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  • ルイス・フロイスの見た日本

    福田と言えば歴史ということで、懲りもせず、今回も『性』の歴史を色々な解釈で最終日まで紐解いてみたいと思います。
    タイトルにもなっておりますが、皆さんはルイス・フロイスなる人物をご存じでしょうか?ちょっと歴史に詳しく、尚且つ信長好きな方にはお馴染みの人物です。簡単にプロフィールを紹介しますと、ルイス・フロイス(1532〜1597年)ポルトガル出身のカトリック司祭、イエズス会所属の宣教師です。

    当時、堕落した仏教界への不満と外国の技術力に興味を持っていた信長が、キリスト教の布教に苦心していたフロイスとの利害関係が一致したことで、信長・秀吉といった両天下人の元で過ごすことが出来ました。

    戦国期当時、日本各地での見聞を示した資料として10年以上に渉って書き上げられたのが『日本史』です。
    この『日本史』は戦国期の資料として、とても貴重であり、信長の生涯を右筆の太田牛一が描いた信長公記にも見られない記述があるなど、身内では無い客観的外部の見方として一級資料と言っても過言ではありません。
    信長の声が甲高いとか、身体的特徴も含めた信長像は、この“日本史”に書かれている内容から考えられている部分も多く、そういう意味では我々の描く信長像はフロイスによって創られたと言っても間違いではないでしょう。

    話を元に戻しますと、この日本史の面白いところは、只単に権力者だけを書いたのではなく、一般庶民の生活にまでスポットを当てているところです。
    このフロイスの『日本史』から、当時の世相、風俗を読み解いてみたいと思います。
    『日本史』の記述の中で一番ビックリしたのは、当時の日本女性に対しての記述でした。
    戦国時代の女性と言えば、只今絶賛放送中、某国営放送のだめカンタービレでGO!』ですが、余りにも酷すぎて本当のタイトルを忘れてしまったのですが、現代人の感覚で脚本を書いてしまうと、こうなってしまうのかという典型的なドラマだと思いました。もはや私は見ていないので、今後どうなるのかは分かりませんが、もはや『ファンタジー大河コメディ・トレンディドラマ』と命名したいです。

    話し戻しますが、戦国当時の女性達はどうやら現代の私たちが描いている戦国女性の感じとは大きく違っていたようです。以下、フロイス『日本史』の記述から幾らか抜粋しております。
    書き方としてはヨーロッパの女性と比較しつつ書かれています。

    (貞操感)
    『ヨーロッパでは未婚の女性の栄誉と貴さは、貞操であり、又、その純潔が犯されない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても、名誉も失わなければ、結婚も出来る。』

    この“貞操観念”って概念が殊更に言われるようになったのは日本では明治に入ってからですし、恐らくは鎖国が解けて、先に言ったヨーロッパのキリスト教からの、貞操観念が大きく影響していると思われます。
    今ではほぼ死語になりつつある、『処女性』に関しても、江戸時代などに残る記述にも、現代のギャル(死語か?)も真っ青の記述が見られます。未通女(処女)(ていらず)の味は良くない、逆に迷惑である、とかなどなど・・・
    女性側にしても、性行為に不慣れな男性による初体験は快感どころか破瓜(はか/処女喪失)による痛み、出血、痙攣などの可能性もあるということで、初夜には経験豊富な男性(その多くは仲人)と性行為をしてしまって、破瓜を済ませてから、旦那様になる男性といたす、という習慣も実際に存在していました。いわゆる初夜権のことですねぇ。日本では初夜権などといった言い方はしていないと思いますが、女性も暗黙の内に了承し行っていたようです。

    これはヨーロッパにもあって、西欧では初夜権は領主や司祭にあって、この辺の話は映画などでも多く取り上げられており、割愛しますが、日欧共通なのは、代理でいたすベテランさん達の『中出し厳禁』ってルールでしょうか。
    あくまでも目的は破瓜による痛みを無くすことなので、ベテランのおじ様に開通して戴いて、尚且つ“接して漏らさず”といった、私には不可能な任務な訳です。
    現代人の感覚で聞くと結構目が点ですが、当時は当たり前だったということです。だから最近の時代劇で言っているような、操を守ってなどということは作り事に近いと言えるかもしれません。

    フロイスの記述を後、幾つか挙げます。
    (外出時)
    『ヨーロッパでは夫が前、妻が後ろになって歩く。日本では夫が後ろ、妻が前を歩く。』旦那の後ろを静々と歩くのでは無いようです・・・
    (財産)
    『ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有である。日本では各人が自分の分を所有している。時には妻が夫に高利で貸し付ける。』何だか身に詰まされます・・・
    (離婚について)
    『ヨーロッパでは妻を離別することは最大の不名誉である。日本では意のままにいつでも離別する。妻はそのことによって、名誉も失わないし、又結婚もできる。』
    (離婚について2)
    『ヨーロッパでは夫が妻を離別するのが普通である。日本ではしばしば妻が夫を離別する。』

    (娘の外出)
    『ヨーロッパでは娘や処女を閉じこめておく事は極めて大事なことで厳格に行われる。日本では娘たちは両親に断りもしないで一日でも数日でも、一人で好きなところへ出かける。』
    (妻の外出)
    『ヨーロッパでは妻は夫の許可がなくては、家から外へでない。日本の女性は夫に知らせず、好きなところに行く自由を持っている。』
    (女性の飲酒)
    『ヨーロッパでは女性が葡萄酒を飲む事は礼を失するものと考えられている。日本ではそれはごく普通の事で祭りの時にはしばしば酔っ払うまで飲む。』
     
    まぁ、多少、誇張したり、キリスト教の素晴らしさを誇示するのと、日本という東洋のチッポケなモラルの低い島国で布教をしているというのを、本部にアピールしたかったという、部分もあったかもしれませんので、全てを鵜呑みには出来ませんが、日本でも同様の記述が見られるので、ほぼ内容的に間違い無いのではと思われます。

    このフロイス『日本史』を見ると、後生の作家が日本の女性は命を絶っても操を守り通す!などと書いたのは、非常にヨーロッパ的表現であり、実はもっと男性と同じような感覚で、矢弾尽き、うてる手はこれ以上無いと、旦那と共に最後まで戦い、これ以上生き延びてもと、自らの命を絶っていたのかもしれません。
    カンタービレ、のだめの様に春画を見て失神するようなヤワな戦国女など当時は存在せず、もっとしたたかに、そして『自分の意思を持って』戦国の世を超ポジティヴに生きていたと思われます。

  • KISS

    私たちは昨年、東京操体フォーラムIn Madridで初の海外セミナーを行いました。個人的に海外は何度か経験していましたので特に文化の違いなどでビックリするようなことは無かったのですが、その中で唯一、サプライズ的にビックリしたのが、全てのプログラムを終了し、受講証の授与を行っていた時でした。参加者の女性の方が、握手の代わりに顔をスッと目の前に出して来たのです。
    これは頬と頬を合わす挨拶のようですが、中には分からず唇を出したのも居ました・・
    どうやらラテン系スペイン・イタリア・ブラジル圏では相手の左頬に行って次に右頬と左右に行くようですし、アメリカなどは左頬だけの様です。
    私なんぞは慣れていないので、相手も女性ですしソフトに行くと、結構『ガチン!』と音がする位の勢いで来られるので、艶っぽい状況も無く、拳と拳を合わす位の挨拶に感じました。
    挨拶だけでも国が違うとまぁ、色々あるもんだと感心したのを思い出しました。
     歴史的にも日本人は挨拶として『キス』をする習慣は無かったようですが、昨今は電車の中や公衆の面前でも平気でキスをする輩が増えて、私のようなオッサン連中は『家でやれ!』とか思いつつ、苦々しくその様子を見たりしています。この公衆の面前でディープなキスだけは何度見ても羨ましいとは絶対に思いませんねぇ・・・
    古来から日本では『接吻、口吸い、口舐(ねぶ)り』など言葉が示すように唇のみへのキスが行われていたようです。
    そもそも『キス』の語源はゴート語の『キュストゥス』(味わうの意)から来ているようです。フランス語の『ベーゼ』ラテン語「バシオ」(口を開くの意)から、日本語は「合吻」「口吻」「吸唇」などを経て尾崎紅葉森鴎外二葉亭四迷など明治の文豪らが「接吻」を使い始め、一般的に「接吻」が定着したのではというのが有力な説だそうです。
    更に遡り、西沢爽『雑学艶学』によると、日本の文書にキスの記事が初めて登場したのは紀貫之土佐日記だったようです。
    それには『押鮎の頭をしゃぶっていると、男と女が口を吸う様子に似てる。押鮎に心があれば、私は吸われていると思うに違いない。それにしても、早く都に帰って京女たちの口を吸いたいものだ』という意味のことが書かれているようです。紀貫之の『ボーッと』している姿を想像すると何だか滑稽ですが、土佐日記は成立が935年(承平5年)と言いますので、千年以上前から愛の行為として日本でもキスが行われていたと言えるようです。
     『最近いつキスしましたか?』と問われて、即答出来る方と、思わず眼球が上方を向く方といると思いますが、どうでしょうか?
    残念ながら私は後者の方に成りつつあります・・・
    「The Science of Kissing(邦題:キスの科学)」の著者であるシェリル・カシンバーム氏は著書の中で、ラトガーズ大学人類学者ヘレン・フィッシャー博士の研究内容を紹介し、「キスは人間にとって重要な三つのニーズを満たすために行われる行為」と説明しています。
    一つ目は性衝動、二つ目はロマンス、最後が愛情だそうです。この三つが満たされることにより、人はパートナーと寄り添い愛し合うことができるとのことです。キスは、ふたりの関係を育むのにとても重要な役割を果たすと、カシンバーム氏は説明しています。
     しかし、その一方で、オールバニー大学心理学者ゴードン・ギャラップ博士の研究によると、59%の男性と66%の女性が、キスに関しての不具合によって恋愛関係を築けなかったと証言しているそうです。
    私たちはキスによって、相手のDNAや生殖状態を探り、自分に合うパートナーを選別しているようです。キスでうまくいかなかったということは、すなわち生物学的に相性が合わなかったということなのです。
     私自身、この内容には非常に頷ける部分があり、未だ若かりし頃、とある女性と事に及ぼうとした時、キスをした瞬間に失礼な話なのですが、もどしそうになったことがありました。お酒を飲んでリバースした経験が無い私にとっては衝撃的な経験で、「君とのことはもっと大切にしたいから(汗)」などと誤魔化した記憶があります・・・当然、その後別れました。。。
     男性と女性ではKissの意味合いが多少違うようで、女性は自分と異なる遺伝暗号免疫系を持つ男性の『匂い』に強く引き寄せられるのだそうです。異なる遺伝子の結合は非常に生命力が強いそうで、本能的に女性はキスの最中に鼻を効かせオスの遺伝子情報をスキャニングしているのです。
    一方、男性はどちらかと言えば、性的手段を得るためにキスをするようです。男性の唾液中には、テストステロンというホルモンが少量含まれており、これが女性の口に入ると、テストステロン濃度が上昇。女性の感受性や性欲が高まるのです。ですから男性にとってキスをすることが、性的関係を持つことに結び付きやすくなるのです。
    ですから、アホな男性はキスしたから最後までOK!などと単純に考え、ほくそ笑んだりしていても、実はそれよりも早いスピードで女性に識別され、善し悪しを判断されてしまっているのです。
    キスまで行ったのにそれ以上進もうとしたら拒まれたという経験を持つ男性諸氏は一次審査で落選したと考えなければならないのです。たかがキスされどキス・・・今日は飲みたい気分です・・・

  • 性の目覚めと俺の空

    今週一週間、ブログ担当の出雲之国住人、福田です。今回も宜しくお願い致します。
    今クールは人にとって大切な『性』について考えよう!というのが大きなテーマになっています。生きる上の根源的テーマであり、奥の深い部分ですので、実行委員の皆さんが、数多い?経験の中から色々と語っていらっしゃるので、これ以上何を書けば良いのか?と戸惑いながらも一週間、別の切り口からもアプローチしていきたいと思います。

     私は元々、男二人兄弟だったこともあり、実家の母曰く、保育園とか通っている頃には、女の子が外でオシッコとかしていると(昭和40年代では珍しく無かった)前に回って見ていたと、笑いながら話していました。
    まぁ、ガキの頃から自分の持っていないモノに興味津々だったのだと思います。
     思春期、青春・・自分の『性春』の目覚めって何歳位だったろうと、もはや三十数年前なので、改めて考えてみると、中1か中2の頃でなかったかと記憶しています。丁度その年代の男子と言えば“妄想で暴走”時期であり、色んな意味で悶々としていたのではと思います。 
    そんな私を性への入り口へと誘ってくれたのが、冒頭のタイトルにもなっている、本宮ひろ志先生の俺の空でした。今ではパチンコ台にもなっている『俺の空』ですが、当然のことながらその頃は漫画であり、友達同士で回し読みしていて、一時期話題(私の中学校で)になった作品でした。
    まぁ、本宮先生と言えば男一匹ガキ大将とか“硬派銀治郎”など男臭い男ばかりを描いた作品が多く、異色な作品だけにワクワクしながら読んだと記憶しています。
    私と同年代の男性諸氏は読んだ人も多いと思うので、詳細は避けますが、日本でも有数の大財閥、安田財閥の御曹司『安田一平』『日本中を放浪しながら、一年以内に安田グループ全体が認める生涯の伴侶を捜し出す』という安田財閥、一族の掟を果たすため様々な女性と出会い、人間として男として成長していく過程を描いた、男の夢や妄想を全て網羅したような豪快な作品でした。
    腹が立つ位に全てを持っている主人公、安田一平の設定など、こち亀の中川を彷彿とさせる、現実離れをした話ではありましたが、本宮作品らしい清々しさや、実社会の不条理など、性旬のバイブル的素晴らしい作品だったと思います。

    色々と魅力のある女性が登場し、その都度、一平と事に及ぶわけですが、特に印象的だった場面が、一平が安田家を出て、最初に向かった担任の女性先生のアパートでの場面でした。
    一平は一年生の頃から生徒会長で、二年間で三年分の単位をとり、剣道部を全国大会制覇に導くなど、どこから見ても完璧な生徒で、アパートに来たのをビックリしたのは先生本人だったという下りです。そんな真面目を絵に描いたような一平の口から出たのが『女の体を教えてもらいたいんです!』の一言でした。まぁ、その後は読んで下さいって感じなのですが、初体験の相手が学校の美人先生という男の妄想を最大限に掻き立てるような設定に色々な意味で盛り上がった様な気がします。
    残念ながら私の学生生活の中で若い美人教師という出会いも無く、学生生活を終えてしまったので実現は出来なかったのですが、『年上の女性』に対しての憧れは潜在的に植え付けられたのかもしれません。
    その年の私のクラスでの流行語大賞『ぬ・・濡れている』でした・・・ 
    因みに男性の初体験年齢15歳〜26歳だそうで、特に18歳〜23歳が圧倒的に多いようです。しかも、その時の相手女性の年齢は約50%が年上だそうです。性的欲求や衝動を抑えきれなくさせる存在は、今も昔も「年上の女性」であり、これはサルの世界でも見られる現象だとのことです。

    むむむ・・・ご多分に漏れず私もその統計に見事に当てはまっているので、反論は出来ませんが、稚拙な男の本能をスッポリと包んでくれる年上の女性は、やはり男にとっては偉大な存在なのかもしれません。
    それが証拠に今や40代の女性に旦那が20代っていう夫婦も増えているそうです。女性の晩婚化に伴い、経済力の弱い若い旦那を経済的にも精神的にもフォローする年上の女性。この縮図は草食系と言われている昨今の男性状況とリンクしており、専業主夫も増加している状況は男としては微妙かもしれません・・・

    俺の空―本宮ひろ志傑作選 (1) (集英社文庫―コミック版)

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  • 『性』という大きなテーマ

    最終日となりました。「性」というテーマを語るのは面白いですが、大変です。

    今回、見当違いな事を、書いているのかもしれませんが、それも一つの捉え方と言う事で、ご了承下さい。

    僕が本当の意味で、女『性』が偉大だと本当の意味で実感したのは、出産に立ち会った時からかもしれません。

    何が起きても妻に対し、これだけは尊敬し感謝する事があります。

    それは、自分の子どもを産んだと言う事。(もちろん他にもありますよ(笑))

    僕は2人目のお産に立ち合いました。

    (一人目の時は間に合わず分娩室の扉に張り付いていて、看護士さんに笑われた記憶が・・・)

    陣痛の時も背中をずっとさすっていた。けど、それだけしか、出来なかった。

    でも、妻はそこから何時間もの痛みに耐え、新しい『生』命をこの世にうみだした。

    分娩室では新しい生命の誕生し、言葉にできなかった自分を、

    今でも鮮明に覚えています。

    そういう感動も『性』の大きなテーマの中にはあります。

    女性は包み込む事ができるから、お腹の中で新たな命を育てる事も出来たりする。

    そして、僕はそんな『性』に惹かれたのだと今は感じています。

    そういう事だけでなく、女『性』には、特別な何かがあるような気がします。

    女性から見た男性は、どういった所にそういう事を感じたりするのでしょうかね?

    『性』というテーマは、各実行委員の内容からしても本当に深く、広いですね、

    今回、書くにあたり変な先入観をもった自分がいましたが、

    最終日となりこのテーマは書くべきテーマだし、今後も探求すべきだと感じました。

    皆さんはこの『性』というテーマをどのように捉えますか?

    皆さんの考える、感じる『性』とは違った内容だったかもしれませんが、

    1週間ありがとうございました、西田でした。

    明日より畠山先生です、お楽しみに。

  • 『性』という大きなテーマ6

    今日は朝からバタバタとしていました。
    明日は結婚式にカメラマンとしても参加しますし、練習?!も兼ねて
    散歩もしました。気持良い風にしばし、からだをゆだねてみました。

    『生』命。

    今現在僕は二児の父となっている。

    そこに至るまでは色々な経験をした。

    そんな経験の中から現在の大人?の考えに至るまでを書かせて頂こう。

    恋愛と呼べる物、そうでないもの。。。

    僕の恋愛対象は女性であるので、女性に対する温かさにふれてみたいと思う。

    女性がもつ温かさは、姿からはもちろん、性器からも理解する事ができる。

    包み込む温かさは、なんとも心が落ち着く。

    高揚する気持ちが大きくなるのはもちろんだが

    大きな安心感に包まれる。

    ホテルなどのデザインモチーフになっているとも聞いた事がありますが、

    うなずける話ですよね。

    そして、建築物だけでなく他にも安心感を与えるものとして表現されているのかもしれない。

    僕が好きなインディアンジュエリーにもモチーフとして使われていたりする。

    母なる大地とか母なる海というが、「母」(女性は)そういう壮大なものに形容される。

    女性とはそう言う意味でも偉大です。

    そして人は一番きもちの良い場所から生まれ、

    死ぬ時はまた一番きもちの良い場所へ帰る「帰一」。

    これは最高の快であり、「性」という大きなテーマとしても語れそうですね。

    ありがとうございました。

    続く

  • 『性』という大きなテーマ5

    毎日気温差が激しいですが、体調管理は大丈夫ですか?

    昨日書いたものと、内容が重なるかもしれないですが、お付き合い下さい。

    性を性別と捉えるとまた、それぞれの「性」がもつ、生きている上での役目があるように感じます。

    そして、性を性欲ととらえるとその延長にはSEXというものがあるし、それは、性別とも訳される。

    全てをまとめて考えた時、色々な捉え方があると言う事になると思います。

    そして、時間をかけて、そのものの本質の接し方を学んでいる気がします。

    最初は本当にそのものをしたい!という性欲の発散。

    お互いがそう思っている時期もあると思う。

    そして、「愛」というものが一時的の物でなく大きくなってきた時に、興味本位の物ではなくなる気がする。

    繰り返す事により、より深く相手を知ることにもなるし、その行為そのものの「快」を超える「快」がある気がする。

    それが、生命につながる・・・

    続く

  • 『性』という大きなテーマ4

    仕事に行く前に、自転車で風を感じてきました。今日は今日で暑いくらいですね。
    今日も宜しくお願いします。

    前日の流れから・・・

    恋愛の仕方は教わらなくても、両方の魂が惹かれあうと、最終的にはお互いに心を開きからだも解放し結ばれる。もちろん実際には重ねるからだの相性もあるから、すべてが、それでハッピーエンドとはいかないのです。

    そこに至るには、優しさも、温もりも、自分のからだに対する好みも・・・色々な要素が噛み合う必要がある様に思います。

    お互いの形状の異なる鍵が鍵穴に入っても回らないように。

    そして、そんなにしょっちゅうピッタリの鍵も鍵穴も見つからない。

    でもたまに、「なにかビビッときた」と聞く事があります。

    お互い信号は発しているのです。

    たまに間違いもあるだろうけど。

    高校生の時は、無意識にそうやって恋愛を繰り返し「性の一部」を学んでいたのかもしれないですね。

    このように書いていると、確かに「性」も一生学べるテーマなのだとわかります。

    現段階の僕が書くとどうしても話が偏ってしまう、でもこれは今の気付きとして。

    『性』に対しては、時間と共に考え方も変わり、さまざまな解釈が出来るようになってくるのだと思います。

    ちょっとした、異性への興味からはじまり、からだに対しての興味をもち、からだを重ねる事に興味をもち

    そして、新たな「生」命。

    ありがとうございました。

    続く

  • 『性』という大きなテーマ3

    今日は昨日とは一変して肌寒さを感じます。
    午前中から部屋の片付けをし、午後からは訪問に向かいます。

    訪問途中ふと歩道に目を向けると、部活帰りの高校生たちが溢れかえっている。
    男同士での集団であったり、また男女二人であったりもする。
    そんな光景を見ると自分の高校生の時を思い出したりもします。

    そんな高校生時代に感じていたであろう「性」について。

    当時は本当におバカさんというか、「性」に対しての興味が強かった。
    僕は男子校と言う事もあり余計にそうだったのかもしれないですが・・・
    その時は「共学に入れば良かった」なんて、女性がいると言う事だけで本気で思っていました(笑)

    まあ、女性がいるだけで、あの男臭い雰囲気は変わったかもしれないですけどね(笑)

    部活の応援に行ったときも、男子校の声援が「ウォ〜〜〜」に対して共学は「キャー」と黄色い声援が多く聞こえたのが今でも忘れられません(笑)

    応援の帰り道も羨ましそうに見ていたの覚えてます(これも青春)

    でも男子校のメリットと言えば、女子に気を遣わずに何でも言える事でしょうかね。

    購買にいたお姉さんには悪い環境だったと思いますが。

    余談ですがその時の購買のお姉さんは、今でも年始や何かあった時連絡くれるのですよ!

    僕が、弁当忘れた時には自分の弁当を分けてくれたりもしましたね。感謝の一言です。

    脱線しました。

    高校生が持つ「性」への対しての興味の多くは「SEXという行為」ではないでしょうか?

    「性」を理解為るために必要な通り道だったのだと思います。

    そして、

    「好きだから、SEXしたいのか?」

    「SEXしたいから、好きになるのか?」

    この二つが、「この行為」だけではない「性」を感じるきっかけになったような・・・

    この気持はきっと男女両方にある事!一方的な気持ではないと言う事が前提の事ですし、僕が常にこれだけ考えている訳ではありませんョ。

    「おとなの階段の〜ぼる〜♪」なんて事も、「性」一部を知っただけで、浮かれていた自分が懐かしい。

    こんな事が入り交じりながら、相手への接し方、そのものの行為の仕方も学んで行くのですよね。

    皆さんはどうですか?きっとそれぞれに違った学び方、出会いかたをしてきたと思います。

    今日はこのへんで、ありがとうございました。

  • 『性』という大きなテーマ2

    二日目です。

    昨日は凄い風でしたね。僕は目にゴミが入り、物陰で大粒の涙をながしていました・・・

    今日は、中学生くらいから、「性」に対してどのように変わってきたか。と言う事を交えながら・・・宜しくお願いします。

    中学校から高校生の頃は、『性』と言う物の本質とか深さではなく、純粋バカそのものに、女性のからだというものに、興味をもった時期だったような気がする。
    昨日の様に風が強い日は、屋上で「風よ!!もっとふけ〜〜〜」なんて事をやっていた友人もいました。(いや、これは残念ながら僕ではないです(笑))
    でも、そこには、男性・女性お互いに、何かしらの変化が起きているからだと思うのです。自分のからだの成長に気付き始め、恥じらいから女性はふと隠そうとする。隠されれば心理的に見たくなる(これも性(サガ))・・・

    保健体育の授業を聞いて、なんとなくはわかっても、当時の興味は神秘的なからだの造りや役割ではなく、だんぜん異性の表面的な造りだった事を覚えていいます。

    そしてそれは、ふとしたことから始まった。

    それまでは、なんの抵抗もなくじゃれ合っていた友達が急に恥じらいをもつようになった時。

    ふと掴んだ手がなんだが自分の手の感触とは違った時。

    そして自分とは違う、何かに興味を持つようになった。

    『何か』ってなんだろう。自分との違いだったのかもしれない。

    きっと本当に純粋な気持ちだったのだろうな。

    そして、本格的に女性らしさとかに惹かれ始めたのは、このくらいからかな。

    いつのまにか、手が触れるだけでも「ドキ」としたのを覚えている。

    思春期には、性に対しての考えも次のステップへ進む。

    からだに対しての興味が本当に大きくなった。

    高校生になると、誰もが通るSEXという行為に興味をもった。

    当時はその物だけにあった興味が、また次の段へ登っていく。

    明日は、その辺の事をあまり、下品になりすぎないように書きたいと思います。

    今日も、ありがとうございました。

    続く

  • 『性』という大きなテーマ

    おはようございます!

    中谷さん、1週間お疲れ様でした。

    紹介とはかけ離れている西田ですが、よろしくお願いします。

    「性」というテーマについて書く前に、先日4月29日に東京操体フォーラム分科会が開催されました。その事を少し。

    息・食・動・想のバランスが改めて大切なのだと気付きを得る事ができ、個人的には、発表の時間をもらい「話す」ということへの喜びを少し感じる事ができました。(フォーラム終了後に打ち上げでデーブ川崎さんに頂いたアドバイスは僕に取って、なによりもサプライズでした。ありがとうございました。)

    フォーラム終盤には、なんとラッキーなことか!『柳生心眼流の島津先生』の手技も見ることができて参加者の方々も思わぬ展開に驚かれたのではないでしょうか?

    次回のフォーラムでも、きっとサプライズがあるでしょう!ご期待下さい!

    さて、今回のブログはテーマが決まっていて「性」、次回京都でおこなわれるフォーラムのテーマとしても上がっている様です。

    このクールのブログを見て、おもしろおかしさ、そして、深さと圧倒された僕ですが、自分が想う『性』について、認識した頃から、今の時点までを書いていこうと思います。これも一生かけて学ぶテーマです。ゆっくり焦らず・・・

    まず僕が女性という「性」意識しだしたのはいつ頃なのだろう?

    そして、どのようにして、感じ得てきたのだろう?

    母の、からだに宿り、守られ、本能的に母性を知る。

    そして、この世界に出て、自分以外の存在に気がつく・・・・自分以外の『生命』

    記憶にある範囲でいえば「性」へのめざめを自覚したのは中学入った頃でしょうか。

    小学生の時は「性」への目覚めの階段を登る足がかりを作っていたのかも知れません。

    「体育を頑張って、女の子にもてたい!」とか思っても、その先の事なんて考えもしなかったし…

    というか、当時は知らなかった。異性への憧れという意味では、第一歩なのかな。

    控えめに「女の子に!」という、キーワードが入っているのだから、きっとそうだろう。

    そんなこんな、回想もしながら・・・

    『性』をテーマに、1週間宜しくお願いします。