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  • 『私にとって操体は宝の地図である7』

    平成24年の最初の一週間も今日で最終日。

    今日は1月7日は「若菜の節」といわれる七草の日である。

    恥ずかしながら私も年末の忘年会から正月、そして新年会と

    飲めや唄えの大騒ぎで少々食傷気味でげんなりしている。

    そんな人のために野草である七草

    ゴギョウ
    ハコベラ
    ホトケノザ
    スズナ
    スズシロ
    セリ
    ナズナ

    を炊き込んだお粥を食べるという習慣があるなんて

    昔の人もやはり年末年始は暴飲暴食をしていたのであろうか。

    食べることは快感覚を持っているため、私たちは食べることでも

    栄養を補給するだけではなく、「癒し」や「治し」を受けることができる。

    しかしどんなに美味しいものだからって食べ過ぎてしまえば

    必ず不快感が訪れる。「快極まれば不快」である。

    腹八分目で済ませていれば不快な思いなどする必要はないのだが

    美味しいものはつい欲張って食べ過ぎてしまう傾向がある。

    操体では歯の本数に合わせて食べ物を選ぶ様にと指導する。

    「肉食用の歯は、動物の牙にあたる犬歯、糸切り歯ですが、人間には4本しかありません。

    全歯28本中4本、すなわち7分の1に当たります。1週間に1回肉を食べてもたいした害に

    ならないと思いますが、野菜食様の前歯はその倍の8本もあるのです。肉を食べたら、

    その倍も野菜を食べるならいいが、肉ばかり食べて野菜を嫌うならおかしいとおもいませんか。

    スキ焼料理なんかはなかなか合理的ですね。」橋本敬三 万病を治せる妙療法より 抜粋

    良かった私はスキ焼大好物である。いやそんな問題ではない。

    最近は健康志向の高まりから、マクロビオテックやベジタリアンの方向けのカフェや

    レストランが福岡にも増えてきている。しかしひとつ疑問に思うことがある。

    「健康食を売りにするお店は値段が高いのか?」勿論需要と供給のバランスで

    おのずと値段が上がっていまうのかもしれないが、なんとなく健康食ということで

    プレミア感を演出しているのではないの?と勘繰りたくもなってくる。

    「私たち日本人は健康になるなら米を食え!」と島根の福田副実行委員長

    が叫ぶ声が聞こえる。余談ではあるが、良く漫画で登場する骨付きの肉を一度食べてみたいと

    思うのは私だけであろうか?

    これ食べると凄く元気が出そうな気がする。

  • 『私にとって操体は宝の地図である6』

    私は怖がりで弱虫だ。これにかけては自信がある。苦しみや悲しみ、恐れや怒り、貧困や飢餓など生きるための苦悩から逃れるすべを探している。操体をやっていればこれらの苦悩から解放されるのかと云うと勿論そんな簡単な話ではないのであるが橋本敬三医師は「この世は極楽だ。」と書き残しておられる。私などまだこの世に生を受けて40年にも満たない若輩者であるから私の倍以上の人生を全うされた先人の言葉を疑う余地などありはしない。極楽に生きていられるのに、苦悩を感じているのは自分自身の生き方に何か問題があるのに違いない。問題があるということは私の生き方が自然法則に反しているということだ。操体はこの生き方の自然法則を私たちのからだを通して実感させてくれる。先程も書いたが私は臆病者の弱虫なので、健康的に平和に、安心して、幸せに暮らせるように自然法則に則って生きていくために操体という生き方を選択しているのかもしれない。良く患者さんや、知人から「先生は健康のために何かやっとーとー?」ときかれることがある。特別にやっているということはないが、操体から離れないように意識し続けていること自体が最上級の健康法でもあるので、大概はそこから操体の説明が始まってゆく。操体の話をして興味を持つ人、持たない人様々だが、その中の一握りでも興味を持ってくれると嬉しい。どんな免許や学問でもそうだが、免許を取った、試験に合格したといってそれ自体には大した意味はない。一生懸命試験勉強をしましたという栄誉が貰えるくらいであるが、その免許や資格を使って実践していくことによって初めて意味がでる。臨床で使うもよし、自分自身の健康管理に使うもよしいつも私の一番近くに操体がいる。それだけでも少し安心できる気がする。やはり怖がりの私にとっては生活必需品に間違いない。

  • 『私にとって操体は宝の地図である5』

    ところであなたににとっての宝物は一体どんなものであろうか。車や宝石、時計や家などの物品、それとも家族や友人との人間関係であろうか。もしかしたら自分自身の思想や宗教などの目に見えないものを宝物として大切にしている人もおられるであろう。今回の操体が私にとっては宝のありかを示している地図の様なものだという内容で書いている以上私自身のお宝とは何を指しているのかというところも書いておこう。僕にとって凄く価値があると考えているお宝は、車や宝石、時計や洋服、マイホームに、美味しい食事に楽しいお酒、気の置けない友人に、同じ目標に向かって切磋琢磨することができる同志、良き目標であり続けてくれる師匠に、いつも温かく私を迎えてくれる家族や、私に人様のお役に立たせてくれる仕事、人を思いやることができるやさしさに、目標に向かって真っすぐに進んでいける強い意志、いかなる危機に対しても的確かつ冷静に対応できる判断力やいかなる状況においても適応することが出来る柔軟性のあるこころ、自分自身を成長させようとする研ぎ澄まされた意識。数を上げればきりがない位に大切なものはたくさんある。あまり欲張りすぎると罰が当たりそうなのでこのぐらいにしておくが、こんな大切なもの達も、私自身が健康体でなければ、全く何の意味も持たなくなってしまう。そういえばローリングストーンズのギターリスト、キースリチャーズが彼のトレードマークである髑髏の指輪について「どんなに財産を持っても、どんなに地位や名声を勝ち得ても、死んで燃やしてしまえば、皆髑髏(ドクロ)になるだけさ。」と説明していた。全くその通りだと思う。私のこころとからだが健康でいられること、そしてすべての物事に対して悦び・感謝をすることができる感受性を持つことが、一番の幸福な人生への近道なのではないかと思う。さて今日もお宝探しの旅を続けるとしよう。勿論、進路は快の方向に!

  • 『私にとって操体は宝の地図である4』

    ブログも中盤4日目ともなると前半の内容だけではどうしても煮詰まってしまう。カレーも3日目位ならちょうど良い頃合いだとは思うが、4日目ともなるとさすがに飽きてしまう。ここで『橋本敬三論想集 生体の歪みを正す』を開きページを捲ってみる。この本は橋本敬三医師が書き留めた手記を一冊の論想集としてまとめたもので、1987年(昭和62年)に初版が刊行されているが、それ以前に出版された橋本医師の著書にも収められた文章も多く大変参考になるので、是非読まれることをおすすめする。しばらくは絶版の状態だったようであるが、一昨年にオンデマンド版として再販されている。また絶版にならないとも限らないので買うなら今である。

    生体の歪みを正す オンデマンド版―橋本敬三論想集

    生体の歪みを正す オンデマンド版―橋本敬三論想集

    その中で今回目が止ったのは昭和47年の1月8日の「日本医事新報」に掲載された『医学教育』という文章だ。このなかに 

    ”親は子を生んで育て、子は親に産まれて育てられる。自然は人を生み、人は自然に育てられている。親心もわからずに屁理屈言ってもはじまらない。親心、それは自然法則以外の何物でもない。自然環境のなかで生命体がそれに適応することが生命の使命なのだ。”

    という一文がある。そしてその自然法則というものは、突き詰めて行くと「呼吸」「飲食」「身体運動」「精神活動」という4つの営みに集約され、それぞれに自然法則が存在し、それぞれが同時相関相補連動性になっており、4つのうち1つでもその法則に反することがあれば、生命体は破壊に傾いてくるが、同時に4つのうち1つでも法則に則って生活してゆけば、その他のバランスも整ってくるという有り難いシステムが存在している。

    先程の橋本医師の文章に次の様にも書いてある。

    ”精神活動が法則に背反すれば環境破壊もする”

    どうしても私達は自分たちの都合の良い様に、自然環境を適応させようと躍起になる。冬寒いと必要以上に暖房を強めてしまうし、日が沈むと不自由だからと深夜まで煌煌と明かりをともす。それで電力量が足らないといって嘆くのだから本当に始末に負えない。知人に某電力会社の社員の人間がいる。その人は電気を作る会社に勤務しているのであるが専門は地球環境工学、地球環境を壊さないように快適に生活するにはどうすれば良いのかということを機会があるたびにレクチャーしてくれる。話は横道にそれてしまったが、現在まで社会の歩んで来た道のりは、生めよ増やせよという生産活動が主体の大量生産・大量消費が社会・経済の柱になっていた。人間で言うなら交感神経優位の過緊張状態で進歩して来たとも言える。その代償として病気の90%がストレス性疾患とまで言われる様なストレス社会を形成するに至った。橋本医師は広く医学会に健康社会建設の必要性を切々と説いて来た。しかし40年経った今の状況がこの有様であることを考えるとあまりその分野では進歩がなかったと言わざるおえない。今年は2012年奇しくもニューエイジ好きの私にとっても大変興味深いアセンション(次元上昇)年です。以前畠山常任理事のブログ中にも登場したが物質中心の西洋思想から精神世界中心の東洋思想へのシフトチェンジも進んでくる。私達はどのような2012年を過ごすのか。とても興味深い1年である。


    新しい博多駅のイルミネーションはLEDで省エネらしいぞ

  • 『私にとって操体は宝の地図である3』

    昨日のブログの中で、快と不快の間を絶えず漂いながらと書いたが、この世の中にある現象はただ単純に快・不快と割り切れるものばかりではない。同じ現象であっても、その受け手の感受性によっては快・不快のどちらにでも受け取ることが出来るものも少なくない。幼いころに親に叱られてとても辛かったことが、改めて振り返ってみると自分自身を形成するための大切な学びとなっていたり、思いっきりケンカした友達と今まで以上に仲良くなったりと、同じ現象が快・不快の両面を持っていることなど珍しくない。登山やマラソンのようにその人自身が他人から見て不快に思えるような事柄であったとしても、当人にとっては気持ちの良く思えていることがあるように、必ずしも感覚のフィルターは同じではないことを理解することも必要である。自分自身の感受性を高めて、すべての現象の中にある快をききわけられるほどの境地に到達したいものであるが、残念ながら私自身は到底その域までは到達しきれていない様である。だからこそ操体を学び続けているのだ。『感謝』という言葉がある。以前、何かの本で読んだ受け売りだが、自分にとって有益な事象に対して感謝することは容易いが、自分にとって不利益なことに対して感謝を感じられることが尊いということが書いてあった。確かに嬉しい時には、黙っていても感謝の念は湧いてくるが、自分自身が不幸のどん底にいる時に感謝の念を持つというのは並大抵の精神性では難しいだろう。しかし昨年3月の震災後世界中のマスコミを驚かせたのが、被災地東北の人たちの不幸の中でも他者への思いやりを忘れない高い精神性であった。同じ日本人として本当に誇らしく思えた。不幸の中でも他者を思いやることができるほどの人間になれば、生きているだけでも極楽を感じられる境地に至れるのかもしれない。日々精進である・・・


    生まれ故郷、筑豊の霊峰英彦山英彦山神宮

  • 『私にとって操体とは宝の地図である2』

    あなたは疑問に思ったことは無いであろうか。携帯電話にすらあれほど分厚い取扱説明書があるのに、何故私達のからだには取扱説明書がついていないのであろうか。からだの不調に悩まされている時、どうして自分のからだが壊れてしまったのかが書いてあるページを開くことが出来れば少しは体調不良への不安は解消されるかもしれないし、困ったときの対処方法が書いてあるページを開くことが出来れば、自分自身でからだの不調を改善することが出来ることが出来るかもしれない。しかし残念ながら私達のからだにはこのような取扱説明書は付属していないのである。その為に、体調を崩しては市販の健康関連図書を捲ってみたり、インターネットで検索してみたり、各種医療機関や薬局に相談をしに足を運ぶのである。そこではからだの状態に名前を付けてくれて、その状態を改善する為の情報や薬をくれる。私は操体を学ぶことで、からだは不快なことを体験することで、ボディーに歪みが生じ、症状や疾患が出現したことを知った。また同じく快感覚を体験することでボディーの歪みが正され、症状疾患が消失して来ることも理解出来た。

    注釈:操体法創始者橋本敬三医師は症状疾患の発生したからだには必ずボディーの歪みが存在することに気付いた。そして長年の臨床の中で、気持ちの良さを味わうことでボディーの歪みは矯正され、気持ちが悪いことを無理に行うとボディーの歪みが悪化することを発見した。人間が持つ自然治癒能力は快・不快によってコントロールされているのである。

    つまり快適感覚という目的地を目指して進めば、自ずから健康なからだというものが手に入ると云う寸法である。しかし、地図を見て解る様に決して一直線で目的地に到着する道なんてない。途中で交差点もあれば、行き止まりもあるかもしれない。もしかしたら山あり谷ありの険しい道のりが待っているのかもしれない。先日とある番組で完璧主義のまじめな人程ストレスからくる病気にかかりやすいという話がやっていた。恐らくこのようなタイプの方は、目的地までの道のりもつい一直線で進んで行こうと、壁を無理に乗り越えようと試みたり、少しでも早く目的地へ到着しようと全速力で走ろうと頑張ってしまうのかもしれない。快・不快というものは常に表裏の関係で存在し、どちらか一方しかない人生なんてあり得ないのではないかと思う。常に快と不快の中を漂いながら、より快の方向へと向かって行こうとするのが私達の生命感覚なのではないだろうか。

  • 『私にとって操体とは・・・』

    皆様、新年明けましておめでとうございます。

    昨年中は、世界的に大きな災害も多く辛い一年でした。

    今年こそは明るい希望に満ちた一年となるように

    そして皆様が健康的で幸せな一年を過ごせますよう願っております。

    今回はブログトップバッターの秋穂が1月1日から

    という何とも幸先の良いブログのスタートになりました。

    それでは今年も一年間宜しくお願い致します。

    今回のブログのテーマは『私にとって操体とは・・・』です。

    『私にとって操体は宝の地図である。』

    私は地図を見るのが好きである。学生時代に宅配ピザ屋でアルバイトをしたり、バイシクルメッセンジャーをしたりと地図を見る機会が多かったから余計に得意になったのかもしれないが、小学校の頃から地図帳を捲っては、行ったことのない街や国を想像するのが好きな少年であったように記憶している。私にとっての地図は、私達が住む地球上の嘘偽りない姿が映し出されていて、その地図を捲ることにより過去にも、未来にも連れて行ってくれるタイムマシーンの様な存在である。地図を正確に読み、方角さえ間違うことがなければ、かなり正確に目的地に到着することが出来る。この地図に宝の在処を示す秘密の暗号でも書かれていると更に良いのであるが、別になかったとしても、自分の知らない街を地図を片手に歩いてみるだけでも充分すぎる大冒険だ。

    イギリスの詩人 アレキサンダー・ホープは「私達一人一人が航海しているこの人生の広漠とした大洋の中で、理性は羅針盤、情熱は疾風である。」という言葉を残している。たしかに私達の人生は広い大洋を航海している様なものかもしれない。今日天気が良く波穏やかであったとしても、突然嵐に襲われることもあるだろう。ある時自分の知らない未開の土地に到達することもあるかもしれない。A・ホープは理性は羅針盤、情熱は疾風と表現していたが、私は操体と言う地図を手に入れている。操体はどんな荒波の中でも、自分自身の船の位置を必ず教えてくれる。その地図から目を離さない様に軌道修正してゆけば、大きく軌道から外れること無く、目的の場所にたどり着くことが約束されているのである。

    残念なことに最近では世の中があまりに便利になりすぎてしまいカーナビや、携帯電話のGPS機能を使えば地図なんて読めなくとも、道に迷うことは無くなってしまった。私は思う迷いの無い冒険など無い。そして、迷いの無い人生なんてつまらない。私は人生の地図、操体を読み解きながら、あちらこちらでつまずきながら、楽しい人生をこれからも航海して行きたいと思う。


    今日の写真は大分県宇佐市宇佐神宮。初詣気分を味わってください。

  • 体験その2

     最終日の七日目にして、平成23年最終日です。よろしくお願いします。
     昨日の続きですが、手術後の痛み対して僕自身がどのように対処・対応したのかについて書きたいと思います。手術後のからだは痛みによって、身体運動の法則(重心安定の法則・重心移動の法則・連動の法則・呼吸との相関性・目線との相関性の3法則と2相関性)から逸脱した動きになっていたとしても、身体運動の法則に対する学びが活かされてくるから不思議です。
     痛みを我慢する場合、皆さんはどうしますか。痛みを我慢する場合は、歯を喰い縛ると思いますが、どうでしょうか。歯を食いしばると、下顎を引き込み奥歯の咬み合わせによって、チカラを入りやすくして痛みを我慢する形を作ります。この時、頸椎は前屈し、肩甲骨は外転し、上肢は内旋、体幹は前屈へという連動が起こります(いわゆる猫背のような姿勢を今回のブログでは屈曲パターンとします)。実際に僕だけでなく、入院されていた周りの痛みを我慢している方々もこのような姿勢でした。
     ですが!ここが不思議なところですが、痛みを我慢するとき、屈曲パターンで我慢しているにも関わらず、お尻を突っつかれると(更なる刺激をされと)、逆の反り返る伸展パターンに一瞬にして変化させ逃避(逃避反応)するのです。痛みを我慢しているのと、痛みから逃避する連動は違うということなのです。また、「楽」な動きを確認すると、我慢している形の屈曲の動きのほうが動きやすいようです。
     僕が痛みを我慢している間に行っていたことは、逃避反応の動きを参考に、口を開くと頸椎が伸展してくる連動を利用して、身体運動の法則に基づき全身の連動を引き出し、さらに頭の皮膚(耳の周囲や顎関節の皮膚)で動きを誘導しながら、動きと皮膚の「快」とききわけ、ききわけた快適感覚を味わっていたのです。頭の皮膚感覚は、痛みの感覚より、皮膚への感覚のききわけに集中できるから不思議なんです。   
     頭の皮膚へアプローチすると、痛みや感覚を認知する大脳皮質にダイレクトに認知されやすいためか、痛みという不快な感覚があっても、痛みを忘れ「快」をききわけやすく、十分に質の高いきもちよさを味わうことができました。快適感覚を味わいながら、あとはからだにおまかせです。痛みを抑制するホルモン分泌などからだに必要な無意識な反応によって、翌朝には痛みが軽減していました。
     「快」のききわけは、身体運動の法則に基づき、ひとつひとつの動きに対して快適感覚の有無をからだにききわけますので、頸椎伸展の連動を引き出しながらというように、目的を持ったひとつの動きからでも感覚をききわけることが可能となります。からだがどんな状況でも、「快」という感覚がききわけやすい状況を作る、これも操体を学ぶ我々の技量によって「快の質」が変化してくるからこそ、日々の学びが必要なのです。「快の質」がそのまま治癒能力に反映されてくるからです。
     僕が痛みに対する感覚が鈍感で翌日には痛みが軽減したのではなく(笑)、からだにききわけた「快」という感覚をからだが味わい要求を満たすことによって、からだに必要な生命能力が無意識に働いてくれたという、からだに感謝する結果になったのです。ありがとうございました。
     皆様も「快」をききわけるという感覚を大切にしてください。からだはききわけた「快」という感覚を求めているはずです。
     一週間お付き合いありがとうございました。平成24年もどうぞよろしくお願いします。

  • 体験その1

     六日目です。よろしくお願いします。
     明日で平成23年が閉じようとしていますが、今年一年も忙しく、時間が1日24時間では足りないくらいの感覚を感じるくらいの生活を過ごさせて頂きました。自分自身、からだが限界を感じているなという感覚を感じながらも、いろいろな仕事が舞い込む環境により、環境を含む息食動想の四つの営み(自己最小限責任生活必須条件)の生命力学のバランスを崩してしまいました。(自分で分かっていて、バランスを崩しているから、からだの素直に謝っています。)物の見事に全体のバランスが崩れていくもので、改めて操体の哲学の教えを自分自身で体験しております。
     胃カメラ・大腸カメラなど検査の結果、逆流性食道炎に、痔瘻(じろう)という立派な診断名がつきました。その中でも、痔瘻の治療は平成24年に持ち越しです。
     簡単に痔瘻を説明しますと、ストレスや不規則の生活などによって、下痢が続いたり免疫力低下から、細菌が肛門周囲に侵入して炎症を起こし、肛門周囲膿瘍となった後に、肛門周囲に排膿することで瘻管が生じ、痔瘻となるようです。この痔瘻の検査が何と言っても痛いのです。痔瘻の深度及び形状を把握する為に、肛門周囲に開口した瘻孔部から探針(ゾンデ)と呼ばれる金属製の棒を挿入し検査しますが、その際に、麻酔を用いない為に激痛が伴うのです。
     医師に「チカラを抜きましょう」。僕は「ハイ」。痛みをこらえながらこの繰り返しで、激痛に対して自然とチカラがはいるわけです。これも防御反応で立派な反射なのですが、検査時には邪魔になってしまうようで、なかなか苦労しました。検査の結果分かったことは、瘻管がすこし複雑なので、瘻管切開開放術とシートン法を併用しておこなうということでした。入院期間は7〜10日くらい、その後の自宅療法で2〜3週間かかることがあり、創が治るのにはさらに1〜3週間かかるようなことを言われながら手術となり、初めて自分が受ける手術に緊張しつつも無事に手術が終了となりました。
     手術中は検査と違い痛みがなく、麻酔の有難さに感謝をしていましたが、麻酔が覚めると、わかっていたことですが「お尻が痛い」のです。お尻が痛いということは、からだの中心に近いということもあり、身体運動の法則(重心安定の法則・重心移動の法則・連動の法則・呼吸との相関性・目線との相関性の3法則と2相関性)がなくなってしまったような、からだが丸太のような感じの動きになるのです。
     この痛みの中、今まで学んできた操体を活かす時が来たとばかりに、からだと感覚をいろいろ試すことができました。その結果、なんと一晩で痛みはあるものの歩行ができるようになり、医師からは、「普通の人は痛みが落ち着くのに3日ぐらいかかるのに、痛みに鈍感なのかな」とビックリしていました。そして、内服薬の抗生物質と消毒をもらって4日目に退院、外来通院となりました。
     今回の手術入院、自宅療養に関しまして、三浦理事長・畠山常任理事をはじめ実行委員皆様には、ご迷惑・ご心配をお掛けしました。この場をかりて、いろいろとありがとうございました。
    ところで、痛みを一晩でどのようにしたのかについての体験は、最終日の明日、ブログを読まれている方にそっと教えます。やはり答えは快適感覚なんですが・・・。
     今日はこの辺りで・・・。ありがとうございました。

  • 第二分析

     五日目は、「楽な動きではなく、身体運動の法則(重心安定の法則・重心移動の法則・連動の法則・呼吸との相関性・目線との相関性の3法則と2相関性)に基づき、ひとつひとつの動きに対して快適感覚の有無をからだにききわけさせる動診(診断)と、快適感覚がききわけられたら十分に味わう操法(治療)」これを第二分析と呼んでいます。本日は「感覚」を中心としたアプローチとなる第二分析の機序について書きたいと思います。よろしくお願いします。
     第二分析の機序について説明したいと思います。ひとつひとつの動きについて、感覚をからだにききわけるということは、大脳皮質運動野から錐体路によって下行してきた骨格筋の随意運動の動きに対して、筋・靱帯・関節の深部感覚の感覚が存在します(身体運動の法則に基づいたゆっくりとした動きの感覚に意識を向ける必要あり)。普段の動きでは気にすることのない感覚です。この深部感覚の感覚はAβ線維によって脊髄後索へ伝わり、意識にのぼる深部感覚として後索路という上行性伝達路から、視床を経て大脳皮質感覚野まで伝わり、この流れでからだの動きと感覚のききわけ(感覚分析)が可能となります。ひとつの動きに対しての感覚に「快」の有無をききわけることで、大脳で快適感覚として認識され、動診(診断)となります。ここからの行程は操法(治療)となります。快適感覚を味わうことによって脳内のホルモン反応(分泌)が起こり、この反応が錐体外路赤核脊髄路、上丘(視蓋)脊髄路、前庭脊髄路、間質核脊髄路、網様体脊髄路が含まれる)によって、大脳皮質から大脳基底核視床、小脳あるいは聴覚、視覚などの感覚器からの情報を取り入れながら、フィードバックを繰り返して脳幹へ行き、様々なからだの反応を引き出しながら脊髄を下行していくことになります。この時のからだの動きや反応は、無意識の動きとなります。この無意識の動きによって再び筋、靱帯、関節の深部感覚がAβ線維で脊髄後索に伝わり、意識にのぼらない深部感覚として小脳皮質に伝達され、更なるからだの反応に繋がるのです。これが感覚をききわけ、快適感覚を十分に味わうことによって起こるからだの反応機序となることが考えられます。

     質の高い快適感覚を味わうことで、からだにとって必要な様々な反応をからだ自身が選択をし、からだの感覚に委ねることで、脱力の間合いを含め脱力方法や、回数の要求など、すべてをからだの感覚にききわけた臨床を可能にしてくれるのです。
     痛みなどの不快体験は脳に記憶されることもあり、痛みの記憶は、慢性痛としての原因を作り出すだけでなく、ストレスによる心因性、情動の問題に深く関与する扁桃体などの働きと大きく関わり、からだの多次元の痛みを脳内で作り出すこともある(ニューロマトリックス理論)という症状や、自律神経など様々なからだをコントロールする中枢が脳にあります。これらの脳内の状態に変化をもたらすのは、からだの筋肉・靭帯・関節などの部分的要因ではなく、「快」という感覚によるホルモン分泌や細胞などのからだ全体の反応が効果的だと考えられます。
     「楽」という動きと「快」という感覚や無意識の動きとの違い、「楽」と「快」へのアプローチの違いについて区別できているのかどうかで、からだの反応は全く異なる反応となります。「楽」と「快」との違いについて 我々操体を学ぶ者が、理解・区別できていないと、きっとからだは混乱をきたしているのではないでしょうか。
     今日はこの辺りで・・・。ありがとうございました。