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  • 時間と空間と橋本語録 その5

    【今日の橋本語録】

    〜 取る、取らないはテメエの勝手だ 〜

    (「からだの設計にミスはない」より)

    「私は言うことだけは言う、それをあとで取る、取らないはテメエの勝手だ、というような気持ちだな。

    誰がどうしようが、何がどうなろうが、自然法則だけは変わらないんだから。

    私には、自分のやったことを残そうなんていう気はないね。

    ただ、本当のことはこうなんだよ、と自分で経験したことはみんなに言うけれども、それを取る、取らないは勝手なんだ。

    私の云々する問題じゃないんです。みんなそれぞれが、自分のやりたいことをやっていけばいいんだ。

    それが気持ちのいいことならね。まあウソかホントかやってみな、ということだ。

    やってもみないでケナシてもホメても意味ないよね」

    (「からだの設計にミスはない」 P76〜P77)

    突然ですが二宮尊徳さんは「天の理」と「人の道」は区別しなければならないと言われていたそうです。

    人の道とは人がつくったものであり、自然に行われる天理とは違うんだと。

    「天の理」とは、春は生じ、秋は枯れ、火は乾いたところにつき、

    水は低いところに流れるといった、昼夜運動していつまでも変わらないことだそうです。

    「身体があれば、欲がある。これは天の理に他ならない。

    田畑に雑草が生えるのと同じだ。堤防は崩れ、堀は埋まり、橋は老朽化する。これも天の理だ。

    しかし、人道は、私欲を抑えるのを道とし、田畑の雑草を取り除くことを道とし、

    堤防は築き、堀は泥をさらい、橋は架け替えることをもって道とする。

    このように天理と人道とは、まったく別のものである。

    だから、天理はいつまでも変わらないが、人道は一日怠れば、たちまち崩れてしまう」

    (「二宮翁夜話」より)

    ふむふむ、流石は二宮尊徳さん!って感じですが、橋本先生の言われてることも、これと通じるものがあるような気がします。

    例えば、TV観てても、鼻クソほじってても、朝になれば太陽が昇って、夜になれば沈むわけです。

    それは別に自分の責任じゃありません。

    でも、その中でより良く生きていきたいなら、鼻クソばっかりほじってるわけにはいきませんよねぇ。

    自ずと自分の行動にも責任が生じてくるわけです。操体で説く、最小限の自己責任は息、食、動、想。

    そして、そのそれぞれに法則がある。だったら鼻クソほじってないで、そうした法則を知って実践してみなさいヨってことですよネ。

    「法則を知ることで「道」に入れる。法則を知らなければ道に入れない。

    自動車の運転の法則があるでしょう。運転の法則わかんねえで金出して乗せてもらえばね、目的地行かれますよ。

    目的地まで行かれるけれども、自分で運転するのには自動車の運転の法則知らなくちゃ。

    それには自動車の構造も知らなくちゃならんし、機能も知らなくちゃならん。

    そういう道理があるってこと。ちゃんと法則がある。

    その法則は誰が作ったか、自動車作った人は、法則をちゃんと知って作ったにちがいない。

    自動車作った人は、右に曲がるときにはハンドルを右に回す、左のときは左に回す、と決めて作ったんです。

    人間は、誰が作ったのか僕知らんけどね、神様だか、仏様だか知らんけど、とにかく作られたものだ。

    そうすると、作ったときに、ただ泥持ってきて人形作るように作ったんじゃなく、ちゃんと法則があってつくられた。

    その法則知らないから、みんな生きていくのにケガする」

    (「地湧きの思想2」 P130)

    そういうことなんですよねぇ。

    でもねぇ、橋本先生が言われるように、それを取る、取らないは、ホントにテメエの勝手なんですヨ。

    「ああ、なるほどそうですか」ってなっても、それをやるかやらぬかは自分次第なんですから。

    やればやっただけのご褒美がもらえて、やらなければそれなりの報いがくる。

    いやいや、これもきっと自然な法則ということなんですねぇ。

    ワタシなんか報いが来っぱなしなんですから困ったもんです。

    中谷之美

    東京操体フォーラムin京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    Sotai Forum inMadridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 時間と空間と橋本語録 その4

    【今日の橋本語録】

    〜 冷蔵庫に入ったっていいですよ、それが気持ちいいならね 〜

    (「からだの設計にミスはない」より)

    「結局ね、撫でても、さすっても、たたいても、火を押しつけても、

    針をさしても、たとえ焼け火ばし押しつけたとしても、

    それが気持ちよければ何したってかまわないんだ。後味が悪くなければかまわないんですよ。

    よく患者さんは「これは冷やした方がいいですか、温めた方がいいですか」と聞きますが、

    私はいつもこう答えることにしています。「冷蔵庫に入ったっていいですよ、それが気持ちいいならね」と」

    (「からだの設計にミスはない」 P18)

    ワタシも患者さんに聞かれることがあります。

    「腰が痛いんですけど、冷やしたほうがイイですか?温めたほうがイイですか?」

    う〜む、冷やすべきか?温めるべきか?

    急性には冷やすとか、慢性には温めるとか、一応あるみたいですけど、

    じゃぁ、どこまで冷やして、どこから温めるって言われたら、これがなかなか微妙なところです。

    その時の状況や状態によっても違うでしょうし、

    一概に「コレで決まりサ!」とは言えないところがありますよねぇ。

    「私ら若い時でも、膝が痛いとか足首痛いとかいう時、湿布っていうことをやりました。

    そうすると患者さんは、あっためた方がいいか冷たくした方がいいかって聞く。

    その頃は何だかんだ言っておったけれども、今なら気持ちのいいようにやんなさいって言うんですよ。

    冷たくて気持ち良かったら冷たくする、あったかい方が気持ち良かったらあったかくする、それきりしょうがないです。

    昔は熱が出るっていうと、鉄瓶みたいなものだと思って冷やせばいいと思って、

    頭に氷嚢やったり氷枕やったりして冷やすことを考えた。しかし私は、そんな必要ないと思うんですよね。

    何でも、冷やして気持ち良かったら冷やせばいい、あっためて気持ち良かったらあっためればいい、

    どっちでもご本人が気持ちいい方にね。だから僕、時々、どんなことしてもいいんだって言うんですよ。

    だけども、気持ちがいいんだけれども後味が悪いというのはほんとうでないから、そこらをうまくコントロールして、

    気持ちがいいなという所でやめておいたらいいんじゃないかと、こう言うだけです」

    (「地湧きの思想1」 P152〜P153)

    ふむふむ、そうですよねぇ。

    冷やしても、温めても、それに対して快・不快があるってことは、

    結局それにゆだねてあげるしかないんです。いろいろな理屈はあるかもしれませんが、

    まずは「からだにとってどうなのか?」ってことを目安にしていけばイイのかもしれませんネ。

    でも、いくら気持ちよくてもホドホドにしないと後味が悪い。

    そして、橋本先生が言われるように、後味が悪いってことは本当ではない。

    人間ってのはアタマがいいですから、もっとやれば効くだろうとか、

    たくさんやれば早く治るだろうとか、ヨコシマな考えが浮かびがちなもんですからねぇ。

    更には、これは気持ちがいいだろうなんて最初から決めつけちゃったりして。

    いくら美味しいもんでも、食い過ぎれば腹こわすってことです。

    その辺のところが、きっとポイントなんですネ。

    後味っていえば、こんな語録もありました。

    「後味が悪いようなのはダメよな。人に迷惑かけたり、

    相手に不快感を与えるような気持の良さはうまくないわな。

    怒ったときは怒って気持ちいいかもしれんけども、怒られた奴は気持ち悪いな。

    怒りようにも上手下手があるしね。怒られて、ああ有難いなって思うやつもいるよ。

    さあ、そこんとこだ。そんなことですよ」

    (「地湧きの思想2」 P132)

    「てめえが気持ちがいいってことと相手が気持ちいいってことと

    あたりが気持ちいいってこと、その三つがそろわないとうまくない。

    てめえだけで気持ちよくたって、あたりに迷惑かけてるんではうまくない

     〜 自分が気持ちいいってことわかれば、ああこりゃ一番気持ちいいんだなってことわかれば、

    他人もそうなれるように話もできるし、何でもできるんじゃないですか」

    (「地湧きの思想2」 P136)

    う〜む、何だか考えさせられる内容です。

    自分だけではなく、周りのみんなも気持ちよくなるように。

    これこそ平和に繋がる道なのかもしれませんネ。

    中谷之美

    東京操体フォーラムin京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

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  • 時間と空間と橋本語録 その3

    【今日の橋本語録】

    〜 肩だけ治すんだったら、肩こごさ切っておいでげ!明日まで治しておぐがら 〜

    (「操体法治療室」より)

    いやいや、これサイコーですねぇ。

    腰が痛ければ腰を何とかしてもらいたい、

    肩が痛ければ肩を何とかしてもらいたい、

    人間だからそう考えるのも仕方ないことです。

    そんなとき橋本先生は

    「○○だけ治したいなら、○○だけ置いてけ。明日までに治しておくから」

    なんてことを言われていたそうなんです。こんなお医者さん、ステキですよねぇ。

    「私の所にもいろんな患者さんがやってきます。

    肝臓が悪いとか腎臓が悪いとか、眼が悪い鼻が悪いといろんなことを言うんですよね。

    病院でそう言われた、それ治してくれ、と。私はいつもこう言い返すんだ。

    「それじゃ、あなたの肝臓、そこへ出して置いていって下さい。この次までには治しておきますから」とか、

    「今度痛みだしたら、小包みにして送ってよこして下さい」とかね。

    いくらなんでも、そんなことできるわけないですよね。

    この立って動くからだと、からだの中にある物とが別な物だと思っているんです、現代の医学は。

    そして皆さんもしらずしらずのうちにそんな考え方になってしまっているんじゃないでしょうか」

    (「からだの設計にミスはない」 P35)

    からだは、手も、足も、腰も、内臓も、全体で一つ。

    だから操体では、いつでもからだ全体のバランスを第一に考えていきます。

    何故なら、内臓だって、神経だって、からだの基礎構造にくるまれてるんですから。

    基礎構造っていうのは運動器系統です。それは主に骨と筋肉。

    簡単に言えば、運動器系統という周りの器が歪んで窮屈になれば中身だって働きづらくなるってこと。

    (何で歪むかは息、食、動、想のルール違反をしたからですヨ)

    操体では、そうしたボディの歪みを火元と考えて、痛みというサイレンを消していきます。

    サイレンに水かけたって、火は消えないぜよ!って捉え方です。

    そうしたボディの歪みを元に戻す方法(治療法)はいくらでもありますが、操体法の原理はシンプルです。

    「人間のからだは、もともとよくできているのです。

    それが歪むことによって不健康になっているわけですから、その歪みを治してやれば健康になるのです。

    歪みを治すには苦しいほう、痛いほうに動かすのではなく、らくな気持ちのよい方向に動かせばよいのです。

    これが操体法の原理であり、健康の原理です」

    (「万病を治せる妙療法」 P123)

    痛いことしないで、気持ちがいいほうへ動いてあげる。

    すると歪みが元に戻っちゃう。簡単な原理ですネ。

    橋本先生の時代に比べると操体法の治療そのものは進化してきていますが、

    基本原理はずっと変わることはありません。それが自然の法則だからです。

    「つらい動きを我慢してやる必要はありません。なぜか。

    みなさんは用たしに外出するのと、お宅に帰るときとどっちが気持よいですか。

    家に帰るときのほうがよいでしょう。もとにもどることは気持がいいのです。

    もとのからだはもともとよいのです。

    気持よく動くともとにもどるように人のからだはできているのです。

    こんなにありがたいことはないでしょう。これが自然の法則なのです」

    (「万病を治せる妙療法」 P122)

    からだは気持ちのよさで治る。

    ホントにありがたいことだと思います。

    中谷之美

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  • 時間と空間と橋本語録 その2

    【今日の橋本語録】

    〜 人間の設計にミスはない、と私は信じている 〜

    (「からだの設計にミスはない」より)

    「大自然の原理として、人間は誰でも健康で幸福に一生をおくれるように、チャンと設計されているのだ。

    それが実現されないのは生き方の自然法則からはずれているためで、

    この法則にそむくと身心の姿と動きに歪みが生じ、身心のバランスがくずれて病気になるのだ、

    そして又、その歪みを正してバランスをとり戻せば、病気は治るのだ、と。

    人間のからだはそういうふうに出来ているんです。

    もしそうでなかったとしたら、病気になっても治るはずがないし、その見込みもない」

    (「からだの設計にミスはない」 P38〜P39)

    要するにからだは元々悪いものではない。

    悪くなるのは自分の生き方が悪いんだということですネ。

    いやいや、耳の痛いハナシです。

    でもねぇ、電化製品と違って、からだには取扱説明書が付いてませんからねぇ。

    生き方が悪いったって何がどう悪いのか説明してくれないと、さっぱりわかりませんがな。

    悪いと知ってて、わざわざ悪いことするヒトもいないでしょうし。

    ということは、やっぱり何が悪くて、何を気をつければイイのか知らないんだということなんですネ。

    だったらそれが何なのか知っておいたほうが絶対に得ってことですヨ。

    橋本先生は更にこんなヒントをくれてますぜ。

    「そもそも大前提として、生命体(身心ともに)の設計は完全にできあがっているけれども、

    われわれの生命現象において、他人に代わってもらえない最小限四つの営みがある。

    呼吸、飲食、身体運動、精神活動である ― 性生活ももちろんあるが、四つは常時必須 ― 。

    これらの営み方には、それぞれに自然法則があり、反則すればアンバランスが起こる。

    現時点の健康度は、今までの、これらの営みの集積の結果であり、

    しかも、これらは、お互いに同時相関相補性になっている」

    (「生体の歪みを正す」 P5〜P6)

    呼吸すること、食べること、からだを動かすこと、想うことの四つは、確かに他人に代わってもらえません。

    「かあちゃん、明日から代わりに呼吸して!」ってわけにはいきませんからネ。

    とにかく生きている以上は、最小限この四つに責任を持てってことです。

    何故かといえば、この四つは自分でコントロールできるから。

    そして、一つ一つの法則性を知ることで、より良い生き方に繋げることができるから。

    からだが悪くなったらまずこの四つに意識を向ける。

    何か法則に外れたことはしてないか?

    それに気づき修正していくことで、からだのバランスが戻って健康を掴むことができる。

    そこで問題は「その法則の中身って一体なんだべさ?」ってこと。

    それを探求していくのが操体なんですねぇ。一生愉しめます。

    中谷之美

    [http://www.tokyo-sotai.com/?p=281:title=東京操体フォーラムin
    京都2011]は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    [http://www.tokyo-sotai.com/?p=314:title=Sotai Forum
    inMadrid]は、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

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  • 時間と空間と橋本語録 その1

    今週は実行委員の未熟なヒヨコちゃんこと中谷の担当でございます。

    一週間よろしくお願い致します。

    前回の「せっくす」に引き続き、今回のブログにもお題目がつきました。

    キーワードはワタシのブログ題名そのまんまの「時間」「空間」「橋本語録」です。

    三つ並べるとなかなか語呂が良くって、ちょっとカッコイイですなぁ。

    まぁ、題名はカッコよくてもブログの内容はいつも通り、たわいもないハナシなんですけどネ。

    さてさて、今月の28日(日)は、いよいよ東京操体フォーラム in 京都です。

    場所は去年に引き続き、大徳寺塔頭玉林院。

    普段は非公開の重要文化財に囲まれた中での開催。

    ロケーションはサイコー、でも実際の中身はどうなんでしょ?

    そこで今回はヒヨコちゃんが京都フォーラムをちょっとだけ突っついてみたいと思います。

    【その1 両巨頭揃い踏み】

    操体法のセミナーはいろんなところで開催されていると思われますが、

    三浦先生と北村先生という関東と関西の操体両巨頭が揃い踏みするってのは滅多にあるもんじゃございません。

    共に橋本先生を知り、橋本イズムを継承し、臨床家としても大ベテランの両先生。

    今年は二度目の揃い踏みですので、去年より更にパワーアップした講義が聴けるかもしれませんヨ。

    【その2 実技体験】

    今回は操体王子こと岡村実行委員長はじめ、フォーラム実行委員が実技体験指導を行う予定です。

    東京操体フォーラム(三浦先生門下)の実技といやぁ、

    動きを比べて楽なほうへ動かすという一般的に広まっている操体法だけじゃありませんぜ。

    三浦先生門下では、こうした楽なほうへ動かす操法を第1分析と呼んでいますが、

    この先にも第2分析、第3分析という、より深い操体法の世界があるんです。

    それは、楽ではなく快の世界。

    運動を分析するだけでなく、より深い感覚を分析していく世界。

    そうしたものを体験していただきましょうっていう時間が用意されてるんです。

    ふむふむ、何だか愉しいかも。

    【その3 お得な情報ゲット?】

    操体法は単なる治療テクニックじゃないんですネ。

    もちろんそういう要素もありますが、それはあくまで操体の中の一環に過ぎないんです。

    実際には、からだのこと、心のこと、環境のこと、そして見えない世界のこと・・・

    といったいろんなことを様々な角度からヤジウマしていきます。

    ですから、いろんなことに応用が利くんです。

    治療(指圧マッサージでも、整体でも)はもちろん、普段の生活の中にも活かせる知恵がたくさんちりばめられています。

    そういった自分にとってお得な情報をゲットするのも、フォーラムの愉しみかもしれないなぁ・・・何て思います。

    まぁ、何にせよ、参加者の皆さんには単なる時間ではなく、特別な時感を味わっていただきたいものです。

    操体を通して自分と向き合い、からだと向き合い、イノチと向き合い、より良く生きるための生き方を学ぶ。

    みんなでそんな時感を共有できればホントにサイコーですよね。

    実行委員一同、素晴らしき出会いにワクワクしながらお待ち致しております。

    そうそう、より良く生きるための生き方。これも橋本語録らしいですヨ。

    中谷之美

    [http://www.tokyo-sotai.com/?p=281:title=東京操体フォーラムin
    京都2011]は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

    [http://www.tokyo-sotai.com/?p=314:title=Sotai Forum
    inMadrid]は、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

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  • 原始感覚をききわける

    昭和52年の日本医事新報に、橋本先生の「人間悲願の達成へ」が掲載されました。(全文は、からだの設計にミスはない、快からのメッセージに載っています。)

    20項目の提言ですが、その内の一つ。

    原始感覚は意欲と追求の仕方で向上、または衰退する。

    操体は原始感覚を指針にしています。(快適感覚をききわけ、味わう)

    原始感覚というと小難しく感じるかもしれませんが、本来誰でも持っているものであり、磨けば鋭くなってきます。

    先日、足趾の操法体験大会を行いました。これは日曜の午前中に行っていた集中講座の総仕上げも兼ねていて、操体を受けたことがない方もきもちのよさを味わっていただいて、からだの変化を体験いただこうという趣旨でした。
    スペースの都合で4方向とはいきませんでしたが、極性をききわけていただいた後に操法に入りました。
    ちょっとした事ですが、からだはきちんと原始感覚をききわけているようです。

    普段肩こりとか腰痛が気にならないという方もいますが、原始感覚が鈍っていて気づかないか、或いは鋭くて表面化するまえに対処できているかのどちらかでしょうね。
    わからないという方も、きっかけさえあれば実感できるものだと思います。

    京都での操体フォーラムもあと1ヶ月にせまってきましたが、今回は実際に操法を体験できる時間を組んであります。
    きっかけの一つとしていかがでしょう。

    辻知喜

    からだの設計にミスはない―操体の原理

    からだの設計にミスはない―操体の原理

    快からのメッセージ―哲学する操体

    快からのメッセージ―哲学する操体

    東京操体フォーラム in 京都2011は8月28日(日)に開催されます。北村翰男(奈良漢方治療研究所、奈良操体の会)、三浦寛

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  • 平常心

    先日、岡村さんのブログに平常心是道(びょうじょうしんこれどう)がでてきました。
    これは個人的に好きな言葉です。

    (道は考えてわかるものではないが、しかし、わからないと言ってしまうこともできない。
    考えてわかるならそれは妄想であり、わからないとすれば、無自覚というものだ)

    道は知にも属せず、不知にも属せず。知は是れ妄覚、不知は是れ無記。若し真に不擬の道に達せば、なお太虚の廓然として洞豁なるが如し。豈に強いて是非すべけんや。(南泉普願)

    平常心というと現在では冷静で落ち着いた心持ちをいいますが、元々は、ありのままの心の状態を平常心と読んだようです。
    楽しい時は楽しいように、悲しい時は悲しいように、その時々の心の持ちようが平常心。
    特別なことではない、ありのままの心。思慮分別にとらわれない心。
    日々の生活の一つ一つがそのまま道につながっています。

    ちなみに、最初にこの言葉を使ったのは、前出の南泉の師、馬祖道一だと言われています。

    若し直ちに其の道を会せんと欲すれば、平常心是れ道たり。何をか平常心と謂わん。造作なく、是非なく、取捨なく、断常なく、凡なく聖なきなり。経に云う、凡夫行に非ず、聖賢行に非ず、是れ菩薩行なり、と。只如今の行住坐臥、応機接物、尽く是れ道たり。(馬祖道一)

    う〜ん、深いですね。

    辻知喜

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  • 心はどこに

    心とからだ、よく使われる表現です。この2つは切り離せないものだといわれますが、心ってどこにあるんでしょうね。
    心の問題はからだに現れますし、からだに問題があれば心にも影響を与えます。

    金剛般若経に、

    過去心不可得、現在心不可得、未来心不可得

    とありますが、過去は現在の願望を多分に映し出すものと言われますので、実体はないもの、未来は過去と現在を反映するものなので、不確定なもの、現在は常に移り変わるものなので、とらえどころのないものでしょうか。
    過去も未来も現在からの視点を元にしているので、現在そのものが捉えられないのならば、過去も未来も捉えられないものですね。そこにあるのは自我。

    思うとか考えるということは常に過去を材料としているのであれば、現在はその瞬間瞬間を感じるしかないのでしょうか。

    操体では、頭で考えずに、からだにききわけなさいと教えます。
    移り変わる今を感じること。意識ではなく無意識の世界です。
    自我があるうちは、なかなか実体はつかめないけれど、手放して委ねてみるとまた見えてくるものがあるのかも知れません。

    心について好きなうたを一つ。

    心こそ 心まよはす 心なれ 心に心 心ゆるすな
    (不動智神妙録 沢庵)

    辻知喜

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  • 帰一の法則

    手技療法の世界に入ってから10年くらいになります。
    当初は、板橋の接骨院で働きながら新宿の整体院でも勉強をしていました。

    そこで教わったものの一つが操体法でした。やっていたのは初期の操法で、楽かつらいかの選択で行っていたものでしたが、自力自療の考え方に惹かれ興味を持ちました。
    操体を本格的に学ぼうと思ったのは、週末に通っていた本屋で三浦先生の操体法入門を目にしてからでした。
    連動について纏められた本で、初心者向けというよりは、ある程度学んでいる人間が基礎として勉強するのに参考になる本です。
    それはともかくとして、講習に通うことにしたのですが、それは、新宿で一般向けに行われていたものでありましたが、最初がそこでよかったなと今では思います。

    ノートの最初に書かれていたのは、帰一の法則。

    人は一番きもちがいいところから生まれ、一番きもちがいいところに帰っていく

    生まれる先から絶対的に救われている生命であり、また、その神性に帰っていくのだという、一番印象に残った言葉でもあります。

    釈迦は、死後の世界があるのか、それはどういうところかと問われたときに、「生きている間の事でさえわからぬのに、死んだ後の事がわかるだろうか」と答えたそうです。
    考えてもわからないものに思い悩むのではなく、今、行きている瞬間をよりよく生きる事が大事なのでしょうね。

    ちなみに、橋本先生は、「みんなが行くところだから、いいところに決まっている」とおっしゃていたそうです。
    このように考えられるなら、人はもっと大らかに生きて行けるのではないかなと思います。

    辻知喜

  • 未生以前

    橋本先生は若い頃、生前の身分を知りたい、また、何とか罪を犯さぬような救いを受けることはできないものか、申訳ないが神を呪って死んでも救われる道はないものかを思い悩んだ時期があるそうです。
    そして5年間思い悩んだ末、「自分は生まれぬ先から、聖別され祝福された神と同格の永遠の生命そのものであるとの自覚を得ました。
    この時期の体験が、操体の想の部分の中心となる、「救い」と「報い」の元になったようです。

    「救い」と「報い」の区別というのは、わかりやすい言葉で言い表すなら、「救い」は絶対、「報い」は相対、ということである。「救い」とは絶対の無罪宣言であり、神性相続権であり、何ものも覆すことのできない久遠の事実である。
    (生体の歪を正す 〜橋本敬三論想集〜 P.376)

    芭蕉の句に、

    古池や
    蛙とび込む
    水の音

    という有名なものがあります。
    これは、単に自然の風景をうたったものではなく、父母未生以前本来の面目の問いに出した答えであったと読んだことがあります。
    芭蕉が全国を旅する以前、師である仏頂和尚に、問われます。

    「今日のこと什麼生」
    「雨過ぎて青苔湿ふ」
    「青苔いまだ生ぜざるときの仏法いかん」
    「蛙とび込む水の音」

    万物創造以前の宇宙風景、時間なき時間はいつであるかの芭蕉の答えです。
    こういった答えは、意識的に頭で考えていてはなかなかでてきませんね。

    「偉大な行為はみな、人間が意識的な自己中心的な努力を捨て去って、『無意識』の働きに任せるとき成就せられる。神秘的な力が何人の内にも隠されている。それを目覚ましてその想像力を現すのが参禅の目的である。」(鈴木大拙