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  • 『何故楽な方よりも気持ちの良い方が良いのか?』

    昨日は操体の臨床で『気持ちよい』という感覚を操法に通した方がからだの歪みが取れやすいのに何故痛みの無い『楽』を操法に選択してしまうのか?というとこロまで書きました今日はその続きです。これは一言でまとめてしまうならば『治療者の勝手な思い込み』に寄るところが多いのではないかと思います。その理由はいくつかあるのですが、まず第一に操体法創始者の橋本敬三医師の書き残した文献の中で気持ち良さをききわける動診と操法についての記載が一切無いと云う事があげられます。晩年橋本先生も近しい弟子に対しては「操体法の指導は気持ちの良さ(原始感覚)以外は指導するな。」と気持ち良さによってからだが変化するということを理解し、その指導を行っていたのですが、残された文献というのが、未だ気持ちの良さに対しての動診と操法の確立される以前の痛い方と痛くない方の二者択一の動診と操法についてしか記載がありません。それで実際に橋本先生から「気持ち良さで治るんだ。」という言葉を受けていない治療者にとっては痛くない方に楽な方にからだを操る操法こそが操体法による治療のセオリーであるという固定概念が出来上がってしまっているように思えて仕方ありません。確かに対になる動きを動かしやすいか動かしにくいかを比較して動かしやすい方に動かす事でボディーの歪みが矯正される事は紛れも無い事実であり治療者にとっても患者にとっても単純明快である事に疑いの余地はありません。問題は楽な動きでは改善する事が出来ないものに対してどのように対処するのかという治療の質が問われるケースがあるということです。そのような緊急事態に際して「もうお手上げです。」と白旗を上げてしまうのか、より質の高いアプローチを模索し続けて行けるのかが『楽』に固着しつづけるのではなく『快』をききわける動診と操法へ発展進化していったプロセスではないかと考えております。

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 『快と楽の違い』

    「暑さ寒さも彼岸まで」とは良く行ったもので、私の住んでいる福岡の街も暑さも和らいで来て随分過ごしやすくなって来ました。暑くて眠れなかった熱帯夜の苦痛を思うと本当に『楽』になって来ました。初日はSotai Forum in Madridの話題から入りましたが、今日2日目からは今回のリレーブログのテーマであります。『快と楽の違い』についてという内容で書いて行きたいと思いますのでお付き合いをお願いいたします。

    どうやらお茶にも、お花にも、謡にも、フラダンスにも日本舞踊にも何かにつけて○○流や○○派といった派閥や流派というものがあり、考え方や作法など様々な違いがあるそうだ。手技療法の世界でもカイロプラティックや指圧の世界では、行くかの流派というものが存在している様子、しかし私達が日々学んでいる操体においては、操体の創始者である橋本敬三医師の意志を継いだもの達が切磋琢磨しつつ、その学びの質的な差こそあれ○○流操体や○○式操体などと云う様なスットンキョウなネーミングをつける事無く発展しているように理解しています。(希望的観測ではありますが・・・)

    しかし、先にも書きましたがその学びの深まりの中でひとつ未だに曖昧にされているものがあるます。操体法の臨床を行う際の動診を「気持ちの良い方」に通すのか、「楽でスムーズな方」に通すのかという『快か楽かの違い』です。これを読んでいる一般の方には「何のこっちゃ?」という話だと思いますので、まずは操体法のいろはの「い」から今日は入って行きたいと思います。

    操体法は仙台のお医者さん 橋本敬三医師によって正体術、あんま・指圧、鍼灸、ヨガなどの様々な東洋医学のエッセンスを集約したい系図けられた医学であり、それはひとつの治療技術だけには留まらず、呼吸、食事、運動、思想という生きて行く中で誰にも変わってもらう事の出来ない4つの場(最小限責任生活)のバランス制御を柱にした包括医療の形態を取っている。通常我々が操体法と読んでいるのは、その中でも運動のカテゴリーに入ってくるのではありますが、全ての症状疾患の元となってくるボディーの歪みを取り除く為のアプローチの方法を指しています。


    橋本敬三医師

    私達のからだはからだの中心(腰)からの連動装置になっていて一箇所の関節が動くと全身が連なって動くようになっています。だからこそ一箇所の以上が全身のボディーのバランスに影響してしまう。またこのボディーの歪みが生じてくるとそこには必ず感覚異常が起こり痛みは無いまでも「重たい」「だるい」「疲れやすい」などと云う診断はつかない不定愁訴に悩まされる事になるのです。そしてこのような状態の時にからだの関節に相反する動きを動作分析してみると必ず動かしやすい動きと動かしにくい動きに分けられる。そしてこの相反する動きがある場合は動かしづらい運動はやめて、動かしやすい方に運動するだけでもボディーの歪みは整復される。このような筋肉や骨格関節の持っている特徴を使いボディーの歪みを正常な状態に回復させるのが操体法による治療です。

    これだけ書くと「じゃ〜、痛くない方に動かしてやれば痛みが取れるんじゃないの?」と思われるかもしれませんが、これは半分ピンポンで半分はブーなのです。どんな治療にもパーフェクトという事はあり得ないのでしょうが、この痛くない方に楽な方に動かす方法で素直に取れてくれる歪みもあれば、楽な方に何十回、何百回やっても取れない歪みも存在するのです。様はからだが楽に反応しないのです。あんま・マッサージ・指圧に上手下手があるのは、治療者の技術的な差が大きいのかもしれませんが、操体法ではその差は操法に楽な方へ動かすのか、気持ちの良い方へ操法を通すのかという「楽か快の違い」で変わって来ます。楽な方よりも、気持ちが良い方を患者さんのからだにききわけてもらって、そのからだが要求する気持ち良さを味わっていただく事が最適な整復コースに繋がって来るのです。

    このように書いてみると、誰もが「じゃ〜、みんな気持ちが良い方にすれば良いよね。」と思いますよね。では何故気持ちよい方にではなく、未だに楽な方を選択してしまうのでしょうか?

    3日目につ・づ・く

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 健康輸出 

    先日より東京操体フォーラム理事長三浦寛先生を筆頭に畠山裕美常任理事、福田勇治理事の三名が操体の伝導師のなるべく海を越え遥々ヨーロッパのスペインに渡っている。今日9月25日は Sotai Forum in Madrid の2日目が開催されている事だと思う。Sotai Forum in Madrid は昨年に続いて2年目の開催であるが、昨年の様子は一般社団法人日本操体指導者協会が制作したDVDでその雰囲気が十分に感じていただく事が出来るので、ご興味のある方は是非ご覧頂きたい。

    http://www.sotai.jp/?page_id=288

    操体法創始者である橋本敬三医師の論想集『生体の歪みを正す』の中に『健康輸出』という文章が載っている。(316頁)今から40年以上前の昭和43年に書かれたものであるから多少内容が古くは感じるが、基本的には今でも変わっていないように思う。

    生体の歪みを正す オンデマンド版―橋本敬三論想集

    生体の歪みを正す オンデマンド版―橋本敬三論想集

    文中『故に学者は、更に謙虚に自然法則を探求して知識を整理すべし。医師は、自らこれを実践試行して、祖先が惟神(かむながら)の道として体験した弥栄の偕なる悦びの生活を再現し、WHOが期待する健康を同胞国民に示し、国手としての責任を果たすべし。 世界にこれを提供する健康輸出を持って、日本がなしうる二十一世紀への貢献たらしめたい。』と書かれている。

    今から40年前に操体が海を渡り、世界の健康な生活の手本となりうる事を橋本先生はこの文章で示しその言葉を具現化する為に三浦先生が丁度今スペインで操体のセミナーを開催しているのである。操体が世界で花開く様子を目の当たりに出来る悦びを噛み締めたいと思う。

    Sotai Forum in Madridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 実際に時空を超えることは可能か

     最終日の七日目になりました。壮大なお題である「時空を超える」というテーマで今回の東京操体フォーラム実行委員のブログでしたが、無事にバトンを受け取りゴールまで繋げることができましたが、完結したわけではありません。これからも学びの中で、時空とも繋げて考えることも必要かと思いますので、数年後か数十年後にどのような自分の考えになっているのか楽しみです。
     今日は科学的に「時空を超える」について書いてみたいと思います。広島大学総合科学部の斎藤忠資 氏が興味深い報告をされているのでご紹介したいと思います。
     物質世界の中で、1900年にマックス・プランクが発見・提唱した物理量の最小単位が「量子(りょうし、quantum)」とされています。この量子の世界には、時間と空間による分離が存在しないことが現代物理学によって確証されているそうです。実際の実験では、A.Aspect等の実験とN.Gisin 等の実験によって、一度相互作用した二つの電子のスピンは、どんなに遠く離れていても、いかなる情報やエネルギーの伝達も伝わっていることが実証されているそうです。また、R.NadauとM.Kafatosによれば、J.A.Wheelerが考案した遅延選択実験の成功によって、過去・現在・未来という時間の分割のない無時間性の世界の存在が確証されているそうです。
     この報告をみてビックリしました。科学でここまで実証・確証されているんですね。
     植地浩志 氏は、人間のからだは素粒子→原子→分子→細胞→臓器→器官→からだ全体というように成り立っていると報告しています。(素粒子は物質的で、量子はエネルギー・力学的に使い分けられているようですが、素粒子も量子も最小単位で使われているようです)
     魂・意識は肉体という物質界の制約を受けているが、本来は時間や空間の制約を超えて、思考したり想像したりでき、これは魂・意識が量子や素粒子の世界と関連しているような気がします。現在のこの世で、肉体から何らかの理由で魂・意識が押し出されて状態が臨死体験となり、包みこまれるように時空を超えるのが神秘体験と区別され、操体法による快によって起こる現象とは、神秘体験になると思います。
     人は意識の使い方によって、時空を超えることができ、帰一の法則によって肉体の死後は、快に包まれ神秘状態として空間の制約を受けない状態ということになるでしょうか。
     今日から二日間、マドリードにてSotai Forum in Madridが開催されます。肉体の制約として日本とマドリードの距離は遠く離れていますが、きっと意識の通し方によっては同じ空間を感じることができるのかもしれませんね。
     意識の使い方について今後も学ぶ必要性を感じます。ブログを書いていて、今後の学ぶ課題まで見つかったような気がします。一週間、お付き合いありがとうございました。自分の勉強になりました。

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 時間の感覚

    六日目です。よろしくお願いします。
    昨日のブログに、心拍数・脈拍数の早さの違いで、時間の進み方の感覚が違うのではないかと書きましたが、あれから面白い内容が記載されているものと見つけましたので、ご紹介したいと思います。
    著者 本川達雄 氏の「ゾウの時間ネズミの時間―サイズの生物学―」(中公新書)の中に、「生物が感じる時間は、体重の1/4乗に比例する」と書かれています。また、「哺乳類ではどの動物でも、一生の間に心臓は20億回うつ計算になる」、「ゾウはネズミよりずっと長生きだが、心臓を時計とした場合は同じ長さだけ生きて死ぬことになる」と書かれており、脈拍数の比較ではゾウは遅いのに対してネズミは速く、寿命はゾウが長くネズミは短いが、寿命の時間的長さは違いがあるものの、ゾウもネズミも一生の感じた時間の感覚はどちらも変わらないということです。
     本川氏の理論から考えると、大人と子供の感じる時間の早さの違いは、心拍数や脈拍数の違いによって、体内感覚による時間の感じ方が違い、子供の頃の方が時間を長く感じる傾向があることを、裏付ける内容だと思います。
     からだの感覚は、人それぞれで、年齢や性別などあらゆる条件によって変わってきます。治療者の決め付けで、からだの望むこと以外のことを行うと、必ずその反動が表れると考えられます。だからこそ、からだの感覚に聞き分け、からだの要求に答える必要があり、操体法は理に適った臨床と言えるのではないかと思います。
     からだの要求にどこまで答えることができるか、これはからだの肉体や魂が望む質の高い快であり、簡単のようで奥が深い学びであり、今後も日々研鑽・精進していかなければ、からだの反応として表れてこないはずです。この世の不変な絶対時間の中にある肉体と、時空を超える魂の両方を満足させられるよう今後も学びを大切に精進していきたいと、ブログを書きながら改めて感じています。
    ありがとうございました。

    Sotai Forum in Madridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 時間の進み方

    五日目です。今日もお付き合いよろしくお願いします。
    東京操体フォーラム実行委員の今回のブログを書いていて、頭の中に面白いことが浮かんできました。きっと何処かの誰かも同じことを考え、統計データをとって報告されていることだと思いますが、頭の中に浮かんだことを今日は書いてみたいと思います。
    子供の時と、大人になってからの自分では、どうも流れる時間が短く感じてしまいます。皆さんはどうですか。歳を重ねるほどに1日の時間が短く感じることはありませんか。「一日が充実しているってことだよ」と聞こえてきそうですが、僕の小学生時代は、学校が終わると、柔道・野球・陸上・そろばん教室と毎日何かと忙しい毎日でしたが、現在の1日の生活の方がやはり短く感じます。
    年代によって時間の進む感覚については、様々報告があるようです。調べた中では、年齢です。年齢での累積日数は10歳で3650日、15歳で5475日となり、累積日数を逆数化したものを1日の感覚的な長さとすると、感覚時間を1としたときの年齢別感覚時間倍率は、10歳で0.5倍、15歳で0.33倍、20歳で0.25倍、40歳倍で0.13倍、60歳で0.08倍と年齢とは反比例するそうです。値が小さくなるということは、1日の感覚時間は、年齢を重ねるほど短く感じるということだそうです。その他にも、1日の変化率を調べると、年齢を重ねるほど変化率が低くなりマンネリ化することによって、時間が短く感じることもあるという報告があります。
    さて、ここで僕が考えたことを書いてみます。
    僕が注目したのは、心拍数と脈拍数です。心拍数は通常1分間に心臓が拍動する回数をいい、脈拍数は心臓が血液を送り出す際に、動脈に脈拍が生じる回数をいいます。
    豊橋創造大学 鈴木秀明氏らは、年齢による平均心拍数変化を幼児が98.1拍、成人が70.6拍、高齢者が77.4拍と報告している。また、英オックスフォード大学のMatthew Thompson氏による平均心拍数は出生児が127拍から約1ヵ月後に最大145拍となり、2歳時には113拍と減少していくことを報告しています。
    年齢による平均脈拍数変化は、新生児は120〜140回、乳児は110〜130回、幼児は100〜110回、学童期は80〜90、成人は70〜80と減少していきます。
    拍動数と脈拍数は、子供から大人になるにつれて減少していきます。ということは、時間の絶対時間は不変でも、体内の心臓を中心として内臓感覚は、大人より子供の方が早く活動しているということになり、からだに感じる時間は必然的に子供の方が、1日が長く感じるのではないかと考えました。こんな考え方を僕はしてみましたが、どうでしょうか。
    ただ間違いなく多くの人が、時間の感覚は年齢とともに短く感じ、若い頃の方が時間の感覚の変化は大きいと思っているということです。感じる時間は人それぞれでも、肉体が存在する以上1日24時間という限られた時間の現在のこの時を、どのように過ごすのか、どのように時間を使うのかと考えると、時間も自分の感覚時間も大切に使わせていただきたいと思います。
    ありがとうございました。

    Sotai Forum in Madridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

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  • 魂の快と肉体の快

    今日は折り返しの四日目です。よろしくお願いします。
    三浦理事長著者の「快からのメッセージ」(たにぐち書店)P248より抜粋しますが、「操体では肉体の死を死としてとらえていないのです。帰一の法則としてとらえているのです。帰一とは、命あるものは無条件の愛から生まれ、そして、その神性に帰って行くことなのです。ヒトは一番気持ちがいいところから生まれ、そして、一番気持ちがいいところに帰っていくのです。これが帰一の法則です。」

    快からのメッセージ―哲学する操体

    快からのメッセージ―哲学する操体

    からだの肉体がなくると、魂は常に気持ちがいい状態にあるということは、感覚の聞き分けの必要性がないということではないでしょうか。感覚を聞き分けるからだの肉体がないというだけでなく、自我の境界がないのかなと思いました。だが、僕達のからだはこの世界で、肉体をいただいて生を受けています。肉体がある以上、肉体を無視して魂・意識の望む快だけを求めていては、肉体はボロボロになってしまうのではないかと考え、肉体からの快と、魂からの快を考えてみようと思いました。
    肉体を無視した魂だけの快で考えてみると、肉体な楽な状態でどんな快楽・快でも満足してしまうと、快楽に溺れるということが起こるのではないでしょうか。また、からだ・肉体の動きの法則に関係なく、意識を研ぎ澄ますと魂の快を感じれてしまう方もいるのではないかと思います。魂で感じる快だとしても、肉体への治癒能力の効果の有無は、快の質で変わってしまうのではないかと考えます。ということは、魂だけで考えると、快の性質の種類が多く、どの快の質が治癒能力に繋がる快なのか、魂からでは肉体の求めている快の性質が分からず、いわゆる天才にしか治癒能力に繋がる快に直結できないのではないでしょうか。
    肉体からの快を考えると、からだの肉体には感覚受容器が存在するおかげで、快の質や有無をからだにききわけ、味わいたいという要求感覚にしたがって、十分に快を味わうことで、治癒能力に繋がる快である肉体も魂もからだが喜ぶ快の選択が可能となるのではないかと思います。これこそ、この世に存在し生かされる肉体・魂・イノチの感覚を利用した生命感覚といえるのではないかと考えました。
    操体法では、身体運動の法則に基づいたひとつひとつの動きに対して、きもちよさの有無、味わいたい要求感覚の有無をからだに聞き分ける動診(診断)と、聞き分けた質の高い快を十分に味わう操法(治療)の過程があります。これは、肉体で快を選択して、肉体と魂の両方が喜ぶ快の味わう結果、無意識の動きと繋がるのではないでしょうか。だからこそ、からだの治癒に繋がる快は、魂から肉体への快ではなく、肉体から魂への快という流れになると考えました。
    実際に自分で快を探す動きをしてみると、魂・意識の縛りや決め付けによって肉体が窮屈な感じを受けました。身体運動の法則に準じた動きから感覚を聞き分け、十分に気持ちよさを味わっていると、肉体も魂・意識が自我境界のないなんとも自由な感じを受けました。
    からだに肉体と魂・意識が存在しているならば、肉体と魂の両方が喜ぶことを考える必要があり、操体の学びはこの世にある生命現象の全てが含まれているから奥深い学びといえると思います。
    ありがとうございました。

    Sotai Forum in Madridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 時空を超える

    三日目です。今日は「時空を超える」についてもう少し考えてみたいと思います。よろしくお願いします。
    もし自分の意識が、自由自在に時空を超えられると言ったら、現代の生活環境に準じて生活している僕の周りの人々はどう思うでしょうか。きっと何かの能力者や天才として見るか、精神的に問題があると見られるかのどちらかではないかと思います。  
    精神医学者の津本一郎氏の説では、宮沢賢治氏は人の死を予知する幻覚をみたことがあり、この幻覚を予知能力のあらわれとみているそうです。このようなことは、精神分裂病圏内の中にあらわれるとされ、精神分裂病と同じように自我境界のゆるみに他ならなく、自己と他者の区別、過去と現在と未来の境界の普通なら存在する画然たる枠が消失するとされています。
    普通の精神分裂病者でも自我境界が消失し、自我機能が障害されることがあるようですが、その結果生じる症状は、思考化声(考えが声になって聞かされる)、幻聴(囁きや命令の声を聞かされる)、体感幻覚(身体をいたずらされる)、被影響症状(さまざまな影響をうける)、させられ体験(他者によって自分が動かされる)、思考奪取(考えが奪われる)などのような、いずれも「受動態の体験」だそうです。能力者はその逆の能動態の体験とされ、自己の影響によって他者や世界を支配する自我拡大の体験ともいうべき能動的な体験が認められ、たとえば予知・予言(時間)、千里眼・透視(空間)、テレパシーや霊の感応(自他の区別の消失)、念力(自己による外界の支配)、共感覚(感覚同士の区別の消失)だそうです。この中の共感覚者は約40%弱が神秘体験の経験があるそうです。
    共感覚(きょうかんかくsynesthesia)とは、ある刺激に対して通常のひとつの感覚(臭覚、味覚、触覚、聴覚、視覚、動覚)だけでなく異なる種類の感覚を一緒に生じさせることができる一部の人にみられる特殊な知覚現象をいい、例えば共感覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、形に味を感じたりするそうです。
    神経学者のリチャード・E. シトーウィックは、共感覚の診断のために用いる基準を1.共感覚者は空間的なイメージの中で、自分の位置している場所がはっきりと分かる。2.共感覚は無意識的に起こる。3.共感覚の知覚表象は一貫性がある。4.共感覚はきわめて印象的である。5.共感覚は感情と関係がある。とされています。詳しくは東京操体フォーラム実行委員ブログの2010年10月5日を参照してください。
    操体法で快適感覚を味わっていると、無意識のからだの動きや、共感覚に似た知覚現象が現れることが多く見受けられ、魂・意識は時空を超え、きもちよさの神秘体験をしているような感じを受けます。
    意識・魂の求める快適感覚の世界は、きっと自我境界のない世界ではないかと考えられ、もしかしたら、快適感覚を十分に味わっている間に、未来や過去が見えるかもしれませんね!
    ありがとうございました。

    Sotai Forum in Madridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

    2011年秋季東京操体フォーラムは11月6日(日)、東京千駄ヶ谷津田ホールにて開催予定です。

  • 肉体と意識

    二日目です。今日はからだの肉体と意識についていろいろ僕なり考えてみましたので、よろしくお付き合いください。
    来院される患者さんと話していて気が付いたのですが、学生の若い子は「夢」などの未来など現在より先の時間について考えたり、話すことが多いような気がしますが、年配の患者さんとは「若いころ」の出来事など現在より前の過去の時間について話すことが多いような気がします。僕自身も最近は昔を懐かしく思うこともあり、それだけの人生の歩みができたということかもしれませんね。
    これは人間がこの世に生を受けたことで、からだに魂と肉体をもっているからで、魂・意識は未来でも過去でも、またどんな場所空間でも時間や距離に関係ないほど自由なものなのではないでしょうか。この世は自分という肉体をいただいたことによって、時間の進み方、距離など肉体によって生まれる縛りがあるために、魂・意識の自由を要求・欲・願望など自我を満たそうとして、例えば人間は時間や距離を縮めるための乗り物を開発し、満足することなく更に今後も時間や距離を縮める努力をしていくのだと思います。
    魂・意識は自由だからこそ、からだの肉体を、自由に使っていますが、本当にそんな使い方で良いのでしょうか。からだの肉体に対して、自由に自分勝手に使っていた方ほど、「もっと使えるはずだ」「若い頃はもっとできた」と肉体を更に意識の思い通りに使おうとしていないでしょうか。からだの肉体にも、使い方・動かし方のルールであり、そのルールを説いているのが「身体運動の法則」なのです。
    人間はからだの魂・意識の学びと肉体の学びによって、人生を学ぶ・成長ということになるのかなぁ。なんて考えてみました。
    操体では「操体法」と「操体」という言葉を使い分けています。「操体法」とは、橋本敬三医師が臨床で行っていたことを指し、「操体」とは、橋本哲学を含めたものを指します。橋本敬三先生ご自身も「操体操体法は違う」と言われていたそうです。この哲学のなかで、「救いと報い」の概念があります。簡単にいうと、魂は完璧で最初から救われているということ、報いは相対的でこの世に生まれて自分がしたことは、良いことも悪い事も、全部自分に返ってくるということです。
    僕が操体を学んで面白いと思ったのは、操体の学びには、魂の学びも肉体の学びもからだの学びとして全てここにあるということでした。操体は奥の深い学びで、学びを通して成長できている自分を感じています。
    ありがとうございました。

  • 今週は長野県から

     今日から一週間は佐助の担当となります。今回はブログのテーマとして、「時間」「空間」「時空を超える」という壮大なテーマをいただきましたので、一週間いろいろと考えてみたいと思います。
     最近のブログを振り返ると、僕は初日では、ブログのテーマから連想される長野県を紹介しているので、今回もこりずに長野県紹介から入りたいと思います。
     男性の中で時計が好きだという方が多いような気がしますが、世界の腕時計の98%を占めるクオーツ式。このクオーツ式腕時計の開発に世界で初めて成功したのは、諏訪の商店街で時計屋を経営していた山崎久夫氏だったようです。明治時代に製糸業で栄えた諏訪の地域が、昭和に入り化学繊維の登場で壊滅的な打撃を受けると、町を何とか蘇らせたいと職を失っていた女工を雇い、ゼンマイ腕時計の生産を開始し、女工たちの繊細な指先で組み立てた時計はその正確さで評判となったようです。だがこれも、アメリカで電子時計が発売されると窮地に追い込まれたようです。そこでクオーツ腕時計の開発に奮闘し、戦後の長野県の諏訪湖周辺では、時計をはじめカメラ・オルゴール等の生産地として「東洋のスイス」といわれるまでになったようです。当時、この地域の有力企業は、時計の諏訪精工舎(現、セイコーエプソン)、カメラのヤシカ(現、京セラ)、オリンパスチノン(現、コダック)、さらにオルゴールの三協精機などがありました。現在の諏訪地方は中央自動車道により、関東京浜地区と東海名古屋地区とそれぞれ同距離の200kmの中間位置に存在し、市場への流通が便利ということもあり、電子部品・機械部品の会社や、双眼鏡・望遠鏡・顕微鏡・測量機器などの精密機械の製品を製造する会社が多いようです。もちろん現在も、職人による少量生産による機械式腕時計を手作りする所もあるようです。
     諏訪に精密機械の工場が数多く集まる理由はいくつかあるようですが、第2次大戦中、京浜工業地帯にあった軍需工場が戦火を逃れるため、長野県諏訪地方などに疎開し、戦争が終ると軍需工場の製造ラインを使って工業製品を生産し始めましたようです。また気候にも関係があり、現在のように、クーラーなどの設備がない時代には、岡谷・諏訪地方の空気に汚れがなく、内陸気候特有の雨が少ない乾燥した条件が精密機械に適した環境だったようです。


     地域産業の発展状況をひとつとっても、人々が歩んできた意志が現在もなお残っていて、肉体がなくとも歴史として残り、歴史や残った資料から、先人の意志を感じ取ることができ、時空を超える繋がりを歴史から感じとることができるのではないでしょうか。
     長野県から一週間、情報を発信したいと思います。お付き合いよろしくお願いします。

    Sotai Forum in Madridは、9月24日、25日の二日間、マドリードにて開催致します。三浦寛

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