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  • 『インスタントの甘い罠』

    患者本人のイノチにむかって問いかける。鍵穴を観る。
    ピタリと合う鍵は快適感覚にある。
    感覚の調和というプロセス(治癒する過程)によって治癒する。

    操体法」は、「快適運動」という、「正体術」に近い操法を通していた時代を経て、
    現在は「快適感覚」という、橋本敬三師の生命哲学思想そのものに適うようなった。
    そう。ようやく「操体」に適うよう温故知新による”深化”を伴い、
    その確立された診断法と操法の組み立ては「操体法」そのものとなる指導さえも可能としている。

    生命哲学理論ともいえる構築の軸に『自力自療』がある。

    橋本敬三師は晩年、NHKで取材を受けラジオやテレビに取材を受けた時に、
    操体法』と便宜上の名称をつけ・・・、
    「(やっていることの)名称なんてどうでもいい、大切なのは真理だ」
    「からだのサインを読め、からだが治しているのだから」と語っている。

    記憶の中にあるメッセージをふと思い出す。
    私の柔道整復学校時代、荏原町にあった整形外科で修行していた頃の話である。
    そこに外国から来て働いている患者が上腕骨骨折の治療に来ていたのだが、なぜか治りが遅いのである。
    何か整復上の問題があるのかとレントゲン撮影で診ても転移無し、しかし本来の仮骨形成期間を過ぎてもつながっておらず、
    患者本人は至って健康的に見え、若く体力もあるのにどうしてなのかと、担当医も先輩の柔道整復師も頭を捻っていた。

    「環境」と「食」は勿論、相関している。
    じつは治癒遅延の理由に、本人の給料ほとんどを海外の家族に送り、六畳で同じ境遇の三人で暮らす上に、
    日々、特売袋ラーメンで食欲を満たす、とわかったのは骨折から一ヶ月も過ぎた頃だった。

    私自身は「操体」を学び原始感覚を磨いている。
    以前はほとんど感じ無かった感覚をも感じるようになり、「重力」と「環境」ほど密接なものはないと確信してきた。

    一例に[ウォルフの法則]を挙げよう。ドイツの解剖学者であったウォルフ氏は、
    「正常にしても、異常にしても、骨はそれに加わる力に抵抗する最も適した構造を発達させる」と語り、これをウォルフの法則とした。

    簡単にいえば、骨には外力によって骨の内部にそれに応じた力が生じるので、その結果その方向に骨は歪む(これが骨折を代表とした骨構造の歪みを生む)
    但し、その応力が大きい部位ほど骨の組織も増殖するので丈夫になるように外力に反応する。
    その反対に、応力が小さい部位には骨組織が吸収されて薄くなる。なので、外力に対して最も適した骨の形態と構造は維持されるのだ(骨変形も変形治癒もこれが一つの理由)

    面白いですなァ・・・ということは、要するに歪みとは「生き方の自然法則」の内にあり、「身体運動の法則」によって、現象として現れているだけなのだろう。

    つまり「操体」における「自力自療」も、
    最低限必須である”自己責任分担”において、命の営みはからだに結果としての応じた形になる。
    まさに、「操体」における”歪みの発生”そして、”可逆性”をも証明しているではないか。
    自然体。姿勢とは骨格や骨組みのみならず、人体は動く建物であり、それによって生じる現象。

    操体」の臨生家(生かされていることを指導できる臨床と私自身は感じる)にとって素晴らしい現象は、”当たり前”なのだ。
    故に謙虚さこそ肝心要であり、ここに自然法則の応用貢献を成す道はある。

    どこまで診ているのか、どこまで見ているのか、どこまで看ていられるのか。
    日が昇り日が落ちるように、ありのままに、そのままを観る。

    問診情報を経て、視診を経て、触診を経て、さらに様々な検査しておくことも出来て、
    その上でかつ、何かにとらわれず観とおすこと。

    それほどのことさえ当然。
    このような時代に操体は種をまかれて育っている。
    それこそ、一生愉しめる糧を学ぶもの一人一人にたくしつつ。

    あっちので微笑んで、こっちでも見守っている・・・ように感じてならない。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催

  • 『やっぱり最後にゃ、愛だろ』

    私のブログ週の真っ只中10月10日に東京からお師匠が遠路遥々福岡の街にやってこられました。(今日は何となく三浦理事長の呼称を『お師匠』でまとめさせていただきます。)来福の目的は最近たるみ気味な私への喝入れと、お師匠の高校時代の同窓会。何を隠そうお師匠は小学校から仙台の赤門へ入学する前の高校3年生までを福岡の街で過ごされていたのでした。しかもお師匠の出身校を私もちゃっかり受験していたのでした。結局私は他の高校へ進学したのですが、これも1つの御縁ですね。という訳でお師匠は10日には同窓会(結局3次会まで突入したそうである。本当に福岡の夜は長い。)の為、私は11日にお師匠の元へ馳せ参じました。師匠の宿泊するホテルにお邪魔しルームサービスのコーヒーを頂きながら本当に久しぶりにお師匠のお話を聞かせていただいた。お師匠の講演はフォーラムや講習など年に何度となく聞かせていただく機会はあるのですが、こんな具合に面と向かって話をさせていただく時間というのは中々出来ないものです。話は前日の同窓会の話や高校時代の朋友とのエピソード、福岡を離れ仙台に行くときの話など講習の場では中々聞く事が出来ない話から今の私自身の近況報告やお師匠が今興味を持たれていることの話、そういえばips細胞の話もしていました。もっと知識入れておけば良かったな。そんな本当に色んな話をお腹いっぱい聞かせていただきました。これらの話はこっそり私の胸の中にしまい込んでおこうかと思っていたのですが、先程どこで聞きつけたのか岡村実行委員長が「秋穂さん、三浦先生が博多に行ったんだって、その時の様子ブログで教えてくださいよ。楽しみにしてますよ。」なんて言われるもんだから、ちょっとぐらいは披露しなければならなくなりました。チエックアウトの時間までそんな具合にゆっくりと過ごさせていただき、午後からは「博多のおふくろに逢いに行く。」と市内の閑静な住宅街のマンションにお邪魔いたしました。お師匠が博多のおふくろと慕う女性は、お師匠の親友のお母上で中学時代からお師匠が毎日の様にお宅にお邪魔しては、本物の家族の様に時には厳しく時にはやさしく当時の三浦少年をかわいがってくれた方なのだそうです。マンションのエレベーターを降りてご自宅の在るフロアに上がるとおふくろさんは少し不自由なからだで玄関の前まで出て来て私達を迎えてくださいました。そしてお師匠の顔を見つけるや否や大きくなった三浦少年を抱擁し「寛ちゃん、おかえり」と満面の笑みで端から見ているとまるで実の息子が帰って来たのだろうと疑い用のない様子で喜びを表現しておられたのが印象的です。おふくろさんはお師匠とお供の私をご自宅の中に招き入れてくださり、お師匠がまだ操体三浦寛になる前の昔話を聞かせていただきました。その当時おふくろさんの家には実の息子ふたり以外に三浦少年を含めて3人の居候がいて本当ににぎやかだった話。その中で三浦少年だけが、何も言わなくても黙々とお風呂掃除を毎日やってくれていた話。三浦少年が仙台に旅立ったあともことあるごとに福岡に帰って来ては実家より先におふくろさんの家に里帰りしていた話。三浦少年が仙台での橋本先生の元へ弟子入りしたときの意気揚々として師匠の自慢話をしていた話。本当に私達の知らないお師匠の若かりし頃の姿をそれはそれは鮮やかに聞かせていただきました。私はそのおふくろさんの話の中に「あなた達にとっては大先生かもしれないけれど、私に取ってはやさしい息子なんだよ。」という言葉がありました。本当に血のつながっている息子ならまだしも、自分の息子の友達だからといって、人はここまで他人を愛せるのだ。というおふくろさんの博愛の気持ちと垢の他人にここまで信頼してもらえるお師匠の素直さと謙虚さそして人間的なやさしさを感じるとともに、人はどのように産まれたかということよりも、どの様に人と接したかによって人間関係は無限に広がるのだと云う絆の意味を教えていただけた気がしました。

    私は治療家です。症状疾患を抱えて来院された患者さんの治療をするのが生業ですが、うちのお師匠を見ていると治療の技術や病気の知識だけで人の傷は癒されるものではないのだということをまざまざと見せつけられます。勿論お師匠は操体の世界では勿論、日本のどの治療家と見比べてみても卓越した技術を持つプロフェッショナルであることに疑う余地はありませんが、その治療技術に輪をかけてひと付き合いと人への思いやりのこころの深さに関しても卓越した才能を持っている様に感じます。操体法創始者であり医師である医学のプロフェッショナルである橋本先生が弟子として迎え入れ、名ホテルマンとしてホスピタリティー(おもてなし)のプロフェッショナルである橋本保雄さんが目をかけておられたのは、博多のおふくろさんが三浦少年に対して感じていた、素直さややさしさと云う人間としての品性を認めたからなのかもしれません。ただ自分自身が認められたいと俺が俺がで突っ張ってみても、人として信頼に値すべき品性がなければ決して受け入れられないでしょう。私達東京操体フォーラムの実行委員がお師匠からことあるごとに怒鳴られ教えていただいているものは、操体の技術なんかじゃなくて、人間として誰からも信頼される人間になる為の生き方つまり品性なのかも知れません。

    お師匠の束の間の里帰りを終えたあと、私と師匠は博多の街の台所『柳橋連合市場』に立ち寄りました。
    ここは戦後の闇市の時代から市場が発達し、転勤したい街全国一位という福岡の街の魅力の筆頭にあげられる「食べ物がうまい街福岡」を今でも影から支え続けています。ここでお師匠が東京へのお土産を買うということなので、私も「今こそ弟子としての力量を試す時!」とばかりに勇んで辛子明太子を買い求めお師匠に東京へのお土産にどうぞと差し出したのですが、その明太子を受け取ってくれたその手で、更に大きな紙袋を私の元に差し出しされた。「秋穂、今日はアリガトな。」紙袋の中にはパンパンにはち切れんばかりの私へのお土産が詰まっていました。ウチのお師匠は本当に厳しいお師匠で、すんなりとはお師匠孝行もさせては貰えません。師匠を空港の出発搭乗口まで見送り自宅に帰り、夕食の食卓に上がった上等な魚をほおばりながら何とも嬉しいやらくやしいやら、本当に複雑な気持ちで食べた魚の味は一生忘れる事はないでしょう。いつになるかはわからないけど、お師匠が口をあんぐり閉じられなくなるくらいの師匠孝行ってやつがしてみてぇもんだ。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催

  • 『ひやり・はっとより、はっとしてグーを』

    そういえば最近自転車で通勤する方が増えましたね。自転車で通勤する方達の事をツーキニストと呼ぶそうです。ここ最近の健康ブームやエコブームと街のお洒落さんの支持を得てこのツーキニストさんが異常発生している模様です。私の住む福岡の町も例に漏れずツーキニストさんが急増しており、何を隠そうわたくし秋穂もツーキニストのひとりです。

    自転車で通勤していて驚かされる事があります。自転車のマナーの悪さです。歩道を走るだけならまだしも、携帯電話やスマートホンをいじりながら走ってみたり、赤信号で車が走っている前を平気で横切ったり、暴走族が信号で止まっているこのご時世に本当に乱暴な運転をしている方が多いのです。自転車に運転免許がないからルーズになってしなっているのかもしれませんが、自転車と云えどもやはり車両です。万が一事故を起こしてしまった場合には、懲役も科せられますし、罰金だってあるのです。しかし懲役や罰金があるから交通ルールを守りなさいというのではなく。ルールやマナーは私達が快適に過ごす為のマニュアルだと思って自分だけではなく、周囲のみんなが快適に通行出来る様にする為にも安全運転をする方がハッピーなことではないでしょうか。

    そういえば三浦理事長と一緒に街を歩いていると、信号無視をしている自転車の前に立ちはだかり注意している姿を良く見かけます。始めは何故理事長自身の身を危険に曝してまで自転車を注意しているのかと疑問に思いましたが、最近ポンっと腑に落ちた事があります。先生は私達弟子に操体の臨床は治療だけ上手くやっていれば良い訳ではない、生き方の姿勢が問われて来るんだよと度々指導してくださる。いくら治療の技術や知識ばかりを磨いたところで、実際に治療する人間が勝手気ままに不摂生しているようではその姿勢というものは臨床態度に少なからず影響してくる。私も恥ずかしながら鉛筆の持ち方をこの夏に指摘され現在修正真っ最中です。なにもこれは私達臨床家にだけ言える事ではありません。この生き方の姿勢というものはその人のからだの姿勢にも影響して来ますし、その人のイノチの在り方にも影響して来るのです。

    操体を学んでいる方にとってはもう飽きる程聞かれた話だとは思いますが、交通ルールと同じ様に私達のからだにもからだの動かし方と使い方のルールがあります。これが身体運動の法則です。そして私達は絶対に人に変わっては貰えない生命エネルギーのインプットである呼吸と食事、そして生命エネルギーのアウトプットである運動と精神活動のバランスがそれぞれ絶妙に関与し合って健康なからだを維持しています。これら四つの生命活動とそれを取り巻く生活環境も含めて最小限責任生活といいます。この極シンプルなからだの基本となる原理原則を守っていれば健康でハッピーに生きられる様になっているのですが、このうちのどれかを不摂生してバランスを崩してしまうとからだの姿勢は崩れ、不定愁訴と呼ばれる異常感覚が起こり、それでも放って置くとからだは壊れてとんでもない事になります。

    しかしこの交通ルールもからだのルールも、それに違反したからといってすぐに問題が起こる訳ではないのです。勿論その程度の問題によっては即何らかのトラブルが起こる事もあるかもしれませんが、なにも弁護士を立てて法廷で争わなくてもなくても、きちんと執行猶予が付いて来てくれるのです。自転車でちょっと信号無視したからと言ってすぐに事故に遭う事はないとは思います。勿論運転者も車が通っていないのを見計らって信号無視をするのですから、いきなり事故に遭う事は少ないと思いますし、たまの飲み会でちょっと位食べ過ぎや飲み過ぎをしたって、すぐに病気になる事はあまりないと思います。しかしこれらのルール違反は必ずペナルティーを持っています。人は良い事も悪い事も慣れます。最初は「今日は車も通っていないし、遅刻しそうだから信号無視しちゃうか。」と罪悪感を感じながら信号無視をしていた人も、次の日も、また次の日もと繰り返しているたびに、感覚が麻痺して赤信号も車が走っていなければ青信号にみえて来ますし、「今日は会社の飲み会だから飲み過ぎていいよね〜。」と油断していた人も、次の日は女子会、その次の日はコンパと続けているうちに、なんだか飲まないとやってられなくなってしまうのです。そうですイヤよ、イヤよも、いつの間にか好きになってしまうのです。

    慣れは注意力を低下させ『ひやり・はっと』の原因になってしまいまいます。労災事故を専門に解析した『ハインリッヒの法則』では、1件の重大事故の影には29件の軽微な事故と800件のひやり・はっとがあるとの統計が出ています。これを飲み会に当てはめてみると800回の飲み会は29回の二日酔いと1回の胃潰瘍の可能性を秘めているといえますし、信号無視に当てはめると800回の信号無視は29回の軽傷の接触事故と1回の死亡事故に繋がる可能性があるということになるではないですか。もう信号無視をしている場合ではありませんよ。病気になったと云ってもからだが悪いのではありません。病気になる様に無理をさせてしまった使い方が悪いのです。罪を憎んでからだ憎まずです。この事をよ〜く知ってあるから三浦理事長は自らの危険を顧みずに自転車を止めに行くのでしょう。三浦理事長はいっていました。「目の前でからだを張って止めようとしても誰も止りゃ〜しない。」それでもまた今日も三浦理事長は世界の健康を守るため、信号無視の自転車を注意し続けている事でしょう。こんな師匠を持ったから、私は絶対信号無視はいたしません。(断言)

    そういえば三浦理事長の在籍時代、赤門鍼灸柔整学校に講師として通ってくる橋本先生も自転車ツーキニストだったそうです。今も昔もお洒落な人は自転車に乗っていたんですね。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催

  • 『満ち足りた物足りなさ』

    昨日は刺激の強い食べ物の過剰摂取が問題になっているようですよと云う内容で書かせていただきましたが、この刺激の強いものというのは何も食べ物に限ったものではありません。私達のからだに外から入ってくる刺激は全てストレッサーになりうるのですから、運動や労働により与えられる身体面へのストレッサーや、情報やコミュニケーションによる心理面へのストレッサー、騒音や環境破壊等から来る環境面へのストレッサーなど、私達の生活を取り巻くありとあらゆるものが私達のからだに取ってストレッサーとなりうる可能性があるということです。これは勿論、ネガティブなストレッサーばかりではなく、嬉しい・楽しいなどのボジティブな内容の刺激であっても過剰になってしまえば、からだに取って有害な刺激になるとも言えます。橋本先生の中に赤ん坊がお乳を欲しがるからと言ってすぐに母親が与えていると軟弱な子供に育ってしまうから、お乳を欲しがって泣き始めても、一度泣きつかれてウトウトと眠り始め、再び目を覚ましより一層強くなき始めるまでお乳を与えるべきではないという文章が書いてありました。その様に一度飢餓状態を覚えたこの方がお乳の飲む力が強くなるし忍耐強い子供が育つのだということです。

    しかしこれは必ずしも子供だけに限るものではないのではないでしょうか。好きな時に好きなだけおっぱいを飲んで育った子供が社会に出て経済的に自立してみると今度はお金を払えばそれなりに不自由無く満ち足りた生活を送る事が出来る様になります。この不自由のない満ち足りた生活の危険性に対してソニー創業者の井深大氏が著書『0歳からの母親大作戦』の中でこのように書いておられました。

    幼児教育に限らず、私は現在の教育問題の1つは与え過ぎにあると思っています。教育という言葉は、教えるものが教えられるものに与えるというイメージを強く持っていますが、教育には与えないと云うやり方もあるのです。教育の大きな牽引力は、満ち足りたりたいところにあり、そこから集中力や努力もうまれて来るのです。人間は満ち足りないからこそ。それを得ようと努力し、大きな仕事も成し遂げる事が出来るといえましょう。

    私は戦後生まれの両親から育った第2次ベビーブームの真っ只中に産まれました。産まれた頃には日本も経済的に成長し物質的に恵まれた中で産まれて来た世代といっても良いでしょう。私達と比べてみると戦前生まれの橋本先生や、戦後のモノがない時代に産まれた三浦理事長の年代の方達は本当の意味で飢餓状態を実体験されてあるのではないでしょうか。橋本先生は若い頃から医学会に向けて、ボディーの歪みへの理解と未病医学の重要性を提唱し続けても70歳を過ぎる当たりまでは全くと言って相手にされなかったそうですし、三浦理事長も橋本先生が残した快適感覚をききわける診断と操法を周囲の冷ややかな眼差しを受けながら構築して来ました。この周囲からの軋轢を克服し1つの物事を成して行くと云うバイタリティーは確かにその満ち足りなさを自らの努力で克服した事によって得られたエネルギーなのかも知れません。

    『足るを知る』事はとても大切な事だとは思いますが、足る知った上でその足りないものを求めようという探究心も私達求学者が持たなければならない必須条件なのかもしれません。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催

  • 『ひやり・はっとより、はっとしてグーを』

    そういえば最近自転車で通勤する方が増えましたね。自転車で通勤する方達の事をツーキニストと呼ぶそうです。ここ最近の健康ブームやエコブームと街のお洒落さんの支持を得てこのツーキニストさんが異常発生している模様です。私の住む福岡の町も例に漏れずツーキニストさんが急増しており、何を隠そうわたくし秋穂もツーキニストのひとりです。

    自転車で通勤していて驚かされる事があります。自転車のマナーの悪さです。歩道を走るだけならまだしも、携帯電話やスマートホンをいじりながら走ってみたり、赤信号で車が走っている前を平気で横切ったり、暴走族が信号で止まっているこのご時世に本当に乱暴な運転をしている方が多いのです。自転車に運転免許がないからルーズになってしなっているのかもしれませんが、自転車と云えどもやはり車両です。万が一事故を起こしてしまった場合には、懲役も科せられますし、罰金だってあるのです。しかし懲役や罰金があるから交通ルールを守りなさいというのではなく。ルールやマナーは私達が快適に過ごす為のマニュアルだと思って自分だけではなく、周囲のみんなが快適に通行出来る様にする為にも安全運転をする方がハッピーなことではないでしょうか。

    そういえば三浦理事長と一緒に街を歩いていると、信号無視をしている自転車の前に立ちはだかり注意している姿を良く見かけます。始めは何故理事長自身の身を危険に曝してまで自転車を注意しているのかと疑問に思いましたが、最近ポンっと腑に落ちた事があります。先生は私達弟子に操体の臨床は治療だけ上手くやっていれば良い訳ではない、生き方の姿勢が問われて来るんだよと度々指導してくださる。いくら治療の技術や知識ばかりを磨いたところで、実際に治療する人間が勝手気ままに不摂生しているようではその姿勢というものは臨床態度に少なからず影響してくる。私も恥ずかしながら鉛筆の持ち方をこの夏に指摘され現在修正真っ最中です。なにもこれは私達臨床家にだけ言える事ではありません。この生き方の姿勢というものはその人のからだの姿勢にも影響して来ますし、その人のイノチの在り方にも影響して来るのです。

    操体を学んでいる方にとってはもう飽きる程聞かれた話だとは思いますが、交通ルールと同じ様に私達のからだにもからだの動かし方と使い方のルールがあります。これが身体運動の法則です。そして私達は絶対に人に変わっては貰えない生命エネルギーのインプットである呼吸と食事、そして生命エネルギーのアウトプットである運動と精神活動のバランスがそれぞれ絶妙に関与し合って健康なからだを維持しています。これら四つの生命活動とそれを取り巻く生活環境も含めて最小限責任生活といいます。この極シンプルなからだの基本となる原理原則を守っていれば健康でハッピーに生きられる様になっているのですが、このうちのどれかを不摂生してバランスを崩してしまうとからだの姿勢は崩れ、不定愁訴と呼ばれる異常感覚が起こり、それでも放って置くとからだは壊れてとんでもない事になります。

    しかしこの交通ルールもからだのルールも、それに違反したからといってすぐに問題が起こる訳ではないのです。勿論その程度の問題によっては即何らかのトラブルが起こる事もあるかもしれませんが、なにも弁護士を立てて法廷で争わなくてもなくても、きちんと執行猶予が付いて来てくれるのです。自転車でちょっと信号無視したからと言ってすぐに事故に遭う事はないとは思います。勿論運転者も車が通っていないのを見計らって信号無視をするのですから、いきなり事故に遭う事は少ないと思いますし、たまの飲み会でちょっと位食べ過ぎや飲み過ぎをしたって、すぐに病気になる事はあまりないと思います。しかしこれらのルール違反は必ずペナルティーを持っています。人は良い事も悪い事も慣れます。最初は「今日は車も通っていないし、遅刻しそうだから信号無視しちゃうか。」と罪悪感を感じながら信号無視をしていた人も、次の日も、また次の日もと繰り返しているたびに、感覚が麻痺して赤信号も車が走っていなければ青信号にみえて来ますし、「今日は会社の飲み会だから飲み過ぎていいよね〜。」と油断していた人も、次の日は女子会、その次の日はコンパと続けているうちに、なんだか飲まないとやってられなくなってしまうのです。そうですイヤよ、イヤよも、いつの間にか好きになってしまうのです。

    慣れは注意力を低下させ『ひやり・はっと』の原因になってしまいまいます。労災事故を専門に解析した『ハインリッヒの法則』では、1件の重大事故の影には29件の軽微な事故と800件のひやり・はっとがあるとの統計が出ています。これを飲み会に当てはめてみると800回の飲み会は29回の二日酔いと1回の胃潰瘍の可能性を秘めているといえますし、信号無視に当てはめると800回の信号無視は29回の軽傷の接触事故と1回の死亡事故に繋がる可能性があるということになるではないですか。もう信号無視をしている場合ではありませんよ。病気になったと云ってもからだが悪いのではありません。病気になる様に無理をさせてしまった使い方が悪いのです。罪を憎んでからだ憎まずです。この事をよ〜く知ってあるから三浦理事長は自らの危険を顧みずに自転車を止めに行くのでしょう。三浦理事長はいっていました。「目の前でからだを張って止めようとしても誰も止りゃ〜しない。」それでもまた今日も三浦理事長は世界の健康を守るため、信号無視の自転車を注意し続けている事でしょう。こんな師匠を持ったから、私は絶対信号無視はいたしません。(断言)

    そういえば三浦理事長の在籍時代、赤門鍼灸柔整学校に講師として通ってくる橋本先生も自転車ツーキニストだったそうです。今も昔もお洒落な人は自転車に乗っていたんですね。

  • 『子供に野菜を食べさせる方法』

    先日、明石家さんまさんが司会をしている『ほんまでっか?TV』という番組の中で、食事中、子供に水を飲ませる様にすると喜んで野菜を食べる様になるという話が取り上げてあった。内容的にはジュースや炭酸飲料等味が濃く刺激の強い飲み物を飲むと、野菜の様な薄味の食べ物では満足出来ず、味が濃くて刺激の強い食べ物を欲する様になってしまうため、全く刺激のない水を飲ませる事によって、薄味の食べ物でも満足出来る様になるというものでした。確かにキンキンに冷えたコーラを飲む時には脂っこいフライドチキンやピザが欲しくなるものです。そして毎日毎日コーラとフライドチキンばかりを食べ続けていたら・・・考えただけで羨ま、いや恐ろしい。体重計に乗るのが恐ろしくなってしまいます。たびたび参考にあげるが橋本先生の『からだの設計にミスはない』の「第三章 毎日を快適に過ごす為に」の中の「食事について」の文中に

     我々は味覚に誘われて食を享楽と考えている域にきている。これは一部では恩恵ではあるが、溺れると不謹慎になり、更に進めば堕落となり、自然にそむいた災害を身にまねくことになる。そして食のみが一番手っ取り早い享楽の対象となるのであるから反省しなければならない。

    と書いてある。確かに私が小さくてまだ祖父母と一緒に暮らしていた頃は、田舎であったからお店がなかったということも理由の1つだとは思うが、外食をした覚えがほとんどない。食事は家族みんなで揃って家の食卓を囲み「いただきます。」をするのが普通でした。しかし福岡の街に住んでみると、老舗から新規オープンのお店まで、和食だろうが、イタリアンだろうが、鉄板焼きだろうが、ラーメン屋だろうがありとあらゆる飲食店が所狭しと乱立している。毎日一店ずつ食べ歩いてみても何年かかるか検討もつきません。

    その中で1つ私が気になっている事があります。何故か健康な食事を唄っているところの方が、格段に料金が高く設定されている様に感じます。勿論有機栽培や産地直送など食材にこだわり、原価率が高くなってしまうから仕方ないのかもしれませんが、いくら高級で安全な食材を使ってみても美味しい食事を腹一杯食べていたら結果的には過食の報いを受け入れなくてはならなくなります。しかしこれは何も飲食店側の問題ではなく、折角外食するのだからいつもより美味しいものを食べたいという私達の浅ましい食欲に問題があるのではないでしょうか。仮に食材にコストがかかっていたとしても質素な食事をとるのであれば、それ程高額な食費になる事はないと思いますし、一人暮らしやお父さんのお昼ご飯に健康な素食を安価でサービスしていただけるところがあれば、胃袋にも巾着袋にもやさしい食事を取る事が出来ます。是非外食産業の企業の皆様、本当にからだに良い食事を出すお店を作っていただけませんか。宜しくお願いいたします。

    そういえば今年の夏くらいから、羽田空港の第一ターミナルの地下に『うちのたまご』という卵かけご飯専門店がオープンしており、この夏上京する機会が多かった私は何度となく利用させていただきました。ちなみにこのお店は東京赤坂の『赤坂うまや』という和食の料理屋さんの系列店らしく、この赤坂のお店に行くとなるとお昼の定食でも1500円近くかかるのが、卵かけご飯なら500円で住んでしまうという値段設定が嬉しい。ちなみにこのお店で使われている卵は私の生まれ故郷、福岡県の筑豊地方の中心飯塚市の専門の養鶏場で、絶対安全な卵を出せる様に丁寧に栽培された鶏が産んだ卵なのだそうだ。言わばこの卵達は博多名菓『ひよこ』の後輩に当たるメイドイン筑豊のルーキーなので私としても知らん顔出来ないのである。500円の卵かけご飯高いか安いか。それは食べてのお楽しみである。

    全く本文には関係ありませんが、熊本のゆるキャラくまもんの甘夏ゼリー。熊本にも強敵がいるものだ・・・

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催

  • 『イノチの洗濯日和』

    今日(正確には10月7日)は休日だったので、たまたま近所で開催していたアンティーク家具の青空市に冷やかしに行ってみました。福岡は大昔から大陸からの玄関口として栄えた歴史を持っている街で、現在もアジア圏からのクルーズ船が度々来航する等未だに海の玄関口として大勢の海外旅行客を迎えており海外からの旅客数は日本一を誇っています。

    あこがれの上海航路ですよ〜

    この日もアンティーク市の会場の隣の大型コンサートホールではお隣の韓国の人気スターのコンサートが開催されるらしく大勢の女性でごった返しており、こんなご時世なのに本当に日本女性は懐が深いと感銘を受けた次第です。現在福岡の港は人だけではなく大型のコンテナ船も多く入っており海外からの輸入品が多く陸揚げされるため、福岡の街中でも海外からの輸入雑貨のお店やアンティークショップが多く見受けられます。

    そういえば橋本先生が『からだの設計にミスはない』の最初の「日本は宝の島」という文章の中で、日本は大陸のふきだまりで、いろいろなものが大陸から吹き寄せられてくる。と書いてあります。この吹きだまりの入り口が紛れも無くこの福岡の港であったという事になりますね。その影響で福岡には『○○の発祥の地』というものが結構多くあります。有名どころでは臨済宗の開祖栄西が宋よりお茶を持ち込み博多の街に広めたのだそうです。また、この栄西が開いた聖福寺は日本で始めての禅道場なのだそうです。食べ物で言えばうどんも現在では四国香川の讃岐が有名ですが、これもやはり中国から博多に伝わったもので、博多の承天寺の境内には饂飩蕎麦発祥地と書いた石碑が残されています。あと変わり種では福岡市の福岡女学院という学校が日本で始めてセーラー服を制服に導入したのだそうです。もしこの学校がセーラー服を導入しなかったら、おニャン子クラブ薬師丸ひろ子もちょっと困った事になっていたに違いありません。

    話を橋本先生の本に戻します。その続きにそうやって日本に入って来るものの中には良いもの悪いものいろいろとなるのだけれど、それが宝物なのかガラクタなのかなかなか区別する事ができない。西洋から来たものばかりが宝物に見えて、古来から東洋に伝わっているものはガラクタにみえてしまうと書かれてあります。確かに明治の開国以来、ひたすら西洋の強国を手本に国づくりをしてきた私達日本人はどうしても西洋のものをありがたがる癖がついてしまっているのかもしれません。何の本だったかは忘れてしまいましたが、農業国の日本人においては元来胴長短足がイケメンの条件であったと書いてある本がありました。確かに足が短い方が重心が低く農作業に向いているから生存能力は高いといえるのかも知れません。江戸時代にタイムスリップしたら私なんかも韓流スターに負けないくらいのイケメンだったに違いありません。しかし、この西洋一辺倒の日本も近年では韓流スターや華流スターを筆頭に再びアジアに目が向きつつありますし、医療の現場でも、鍼灸や漢方などの東洋医学を取り入れてあるドクターも随分増えて来ている様に見受けられます。橋本先生の没後20年を目前にして確実に橋本先生が医学会に投げかけて来た言葉が現実のものとなって来ているのかもしれません。

    結局宝物かガラクタか区別がつかずに手ぶらで帰りました。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催

  • 『 simple is best 』

    ある日の秋穂家の会話。 

    ワイフ「お洒落な家ってどんな家だと思う?ヨーロッパ風?アジアン風?カントリー風?」

    秋穂「竪穴式住居風」

    ワイフ「たっ、竪穴式住居!? 冗談言わないでよ!」 

    冗談ではありません。本当にその様に感じるのです。我が家の中を見回してみると、本当に家電製品が充実していて便利な世の中になったもんだと思う反面、何となく「もっともっと便利に楽して暮らして行きましょう。」という妙な生活感と云いましょうか、人間の欲望の深さというものを感じずにおられません。 これは私自身の価値観なのですが、生活感というのはお洒落とは相反する感覚なのではないかと思っています。何となくですが私のイメージするお洒落な空間とは、余分なものをとことんそぎ落としていった非常にシンプルな空間。そこで到達した回答が「竪穴式住居」であったということになります。勿論本当に竪穴式住居に住もうなんてこれっぽっちも思っていないので、ふざけていると云えばふざけているのですが、思想上では本気です。

    これはなにも家の中だけに限るものではありません。家を一歩出てみても自分の足で歩かなくても車や電車、飛行機があっという間に目的地まで運んでくれるし、お腹がすいたからと言って狩りに行かなくても、スーパーやコンビニエンスストアには、ありとあらゆる食品が所狭しと並んでいます。欲しい情報はテレビやラジオやインターネットが私の処理能力を明らかに超えた容量で伝えてくれますし、退屈な時間は繁華街に出て行けば時間を忘れる程に楽しませてくれます。なんて満ち足りた生活を私達現代人は過ごせていただいているのでしょう。もうこれだけ便利になれば、飢えも渇きもないし、退屈も不自由もない。この満ち足りた環境の中でどこに不快感を感じろというのが難しいくらいです。

    しかし実際にはこのような恵まれた環境の中でも不快感覚は生まれて、私達のからだを歪ませ、様々な症状疾患を産み出し続けているのです。橋本先生も本の中に書き残してありますが、私達人間は本来持っていた原始感覚という神からの授かり物を、進化するに従って、知識や文明が進めば進む程、その利便性ばかりに気を取られてしまい、本当に忘れ去ってしまっているのです。交通手段が発達すればする程、私達の運動量は激減してしまうし、売る程在る豊かな食料は食べ過ぎて私達の脂肪の量を増加させる一方です。必要以上に莫大な量の情報は私達を混乱させ、自らで感じとり識別する能力を欠落させて余計な不安を煽り立てるて、そのストレスを解消する為に繁華街に出てみたら、財布の中がスッカラカンになり経済的なストレスを更に増大してしまう。

    この世は本当に上手くバランスが取れているもので、10の良い事の影には10の悪い事が隠れていて始めてバランスが取れているのでしょう。良い事も悪い事も私達のからだにとっては同じストレッサーになります。美味しいものでも食べ過ぎてしまうと気持ちが悪くなってしまうし、いくら楽しくても寝ずに遊んでしまったらきっと疲れ果ててしまいます。良い事も悪い事も私達のからだに取ってストレッサーになりうるのだとすれば良い事も悪い事もその振り幅が小さければ小さい程、からだにかかるストレスは小さくなるのです。やっぱり「シンプル イズ ベスト」で生きて行くのが理想的な生活なのでしょうね。健康的な生活は本当のお洒落な生活なのかもしれません。ただ私は福岡の都会っ子なので現実に竪穴式住居に住む自信は皆無です。ヘビ怖いし、トイレも水洗じゃないと・・・本日もお付き合いありがとうございました。明日も宜しくお願いいたします。

    僕はこんな飾りよりも南極の氷の上が恋しいぞ! by シロクマ

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催

  • 『もう、あなたって本当に鈍感なんだから・・・』

    長野の佐助実行委員からタスキを受け取りました福岡の秋穂です。今回のブログのテーマを決めきれていなかった中で佐助実行委員のブログを読み、その中で気になったキーワードをテーマにしてみようと思います。今回、私は快のききわけの出来ないからだ「鈍感なからだ」について私の体験や思いをブログに綴ってみたいと思います。私達、東京操体フォーラムの実行委員は勿論ですが、このブログを読まれている読者の方も操体に興味を持っている方がほとんどだと思いますので、快適感覚をききわけることが自然治癒能力に直結する生き方である事を充分に理解し実践しているので問題はないのですが、我々が日々の臨床の中でふれ合う患者さんのほとんどはからだに快適感覚をききわけるということを行わないまま、からだを歪体化させて症状疾患を抱えてしまった、鈍感なからだをもって来院されます。そして操体の臨床を通して行く中で、自身のからだとの関係性を深め、感覚のクリーニングを行いながら、感性を高め、快のききわけの通る感受性の豊かな「操体的なからだ」になって行きます。操体の臨床はさながら快適感覚の学校であるともいえます。話を鈍感なからだに戻して行きましょう。それでは何故私達のからだはこんなにも鈍感になってしまったのでしょうか。そういえば以前、ある国の総理大臣の方が『鈍感力』という本に感銘を受けたというエピソードを聞いた事があるかたも多いと思います。

    鈍感力

    鈍感力

    この本を私は読んだ事がないので実際に内容については細かく触れませんが、この『鈍感力』について著者の渡辺淳一先生のインタビューの中に大変興味深い文章が有りました。『上に行く人や大きな仕事を成し遂げるような人は、周りから見たら、ある種の狂気を宿しているものです。「これをやるぞ」と心に誓ったら、周りから何を言われようが、どう見られようが、おかまいなしに没頭する。だからこそやり遂げられるのです。』これは確かに真理だと思います。操体の世界でも、創始者橋本敬三先生はもちろんの事、当フォーラムの三浦寛理事長を筆頭に操体狂いが多数在籍しています。しかしこれは鈍いのではなく、からだの中心に軸が立っているから余計な事にぶれないでいられるのであり、とてつもなく高い精神性の成せる技なのではないでしょうか。渡辺先生も鈍感であることを肯定的に書いてあるので、恐らくこのような高い境地に至る事を他のものに影響されにくい、鈍感力が高い状態と言う形で表現してあるのでしょう。しかし、いくら鈍感力が高くとも、あまりにも1つの事に没頭しすぎるのは必ずしも良い事ではないのかもしれません。あまりにも緊張感が強すぎます。私達がいくら操体に狂っているとはいっても、操体は快適に生きる為の生き方全てを包括的に捉えた学問であり、そもそもライフスタイルの一部です。上手く自分自身と対話しながらバランス感覚を磨いているので、少々のストレスや軋轢は上手くかわせるのだと思います。もしかしたら『鈍感力』とはバランス感覚であり。『操体力』なのかも知れません。明日も引き続き『鈍感なからだ』について書かせていただきたいと思います。ありがとうございました。

    2012年秋季東京操体フォーラムは11月18日(日)津田ホールにて開催

  • 感覚のききわけ

     最終日の7日目です。よろしくお願いします。
     からだの感覚のききわけが、治療手技・アプローチなどの盲点になっているということを書きました。第三者の治療従事者におまかせの治療アプローチでは、脊髄を介した反応である即効的効果が特徴とした傾向にあることが考えられますが、からだの感覚をききわけるということは、感覚を統合する大脳へと伝達され、そして錐体外路によって大脳・間脳・中脳・小脳・橋・延髄・脊髄に様々な反応を引き起こしてくるために遅効的効果が特徴になることが考えられます。
     からだの治癒能力を高める効果の感覚こそが「快適感覚」なのです。だからこそ第三者の治療従事者が治すことまで関与しなくても、からだが必要に応じた反応となるホルモン分泌によって、からだの治癒能力が高まります。
    例えば、視床下部では本能の中枢ともされ、約5gの親指の先ほどの小さな脳ですが、人間の脳の中心にあって、保護調節をはじめ、食欲、性欲などの中枢とされています。この視床下部は、前群、中群、後群に分かれており、体内の恒常性を自動調節、自律神経の中枢があり、前群が抑圧性の副交感神経を担い、中群が自律神経の行動性の交感神経の中枢を担い、後群が体温調節を担っています。
     脳下垂体は後波・中葉・前葉に分けることができ、それぞれ分泌されるホロモンがことなります。後葉は、上部にある視床下部の一部が延びたもので、進化の過程で水中から陸上に進出し、体内の水分調節を必要とするために発達した脳の一部だそうです。中葉は、鼻とノドがつながる後鼻咽喉部にあったホルモン分泌器官が成長とともに、脳下垂体後葉に結合した脳であるということです。前葉は、全身のホルモン系を支配する部分であり、分泌されるホルモンは、全身の体調、体内の恒常性などを保つ働きをしており、成長ホルモン、性腺刺激ホルモンなど10種類程度あるそうです。快感と鎮痛をもたらすβエンドルフィンはここから分泌されます。
    ホルモンとは内分泌腺から直接血管の中に微量に分泌され、血流を介して特定の器官や細胞(標的細胞)に至り、その働きを調節する生理活性物質です。
     代表的なホルモンを示すと、副腎皮質ホルモン(コルチゾール、アルドステロンなど) 、甲状腺ホルモン、性ホルモン(テストステロン(男性ホルモン)、エストロゲン(卵胞ホルモン)、プロゲステロン(黄体ホルモン) 、副甲状腺ホルモン、 下垂体前葉ホルモン(成長ホルモン) 、下垂体後葉ホルモン(抗利尿ホルモン)、 膵ホルモン(インスリン、グルカゴン) 、消化管ホルモン(セクレチン、ガストリン)、 神経ホルモン(カテコールアミンなど)などがあります。
     視床下部の血流が増加することにより、自律神経、内分泌系、免疫系などを賊活化し、全身の諸疾患の予防、治療に効果が認められ、自然治癒力を高めることを報告している方もいます。「気持ちよさがからだを治してくれる」これは快適感覚により視床下部の働きをたかめ治癒能力とつながるのです。
     からだの感覚が鈍麻になると治癒能力が低下することが考えられ、感覚のききわけは第三者である治療従事者が介入できない領域であるからこそ、患者自身のからだのききわけが必要であり、快適感覚をききわけやすいように導く操体法を学ぶ我々が必要なのだと思います。(皮膚への接触方法がことなるだけでも、ホルモン分泌に変化が生じるのです。だからこそ操体法は簡単に見えて実は奥が深いのです)
     一週間お付き合いありがとうございました。