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  • 性のめざめ

    28日は、お不動様の縁日です。父方の祖父母がまだ元気な頃、目黒のお不動様の近くに住んでいました。毎月28日には必ず会いに行っていたことが懐かしく思い出されます。余談ですが祖父母には11人の子どもがおりました。

    2月の最終日、今日もよろしくお願いします。

    さて、肉体なんてなくなればよいと考えていた私に、どんな転機がやってきたのでしょう?

    私にも、一人前にふつうの女性として、男性を愛したいという気持ちが芽生えてきました。そう思える相手が現れた、そしてその人も私と同じような気持ちを持っていたということです。
    しあわせなことにその恋は実を結びました。心身を伴った初恋でした。
    勿論、避妊には十分気を遣いました。
    何故かというと、操体にめぐりあうまでは、自分の!ベイビーなんてとんでもないと思っていましたから!!つまり残念ながら自分を肯定できない、自分を愛せない私だったのです。
    それでも恋愛はできました。 

    この感情は頭ではおさえがたいもので、肉体なんていらないという思いはいつのまにか徐々に徐々に薄皮をはがすように消えていってしまいました。

    とても不思議なのですが、楽しいことは何もない、気持ち良いこともないと思っていた私が、この経験をきっかけに変わっていったのです。大きく大きく変わっていったのです。 

    恋をすると世の中がばら色になるとよくいわれます。私の変化はそれ以上に素晴らしいものでした。

    私のまわりには、こんなに美しいものがいっぱいある、こんなに気持ちが良いと感じることがいっぱいあるんだと、思い、感じることができたのですから・・・・・

    遠いむかしに逢った恋人に感謝しましょう。見えざるなにかに感謝しましょう。

    今日はこの辺で!
    ありがとうございました。

    鵜原増満

  • 性とは?

    如月も明日でおしまい、もうすぐ女の子の《雛祭り》がやってまいります。春もすぐそこですね。

    今日から1週間東京からお送りします。よろしくお付き合いください。

    「性」という素晴らしいテーマを先生からいただきました。ありがとうございます。

    異性を意識し、なんとなく性というものを意識してからずっと、興味はありましたが、真面目に取り組んだことはいままでの長い人生のなかで一度もありませんでした。とてもよい機会をいただいたと思える1週間になればと祈っています。

    中学二年生の時、同じクラスの男の子に恋をしました。きっと初恋だったのでしょう。その当時体育の時間に、着替えをする特別な場所はなく、男子が出入りする中で着替えなければなりませんでした。しかも隣の席が、気になる彼の席だったのです。とても恥ずかしくて恥ずかしくて消えてしまいたい、と思ったことがありました。今の若者が聞いたら、ばかじゃないか、と思うことでしょう。

    そんな私が、頭で考えていたことは、愛し合っていれば身体を求めあうのは自然なことである、ということと、大人が自然にしていることを子供がなぜしてはいけないのかということでした。平成生まれの若者には分かりにくいと思いますが私の思春期にはそのようなモラルがあったのです。

    少し遡って、女の子特有の初潮の話しましょう。性教育をほとんど受けていなかった私にも初潮がやってきました。母からどんな説明を受けたのか全然おぼえていません。なんの感情もわいてこなかったのだと思います。この女性にしかない生理という現象は、ただ毎月やってくる面倒くさいものという認識しか私にはありませんでした。

    私は何故か男の子になりたかった女の子でしたから、ふつう?の女の子と同じではないかもしれません。

    思春期の私がけんめいに考えていたことは、からだの線を人に見せたくないということ、それが極端になると肉体なんてなくなればよい・・・でした。

    肉体のない私ってどんな私なんだろうと懸命に考えていたのでしょう。

    子供として生きていてもちっとも楽しいこともないし、気持ち良いこともないなどと悩んでいたのだと思います。

    その頃、今日のようにお年寄りが多くなかった頃、おじいちゃんとおばあちゃんがなかむつまじく手をつないで歩いている姿を、なんて素敵なんでしょうと眺めていた私がいました。

    今思い返してみるとなんと複雑な子供だったんだろうとあきれてしまいます。

    今日はこの辺で終わりたいと思います。ありがとうございました。

    鵜原増満

  • 『夜の蝶』

    私の住む福岡には『中洲』と呼ばれる歓楽街がある。

    バブルの頃までは週末の夜ともなると大勢のヨッパライ
    で賑わっていたようであるが、日本中が不景気真っ只中の
    最近では金曜日の夜ですら人通りは決して多くなく
    客待ちをしているタクシーばかりがやけに眼につく。

    僕が初めてこの街に足を踏み入れたのは、柔道整復師
    資格を取ってすぐの21歳頃だった。
    当時努めていた整形外科の先輩に連れて行ってもらった。
    綺麗なお姉さんがおもてなしをしてくれる飲み屋さんなんて
    初めての経験だったものでとにかく緊張してカチカチになっていた。
    今考えてみるとなんてピュアでかわいいもんだ。と思うが
    綺麗なお姉さんのいるお店より先に、綺麗な男の人のいる
    ゲイバーの方がデビューが早かったのだからそんなにピュアでもない。

    とは言ってもお酒が全くと言って良い程飲めない私に取っては
    どちらもあまり居心地の良い場所であるはずもなく
    それ以降も余程の付き合いでもない限り足を踏み入れる機会はない。
    JAZZでもかかるバーのカウンターで見知らぬ美人に洒落たカクテルを
    サービスするくらいのイカした大人になりたいとは思っているのだが
    大人の世界の敷居は私にとってはまだまだ高い。

    話は変わるが、東南アジアミャンマーから帰国した人が話していたのだが
    たまたまミャンマーの町中を歩いている時に日本の医療系の先生達の
    グループが若くて綺麗な現地のおねーちゃん達と集団でホテルに
    なだれ込んでいるのを目撃したというのだ。
    旅の恥はかき捨てとばかりに羽根を伸ばしてらっしゃるのかもしれないが
    観光バスのプレートに日本語でハッキリ○○県××科医師会と書いてあったらしい。
    厳しかったかった冬の寒さも落ち着き季節はもうすっかり春になっているけれど
    国外に行ってまで春を満喫しなくて良いのではないかとおもう。
    同じ日本人である事が恥ずかしく思えたということであるが、私も同感である。

    秋穂一雄

  • 『恋する子宮』

    昨日のニュースで児童虐待が354件と過去最高を記録し
    その内の33件が死亡事故に至ったということである。
    ほぼ毎日児童虐待がどこかしらで起こっている計算だが
    この人数はあくまでも氷山の一角だと思われる。
    昨年の夏には大阪市でホストクラブに夢中になった母親が
    幼い兄弟2人を放置し死亡させたという事件も記憶に新しい。

    このニュースを中年の女性の患者さんと話していたときに
    「男性は頭で恋をするから理性的でいられるが
    女性は子宮で恋をするから恋愛に溺れやすい。」
    といった内容の事を話していた。
    以前中洲でお店を出していたと言う女性の言葉は
    やけにリアリティーがある。

    我々男が頭で恋愛をするというのは何となく理解出来るが
    女性の子宮で恋をするという感覚はちょっと難しい。
    その女性曰く女性の方がからだの相性が良い相手がいると
    夢中になりやすくのめり込み後先を考えなくなるケースが
    多いのだそうだ。

    また、男性はパートナーへの愛情が薄れても
    結婚生活を継続することが出来るのだそうであるが
    女性は、他に愛情を注ぐ対称が出現してしまうと
    そちらの方にさっと方向転換する事が出来るらしい。
    後に残されるのは寂しい男が残ってしまうのか・・・

    なるほど私たち男は海綿体で思考する事はあっても
    それは一時の快楽を求める為であって女性の様な
    潔さというのは持ち合わせていないように感じる。
    『草食男子』というのは何も今始まった事ではなく
    元々女性の方が肉食傾向は強いのかもしれない。

    先日畠山常任理事の勧めで中谷彰宏氏の書籍
    『女を楽しませることが男の最高の仕事。
    さらにビジネス運を上げる61の法則』
    という本を読んでみたのだが、なるほど眼から鱗でした。
    女性との関係でもやもやしている男性諸君は
    是非一読する事をお勧めする。家庭円満の秘訣だ。

    女性の子宮を如何にくすぐるかというのが、
    男子の存在価値を維持出来るかどうかの分かれ道
    なのかもしれない。フォーラムの女性陣に
    その辺りのツボについてご指導を仰ぎたいところである。
    ご指導ご鞭撻宜しくお願いいたします。

    「女を楽しませる」ことが男の最高の仕事。 (だいわ文庫)

    「女を楽しませる」ことが男の最高の仕事。 (だいわ文庫)

    秋穂一雄

  • 『からだフェチ』

    今日も春の日差しの暖かな福岡から4日目のブログ
    を発信したいと思います。宜しくお願いいたします。

    僕はひとのからだを見るのが好きだ。
    これは職業柄なのだろうとは思うのであるが
    からだのどこか一部分のパーツが大好きというよりも
    頭のてっぺんから足のさきっちょまで
    そして全体の醸し出す雰囲気を感じる事が面白い。
    男性女性という性差が作り出すパーツの差はあっても
    なんでひとのからだって個々に特徴があるのだろう。
    車であれば同じパーツを組み合わせていけば
    必ず同じ形で同じ性能の車が完成するはずなのに
    何故ひとのからだって同じパーツがついているのに
    全く異なる人格や外見になって来るのだろう。
    橋本先生は『からだの設計にミスはない』と書かれている。
    間違いなくそれは真理だと思う。
    本来ひとのからだってどんな芸術作品にも負けないくらいに
    美しいものなのではないかと思う。
    赤ん坊のからだって本当に美しいと思う。
    西洋絵画の天使の姿そのものだ。
    でも痛みを抱えておられる方のからだに触れさせて頂くと
    お世辞にも芸術作品と呼べる代物ではない気がする。
    やはり成長していく過程で歪ませてしまうのであろう。
    最高の芸術作品を歪ませてしまう悪党が
    事故最小限責任生活必須条件と呼ばれる
    呼吸・食事・運動・想念そしてそれらを取り巻く環境の
    バランスの崩れである。
    言い換えると、これらのバランスが取れた
    生活を営む事が出来れば天然自然の美しさをもって
    一生涯を過ごす事が出来るのであろう。
    自らの行いによってゆがめてしまったからだを
    外から手を加えて美しくしようとしても
    限界があるのは当然であろう。
    僕たちの仕事はその歪んでしまった芸術作品を
    修復するお手伝いをしているんだな。
    せっかくみるのだったらもう荒れ果てたからだより
    見るもの全てがうっとりする様なからだをみていたい。
    やっぱりひとのからだは一日中見ていても見飽きることはない。

    秋穂一雄

  • 『春の訪れ』

    私の住む福岡の街でも寒さが随分和らぎ
    日に日に暖かい春の日差しが射し始めました。
    今日は天気もよかったので思い切って
    自転車で仕事場まで行ってみました。
    途中に通りがかった筥崎宮の境内の
    梅の花も少しずつ開き初めて
    春の訪れを教えてくれていました。

    うちの整骨院で定期購読している「Trinity(トリニティー)」
    というスピリチュアル系の雑誌の特集で
    「愛される女のスピリチュアルSEX」という
    特集が組んでありました。
    しめしめとページをめくってみると
    「中国生まれのセックス奥義」
    「本気の愛されセックス」等
    気になる見出し満載のないようなのだが
    あくまでもこうしたら彼が喜ぶとか
    こんなセックスが理想的ですよというHOW TO
    の書かれたものばかりで眼どうも操体的ではない。

    私個人としては、愛撫の仕方や体位の種類よりも
    何故僕は今この人に魅力を感じ、
    この人と愛し合っているかということや
    セックスの相性の善し悪しというのは何ぞや
    生理的に好き嫌いの生理的とは何なのだろう
    ということなどを知りたいと思う。

    勿論嫌いな人と寝るよりも愛しくて仕方ない
    人とベットをともにする方が喜びは多いと思うが
    そんな最高の相手とだっ回数を重ねれば
    マンネリというか新鮮味がなくなるというか
    要はその感動に慣れてしまうのであろう。

    人は同じ刺激を与え続けると慣れてしまい
    より強い刺激を求めてしまうといいます。
    しかし強い刺激は劇薬であり身を滅ぼす
    可能性だって秘めている。
    常に新鮮さを保ち続ける秘訣って何なのだろう?

    これって何となく臨床にも当てはまりそうですよね。

    Trinity No.37 (2010.WINTER) (INFOREST MOOK)

    Trinity No.37 (2010.WINTER) (INFOREST MOOK)

    秋穂一雄

  •  『悶々として眠れない』

    「人は気持ち良さの中から産まれて気持ち良さの中に帰っていくんだ。」
    と三浦理事長からお話をして頂いた事があった。丁度うちの娘が
    産まれる直前だったように記憶している。

    人間の生命を産み出す為のセレモニーがこんなに気持ちが良いことだ
    というのは本当にハッピーな事であると思うが、それと同時に
    この位ハッピーな事でないと人間を産み出すということは
    ちょっとやそっとの喜びでは報われない苦悩も含んでいるのだとも思う。

    妊娠中の妊婦さんは10ヶ月以上もお腹の中で子供を抱え続けなければ
    ならないし、その間における肉体的・精神的苦痛はいかなるものかと思う。
    残念ながら我々男性には一生味わう事の出来ない苦しみなのであるが
    誰かが「出産の痛みを男が味わうとショックで死んでしまうらしいよ。」
    と言っているのを聞いた事があるので、本当に命拾いをした思いである。

    大変な思いをして産まれて来た赤ん坊を育てていくのも一苦労である。
    所構わずギャーギャー無くし、自分で糞尿の始末も出来ないし、
    食事だって自分だけ特別に手をかけて作られた離乳食しか食べれないし
    昼間は「パパと遊ぶ〜」と言ってるかと思えば夜になると
    「パパ嫌いママと寝る〜」とそっぽを向いてしまう。寝たかと思うと
    また夜中に起きだして来ては「寝れぬ」といってはギャーギャー泣き出す。

    少しずつ成長していくに従ってこれらの煩わしさからも解放され
    それらの思い出自体も懐かしい思い出になっていくのであろうが
    そんな経験をした事の無い若者に取ってはセックスがもたらしてくれる
    快感のセレモニーが無ければ中々一歩を踏み出せないイベントに違いない。

    また、子供を待ちこがれているご夫婦のセックスに対する向き合い方は
    私などの遠く及ばないところだと思う。私の身内にも子供を授かる事の
    なかった家庭はあるし、治療院でも妊娠するために何か良い方法はないものか
    とわらをもつかむ思いで相談されにくる方も少なくない。

    十人十色それぞれの感じ方があり、それぞれの目的があり
    こればっかりは何が正しくて何が正しくないなどとは言えないが、
    快感を得る事だけが目的のセックスというのは明らかに
    その本質からは外れて来るようにも思う。

    性行為の事で頭を悩ませて夜も眠れないなんてまるで思春期の少年みたいだ。

  • 『記憶に残る女の子』

    土曜日の夕方から全身倦怠館と高熱が私を襲いました。
    まだまだ流行中のインフルエンザに感染したかと
    土曜日の夜に急患センターにいってみたところ
    「インフルエンザのウイルスは検出されませんでした。
    恐らくただの風邪です。」
    と診断された。インフルエンザでは無かったというのは
    喜ぶべきことなのであるが、ただの風邪といわれるのは
    少々寂しい気持ちがいたします。
    そのため今週末は珍しく布団の中で週末を過ごしておりました。

    それでは2日目も『セックス(性)について』宜しくお願いいたします。

    今回のお題を頂いて自分自身が異性について、性的な欲求について
    いつ頃から意識していたのかと記憶をたどってみる事にします。
    今思い出せる一番古い記憶は幼稚園の年長さんのころまで遡ります。
    その当時は福岡県山田市(現嘉麻市)という本当に小さな町に
    住んでいて日夜仮面ライダーになる為のトレーニングと称して
    家の屋根から飛び降りてみたり、近所の野山を駆け巡ってみたりと
    元気に楽しく過ごしておりました。

    年長さんのある日、福岡県飯塚市という田舎の中心地から
    女の子が引っ越しして来ました。今考えてみるとどちらも
    田舎町に過ぎないのですが、当時は都会から引っ越して来た
    洗練された女の子というような印象だった気がします。

    家が近所であった事もあって、すぐに仲良しになっていつのまにか
    いつもふたりで遊ぶようになっていました。
    それまではひとりで走り回っていた事が多かった私が
    女の子と一緒におままごとやお医者さんごっこをするようになると
    いやでも異性というものを意識するようになります。

    同じ年の女の子でもその子は本当におませさんで随分大人に思えました。
    その子とは私が小学校入学前に福岡へ引っ越すことになっので
    それっきりになってしまったのですが、今でも鮮明に覚えています。

    気がつくと私の長女が同じ年長さんで春には小学校へと上がります。
    娘を見ながら何となくその子の事を思い出していました。
    娘も誰かにとって記憶に残る女の子になるのでしょうか。
    ちなみに内の長男坊は今、仮面ライダーooo(オーズ)
    になる秘密トレーニングをやっている真最中です。

    秋穂一雄

  • 『さて困ったぞ・・・』

    何が困ったかって、それは今回9週目を迎える
    実効委員ブログの内容である
    今回のテーマである『セックス(性)について』
    という内容で何を書けば良いのかが
    いまいち浮かんでこないのだ。

    先日の福田画伯のブログ『性について考える』
    の中にも書かれていたが、
    操体法創始者である橋本敬三医師も
    「セックスをレーバンステーマにしよう。」
    と障害を通じて追い求めていたテーマであるし、
    操体の中での最重要キーワードである
    「快適感覚」「気持ちよい」という快感覚と
    性行為における快感覚との質的な違い
    を確認する為にもとても重要なテーマである。

    とは言ってみても、セックス(性)についての話など
    産まれて36年間下ネタしかしたことの
    無いわたくしにとって、
    この内容をアカデミックに語るというのは
    本当に高いハードルである。
    とにかく今回は出たとこ勝負でセックス(性)
    について書かせて頂きたい。

    セックスという言葉にはとても卑猥で
    とても神秘的でとても魅力的な響きがある。
    特にセックスについて全く無知であった
    10代の頃などはsixやsoxという単語ですら
    セックスと聞き間違えるくらいにその情報に飢え、
    日夜妄想に明け暮れていたように思う。
    同世代の男友達とであればセックス(というよりも下ネタ)
    さえ話していれば会話に困ることが無い
    というくらいのコミュニュケーションツールであった。
    そもそも何故私たちはこのセックスという言葉を
    口にすることに抵抗があるのであろうか。
    本来であれば子孫を残すための本能としての行為
    であるはずのセックスを恥ずかしいものとして
    認識しているものは何なのであろう。
    これは恐らく性欲と言う欲望の存在に
    他ならないのではないであろうか。
    欲望というものは理性でコントロールすりことが
    美徳であると育てられる。

    以前にもブログの中に書いた気がするが、
    赤ん坊はからだの要求する行為だけしかやらない
    しかし成長する過程において、
    自分自身の欲求を制限することの重要性を
    親から学習させられる。
    例えば「手で食べ物をこね回しては行けない。」
    「おしっこはトイレでしないと行けません。」
    と欲求を制限する姿勢を望まれて成長していくうちに、
    欲望を満たそうとすることは恥ずかしいことなのだ
    という価値観を植え込まれてしまうのかもしれない。

    社会の規則を破りなさいとまでは言わないが
    ある程度自分自身の感覚に正直にしたがえる
    センスも必要なのではないかとも思う。

    秋穂一雄

  • 自分への課題

    今日は最終日の七日目です。一週間お付き合いありがとうございました!このブログも学びのひとつとして自分の成長の階段だと思ってありがたく思っています。操体フォーラム実行委員はブログ以外にも、月1回の勉強会やレポート、秋季東京操体フォーラムにて配布されるVisionSの執筆などと学びの機会があります。僕はこのVisionSについては半年以上の準備をしています。それは自分への課題として、操体への学びを深めるために、データを採ったり、文献検索などを通して、ひとつの課題を深く調べあげることで学びを深めていこうと試みています。
     今年は12月から始動していますが、内容は秘密です(笑)。とはいったものの簡単に紹介します。昨年通院していた有名レストランを経営する御婦人が「操体法の快適感覚を聞き分け味わうようになってから、お肌の調子が良いのよ」この一言から始まりました。お肌の調子がよくなるわけですから、アンチエイジング(老化防止)の作用のあるホルモンで調べると、成長ホルモンがあります。成長ホルモンは脳下垂体前葉から分泌されるホルモンでその名の通り「成長を促す重要なホルモン」です。主な役割は身長を伸ばす・骨や筋肉をつくる・アンチエイジング(老化防止)・代謝作用があります。その中のアンチエイジング(老化防止)を中心にみてみますと、若々しいお肌というのは、保湿力のヒアルロン酸、そして繊維細胞のコラーゲンなど美肌成分が水分と弾力の状態といわれていますが、紫外線やストレス、また加齢など様々な要因により日々ダメージを受け壊されてしまいます。成長ホルモンは、そんなダメージを受けたお肌を修復して肌機能を整え、美肌成分の分泌を促す働きをしているそうです。ただし、成長ホルモンの分泌は、食事や睡眠・ストレス・運動などが大きく影響します。
     そこでクリニック実習にきている実習生に、実験の意図を説明し了承してくれた実習生に操体法の前後及び操体法施術12時間後までの成長ホルモン血中値の経過を調べる準備ができたところです。どんな結果がまっているのでしょうか?結果は秋季東京操体フォーラムにて配布されるVisionSで確認してください。
     こんな学びを試みている今日この頃ですが、これも理解・協力してくださる周りの方々のおかげです。ありがとうございます。
     一週間この宇宙に近い地域からの担当佐助でした。ありがとうございました。
     とブログを閉じようとしましたが、佐助ひとりごとを書いてみたくなりました。
     僕は理学療法士として今年で16年目となり、その中で様々な学びをしてきました。その中で操体と出会いました。操体と出会ったのも、現状に満足することなく、患者さんのからだと真剣に向かい合ってきたからだと思っています。なんでもそうですが、興味を持って集まる方はいますが、真剣に学びと向かい合い、本当の意味で真理を極めていく方はほんの一握りで、真理を極めた者だけが伝道師であり本物なのだと思います。たかだか数年の学びで極めたような気になってはいけないと思います。学びは終わりのないものです。特にからだのついては、未知の部分の方が多いのですから生涯学びを辞めた時点で臨床家・治療家ではなくなるのではないでしょうか。
     学びをひとりでも続けられるという人がいます。ひとりで学び続けるとは本当に難しく、よほどの強い意思を持って、自分と向かい合っていなければなりません。
     僕は今の環境に恵まれています。学びの道しるべとして先を照らしてくれる三浦理事長、畠山理事がいてくれます。常に学び続ける目標とする先人がいてくれるからこそ、地に足をつけてひとつひとつ裏付けをしながら自分自身の学びができるこれが今の恵まれた環境なのです。どんなに世の中に情報があっても的外れな情報収集では真理を極めることができないからこそ、真理を極めていこうとする方々と繋がっていなければ本当の意味での学びを深めていくことはできないと思います。
     我々臨床家が学び続けている姿は、言葉にしなくても患者さんも肌で感じているようです。本日のブログに登場した有名レストランを経営する御夫婦からも「先生、また学びが深まったんじゃないですか」というありがたい言葉をいただくことがあります。これも今を大切にしているからだと思います。そして今の環境に感謝し、日々の学びの積み重ねをいつもでも大切にしたいと思います。「ありがとうございます。」