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  •  くだらないかもしれない話 おまけ

    あるとき患者さんが言いました。

    「せんせ〜、こないだ婦人科で久しぶりにご開帳しちゃったわよ〜、ぐふふ」

    「え〜、そりゃ何となくめでたいじゃないですか〜、ぐふふ」

    あるとき某友人が言いました。

    「朝起きたらチ○コから膿がでてんだよ〜、まいったヨ〜」

    「ぷっ・・・そりゃツライですなぁ・・・ぷぷぷ」

    オトコとオンナがいるかぎりイロゴトに関する話題はつきませんネ。

    大抵は面白おかしい話ですが、楽しんだ後にはその報いがくることもあるようです。

    橋本先生は「救い」と「報い」に対するはっきりとした自覚から、俄然のん気になり、

    すっかりルーズになり、女郎買いやら道楽やらを平気でやれるようになったと、

    「からだの設計にミスはない」の中で書かれております。

    「救い」と「報い」のはっきりとした自覚がなくても、

    そういった遊びをするようなヒトもおりますが(えっ、誰のこと?)、

    そういった飾り気のない一文を残してくれるところが橋本先生の大いなる魅力だとワタシは思っております。

    でもその後に・・・

    「それがまぁ、女房を苦しめたなんていうことになりゃ、何ともシマらない話だけどもね」

    ・・・ははぁ、やはりそうなんですか。

    全く何から何までありがたい教えです。これは一生勉強しなければなりませんナ。

    と、いうことで一週間ありがとうございました。

    来週の担当は経験豊富なハマの二枚目、西田さんです。

    おわり

    中谷之美

  •  くだらないかもしれない話 その6

    2011東京操体フォーラム分科会も無事に終えることができました。

    一緒に学ばせていただいた皆さま、本当にありがとうございました。

    今回は参加できなかった操体人の皆さま、

    夏には京都がありますし、秋にもまたフォーラムがありますからね〜。

    さて、今回のブログのテーマの「せっくす」ですが、

    フォーラムからの帰りの電車の中で「せっくす」について想いを巡らせてみました。

    (これは非常に危ないオッサンか!?)

    「せっくす」の記憶ってどこに残るんですかネ?

    頭でしょうか?からだでしょうか?

    まぁどっちでもいいんですが、何となくからだのほうがイイ感じがします。

    操体でいう気持ちのよさは頭でなくからだにききわけてとしています。

    頭で考えた気持ちのよさと、からだにききわけた気持ちのよさは違うということなんでしょう。

    「せっくす」のときの気持ちのよさって、

    どこが気持ちいいのかイチイチ探したり、見つけたりしませんよネ。

    理屈じゃなく気持ちがいい。

    操体でいう気持ちのよさも、頭で考えて探したり、見つけたりするもんじゃないんです。

    ただ「せっくす」のような刺激じゃないぶん、最初はちょっとききわけにくいだけ。

    からだにききわけることがわかれば、

    気持ちがいいってことがホントにありがたいなぁって、きっと感じると思います。

    そして、ありがたいってことがわかると、からだは自然に元へ戻るんです。

    ワタシは操体の臨床って、そんなことだと思っております。

    一応つづく

    中谷之美

  •  くだらないかもしれない話 その5

    明日はいよいよ東京操体フォーラム分科会の開催日です。

    当日参加もOKですので、操体にピン!ときたらぜひ津田ホールまでおいで下さい。

    特別セミナーとして(株)ドリーミュージック 取締役エグゼクティブプロデューサーである、

    新田和長氏をお迎えするなど今回も盛りだくさんの内容となっております。

    実行委員の方々はそれぞれ「息」「食」「動」「想」に関連した内容を発表されるのですが、

    橋本先生はこの中(同時相関相補連動性)に「性」を入れてもよいと書かれております。

    自然法則を説く操体の考えの中で、「性」について何を学べばよいのでしょう?

    まさか四十八手についての研究をしろというわけでもないでしょうし・・・。

    (それはそれでかなり楽しいかもしれない、ウホ)

    でも、ヒトほど手間のかかる「せっくす」をする動物はいないのではないでしょうか?

    繁殖だけを目的とする動物には、きっと特別な段取りはないですよネ。

    (いや、彼らしか知らない特別なテクニックがあるのかもしれませんが・・・教えてほしい)

    ヒトはお互いのからだを愛撫し、言葉をささやき、体位のバリエーションまである。

    何だかありがたいことです。

    サケなんてひたすら頑張って川を上って、最後の務めとして射精したら終わりです。

    橋本先生が「せっくす」を生涯のテーマにしようと書かれたことには、

    もしかしたら何か深い意味のあることなのかもしれません。

    では皆さま、明日お会いできることを楽しみにしておりま〜す。

    つづく

    中谷之美

  •  くだらないかもしれない話 その4

    某友人がキ○タ○を鍛えたから子宝に恵まれたのかどうかはわかりませんが、

    いい道具があれば、いい仕事ができるということには、一理あるかもしれませんネ。

    でも、道具さえよければ全てよしでは、それはただのモノとモノ、

    ただの肉と肉の交流のような感じがしないでもありません。

    「せっくす」ってのはからだそのものが感じて応じる感応の世界であり、

    視る、聴く、嗅ぐ、味わう、そして触れるという五感をフル活用した、

    からだとからだ、心と心のコミュニケーションみたいなものですからネ。

    関係ないですが、ワタシなどは女性のイイ匂いを嗅ぐとフラフラ〜とついていっちゃいそうになりますヨ。

    (同じ現象がウナギ屋さんとやきとり屋さんの前でも起こります)

    そばに寄ったときにフワッとイイ匂いがしたときなんかには、もうその日は一日ハッピーです。

    まぁ、そんなことはどうでもいいんですが、

    とにかくキ○タ○鍛えて突撃ラッパ鳴らすだけでは、ちょっと味気ないものです。

    「せっくす」ってお互いが対等の立場で、「よいでござるか」「よいでございますわん」という、

    心とからだを通した対話があればこそ、本当にお腹いっぱいの充実感が得られるんじゃないですかねぇ。

    これは操体の臨床も同じですネ。

    操体だって「せっくす」と同じ感応の世界であり、一方通行ではダメなんです。

    お互いが心を開いてからだを感じ合い、気持ちのよさの交流をしながら、それを十分に味わっていく。

    う〜ん、何かスバラシイなぁ。

    気持ちがいいってことはきっと神サマがくれたご褒美ですから、

    からだそのもので大いに感じて、十分味わいながら生きていきたいものですネ。

    つづく

    中谷之美

  •  くだらないかもしれない話 その3

    ワタシのオヤジさんは冗談半分で言ったのかもしれませんが、

    キ○タ○(棒を含む)を鍛える方法は実際にいろいろとあるようです。

    でも、バシバシ叩いたり、気合で何かをぶら下げたりするのは、ちょっと気が進みませんよねぇ。

    何か痛そうだし。ワタシ痛いのはニガテです。だから操体哲学が好きなんです。

    以前の操体フォーラムで睾丸マッサージについて発表された伝説の実行委員がおりましたが、

    やはり「コリ」はやさしくもみほぐしてもらったほうが気持ちいいですしネ。

    (う〜む、ますます話がおかしな方向に進んできたような気が・・・まぁいいか)

    オヤジさんの話を一緒に聞いた性春男子のメンバーがワタシに言いました。

    「オウ!あれからキ○タ○(この場合正しくは棒)やってみたよ」。

    「え゛!マジ(・・・オマエやっぱりアホだな)」

    「叩くのは最初ためらったけど、案外いけるもんだぜ!」

    「あぁ、そう(・・・ナンダヨいけるって)」

    「それで何かさ〜、水をかけるとシャキ〜ンとするんだヨ」

    「へェ〜、どのへんがシャキ〜ンとするんだ?」

    「いや、どのへんってわけじゃなくて、こんな感じなんだヨ」

    と、口をすぼめながら背筋を反らすマネをする某友人。

    かなりアホ面です。

    「今度は天日に干さなくちゃ」

    「どこで干すかな。どっかの屋上がいいかナ」

    「公園じゃ捕まりそうだしなぁ〜」

    と、怪しい妄想にふける某友人。

    「砂浜に行って潜水艦みたいにキ○タ○だけ出しときゃいいじゃん」

    「あっ、それいいかも。でも、砂が入って痛くねぇかな、ぎゃはは〜」

    などとバカな話をしていた某友人は、若くして三人の子持ちになりました。

    やっぱりあれからバシバシと叩いて鍛え続けたのでしょうか?

    醤油まで塗ったかどうかは定かではありませんケド。

    つづく

    中谷之美

  •  くだらないかもしれない話 その2

    ほかの類人猿と比べると、ヒトの陰茎は大きいのだそうです。

    ヒトの陰茎は10〜15cmくらいらしいのですが、

    チンパンジーさんは8cmくらい、ゴリラさんは3cmくらいなのだそうです。

    (いやぁ、ゴリラさんより大きいなんて自信がついちゃうなぁ、ウホウホ)

    ヒトの陰茎が巨大化したのは、女性の進化に対応した結果だともいわれているそうですが、

    女性が「せっくす」に快感を求めるようになった以上、

    オトコはやはり、「強いキ○タ○ → 男らしさの象徴 → 女の子にモテモテ」

    というアホで単純な妄想を持ってしまうものでございます。

    単純な妄想は性春時代ならば尚更です。

    オヤジさんの一言に、性春男子達の頭の毛がゲゲゲの鬼太郎のようにピンと立ち上がりました。

    妖怪アンテナならぬ性春アンテナが過敏に反応しております。

    「ど、ど、ど、どうすんスか?」

    「風呂に入った時にナ、湯船のふちにキ○タ○(この場合正しくは棒)を乗っけんだ」

    「ふんふん」

    「そしたらナ、濡らした手拭いをしぼって上から叩くんだヨ」
    「え゛っ!叩くんスか?」

    「オウ!そうだ。それをお湯と水を交互にかけながらバシバシやるんだ」

    「おおっ!」

    「そんで風呂場で叩いたらナ、今度はキ○タ○を天日に干すんだ」

    「うぉ!太陽光線スね」

    「そうだ。仕上げはそこに刷毛で醤油を塗るんだナ。そしたらイイ色艶になるぞぉ」

    「ぎゃはは、すげぇ〜」

    「・・・アホかいな。イカやトウモロコシじゃあるまいし醤油なんか塗れるかい」

    と、ワタシが思った後日のこと・・・

    つづく

    中谷之美

  •  くだらないかもしれない話 その1

    本日も東京操体フォーラム実行委員ブログをご覧いただきありがとうございます。

    今週は実行委員の未熟なヒヨコちゃんこと中谷の担当です。

    一週間よろしくお願い致します。

    今年の正月に実行委員ブログを書いたと思ったら、

    あっという間にまた順番がきてしまいました。

    その間には日本中を震撼させるような出来事も起こっております。

    これから日本が明るい未来へ向かっていくことを心から願っております。

    そして、今週はいよいよ東京操体フォーラム分科会が開催されます。

    全宇宙の操体人の皆さま、29日(金)は津田ホールに全員集合して下さいね〜。

    ところで今回のブログのお題目は「せっくす(性)」についてです。

    さすがに実行委員の皆さまは深〜い内容の文章を書かれておりますが、

    今週の担当は「せっくす」と聞いたらニヤ〜とするしかないヒヨコちゃんです。

    きっとそれなりの内容になると思いますので、それなりに読んでやって下さい(笑)。

    さてさて、ワタシも今となってはバッテリーの容量も少し怪しくなってきておりますが、

    性春時代ならば誰でもバッテリーは常時フル充電のフル満タン、

    頭の中はもう「せっくす」がぐるんぐるんと大回転状態でした・・・よね?

    (みんなそうだと信じたい)

    そんな性春時代のある日、性春男子数人がワタシの家へ集まりました。

    そこにはワタシのオヤジさんもいました。

    ワタシのオヤジさんはなかなか気さくな人で、

    近所の子供や若者を見かけては「オウ!」と気軽に声をかけたり、

    ワタシや妹の友人が「おじさ〜ん」と遊びにきたり(ワタシや妹が留守でも)、

    「このオッサン誰ですか?」というような人が上がりこんで普通に馴染んでいたり、

    というようなことがよくありました。

    (三浦先生とご一緒させていただくと、ちょっとウチのオヤジさんとダブらせてしまうところがあります)

    そんなオヤジさんが性春男子達に向かって言いました。

    「オイ、キ○タ○の鍛え方知ってるか?」

    「え゛ぇ!?」

    つづく

    中谷之美

  • 男らしく?

    男らしく、女らしくという言葉、最近はあまり聞かなくなってきましたね。
    差別を感じさせる可能性のある言葉だから使いづらくなっているらしいです。
    個人的にはそんな悪い言葉とは思わないですけどね。

    もともとは、男の子は女の子より気が小さく、優しいため、強くさせるために男らしくしなさいと子どもの頃から教え、逆に女の子は気が強いので、ちょっと抑えるように女らしくしなさいと言われ続けたとか・・・

    かけっこで順位をつけないために手をつないでゴールするとかのように過剰になって欲しくないものですが、難しい世の中ですね。
    自分たちが小さい頃は、普通に言われてましたが、そういうふうに育って欲しいと願ってのことなのですよね。
    はたして男らしく育っていたかはわかりません。

    そういえば、幼稚園の頃、スカートを履いてみようとしたことがありした。好奇心からなのですが、幼稚園から帰ってきた後だったか、うちで着替えている時に、ちょうど姉のスカートが置いてあり、どんなもんだろうと手に取りました。試しに履こうとして足を入れた瞬間に幼馴染が入ってきて目があってしまいました。爆笑され未遂には終わりましたが、そっちの道に入らずにすみました。
    現在でも、女性雑誌や少女漫画なども抵抗なく読めますし、特にそいうのは気にはしていません。
    男性には男性のよさがあり、女性には女性のよさがあると思うのですが、時代によって変わってくるものなのでしょうか。

    私は、なぜ男性と女性が全く同じであり、男女の間の素晴らしい違いを否定する人たちがいるのか理解できません。神からの賜物はすべて良きものですが、みな同じではありません。

    女性の愛が神の愛の一つのかたちであり、男性の愛も、もう一つの神の愛のかたちであるためです。男性も女性も違った方法で愛を表現するように造られており、男女がそれによってお互いを完成させ、一緒に神の愛を完全に表すのです。これは、どちらか一方だけではできないことです。

    子どもは家族への神の最大の贈り物であり、母親、父親の両方を必要としています。なぜなら、父親は父親らしく、母親は母親らしいやり方で神の愛を体現して見せてくれるからです。ともに祈る家庭はお互いに離れていくことはありません。

    マザー・テレサ

    辻知喜

  • 地図が読めない?

    随分前のことになると思うが、話を聞かない男、地図を読めない女という本が話題になった。
    内容は細かく覚えていないが、男女の脳による違いを解説してあった。

    現在、出張にて操体の施術をさせていただいているが、当初困ったのは、よく迷うという事だった。
    もちろん、何度も行くようなところは大丈夫だが、初めて行く場所では、迷う確率が高い。
    もしかしたら自分は地図が読めない男なのではなかろうか、などと思ったりしたものだ。
    今まで地図で不便を感じたことはないし、方向感覚がないわけではないので特に気にしたことはなかったのだが。

    駅から目的地に行く場合、起点から方角が判明していて、主要道路と目印が豊富にある為に道順なども理解しやすい。
    が、住宅街に入ると途端にわかりづらくなる。

    一方で、「地図を読む能力」に関しては男性も女性も大きな差はないとの話もある。これも慣れなのだろうか。他の方の意見も聞いてみたいところだ。

    辻知喜

  • 触れる

    操体法東京研究会では、毎年、定期講習が行われています。設立から多くの人々が操体を学び、現在操体臨床に携わる方は大抵ここの出身者です。
    いつからか、受講生の間では、修行中は恋人はつくらないというのが暗黙の了解になっています。
    当時より、先輩たちの口から何度も耳にし、実際に九州のとある先生などは今でもネタにされるようです。
    三浦先生から直接言われたことは無かったような気もしますが、ある時それについてひとこと、「勉強より彼女のほうがいいに決まってんだろ」とのことでした。先生自身も、橋本先生の内弟子に入った当時、奥様と約束をしていたと聞いたことがあります。そのあたりの事情からの伝統なのでしょうね。
    余所見をせずに集中して学ぶ期間は貴重です。

    逆に以前の職場では、教育係の立場にいたりした時期もあり、施術を受ける機会が多かったですが、時に、「彼女つくった方がいいよ」とアドバイスをした記憶があります。最初の触れ方で、施術者の力量は相手に伝わってしまうものですよね。
    それが雑だったり、ぎこちなかったりすると、まずいことになります。

    操体を学ぶ前、この業界に入ったばかりの頃は、一緒に住んでいる相手がいたので、毎日練習していたものですが。家族でもいいのかも知れませんが、ちょっと違う気がします。

    初めて東京操体フォーラムに一般で参加した時は、実技体験のあった回でした。
    第二分析の介助をやっていましたが、皮膚を介して触れているんだという事が強く印象に残りました。

    恋人に触れる時のように、あるいは赤ん坊に触れる時のように、丁寧過ぎるくらい丁寧でもいいくらいです。
    根本的には同じなんじゃないかと思います。

    辻知喜