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  • お題が

    明けまして御目出度う御座います、遷宮効果で大賑わいの出雲之国住人福田です。
    今年も変わりませずご愛顧下さいまし。

    さて、今年も実行委員ブログの日程がやって来たわけですが、今年でもう何年に
    なるのでしょうか?
    この、はてなダイアリーの継続日数を見てみると、記事を書いた日数が約1700日
    と出ているので、現行でも約5年は継続していることになります。
    それ以前も考えると、まぁ〜よくも書いてる書いてる、中々に大変なことです。

    あくまでも実行委員の一週間限定持ち回り企画なので、一週間のことでしょ?って
    言われればそれまでですが、畠山先生の様に普段から文章等を書くのが得意な方に
    とっては造作無きことでしょうが、私の様に文章書くの苦手、夏休みの宿題を8月30日
    辺りから始めていた身の上としては、辛いこと限りないのです。

    テーマはフリーですので、何を書いても師匠からお咎めが有るようなことは無いので、
    その辺りは良いのですが、何せ言ってもネタを捻り出すのに、ブログの前後二週間は
    悶絶しながら、日々過ごしております。

    私は『お題』が決まれば、書き出せる人なのですが、お題が決まらないとまぁ〜悶絶悶絶〜。
    当然のことながら、大変な日々を過ごすこととなり、ブログUP当日もネタが降りて来ず、
    ウミガメの如き産みの苦しみを味わっております。

    年頭に当たって今週一週間は最近気になっているキーワードを元に書き進めて行きたいと
    思っておりますので、毎度の事ながら私の一週間は箸休めと思い読んで戴ければ幸いです・・・

    初日のキーワードは、やはり遷宮その後』です。
    前回のブログにも出雲大社遷宮の事を書いたのですが、その後、出雲大社がどう
    なっているかをご報告致します。

    島根県をキーワードで表すと陸の孤島』『砂丘の隣』『人より神が多い場所』等々、
    ポジティヴなキーワードが余り浮かんでこないステキな地域です。
    総理大臣や参議院の影のドンなどと言われる方が何人出て来ても、新幹線のしの字も
    出て来ない場所も珍しいでしょう・・・

    そんな出雲之地がここ数年、俄に活気付いて来ているのが、『60年振りの遷宮
    だったのです。
    何せ言ってもお伊勢様とのW遷宮は生きている間に、二度経験出来るかどうか?
    の大イベントです。
    幾らノンビリが信条の島根県人でもこのチャンスを逃すと、二度と儲かるチャンス
    が無いと思ったのか、
    数年前までは閑古鳥にさえ見放されていた様な、門前通りだった『神門通り(しんもんどおり)』
    あれよあれよと言う間に変貌してしまいました。
    因みに、昨年1月から11月までの出雲大社の参拝客数は、約746万人と前年の2.2倍、
    神門通りの歩行者数は、10月13日が最も多く、43,369人だったそうです。

    地図を見て戴いたら分かるのですが、色々な店舗が所狭しと出来ています。
    殆どのお店がここ数年の間に出来たお店で、余りの変わり様に、地元原住民として
    は嬉しさ半分、戸惑っているというのが正直なところです。

    私のクライアントの方も、神門通りに昔からお店を構えていらっしゃるのですが、
    先日お話を聞く機会がありました。
    確かに来客が増えたのは有り難い事だと言われながらも、一方で通りには昔から
    お住まいの民家もあり、観光客のマナーの悪さに辟易しているとのことでした。

    飲み残しのペットボトルや食べかすなど、数年前には無かったゴミの数々が
    これでもかと言わんばかりに、玄関先に散らかしてあるのだそうです。
    指定駐車場以外の場所に平気で車を停めるドライバー、燻っているタバコの
    燃えかす等々、数え上げると切りが無く、商売する人達は良いかもしれないけど、
    昔から住んでいる人間にとっては迷惑な話だ!と地元住民は慢性渋滞も含め
    ゲッソリしているのだそうです。

    ま、一方が良くなれば泣く人がいるのは世の常ですが、せめて、神の
    お膝元にお邪魔して、さんざ神頼みをした後で、人に迷惑をかける様
    では本末転倒。
    そんな輩の願いを神が聞く耳持つはずもありません。

    せめて、俗世に帰る迄の間位、神域にいる間はマナー良くしてほしいものです・・
    初日から嘆きで始まったブログですが、一週間宜しくお願い致します。

  • 今年最初の雑談 おまけ

    今年の正月は久しぶりに体調を崩してしまいました。

    風邪なのか、食べ過ぎたのかわかりませんが、

    寒気、腹痛、吐き気などで一晩中ウンウンとやっていました。

    まぁそんなときでも、「おお!ここが張ってる」とか、

    「ここを押さえると息がとおりやすい」、「ここを温めると気持ちいい」

    なんてアレコレとやっていましたので、まだ余裕があったほうなのかもしれません。

    からだの要求をききわけて、それを行うと、からだがちょっとゆるむ。

    すると、また次の要求をききわける。またちょっとゆるむ。

    そんなことをやりながら「なんだ、結局は操体(法)やってるんじゃん」

    なんて変に納得しながら苦しんで(愉しんで?)いました。

    操体(法)なんて名称がついているから

    何となく治療テクニックなような気もしてしまいますが、

    結局は生き方そのもの、生きてることそのものが、きっと操体なんですよネ。

    「名称などどうでもいい。真理が大切なんだ」。

    橋本先生の言葉はやっぱりスゴイです。

    一週間ありがとうございました。来週は真理を伝える畠山先生です。

    中谷之美

  • 今年最初の雑談 その6

    東日本大震災のドキュメンタリー映画『先祖になる』の主人公、佐藤直志さん。

    あるご縁から施術をさせていただいたことがあるのですが、

    人間味あふれるとても素晴らしい方でした。

    その佐藤さんが和顔施のお話をしてくれました。

    和顔施とは無財の七施という教えの一つで、

    穏やかな笑顔で人に接するだけで布施になるんだよということ。

    笑顔で相手に接すれば相手も笑顔になる。

    だから、いつも笑顔でいたいネ ・・・ と。

    う〜む、実際に震災を体験された方の言葉だけに余計重みがありますし、

    社交性ほぼゼロのワタシには耳の痛い話です。

    ところで、笑顔で相手に接すれば相手も笑顔になるように、

    やはり何らかの波動は他の波動と調和、共鳴するもんなんですネ。

    たとえば操体法の施術でも、気持ちのよさは操者にも伝わりますし、

    周りにいる方々にも伝わったりします。

    そうなると、からだは気持ちのよさで治るんですから、

    周りにいる方々も癒されて元気になっちゃうってこともあるかもしれません。

    操体法には、いろんな可能性が秘められていると思いますヨ。

    そして、気持ちのよさが伝わるんなら、不快だって伝わるはずです。

    操者(自分)が怒っていたり、イライラしていたり、何か魂胆を持っていたり ・・・ 。

    施術が上手くいかないときって、もしかしたらそういうときかもしれません。

    何をするにもホントはみんなからだに筒抜けかもしれない。

    何て思うとウカウカしていられませんネ。

    中谷之美

  • 今年最初の雑談 その5

    「指圧の心 母心、押せば命の泉湧く」の名セリフでも有名な浪越徳治郎先生。

    日本指圧専門学校を創設された指圧の名人です。

    ワタシもそこの卒業生の一人ですので、スペインの小野田先生は

    大先輩ということになります(操体フォーラム in スペイン)。

    ところで、浪越先生の名セリフですが、これはきっと指圧の極意ですよネ。

    いや、もしかしたら指圧に限らず「癒し」の極意かもしれません。

    だって、「操体の心 母心」って言っても、そんなに違和感ありませんから。

    母心といえば、橋本先生の著書や講演の記事などを拝読すると、

    「お母さん」とか「おっかさん」とかいう言葉がチラホラと出てきます。

    「〜操体のテクニックで腰の痛いの一発で直したって何にもなんねえものね。

    そういうふうにちゃんと仕組みがなってるっていうことをまずわかってもらわんと

    〜そういう仕組みがちゃんと組み立てられてあるんだっていうこと。

    産んでくれたお母さんがあるっていうこと。

    だから、その大自然のおっかさんと握手しなくちゃダメなんだ〜」

    (『地湧きの思想2』 柏樹社 より)

    なるほど、大自然のおっかさんですネ。

    そのおっかさんの心を知るということ。

    もしかしたら、それが本当の母心ということなのかもしれません。

    そして、施術にしても、人間は神サマが創ったものだとしたら、

    浅薄な人間のアタマであれこれしようとしたって

    思うようにいかないのも当たりまえのことなのかもしれません。

    ですから、その仕組みを知るということが肝要であり、

    操体のテクニックで腰の痛いの一発で直しても何にもならない」という

    橋本先生の言葉の真意を、よく理解していくことが大事なんだと思います。

    中谷之美

  • 今年最初の雑談 その4

    操体法の手法に足趾の操法というのがあります。

    ワタシが言うのもなんですが、これは素晴らしいもんですぜ。

    足(指)から、からだ全体に動きと感覚が伝わって

    緊張がほぐれるのはもちろん、呼吸が深くなって骨格も動く。

    つまり、末端からの全身調整法と呼べるものかもしれません。

    一番イイのは、とにかく気持ちがいいってことです。

    足(指)などを刺激する手法は痛いのもあるんですが、

    足趾の操法だけは別もんですから。

    それにまぁ「老化は足」からって言われるように、

    足をほぐすってことはからだにイイコトですしネ。

    さらに足相を観る今泉天心先生は、

    著書の中でこのようなことを書かれております。

    「〜足という字を解剖すると「口と止」と書く。足に故障がおこると、

    口のはたらきである「話すこと 食べること 息すること」の三つの働きがわるくなる。

    中風で足が麻痺すると言語障害が起るのを見てもわかる。

    つまり足がわるくなると日常生活にもさしつかえが起ってくるということです。

    「不足」は足がたらないと書く。「満足」とは足が満ちることです。

    金銭のことを「おあし」というのも、このへんの消息を物語っているのでしょう。

    足がわるくなると金銭にも不自由をきたします〜」

    (『運勢監定開発足相述』 霞が関書房 より)

    え゛ぇ!!足が悪くなると金銭にも不自由をきたすですって!?

    足趾の操法は不況の時代の救世主になれるか ・・・ な?

    中谷之美

  • 今年最初の雑談 その3

    三浦先生が「北風と太陽」の話を

    操体とからめて聴かせてくれたことがありました。

    「北風と太陽」といえばイソップ童話の一つ。

    それが、どうして操体の話にでてくるのかは、

    操体を知ってる方ならば何となくピンとくるんではないかと思います。

    まぁでも相田みつをさんの詩ではありませんが、

    太陽はただそこにいるだけで、

    あたたかい光をみんな平等に与えてくれるんですよネ。

    それに、あたたかい光って何だか気持ちがいいですし、

    あたたかい光に包まれるって想うだけでも気持ちがいい感じがするもんです。

    包まれるといえば、操体法をうけていると

    あたたかな何かに包まれているような感じをうけることがあります。

    あたたかな空間、あたたかな雰囲気、あたたかな光 ・・・

    それは何だかわかりませんが、何となく包まれている。

    でも、その感じは必ずしも操体法に限ったことではありません。

    日常生活の中でも感じることはあります。

    それが、どんなときかは人それぞれ違うかもしれませんが、

    そういうときはやっぱり気持ちいいんです。

    そして、できればそんな感じを施術のたびに出したいんですねぇ。

    相手のそばにただいるだけでそんな感じを出せれば、

    もうそれだけで手技の技術なんてどうでもいいかも?

    なんて思っちゃうのです。

    中谷之美

  • 今年最初の雑談 その2

    「そこに愛があるのかい?」

    どっかで聞いたようなセリフですねぇ。

    『ひとつ屋根の下』というドラマの中で、あんちゃんがいう名セリフです。

    さすがにあんちゃんはイイコト言いますよネ。

    でも、ウルトラマンコスモスの主題歌にも

    「愛ってなんなんだ、正義ってなんなんだ〜」ってありますが、

    愛ってそもそもなんなんでしょう?

    たとえば三浦先生は『快からのメッセージ』(たにぐち書店)の中で、

    このようなことを書かれております。

    「〜しかし、操体では肉体の死を死としてとらえていないのです。

    帰一の法則としてとらえているのです。

    帰一とは、命あるものは無条件の愛から生まれ、

    そして、その神性に帰っていくことなのです。

    ヒトは一番きもちがいいところから生まれ、

    そして、一番きもちがいいところに帰っていくのです。

    これが帰一の法則です」

    命あるものは無条件の愛から生まれ、そして、その神性に帰っていく ・・・

    もしかしたら愛のヒントとは、その神性に意識を向けることなのかもしれません。

    話は変わりますが、こないだある冊子を見てみたら

    マザー・テレサさんの漫画が載っていました。

    テレサさんに背中を拭いてもらっている男の人が

    「ワシのからだはクサイじゃろ」と言います。

    テレサさんは「ええ、とっても。でも、心はとってもイイにおいがしますよ」と答えます。

    すると、その男の人だけではなく、

    それを聴いていた周りの人も一緒に涙を流す ・・・ といった内容でした。

    う〜む、さすがにテレサさんスゴイです。

    たぶんワタシが同じことをやっても「ありがとネ」くらいは言われるかもしれませんが、

    みんなが涙を流すなんてことはきっとないです。

    そういうのはきっと同じことをやっても伝わるものが違うんですネ。

    施術にしてもそうかもしれません。

    同じことをやっても伝わるもの(効果)が違うなんてことはいっぱいありますから。

    では、どこがどう違うんでしょう?

    そんなとき、あんちゃんならきっと言いますヨ。

    「そこに愛があるのかい?」って。

    中谷之美

  • 今年最初の雑談 その1

    あけましておめでとうございます。

    今週は操体法東京研究会のヒヨコちゃんこと中谷の担当でございます。

    一週間よろしくお願いいたします。

    今年は午年です。午(馬)といえば去年の有馬記念オルフェーヴル

    いやいや、やっぱり強かった。

    このレースで引退らしいですが、震災の年に三冠馬となり、

    G1を6勝もしたんですから記録にも記憶にも残るような名馬ですよネ。

    スポーツの世界なんかでもよく記録と記憶ということを言われますが、

    ワタシらのような仕事も記録という点は別にしても、

    記憶に残るような施術はしたいもんだと思います。

    もちろん営業的には患者さんのアタマにも残って欲しいんですが、

    臨床ってことを踏まえればからだそのものに残るような施術。

    一つ一つの細胞にまでしみこむような施術。そういった施術をしたいもんです。

    ところで操体(法)の特徴の一つに遅効性というものがあります。

    その場の効果はもちろんなんですが、その後からもじわりじわりと効いてくる。

    そんな特徴があるようです。その理由は局所だけではなく、

    ボディのゆがみというものをみていくというところにあると思われますが、

    皆さんご存知のとおり、操体(法)による施術は快(気持ちのよさ)を

    キーワードにしながら、ボディのゆがみをなおしていきます。

    それは、もしかしたら快という味わいをからだに記憶させているのかもしれません。

    からだは気持ちのよさで治るんですから、

    その気持ちのよさをからだに十分に記憶させてあげれば効果もきっと持続する。

    気持ちのよさを十分に味わうってことは、快をそれだけ記憶させるってことであり、

    味わえば味わうほど後からどんどん効果も上がる。

    そう考えると第二、第三分析の威力は計り知れないもんなのかもしれませんヨ。

    さらに、もしかしたらその快を記憶させるだけではなく、

    それをきっかけに眠っていた快の記憶がよみがえるってこともあるかもしれません。

    鈍っていた感覚がよみがえることで、自然良能力もより良く働いて、

    知らず知らずのうちにからだそのものが元気になっていく。

    だからその場だけの効果ではなく、後からじわりじわりと効いてくる。

    施術者がどうこうするのではなく、

    快を記憶させてからだ自らが治るからだに変わっていくというわけですネ。

    まぁ相変わらずのヒヨコちゃんの妄想ですからホントかどうかはわかりません。

    でも、ウソかホントかはやってみて自分自身で感じることですからねぇ。

    中谷之美

  • からだとことば

    操体臨床への道しるべ」 付録 橋本敬三先生の生命観より

    言葉によって運命が変わってくる。
    運命を変えるほど言葉には力がある、
    その力を昔から言霊といったのである。

     からだと言葉の関係を考えていると、
    話をしている相手の会話の内容よりも、
    からだの変化に意識がいき、
    会話の内容に興味がなくなってしまうことが
    あります。
    そのからだを観察していると、話をしていることと
    からだが訴えていることに相違があり、チグハグだな〜
    と感じることがあります。
    そこで、意識を会話の内容に戻してみると、
    そこには、世間体や欲や、執着する心が
    存在しているように感じます。

     その心から解放されると、安らぎを得る事が
    できるのになあ。と思いながら、からだの観察を
    たのしんでいます。

    一週間担当させていただきました、香です。
    ありがとうございました。

  • 知る 深さ

    操体臨床への道しるべ―快適感覚に導く診断と操法

    操体臨床への道しるべ―快適感覚に導く診断と操法

     三浦理事長の著書、「操体臨床への道しるべ」のあとがきに、
    以下のことが書いてあります。

     動きを「流れ」として捉え、連動を「流れの循環」として
    捉えてみたのです。すると、不思議なことに、流れの循環として
    動き•連動を再認識すると、非常にわかりやすくなるのです。

     理にかなった連動は”流れの循環”となり、
    それが深い、深い、
    美しさになるのだなと
    あらためて感じています。