カテゴリー: 未分類

  • 余韻をたのしむ

    今回は「性」というお題のなかでのブログでした。本日は最終日の7日目ですので、終わりにちなんでSEXが終わったあとの余韻について書いてみたいと思います。
    SEXのあとの余韻についての行動は男性と女性ではどうやら違うようです。男性はSEXが終わると、すべての行為が終わりとして女性から身体を離したがるようです。逆に女性は、SEXが終わったあとの余韻に浸りながら、身体を寄せ合っていることを含めてSEXとしている(願っている)というアンケート結果がありました。この内容も本能という点でも男性と女性の違いによって起こる行動パターンだそうです。
    男性は、何億個という精子を製造し、それが一定量になると放出するという性的なメカニズムがあります。つまり精子放出欲が性欲放出メカニズムに変わり男性のエクスタシーは放出(射精)によってもたらされていて、男性のSEXは射精することでからだが終わりとして反応するそうです。射精まで女性の身体を求めてやまなかった男性が射精した瞬間に、潮が引くように女性から離れるのは男性特有の性的メカニズムとされていました。しかし女性の、セックスに対する心理メカニズムは行為が終了した後も、エクスタシーの余韻が継続しています。女性は、愛撫から徐々に高まりはじめ、エクスタシーに達しても、ゆるやかなカーブを描くように快感が尾を引くようにできているそうです。このため、SEXあと女性の脳裏ではまだエッチ行為が継続していてその余韻の中でも、男性に身体を触れていて欲しいとなるようです。また、女性は男性から放出された精子を子宮内の卵と結合しやすくするため、SEXが終わったからといって、急に激しい行動はできにくく、しばらくはじっとしているようにと脳に組み込まれているとのことです。この女性のSEXあとの行動は、からだが必要あってのことだということを男性は理解していたほうがよいかもしれませんね。余韻に男女であじわう時間こそが、欲のない時間になり、本当の男女のからだのコミュニケーションになるのではないでしょか。
    1週間お付き合いありがとうございました。

    東京操体フォーラム in 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum in Madridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催されます。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • ホルモンと性

    6日目です。今日はホルモンから性欲を考えてみたいと思います。よろしくお願いします。
    ホルモンの作用は「発育成長」「自律神経機能の調整」「内部環境の調整」の三つといわれています。ホルモンの中で、性欲に関わるホルモンを性ホルモンと呼びますが、この性ホルモンは、下垂体・性腺(卵巣・睾丸)・副腎皮質などで分泌されています。これら内分泌腺から分泌されているのが、アンドロゲン、エストロゲン・プロゲストロン、ゴナドトロピンなどがあります。
    SEXをするとき、感覚系に神経情報として伝わり視床下部に伝達されますが、この視床下部、辺縁葉には神経ホルモン産生ニューロン(神経細胞)という、脳の下垂体や生殖腺の働きを制御するメカニズムが存在しています。視床下部と生殖腺から分泌されたホルモンがフィードバックされることで、性欲と生殖行動は神経情報として発現すると同時に、ホルモン情報(液性情報)としても発現するそうです。
    この少し判りにくい脳内のニューロンネットワークは男女の性差の重要な位置を占めているそうです。
    男性は脳内の視索前野部分にあるニューロン(神経受信ユニット)が男性ホルモンのアンドロゲンへの感受性を持っているため、アンドロゲンを受信すると、中脳や延髄の運動系神経に命令を送り、オスに生殖行動を発現させるそうです。
    女性のホルモン・ニューロン・ネットワークはオスに比べて相当複雑になっているようです。メスの場合、性行動の制御は旧皮質の視床下部腹内側核で行われ、脳に女性ホルモンのエストロゲンやプロゲステトロンが働くと、その感受性ニューロンが活動を始め、今まで支配されていた上位の脳から抑制を解放し、中脳・脊髄周辺の感覚系・運動系のニューロンが敏感になり、オスとの接近で容易に性行動を起すというメカニズムになっているそうです。女性はその他にも、性中枢の視床下部から性腺刺激ホルモン放出ホルモンが分泌され、下垂体から性腺刺激ホルモンが分泌されます。このホルモンが体液を通じて卵巣に達し、卵巣に排卵などを促しことになります。そして卵巣から分泌された卵胞ホルモンや黄体ホルモンは同様に体液を通じて、下垂体や視床下部に情報をフィードバックすることで、循環機能で女性の性機能を調整しているそうです。ですが実際には、女性の性は複雑で完全には科学的に解明できていないようです。人間の性欲・性行動は脳の「性中枢」やホルモンの影響を受けてはいるが絶対的ではないということになり、人間の性欲(大脳性欲)にとって、性ホルモンよりも相手から受け取る視覚・聴覚・触覚といった感覚で大脳皮質が興奮、性中枢が働き性欲・性行動を起すという考えになってきているようです。
    性はからだの様々な能力が働き、SEXは神秘的なことなのかもしれませんね。
    ありがとうございました。

    東京操体フォーラム in 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum in Madridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催されます。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 本能と性欲

    5日目の本日は、同じ相手でもすごいきもちがよい日や興奮する日、気持ちがのらない日など様々なからだの反応が日によって異なるのか本能という視点から書いてみたいと思います。よろしくお願いします。
    性・SEXに対する本能的な欲求を司っているは、脳の間脳・視床視床下部に、「性中枢」があるらしいということが分かりつつあるようです。この視床視床下部は大脳と中脳の間に位置し、辺縁葉と呼ばれ、この辺縁葉には、視床視床下部・脳梁・扁桃核・下垂体などが属しています。この辺縁葉を旧皮質ともいい、ここでは生物の基本的生理現象・本能といわれる、食欲・性欲・睡眠欲及び自律神経(内臓神経で不随意なもの)をつかさどっていて、爬虫類のほとんどはこの部位で脳が出来上がっているようです。
    旧皮質にある本能といわれる「性中枢」は「性欲の周期性」にも深く関わっているらしく、いわゆる動物界の発情期という現象をつくり上げているようです。
    Ellisは性欲の周期を、エロティックな夢の日記または自慰の記録にもとづいて、その周期の中間期と月経期にピークが見られることを報告しています。また、Udryらは未婚女性と既婚女性の性交頻度とオーガズムとの月経周期との関連を調べ、未婚女性では月経周期の中間に性交頻度が高まることを報告し、性周期のステージで性欲の強さが変動する可能性が示されていました。その他にも満月と性欲について、人間の生物学的構造により月の引力によって潮が満ち引きするように、人間の体内にある水分も影響を受けるために、満月から新月へ月が欠けていく期間は性欲が減少し、新月から満月へ月が満ちていく期間は、性欲が活性化するというような報告もあります。
    この自然界に生かされている僕たちの性欲には本能として備わっている部分もあり、本能は誰もがもっているはずです。本能以外の部分である辺縁葉を包み込む形で発達した、新皮質・大脳が人間は発育状況によって発達するという他の動物にはない特徴を持っているのです。この大脳の発達により、理性や知識・感情など大脳の発達によりコントロールが可能となっていくことで、本能の性欲から、性を楽しむ・からだのコミュニケーションなどといった若いころとは違った快の楽しみ方に変化していくのかなと思いました。
    ありがとうございました。

    東京操体フォーラム in 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum in Madridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催されます。三浦寛 他

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 同調

     折り返しの4日目となりました。今日もお付き合いよろしくお願いします。
     SEXはやはり愛のあるSEXが一番良いに決まっていますよね。ではよく聞くSEXの相性とはどんなものなのでしょうか。テクニックというものでもないと思います。やはり愛という気持ちがあるかないかなのでしょうか。ではなぜ同じ相手でもすごいきもちがよい日や興奮する日、気持ちがのらない日など様々な感情や気持ちやからだの反応があり、日によって異なるのでしょうか。性欲は大きく二つの観点から考える必要があるように感じます。ひとつは生殖・子孫を残すという原始的本能を目的とした性欲と、からだの感覚をかえしてからだの会話としての性欲ではないかと思いました。
     からだの会話として、フィーリングとして皮膚的感覚な感覚と波長の同調(シンクロ)とが深く関係があるのではないかと考えました。SEXの相手との脳波や波長、感覚などが関係している気がします。相手の肌と肌が触れ合うことで、相手と意識や感覚を同調したいという両者の意識の同調が生まれ、相手が感じている姿やきもちよさという感覚の波動や脳波が相手と同調(シンクロ)し共鳴したときに、おもわぬ興奮や快や感情が盛り上がるのではないかと思いました。
     脳波の研究では、意識状態及び認識能力と脳波が関連していることが判明され、脳は人工的な周波数や相手の脳波に同調させることができ、意識の状態を変えることができるとされています。この現象を脳波同調現象(引込現象)と言われています。
     例えば「あくびがうつる」というのも、同調が関係しているのではないでしょうか。
    「あくびがうつる」ということは心理学では「共感力」と関係しているとされ、他人と共感する能力が前頭葉にあることをAnderson博士が報告しています。ただし乳幼児は人からあくびをうつされるということがなく、自発的にしかあくびをしないことがスコットランドスターリング大学の心理学者らによる研究によって明らかになっています。子供は5歳までの発達の中で、眠いという感覚とあくびという行動を結び付ける学習ができ、前頭葉で共感する能力となり、意識をした人があくびをしているのを見て共感同調しあくびがうつるとされています。
     SEXも同じではないでしょうか。SEXがきもちがよい行為として共感する能力を成長の過程で学び、SEXの相手の感覚と共感し同調することで、共鳴してさらにきもちよくなることで、同調の有無でSEXの相性の善し悪しとされているのではないかと考えました。きっと相性が良いと感じたときの脳波は一致していたら面白いですね!
     操体法でもきもちよさを聞き分け味わっていると、周りにいる方々もきもちよくなってきたり、眠くなってくる方も現れてきます。これも操体法の波動がきもちよさという共感を生み、操者と患者の脳が同調し共鳴することで、快の空間が生まれ周りにいる方々を快で包み込み同調させるのではないでしょうか。
     快のチカラは様々な現象を生みます。操体って面白いですね。
     ありがとうございました。
    東京操体フォーラム in 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛 他

    Sotai Forum in Madridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛 他

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 性の目覚め

    3日目です。今日もよろしくお願いします。
    高校時代にいろいろ経験をすることで、さらに華やかな世界への憧れが生まれました。進路を理学療法士になると決め養成校を選択するときに、安易に大都市にある学校というような決め方で、さらに東京は親戚が多いので知り合いのいない愛知県名古屋市でという決め方でした。欲という意識は無理がきくようで、名古屋に行くために進路決定後は勉強に励み、合格率12倍という難関を突破し名古屋行きを決めました。
    名古屋では、昼間は学校へ通い、夜には有名なディスコに勤務しました。


    田舎にいた僕がいきなりこんな世界に飛び込めたことに今ではビックリですが・・・。
    ディスコでの仕事はもっとビックリでした。華やかな世界でも実際に働いてみると、皿やグラスの洗い物係からスタートです。洗ったグラスに女性の口紅がついていたものなら上司から蹴られたり殴られたり、トイレ掃除など鏡に水滴が残っていれば鏡だけでなくすべての掃除をはじめからといったような徹底ぶりでした。こんな状態ですから辞めていく方も多く、残っていく者だけが華やかな世界とされるダンスフロアへ入ることが許されるという感じです。
    ダンスフロアで勤務すると女性との接点が多いことにビックリします。今回のブログのテーマが「性」ですので、エピソードを紹介したいと思います。(反感をもたれる方もいると思いますが、ひとつの人生経験として許して下さい。)
    ディスコで働く者には名刺が用意されますが、役職があがればあがるほど、名刺を欲しがる女性客がいるのです。ディスコに働く者と知り合いというだけで、ステータスになってしまう時代がありました。僕らは知り合いの女性に対して特別扱いができ、例えばディスコ内では飲食代金の代わりに使うチケットを購入していただきますが、チケットを貰わないでドリンクをだしたり、席も長くても1時間で立ち席に移動していただく所を長い間席を確保することもあり、極めつけに顔パスで入場できる方もという感じです。こんな状態でも不思議と男性客からのクレームはほとんどなく、女性客が集まると必ず男性客も集まります。男性客は高い入場料を払っても集まるということは、女性との出会いに期待しているところもあり、「性」のチカラといったところでしょか。そして営業後はディスコで働く者を待っている女性客や、仲良くなるために様々な計画が女性側にあったようで、女子トイレに掃除にいくといきなりキスをされたりと女性からのお誘いにより毎日のように楽しむという方もいました。こんな状態ですので、感覚は麻痺して愛というものが分からなくなり、頭や快楽で考えるようになっていた自分がいました。(反省しております。)
    欲という者は、性格を変え、感覚を麻痺させ、楽というものに向かい、自分中心の世界を作っていくように感じます。これは自分を様々な環境においてみましたが、欲に意識が向くと自然界という救いに感謝するということはまずなくなってしまうから不思議です。僕はある日を境にして夜の仕事を辞めました。それは実家に帰郷した際に、子供のころ遊んだ山のなかで、自然がきもちがいいと感じたときに自分を見つめ直す時間を得て、「何のために、何を目標に夜の仕事をしているんだっけ」と感じたのです。女性と遊ぶためだけに生き、頑張っているわけでもないのにと思ったとたん、引きとめられる中を夜の仕事から電撃のように辞めてしまいました。自然界とは自分自身と対話できる空間なのでしょうか。
    人生も性も「本当の気持よさ」と「快楽」との狭間で揺れ動き、本当の気持さには感謝が生まれ、快楽には欲や自我が生まれ、どのように自分の意識を環境の中でコントロールしていけるのかが成長に繋がり、性はどのような意識にも繋げられる思考の時空空間のようにも感じます。
    ありがとうございました。

    東京操体フォーラム in 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum in Madridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催されます。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 3S(スリーエス)

     2日目です。よろしくお願いします。
     僕の住んでいる町は2005年に合併して誕生しましたが、それまでは「村」でした。今でこそ、コンビニエンスストアーやスーパーもあり、高速道路のインターも建設中ですが、僕が子供のころは自然しかないような環境でしたから、週刊ジャンプの発売日が月曜日だと火曜日がこちらでの発売日、週刊サンデー・マガジンが水曜日発売日だと木曜日が発売日となるように、マンガ・雑誌の発売日が1日遅れになるくらいです。こんな状況ですから、子供の頃は東京などに出かけた子が、発売日前にマンガ・雑誌を持っていると、その1日はヒーローになったような騒ぎになるのです。(今なら考えられませんね。)
    また近くにはファーストフードのお店もない状況でした。マクドナルドやケンタッキーは車で1時間以上行かないとないのです。岡村実行委員長が子供のころよく食べたというミスタードーナツなど、車で2時間以上いかないとないのでした。ちなみに僕はチキンやハンバーガーをはじめて食べたのは高校生デビューです。いやぁーーー。はじめて食べたとき「こんな食べ物があるのかぁ」と、まさにカルチァーショックでした。
    でも!こんな田舎でも素敵な所もあるのです!もちろん自然もそうですが、田舎は「3S」が充実しているのではないでしょうか。
     「3S」とは・・・。study(勉強)、sports(スポーツ)、sex(性)
     僕の子供のころの田舎の学校では、少人数のクラスですのでみんなで学び、全員がスポーツのクラブ活動に入っていました。ですから進学率も高く、スポーツでも優秀な成績をのこしたり(スケートではオリンピック選手も生まれています)と、勉強・スポーツを村全体で応援してくれる環境でした。のこるもうひとつの「S」ですが、田舎ほど早く結婚して子沢山という家庭が多いような気がします。(あくまで僕の周りではそのような家族が多いということですが真相はどうでしょうか。)これは娯楽施設が少なく、お店が早くに閉まることや、夜は家族団欒という家族が多いということをよく聞きます。家族団欒があるということは、必然的」に夜の夫婦の時間が多くとれるということもあるのではないでしょうか。ちなみに僕の父親は7人兄弟で、母親が8人兄弟、僕の妻の父親はなんと12人兄弟です。この兄弟の多さを聞くと、田舎とSEX皆さんはどう考えますか?
     SEXとは不思議です。SEXという授業があるわけでもなく、先祖代々子孫を残すことをDNAに刻みこまれているかのように、成長とともに学習していきます。今では、性教育という保健の時間があるそうです。女性の生理についても男女一緒に授業を受けると聞きました。(僕の頃は女の子だけ集まって性教育があり、その授業中は男の子は校庭でサッカーをしていました。)また、避妊についてもしっかりと授業があると聞きました。現代の日本の避妊を含め性についての考え方はオープンになって来ているように感じます。最近では世界各国が集まるオリンピックの選手村でも、コンドームが無料配布されたり、自由に持ち帰られるようになっています。(僕も冬季長野オリンピック選手村に勤務したときは、オリンピックマスコットの絵がある(包装のみ)コンドームを沢山いただき、帰宅後に皆にお土産として配ったら大喜びされました。)
    性とは環境や文化の違いでも考え方、捉え方もきっと違うのでしょうね。性と思考について考えるのも面白いですね。
     今日はこのあたりで。ありがとうございました。

    東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛 他

    Sotai Forum in Madridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催されます。三浦寛 他

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 長野県から

     今日から一週間は佐助の担当となります。今回はブログのテーマとして、橋本敬三先生が生涯のテーマとしてという「性(セックス)」をテーマでお付き合いよろしくお願いします。
     僕の住んでいる長野県は教育県とされています。理由を調べてみますと、日本教育史資料によると江戸時代の寺子屋数は長野県、山口県岡山県という順に、長野県が一番多かったようです。
     明治維新以後、農家の養蚕によって作る繭を原料に製糸業が発展し、10代から20代の若き製糸工女の手によって紡がれていました。(工女達は周辺農村部から集められ、粗末な寄宿舎に寝起きして、休みもない状態で1日12時間以上の過酷な労働に従事した様子を、細井和喜蔵の「女工哀史」や山本茂実の「あゝ野麦峠」などの著作で知られ、「あゝ野麦峠」は山本薩夫監督によって、1979年と1982年に映画化され、大きな反響を呼びました。)このときの全国平均の就学率が38.3%だったのに対し、長野県の就学率は54.97%、筑摩県(松本以南)は71.5%という驚異的な数字だったようです。この高就学率と、先進的な自由・文化主義教育で「教育県」となりましたが、「天皇のために○○」と教えていた時代に、長野県では「個の確立」や「自主性」を尊重し、「個性を外にして個人に尊厳はない」との精神で教育が行われて、昭和8年治安維持法違反として社会運動家608人(うち230人が教師)が検挙され壊滅へと追い込まれて行ったのです。ちなみに現在は、学力調査や大学進学率では全国では下位クラスにあるようです。
     長野県の教育県のなごりなのか、性に対して閉鎖的な考え方なのか、風俗に対する規制は全国の中でも厳しいようです。風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律施行条例は、公安委員会風俗営業として許可により営業が出来るものとして、キャバレー、バー、ダンスホール等、女性などが接待し飲食などを提供するもののみで、営業が出来ない性風俗関連特殊営業は個室付浴場業、ソープランドや店舗型フッションヘルス等と、厳しく規制されています。
     この風俗規制のつよい長野県にも、今回のブログのテーマ「性(セックス)」に適した場所があります。それは戸倉上山田温泉という温泉街を一望できる山を登ると、「澳津神社」があります。この澳津神社には大きな石造りの男性と女性のシンボルが御神体としてまつられており、縁結び、子授けにご利益があるそうです。すこし離れた場所からの写真をのせますが、女性が局部の方は開陳している状態であまりにリアルなので、モザイク入れます。(三浦理事長にはありのままで良いと言われましたが、今回はすみません。)

     このような神社がある長野県から今週1週間情報を発信したいと思います。
     ありがとうございました。

  • 曲直瀬道三

    しつこいようですが、先日、春季東京操体フォーラム分科会が終了しました。私たち東京操体フォーラムは年間スケジュールの元に、予定を立てフォーラムを開催しています。
    因みに今年は8月に東京操体フォーラムIn 京都9月は昨年に引き続き、東京操体フォーラムIn Madridそして11月秋季東京操体フォーラムと大きなイベントが控えております。
    そんな中、昨年から初の関西開催ということで、京都でフォーラムが開催されるようになりました、今後は京都に拘らず、北村先生のお膝元でもある奈良とか、素敵な器があれば拘り無く飛んで行きたいと考えています。
    今年、8月に開催予定の京都の大徳寺塔頭 玉林院さんは昨年もお世話になっており、本堂自体が重文襖は狩野探幽狩野派一門による水墨画が描かれています。そんな重要文化財に囲まれた緊張感漂う中でのフォーラム開催となります。
    この玉林院さん、歴史は古く、慶長8年(1603年)に創建され当時は『正琳庵』と名乗っていたようです。その後に『琳(りん)』の字の王と林の部分を分けて、現在の『玉林院』と成ったそうです。
    名前の謂われは御所入りの医師『曲直瀬正琳(まなせしょうりん)』が月岑宗印(げっしん そういん)を開祖として創建し、自身の名前“正琳”をとって名付けたのが謂われだそうです。そして、今回のブログのタイトルになっているのは、「日本医学中興の祖」にして、天下人の主治医として知られる『曲直瀬道三』その人です。
    この“曲直瀬”姓は道三が後陽成天皇から曲直瀬家三代にわたる医学の功を賞して、『今大路(いまおおじ)』の姓をおくられ、道三はそれを切っ掛けに、二番目の孫娘と結婚した門人の正純と、養子玄朔の三女と結婚した門人の正琳とに与えたそうです。
    この『曲直瀬道三』については、書くことが山ほどありそうなので、今日と明日のブログ二日間を使って取り上げたいと思います。
    先ず初日は、余りにも凄すぎる『曲直瀬道三』とはどんな人だったかを、矢数道明(やかずどうめい)氏著の『近世漢方医学史-曲直瀬道三とその学統』(名著出版・1982年)を資料として語ってみたいと思います。
    曲直瀬道三(まなせどうさん)(1507〜1594年)は室町期から安土桃山時代に活躍した医師です。道三が生まれた時代は丁度、応仁の乱から30年後位であり、室町時代、11代将軍、足利義澄(よしずみ)の時代でした。室町後期は既に将軍の賢威も地に落ち、各地の守護たちが大名となり、勢力拡大、各地で群雄割拠の下克上が横行した混乱の時代でもありました。
    そんな時期に道三は永正4年9月18日、京都の下京、柳原で生まれました。道三は後の名で、当時は正盛(まさもり)、又は正慶(まさよし)と名乗りました。道三は生まれた翌日に父親が死去、間もなく母も亡くなったようで、伯母と姉に養育されたようです。
    子供の頃から頭脳明晰、一を聞いて十を知るところがあり、いつも身近に四書(大学・中庸・論語孟子)を置いていたようです。
    そして、道三、八歳の時に江州(現滋賀県)守山の天光寺に入りました。そこで修行を積み1519年8月15日、十三歳の時に京都の相国寺(しょうこくじ)に移りました。
    相国寺京都五山の上位にあり、格式も高く、僧としては出世コースと言えるかもしれません。
    と、ここまで見ると、僧侶になるための修行であり、医学とは無関係のように思われますが、当時、中国から入ってくる最新医学の殆どは、仏教などの経典などと一緒に伝わることが多く、必然的に生と死を扱う僧侶という立場上、『僧医(僧侶で医学の心得のある者)』と言われる立場の人々が医療を施すようになりました。

    しかし、時代は戦国を迎え、戦闘が日常化すると刀による斬傷や槍弓による刺創が激増しました。傷の応急手当や止血の技術も重視され、膏薬の開発も進み、これらに対応した新しいタイプの医者である『金創医(きんそうい)』が外科のはしりとして誕生しました。戦国の救急救命士的役割であり、とかく宗教と繋げる「僧医」と違った、より実践的医学と言えます。
    この『医僧』『金創医』に関しては、私の最近のお気に入り、NHKで絶賛放映中、要潤出演の『タイムスクープハンター』Season1第三話『戦国救急救命士として取り上げられているので、興味がある方はDVDでご覧下さい・・・某国営放送の歴史番組はかくあるべきだと!いう面白い番組ですので、是非、毎週木曜日22:00〜ですのでお勧めです。のだめの脚本家も見て欲しいと(しつこ過ぎますか)・・・

    その中で道三が学び、実践した医学はいわゆる『李朱医学』でした。
    陰陽五行説に裏打ちされた医学で、宇宙は陰と陽の二つの「気」によって成立しているという発想です。李朱医学では人体を小宇宙と考え、陰陽の相互対立が均衡を失うと病気が発生するという理論であり、人体における陰陽の統一や和合をはかるという、現在の漢方医療の基本的考えにもなりました。

    そんな修行を積んだ道三が京都に戻ってきたのは、1545年道三39歳の時でした。当時の京都は安易な医術が横行していました。病人の症状を診て「和剤局方」と機械的に照らし合わせ、合致した部分で薬を処方するといった安易な医療で、道三が行っていた、病気を詳しく明確に診断し、証を正しく弁別して行う『察証弁治』とは、ほど遠かったようです。この辺りは現代医療と似ている部分もあるかもしれません・・・
    その様な環境の中でも、着実に実績を積んできた道三の評判は、たちまち京都中に広がり、1546年には僧侶を辞めて還俗し、医業を専門としました。

    この後からの道三の人生は、まさにサクセス・ストーリーであり、当時の13代将軍、足利義輝を皮切りに、将軍の補佐役・管領職の細川晴元三好長慶、希代の梟雄・松永久秀、この松永弾正との絡みは明日のブログで。
    その後、遂にその名声が天皇にまで届き、道三68歳の時に正親町天皇の脈をとって診察をしました。そして、信長・秀吉・家康と天下人の健康管理までを道三は行うようになりました。

    この道三という人の素晴らしいところは、名誉や金銭ずくで診察をしなかったというところでしょうか。将軍を診る時も一般庶民を診る時も一切、態度を変えなかったそうです。長い日本の歴史の中で、将軍を診ながら、変わらず一般庶民も診続けたのは道三だけだったとも言われています。普通の医者ならば、日本の医者の最高位についたなら、先ず一般庶民は診ないと思います。
    その、一人の権力者だけに与(くみ)すること無い姿勢に『国手(こくしゅ)』(国家の病気まで治す)と称され、自身の健康法により、88歳と長命を得て亡くなりました。

    曲直瀬道三の興した医学は『後世方派(ごせいほうは)』として、江戸時代を通じて漢方医療の一大流派を作り、今日の漢方医学に受け継がれています。

    内容的にかなり端折っていますが、僧籍にあったこともあり、人間的魅力に溢れた医師であり、日常的に命のやり取りをして、高ストレス状態にあった戦国武将達に、今で言う心療内科的役割も果たしていたと思われます。
    実践的で、診立てを重視する姿勢は何だか操体に近い感覚もあり、妙に親近感を覚えます。
    そんな道三の思いを受け継いだ正琳の築いた『玉林院』でのフォーラムは又、感慨深く夏がとても楽しみです、ベープは必需品ですが・・・

    近世漢方医学史―曲直瀬道三とその学統 (1982年)

    近世漢方医学史―曲直瀬道三とその学統 (1982年)

  • 男色(なんしょく)という文化

    『ドドスコスコスコ』って最初は面白かったのですが、最近では少し食傷気味の楽しんご氏ですが、栄枯盛衰、移り変わりの激しい芸能界において、手を替え品を替え様々なキャラが誕生しています。
    そんな中で、時代が変わっても生き続けている?のがオネエ系キャラと言われる人々でしょうか。
    自称ゲイというのを売り物にして、もはやジャンルとしてしっかりと確立された感もあります。何故、このジャンルが存在するのか?と冷静に考えてみると、現代日本においては奇異な存在であり、非日常の中の怖いもの見たさ、等々、色々な理由が挙げられると思います。
    ただ、不思議とゲイの方々は堂々?とテレビに出ていらっしゃるのですが、レズ系の方が余り好まれないのは、生々しすぎて笑えないからでしょうか・・・
    ゲイと言いますか、いわゆる日本における『男色(なんしょく)』の歴史は意外と古く、神代の頃からその記述は見られますし、平安期の女人を遠ざけていた、僧侶、貴族の間で行われ、特に盛んになったのは中世、戦国期に入ってからでしょうか。戦が日常的になり、いつ何時、命を落とすかもしれない精神状態の中で、武将達は『験(げん)』の悪いことを行うのを極端に嫌いました。
    特に当時の武将達は血を嫌い、月のものがある女性を禁忌の対象ともしていました。
    しかし、その一方で極度の緊張状態から来るストレスで、性的興奮は日常的にも極限に達していたとも考えられます。
    これは現代にも生きている話で、特に格闘技の世界では試合前の数週間、或いは数ヶ月前から禁欲生活に入ると言います。『食欲・性欲』を極限まで抑えることで、動物としての本能が活性し、アドレナリン出まくり状態で試合に臨むわけです。ただ、戦国期は毎日が試合のようなものですから、抑え込むばかりでは精神に異常を来してしまいますので、験もよく、共に戦場にある男衆を側においたのは必然だとも言えるかもしれません。

    ですから、今のように『男色』は特殊なジャンルでは無く、ごくごく当たり前に日常の中にあり、作法、或いは嗜みといった感覚だったとも思われます。
    それが証拠に江戸期に入ると、武家だけで無く、一般の町人にも男色が拡がり『陰間茶屋』なる男娼専門の茶屋まで存在した位です。
    話を元に戻しますが、この『男色』の関係性は戦国期に関しては、大将と部下的な図式が一般的であり、いわゆる大将が『タチ』部下が『ネコ』という図式が一般的だったと思われます。逆に言いますと、一番の出世エリートコースが『ネコ』になることであり、職名では『小姓(こしょう)』と呼ばれ、主君の傍にあり、主君の“秘書”的役割を果たしていました。
    ですから、様々な『知識・作法・武芸全般』に至るまで、一流を求められ、単純に見目麗しいから、などと言った軟弱な理由では無く、真のエリートが小姓に選出されたのです。
    有名なところでは織田信長前田利家森成利(蘭(乱)丸)」伊達政宗「只野作十郎勝吉」上杉謙信上杉景虎北条氏秀)」武田信玄「香坂昌忠」などなど、文献に真偽と共に資料として残っているだけでもかなりのものがあります。
    伊達政宗操体ではお馴染みの武将であり、戦国後期を代表する武将でもあるのですが、先に挙げた「只野作十郎勝吉」と正宗公のやり取りは伊達政宗文書2865号として現存しており、詳細を知りたい方は佐藤憲一氏著伊達政宗の手紙」(新潮選書)でもお読み下さい。
    長文な上、トリミングが難しい文章なので敢えて載せませんが、後悔の念と、懺悔の気持ちに身悶えしている正宗の様子とか、自傷行為に及ぶ作十郎を愛おしく思う正宗の心の有り様など、読んでるこっちが小っ恥ずかしくなるほどのパッションを感じますので、マニアの方はどうぞ・・・

    伊達政宗の手紙 (洋泉社MC新書)

    伊達政宗の手紙 (洋泉社MC新書)

    この『男色』一方では衆道(しゅどう)』と言う、単に肉体的な関係のみならず、精神的に強い繋がりを持つものへと発展もして行きました。この”しゅどう”には「主童」「殊道」「主道」の文字を当てる時もあり、『男色実語教』によれば、「主童」12〜14歳の3年間で、男色の若衆を花に例えると蕾の時代
    「殊道」15〜18歳の3年間で、花に例えると盛りの時代「主道」18〜20歳の3年間で、花に例えると散る花の時代にあたると言うそうです。
    諸説あるそうですが、16歳が若衆の春で25歳に達すると陰間としての命は終わりとなるわけです。

    この精神的に強い繋がりを持つというのが、衆道の根源にはあり、“ネコ”の立場である男性は“タチ”の男性がスムーズに事が行われる様に、『張形(はりがた)』等を使い、肛門を拡張したりと、苦痛を耐え忍んで相手に快楽を提供する立場にあり、一方で“タチ”の男性は快楽を感受して“タチ”の苦痛を察し取り、その責任感を強く持つことで、二人の関係は強く結びつき昇華されるといった、遊びのレベルを逸脱した、『念契』と言った契り契約をも結んだ関係にまで成っていったようです。
    昨日のブログでも書きましたように、浮世絵にも男色専門物もたくさんあり、それ以外のジャンルの有名どころでは、武家社会の衆道咄、歌舞伎若衆達の内情を暴露した井原西鶴の『男色大鑑』や、十返舎一九東海道中膝栗毛も喜多さんは元々弥次さん馴染みの陰間だったりと、江戸文化と男色は様々に絡み合っていたのです。

    まぁ、色々と『男色』について語ってみたのですが、今巷に溢れている”Boys Love”的温いものでは無く、文武両道の逞しき若者を傍において、帝王学を伝授しながら、明日をも知れぬ命を互いに愛情と共に育んだのだと思います。
    ですから、今の「ドドスコ」を信長や政宗が見れば、「何だ!この軟弱者!」と言われ、ソッコーその場で手打ちになると思います・・・くわばらくわばら

    東海道中膝栗毛 (21世紀版・少年少女古典文学館)

    東海道中膝栗毛 (21世紀版・少年少女古典文学館)

    男色大鑑 (決定版 対訳西鶴全集)

    男色大鑑 (決定版 対訳西鶴全集)

  • 世界に誇る日本の浮世絵

    江戸時代の日本は鎖国をしていた関係上、一部の国を除いては国同士の交流が殆ど無く、日本独自の様々な文化を昇華させて来ました。
    特に芸術面で目覚ましいモノがあり、その中でも私が個人的に好きなのが『浮世絵』です。
    基本、版画は大量生産なので、今で言うと東スポ的ポジションだったり、“るるぶ”だったりと、非常に多岐、多種にわたり版元により創られていました。
    今回はその浮世絵の側面でもある春画について語ってみたいと思います。春画に関しては以前のブログでも話したことがあるのですが、元々は中国に起源があるようで、漢の時代とも殷の時代とも言われているようで、日本には平安時代の頃に中国から渡来してきたようです。
    当時は偃息図(おそくず)と言って、医術のための説明図だったようです。それが日本でアレンジされて戦国時代には何故か、魔除けとしても使われたようです。
    本格的に春画が広まっていったのはやはり、江戸期に入ってからのようです。代表的作者としては浮世絵の始祖としても知られている、菱川師宣(ひしかわものろぶ)であり、その他にも喜多川歌麿、歌川豊国、葛飾北斎などなど、メジャー処の絵師達の殆どが春画を手掛けているのです。
     では春画の使い道なのですが、色々とありますが、主には・・・

    1. 夫婦、恋人間でより高い性の快を追求したり、未体験の体位に挑戦するテキストとして用いた
    2. 性教育や自慰行為の補助
    3. 大名・旗本の息女達の嫁入り前の性教育教科書、嫁入り道具

    などなどと利用法は色々あったようです。現代で言われる、ややアブノーマルチックなプレイの絵も、しっかりとあって、『男一人の女性二人の3P』や逆の『男性二人の女性一人』パターンとか、肛交プレイや獣姦・屍姦などなど、おおよそブログでは言えない物も含め、多種な春画が存在し、江戸の人々は『快』に対して非常に大らかに楽しんでいたのが絵からは伝わってきます。

    特にの役割は大きく、前回のブログにも書いたのですが、戦国期の大名家の婦女子は、某国営放送(しつこいっすか?)で、のだめが演じてるような温い婦女子など存在していないのです!
    しっかりと自分のお家の立場や、自分の立場も踏まえた上で、嫁ぎ先の旦那様を自家に有利なようにコントロール出来るよう、鍛えた極上テクニックでメロメロにしたとも言われています。とかく今のテレビの脚本と言えば、女性は政争の具にされて悲劇的だった、みたいな描き方しかされませんが、当時の女性はそんなヤワな存在では無く、しっかりとした野望と目的を持った『超ポジティヴ・シンキング』肉食系女子だったように思います。
    現代の感覚で時代を語るな!の法則はここでも生きているのですねぇ・・・
    春画って何?って方は是非、一度ご覧頂けたらと思います。Webでググっても発見出来ますし、本も多数、発売されていますので捜して見るのも面白いと思います。その時代一流の絵師達が描いているだけあって、洒落っ気があって、エロティックでクスッと笑えること請け合いです。浮世絵だけあって、畠山先生も書かれていましたが、パーツがかなり誇張して書いてありますが、妙にリアルで毛の一本一本まで、版画でこんなに詳細に表現出来るんだと、絵師と彫り師の技術に改めて驚嘆します。
    但し、残念なことは日本国内における春画の評価が非常に低いことです。逆にあれだけキリスト教による性に対しての抑圧のある海外においては非常に春画に対しての評価が高いのです。
    ヨーロッパでは1990年頃から春画の展示会が開催されていたのですが、スポットを浴びる切っ掛けとなったのが、浮世絵研究家の白倉敬彦氏曰く、1995年に大英博物館で開催された『喜多川歌麿展』だったとのことです。
    この展示会において、通常の浮世絵と一緒に、歌麿春画の一部が展示されました。由緒ある博物館で春画が取り上げられたことで話題を呼び、カタログがあっという間に完売し、増刷を行ったようです。
    その後も2002年にフィンランドヘルシンキで大々的に春画展が開催、遂に2008年にはニューヨークで開催され、ヨーロッパ以外でも春画の芸術性が認められることとなりました。

    更に2009年、スペインのピカソ美術館では「Secret Images」と題された企画展で、ピカソが個人的に所蔵していた春画と、これらの春画に影響を受けて制作されたとみられるピカソの作品が同時に展示されました。
    この企画展は世界中で大反響となり、その年のヨーロッパで開催された最も優れた企画展として賞を得たそうです。
    これだけ海外で評価の高い、春画が何故!日本国内では下品だとか、教育上良くないなどの評価を受けているのかが、本当に不思議でしょーがないです!!一枚一枚の絵から浮かび上がるのは、『生』に対しての本当に生き生きとした素晴らしい表情です。
    ただ単純に絵柄を見て醜美を語るようなPTAのおばちゃん連中の浅い見識では無く、その絵から発せられる、自由闊達なパワーを目で見て、皮膚で感じてもらえれば、当時の人達の息づかいと、作品から放たれるエネルギーは、時代が過ぎても衰えること無く、見るものの、心と本能を擽る素晴らしいものです。
    あ、最後に立命館大学アート・リサーチセンターの創立10周年記念の企画として、第1回春画プロジェクトとしてネット上で『春画』が見られるようになっていますので、興味がある方はそちらもご覧下さい、URL:http://www.dh-jac.net/db12/shunga/index.html当時の人達の『生と性』を感じてみて下さい。

    春画 江戸の絵師四十八人 (別冊太陽)

    春画 江戸の絵師四十八人 (別冊太陽)