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  • 車の中の物語

    こんばんは、小代田です。みなさん今日はどんな一日でしたか?
    今日は車で職場から帰ってきました。私はいつも仕事で車を運転している時間が長いのですが、この運転時間、無意識に色々なことを考えていることが多い気がします。今日も職場から自宅までの一時間半の時間、気がつくと今回のテーマのことを考えていました。運転中の私の頭にはいつものように流れる雲のように感覚が言葉として浮かんでは消え、浮かんでは消えて行きます。それは無秩序な連想ゲームのように。
    セックス…性への目覚め、恋、興味、好奇心、所有、愛、生殖、歓び、悲しみ、依存、刺激、未来、過去、共有、共感、歓び、くつろぎ、幸福感、信頼、コミュニケーション、交感、欲望、欲情、生、若さへの執着、エネルギー…

    そんな取り留めのない連想を繰り返しているうちに「セックスをする時、何かを考えるだろうか。操体のことを考えるだろうか、快や不快を考えるだろうか」ふとそんなことが頭に浮かんだ。
    静かな頭に「きっと私はその時何も考えていない」という言葉が浮かんだ。きっと私はただ相手と向き合い、相手を感じている。
    感じる、それは快楽を感じるとかいうそれとは違う、それはきっと空っぽになるということに近いのかもしれない。空っぽになるというか、自分が形をなくす。相手に合わせ形をかえ、受け入れ、反応する。そこには快も不快もない、すべての感覚は言葉をいう形をなくす。音はあるけれどなく、眼は見えるのだけど見えない、すべての感覚はきっと存在しているのだけど名前をなくしている。からだもそう。そのからだは確かに存在しているのだけど、私という存在はからだとは別に在り、それは形をもたたない。ただ静かに満ち足りた気持ちでそこにいる。からだの歓びとは別の喜びがそこにある。頭寒足熱、ちょっと違うけどそんな感じのような気がする。
    そして静かな連想ゲームの最後に浮かんだこと、それは「セックスは言葉(形)を持たない」ということだ。それは言いかえると論じることが難しいということ。私達は誰に教わるわけでもないのにそれが必要だと気がつくと知っていた。
    もし人がそれに言葉を必要とする時、それは言葉にする(理由を必要とする)時なのかもしれない。
    話は変わるけれど今こうしてパソコンに向かいながら、そう考えると「セックスって操体みたい」なんて思ったりする。
    一緒にしたらいけないかな。でも私にとっては形は違うけど、どちらもいつも共にいる自分から解放される。生きているために頑張って身に付けた言葉や知識、常識、決り、形、そんなものからからだもこころも抜け出す。すべての感覚はきっとそこにあるのだけど、もうそれは形容詞を必要としない。ただそこにある、それだけで良いのだ。そこでは全てが赦されている。そしてそこには向き合う相手との営みを感じているからだと、それとは別に静かで穏やかで素直な私がいる。そしてその二つに共通するもう一つのこと、それはその相手は愛する人、もしくは信頼する(できる)人であるということ。

    では、今日はこの辺りで。おやすみなさい。

    小代田綾

  • 女性のからだ2

    皆さんこんばんは。計画停電から復活、夜もふけてきた富士宮から今日も小代田がお送り致します。そろそろ春だというのに、まだまだ寒い日が続きますね。皆さん、今日のこの時間どうお過ごしですか?
    今日は女性のからだについてもう一日お話させて頂こうと思います。私の星座である蟹座は女性の象徴である子宮と胸(バスト)を司っているそうです。子宮と豊かな胸、確かに男性にはないものですね。そこで今日はこのもう一つの象徴であるという胸から女性のからだについて見て行こうと思います。
    子供も少年も、青年もおじさんも、そしておじいちゃんもなぜか大好きな「おっぱい」。このおっぱいと言われる女性の胸は、女性が思春期になると自然にふくらみ始めます。子宮とは別に女性の胸も子供を迎える準備をし始めます。それは母乳を出す準備。可哀想だけれどおっぱいは本来男性のためのものではないようです(ごめんなさい)。
    もう既にお子さんをお持ちのベテランパパさん達はご存じだと思いますが、お母さんの出す母乳の原料はお母さんの血液から出来ているということを皆さんご存じでしょうか。
    この母乳の準備のためにからだ中から血液が自動的におっぱいに集まります。そこで血液は色を変え姿を変え、母乳に変わります。実は女性のからだ、この胸(おっぱい)の機能だけみてもはかなり高機能なのです。
    母乳を赤ちゃんに与えるという行為を一つ例にあげてみようと思います。その機能には赤ちゃんが乳首に吸いつかないと母乳が出ないとか、ベビーに合わせた母乳が調合され分泌されるとかなんてものがあります。また赤ちゃんが乳首に吸いつく刺激によりお母さんの脳を刺激し、母乳の分泌を促すと共にお母さんの子宮の収縮を促し出血を止め、お母さんの子宮の回復を促すとも言われています。
    いかがですか。これ一つみても、おっぱいなんていう可愛い呼び名の胸が、脳や子宮などからだのあらゆる所と連携し、影響しあっているということが分かります。
    以前「子宮が緊張したりして固くなると、おっぱいも固くなるのよ」という話を聞いたことがあります。そしてその話を忘れていた頃、「お腹(子宮)に良いんだよ」という治療をして頂いたことがありました。すると張って痛む程だった胸が驚くほど柔らかくなったのを覚えています。その時、以前聞いた話を思い出し「やっぱりからだって繋がっているんだな」と自分の柔らかくなった胸を触りながら思いました(それから胸は私の一つのバロメーターになっています)。
    でも色々な道具をみても(からだを道具に例えるのは申し訳ないのですが)高機能ということはその扱いは繊細で代用できる部品が少なく、一つが壊れれば他の所にも影響が出るということです。そしてそれを治すのはやはりシンプルな作りのものより難しい。
    女性は大変です。子供のために食べ物も気をつけなければならないし(お腹の子供の栄養も、生まれた後の母乳もお母さんの血液から出来ているのですから)、からだを冷やしていけないと言われるし、お母さん達は子供が生まれた後も育てるという重大任務がありますし。そのからだは驚くほど豊かな機能をそのからだはもっているけど、それゆえに思った以上に繊細だし。子宮もおっぱいも使ったら使ったで大変だし、反対にこれほど活発なものを持っているから使わなければ使わないで色々なトラブルが出てくるし。
    でも見方を変えるとそれが女性の強さを作っているのかなと思います。だってこれほど多くのことがからだの中で行われているのに、普通に生活できるのですから!
    二日にわたり女性のからだについて、少しですが書いてみました。女性を象徴すると言う子宮と胸(おっぱい)。皆さんにお伝えしたのはほんの一部ですが、知れば知るほど奇跡と思える営みが行われている女性のからだ、そしてこの2つの象徴に、男性が魅かれるのが分かる気がしました。きっとからだが魅かれているんですね。自分とは違うそのからだ、そして性に。
    そんなことは思いながら、今日はそろそろ終わりにしたいと思います。操体と母体の話ももからめてできれば良かったのですが、まだまだ力不足で…。楽しみにしていた皆さま、お許し下さい。
    まだ桜は少し先でしょうか?今年も生きる喜びと希望を与えてくれる、あの美しい桜の花が日本中で咲き誇りますように。

    小代田綾

  • 女性のからだ1

    こんばんは、皆さん今日はどんな一日でしたか?ブログ3日目、今日も富士山の麓、富士宮から小代田がお届けします。
    男女の営みにおいて女性そして男性の性が語られることは多くあるけれど、男性の皆さんは女性のからだ(構造や機能)についてご存じだろうか。「そんなの知らないから良いのではないか、なんて無粋なことを…」なんて男性陣の声も聞こえてきそうだけれど、これって大切なことではないかと思う。「知っているよ、女性は男性と違って子供を産むんでしょう?」。そう、女性は男性と違って子供を宿せるけれど、そこには男性陣が思っている以上に複雑なからだの機能がある。それは子供を生んでいる人も私のように子供を持っていない人も同じ。女性には女性だけの生の営みがある。女性のからだには実にたくさんの驚くべき営みや仕組みがあるのだけれど、今日はその一つをお話させて頂けたらと思う。
    女性はお母さんのお腹の中にいる時から、そのからだに卵子の大もととなる原始卵胞というものを持っている、まだ胎児なのに。そして命のもとである多くの卵子をそのからだに持って生まれてきます。そして生まれた時にもうその卵子が使える年齢が大まかに決まっています。それはその卵子には数の限りと使える期限があるからです。女性は寿命という命の時間とは別にからだの中でもう一つの命の時を持って生まれてきます。
    思春期に入ると、女性は大人なるためのからだの成長とは別に、からだの中では子供を宿すことができるからだへの準備が始まります。そしてからだの準備が出来てくるころ、女性は初潮を迎えます。きっとこの頃、女の子は好きだった男の子を心だけでなくからだで感じるようになるのではないでしょうか。
    そして成人した女性は、妊娠適齢期というものに入ります。からだも十分に出来あがり、からだと心が安心して妊娠できる時期に入るのです。
    妊娠適齢期と書きましたが、女性は月経がある間は妊娠できると思っている方が多いのではないかと思います。けれど月経があるからいつもでも子供が出来るという訳ではありません。卵子にも命の期限があるのです。そう、これが女性が持つもう一つの命の期限なんです。不思議なことなのですが、こんなに平均寿命が延びた今も、このからだの時間は太古の昔から変わってないそうです。
    そして子を宿すことができる年齢を過ぎると、女性は新たなからだと共に人生を歩みだします。なかには女性ホルモンという大きな盾を失い、からだの調子を崩したり病気が出てきたりする人もいます。しかしそれを過ぎると正に生まれ変わったと言って良いほど、お元気になられる方も多くいます。それはまるで生まれた時に否応なしに与えられた一つ役目を終えたように、はたまた長い間来ていた思い鎧をぬいだように。きっと女性のセックスにおける性もここからまた形を変えていくのでしょう。
    人と言う同じ人間であるのに、女性は無期限に命のもとを生みだす男性とは違う限られた一つの時間を持っています。そして望もうと望まないと、女性のからだはこの命の営みに合わせて体の機能が組まれています。それは壮大過ぎて一日では書ききれないので今日はこの辺りで終わりにしようと思うのだけど、男性にも寿命とは違う、もう一つの命の時間が女性にはあるということを知っていて頂けたらと思う。
    こうして女性のからだについて偉そうに書いている私だけれど、私も恥ずかしならが女性である自分のからだについて知らなかった一人である(そして知らない間に妊娠適齢期の期限が近付きつつある…)。
    だけど昔の人はこんなからだの仕組みや移り変わりを知らなくても自然にその道を通っていたんだと思う。きっと私のように本で読まなくても知っていたんだろう。自分のからだを、そして命の季節の移り変わりを。
    操体は自分のからだを知る大きなてだてにもなる。自分のからだを感じて欲しい、自分が持つ性の営みは自分でしか分からないのだから。操体は年齢も性別も問わない。大人だけでなく、未来の子供達に自分のからだと向き合うてだてを教えてあげて欲しい。てだてだけで良い、後はからだが教えてくれるから。そして自分のからだを知るように、相手のからだを知って欲しい。形あるからだはまた一つの真理だから。太古から変わらぬ女性のもう一つの命の時間を知り、理解し、寄り添い、迷っている時は導いてあげて欲しい。愛する人、愛する子供、そして愛する友人を。
    さて、今日はそろそろ失礼しようと思います。今日も一日お疲れ様でした。
    明日も元気に新しい命が生まれてきますように、そして未来を担う子供たちが元気でありますように。

    小代田綾

  • 感謝

    こんばんは、小代田です。皆さん今日はどんな一日でしたか?
    さて、昨日は私に新たに生まれた新しい性についてお話致しましたが、今日はその続きをお話しようと思います。
    操体の講習会の中で自分の無意識の動きに次第に癒され、くつろぎを感じた私ですが、初めはその動きを不思議な思いで感じていました。それはちょっと違和感のような。それは昨日もお話しましたが、自分の中に今までない感覚であり、動きだったからです。
    動きに癒されるというのも不思議な感覚ですが、私は生まれて初めて「女の子(女性)らしい」という言葉を感覚として自分のからだで感じた。
    「女の子らしい」という言葉。さて昔の私が毛嫌いしていたこの言葉ですが、私はあの日からその言葉の響きが嫌いでなくなりました。その日渦状波が導いた私の意識の変化は大きく、そしてその後もジワジワと効いています。
    けれどその後、私はちょっと慌てて、ちょっと困りました。だって今まで自分が女性であるという事にきちんと向き合っていなかったという事に気づいてしまったからです。
    では女性であるって何?女性らしいって?そう聞かれると言葉にするのは今の私には難しのですが、ただ私のからだは知っていたのでしょう。
    私の無意識が教えてくれたこと、それは私は女性の性質を持っているのだということ。そしてそれを心地良く感じるのだということ。それは私の心に自己回帰の安心と喜びを教えてくれました。
    「女性らしい」というその言葉は本来優しさを表していたのだと思う。だけど時代の変化と共にネガティブな性質も持つようになってしまった。特に私達の世代は「女性らしい」や「可愛らしい」は「ブリッコ」という言葉と共に嫌われ(嫌っていたのは大部分が女性だけれど)、良い大人になった今も私の仲間には暗黙の了解でそれが続いている。女子は「サバサバして格好良い」方が良いのだ。そして私の母も「女性らしい」ものを毛嫌いする一人である。学生運動の時代を過ごし、まさしく女戦士のように働く女性の一時代を築いてきた母は女性を強調するようなスタイルは嫌いだし(化粧品や宝石は除くけど)、男性に頼るのも嫌い、頼るタイプの女性も大っ嫌い。現役を退き、少し変わってきたけれど、今でも可憐でキレイな女優さんを見ると必ずテレビに向かって突っ込んでいる。
    そんな環境で育った私はもしかして自分の性に対して少し罪悪感を感じていたのかもしれない。女性らしい=弱い者、なんて法則が自分の中に存在していたのかも。
    小さかった頃、私は強くなって弟や母、学校などで苛められている子達を守りたかった。弱い者いじめは大っ嫌い、困っている人たちを助けたいと思った。それには強くなければ駄目だと思っていた。もっと強く、もっと強く。そして力の象徴は男性だった。なぜなら力で男性には勝てないから。私は守りたかったのだ、自分の大切な者たちを。
    少し話がそれてしまったけど、渦状波を初めて受けたあの日、私は自分のからだによって解放された。私は強くなくても良いのだ。優しくあっても良いのだ、それは弱さではなく、強さなのだ。私は今力ではない強さを学び始めている。それは男性の力とは明らかに違うものではあるが、女性が託されたとても強いものであると感じている。そう、私は今それを学び始めているのだと思う。
    操体を通してからだが教えてくれたこと、それに背くことは今のわたしにとっては快ではないのである。
    以上、今日もあちらこちら話が飛びましたがこれで今日は終わりにしたいと思います。あらためて女性として生を受けたことに感謝している。
    皆さん今日もお付き合い頂きありがとうございました。明日も皆さんにとって豊かな日でありますように。

    小代田綾

  • 新しく生まれた性

    初めに、東北地方太平洋沖地震で犠牲になられた多くの方にお悔やみを申し上げるととともに、被災され悲しみ続くなか、今を懸命に生きていらっしゃる皆さまに心からお見舞い申し上げます。遠く離れた静岡の土地におりますが、今なおこの心は皆さまと共に。

    日下実行委員からバトンタッチ、静岡の小代田です。日下実行委員のブログ、いつもながら深いブログでしたが、今回のブログには日下実行委員の愛への熱いメッセージを感じたのは私だけでしょうか。今日から、小代田です。またがらりとカラーが変わりますがどうぞよろしくお願い致します。
    今回の初日は、自分の中に生まれた新たな性について書いてみようと思います。
    それは操体の講習会の中で初めて渦状波を受けた時、生まれました。渦状波を受けた私のからだは、その問いかけに答え始めました。自分のからだは次々と手を動かし足を動かし、からだを動かしていきました。自分の意識とはまったく関係なく動く自分のからだが面白く不思議で、ただ素直にその反応を楽しんでいました。
    無意識のその動きは段々自分の中で秩序を生み、舞を舞っているような錯覚を私に起こさせた。そしてひらひらと嬉しそうにからだは動き続けました。しかしなぜかからだとは反対に心はくつろぎ始め、とても穏やかな静かな感覚の中、とても満たされた気持ちになったことを覚えています。
    無意識の動きにからだをゆだねていた私は、自分が実際どんな動きをしていたのか分からないけれど、私が無意識の動きから感じた「動きの感覚」は柔らかく、丸く、優しく、そしてたおやかだった。指先まで張りめぐらされた神経は手先の優しい動きを呼び、そして動くからだは自分の主張(我)はなく、相手に合わせ、その形を変え、そして包み込むような柔らかい感覚を私に与えた。その女性的な質を帯びた動きは私の心を穏やかに満たしていった。自分の動きに癒されていた。なんだか無条件に幸せだった。
    前置きが長くなってしまったが、それが私が自分の性を初めて意識した時だった。性を今頃意識するというのは遅いのでないか?という声が聞こえてきそうだけれど、私が感じたのは性別の性、女性としての自分。
    もちろん私は女の子として生まれ、女性として生きてきた。でも小さい時から男勝りで、小さい時は本当に男に生まれれば良かったと思っていた。そしてどこかでその思いが自分の中で流れ続けていた気がする。でも初めて受けた渦状波、そして無意識が導い動きは自分が知らずに遠ざけていた(意識的に避けていたのかもしれない)女性的な質を感じさせる動きであった。まるで今まで封印を解かれたようなその喜びに満ちた舞、そして動きに、私は知らずに心身とも満たされていた。やっと自分に戻れた。そんな安心感と嬉しさを感じた。
    皆さんは自分の性と向き合ったことがあるだろうか?パートナーの性に向き合ったことがあるだろうか?
    今週は今改めて自分の性と向かい合うことになった小代田が富士山の麓、富士宮から一週間ブログをお届けいたします。どうぞよろしくお願い致します。

    小代田綾

  • ORGASM

    今日は新月、新たな出発の日です。最終日となりました。今日もよろしくお願いします。
     今回いろいろ調べていくうちに、すばらしい文献に出逢いました。要約してみたいと思います。

    ORGASM
     まず第一に、男性が女性と愛を交わしていて、オルガスムを感じ、歓びのなかにあるとき、それは相手の女性とはなんのかかわりもない―そのすべては男性の中で起こっている。
     女性がオルガスムを感じているときも同じことがいえる。それは相手の男性とはまったく関係がない。

     相手は、助け、口実、きっかけにはなっているかもしれないが、オルガスムはひとりのもの、分かち合うことができないプライベートなものだ。お互い、相手のことは、観察見学はできるが参加はできない。
     二人はいっしょにいるが歓びを分かち合うことはできない。
     二人がいっしょにオルガスムを感じているときでさえ、お互いに影響されない、完全に自分のなかにいる。つまりすべてのオルガスムは、深いところでは、マスターベーションだということだ。

     第二は、オルガスムが起こっているとき、性中枢とは何の関係もないということだ。深いところでは、性中枢で起こっているのではなく脳で起こっている。
     女性のオルガスムは右の脳で起こる、それが女性的な質の中枢だからだ。
     男性のオルガスムは左側の脳で起こる、それは男性的な脳だ。
     脳のこの両方がいっしょになったとき、大いなる歓びが生まれ全面的なオルガスムが起こる。
     最後のポイントは、歓びは正確には脳の中で起こっていない―それは脳のこの両方の背後に立っている目撃者に起こる・・・。
     この目撃者を知ることがひとつになること、絶対的にひとつになることだ。
     そのとき、二人のなかの男性と女性は完全に消えてしまい、その〈ひとつのもの〉のなかに失われる。二人は瞬間から瞬間をオルガスムに満ちた存在として生きる。その状態のなかで、セックスはおのずから消えうせてしまう。それはなくてもいいからだ。
     〈目撃〉のなかで、二人はオルガスムに満たされる。そのときオルガスムはつかのまのものではなくなる―そのときそれは本性そのものになる。これが歓喜というものだ。

     オルガスムには「絶頂のオルガスム」と「谷のオルガスム」とがあって谷の方は最も深いリラクゼーションの谷底そのものに至る。どちらも最初は興奮をつかわなければならない。最初はどちらも同じだが最後はまったく異なっている。
     谷を、くつろぎのオルガスムを感じ気づいたなら、それが超越だ。それは瞑想になっている。

     いかがでしょうか?私にはすばらしい発見でした。詳しくは直接文献にあたってみてください。

    和尚OSHO著
    「英知の辞典」
     めるくまーる刊

    1週間にわたってお付き合いいただき本当にありがとうございました。

     来週からは、みなさまお待ちかねの岡村さんです。よろしくお願いします。

    鵜原増満

  • 男と女

    最近、体調を崩し入院なさる身近な方が多く、季節の変わり目は過ごしずらいようです。花粉もたくさん翔んでいます。みなさまご自愛を!
    今日もよろしくお願いします。

    「恋愛は、性はもちろん、生まれも育ちも価値観も異なる一組の男女が、愛し結ばれていく過程である」と渡辺淳一さんはおっしゃいます。

    経験豊富な渡辺さんは女性の変化をこう表現しておられます。

    *女性は、性においてきわめて複雑な矛盾に満ちた生きものです。

    *女性は愛の初期においては、きわめて精神的で純粋です。生々しい肉体関係より、精神的愛を求めそれをよしとします。

    *体験を重ねるうちに、女性は次第に悦びに目覚め、性的に貪欲になるのです。

    *女性の躰は年齢と体験によって変わっていくのです。

    *女性の快感ポイントは広くて多彩すべて性感帯となります。ただし条件があって、相手の男性が好きで心を許していること、さらにその男性が愛の言葉とともに優しく接してくれるという二点が必要です。

    *女性のセックスにおける快感は、心から愛する人と接したときのみ生じるきわめて精神的なものといっていいでしょう。

    *女性のセックスは未来へのスタートです。

    一方、男性に関する描写はとても少ないのです。

    *男は女に情念の翳りを求める。

    *男は女の身体に興奮し欲情する。

    *男は相手をそれほど選ばない。

    *男性の快感はきわめて短く瞬間的。射精は一瞬の悦びであるとともに死のイメージに近い終末感とつながっている。

    そして男女が結び付くとこうなります。

    *男と女のあいだには性的なタイムラグがある。

    *男の異常なまでの女性への性的欲望に女性は強引に性に目覚めさせられひきずられさらにセックスを重ねるうちに女性は悦びを覚える。

    *男も女もともに激しく悦びを感じうるセックスを楽しめたら二人の結びつきはさらに強く確かなものになるだろう。

    *お互いにかけがえのないパートナーである。

    性に関するこんな考え方感じ方はいかがでしょうか?渡辺淳一さんはそんなに若くないので、若者たちはどう思われるか興味深い思いがします。

    渡辺淳一著 「欲情の作法」 幻冬舎

    今日はこの辺で!

    ありがとうございました。

    鵜原増満

  • 蓼食う虫も・・・

    ひな祭りですね、きょうは何をしますか?
    そのむかし子供の頃、私達の父が言いました。うちには女の子がいないのか!三人姉妹はいったい何をしていたのでしょう!大人が喜ぶ日かもしれません。

    蓼食う虫も好き好き、こんなことわざがあったような気がします。
    世の中には、いろいろなカップルがいます。人からみるとおかしいんじゃない、と思われるふたりもいるに違いありません。
    男と女、だけがカップルになれると決め付けるのは偏見かもしれません。
    どんなカップルであれ、お互いがよければ、他人はとやかくいうべきではないと私は思います。
    どんなからだに生まれても生きていかなければなりませんし、生きていく権利があるのです。
    あの人と一緒にいたい、一緒に生きていきたい、一つになりたい、そんなパートナーがいる、ということは素晴らしいことです。タブーはない方がよいと私は考えています。二人さえよければ、とはいいませんが、常識はずれでなければお互いがよいということを追及していってよいと思います。

    恋愛はフィフティー・フィフティー、SEXも同じです。渡辺淳一ドクターも言っておられます。性的行為はひとりでやるものではなく、相手とともに行う共同行為である、と。

    今日はこの辺で!

    ありがとうございました。

    鵜原増満

  • 文献をひもとく

    こんにちは!今日までお付き合いくださりありがとうございました。ようやく折り返しの日になりました。最後まで続きますよう、今日もよろしくお願いします。  

    性、生殖、性欲を、聖者さまはどのようにとらえておられるのか、気になるところです。

    生殖器官は、重要な神経(特に、交感神経と脊髄神経)の末端がそこで結合し、それらが脳に接続して、全身に活力を与えるようになっている、のだそうです。

    したがってそれは、生命の木の根のようなものであるから、性欲を正しく使えば身心を健康に保って快適な生活を送ることができる、と説いておられます。

    なんて素敵な、理にかなったお言葉なんでしょう。感激しました。性に関してまともにとらえた文章になかなかめぐりあえないでいました。

    さらに、こうも論じておられます。
    性欲は、他のあらゆる欲望と同様、正常な状態のものと、異常な病的な状態のものとがあるが、異常なものは、不自然な食事によって体内に蓄積された異物から生ずるのである、と。

    こんなことも言っておられます。
    性欲は、実は、きわめて正確な健康のバロメーターである、と。

    性の問題を不浄で下品で醜いと思っているとしたら、それらは、そう思っている人の心の中にあるのであって自然そのものの中にあるのではない。

    とても力強いメッセージで、操体の考え方そのものだと嬉しくなってしまいます。

    参考文献
    聖なる科学
    ―真理の科学的解説― スワミ・スリ・ユクテスワ著 森北出版

    今日はこの辺で!

    ありがとうございました。

    鵜原増満

  • レイプ

     3月になりました。今年もクリスマスローズがうつむきがちに咲いています。

    今日もよろしくお願いします。

     みなさん、想像してみてください。はじめての性体験がレイプというおそろしいものだったとしたら・・・・・・・・

     今、世界のどこかで、そのような被害を受けている子供達があとをたたないと報じられています。
     加害者が家族の場合、特に悲惨です。
     被害者の子どもは父親あるいは兄をかばって何も言えないのだそうです。

     もしも、私がレイプの被害者になっていたとしたら、きっと生ける屍同然になっていただろうと容易に想像できます。

     レイプされた子供達のことを考えながらいつも、私はこんなことを祈っています。一日も早く立ち直ってほしい。この世からこのような卑劣な犯罪が一刻も早くなくなるように。

     今日はこの辺で!
    ありがとうございました。

    鵜原増満