今週は佐助が担当となりますが、今週は大晦日と正月をまたぐ担当となります。実は昨年の大晦日もブログ最終日として担当をしていました。2年連続にして一年の最終日を担当できるということはとても光栄に思っています。今週の一週間お付き合いよろしくお願いします。
皆さんのこの一年はどのような一年でしたか?この世に誕生し、自分の意志や意識の自我があるわけですから、きっと良い事も嫌な事も、因果応報の報いもいろいろあった一年だったと思います。ですが、「人間は生まれながらにして救われている」という真理を学ぶようになると、不思議と不平不満より感謝する気持ちになっている自分がいることに気が付きます。感謝する気持ちが生まれると、何か心に余裕が出来ているように感じます。
今年の僕にとっての出来事は、仕事(臨床)生活の日々で、野球の現場に顔を出せず、趣味のスノボーにも出かけず、なんと!十数年ぶりに肌の色が人並みになりました。僕を知っている方々は、佐助は日焼けいているとイメージのはずですが、人並みの肌の色に戻ったことは、僕の周りでは事件のように扱われています(笑)。
これだけ臨床と向き合う時間が多くなると、三浦先生が若き頃、朝から晩まで臨床をやっていた時に橋本敬三先生が「治療所にばかり籠もって患者ばかり診ていると、脳みそがくさるぞ」とおっしゃったそうですが、僕自身も気を付けています。
昨年の11月から今年の3月まで痔ろうで辛い日々をすごしましたが、今年は考え方が変わる言葉がありました。三浦先生の2011.9.11の東京操体フォーラム実行委員ブログの言葉です。「一日数十時間患者を診させて頂いていました、という云い方と、自分を診ていました、と云う言い方、どう思う?患者を診る・・とは、自分との対応でもあります。人との対応も、仕事の対応も、つまりは自分との対応であります」となります。臨床の日々において、患者を診る時間から自分自身と向き合う時間として取れ得るようになってから、仕事の時間と自分の時間を分けることがなくなり、すべての時間が自分と向き合う時間となり、毎日が充実しているように感じます。
そして今、僕自身が興味を持ち学びはじめているのが、生命エネルギーについてです。生命エネルギーを学ぶことで天然自然の法則に繋がればと思いますが、どのような学びに繋がるか楽しみです。
僕の時間はとても充実をしています。ただこの充実が家族に伝わるかというと、休みがないと現実の時を刻む時間が気になるようです(汗)。これは家族サービスが必要ということで、両親も含め家族を連れて和歌山県の 洞窟の温泉に数年ぶりに旅行ができた一年でした。
今日はこのあたりで・・・・ありがとうございました。

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一日目
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足趾の操法Beginner Class
ようやく最終日となって参りました、今回はほぼ毎日一つずつ
内容をUPして行くという非常にギリギリでタイトな一週間となってしまいました。
一応、今日で終わりですが、私にとって今年の総決算ですので、最後までお付き合いを丁度、先週一週間前ですが、一般社団法人 日本操体指導者協会(以下SPAJ)公認、
島根では初の『足趾の操法Beginner Class』を行いました。
私が師範代になってから島根初の協会公認クラスとなりました。
因みに、『足趾の操法』とは橋本敬三先生が70代の頃の数年間、臨床の場において行われていた、
操体には珍しい他力で行う操法の一つです。NHKで“温古堂治療室”が放映されて以降は忙しくなり、
現場で橋本先生が行うことは殆ど無かったそうです。橋本先生がやられていたのは、『揉み、ゆらし、落とし』の基本三足趾だけだったそうですが、
操体法東京研究会では三浦先生が長年の経験と研鑽の中で、更に洗練され、
現在、SPAJでは操法のバリエーションも増え、操法+納めまでを『足趾の操法』として、講習致しております。この『足趾の操法』は他力でありながらも、刺激を中和する刺激であり、
極上の心地よさを味わうことが出来ます。受けている最中に意識がとんだり、
爆睡してしまうこともよくあります。今回の『足趾の操法Beginner Class』はプロの養成が目的では無く、
あくまでも自分の一番身近な大切な家族や彼女彼氏を自らの手を通して健康管理をすることが
大きな目的です。どんな名医より、一番心許せる身近な人に触れてもらうことが何よりの薬なのです。今回は12月1日(土)、2日(日)の両日、12時間の講習でした。
参加者は最大定員10名と決めておりましたので、定員一杯の10名の方に参加戴きました。
しかも、全て女性というのが如何にも私らしいと思いました。
初日は操体概論という形で、操体とはから始まり、橋本敬三先生の略歴や息食動想の考え方など、
操体の基本的考えを話しました。普段話さないような細かいところも含め話したので、
どうかとも思いましたが、後で感想を聞いてみると、橋本先生がどのような方で、
苦労して次世代に操体を繋いでこられたということが分かったなどという感想でした。
いずれにしても、激動の時代に生まれ、日本が近代化に向けて最も熱かった時代を
駆け抜けてきた生き様に感心しきりでした。そして、初日のメインである『身体運動の法則』をミッチリと行いました。
重心安定の法則と重心移動の法則は、足趾の操法を行う上において、
最も必要とされる要素であり、今回の足趾の操法Beginner Classのメインと
言っても過言では無いのが、『身体運動の法則』なのです。今迄も、足趾の操法を教えてくれと、個人レッスンを申し込む方も居たのですが、
その誰もが共通するのが、目先のテクニックだけをチョイチョイと学べば、現場で即、
使えると勘違いしているのです。だから、大概、見様見真似でやると、手首を痛めたり、
全然気持ちよくないって言われるけど、と言ってくることがあります。
当たり前だ!からだは我々が考える以上に、鋭いセンサーを持っており、
こいつ勉強してないなと感じれば、たちどころに感覚をシャットダウンしてしまう。
要は見透かされてしまうのです。
薄っぺらいアプローチで気持ちよさが通るほど、我々のからだは単純では無い。
だから、基礎が必要なのです。キッチリと気持ちよさをからだに通す基礎として、身体運動の法則は必須であり、
人をみるには先ず自分からなのです。身体運動の法則が一通り終わると、
数人から腰が凄く楽になりましたとか、首や背中が違和感が無くなりましたなど、
色々な感想が出ていました。皆さん身体運動の法則の重要性を身をもって再確認したようです。
二日目は足趾の概論に始まり、いよいよ具体的に『足底揉み、揺らし、落とし』
という基本三足趾を行いました。
和気あいあいとした中にも、真剣さが感じられ、最初は痛いとか、
キツイとか色々注文があったのが、最後辺りになると、記憶が飛んだり、
落としの心地よいリズムが刻まれるようになり、全てのプログラムが終了しました。足趾の操法は非常に奥が深く、毎年のように改訂、更新されていきますので、
常にブラッシュアップ、チェックが必要なのです。一度納めれば二度とやらなくて良いものなど、
ありません。安易に人を癒したいとか、言う人がいますが、
人を癒すにはその後ろで流す汗の量が全てなのです。池を泳ぐ白鳥の姿は優美で余裕すら感じますが、水面下を見ると、
凄まじい勢いで水かきを回転させ、必死で足を動かしています。
まさに学びの神髄とはここにあり、傍目から簡単そうに見えるものこそ、
実際は難しく奥が深いのです。その裏側では血の滲むような努力と時間が費やされ、
優雅な姿をみせることが出来るのです。全ての学びが、安易な気持ちで取り組むと思わぬしっぺ返しを食うのです。
今回の参加者の方々が、口々に言っていたのが、人に何かをすることは
自分のからだを先ずまとめないと駄目なんですね、それがよく分かりました。と言われていました。
その後、受講生の方達から、実際に家で家族に行って、様々な体験や反応があったと、
嬉しい言葉をたくさん戴いています。旦那さんがギックリ腰一歩手前でフラフラな状態で帰ってきて、
落としと、揺らしを行ったら、スッと楽に立てるようになり、
「マジ!うそ!何で?やば!」を二分間連発し、むっちゃ楽なんだけど!と感動したなど、
少しずつ家族などの嬉しい反応が返ってきていて、講習に参加して良かったという声を聞いています。今、日本は年々医療費は増大し、国庫を圧迫しています。
せめて身内の健康管理位は身内でやれればこれほど素晴らしいことは無いのです。
子供の頃、お腹や頭が痛くなったときにお母さんに撫でてもらって痛みが消えた経験を誰しもが、
一度は経験していると思いますが、愛情という薬ほど、医者いらずな薬はありません。私の中で、『一家に一人、足趾の操法を』がスローガンであり、
家族間でのささやかな健康管理の一助になればと考えております。一週間、あちこちに飛びまくったブログにお付き合い戴きありがとうございました、
来週からは我らが大師匠三浦先生の登場です、お楽しみに。 -
師範代と気学
今年は私にとって数年後に振り返ると、多分、この年がターニングポイント
だったねって言う位、仕事にとっては大きな変化をみせた一年だったと思います。
その切っ掛けになったのが、三浦先生による師範代講習と九星気学です。操体の学びを得て気が付けば10年が過ぎていたのですが、自分の中で
知らず知らずのうちに、師匠からの学びに甘え、インプットに慣れてしまい、
学んだことを自分から伝えるというアウトプットを殆どしていないことに気付きました。人に物事を教えたり、伝える作業をした経験がある方なら分かると思うのですが、
人に物事を伝えるとは、理解したつもりでは決して伝えることは出来ず、
理解を腹に納め“納得”に変えないと、物事を他人に伝えることは出来ないのです。
つまり、理解したと思っていても自分の中で落とし込み、変換する作業が必須なのです。
今迄の10年間はこの落とし込み作業を一切せず、自分の中のみに納め、
操体という大海原で遊ばせて貰っていたような気がします。ですから、正直、最初にこの師範代というお話を三浦先生から伺ったときも、
自分の操体が更に深められるなぁ〜などと、『師範代』という、
その称号に対しての重みを全く理解せず、気軽な気持ちでスタートしました。
当然内容は今迄の勉強会以上にハイレベルで、操体の神髄がそこにはありました。
そして、最終日に試験があり、結果もさることながら、最終日に三浦先生から、
「この師範代というポジションは単なる資格ではない!称号として与えるんだ」
という話しを伺い、自分の認識の甘さを改めて知ることとなりました。戴いた『敬勇』という称号は、橋本敬三先生の一文字を戴いており、
要は橋本敬三の一字を名乗る気概がお前にはあるのか!あると思うからこそ与えたのだぞ!
よく考えて名乗れよ!と、橋本敬三先生の遺志を受け継ぎ、進化(深化)させてこられた、
三浦先生からの問いかけでもあり、橋本先生からのメッセージのような重みを感じることが出来ました。
私にしては珍しく、島根に帰ってから、落ち込みました。いい意味での落ち込みだったと、今では思います。何だかギアがもう一段変化した気がしました。10数年、操体と向き合ってきた中で、
今後どう取り組んで行くのか、操体の伝道師としての腹積もりを、
島根に帰っての数日間で括れたような気がしました。更に幸運だったのは、この師範代講習から間を空けずに、今年前半辺りから、
少しずつ面白そうだからという単純な理由で、学び始めていた『九星気学』とのご縁が、
師範代講習と相まって相乗効果を生むこととなりました。このご縁は私のクライアントの中に、埼玉在住で主に企業コンサルタントを行っていらっしゃる方が、
島根出張の際に月一度、操体施術を受けて戴いていて、話しの流れで操体と気学との類似性の話になったのです。元々、独学で四柱推命とかをかじっていたこともあったので、面白そうだし、
最初は占いの延長線位で考えていたのですが、その考えの根底にあるのは、
宇宙観であり、他人依存ではない、自らが不足しているものを積極的に取りに行くといった、
おおよそ棚ぼた式にそうなったらいいなぁ〜的な占いなどといった類いとは違う考えに、何か引かれるものを感じました。そのクライアントの方に、「今度、TOEというクラスがあるので、
良ければ受講されたらどうですか?」とのお誘いに、断る理由も余り見当たらなかったので、
勢いで受講しました。この断る理由が無い瞬間が私の人生では何度かあるのですが、
その殆どがターニングポイントとなっているのです。このT.O.Eとは最新の認知心理学・行動心理学に基づいて、
【事実の受け取り方と行動の関係性】や【自分に対する期待度と行動の関係性】を学び、
脳のクセを活用した目標の作り方と、達成するための行動を具体的にしていくといったものです。
成功の法則を学び、目標を実現する能力=脳力を育てる習慣を身につけるコツを身に付けるというのが主な内容です。
正直最初はよくある能力開発セミナーかと、受講した当日の午前中もそう思っていました。
「あ”〜騙された」と、若かりし頃に何度かこの類いのセミナー行ってたよなぁなどと、
後悔しつつ受けていました。
ですが、午後の部の講義内容のあるフレーズに、釘付けになってしまい、頭の中でファンファーレが鳴りました。何故、操体における第三分析以降の施術が人間の根底から変えていけるのか、
常識を超越した現象や結果が出るのかが、理由が分かったのです。それまで、
説明するのに難しかった部分が非常にクリアーに自分の中で解決出来たのです。
それ以降の内容も殆どが操体の考え方とリンクする部分が有り、帰りの車の中では一人ほくそ笑んでいました。これで、変わるぞという確信と、自身を得ることが出来ました。
橋本敬三先生は治療で忙しい三浦先生をみて、「治療所にばかり籠もって患者ばかり診ていると、脳みそがくさるぞ」
と仰ったそうですが、確かに臨床や操体の畑の中ばかりから見ていたら、発見出来ない気付きでした。
今では自信を持って「なおすことまで関与するな」の意味が理解出来ます。常に自らが全方位に様々なアンテナを張り巡らしていれば、
思わぬ所から素晴らしいヒントやチャンスを得ることが出来ます。
自分は臨床家だから異業種から学ぶことなど無いなどと思っていれば大間違い、
異業種の中にこそ、大いに学ぶべきヒントがあることを今年は学ばせて戴きました。来年は年男で、まさに私にとっては飛躍の年になるであろうと、確信しています。
来年はどんな出会いがあるか、今からワクワク愉しみです。
人との出会いこそが自らを更にステップアップさせるキーなのですから。 -
ことのは
私が操体とご縁があって、はや10年を越え、操体と出会う
前と今と何が大きく変わったのかをつらつらと考えると、
『考え方』であろうと思います。
そして、その都度色々な人たちから、動機付けになる様々な言葉をもらっています。操体と出会うまでの自分はと言えば、心配性、人を見たら泥棒と思え系の発想で、
委ねるということが出来なかったように思います。いつも何かにせっつかれているような、
余裕の無い日々を送っていました。
当然仕事にもムラがあり、人生の殆どを営業職で過ごしてきた私にとっては
致命的だったような気がします。
絶好調!の時と、仕事する気ねぇなぁあ〜って状況が頻繁に逆転するような、
そんな毎日を過ごしていました。
当然、結果もそれに見合った結果しか得られず、
悶々とした生活をただただやり過ごしていました。夕焼けを見ると何だかもの悲しく、俺ってこの先どうなるんだろう?このまま、
定年を迎えダラダラと日々を過ごすのか?ゲートボールを定年してからの20年以上も
出来ねぇぞ〜などと、いつも考えていました。そんな私に転機が来たのは35歳の時でした。取引先と自社との関係の中でどうしても
納得のいかない部分が溝となり、これ以上サラリーマンは無理かと退社し、それ以降、
半年間は農業をしつつ心のリハビリ的生活を過ごしていました。職安に行ってもピンと来る職業も無く、ドン詰まっているときに、
三日間同じ夢を見るという不思議な体験をしました。ログハウスっぽいような建物の中に、
三台の施術台、白いシーツがかけてあり、清潔感のある何となく癒される様な光景がそこにはありました。
さすがに三日目には、がばっと布団をめくって起きて、寝ているのか起きているのか分からない朧気な意識の中で、
ふと、施術家であれば自分の身一つで出来るじゃないか?
クライアントからダイレクトに喜んでもらえるじゃないか?良くも悪くも自分で全て自己完結出来るのではないか?
と様々なキーワードが浮かび、翌日には嫁に、「ごめんけど、俺、施術家になるわ」と言っていました。
続けざまに「暫くは食えないと思うけど、勘弁してや」と嫁に言うと、
「へ?あんた一人位私が食わしてあげるよ!」「まぁ、その代わり今度はちゃんとやってよ」と言ってくれました。
今でもあの時の一言で嫁には頭が上がりませんし、あの一言が間違いなく、私の臨床家人生を決めた
大いなる、ことのはだったと思います。そして、整体院として開業後、Web上で畠山先生との出会いがありました。
整体院として開業後、臨床家としてクライアントとの向き合い方に行き詰まりを感じ、
迷っていたときに、操体法という自分の窮地を救ってくれる、未知なる施術法に一筋の光を見つけました。
痛みや辛さを抱えて来るクライアントに対して、自分が何とか出来ないか?
どうやったら痛みがとれるか?辛い症状から抜け出すことが出来るのか、
色んな施術法を探す中でたどり着いた場所でした。しかし、そんな私の気持ちを分かってか、
暫くしたときに畠山先生から言われたのが、「操体はなおすことまで関与しちゃ駄目だよ」
「なおすことはからだに任せればいいんだよ」という言葉をもらいました。
この言葉を聞いてから本当に心が楽になりました。そう、心が楽になったのです。何と縛りの中で自分自身が臨床を行っていたのだろうかと、
改めてこの言葉をもらったときに感じました。
神でも無いのに人の痛みをなおそうなんて、何ておこがましくも、
うぬぼれの中で人のからだをみさせてもらっていたんだろうと、
この言葉でやっと操体臨床家としての一歩が踏み出せた一言だったと思います。今、私自身、師匠と呼べる方を50歳前にして、巡り会えたということは幸せであり、
未だにこれからの進むべき道を照らし続けて下さる方と、巡り会えたことに感謝です。
ホテルオークラの喫茶で小汚い格好のままで畠山先生に連れられ、
始めて三浦先生とお目にかかったときも、いきなり怒鳴られたことを昨日のように覚えています。三浦先生からは数多くの言葉を戴いており、いつ見ても心の奥に刺さる言葉がたくさん、
ちりばめられています。
先生にはフォーラムの時や、ことあるごとに色紙を戴いており、自分の居間の壁に貼ってあり、
常に目に入るようにしています。その中でも、今の私にはこの二枚の色紙が心に響きます。
『人生をたくらむな 搾取するな 無条件で受け入れよ 条件をつけると 不平不満がわいてくる』と『今しか出来ないことがある その時をのがすと 一生その機会を 失うことになる』の二枚です。何故今、この二枚かは分かりませんが、その時の心境や思いとリンクしており、
私の心を支えてくれる、ことのはがあるということは本当にありがたいことだと、
最近つくづく思うようになりました。言葉は人に勇気を与え、
自身も周囲の人も巻き込んで大きな渦を作る力を持っています。私自身がことのはで何度も助けられたように、これからは指導者としても
数多くの方々とたくさんの言葉を交わし、私が今迄師匠から戴いたものを
今度はお返しする番なんだなと、感じています。”ことのは”はそれそのもの
がイノチを持っており、同じ言葉でも語る人によって、伝わり方が大きく変わっていきます。
言葉を統制することを旨としている操体だからこそ、ことのはを噛みしめ、伝え続けて行きたいと思います。 -
レオ
今年、個人的にも家族的にも一番大きかった出来事は、長男坊主の『レオ』が亡くなったことです。
私の個人ブログを見ている方は私が猫好き、猫様命なのはご存じなので、何ですが、
ウチはヒト科の子供がいない代わりに、ネコ科の子供が三人居ました。
長男坊主がタイトルにもなっている『レオ』♂、次男坊主が『まぁ』♂、三男坊主が『小太郎』♂の三兄弟です。
と言っても、現在存命中は三男坊主の『小太郎』のみです。次男のまぁはウチに来たときから死にかけ状態でやって来て、鼻水すごいわ、大丈夫かこの子?って状態で、
即入院、一週間の治療で治療費10万円オーバーって感じの子でした。医者のお陰で、何とか一命を取り留め、
元気で家に帰り、本当の兄弟では無いのにレオと妙にウマ(ネコ)が合い?、
いつも寄り添って仲睦まじい感じが微笑ましかったのを覚えています。ようやく元気にあちこち出歩くようになったので、ソロソロ去勢しないと、いかんなぁ〜と思っていた矢先に、
ウチの前で車にダイブしてしまいました。嫁はパニック、泣きながら私の部屋にやって来て何言っているか分からないけど、
まぁが車にはねられたことだけは何となく理解出来たので、未だ暖かさの残るまぁを抱えて、
お風呂場でからだを洗ってやって、タオルにくるんで、翌日、ウチの田んぼの横に埋めてやりました。
この時は余りにもあっけなく、悲しいとかと言う前に、呆然としてしまいました。
お袋さんがお風呂に入っているのにも関わらず、お風呂場にズカズカと入って、まぁのからだを洗っていたので、
私自身も脳内パニック状態だったのだろうと、今考えたら思います。ウチのスタンスとして、お金を出してお猫様を家族にするなどという選択肢は今迄、一回も無く、
全てがご縁において、断る理由が見つからないときにやって来ているのです。まぁ、
その全部が嫁の行動から発生しているので、何とも言えませんが。と言うことで、今居るのは三男坊主の『小太郎』だけなので、一番ビビリの図体だけはでかい子が、
今では私の研究所の番猫となっております。ウチに来られるとお出迎えをして足にスリスリしてくれるので、
良い助手になっております。今回、レオが亡くなったことは家族にとって悲しい出来事ではあったのですが、私達的には心の整理と、
お見送りする心の準備が出来たこともあり、心穏やかに送ってやることが出来ました。
何よりも嫁が冷静でいられたことが、その証だったような気がします。
ウチのは前世猫か!って突っ込みたくなる位にお猫様LOVEで、やめとけって言うのに野良猫に手を出して
全力で引っかかれて大出血したり、レオがよその猫と喧嘩して興奮状態の時にやめとけって言っているのに手を出して、
これ又、大出血サービスという目に何度もあっています。お陰で傷害保険を何度もお猫様で使う羽目になり、
ウチでは保険金詐欺師と呼ばれています。今、世間では家族の『看取り』が時々話題に上ることがあります。私のクライアントに介護士の方や、
看護師の方々がいるので、よく聞くのが、施設に入居してから亡くなるまで、
一度も家族が見舞いに来ないケースが多いそうです。特に介護施設はそれが顕著で、
年末年始位はお家で一緒に過ごされたらどうですか?って聞いても、忙しくての一点張りで、
置き去りのままというケースが驚くほど多いとのこと。ある葬儀場にお勤めの方から聞いた話しでは、
葬儀が終わって、お骨を抱えた親族の方が、裏山に向かって何かをしているのが気になり覗いてみると、
お骨を山の斜面に向かってばらまいていたそうです。半ば呆気にとられて見ていると、
悪びれる素振りも無く、ウチはマンションだから仏壇とか置くスペースが無いのよね〜って言われたそうです。
ただ、その方曰く、それに近いケースは珍しくなく、誰がお骨を持って帰るかで、
式場で怒声をあげながら親族同士が言い争う光景だとか見ていると悲しくなり、少なくとも
自分の身内はそうであって欲しくないと願うばかりだと仰ってました。話しが逸れましたが、看取りから死までの過程はいわば、お互いの心の整理の場所であり、
口に出せずとも、死にゆくものと、生有るものとの心の架け橋の場であり、
無言の内での意思の疎通をはかっているのです。頼んだよ、分かったよ、
安心して行ってらっしゃい。そんなイノチの営みと交流がそこにはあるはずなのです。私達は確かに時間が無い中で日々生活を送っています。気が付けばもう、師走になっているといった具合に。
でも、イノチの根源とイノチの行き場所を疎かにしてはいけないと思うのです。
今自分があるのは誰のお陰なのか?目に見えない絆という糸で繋がっているからこそ、
ご先祖様やそこからの繋がりを意識することが出来るのではないのでしょうか。とかく一人で生きていると勘違いしている人達が多い昨今、人は誰一人として、
一人では生きていけないのです。服だって、ご飯だって、電気だって身の回りに有るもの全てが
自分以外の人達のお陰で使えるわけです。レオが亡くなる一週間は本当に看取りでした。あんなに元気に走り回っていたのが、
ヨタヨタと歩くのもきつそうな感じで、手をかけても軽すぎて余計に寂しくなります。
食事も余り摂らなくなり、水をたまに飲む程度、亡くなる三日前位からは殆ど何も口にしなくなりました。
亡くなる前日には外に出て、庭にうずくまり、じ〜っと外を眺めていました。
まるで色々なものに別れを告げるようにも見えて、私も一緒に同じ目線で見ていました。
何となくですが、お迎えが近づいているのかなぁなどと、朧気ながら感じました。何となく不安に感じながらも、夜を迎え、夜中に起きてどうしているかと覗いてみると、
私の施術室でうずくまっています。軽く撫でながら少し安心して二階に上がりました。
翌朝、下に降りると施術室にレオが居ないので、おお歩ける位の元気が未だあったのかと、
居間に向かうと、母が「レオちゃん亡くなったよ」とポツリと言いました。
タオルにくるまれているレオは何だか未だ暖かさを感じられる位でしたが、
亡くなっていました。嫁にも知らせ、どういう反応かなと思えば、「あ、ホント。。でもよくやったよね、レオは・・もういいよね」と余りにもあっさりとした反応に、
こちらがギョッとする位でした。家族のみんなが、徐々に弱っていくレオを一週間見続けていました。
何故か、今回は誰も病院へ連れて行こう!というものがいませんでした。
これだけ弱った身体で、嫌いな病院へ連れて行くことがどれだけのストレスになるのか・・
元々、慢性の腎炎を患っていて、病院通いが多く、その度に大騒ぎだったことを考えると、
体力的にも気力的にも耐えられないだろうと、家族みんなの総意でした。
昔から猫は死ぬときは人の目を避けて死ぬなどと言われますが、
それは家猫では無い野生に暮らす猫のことであり、家猫にとってはやはり、
死の間際まで家族と居たいのだと思います。逆に、病院の知らない先生の所で亡くなるより、
家族に看取られ幸せだったのではと感じます。生きとし生けるものに誰しも、必ず訪れる死ではありますが、橋本敬三先生も
「みんながいくところだから、気持ちいいとこに決まってんだ」と言われたそうですが、
人が死を迎えるときに、あぁやっと死ねる・・と思えるのか、未だ死にたくない!と執着するかの違いは大きいと思います。
好きな人達に囲まれ、前日まで話しも出来て、朝見たら亡くなっている、
顔は仏様のようだったと言う話をよく聞きます。これが病院ではこういうわけにはいきません。
からだのあちこちから管を出され、意思の有無にかかわらず生かされる生き方。
看取るとは言葉で書くほど簡単ではないですが、近しいものの死はヒトだろうが、
ネコだろうが、関係ありません。そういう意味ではレオの死は家族にとって
色々なことを考える切っ掛けになった出来事でした。合掌
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「iPSってワイルドだろぉ?維新だぜぇ〜」
「ワイルドだろぉ?ワイルドだぜぇ」って私には未だに何が面白いのか
サッパリ分からないスギちゃんが今年の流行語大賞を受賞した。
流行語大賞で騒ぐ時期が来ると、あぁ・・もう年末だぁと毎年思ってしまう。
スギちゃんには何の思い入れもないので、他は何かと見てみると、『iPS細胞』
『維新』、『LCC』、『終活』、『第3極』、『近いうちに・・・』、『手ぶらで帰らせるわけにはいかない』
『東京ソラマチ』、『爆弾低気圧』がトップテンだった様です。何だかどれを見てもパッとしないというか、iPSは日本では未だマウスのみですし、
LCCに至って島根は全くお呼びで無い感じなので、維新は誰のための維新なのか不明確、
私的には『爆弾低気圧』が唯一、頷ける言葉でしょうか。
とにかく気候に関しては今年一年、泣かされたような気がします。台風のような風に突然の雨、
車で走っていても風に煽られ、クライアントとの話題も天候の話題で終始していた気がします。因みに、この『新語・流行語大賞』は1984年がスタートで、今年が第29回目だそうです。
1984年って私が未だ若干19歳、毎週土曜日ディスコ(死語)通いをしていた頃かぁなどと
当時のお馬鹿大将だった時期を妙に思い出しましたで、第1回の金賞はと言えば『オシンドローム』だそうです。これでピンと来る方は、年齢がバレバレですが、
NHK朝の連ドラ『おしん』からきているようです。あの、おしんの過酷な運命に翻弄されながらも
生き抜いていく姿に多くの国民が感動したと、言われています。私は当時朝ドラ見る余裕が無かったので、
何の思い入れも無く、あ、おしんねぇ〜位な感じしかありませんねぇ。。私的にツボだったのは『特殊浴場』でしょうか、受賞者を見てみるとイルハン・オウスって方で、
誰?と思ったらトルコ大使館の参事官の方でした。
あ”〜って納得したのは多分男性陣であろうと、思われますが、私が若かりし頃はそ〜言えばそう呼んでいてなと
妙に感慨深いモノが有り、ここ数年イスタンブールでお世話になっているモノとしては、
そりゃ変えなきゃいかんでしょ!と心強く思ったりしました。後は、『まるきん まるび』『くれない族』『疑惑』などなど、あ、忘れちゃいけないのが、『教官!』でした。
今では子だくさんタレント、若しくは再婚タレントとして有名な堀ちえみが出演していた、「スチュワーデス物語」で
このフレーズが連発され、教官役の銀ちゃん風間杜夫と共に、一世を風靡しました。
ドジでノロマな亀が!って学芸会以下の演技と、片平なぎさの手袋きゅ〜って感じの怪演が
殆どパロディかドリフの代わりに笑うために見ていた様な記憶があります。
でも、よく考えたら、今ではスチュワーデスって言葉もCAに変わったんですよねぇ〜。
まぁ、何て時代の流れの早いことよと、しみじみ思ってしまいます。特にこの新語・流行語大賞をとると“一発屋”で終わると言うジンクスがあるようで、
テツandトモ然り、レイザーラモン然り、間違いなくワイルドな彼も一発屋の殿堂入りだろうと、妙な確信を得ている。何でもそうだが、世には流行廃りがあり、一時一世風靡して飛ぶ鳥を落とす勢いで
話題をさらっても、数年後には見向きもされなくなってしまうものなど、
まさに盛者必衰の理をあらわしている。気の毒なのは、マスコミや周囲の人々に散々煽られ、
おだてられ、その気になって実力以上に自分自身を過大評価してしまうことだろう。これは、私達にも言えることで、一時期的にテレビや雑誌で取りあげられて、
マスコミ効果で、人がワンサカ押し寄せ、それを実力と勘違いして調子に乗ってしまう。
気が付くとそれまでの大切なクライアントを置き去りにして、新規のクライアントに目が向いてしまい、
ブームが去ったら何も残らなかった。と言うケースが非常に多いのです。
私はうちの師匠の元で学んで、一番感じているのは臨床家たるもの、如何な状況においても『心』を動かすな、
泰然自若としていろ!ということです。流行廃りにおいて世間や人々は動くかもしれないが、
自分自身は常に進むべき道、生き方に迷い無くひたすら静かな汗をかけ!ということを、
師匠の背中を見て学んでいるような気がします。
一時の儲けは一生の安泰では無く、心の安寧でも無いのです。私が感じる操体の魅力は、
人としてどう生きるか、生ききるかを常に問われていることです。何気なく日々を過ごすな!
木の葉のささやき、雲の流れ、全てのものに五感を研ぎ澄まし、ききわけなさい、
からだは何かを教えてくれると、感じられるからこそ、人生を愉しめるのだとしみじみ感じています。
ワイルドに生きるよりナチュラルに生きることを私は選択したいなと、スギちゃんに一言・・・ -
獣人サンダーライガー?
世知辛い世の中と申しますか、周りを見渡すと何と心に余裕の無い方々が多いことかと、最近しみじみ思うのです。昨日、イベントの準備で会場に車を停めようとすると、案内員の方が「今日は卓球の大きなイベントがあるので、正面玄関付近は駐車をご遠慮願えますか?」とのこと、俺も施設利用者だけどまぁ、良いかと違う場所に停めて会場入りしたのです。暫くすると駐車場近辺で怒号が飛び交っており、何事かと見てみると、施設管理者の方がまるで叱られ坊主の如く、うなだれながら年の頃は30代半ば位の作業服着てる系の方に怒鳴られまくっておりました。聞く気は無いのですが、余りのボリュームに聞こえてきたのが、「何で、俺が違う場所に停めなきゃいけないんだ!!理由を分かるように説明しろ!責任者出て来い!!」と人生幸朗師匠ばりに息巻いていました。まぁ、確かに彼の言い分も同じ施設利用者として分からんでもないですが、あそこまで切れる心理状態が私には理解出来ず、半ば呆れながら食事を終えて会場に入ろうとすると、さっきと違う場所で、未だ彼は別の担当者に対して怒りをぶちまけていました。ムムム、あの怒りのパワーを別の方向に生かせば社会貢献出来るのにと思いつつ、ふと考えると最近あちらこちらでこの様な光景を見るなぁ〜と思っておりました。
コンビニで袋に入れますか?シールでも宜しいですか?の問いに、「あ”?!シールってどういうことや!もう一回言ってみぃ!(怒)」とか、コンビニでタバコを買うときに「モニターをタッチして戴けますか?(20歳以上とか)」の問いに「あ”?ワシが20歳以下に見えるんか?お”?喧嘩売っとんのかワレ?」「ごるあ〜」などなど、枚挙に暇がない状態です。まぁ、過剰な店側(企業側)防衛に辟易する場面も今はありますが、それにしてもそこまでブチ切れる程のことなのでしょうか?もう、あちこちで、老いも若きもブチ切れ満載なのです。そう!最近多いのがご年配の方々の切れっぷりも半端じゃないことです。隣のお宅の木が冬になり葉が落ちてきてウチの庭が汚れていけないから、注意して欲しい!とマジギレで役所の担当者に怒鳴り込んできているおば様・・(担当者)「隣のお宅とのことですから、直接ヤンワリと言ってみられたらどうですか?」(おば様)「え”〜っ!そんなこと言って、逆恨みされて私が刺されでもしたら、どう責任取るの!」ムムム・・冷静に考えれば、どのみち他人が言っても誰が言ったのかバレバレで、人の口を借りて文句を言った分だけ、恨まれると思うのですが、そこまで考えてないんでしょうねぇ〜。
高校生でも分かりそうな理屈が分からない大人達って何なんでしょうか?
明らかに足りてないのが『コミュニケーション能力』と『解決力』でしょうか。何もそんなに大げさに言うことではないのですが、今やそんな言葉でも持ち出さなきゃいけない位に日本人のコミュニケーションと解決力が落ちているのです。冷静に考えれば、以前から都会では隣の住人を見たことがないとか、マンションに誰が住んでいるのか分からない、人が亡くなっても数週間経ってから発見などなど、未だにその様な話を聞きます。
ご近所付き合いとか、人と関わることがおっくうになって来た現代人は自ら、人間でありながら、人と人の間に生きることを放棄してしまったのです。人が人として生きることを放棄してしまえば、それは理性を失ったただの”獣”であり、だからこそ本能を剥き出しにして激しく怒るのだなぁなどと感じてしまいます。歯を剥き出して怒る様などはホントに獣って表現がピッタリですよ・・・
その割に人からどう見られているかという他人の目は人一倍気になり、煩わしいことや面倒くさいことは他人に任せて、自分は物陰から見つめる。と言った安易な解決法にはしる人が多いのも悲しい事実です。
『遠くの親戚よりも近くの他人』などという諺が昔から有りますが、これも普段からのご近所付き合いだったり、関わりがまともに出来ているからこそ成立する諺であって、普段から会っても知らん顔、挨拶すら交わさない仲では無理だと思います。良いときだけは自分の手柄、悪くなったら他人にお任せなんて、そんな都合の良い人付き合いが通るわけがないのです。今の日本人は表面だけ着飾って、汚いものにはフタをする様な傾向に見えます。汲み取り式便所が水洗トイレになり、掘りごたつが電気に変わりと、剥き出しだった臭いや、ボロを纏っていたものが、表面上キレイになっています。ですが、人間の営みは何も変わっていないのです。相変わらず、口からものを食べ、排泄する。卑弥呼の時代からその営みに変化はないはずなのです。物事が便利になるとは自らの手を汚したり、関わることが少なくなるということでもあり、全てが薄くほどほどになって来ているのです。
薄くなればなるほど人との関わりも弱くなり、必然的に自分中心で地球は回るようになって来ます。それは自我が、より強固になり、他人からの関わりを拒絶することでもあり、自分のセーフティーエリアに他人が入ってくることを極端に嫌うように成ります。縄張りを荒らされた獣は牙を剥いて他人を威嚇し、自分を守ろうとします。ヒトの獣化が始まっているのかなぁ〜などと、最近、獣神サンダーライガーはどうしているのかなぁ〜などと・・今日も一人妄想をする私でした・・・

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師走
あ!と言う間に気付けば今年も師匠が走る『師走』となって来ました!師匠も走る位なので、ホントに廻りも慌ただしいですが、毎年12月になると何だかやっぱり総決算的気分で、今年を振り返りつつ今週一週間はお付き合い戴きたいと思っております。あ、因みに私は出雲之国住人福田です。宜しくお願い致します。
今年の出雲は来年の出雲大社遷宮前年フェスティバルで、出雲大社近辺だけが異常な盛り上がりをみせました。期待していた周辺地域はサッパリ集客もなく閑散としておりました。島根の苦手なところはスポットとしてのイベントの盛り上がりは作ろうとするのですが、結局点だけの盛り上がりで、周辺地域を巻き込んだ線の盛り上がりはサッパリ出来ないことです。横に長いのが島根の特徴なので企画としては難しい部分はあるとは思うのですが、これからは土建業だけで盛り上がる様な地域ではなく、都会から人を呼び込めるようなものを作り上げていく必要があると思っています。
都会には殆どのものが揃っていて、無いものは無い生活を送っています。でも、都会に無くて田舎には沢山有るものを、私達田舎の人間は胸を張って表現するべきだと思うのです。都会の大学に行った子供達が田舎に帰らずに都会で就職するのも、田舎よりも都会の方が便利で過ごしやすいから等の理由だと思うのですが、いやいや!さにあらず、さにあらず田舎でしか味わえない、都会では表現出来ない素晴らしいものが沢山有ります!橋本先生が日本は宝の山だと、からだの設計にミスはないの冒頭で言われていますが、私はその冒頭を見たときにそのまま『田舎は宝の山だ』と感じました。これからは田舎に人が呼べるような何かを作る必要があると感じています。まぁ、そんな話しを今週一週間宜しくお願い致します。 -
ヒヨコちゃんのひとりごと おまけ
今年(2012)はアセンションがひとつのピークといわれているのだそうです。
地球の波動レベルが上昇するということらしいのですが
11月になってもヒヨコちゃんのワタシにはさっぱりわかりません。
秋になって食欲が増したかな?くらいのことです(え?そんなの関係ねぇって?)。
でもまぁ、アセンションとかムズカシイことは抜きにして、地球(宇宙)のみんなが明るく
仲良く、さらに愉しく過ごせれば、それに越したことはありませんわナ。
そして、操体の学びってのはそんなところにもつながってると思いますヨ。
と、いうわけで何となく「We Are The World」でございます。
一週間ありがとうございました。来週は畠山先生です。
中谷之美
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ヒヨコちゃんのひとりごと その6
一生懸命施術してるのに、なんかシックリこない。
患者さんは気持ちいいといってくれてるのに、なんかシックリこない。
施術中も、施術した後も、なんかシックリこない。
ワタシのようなヒヨコちゃんだと、そんなことがあるんですよネ。
そんなときは当然、結果もシックリこないんです。
う〜む、ワタシがヘタクソなのか?アホなのか?
それとも顔と性格が悪いのか?(全部だろって言わないでネ)。
で、このシックリって言葉、そもそもどんな意味なんだろうって思ったら
物と物、人の心と心などが調和して、安定しているさま・・・
ということなんだそうです。
なるほどねぇ。そういうワケだったんですか(どういうワケ?)。
中谷之美

