本日は京都大徳寺塔頭(たっちゅう)玉林院にて、フォーラム開催中です。
玉林院
詳細は追ってアップ致します
昨日は「シベリア抑留」に関して島根県邑南町在住、品川始氏の著書より抜粋して、抑留時の日常的生活を一部紹介致しました。
そして最終日の今日は本題にもなっている橋本敬三師の著書『生体の歪みを正す-橋本敬三 論想集-』の中の『ロスケ・ヤポンスケ(ソ連抑留記)』から橋本敬三師がソ連抑留数年間の中で、どの様な抑留生活をしていたのかを読み解いて行きたいと思います。
先ず橋本師の論想集の中にある抑留記の内容と、昨日紹介した品川氏の抑留記内容が同じ抑留記にもかかわらず、トーンの違いに最初は戸惑いました。多分に両氏の性格的違いが影響しているのかと思いましたが、品川氏の著書にその理由を見つけることが出来ました。それは、抑留された人々は手に職が有るか無いかで、最初に振り分けられるのだそうです。技術者、調理人、経理などの専門職等々、そして何も技術が無く、体格のいい若い人達はマイナス四十度にもなるという極寒の過酷な労働環境で外仕事に回されるのだそうです。
そして、その中でも特に優遇されたのが、軍医(医師)だったようです。これは多分にソ連側の事情であった様な気がします。捕虜の健康管理と言うよりは、ソ連側の将校を含めた自分たちの健康管理のために、医師を必要としていた様な気がします。ですから、そういう意味では橋本師はソ連側から厚遇されていたと思われます。それが分かる記述として、論想集の中で、橋本師が収容所に連れて行かれた時に、兵隊達とは違う部屋に通され、新聞紙をちぎった様な紙片の上に、パラパラとオガ屑みたいな物を摘み出し、押してよこした。よく見ると茶褐色のオガ屑の中に緑色のツルツルした細片が少し入っている。と有ります。これはマホルカというタバコの一種で、タバコの茎を小さく刻んだ物で、良質な物は緑色が残って見た目にも美しく、吸ってもとても良い香りがしたようです。悪い品は茶色っぽく一見、オガ屑同じに見えて、吸っても辛く、香りも無かったそうです。橋本師が部屋に通され、マホルカの緑色の茎が入ったタバコを出されたことでも、ソ連側からVIP待遇で扱われているのが分かる記述です。部屋に通された時の相手の少尉位の奴(橋本師記)が自分はマーリンキ・ドクター(マーリンキはロシア語で小さいの意味になるので、小さい医者、つまりは未熟な医者だと)だと言っていることでも、橋本師がかなり頼りにされていたことが分かります。
ソ連での橋本師の治療に関しては『操体』と鍼を使用した治療であったのが文章からは理解出来ます。収容所の所長の奥方が体中が痛いと言ってオイオイ泣いている時も、身体の歪みを直して急所に数カ所、鍼を打ってやった。アラ不思議や、今までの痛苦がケロリと消えた。とあります。
それ以来、所長の信頼が絶対になり、どんなに転属命令が来ても、あの手この手を使って、手元から離さず、三年間その収容所にいたそうです。
この理由の一つはソ連という国家の問題だと思います。基本、社会主義国は「物を作り出す人」が素晴らしいと言われ、医者などサービス業的な職業は社会的地位も低く見られていたようです。キツイ仕事の割に、見返りも少ないということで、旦那さんにある程度の収入が見込める、既婚者の女性医師が多かったようです(現在でも女性医師多し)。
橋本師の論想集に出て来るソ連側の医師も、女性が出て来ます。その様な国側の事情もあり、橋本師は優遇された面もあったようです。
ソ連将校の治療以外には当然のことながら、収容所内の捕虜達の治療を行っていたようです。治療内容も多岐にわたり、患者の殆どが栄養失調による症状だった様で、皮膚に赤い小斑点が出現し、一週間の内に増えて大きくなるという「壊血病」がかなり蔓延した様で、野菜の配給が無いのでVCの補給が出来ず、苦労したとありました。この時に橋本師が行ったのが松の枝を折り、松葉を集めてきて生葉を兵隊に毎食二、三十本ずつ噛んで汁を呑ませたそうです。
この話には後日談があり、日本へ帰還して十年以上経ってから橋本師を尋ねてこられた抑留時の兵隊の方が、仲間内で橋本師のあだ名が『松葉軍医』だったと告白されたそうです。
この橋本師の抑留記と昨日の品川氏の抑留記は共通する項目が多く、当時の収容所の様子が、場所は違っても同じだったんだと妙に納得しました。その中でお二人が共通して書かれていたのが、日本人という民族の素晴らしさでした。数千人の捕虜がいると、殆どの物が作れるというのです。馬車馬の蹄鉄を作れと言われれば、蹄鉄工が探し出され作る。鍛冶屋の大将は廃車の残骸から包丁、カンナ、ノミ、ハサミ、床屋の道具からノコギリまで作ったと記述があります。食事の面でも品川氏の抑留記の中に、塩スープばかりで、味噌汁が飲みたいと皆が思っても、米や大豆があっても味噌麹菌が無ければ味噌は出来ません。そんな麹菌など有る訳無いと思っていたのに、持っていた兵隊が一人だけいて、味噌の香りのする味噌汁を戴くことが出来たそうです。千人もの人が集まると、色々な考えや技を持っている人が居るものだと、感心され、日本人は器用な民族だと改めて思ったそうです。
橋本師の具体的な治療内容が見られる記述もあり、落盤で左大腿骨頭全脱臼したのにクロール・エチルをかけて、屈曲外旋させたら、ポキンと入ったこともある。と書かれています。後、衛生下士官達に鍼を教えて、治療に使わせたそうです。鍼も衛生兵の中に電話線を拾ってきて、細い銅線の束の中に一本入っている鋼線を抜いて、適当に切って、細く磨いて銅線を竜頭に巻いて、立派な直径0.1ミリ位の一番鍼を作り上げた衛生兵が居たそうです。
品川氏の抑留記にあったのが、神経痛や腰痛は収容所では病気、病人としては認めてくれず、痛い足、腰を引きずりながらでも、作業に出されていたようです。目に見えない神経痛や腰痛は『横着病』だと言われていたとのこと。
にわかマッサージ師やお灸の先生が登場し、施術する代わりにタバコやパンをせしめていたとのこと。
そう考えると、橋本師が居た収容所では衛生兵は元より、縁あって橋本師に診てもらった末端の兵隊達に、般若身経などを教えていたとしても不思議では無いと思える。現実、将校や兵隊に対して操体での施術を行っていたので、聞かれれば橋本師の性格として、『こうやんだょ』などと言いつつ、指導されていたとしても何ら不思議では無いと思われます。その頃、操体が橋本師の中でどの程度、体系化されていたのかは不明ですが、過酷な労働下での自力自療は効果的だったと思われます。
橋本師がロスケに施術をされる中で、民族は違えど、ヤポンスケと同じ効果があるんだ、操体は万国共通だ!と確信したかしなかったのかは定かではありませんが、間違い無いのは、自らがやってこられたことへの確信と、揺るがない自信だったと思います。
私も以前の仕事の関係で、10年以上前にロシア領サハリン(旧樺太)に行ったことがあります。夏なのに海に足を付けるだけで「ガクガク。。ブルブル」全身に鳥肌がたったのを覚えています。町の中心部ユジノサハリンスクにある建物や道路といったインフラ設備の殆どが、旧日本軍が作ったものをそのまま使い、道路の真ん中に大きな穴が開いており、夜は危ないからスピードを出せないと言われたのが印象に残っています。そんな中でも、一番印象に深く残っているのが、とにかく街を歩いている若い女性が皆モデル並みにキレイだったということでしょうか。しかし一方で、キレイなおばさま達を殆ど見かけなかったということは、三十五歳位までが、我が世の春ということだと気付きました・・・
これ又話が汚れそうなので元に戻しますが、橋本師がソ連で数年間に渉って抑留を経験されたことが、逆に『日本は宝島だ』と思われるに至った心境ではなかったかとも思いました。世界に誇れる文化や、何よりもどの様な状況にあっても何かを作り出せる、人こそが財産であると確信されたと思います。
この日本生まれの操体が今年も海を渡り、遠くスペインの地で操体の種を蒔いて帰ります。今年も又、師匠お二人と共にスペインに行けることを、最高に楽しみにしています。来年は何処で種を蒔くのか今から楽しみです。
今週一週間お付き合い戴き、本当に有難う御座いました。明日から我らが師匠三浦先生の登場です。
東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛他
Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛他
描く夢は未来の夢、浮かぶ夢は過去の夢、それも今はとぎれとぎれ。
この書き出しで始まるのが、橋本敬三師の著書『生体の歪みを正す』橋本敬三論想集の398ページから始まる、『ロスケ・ヤポンスケ』の書き出しです。
これから、どうなるか分からない川面に浮かぶ木の葉の様な心境がこの書き出しに込められているようです。
今年は大東亜戦争集結から66年となり、徐々に私の周りでも戦争の話を聞かせてくれる人が少なくなってきました。よく考えれば私の子供時代には明治生まれの爺さん婆さんがたくさんいましたが、今、明治生まれとなると今年99歳の方がギリギリ明治生まれとなり、もはや明治男と明治女は100歳Overじゃないとお目にかかれない時代となって来ました。脱線ついでに、記録が正確であったなら、私が見た最後の江戸時代(慶応元年)生まれの方は徳之島の泉重千代翁であったかと思います。
幸いなことに私のクライアントは80歳Overの方が何人もいらっしゃるので、戦時中の話は色々と伺うことが出来、広島県呉市の海軍工廠で機密事項を扱う業務を行っていたという方や、激戦地ガダルカナルや硫黄島から生還されたという方など、当時、10代後半や20代前半といった、若年で公のために命を懸けて戦った皆様にはただただ頭が下がります。
私が橋本敬三師の書籍を読んでいて、一番興味をもったのが、先述した論想集の『ロスケ・ヤポンスケ』の章でした。何故興味を持ったかと言えば、昨年、私達東京操体フォーラムはスペインのマドリッドにて初の海外フォーラムを開催致しました。言葉が通じない中での施術は色々な意味で勉強にもなりましたし、何よりも『操体』には言葉を超越した何かがあり、これから日本国内のみならず、海外でも操体が通用するという確信と自信を持つ切っ掛けとなりました。そんな中で、創始者橋本敬三師が遠くロシアの地でどの様な治療を行い、生活をしていたのかを時空を飛び越え、検証してみたくなったのです。
私にとって『シベリア抑留』は理解の範疇を超えており、先ずは“シベリア抑留”とは?そして橋本敬三師がシベリアに抑留されるに至った流れを追ってみたいと思います。
【シベリア抑留とは?】
1945年8月、日ソ中立条約を破り対日参戦したソ連軍が、満州などで日本軍将兵や軍属、一般邦人ら約57万5000人をシベリアやモンゴルなどの収容所に抑留した。鉄道建設や鉱山、炭鉱などでの強制労働を2〜11年間にわたり強いられ、極寒や飢えにより約5万5000人が非業の死を遂げたとされる。抑留者、死亡者の正確な総数は現在も明らかになっていない。ロシア人調査の極秘資料によると死没者は10万人にのぼるとも言われています。
このシベリア抑留が理不尽なのは日本軍が武装解除した状態で、国際法も無視し強制労働を強いたことです。抑留経験者の方に伺うと、中国人と戦ったので中国人の捕虜になるのなら分かるが、戦ったことが無いソ連軍の捕虜になる意味が分からないと言われていました。
(写真は舞鶴港に帰還した日本人捕虜、共同通信社所有)
では実際どの様な状況下で多くの方達が抑留されていたのでしょうか。現在、島根県邑南町在住の品川始(しながわはじめ)氏の書かれた『私のシベリア抑留記 凍った大地に』から抜粋し書かせて戴きたいと思います。
当時、殆どの日本人が騙された形で抑留されたのだということが、本を読んでいて分かりました。品川氏も関東軍と戦車隊の混合部隊に編入され、約1200人位の人数でソ連の捕虜として監視されていたのだそうです。その頃の戦車隊の下士官から「皆は三ヶ月ほど我慢して、ロスケのいいなりにやっておけば日本に帰れるのだから」と聞かされたのだそうです。収容所内でも噂として「今、終戦の混乱で満州には石炭が無いので、日本に帰るための燃料分だけ、三ヶ月ほど奥地の炭鉱で掘ってから日本に返してやる」と、さもあらん様な話で日本にも物資が無いことを知っていた皆はその話を信じていたそうです。
帰国したい!という日本人の気持ちを逆手にとった、本当に卑劣なやり方だと思います。有蓋貨車に押し込まれ数十時間も行き先も告げられず、列車に揺られ、着いた場所に海があって、日本海だと喜び、水を飲んだら真水で「バイカル湖」だと気付き、「ダモイ!ダモイ!(帰国)」の言葉に又、騙されロスケを恨んだとあります。
収容所に着いて翌朝初めて食べた朝食のことが書いてありました。初めて食べる黒パン、朝は150gと飯蓋の蓋に湯飲み一杯の塩スープ。中には馬鈴薯が小さく切って、二つ三つ入っている。昼はお粥のおじやの様なものが、子供用の茶碗に一杯。朝食と一緒に出るので、誰もが一度に食べます。そうすると一時は満腹感が味わえるからだそうです。昼食の食物は季節により変わったり、入荷する品物によっても変わったそうです。コーリャンが入荷すればコーリャンとキャベツの汁が出たり、大豆が入れば大豆が一ヶ月、粟なら粟ばかりと、そんな雑穀を日本兵当番が上手に料理してくれたそうです。
一番恐ろしかったのは便所だったそうで、戸も無い空っ風の吹くところに掘っ立て小屋があり、それが便所です。厚い板が長く二枚、それに梯子状に板が又、二枚ずつ横に置いてある。十人は一度に用が足せる。氷点下四十度にもなると、一人が済ますと竹の子の様に伸びていく。鍾乳石の様にと言った方が、分かりやすいかもしれない。コーリャンやヒエの七分づきを食べると、渋があって、便秘になり、便が出ないのと、酷寒の中で尻を出す寒さのための痛みがあり、耐えきれず泣いているものもいた。私が聞いた地元、古老の話では、便所の脇にトンカチが置いてあって、竹の子の様になった便をトンカチで叩き割ってから大を済ませたのだそうです。
このシベリア収容所での記述で特に目にとまったのが、毎年秋にある日本人捕虜の身体検査の話だった。普通、身体検査なら体重計や聴診器などを使用すると思うが、ここでは腰掛けてる女医の前に立つと、すぐ後ろ向きにされて尻を出させ、親指と人差し指でその尻を捻る。その肉の厚さ、薄さで人間の価値を決める様に、大きな声で「一グル(アジグル)」「二グル(ドバグル)」「三グル(ツリグル)」「O・K(オーカ)」と四つのグループに分けるそうです。
一グルは尻の肉も厚く、最も健康で重労働に耐えられる
二グルは普通の体格
三グルは尻の肉もやや薄いので、軽作業班へ
O・Kは栄養失調者
これでは牛や馬の競り市に出されている様なもので、人間としての人権などは存在せず、完全に奴隷扱いだと言えます。
ロクな食事も与えられず、不規則な労働時間、そして過酷な労働環境の中で、ノルマをこなせば、優秀者は「ダモイ!ダモイ!」と帰国を餌に重労働を課し、実際はノルマをこなしている組は一番遅くまで抑留されるという、理不尽な仕打ちを受けていたようです。
日本も終戦70年を前に、シベリア抑留で未だ帰国出来ていない英霊達の遺骨収集をロシア側の協力を得ながらも、毎年行っているようですが、未だ充分な結果が出せずにいるようです。
この理不尽なシベリア抑留という所業に関して、全てを語るのは難しいですが、操体法創始者、橋本敬三師も同じように抑留を経験されているお一人です。最終日は橋本敬三師のシベリア抑留に触れてみたいと思います。

東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛他
Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛他
時空を超えると言えばやはり、私的に外せないのは『タイムトラベル+スリップ』物の映画や漫画です。
因みに正確な定義は無いものの、過去に行ったり、未来に行ったりするものを我々は何となく“タイムトラベル”と呼んでいますが、どうやらモノの本に依りますと厳密には幾つかにジャンル分けされるようです・・・主なところでは
以上の4ジャンル位でしょうか。個々のジャンルにはそれぞれ甲乙付け難い名作がたくさんあります。先ずは個々のジャンルの定義と、私的代表作をあげてみたいと思います(あくまでも個人的嗜好です)。
① タイムトラベル
(定義)タイムマシン等の機械を使って意図的に時代を移動する
(作品)バック・トゥ・ザ・フューチャー、H.G.ウエルズ「タイムマシン」、ジャン=クロード・ヴァン・ダム「タイム・コップ」、ターミネーター、バブルへGO!、ドラえもん、タイムボカンシリーズ
② タイムスリップ
(定義)大きな事故や天変地異により、時空にタイムホールが出来てしまい、意図しない時代に送り込まれてしまう。ある意味パニックムービーか?
(作品)戦国自衛隊、猿の惑星、ファイナル・カウントダウン、ニューヨークの恋人、漂流教室、JIN-仁-
③ タイムリープ
(定義)タイムトラベルとよく似ていますが、超能力を使用して時空を行き来する物語の時に用いられる
(作品)時をかける少女、ジャンパー、HEROES(アメリカTVドラマ)、時の行者(横山光輝先生の名作)、王家の紋章(漫画)
④ タイムワープ
(定義)ワープ航法を用いた時空移動方法、主に乗り物使用
(作品)Star Trek(アメリカTVドラマ)、STAR WARS、宇宙戦艦ヤマト
などと、ジャンル分けしてみましたが、微妙にどれだか分からない作品もあり、この辺りはご愛敬ということでご勘弁願いたいです。
各ジャンルの作品を見ると、どれも捨て難い!魅力的な作品が多いです。各ジャンルの中から私的お勧めをご紹介致したいと思います・・・
タイムトラベルものと言えば、やはり『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でしょうか。余りにも王道と言えば王道なのですが、楽しいタイムトラベルものとして、マイケル・J・フォックスの代表作と言っても過言では無いと思います。
特徴としてはありがちな、恐竜時代に行くとかでは無く、ごくごく身近な数十年前、両親がティーンエージャーだった頃に行くというのが逆に、タイムトラベルをよりリアルに捉える切っ掛けとなる一本だったと思います。マイケルが「ジョニー・B・グッド」を演奏している時に、バンドメンバーの一人が、チャック・ベリーに電話するくだりなどは本当に笑えます。
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タイムスリップものは、やはり千葉真一先生ネ申の私としては『戦国自衛隊』を外すことは出来ません・・半村良先生の原作を読むと、かなりの消化不良となる映画ではありますが、もう少し原作に忠実な物語として、TVドラマで制作して欲しいと思います。何ならテレビ東京の新春ワイド時代劇の枠でやってもらえないだろうかと切に願います・・JIN-仁-も作品として面白かったですし、子供心に『猿の惑星』のラストシーンは何だか来るものがありました。
自分の思惑とは違うところで時代に翻弄されながらも懸命に生きて行こうとする姿に感銘を覚えるのが、このタイムスリップものの特徴でしょうか。
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タイムリープものは余り聞き慣れない言葉ではありますが、作品としては結構な数が作られています。この中のお勧めは『時の行者』です。へ?と思った方が正常です。この物語は横山光輝先生が書かれた漫画です。時代設定としては戦国時代〜江戸時代中期位を題材に書かれている作品です。10年毎に時の権力者の元に現れ、「時の行者」として未来の武器や道具を駆使し、様々な予言(助言)をしていくという物語です。球体のバリアーの中に入って登場し、鉄砲で撃たれても大丈夫だったり、夜間には赤外線ゴーグルを装着し、夜間で見えないはずの忍者達をレーザー銃で撃ったりと、当時の人達からは神と崇められる存在となって行きます。信長の死を秀吉に予言し、10年後に現れた時に逆に怖くなった秀吉から命を狙われたりと、色々な人達と関わっていく姿が描かれています。私的には名作です。
タイムワープものはStar Trek、STAR WARSとヤマト位でしょうか。子供の頃によくMr.スポックの耳の真似をしたのを覚えています。ワープは物語の一部として出て来るだけで、物語のメインとして出て来るものでは無いので、ジャンル分けした割にではありますが、ワープはStar Trekで一般化され、STAR WARSでは当たり前のことの様に使われていたのが印象的でした。
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時間旅行は誰しもの夢であり、太古の昔へ行って恐竜を見たいとか、数日前の自分とか、遡ってみたいことは山ほどありそうな気がします・・・私も行けるモノなら過去に遡って、その子と付き合うのはやめた方が良いぞ!とか、その笑顔に騙されちゃ駄目だぞ!とか、化粧を落としたら別人だぞ!とか・・・話が汚れてきましたので、元に戻しますが・・・
理論上未来へは行ける可能性があるようですが、個人的には未来に行ってもなぁ・・って感じでしょうか。過去に戻るのは夢がありますが、未来に行くのは何だか勇気がいる様な気がします。日本という国は未だあるのだろうか?年金は?自分は?と考えると憂鬱になりそうなので、私はやはり過去に行ってみたいと思いました。皆さんはどうでしょうか??
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福田君、一度だけ君をどっかの時代に飛ばせてあげよう!と神様にでも言われれば、迷い無く答えるのが『幕末』という時代です。
冷静に考えれば非常に物騒な時代でもあり、他の時代と大きく違うのは単純に領地を武力で奪い合う『武力闘争』のみでは無く、『思想闘争』とでも言うべき複雑な時代であったとも言えるからです。
佐幕派、尊皇攘夷、公武合体、倒幕派、開国派などなど、その時々で思想の変更を余儀無くされたりと、非常に複雑な時代だったと言えます。
それまで数百年もの間、太平を貪っていた日本人(体制側武士階級)にとって、諸外国から急激に高まってきた開国要求に答えるだけの充分な人材も知識も無く、武力的圧力を背景にした要求に答えて行かざるを得なかったという、国家の明確な指針無き、迷走の時代でもありました。
一方で、幕府の弱体化に伴い地力を蓄え人材を育成してきた地方諸藩の若者達は幕府の弱腰外交に憂国の思いは暴発寸前となり、自らの思想に則り、行動を起こしていきます。こうして地方から火が着いてきた革命の炎がやがて日本全土を巻き込み、幕府を滅ぼす事となって行くのです。
かなり端折りましたがザックリとした幕末説明?でしょうか・・・行ってみたいと言ったものの、顛末を知っているから言えるだけであって、当時、その時代に生きて居れば時代に翻弄され、右往左往してパニックしていたと思います。
昨年大河ドラマにもなった坂本竜馬や西郷隆盛など、幕末に生きた偉人達にシンパシーを感じる方が圧倒的に多いのも、モノの考え方とそれに対しての潔い姿に感銘を覚えるのだと思います。
竜馬には何ものにも囚われない自由な発想とその人間力に憧れ、新撰組には滅びの美学とでも言うべきサムライの潔さを、西郷隆盛の人間力などなど、挙げればきりが無いほど魅力的な人物が多数存在します。
戦国武将との大きな違いは、幕末の志士達は行動規範が自分の思想に基づいているからこそ、我々は自分の今の状況や心境に人物を重ね、勇気を貰ったり、涙したりと感情移入しやすいのだと思います。
では、私が幕末に誰の所に行きたいかですが、大方の予想では竜馬の所でしょと言われそうですが、残念ながら然にあらず、以前のブログにも書かせて戴いたのですが、前世でもご一緒させて戴いておりました『高杉晋作』先生の元ですねぇ・・・一応、毎年墓参もさせて戴いている位にRespect致しておりますので。
但し!!一回こっきりと言われると、マニア的に今回は『西郷隆盛』先生ですねぇ♪西郷は写真も現在、確認される中では残っていませんので、デジカメ持参で写真を撮りたいです。キヨソネの肖像画通りなのか?はたまた全然違うのか?等々、興味は尽きません。
当然それだけでは無く、西郷さんに同行を認めてもらえれば、維新の裏舞台が全て見られる訳ですから、マニアにとってこれほど魅力あることはありません。
本当は薩長どちらから切り出したのか“薩長同盟”締結の現場、竜馬暗殺を指示したのかどうか?江戸城無血開城での勝との対談内容、征韓論の真意、西南戦争に至るまでの心の動き、自決後の首の埋葬場所。
自分で書きながらもワクワクしてくる内容ですが、是非、現場で目撃したいです。『大きく打てば大きく響き 小さく打てば小さく響く是 西郷南州也』と勝海舟が西郷を評して言っています。相手によってどのようにでも変化する西郷の人間性を顕していると思います。『一日先生に接すれば一日の愛を生ず、三日先生に接すれば三日の愛を生ず。親愛日に加わり、去るべくもあらず、今は善も悪も死生を共にせんのみ』この言葉は西南の役の際に、中津藩の義勇隊を率いて西郷と共に戦った増田栄太郎が隊の解散に当たり残した言葉です。結局、増田は西郷と最後まで共に戦い、城山で壮絶な最期を遂げています。
男を心底惚れさす西郷の人間性に本当に触れてみたいです。個人的には政治家としては大久保の方が優れていると思いますが、西郷には『敬天党』でも設立して戴いて、今のぬるい日本の政治に渇!を入れて欲しいです。
党派を超越して人をまとめていける様な大人物が日本に出てくることを願わずにいられない今日この頃です。
今の日本に必要なのは日本が近代国家に生まれ変わるための人柱に敢えてなった西郷の様な私心の無い指導者が必要なのではと思います。
辞めるための条件を突きつけ延命をはかる様なケツの穴の小さい政治屋では無く、公の心を持った指導者をいつの時代も民衆は待っているのです。
話がとんでもなく飛びましたが、歴史の中には今を生きるヒントが、たくさん隠されているのだなぁと改めて感じました。。。viva historical
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このブログはご存じの通り各実行委員が毎回、テーマの中から自分の考えを表現していくわけですが、時として趣味嗜好が似通っている方がいらっしゃいますと、当然、ネタがかぶったり、同じテーマを書こうとしたりと否応なしに書き換えを必要とされるのです。それが数ヶ月前の実行委員であれば猶予があるのですが、一週間前となればひたすら焦りの一途でしかありません。
などと、ここでボヤいても始まらないので、時空ネタで今日もお付き合いを・・・
先週の畠山先生のブログにも何度か出て来ていましたが、私も個人的にタイムスリップ、タイムトラベルネタは大好きです。歴史好きの方なら一度は歴史上のifを考えたことがあると思います。今回は個人的に好きな戦国と幕末のifを取り上げてみたいと思います。
私の中の戦国ifはやはり『織田信長』でしょうか。もし、信長が本能寺で斃れていなければその後の日本はどうなっていたのか?この話は様々な歴史学者の方や小説家も取り上げているネタなので、今更って感じもありますが、私なりに時空を飛び越え考えてみたいと思います。
しかし、この信長ifはどう考えても、最後は人間関係で行き詰まってしまい、時期や人間は違っても、誰かが“本能寺”を起こしてしまい、信長は天寿を全う出来ないという結論に至ってしまいます・・・
では、本能寺前後の信長の心理状態、有力家臣団の心理状態はどうだったのだろうかと?ふと、其の時の状況を考え分析してみました。
先ず、当の信長公本人はと言えば、まさに我が人生最高の時でなかったかと思われます。数年前に長期に渉った信長包囲網も本願寺との講話により、実質上破綻し、信長自身の驚異となる勢力は、国内においてはほぼ居なくなったと言ってもよい状況となっていました。
一方で有力家臣団はと言えば、筆頭家老の柴田勝家においては信長に絶対服従であり、ひたすら秀吉、光秀などの中途採用家臣団に遅れをとらない様にと必死だったと思われます。状況的にも東北方面の抑えに必死で、謀反の余裕無し。自席家老的存在の丹羽長秀は信長の子息信孝の補佐で四国征伐の道中であり、しかも自身の独立した軍を持っておらず。滝川一益は関東の抑えに必死、地理的にも謀反の余裕無し。池田恒興も同様に目前の仕事に追われ余裕無し。
信長という人は親族以外には徹底した能力・成果主義であり、現代的に言えば会社開業当初からの古参の重役や部長クラスの人材でも使えないとみるや、追放・放逐したりと、どんなに現在重用されていても将来的な保証、安泰とはならず、いつ首を切られるか分からないビクビクした気の休まらぬ精神状態で日々をおくっていたのだと思います。
現代的感覚で考えれば非常にドライな人事であり、今の日本の状況なら余り違和感を覚えないのかもしれません。ですが、信長当時の戦国大名家での雇用状況を考えるとかなり異質だったと言えます。当時は大名家に使える代わりとして一族郎党の生活を生涯保障するのが常識であり、その代償として主君のために命を懸けて働くのが、日本武士団での一般的雇用形態だったのです。
それが、ミスをすればそれまでお家に貢献していても、明日から一族郎党が路頭に迷う状況では、誰しも心休まらず過労死寸前の状況だったと言えます。
その中でも決定的だったのが、当時、出世頭で実質上織田家NO2だと思われていた明智光秀が、当時治めていた領地を全て没収の上、未だ敵方の領地だった地への国替えの沙汰を出されてしまいました。
多分、この国替えが行われた時に織田家の全重臣達が、あれだけ出世しても未だ駄目なんだと奈落の底へ突き落とされたと思います。
この集団ヒステリー状態が最高の沸点に達したのが、『本能寺』であった様な気がします。未だに様々な黒幕説が歴史家の中からも言われており、真偽の程は不明ですが、光秀に直接聞けば、案外肩すかしを食うほど人間臭く、単純な動機だったのかもしれません。光秀がやらなくても条件が揃えば、秀吉が実行していたでしょうし、歴史の事実なんて学者が考えるほど複雑なものでは無く、単純に動物的であり、種の保存や我欲だったりと、NHK大河の脚本以上に肩すかしかもしれないのです。
あれだけ緻密に多方面に内政・外交・侵攻戦略を練っていた信長が、国家経営といったマクロな視点に目を奪われすぎ、家臣団というミクロな部分に目が行き届かなかったということが何とも歴史の皮肉だと思います。
よく考えれば現代も、この頃の日本とよく似た状況にあり、多くのサラリーマンの方達が、不安定な政治状況、世界的不況による円高と雇用への不安など、明るい要素が見えない中での生活を余儀無くされています。
それを表すかの様に、我々臨床家が日々思うのが年々増加している『ストレス性疾患』が原因であろうと思われる症状です。
私が開業した約10年前には『肩こり、腰痛、神経痛』などと言った症状が大半を占め、その殆どが原因が明らかなものだったのですが、昨今では病院に行っても特に悪いところは無いと言われるとか、ストレスですねぇで片付けられて、特に何もしてもらえないなどと訴える方が非常に多くなっていることです。
大丈夫と言われてるのに、この不快な痛みは何ですか?と・・特に今年に入って、震災以降は、目に見えないストレスとの戦いという新たな局面も向かえており、何とも悩ましい限りです。
もはや物事を数値化することで成立していた現代医学の限界が来ている様な気がして仕方ありません。信長の話から何故、ここまで話が飛んでしまったのか不思議ですが、今後の臨床家は見えないストレスという怪物との戦いに終始するでしょうし、よりクライアントにストレスを与えない施術へと変化を求められてくるものと思います・・・


最後に信長ネタをもう一つ、この閉塞感漂う日本の政治状況を打破するには信長の様な固定概念を持たない破壊者が必要なのかもしれません。そこで、興味がある方は1994年にヤングアニマルで連載していた『内閣総理大臣 織田信長』をお読みになるのをお勧め致します。新党のぶなが党首の織田信長が主人公になっており、その他秀吉、家康、勝家など信長好きならずとも歴史好きの方にはたまらんマニアックなエピソードが幾つも散りばめてあり、笑えます。
やはり信長は偉大です・・・
東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛他
Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛他
『少年老い易く学成り難し』この諺、私が好きな諺の一つです。一般的に言われる意味としては、若い時は未だ先があると思って必死に学ばないが、時は直ぐに過ぎてしまい何も学べず年をとり終わってしまう。だから若い時から必死で学ばなければならないと言った意味です。
ここでは時間の進み方と学びについて戒めています。これは幾つになっても言えることで、学びとはいつでも良いのではなく、常に今が学び時、今が旬の気持ちが必要なのではと思います。
かく言う私も未だ学びの真っ直中であり、生涯通して学び続けるのであろうと思っています。
特に我々は師匠という自身の目指すべき目標がある中での学びなので、そういう面では非常にありがたいと思っています。
この学び方も昨今は多様化しており、昔の様に秘伝は門外不出!弟子入りしなきゃ何も教えない等と言うことは徐々に無くなりました。今では聴講生・受講生などいわゆる昔的なお師匠様とお弟子さんみたいな図式ではなく、学生感覚で自分に必要なものだけチョイスして学ぶなどという学び方まで出て来ています。
しかし、人間の一生は限られた時間しかありません。学ぶということは限られた時間の中で、どれだけの気付きを自身が得られるかだと思います。
気付きとは『破壊』であり、過去の価値観との決別でもあります。昨日までの考えを捨て、新しき価値観の中での自己の『創造』となっていくわけです。
そのためには何が必要かと言えば、やはり偉大なる『師匠』の存在なのです。
ここで大切なのは師匠との価値観の共有であり、否定の無い学びなのです。
最近の若い人達の特徴は『でも・だけど・何で?』といった『はい』と言えない人達が非常に多いことです。師匠の言葉は絶対であり、そこにはデモやダケドは必要無いのです。師匠がカラスは白いと言えばカラスは白ですし、宇宙人はいるぞと言われればいるのです。
若い人達にこの話をすると、『間違っていることは間違ってると、例え師匠でも言わなければならないんじゃないんですか!』などとアホな逆ギレする人がいます。
しかし、それこそが自分自身の『学び』の妨げとなっており、自分の稚拙な考えを捨てることが、新たな価値観の破壊と創造なのです。
自分の今まで生きてきた中での価値観で物事を考えることこそが、学びの最大の邪魔になっていること、成長の妨げになっていることに、いち早く気付く必要があるのです。今の目線では見えないものが、脚立の上に上がると遠くまでよく見える。目線が変わると見える世界が180°変わるのです。師匠の言葉とは目線を変え、もっと広い世界を見なさいという啓示でもあるのです。
そして、それに対して素直にハイと言える人間だけが師匠の居る場所へと上がっていくことが出来るのです。
ですから学びにおいて『自分らしさ』や『私は』は必要ないのです。自分の心のヒダにこびり付いてる『自分・私』といった一人称の我を捨てることこそが学びの第一歩なのですから。『学ぶ』とは『真似ぶ』ことであり、師匠の完全コピーから始まり、完コピ終了後、初めて自分らしさの様なものが芽生えてくるのではと思います。
未熟な奴ほど『自分は自分は』と主張するが、自分はと言う奴に限って自分が見えてないのが現状です。一度、自分という重い衣を脱ぎ捨てて、ひたすら“真似ぶ”ことを突き詰めてみると、真の学びの道が見えてくるのではと思います。
『少年老い易く学成り難し』そして『光陰矢の如し』なのです。
東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛他
Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛他
時間・空間についてなど考えることもなく人生を過ごして来た私にとって、今回の岡村実行委員長からのテーマは勉強と言えば勉強・・書きにくいと言えば書きにくい・・などとボヤキつつ、今週一週間勤めたいと思います。
まぁ、来週の日曜日は第二回になる東京操体フォーラムIn 京都であり、毎度の事ながらイベント近くにブログの順番が回ってくる己の所業に反省しつつ、テーマを突いて行きたいと思います。
まぁ私のブログの順番時は箸休めだと思って戴ければ幸いです・・・
初回のテーマが『モノ申ス』となっておりますが、今日と明日の二日間を使ってここ最近、私の中での突っ込みたいところ、もの申したいことを書いてみたいと思います。
え?テーマと違う?いえいえ、強引に結びつけますのでご心配なく・・・
早速ですが、私にとって毎年恒例の夏の高校野球が昨日、終了致しました。今回は圧倒的打撃力を誇る西東京代表、日大三校の優勝で幕を閉じました。
毎年、この時期になると島根県予選観戦から始まり、甲子園の本戦終了まで野球漬けの一ヶ月となります。これは自分の仕事上、弊院で診ている生徒が試合に出ているという理由と、後は時間を飛び越えて過去に遡ること28年前、自身も高校球児だったという過去もあり、この時期は丹田の辺りがムズムズしてショーがないのです。
で、今回のタイトルにもなっている“モノ申したい”案件は以前のブログにも書いたのですが、地区大会も含め、特に今回は甲子園の大会で多く見られた、球児達の精神面の弱さです。これに関しては年々酷くなっている様な気がするのは私だけでしょうか?
特にテクニカルな面に関しては、左右に打ち分ける高い打撃技術や、多種多様な変化球を投げ分けるプロ顔負けの投手など、個々の技術面だけを見れば、年々レベルアップしています。
その反面、今回の大会は精神的に脆い選手が多く見受けられました。
その典型的な例として、今回の甲子園での試合は9回からの逆転試合が多いこと多いこと。甲子園の様々な修羅場をくぐり抜けてきたはずの名将ですら、予測出来ない展開が多く見られました。9回2アウト3点差という状況から、8点とられて負けるなどという展開は本来、そうある試合ではないですが、それに近い試合が今大会は幾つも見られました。
多分、この様な状況は今後も続く様な気がします。
私は単に精神論だけで、涙を流すのが駄目だと言っている訳ではありません。
体育会系としては、試合が終わってもいないのに泣くなんて!アホか!と一喝したいところですが、最近の草食系男子にそんなことを言うと更に泣かれそうなので、言いませんが・・・
そもそも涙を流すという行為が身体に及ぼす影響がどうなのかを、体育会系発想で考えるのではなく、もう少し科学的に考えてみたいと思います。
先ず、選手達の精神状態を考えてみれば分かりやすいのですが、9回表という状況は野球をやったことがある方なら分かると思うのですが、後アウト3つで試合が終わってしまうという、非常に追い込まれたストレスフルな状況です。
交感神経は限界ギリギリのテンパった状態で血流量は増加、心臓もバクバク、興奮状態の極みと言えます。一見すると身体的には非常に危険な状態に見えますが、こと競技スポーツに関して言えば、気力、集中力共に高まり、火事場の馬鹿力的要素も含んだ最高のパフォーマンスが表現出来る、ベストな状態と言えます。
その最高状態の対極にあるのが、『泣く』という行為です。この『泣く』と言う行為から生まれるモノは『ストレスからの解放』いわゆる『癒やし効果』です。
アドレナリン全快で行かなきゃいけない場面で、エンドルフィンを放出し、緊張からの解放をしてしまうのです。
これこそが目の前にある辛いモノから目を背けたい、勝負に負けるという現実から目を背けたい、ストレスから解放されたいと言った、逃げの姿勢、勝負の放棄に他ならないのです。
ある意味スポーツとは究極の我慢比べであり、我慢出来なくなり集中力が切れた個人やチームが負けるのがスポーツなのです。名将・智将と言われる監督は相手チームを精神的に動揺・崩壊させる、そのノウハウを数多く持っているのです。しかし、今回の大会はそんな名将もビックリの自チームからその様な選手が出てしまうとは予想も出来なかったと思います・・・

操体的に言えば『放出』は最高の『快』なので、勧めたいところですが・・
人間って身体から何かを放出する瞬間って本当に気持ちいいんですよねぇ♪
『汗・涙・涎・尿・便』などなど。。これ、前回のテーマだと迷わず“射精”と書いたのですが、今回はテーマ違うので・・
とにもかくにも、究極の我慢比べことスポーツは技術も大切ですが、もっと上のステージや世界で戦うためには、技術を支えるタフなメンタル強化も大きなテーマとして肝に銘じたいものです。
東京操体フォーラムin 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛他
Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛他
「たとえば、大乗仏教の経典は、実際にお釈迦様が語ったものではない。
にもかかわらず、必ずその冒頭は「如是我聞」、
すなわち「私はお釈迦様からこう聞きました」という言葉で始まる。
それは経典を語らしめている悟りが、たとえ何百年という時を隔てていようと、
お釈迦様さまからいただいたものであるという自覚があるからだ
〜 したがって、書物を通してであろうと、実際に面接を受けてであろうと、
この道の心をさえいただければいい。
それに対する絶対的な自覚があるならば、そこで師弟関係は成り立つのである」
(「気の経絡指圧法 安らぎのツボ 実技篇」より 遠藤喨及著)
タオ指圧の遠藤喨及先生の文を引用させていただきましたが、
橋本先生がお亡くなりになったのが1993年(97才)で、
ワタシが手技療法の勉強を本格的に始めたのが1992年。
ですからワタシは橋本先生に実際にはお会いしたことはありません。
でも、実際にお会いしたことはなくても、何となく感じていくことはできるんです。
それは、残された言葉からも、内弟子だった三浦先生の言葉や存在を通しても。
今回「橋本語録」というお題目を聞いて、三浦先生からお聞きしたハナシを思い出したり、
本を読み返したりしてみましたが、やはりそうしていると橋本先生を身近に感じたりもしてしまいます。
「なんでもヤッテミロ〜」なんて声が何となく聞こえてきたりして。
ワタシは去年のVisionSでも「時感」ということで書かせていただきましたが、
そうした時間は生活上の時を刻む単なる時間ではなく、もっと特別な「時感」なんだと思います。
過去も、現在も、未来もない、自分の意識の中にいられる時間です。
どんなことでも自分だけの特別な「時感」を味わえるってことはサイコーなのかもしれませんねぇ。
そんな「時感」をいつも味わえるような生きかたができれば、
橋本先生が言われてるようなことに少しは近づけるかな?なんて想ったりもしています。
そんなところで一週間ありがとうございました。
来週は畠山先生です。
それでは京都で特別な「時感」をご一緒に過ごしましょう〜。
中谷之美
東京操体フォーラムin京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛他
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【今日の橋本語録】
〜 そうなってんだから、しょうがねぇんだ 〜
「いろんなお客さんが次々に訪れるが、理屈ギライの翁先生は、
ウムを言わさず、「そこに寝てみなさい」とゴザのベッドを指さす。
「やってみなくちゃわがんネェんだがら」と自分のペースにひきずり込む。
お客さんは、膝うらの圧痛点を押さえられて飛び上がる。
翁先生は、真剣に「ホーラ、こんなにイデグなってんだ」。
そして「ハイ、スゥーッとつま先上げてぇ。ハイ、ストン・・・
ホレッ、いでぐネェ・・・立って歩いてみなさいよ・・・どうですか?」、
「アレッアレレッ、軽くなりました」、「ホラネ、そうなってんだ」・・・着席。
「まぁ、ウソかホントかやってみることだナ。キモチヨク動けば治るようになってんだから・・・。
俺考えたんでネェヨ、自然にそういう風にできてるんだ。まあ、野次馬根性があればのことだがネ」
(「操体法治療室」 P28 ・・・ 「操体法治療室」は橋本先生の下で学ばれた
三浦寛先生と今昭宏先生が共著で書かれたものですが、
橋本先生に関するエピソードなども載っていてトテモ面白い本です)
いや〜、「そうなってんだ」って言葉、ワタシ大好きなんですよねぇ。
ある意味最強の言葉じゃないですか。
だって、「そういうふうになってんだから、しょうがねぇんだ」、
「オレが考えたんじゃねぇんだ、そういうふうにできてんだ」って言われたら、
何があっても返す言葉はなくなっちゃいますヨ。
でも、ワタシはちょっと思うんです。
言ってる本人がどれだけわかって、「そうなってんだ」って言ってるのかと。
そうなってるってことは、そうなってるわけがあるってことです。
そのわけをどれだけわかって、「そうなってんだ」って言えるのか。
何にもわかってないヒトが同じ言葉を言ったって、その言葉はきっと軽いもんになっちゃいます。
橋本先生が「そうなってんだ」の一言で周りを納得させちゃうのは、そういった言葉に深みがあると思うんです。
「だから、気持ちのいい方に体動かすことが操体法だと思ってるかもしらんけど、そうでなくて、わけがあるっていうこと。
人間は、誰が作ったか僕知らんけども、産んでくれたのはお母さんだわな。
親爺が子供産んだなんて聞いたこともない。産ませたかもしらんけど、産んだのはお母さん。
何でも命のあるものだったら、生きてるわけがあって生きてんのよ。
生まれるわけがあって生まれてるの、死ぬわけあって死ぬ
〜 法則があるってこと。法則を知ると知らないでは大違いです。
法則を知るっていうことは。道を知るってこと。
だけども、そういう法則を誰が作ったかっていうことは、これはまた、わかんねえね。
わかんねえけども、そこまで作ってくれた力っていうか何ていうか、それは有難いものと感ずることもできるワな。
そこまで気が届かんでも、考えてみると、あんた、気持ちよく生きていていいようにできているってこと、どう思いますか。
極楽の中に生きてることだよ。われわれ、極楽ん中に生きて、極楽ん中で死ねるようにできてるの。
何も地獄まで行って生活する必要ないの。人間は、罪を作ったらば地獄へ行くと思っている人もいますよ。
だけど、人間は極楽の中で生まれて、極楽の中で過ごして、極楽の中で死ねるようにちゃんとできてるんです。
そこまでいったら、有難いとおもうなァ、僕は。そういうふうになってんだから」
(「地湧きの思想2」 P130〜P131)
生まれるわけがあって、生きてるわけがあって、死ぬわけがあって死ぬ。
う〜む、わけがあるってことは、一体どういうわけがあるんでしょ?
深みと重みを伴った響きで、「そうなってんだ」って言えるようになりたいもんです。
中谷之美
東京操体フォーラムin京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛他
Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛他