感覚にめを向けるのか向けないのかによってからだに変化が生まれ、感覚にめを向け快適感覚を味わうというプロセスを踏むことで、きっとからだは喜び、感覚を統合する脳からからだ全体に良い効果をもたらすはずです。
    生命とは本当に不思議で神秘的でありがたいなぁと学びながらも感じています。
    ありがとうございました。

  • 自然に癒しを求める

     二日目です。よろしくお願いします。
     寒い日の朝はゆっくり暖かい布団の中でゴロゴロしていたい気分ですが、何故か朝は4時50分に目が覚めます。ちなみに夏場はレタスの出荷がある時は午前3時50分に目が覚めます。目覚まし時計もセットしていますが、だいたい目覚まし時計が鳴る数分前に目が覚めます。これは、毎日の活動スケジュールが体に刻まれ、感覚として養われているからなのでしょうか。人間の感覚とは、特殊感覚として体内に時計も持っているようです。
     このからだには五感などの特殊感覚も、皮膚や筋などの体性感覚も、内臓感覚もすべて感覚として、からだには備わっているのにも関わらず、この素晴らしい感覚を活かしきれていないからだが多いのではないでしょうか。からだの感覚はすべてに通ずるような気がします。
     僕の冬場の一日は、天候がよければ5時からランニング、雪に日は庭の雪かきから一日がスタートします。
     この週末の朝は雪かきでしたが、庭も周りの山々も全てが雪に覆われました。

     まだランニングや雪はきをはじめる頃は静かな夜といってもいいくらいです。田舎ですので月明かりや星空、暗闇などの宇宙を感じそして太陽が出てくる瞬間を迎えます。この時の瞬間は、自然の雄大さを感じる一時です。どうやら僕にとっては自然を感じているときが、活かされている生命を感じ、感覚と向き合うとても大切な時間のようです。
     頑張りすぎるということは、感覚のフィルターによって(2010年10月6日の実行委員ブログを参照)感覚を感じるセンサーを鈍くする可能性が考えられます。人間が大自然の中で、マイナスイオンなど癒しを求めるのも、宇宙や自然の大きな懐に包まれ生かされているという感覚や、からだの感覚と対話し本来持っている感覚のセンサーをリセットしたいという本能をもっているからではないでしょか。
     からだの本能に快適感覚を通して、からだを良い方向に向けたいというチカラがあるからこそ、ひとは自然に癒しを求めるのではないかと思います。
     ありがとうございました。

  • 宇宙に近い所より

    今週は佐助の担当となります。一週間よろしくお願いします。
    皆さんの住んでいる所は、少しずつ寒さは和らいでいますか?僕の住んでいる所はまだまだ厳しい寒さが続いています。2月でも寒い日は氷点下10度があたりまえの世界なのです。
    それもそのはず、僕の住んでいる所は、実行委員の中で一番高い所に住んでいるからです。なんと!!標高850mの所に住んでいるのです。寒いはずですが、良い所もあるんです。東京にお住まいの方々より、約800m以上も宇宙に近い所で空を見ていることになるわけですから、なんといっても星が綺麗です。しかも冬の星空は一段と綺麗さがまし、昨年の12月中旬に見られる三大流星群に数えられる「ふたご座流星群」の流れ星はビックリするぐらいに近くに感じられるほどの迫力があります。プラネタリウムでも綺麗な星空をみることができますが、やはり本物を間近にすると直接肌に感じる感覚や心に響く感動に大きな違いがあるように感じます。
    このような高い所ですので宇宙の観測所もあります。佐久市の臼田にJAXA臼田宇宙空間観測所があり、メインであるパラボラアンテナの大きさでは東洋一の大きさを誇る直径64mのアンテナがあります。ハレー彗星観測用惑星探査機「さきがけ」・「すいせい」やその後の火星探査機「のぞみ」、小惑星探査機「はやぶさ」等の惑星探査機との通信用観測所として設置されました。

    また、南牧村の野辺山には国立天文台野辺山宇宙電波観測所・野辺山太陽電波観測所もあります。ここの一番大きなアンテナは45mあり、1982 年の観測を開始して渦巻銀河 NGC4258 中心部の巨大ブラックホールを発見 (1994 年)、多数の星間分子の発見、太陽系外の原始惑星系の発見など、宇宙の謎に迫る数々の発見成果は世界から高く評価されているそうです。

    このような観測所が隣接地域にある、宇宙に近い所から今週一週間情報を発信したいと思います。よろしくお願いします。

  • 「どう過ごす?」

    東京は、昨日から春を思わせるような日和でした。

    早いもので、今年ももう一ヶ月経ちました。

    ここ一年くらい、フォーラムの中だけでなく、どこへ行ってもほとんどの人が「最近時間が経つのが早く感じる」と言っているような気がします。もしかしたら、世の中自体がなにかせわしないムードになっているのかもしれません。

    確かにぼーっとしていても、何かに夢中になっても時間はあっという間にたってしまいます。世の中の忙しムードに追い立てられても、自分なりのペースでうまく波を乗りこなしていきたいもの。

     私たちは常日頃、三浦先生に「自分と向かい合う時間をつくりなさい」「自分とのご縁を大切にしなさい」と教えをいただいております。それは日記を書くことや、こまめにからだの感覚をききわける(感じる)など、ちょっとした時間でできることなのです。

    生活に追われていても、この時間はおさえておきたいなと思うワタシ。

    時節到来も、浮き足だって焦っていては感じられることはないでしょう。

    …あ、今「生活に追われていても」と何気なく書きましたが、
    家事ひとつとっても、無心に没頭したり目標を作って楽しめば、それはその時間は無駄ではないはずです。その中で見えざる発見をするかもしれません。

    「家事が多くて忙しすぎてやだ」と思うのか、「きれいになって気持ちがいい」と思ってやるのかはその人の選択の自由なのでした。できれば生活時間も楽しく過ごしたいです。

    三浦先生が毎日何か発見して進化していく姿に、実行委員はいつも驚かされています。それはきっと、先生が「一億数千匹の精虫、その一番元気がいい一匹の精虫」の自覚があって、楽しんで自分とつながっているからです。

    ワタシも負けちゃいられません。色気と好奇心を持ってスケベーに食らいつく人生を送りますよ〜。もちろん調和することも忘れずに。

    それでは、4月29日の分科会でお会いしましょう。

    果たしてお色気虫(混ざっちゃってますね)として皆様にお会いできますでしょうか。チェックよろしくです。

    それでは、一週間おつきあいありがとうございました。

    山野さん、よろしくおねがいいたします。

    森田珠水

    2011年東京操体フォーラム分科会は4月29日に千駄ヶ谷津田ホールにて行います。http://www.tokyo-sotai.com/

    2011年2月から足趾の操法集中講座を開始します。

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  • 妻と最期の十日間

     私が写真家の桃井和馬さんに初めて会ったのは、10年ほど前だったろうか。友人の旦那さんが経営する、新宿歌舞伎町のバー、エポペだった。
     エポペはフランス人神父ジョルジュ・ネラン神父が始めたバーで、「美しい旅」を意味する。遠藤周作も通い、ネラン神父は小説『おバカさんの』モデルにもなった。
    キリスト者だけでなく、いかなる思想、宗教の客ももちろんウェルカムの店。私も友人とイベントの帰り、誕生日にと、区役所通りのバーに通った。ここではキリスト教の話ばかりではないが、たまに聞く常連さんの話に耳を傾けると、キリスト教徒でも、信仰の考え方の微妙な違いがあり、洗礼を受けた理由など人それぞれで、キリスト教のイメージを変えてくれた場所である。
     
     桃井氏とは、出身地が近所だったのと、からだの話に興味があるということで、何度か話をさせていただいた。エネルギッシュな飲み仲間の兄さんというムードで、初めて会う人にも気さくな、弱気を助け強気をくじくイメージの魅力的な存在だった。ただし、飲んでいる時は基本的にくだらない話で盛り上がり、戦場や紛争地域での仕事の話はあまりきかなかったのだが(当然かもしれないが)。

    覚えているのは、機材を抱えた過酷な旅でつらくなったからだの養生について。また、操体鍼灸(鍼があれば、薬の不足する地域でも治療ができるから持っていきたいなと言ってましたっけ)、家族の話だ。綾子さんについての話を聞くたび、1本スジの通ったカッコいい面白い女の人だと思っていたので、いつか会ってみたいな、と思っていたのである。

     私のエポペ通いが間遠くなって数年後、友人から綾子さんの訃報を聞いた。桃井氏にとって私は多くの知り合いの中のひとり。私のことは覚えていないかもしれず、厚かましいか?と思いつつ、なぜか綾子さんに会いにいかなくてはと教会に足を運んだ。理由はわからないが、行かなければ自分自身が後悔するような気がしたのだ。

    それから3年後、桃井氏が「妻と最期の十日間」を出版され、読みたいがためらっていた数ヶ月を経て、ようやく読みおえた。

    *「 妻と最期の十日間」

    妻と最期の十日間 (集英社新書)

    妻と最期の十日間 (集英社新書)

     これは41才にして、妻の綾子さんがくも膜下出血で倒れ、桃井氏が看取った10日間の記録である。フォトジャーナリストとして目にしてきた人間の死から、いま撮りたいもの、娘さんのこと、脳死判定、グリーフケアなど、人の生と死に関わる現実を魂を削って著されたものだ。

    貧困、抑圧、暴力等、ショック状態など非日常の極限状態におかれると、人は簡単に狂うことできること。

    信仰への純粋な気持ちから、善良な一市民が当たり前のように殺人を犯す可能性があること。

    家族を養うためにイノチを削って売春宿で働く女性、また彼女らを人として扱わずに買っていく男性たち。

    マフィアの狙撃手のもつ、指一本で他人の運命を左右できる快感、全能感について。

     これらは日本に生活している我々が身につまされることのない話である。イノチの重さはその時、場所によって変わるという事実をつきつけられる。

    私が訃報を聞いたずっとあとに足を運んだ彼の写真展。品川だったと思う。ギアナ高地ガラパゴスタンザニアの大自然の美しさと、紛争地区のその後の村に生き残る人々の閉ざされたこころ、また反対に小さくとも力強く生きる命を見た。以前と被写体が変化してきているようだった。

     この本をよむと、現在の圧倒される美しさの作品は、桃井氏一人で撮るようになったわけではないのがわかる。こころが揺れ、折れそうになった時に、綾子さんの厳しくも熱い支えがあって成し遂げられたものなのだ。
    綾子さんのような支え方が今の私にはできるとは思えない。「自分は綾子に気に入られたいから写真を撮り、文章を書いているのではないか」という(だけでない、随所にあふれている)箇所に愛と感謝がこめられており、この本はラブレターなのだとも思う。

    妻が倒れてからの十日間、何を対話したのか。
    最後まで読むのは辛いかもしれないけど、読んでほしい。

    大切なものを大事にして生きているか。
    大切にして生きるとは、どういうことか。

    を、まっすぐに胸につきつけられてしまう。

    大切な存在を大切にして生きる。
    それは人かもしれないし、形のないものかもしれない。

    当たり前なことだけど、いっぱいいっぱいの日常の中で
    それを忘れている自分がいる。

    あなたにとって、たいせつなものはなんですか?

    森田珠水

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  • おりがみ

    先日、姪っ子(3才)にせがまれて折り紙遊びをしました。
    小学生の時に夢中になってやっていたので、良いところをみせられるだろうと思っていたのですが、1つか2つしか折り方を思い出せずショックでした…。
     この時は彼女の持っていた「キティちゃん折り紙」の小冊子を参考に、顔とからだを折り、赤い紙でリボンを切り取って、それぞれをのり付けし、顔は彼女に描いてもらってできました。
    冊子の通りに作るのは以外と難しいもので、あーでもないこーでもない、と大人2人と子どもの3人で時間をかけてキティちゃんを仕上げ大満足。周りの大人達は「よくそこまでつきあうわね〜」とほめられたような飽きられたような。

     帰宅してさっそく折り紙を購入し、図書館で本も借りて久しぶりに折ってみました。細かくて精密なのも素敵ですが、私はディティールは多少大雑把でも、見る側の想像力で「そう見える」感じの位のものが好きみたいです。
    作りたくて思い出せなかった「カメラ」が、やっこさんの袴の変形だったり、記憶のピースがはまっていきます。


    やっこさん、袴からカメラ(中に写真をしこめるあそび折り紙)


    節分らしく?赤鬼青鬼の指人形。


    ユニット折り紙、ハリネズミ

     面白そうなものを選んで黙々と作り始めると時間を忘れます。カラフルな色あわせも楽しいのですが、何も考えず集中すること自体久しぶりだな〜、と没頭してしまいました。「おりがみくらぶ」というサイトはアニメで折り方も紹介していて充実しています。

    * おりがみくらぶ
    http://www.origami-club.com/

    こころがざわざわする時にも、折り紙に自然に手が伸びて、折り始めると、こころがまとまったり落ち着いたりして不思議でした。

    それは、折り紙の端をそろえて、たたんで重ねながら、指が紙の肌触りを読むのがここち良いからかもしれません。おりがみでこころが調和する、というのは言い過ぎでしょうか。
    自分の好きな紙質を選ぶとさらに味わえるかのしれません。餃子の皮やうどんをこねる時も同じなのですが、指先の皮膚を通して、からだが喜んでるんだなあと思いました。

    しばらくハマりそうです。
    まあ、姪っ子にモテようとしているのが目的のヨコシマな私ですけど。

    森田珠水

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  • ゆっくり、ゆっくり。

    80代の腰椎症(重度の圧迫骨折)のRさんから聞いた話です。

    腰下肢痛は最近はかなり治まっていたのに、昨日から痛みが再発したとのこと。「原因は停電のせいだと思うの」と謎の発言をされたので、どういうことですか?とききますと…。

     デイサービス日、巡回バスに乗ってセンターに着くとビル全体が停電しており、いつ修理が終わるか不明だそうです。そのため、同系列の他のビルで、イベントにだけ使うスペースで半日過ごすことになったということです。

    いつものように、カラオケ、ゲームや体操でからだを動かしたり、趣味の手作業をしたり、と、活動内容はいつもどおりだったのですが、場所が変わって何が起きたのでしょうか。Rさんの分析はこうでした。

     慣れない場所での活動で、微妙に緊張していた。

     床暖房のある部屋でなくなり(防寒の準備が不足していた)、足下が冷えた。

     高齢者の方々用にあつらえた椅子ではなく、事務用のパイプ椅子に長時間座っていた。
     トイレの場所が遠く、かつ廊下に手すりがないので、スタッフさんに手を引いてもらい、自分のペースで歩けなかった。

    そのため、いつもより冷え、疲れた結果、腰痛が悪化したのでないかとの推測でした。

     その中で気になったのは、最後の「自分のペースで歩けなかった」という点でした。普段はレクチャースペースからトイレまでは、廊下に手すりがついており、Rさんは椅子からの立ち上がりと、手すりまでの4、5歩だけ介助してもらっていたのです。この日は70mほどの距離を20代の新人ヘルパーAさんが歩行の介助をしてくれて、ほんのちょっとだけ、Rさんの歩みよりも早く手を引っ張っていたのが気になったそうです。
     もちろん、Aさんは親切な良いスタッフで、やる気のある女性だったので、「もうすこしゆっくりでお願いします」と言いづらかったそうです。彼女のいつもの歩きよりはずっとゆっくりだったし、まさかそれくらいのことで腰痛の再発につながるとも思わなかったから言わなかった、というのもあったでしょう。

    このデイサービスには、自立歩行可能な方から寝たきりに近い方まで通所しています。肉体労働も多い仕事ですが、スタッフの中には60才近いかたもいらっしゃいます。Bさんとしましょう。
    Bさんは、ここで働く前は専業主婦でしたが、家族を2人の介護し看取った経験があり、立ち座り、車椅子から椅子への移動、歩行介助、どんなときも皆が安心できる、と皆が口を揃える大ベテランです。からだを預けるのに、こころから任せられる数少ないスタッフというのはそうおらず(Bさんが飛び抜けて上手、ということかもしれません)、自らも介護経験もあるRさんは「こういう(歩行を任せる)ことばかりは一朝一夕には身につかないのよね。」とおっしゃっておりました。

     ところで、以前、身体技法の介護術のセミナーを3日間受けてきたという知人が「家に帰ったらできなくなった」残念がっていました。それはそのはずです。確かにその時は、先生の指導のもとに、彼女は何かをつかみかけたかもしれません。しかし、それを毎日続けて、異なる条件のからだで試して、どんなからだでもできるようになってこそ本当に身についたということなんだな、ということなのでしょう。

    話を戻しますが、先に話してくださったRさんは、
    「ひとりひとりからだはちがうのよ。それに同じ人でもからだの具合も変化するし、天候によっても違うの」
    「Bさんはひっぱるのではなく歩くのを支えてくれる感じ。スピードがゆっくり。目も前ばかりじゃなくて私の方とかいろいろ見ているけど自然なの。若いスタッフは前ばかり見てるわね」
    「からだが安心して、任せられるってかんじ。」
    という鋭い観察力で話を続けてくださいました。Bさんはからだの動きがすっかり「身について」いて、「自然に」全身が協調して働いているのだと思います。見ず知らずのBさんの介助の様子が目に浮かぶようでした。会ってそのさりげなさを見てみたいという気になります。

    操体臨床の第二分析でも、このゆっくり、相手の動きに少し遅れてついていく(歩行の介助はのう少し違うパターンもあるでしょうが)のは、介助の基礎中の基礎です。そうでないと患者さんは、気持ちのよさで治るために必要な感覚分析ができないからです。

    私も毎回できているのか、身についているのか、常に気をつけていないといけな、と反省したばかりだったので、Rさんの話は心に響きました。

    ゆっくり、ゆっくり。
    あいてのあゆみ(動き)に沿って、自分はついていくように。

    まだまだ修業は続きますなあ…。

    森田珠水

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