カテゴリー: 未分類

  • 神経症10

     子どもたちの原始的な情景として、笑いものにされ、拒否され、無視され、恥ずかしめられ、駆り立てられることなど、無数の小さな経験、すなわち、小さな原始感覚的情景を経ている。そしてついにある日、子どもはこうした有害な出来事の一切が持っている意味を悟り始める。ある決定的な出来事が、こうした過去のあらゆる経験が持っている意味を要約するようである。「両親らはありのままの自分を愛していない」という思いのそれは、子どもらにとって破滅的な意味を持っている。したがって決定的な出来事は否定され、葬り去られ、非現実の自我の闘いがそれにとって代ることになる。その後、その経験はこの覆いによって緩和されるので、自分が現に苦しんでいることに子どもが気づかぬことがしばしばある。

     しかし非現実の自我の闘いが子どもを心の苦痛から守ってくれるのである。小さな原始感覚的情景のクライマックスである決定的なシーンを思い出させるクライエントもいれば、それ自体としては取るに足らぬ小さなクラック、亀裂が、ゆっくりと単調に蓄積されていき、それがある日突然に大きなクラック、亀裂を生む場合もある。このクラックが原始的な大きな原始感覚的情景といった劇的な形をとって生ずるにしろ、小さな原始感覚的情景の蓄積の結果にすぎないにしろ、子どもが現実から非現実の世界にすべり込む日が必ずやってくる。

     大きな原始感覚的情景のおりに生ずる分裂は、子どもが統合性を備え、結合している人間であることに終止符を打つ。このような大きな原始感覚的な情景は、子どもの生活で起こるただ一つのもっとも破壊的な出来事である。それは氷のように冷たい孤独の無限の奈落に落ち込んだ瞬間であり、あらゆる認識のなかでもっとも過酷なものである。それは、あるがままの自分は愛されていないし、この先も愛されることはないだろうと気づきはじめる瞬間である。

     大きな原始感覚的情景は、ふつう五歳から七歳の間に起こる。この時期は、子どもが身体的な経験から一般化を覚える頃である。この時期は、これまでに自分に起こった異質な出来事のそれぞれが持っている意味を、子どもが理解し始めようとするときでもある。客観的には、大きな原始感覚的情景は必ずしもトラウマを伴うものではない。それは衝撃的な出来事である必要はない。むしろそれはある了解であって、どちらかというと日常的な出来事を経験しているときに、子どもが、真実をちらっと、一瞬、垣間見ることである。

     たとえばある男性のクライエントは、小さなときにお母さんを呼ぶと、母親ではなくいつも怖い思いをさせられている父親がやって来たことを覚えている。そのとき、「自分が必要としているとき、お母さんは決して来てくれない」という思いが心をよぎった。また夜に寝床についてから、童話などの本を読み聞かせて欲しいとお母さんに頼んだことが何度もあった。しかし母親が来たためしはなかった。来るのはいつも父親だった。ある日彼は、自分の母親は必要なときに来てくれないことに気づいた。母親に来て欲しいしいと思うと、呼び求めることを厳しく叱りつける恐ろしい父親が来るので、彼は途方にくれてしまった。彼は母親を必要としていないふりをし、二度とお母さんを呼び求めることはなかった。その後、彼が母親を呼び求めたのは、大人になってから私の臨床で行なったリバーシングというブレスセラピーでの苦痛の最中に、「お母さん!」と呼んだのがはじめてである。

     ある日、大きな原始感覚的情景に直面し、緊張のために自我にクラックが生ずる瞬間まで、小さな原始感覚的情景は本当の自己を襲う単なる小さな出来事、批判や屈辱にすぎない。大きな原始感覚的情景は、生まれて間もない時期に起こりうる。それは本質的にひどく破壊的なことが起こり、小さな子どもが自分を守り切れず、その経験から分裂するしかないときに生ずる。こうした出来事は取り返しようのない分裂をもたらすので、その強さをそっくり追体験するまでつづくことになる。生まれてからいくらも経たないのに、両親から引き裂かれて孤児の施設に入れられることなどが、その一例である。

     大きな原始感覚的な情景が重要なのは、それぞれに苦痛を意味している何百もの他の経験を、象徴しているからだ。したがってそうしたシーンをリバーシングなどの精神療法を受けているときに再び体験すると、その直後に関連のある記憶が大量によみがえってくる。すべての出来事を結びつけているものは、「自分を助けてくれる人は一人もいない」というような思いなのである。こういった不快な感覚について、操体でも肉体レベルにおいて、原始感覚を非常に重視している、が、決してそれは偶然なことではない、それが肉体における感覚の大小の情景を伴っているからだと私は思っている。
     明日につづく

    2014年4月27(日)
    東京操体フォーラムが開催決定!
    会場は東京千駄ヶ谷津田ホールです。

    「入眠儀式 快眠・快醒のコツのコツ」
    是非お越し下さい。

    http://www.tokyo-sotai.com/?page_id=644

  • 神経症9

     子どもというのは、いつも自分の両親に気に入られようとする試みをもっている。それはまさに闘いと言ってもよい。その闘いはまず両親との間にはじまり、その後、家庭の枠をこえ、世間一般に及んでいく。なぜなら、子どもらは奪い取られた要求をいく先々に持ち込み、そのような要求は吐け口を求めずにはいられないからだ。そこで両親の代わりを見つけ出すことになる。その人たちを相手に神経症的なドラマチックな役柄を演じたり、自分の子どもたちを含め、誰でもおかまいなしに、自分の要求を満たしてくれる親代わりに仕立てあげたりする。

     たとえば言語的に抑圧されていて、一度として、喋ることを許されたことのない父親をもっている子どもは、聞き役を努めざるを得ない境遇にある。そんな子どもは、もううんざりするほど聞き役をさせられたために、自分の言うことに耳を傾けてくれる人を求める抑圧された欲求をもった大人になってしまう。そして多分、聞き手にはまず自分の子どもを間違いなく選ぶことであろう。

     基本的な要求が否定されることで精神的な要求が生じて、闘いの場は現実の要求から神経症的な要求へ、それは肉体から精神へと移動するのである。しかし精神的な要求は、現実の要求ではない。事実、純粋に心理的な要求などというものはひとつもない。心理的な要求というのは病的で神経症的な要求である。なぜなら、それは有機生命体が持つ本当の要求を満たさないからだ。

     たとえば、自分の重要さを感ずるためにホテルのいちばんよい部屋であるVIPルームに入れずにはおれない人は、今まで愛されたことがなく、生きるための自分の真剣な努力が無視ないしは抑圧されたために生じたある要求に、そうした形で吐け口を与えているのである。その人がホテルの支配人から名前で識別してもらう必要を持ち合わせているのは、子どもの時に、「息子」あるいは「娘」という十把ひとからげな呼び方でしか呼ばれなかったせいかも知れない。

     要するにそのような人は両親に人間性を無視されていたわけで、他の人たちから人間的な反応を象徴的に得ようとしているのである。もし両親に固有の人間として扱われていたならば、この重要さを感じたいという要求は取り払われたことであろう。神経症にかかった人間の言動は、古い無意識の愛され尊ばれることの要求に、新しい重要さを感ずる必要性を貼る作業にすぎないのである。

     そうした重要さを感ずるのが本物の感情であり、それらを追及することが必要だと信ずるようになる。スポットライトに照らし出された名前や印刷されている自分の名前を見るとよい気分になるのは、我々の多くが個人としての認識を強く奪い取られていることを如実に物語っている。名前が出ていることが紛れもない事実であっても、それは親の愛を求める気持ちを象徴的に満たしてくれているにすぎないのだ。聴衆や読者の人気を得ようとすることこそが闘いとなるのである。そのような闘いとは、子どもらを絶望感から守もってくれるものである。子どもが並はずれて勉強し、成績の向上にあくせくし、遂行するとき、それはまさに絶望感から守られていることになる。

     このように闘いというのは愛されようとする神経症的な希望である。自分自身である代わりに、もう一人の自分になろうと子どもは必死に闘っている。遅かれ早かれ、子どもはこっちの方が本当の自分であると、偽りの自分を信ずるようになる。その行為はもはや、自発的で意識されたものではなく、自動的で無意識なものである。それが神経症というものだ。

     こうした行動は始原の、人生の初期においてはじめて両親から受けた傷が後日、トラウマとして神経症が芽生えるのである。そうした傷が、当人の神経症の形態とは関係なく、すべての神経症の人間のあらゆる瞬間にまとわりついてしまう。こうした傷は当人に意識されないことが多い。それらがからだ全体にひろがっているためである。それらはさまざまな器官、筋肉、それに血液とリンパ組織にまで影響を及ぼし、我々は歪んだ行動をとるようになる。これが「生体の歪み」と言われているものだ。
    明日につづく

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  • 神経症8

     日下が担当する今週のテーマは「神経症」、前回ブログの続き。

     神経症においては自分の感情との断絶という精神の分裂を伴うことになるが、その分裂をもたらしているのは幼児期における、決して愛してもらえないという恐ろしいまでの孤独な絶望感である。たとえどんなことをしても自分の要求は永久に満たされないだろうという希望のない認識を、子どもは否定しなければならない。子どもにとって、自分は無視されているとか、だれも自分に関心を持ってくれていないと知っていれば、とても生きてはいけないからだ。自分に対する批判をもう少し父親に和らげてもらい、母親にももっと優しくしてもらう方法がまったくないなどという思いに、子どもはとても耐えられないのである。

     そこで子どもが自分を守る唯一の方法として、両親の愛に代わる要求を生みだすことである。それがほかならぬ神経症だ。年中両親に痛めつけられている子どもを例にとってみると、その子は学校に行っても教室ではきっと喋り続けるに違いない。そこで、教師はその子に厳しくあたることになる。校庭にいてもその子は、休みなしに自慢話をするので、他の子どもたちは、その子を避けるようになる。

     そしてその子が大人になると、ミシュランの星印がつくような一流ホテルの豪華なVIPルームのように、他人の目には明らかに象徴的なものに対するやみがたい要求を持っているばかりでなく、声高に要求もする。しかし、たとえそのVIPルームのゲストになったところで、自分の重要さを感じたい要求は決して解消されることはない。そうでなければ、外で宿泊をする度に同じことを繰り返す理由があるだろうか。自分は価値ある人間だと認識されたいという意識はされていなくても、現実の要求から分裂しているために、さまざまなしゃれた豪華一流ホテルの支配人から名前を挙げて挨拶されることから、自分の存在意義を引き出しているにすぎないのである。

     子どもたちはさまざまな現実の生物学的な要求を持って生まれてくるのではあるが、どういうわけか、両親らはそれらを満たしてやることはない。それはただ単に子どもの要求を読み取れないためかも知れない。あるいはどんな誤りも犯すまいとする気持ちから、子どもの養育に関する厳めしい権威者の忠告を守り、時計とにらめっこして子どもを抱き上げ、航空会社もうらやむほどの予定表に則ってお乳を与え、マニュアル化した成長図表にしたがって乳離れをさせ、できるだけ早い機会にトイレの躾をしているのであろう。

     しかしながら、歴史が始まって以来、実に多くの人間が神経症にかかってきた原因を、無知や手順を重んずる熱意だけで説明できるとはとても思えない。子どもたちが神経症にかかる大きな原因は子どもたちの両親が、自分たちが子どものときに満たされなかった要求にあまりにもとらわれているためであるということがつきとめられるのである。

     そんなわけで、自分を大事にしてもらいたいがために妊娠する女性もいる。自分を大事にしてくれることを彼女は生まれてこの方ずっと望んでいたのである。だから妊娠して自分が注目の中心にいるかぎり、彼女は幸福である。しかし、いったん子どもを産んでしまうと、酷く気が滅入ることになる。妊娠していることは自分の要求を満たす手段であって、この世に新しい人間を送り出すこととは何の関係もなかった。新生児が生まれ出てきて、その母親から他人の心配りを引き出すことができた一時期を奪ったために、赤ん坊がその母親に苦しめられることすらある。そして母親になる準備ができていないのでお乳が出ず、自分自身が生まれ落ちてすぐになめた剥奪の苦しみを同じように新生児に与えることになる。このようにして、両親の罪は、永遠に終わることがないと思える円を描いて、子どもたちを見舞うのである。

     そんな哀れな子どもたちが大人になって立派な神経症を抱え込んでしまうようになるのであるが、このような神経症に対して効果的な療法は見当たらないのが現状だ。しかしまったく皆無というわけでもない、私が試みた神経症に対する精神療法で思った効果がでなかったとき、自己催眠誘導による「心地よさ」を味わったことでいちじるしく改善したクライエントがいる。今後、こういった「快適感覚」というものがこの分野でも大きく期待されるものと私は信じている。
    明日につづく

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  • p1*[岡村郁生(おかむら いくお)]Ⅶ.勇者を起こす盟友

    <眠れる幽微と導きの機微>
    ソメイヨシノは「一種類のクローン」であり接ぎ木によって増やす。
    DNA組み替えやクローンDNAに興味(恐怖)を持ち、心配する人は多いが
    個人的には、DNA単種や、突然変異DNAの維持も非常に興味深い。

    例えば「バナナ」を食べるにしても、モンキーバナナ以外の殆どは、
    「キャベンディッシュ」種で、DNA突然変異により”偶然”生まれ、
    便利な〝種なし”を、人間の都合上”株分け”により大切に育てている。

    このようなクローン種は抵抗力に特徴があり、沢山植えたとしても、
    そのうちの1種類が病気をすると、全ての種類がその病気にかかる。
    要するに、”種”そのものが全滅する可能性が生まれるのである。

    実際、「パナマ病」によって「キャベンディッシュ」以前の種なし
    バナナは地球上から消滅しているのであり、現在の品種も同様に
    “品質管理”という名目の元、非常に気をつかいつつ育てている。

     他にも身近なところで云えば、”コシヒカリ”は抵抗力が弱い為
    (感染病に弱い)ので「イモチ病」により危険なことがあった。

    要するに、安売りスーパーのバナナも、銀座の某有名高級果物店の
    一流バナナも、みな一緒のクローンバナナであり、産地や飼育方法
    という”遊び”の範囲で、「環境」の生み出した変化にすぎない。

    (※ちなみに、バナナとヒトのDNAは50%が共通するそうだ)

    しかし、誰でも味わってみたらわかるように”味わい”は異なり、
    当然、人の手を借りれば”手塩にかけただけ”の違いは具現化する。

    操体も、「環境」という要素は「息食動想」全てに関わっていて、
    生命の遺伝子とは、常に”突然変異”を起こしつつ変化し続ける。

    では、その環境要因を余すことなく伝える働きとは何だろうか?
    ハッキリ言えば、間違いなく”皮膚”こそがその機微となるのだ。
    よって幽微なものを知るには ”皮膚”を中心に学び直せばよい。

    例えば、誰が握っても味が違う「寿司」も「オニギリ」も「糠漬け」も、
    発酵している状態、つまり個人の保ってきた皮膚常在菌は異なり、
    ソレによって個人の味(乳酸菌類の働きが主)覚は変化を感じる。

    故に、最近の消毒滅菌・洗剤使用によって、皮膚上の存在する菌は
    肩身の狭い想いを強いられていることであろう。
    そもそも、水で洗い流すことこそ大切なのであり、消毒はおまけ!

    「皮膚常在菌は、皮膚の脂肪を食べ、脂肪酸の膜をつくります。
     そうすると皮膚は弱酸性に保たれ、
     酸に弱い病原菌を撃退してくれるのです」
                          =藤田紘一郎

    腸内革命―腸は、第二の脳である

    腸内革命―腸は、第二の脳である

    つまり、ヒトは”60兆以上”もの細胞によってカタチ創られつつも、
    それをゆうに越える”100兆以上”もの細菌と腸と皮膚で共存する。
    腸内環境を整えるために”世界最高級の乳酸菌”が必要なのか?
    ここは自己責任分担であろう。殺菌手洗いは必要か、消毒は正義か?

    旨い握り飯、深い味わいの糠漬けには、盟友が不在なのかもしれない。 
    世界を救う勇者は、”スイッチオン”にする導きの盟友を待っている。

    「息・食・動・想」に加え「環境」の五つは一つに繋がれるだろうか?

    橋本敬三師曰く、「同時相関相補性」であるとしているのだから・・・、

    ”皮膚”にはその機微と幽微を繋げる働きがあると確信しつつ・・・。

    はい、皆様!一週間お付き合い頂きまして本当に有難うございます。
    今度は春季フォーラムで是非、真っ正面でお目にかかりましょうネ!
    明日から、東京操体フォーラム“西”の救世主、日下実行委員登場です。
    おたのしみに!!

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  • p1*[岡村郁生(おかむら いくお)Ⅵ、刻む時間との決別

    <刻の応者のたたかい>
    操体法は 特殊なターゲットを必要としていない
    「○○病に効く操体法」の前に ”動診”がある

    感覚されている状態で 既に「快」は授けられている
    ”時間”の”識別”をしてみよう
    ”細胞”と”快話”をしてみよう
    あらゆる肉をそぎ取っても 丸ごと残る
    闘う肉体に潜んで待ち望む その本質を
    受け取ってみる準備を ”今”教わろう

    ”感覚” → ”意識”→ ”知覚”
    ”皮膚” → ”脊髄”→ ”脳”
    ”働き” → ”心” → ”情動”

    感覚は 意識した途端に 元の感覚ではあり得ない
    操法を行う前に イメージした場合も 感覚はある
    感覚そのものは 動きの連なり 循環の一瞬の”間”

    「渦状波」という 皮膚に問いかける 動診操法の際
    予備感覚(注:体験して欲しい!百聞は一験にしかず)
    は現れてくることもあり その際”意識”されるものは 
    概に”感覚”として認知されている 脳の顕現でもあり
    皮膚を通じて 空間の振動数を 既に味わっているのだ

    「希望とは一体何だろう。ニュートンしか信じられない
     医師達にもわかるように、ここで新たに定義してみよう。
     『希望』とは思考の一形態だ。
     それもあなたの細胞に影響を与えるような思考である」
               =ロバート・B・ストーン=

    あなたの細胞の神秘な力―バイオ・コミュニケーションが発見した生命の謎

    あなたの細胞の神秘な力―バイオ・コミュニケーションが発見した生命の謎

    これも 丸ごと大きな細胞の成してきた叡智であるなら 
    一体として 全体として イメージから 始めるといい

    しかも、シンプルに学んでいけるから「操体」を学ぼう。

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  • p1*[岡村郁生(おかむら いくお)]Ⅴ、縁と霊から言葉を発す

    <神和の周縁 そして・・・>
    人々に 様々な言い方はあっても一仮説である
    要するに 方便である 地方で云う方言である

    お金をかけずに愉しむ工夫なら 自然に学ぼう
    食べること 遊ぶこと 着飾ること 読むこと
    愉しんでいれば工夫となり ただ親和するまま
    ”人”を気にしないで ”からだ”を気にする

    神和でぬくもり 周縁の波動を 感じとること

    しかし ”人”に興味を持つのが”人”だから 
    自然から離れ 気が付いてみると”人様”中心

    ビックバンの爆発速度が1億分の1速くても、
    1億分の1遅くても今の宇宙はないのという
    その大宇宙から生まれた地球は請求しない

    光も 熱も 水も 空気も みんなタダ!!
    見守ってくれる”タダ=無料”は無視している

    ・「太極」←「陰陽」←「木・火・土・金・水」を、
    「肝・心・脾・肺・腎・」による五行論の”臓”では、
    最も大切な”みえない働き”として「心」は二つ、
    他と異なり、君火(心)と相火(心包)がある。
    『相火は下焦包絡の火であり、元気の賊である』
                    =李東垣=

    大切なものは大切だから”隠されている”のだ。

    私訳:君火はボスで相火は裏ボス、ボスは目立つ
       けれど、支えるのは裏ボス。ボスは無垢で、
       裏ボスの意識は天使か悪魔を選択できる。
       「明=生明」はボス「位=正邪」は裏ボス。
       陰部に裏ボス、陽部にボス。

    哲学思想として、東洋医学から日本医学にするのは、
    現代医療とか代替医療とか、人間の都合で決めた事
    に振り回されないで済む、”生命医学”を持つこと。

    刻一刻として 同じ物など 何一つ無いように
    経過を認めていく筋道を 無条件に受け入れる

    操体では 「からだが治しをつける」 と云う
    要するに三者三様ではなく ”人様”でもなく
    からだは変化しているのだから 理解すること

    「ヒトは夜に、3万2千回(平均寿命87.6×365日)
     死んでは、また毎朝生まれ変わっているのです」
            =鈴木俊輔(ことだまの科学)=

    ことだまの科学―人生に役立つ言霊現象論

    ことだまの科学―人生に役立つ言霊現象論

    それに必要な条件は 騒々しさという幕に終演
    沈黙という周縁を ただ 向き身になり味わい
    侘びることをとおす 有り難くなったら本物だ

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  • p1*[岡村郁生(おかむら いくお)]Ⅳ.目覚めし竜族の愉悦

    目覚めに教えられ書き留め、重力の面白さに気付く。
    「例えば、下に引かれているときを自覚できるか?
     重力とは、地球のコアが私達を含んで”全て”を牽引しているわ
     けだけれども、力んでいるせいで感じられない。
     具合が悪くなると途端に”重くなる”に変わる」
     
    また、スピン(回旋力)とラセン(遠心力)の詳細、識別について
    も詳しく教えてくれた(←半分忘れた)

    覚えている断片的内容は、スピンにしてもラセンにしても、”上下
    のセット”で力が繋がって働く。
    この場合”モノ”としての形が与えられたことで、その”タチ”
    (器でもいい)が存在するが故に起こっている変化なのだ」という。

    よく考えてみると、みえているモノとミエナイもの。
    これを東洋的哲学で言えば”陰陽論”になっている。
    その上下に貫通している法則こそ、太極思想であり、『タオ』であり、
    操体でなじみ深い『8』つまり、オクタントという極限安定律になる。

    では、ラセンって何だろう?
    「要するに”カタチの無いモノ”が回転していくことを示しているので、
    高気圧と低気圧の関係に似ているし、また、潮の流れもこれに相当する」

    「”上下セットの力”に加え、人為であろうとなかろうと、”周囲を巻き込
    んでいる力”のことであり、喩えるなら、つむじ風のように移動しつつ、
    周囲を巻き込み、下の物を上に引き上げる力を”ラセン”は持っている」

    そういえば御言霊にこうある。
    『痛みに言葉を与えよ 繋げ連鎖せよ輪をえがき 空を舞え』
                       =「御言霊」より一部抜粋=

    操体法 生かされし救いの生命観

    操体法 生かされし救いの生命観

    (注:この御言霊は精魂がほとばしるほどに面白い!)

    この前にも「竜云々・・」とあるが、この竜とは・・・、
    「この自然に備わって働き続けている力のことであり、宇宙活動のシンク
     ロニシティーが発動している限り、決して消え去ることはない!」

    「”臨生”において我力を磨くこととは、大切であるが、この、”スピン”と
     ”ラセン”と『感覚』で識別できるようになると、一気にイノチの要求が
     理解できる」

    「その錠を開くのは『皮膚』そのものである。
     脳の伝達システムに皮膚電位を感知させてやることで、少しづつ(十年
     はかかるらしい?)上昇していく」

    ・・・なんじゃこれ?と思って目覚めて書き留める私。
    ん!でも、もしかしたら?大きなヒントなのかもしれない。
    これが竜(見えない代表?)の通しかた、かもしれない。

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  • p1*[岡村郁生(おかむら いくお)]Ⅲ、王に親和してこそ賢者

    <親和の応に振るえる華>
    想いとは、心の上に相と書き、それは”位相”のことであり学問を指す。
    また意識と思考は、異なるが故に識別して、離すことも、親和もできる。
    ウゴキ続けてこそ、生かすことも、居着くことで、殺すこともできる。
    一歩進めば自分に、もう一歩で自分というフィルターに、自己というフ
    ィルターに応じて振る舞い華も咲いてくる。

    因果応報によって味わうのもここが勘所である。 
    これは報いではあるが、救いにもなっている。
    救いになっていなければ、報いにはならない。
    迷っても”雅”、そう想っていられる勘所。
    失敗などはない、その構想に行動が伴いつつ、きっかけを掴んだのだか
    ら意識の調和となる。

    中性子=意識=調和 、陽子=意志=愛、ですから原子核というのは、
     『意識』と『感情』、『意志』と『愛』が結びついて構成されている。
     則ち愛と調和が、全ての存在物の素になる。
     これは地球上でいう全ての存在物です」
                       =足立育朗(波動の法則)=

    波動の法則―宇宙からのメッセージ

    波動の法則―宇宙からのメッセージ

    『果報は寝て待て』ではないが、吉報(快方)は寝かせてこそ調和する。

    「偉大なことを成し遂げるには、行動するだけではなく夢を見ろ。
     計画するだけではなく、信じろ!」
               =アナトール・フランスノーベル賞作家)=

    ウゴキがあるからイノチ、流れないイノチはない。
    まずやって味わうこと、意識はそれを感じること。

         
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  • p1*[岡村郁生(おかむら いくお)]Ⅱ.迷宮に入る悦び

    <世告げの秘めと魔法の迷宮>
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    夢は絵から立体へ 絵コンテから影像へと映る 生き返る気持ちのよさ(目覚め)に悦びつつ 
    日常を立ち上げるその前に語られる言葉 重ねるのは幻聴・幻視の迷宮か 体感し疑問を持つ

    「僕は仕事柄 人の 心とからだを通して 相手と共感することが できるんだ」

    「それは 傍にいるから と考えていたけれど そんなことは 全く関係なくて
     機械というものを通してでも 全く同じだった・・・ということが わかったんだ」

    まるで謎かけのように 私自身の生に絡んでくる そう 私自身が昨日死んで今朝生き返る際
    副交感神経に 交感神経活動と内分泌系 皮膚と脳髄液の交流密度で 繋がっているのだろう
    繰り返さない口調でわかるのだが 日々同じ波動ではなく 私が迷宮に入ったまま(寝る)と

    「進退は 全て 己の取捨選択にある!」…などと 生き返るなり 活を入れる(言われる?)

    「年周期・月周期・日周期いずれも太陽の周囲を 地球が回るという一つの循環から起こるの
     であって、このような循環がなくなれば、あるいは時間も空間も、同時に消失することにな
     るかもしれない。このことが中国で言う無極ということに一致する。
     個人の死もまた無極であり、太極に一致する理となる」
                                =藤田六朗(経絡学入門)=

    経絡学入門 (臨床応用篇)

    経絡学入門 (臨床応用篇)

    死んでからのビジョンとは、遠くにあるのではない
    生きているうちに 何回も死んでいる という想念 それも悪くないなと感じて今朝も味わう

    2014年4月27(日)
    東京操体フォーラムが開催決定!
    会場は東京千駄ヶ谷津田ホールです。

    「入眠儀式 快眠・快醒のコツのコツ」
    是非お越し下さい。

  • Ⅰ、ここにいる意味を味わっているか

    <重なりし運命の大地>

    気ままに暮らす移動生活に 馴染めなかった そして 大地に収穫の喜びを知った人間達は
    日々の農耕により 働くことを強制されたが 代償とも報酬といえる 甘き”実り”を得た
    その甘味で 更なる労働を受け入れていった

    狩猟や採取を「食」の糧としていた日々は 与えられる恵みに感謝しつつもひもじいときは
    ひもじさに耐え獲物や採取した恵みを分かち合い 皆容易に 五感に通じる感覚を通じつつ
    共感し共有できた

    ひたすらに獲物を得ようとする欲求も薄く 恵み豊かなときには 働くことも何もせずに
    歌っては踊り 触れ合っては気分良く遊び 愉しむことを優先した生活だった・・・とそんな
    「食」に関する有力説もあるのだ

    私自身 しばし糖質制限について感じるため その期間(約二ヶ月)もの間 大好物の”米”
    そして”小麦”(パン、うどん、パスタの類) これらを「食」することを制限してみた
    するとどうだろう?

    食事の回数制限の際に 止まっていた体重も キュンキュンとウエストが細くなってしまい
    内臓脂肪を中心に 3㎏ほど落ちてしまった

    精神的に辛かったのは ホッとして帰っても 家族と一緒に 食事が取れないことであった
    当然である!「ご飯は要らない宣言」を維持しつつ目前に好物 一緒に食卓を囲むのは辛い

    あの炊きたてのご飯と焼きたてのパンの香りこれを我慢するのは 嗜好品が必要となる
    (だが、平日アルコールは飲まない主義だ!)

    糖質制限前には ”一日1.5食”を実践しつつ 維持しやすい体重管理に 安心していたのだが
    普段食べ付けない 蛋白質・脂肪 の「食」は 明らかに 私のからだを変化させていたようで
    娘と家内には「最近体臭が強くなった」と言われなんだか意地になって続けていたのもあり・・・

    ある日風呂場で低血糖で意識を失い 終了宣言 これは 自業自得であり糖質制限に問題はない
    ・・・にしても得がたい嗜好品こそ糖質である! 言うならば 炭水化物そのものが口福なのだ

    久しぶりに口にした”炊きたてのご飯”の旨味 ホームベーカリーで焼いた”パンの香りと甘み”

    江戸時代に朝晩の握り飯を報酬として労働させたらしいのだが 誰しもが黙々と働いていたようだ
    そりゃ・・・労働強制されても 働くでしょ!!

    「そして穀物は 人類に 『神への祈りとして農作業にいそしめ』と命じた」
                              =夏井睦(炭水化物が人類を滅ぼす)=

    このまま終わってしまうと 炭水化物制限万歳! となってしまうようだが 決してそうではない

    得るためには 制限もときに必要な場合もあり  遺伝子に重なっていた感覚を 味わい受けとり
    未知の分野であった感覚に出会うことこそ本質  学んだからこそ伝えることが出来る「快」だ!

    繋がっている螺旋は無限のループ ”ONE-LINE” 幼き小脳の経験は生涯を通じて一生有効なように
    私達は本来 太極を描いている鎖の一部である

    次世代の操体が目覚めし瞬間へ 巡り会う盟友へ 一言一言、伝えて今週のブログを据えて生きたい

    学ぶことは生きること、全て生きる糧とせよ!

    子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?

    子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?

    いいんだ!頼むから・・「俺の屍を越えて往け!」

    2014年4月27(日)
    東京操体フォーラムが開催決定!
    会場は東京千駄ヶ谷津田ホールです。

    「入眠儀式 快眠・快醒のコツのコツ」
    是非お越し下さい。

    http://www.tokyo-sotai.com/?page_id=644