カテゴリー: 畠山裕美(はたけやまひろみ)

  • 四日目。そもそも愛って

    昨日3月3日はひな祭りでした。

    ひな祭りとは関係なく
    昨日はコンサートに行って来ました。
    師匠と実行委員の寺本君と一緒です。

    エンターテイメントの王者、
    KISS です。

    師匠は三度目、寺本君は初体験★です。

    私は忘れました(笑)

    思えば「愛」の概念は、このバンドから教わったような気がします。

    ホントか???

    さて、

    色々考えてみましたが、

    元々宇宙にあるもの
    生物が持っているもの

    そして生殖・子孫繁栄のために必要なもの

    生きる活力になるもの

    それが、そもそもの「愛」です。

    それが、言語の発生、宗教の発生に伴って
    「愛」という概念に書き換えられました。
    それは、宗派などによって少しずつ違うけれど、
    根本は同じもの。

    お年寄りが転んでいたら手を貸すとか、
    神仏への畏敬の念。
    これは、誰から教えられることなく、
    私達が知っていること。

    この写真は、一昨年の夏に拾った子猫、小十郎
    (ちびちゃん、と呼ばれているが実際はデカい)です。

    自分で言うのもナンですが、
    愛ある目線で撮った写真だなと思います。

    こちらは、師匠の愛猫シモン君。
    これも愛ある目線写真だなと。

    元々カメラ好きで、2011年についにデジイチを入手しました。
    そして昨年、やはり上手く撮りたいと思い、
    写真を習いに行っています。

    写真って、実は撮影者の被写体に対する「愛ある目線」が
    顕著にあらわれるものなんです。

    畠山裕海

    「2015年春季東京操体フォーラム」開催決定
    4月29日(祝)に開催いたします。
    『目からウロコ』のプログラムを企画しております。
    詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
    http://www.tokyo-sotai.com/?page_id=980

  •  三日目。宇宙不変の法則

    橋本敬三先生は

    社会主義弁証法よりも、陰陽弁証法のほうが優れている」
    というようなことを書いていらっしゃいます。

    シベリア抑留中、いわゆる「アカ(社会主義)」思想を
    叩き込まれるわけですが、その中で
    陰と陽のある日本神話(例えばイザナギイザナミの国生みとか)、
    「無双原理」を説いている桜沢如一(ジョージ・オーサワ)の
    陰陽弁証法がこの世の最高原理ではないかと。

    私はこの「陰陽弁証法」と「無双原理」にもう少し突っ込もうと
    思っていたのですが、
    ふとしたご縁で、易を勉強することになりました。

    これも愛の導き(笑)

    それに、易って「八卦」(はっけ)といいますが、
    8×8=64卦(か)あったり、
    8という数字と6という数字が結構出てきます。
    8にご縁があるのも面白いなと。

    さて、

    宇宙の法則というものがあります。

    その中で、一番確実だと思われるもの。

    それは

    「この世に変わらないものはない」

    ということです。これが不変の宇宙の法則なのです。

    つまり、宇宙は変わり続けるということですね。
    宇宙は変わり続けるというのが、変わらない法則。

    「愛と言葉」について私も色々考えてみました。

    私は占いもやりますので、
    ご相談を受けることがあります。

    その多くは、男女の愛に限らず
    「相手の言葉を信じられない」という
    コミュニケーションの不足から来ているのです。

    つまり、愛を現象に表すことができる言葉が
    信じられないのです。

    これは一体どういうことなんでしょうね。

    言葉は時に、ウソになったり
    人を欺いたりするからです。

    「彼の気持ちが知りたい」という相談を受けます。

    そこを深掘りしていくと、出てくる問題は

    「相手の言葉の真意が読み取れない」という不安なのです。

    その前に、
    好きな人になにかあげたい、というのは
    生物として自然なことなのではないかと思います。

    花が枯れるのは当たり前です。
    私達が花を愛でるのは、そのライフサイクルを目の当たりにして
    改めてイノチのことを考えるからかもしれません。

    「花はどうせ枯れちゃうから、悲しくなるから最初から育てない」
    というのは極論ですし、
    そういうヒトは、何か寂しい。

    「花はどうせ枯れちゃうから最初から育てない」ということは

    「愛」の否定だと思うんです。

    最近「どうせ付き合っても別れて傷つくから、彼(彼女)なんて
    いらない」という人もいるようですが・・。

    「言葉」というのは目に見えません。
    お花や宝石は目に見えます。

    この世では、
    目に見えるものも、見えないものも大事なのではないでしょうか。

    そうなんです。私は多分「陰と陽」ではないですが、
    太極のように、陰と陽は全く反対の気質を持つものも
    太極図のように、丸く一つにおさまる、というのが好きなのでしょう。

    また、ギリシャ十字(縦と横が同じ長さ)は、
    からだ(横軸)とたましい(縦軸)が同じ長さで、
    こころとからだのバランスがとれている状態なのだそうです。

    いわゆる普通の十字架は、縦と横の縦が長いですが
    これは身体よりもたましいを重んじているのだそうです。

    ○とか六芒星とかクロスとかの単純でなおかつ奥深いシンボルを
    ヤントラと言います。
    人間の潜在意識にアクセスするツールであるとも言われています。

    愛というと、私がイメージするのは太極図かもしれません。

    聖なるチカラと形・ヤントラ―なぜ、翼をもった大人になれるのか?

    聖なるチカラと形・ヤントラ―なぜ、翼をもった大人になれるのか?

    ★ヤントラに御興味がある方はどうぞ。

    以前、フォーラム相談役の太田剛先生と、実行委員の日下さんが
    対談をしたことがありますが、その時「面白いな」と思ったのは、

    人間が言葉を使うようになってから、そんなに時間は経っていない
    ということでした。

    ネアンデルタール人は、発声はできたようですが、多分
    「ウホウホ」とか、会話にはなっていなかったと言われています。

    クロマニヨン人(3万年〜5万年前)は、好きだとか嫌いとか
    嬉しい、悲しいという表現を行っており、また装飾品を作り、葬儀を
    行い、言語を使っていたと言われています。

    もっと遡って、人間の脳梁(言語能力を司る)が左脳と右脳を
    繋げたのは、せいぜい2000年〜3000年前だと言われています。

    これは、ブッダとキリストという宗教家が登場した時期とも
    重なっています。

    人間の言語能力が、脳梁の発達によって一気に世に出た結果なのかも
    と思います。

    以前、イギリス人の友人に言われたのが
    「イギリス本土で僕らの祖先が『うほうほ』言って言語を持たなかった頃
    日本人は高等な言語を持っていたらしい」という話でした。

    宗教の発生とともに
    「最初にことばありき」だったのでしょう。

    日本は、西洋に宗教が発生する以前に、
    高等な言語文化を持っていたのは事実です。

    畠山裕海

    黒と白。陰と陽。

    「2015年春季東京操体フォーラム」開催決定
    4月29日(祝)に開催いたします。
    『目からウロコ』のプログラムを企画しております。
    詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
    http://www.tokyo-sotai.com/?page_id=980

  • 二日目 愛あればこそ。

    突然ですが、
    団十郎さん、勘三郎さんに続き
    三津五郎さんまでお亡くなりになりました。
    歌舞伎の名優がまた・・という感じです。

    合掌。

    私は生まれて初めて見た歌舞伎が
    団十郎(当時はまた海老蔵)さんで、高校生の時
    文化鑑賞に力を入れていた学校の課外授業で
    海老蔵解説つきというなかなか素敵な機会に恵まれたのでした。

    そして、

    思ったのですが、
    宝塚って
    歌舞伎に通じるところがありますよね。

    あと、先日
    フォーラム相談役の巻上公一さんに
    「KISSは歌舞伎だ」という話をしたら
    「あれは歌舞伎だね」というお答えが返ってきました。

    さてさて

    今回のお題の「愛」ですが
    「LOVEではなく、愛」というお達しだったので、
    男女の愛情云々ではないということですね。

    ちなみに
    私は「愛か・・」と
    一瞬考えていたら、
    アタマの中で、宝塚が始まってしまいました。
    私は別にヅカファンではないのですが。

    これは人生のインパクト大でした。

    愛、それは甘く
    愛、それは強く
    愛、それは尊く
    愛、それは気高く
    愛、愛、愛
    ああ、愛あればこそ 生きる喜び
    ああ、愛あればこそ 世界は一つ愛故に人は美し
    愛、それは悲しく
    愛、それは切なく
    愛、それは苦しく
    愛、それは果敢(はかな)く
    ああ、愛あればこそ 生きる喜び
    ああ、愛あればこそ 世界は一つ愛故に人は美し

    作詞 植田紳爾 作曲 寺田瀧雄
    有名な「ベルサイユのばら」の
    一番盛り上がる、
    「愛あればこそ」です。

    これも改めて歌詞を見ると、なるほど、と思うのですが、
    一番と二番、同じ「愛」ですが、全く違う面からとらえています。


    こちらは杜けあきバージョン(スタジオ録音版)

    こちらは、オスカルを涼風真世、アンドレを天海祐希という
    バージョン。

    最初は、心が高揚するようなイメージ
    次は、対象あればこその苦しみ
    そしてサビの部分ですが
    「ああ、愛あればこそ 生きる喜び
    ああ、愛あればこそ 世界は一つ愛故に人は美し」
    これが何だか世の真理をあらわしているような
    気がします。

    今、

    色々な力(ちから)によって、世界は分断されていますが
    これは誰かが、例えば宗教や国の違いによって世界を分断しようと
    している結果です。
    でも、本当は分断されていないのだと思います。

    愛あればこそ。

    畠山裕海

    「2015年春季東京操体フォーラム」開催決定
    4月29日(祝)に開催いたします。
    『目からウロコ』のプログラムを企画しております。
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  •  一日目。 愛の反対側にあるもの。

    ご無沙汰しております。
    畠山裕海(はたけやまひろみ)です。
    一週間よろしくお願い致します。

    愛の反対側にあるもの。

    今回のブログの共通テーマは「愛」だそうです。

    「哲学」とか「操体」とか「編集」という言葉くらい
    幅広い言葉ではありませんか。

    愛の反対語は「怖れ」だといいます。

    というわけで、最初に「愛の裏にあるもの」を考えてみたいと思います。

    私は陰陽があるように、どちらも必要だと思っています。
    今が陰の時代だからといって、陽をバカにするとか、ないがしろに
    しているわけではありません。

    また、左目を重視するからと言って、
    右目をないがしろにするわけでもない。

    快の対極に不快があるとしても、
    不快あっての快かもしれないと思います。

    ある宗教家の先生の本に書いてあったのですが、

    最近のポジティブ過多のいわゆるスピ系というのは、
    光しか見ないのだそうです。

    そうすると、死とか闇とかの存在を無視するようになり、
    仏像を素直に拝んだりできなくなるとか、そういうことも
    あるようです。

    また、中世の魔女狩りは、
    余りにも「光」を崇拝しすぎて
    逆に邪悪な存在、つまり悪魔を作ってしまったこと、
    厳しい教会の戒律のプレッシャーにより、
    聖職者達がその対象を「魔女」に向けて
    残虐なことを行ったとも言われています。

    つまり、あまり「光」にばかり目を向けていると、その結果
    「闇」、つまり「悪」を作ってしまうのです。

    なるほど。

    もう一人、あるスピリチュアル系の指導者は、
    陰と陽、光と闇、オトコとオンナ、裏表というものがあるし、
    昼の顔、夜の顔というものもあるけれど、
    その裏側は、あまり意識を置くものではない。

    意識したものが、拡大するから。
    なのだそうです。

    この二人、どちらも一理あると思うのですが、

    裏表、陰と陽、昼と夜、光と闇、
    物事は対になっています。
    光と闇、この「光」ばかり見ていると、
    逆に「闇」が拡大する。

    反対に「闇」にばかり意識を置くと闇も拡大しちゃう。

    どちらもある、と認識して、こだわらないのが一番なのかもしれません。
    愛というのは片方から見ただけでは、その本質が見えないようです。

    「2015年春季東京操体フォーラム」開催決定
    4月29日(祝)に開催いたします。
    『目からウロコ』のプログラムを企画しております。
    詳細は以下、「東京操体フォーラムHP」をご確認ください。
    http://www.tokyo-sotai.com/?page_id=980

  •  操体はリベラルアーツだ!(その6)

    さて、これは何かというと、温古堂の「料金表」です。
    橋本先生が79歳ですから、1976年(昭和51年)頃です。

    健康保険は効きません。
    自費診療です。
    医者が自費診療で、というのは相当覚悟がいったのでは
    と思います。

    三浦先生によると警察官とか自衛隊とか
    国家公務員はタダだった時期もあったとか
    (タダだとかえって来なかったとか)

    東北六県地域サービスで
    初診料 2000円
    治療代 1000円

    一般

    初診料 3000円
    治療代 2000円

    で、内容は第一分析です。
    楽な方に動かして、動きをたわめてストン!というヤツですね。

    この当時の物価を現在に換算すると、約二倍というので、
    一般は 初診料6000円、治療代4000円
    合計一万円になります。
    ★ちなみに、私が今初診料5000円の治療費5000円なので、
    ほぼ同様の換算になります。。。(やってるのは第二分析以降なので
    勘弁していただきましょう)

    まあ、「第一分析」で初診の患者様からは一万円いただいていた
    ということになります。

    操体の捉え方は多種多様です。

    六月に師匠が大阪に呼ばれ「般若身経」(般若心経ではない)の講義を
    やったので、東京操体フォーラム実行委員は総勢10名で参加しました。

    今年一番の「収穫」は、関西エリアと東京エリアでの「操体の捉え方の違い」というのが
    よく分かったことでした。

    これは伝わり方にもよるのですが、
    関東地方や仙台などでは、やはり創始者橋本敬三先生が
    患者様を診るのに用いていたということもあり、
    鍼灸師柔道整復師などが習い、実際の治療に用いるという色が濃いようです。
    実際、人様の健康を扱うので、ある程度勉強には時間がかかります。

    関西地方に伝わった経緯をみると、
    「簡単で自分でできる健康体操」として広まっている色が強く、
    例えば「般若身経」(般若心経、ではない。身体運動の法則を
    世界で一番短いお経になぞらえたもの)についても、
    私達は「身体運動の法則(からだの使い方、動かし方のルール)」として
    捉えているのに対し
    「基本運動」という体操として普及していることがわかりました。

    また、対象者が「ある程度動けて、体操教室に通える方」などがメインなので、
    動けないとか這ってくるとか医者に見放されたとか、車椅子に乗ってくるとか、
    そういう方々を診ているのとはシチュエーションが違うんですね。

    一番ショックだったのは、
    神戸の操体指導者が
    操体って安いもんだと思ってました」と言ったことでしょうか。

    安い??

    申しわけありませんが、

    私は、一瞬彼をぶん・・・・・(以下自粛)

    彼にとっては、操体は「自分でできて簡単で安い」ものなのです。

    あと、柔道整復の先生なので、彼の場合は「保険」が効くんですね。

    自費診療でやるのと、
    保険治療ではそりゃスタンスが違って当然です。

    指導者が「安い」と思っていれば指導料や講習料も安いのは当然です。

    また、私が思うに「操体」も価値があって素晴らしいものだと、
    自己投資の価値が十分にあり、それがしいては自分に、世の中に役立つのだと
    思うのですが。それこそ考え方は多種多様です。

    ちなみに、師匠は操体に対し、本当に真摯に接しているので、
    操体も「それなり」に、返してくれているのだと思います。

    なお、うちの実行委員の某氏(大阪より西在住)は、
    大阪のマダム達に「何でわざわざ東京まで操体を習いに行ったの?」
    と、聞かれたのだそうです・・・。

    そして、何故関西の方々が、あまり東京まで操体を勉強しに来ないのかというと、
    対象者の多くがミドルエイジ以上の一般の女性であること、
    また、操体は「自分でできて簡単で安い」というイメージがあるため、

    おそらく「ラジオ体操を高い受講料払って習うか??」というような
    感じなのかなと思いました。

    私達のように、プロになるために、あるいはプロとしての腕を磨くために
    長い時間と自己投資をする、というのは多分まったく埒外のことなのだな、

    だから、なかなか話が通じないんだなと改めて感じました。

    また、般若身経についても、関西独自の進化(?)を遂げており、
    (これは畠山のブログをお読みください)
    般若身経と言わず「基本動作」というような言い方になっていたり、
    膝をゆるめていなかったり、踵に重心が乗っていたりとか、

    「へええええええ」なのです。

    これは、どっちがいい悪いの問題ではなく、

    「違う」ということなのです。

    もうこれは、
    教祖は同じだけど、
    教義が違う宗教みたいなもんだと思いました。

    これを「みんな仲良く」でまとめられる問題でもないのです。

    健康体操バーサス治療・臨床なのですから、
    目的も違うのです。
    みんな橋本敬三先生を尊敬し、慕っていることは間違いありませんが。

    逆に言えば、
    柳生心眼流は仙台伊達藩のお家流です。

    そのルーツには「正體術」というのがあるそうです。

    私は「正體術」という言葉を島津兼治先生から聞いて
    「せいたいのたいは、骨に豊と書きます」と聞いた時、倒れそうになりました。

    そして、島津先生から
    操体柳生心眼流は、同じ仙台生まれ。この二つは
    先祖が同じで全く性格の違う兄弟みたいなものです」と聞いて

    「素晴らしい」と思いました。

    なんだかまとまりがつきませんね(笑)。

    タイ癒しフェアで。島津兼治先生と師匠(三浦寛)。

    今日はこれから島津先生の講義に
    三浦師匠と行って参ります。その後は
    島津先生の喜寿のお祝いにも行って来ます。

    一週間ありがとうございました。
    明日からは島根の福田さんです

  •  操体はリベラルアーツだ!(その5)

    私が最初に三味線に接したのは、
    父親が仕事のご縁で貰ってきた津軽三味線のあるお師匠の
    リサイタルに行った時でした。
    その頃から洋楽(ハードロックとか)好きだったのですが、
    津軽三味線ってすごい迫力なんですよ。

    あの激しいのを集団でやられると
    結構きます(笑)

    ちなみにこれは、Deep Purpleの名曲、”Smoke on the water”
    の木遣りバージョンですが、邦楽とハードロックの融合ってヤツですね。

    さて、先日
    本條秀太郎と松岡正剛の三味三昧」に行ってきました。
    本條秀太郎先生の演奏は何度かご縁がありました。
    それもホールではなく、お座敷っぽいところとか、この日のように
    編集工学研究所の、本が六万冊収蔵されている「本楼」のような場所とか、
    極めて生に近い音で接するチャンスばかりです。

    会場に着くと、福岡から飛んできたN女史が最前列に座っていたので、
    その隣に座りました。

    本條先生は潮来の生まれの三味線奏者・作曲家で、松岡正剛先生と交流があり、
    イベントでたまにお見かけします。
    端唄というのは、男性は女性の声、女性は男性のような低い声を出すのが
    粋なのでそうです。
    高く、よく響くいい声をしていらっしゃいます。
    小さい頃から三味線が好きだったそうですが、
    三味線というと遊郭が想像されることから、
    お父様は三味線を習うことに反対し、内緒でお稽古に通ったとのこと。

    何と言うか、こういう名人の「修業時代の話」を聞くのって、好きなんです。

    端唄は結構短いものが多いので、集中力が持ちます(笑)。


    写真:本條秀太郎先生と、ついつい手を撮ってしまいました。

    今回、一番びっくりしたのは、
    三味線が分解できるという話でした。

    というか知らなかっただけなんですけどね。

    本條先生が目の前で分解するのを観たのです。
    三味線というのは、一台を一人の職人が作るのではなく、
    各種パーツパーツに職人さんがいて、分業になっているのだそうです。

    「へえええええ」

    そして、この夜は二人の芸者さんが登場しました。
    芸者さんの踊りと三味線を生で、というのは勿論はじめてです。
    残念ながら、カメラのシャッタースピードが遅く、折角の艶姿が
    ボケてしまったので、ここには掲載できませんが、

    「芸者遊びにハマるというのはわかる!!」と
    妙に納得しました。

    自分が明治とか江戸のお金持ちの男性だったら
    はまったかもしれない(って、もしかしたら前世でやっていたかもしれません)
    と一瞬考えたりしました。

    美しく優雅で愛嬌たっぷりで、
    なおかつ色っぽく、
    アタマも切れる。

    そして、これも勿論はじめてですが
    芸者さんのお座敷芸、
    スカイツリー」というのを目撃。
    これはまさに瞬間芸

    昔は「東京タワー」とかだったのかもしれません・・
    内容はナイショです。

    松岡正剛先生。

  •  操体はリベラルアーツだ!(その4)

    結構カメラが好きで、ずっとデジカメを使っていました。
    SONYフロッピーディスクで撮る時代のも持っていました。
    一時は、ソニーサイバーショットに凝っていましたっけ。

    そして、デジタル一眼レフですが、
    欲しいと思いつつも

    「買ったら絶対はまる・・・・」と、敢えて
    避けていました。

    ところが、2010年に、イスタンブール経由でマドリッドバルセロナに行き、
    帰りはイスタンブールでという経験をした時に

    デジイチを持っていない自分はアホだ」

    と真剣に考えまして、

    ついにデジイチを手にしたわけです。

    デジイチの愉しみというのは、
    レンズを選ぶことです。

    最初に「ダブルズームレンズキット」とか買うのですが、
    怖ろしいことにレンズが欲しくなってきます。

    ええ、買いましたとも。

    これを「レンズ沼」というのだそうです。

    そうです。

    ずぶずぶとはまるから(笑)。

    そうしているうちに、あるフォトスクールの広告を見つけて
    体験講座に行きました。

    私の周囲にもカメラ好きがいます。
    師匠は私がデジイチを買った後、
    欲しくなったそうで、やはりデジイチを買いました。

    その他にもカメラ好きの方がいるのですが、
    露出とか絞りとかシャッタースピードとかISOとか
    よく分からないことを言ってくるので

    「さっぱりわからん」と思っていました。

    このスクール、
    まず先生が現役プロの女性の先生です。

    そして「露出とか数字関係は上級コースで」
    「最初は楽しく」というスタンスなのです。

    そして、先生曰く

    「写真は愛です」。

    私はこの言葉にえらく感動しました。
    例えば同じカメラを使っていても、

    「なんだこりゃ」というのと
    「この写真には愛がある」と思うのがあるからです。

    また、所詮使うのは「P」(プログラムモード)くらいで、
    いくら本とかテキストを読んでも、なかなか分からないわけです。

    人に聞いた方がわかるということってあるんですよ。

    また、先生の「基本が大事です」という言葉にも関心しました。

    釣り好きがへらぶなに始まりへらぶなに終わるように
    操体も般若身経からはじまり、般若身経に終わる・・・。

    そして、
    「かっこよく撮るのが目的の一つです」というのにも
    おおいに頷きました。

    操体の動診操法も同じなのですが、
    はたから観ていて「フォームが決まっていて美しい」と、見える場合は
    結果がでるのです。
    フォームがあまり見栄えがよくなくて、
    結果が出るということはあまりありません。

    つまり、動診操法をかっこよくやるということは
    内容も伴っているということなのです。

  • 操体はリベラルアーツだ!(その3)

    横山大観という画家の名前はご存じだと思います。
    横山大観と若い頃一緒に活動していた菱田春草という画家がいました。
    彼は37歳という若さでこの世を去ります。

    ある美術展で、ポスターを見ました
    「あ、目が合いましたね」、と書いてありました。
    そうです。
    目が合ってしまったのです。

    ポスターの黒猫と目が合ってしまったのです。
    黒猫というのは不思議なもので、大抵毛が柔らかいのです。
    その、ぽやぽやした毛の感じと、こちらを真正面から見ている
    猫と目が合ってしまったのでした。

    菱田春草はよく猫の絵を書いています。
    歌川国芳のように猫好きだったわけではないそうですが、
    猫の絵が多いのです。
    柿の木と黒猫。
    梅の花と白猫。

    和猫の小さい前足。
    可愛いけど媚びていない顔つき。
    何となく笑っているような口元。

    この展覧会は東京国立近代美術館東西線竹橋駅すぐ)で
    開催されました。開催は終了しましたが
    ミュージアムショップへ行けば図録を購入できます。

    図録どころか、2回、前半と後半いったもので、
    クリアファイルを二度買いました。
    ハンカチを買ったつもりが間違えてティッシュカバーを買い、
    黒猫と白猫のマスコットまで買いました。

    ちょっと生意気そうな顔をしていますが、
    そこが可愛いなと思っています。

    芸術と言えば、橋本敬三先生は
    日本医家芸術クラブの「医家藝術」誌に、何度か
    文章を投稿しています。
    大正10年には「あだむ」という小説の機関誌にも投稿しています。

    そういう観点からみても、芸術に接することは、
    操体を勉強することにとって
    とてもいい栄養になるのではと思います。

  •  御礼 2014年秋季東京操体フォーラム

    お陰様で、2014年秋季東京操体フォーラムを無事終えることができました。
    皆様のご参加ご協力に心より御礼申し上げます。

    福岡からゲスト講師としてお越しいただいた新部健太郎先生による
    易と八卦掌は「8繋がり」で何やら深いものを感じました。

    操体と「8」という数字は切っても切れない関係があります。

    どうやらこの数字には宇宙の真理が隠されているのかも、と思ったりします。

    そして私自身易を勉強していますし、中国武術
    その昔実は太極拳を日本チャンピオンの先生に習っていた
    (今はすっかり忘れてますが、思い出すかなと)のですが、

    含胸抜背(がんきょうばっぱい:中国武術での基本姿勢みたいなもの)は、
    まさに操体の「自然体立位」と合致します。
    カタカムナに記されている「立ち方」にも合致しますね。

    膝の力をホッ、とゆるめ背筋は軽く伸ばし
    目線は正面の一点に据える。
    この時骨盤を前弯曲(腰を反らせない)に保つという姿勢です。

    ★講習で「畠山にやらされた!」という方も多いと思いますが、これが
    操体の自然体立位のためのトレーニングなのです。

    また、今回新しく実行委員長、副実行委員長に就任した
    二人を含め、実戦部隊(タスクフォースチーム)の若手メンバーには本当に
    よく働いてくれました。

    そして「般若身経」のロゴを篆刻で掘って下さった小川美華さん、
    多忙中二日間駆けつけて下さった相談役の太田剛先生と最高顧問の
    山口晃さん、ありがとうございます。

    次回のフォーラムは2015年4月29日(水)祭日の開催が決まっています。
    また、三浦寛理事長の恒例ディナーショウ「操体マンダラ」は7月20日(海の日
    に開催予定です。

    私達、実は春に向かって既に新たな計画を立てていますので、
    またよろしくお願い致します。

  • 操体はリベラルアーツだ(その2)

    リベラルアーツとは、大学の教養学部のことを指したりします。
    専門分野の研究もいいのですが、専門に偏り過ぎて、一般教養がおろそかになり、
    もう少し一般教養を深めようという動きがありました。

    操体は、単なる「手技療法」ではありません。
    創始者、橋本敬三医師の、いわゆる「橋本哲学」、
    宗教、カタカムナ、相似象、同時相関相補連動性(息食動想)を含めた
    広大な思想体系を指します。

    操体法、というのは、その中で、橋本敬三医師が臨床で行っていた
    ことを指します。

    大抵の方は「操体」ではなく「操体法」(やり方、治し方)を知りたがりますが
    その前に、
    なぜ治るのか?
    というセオリーを理解しておかないと、十分ではありません。

    また、アタマでばかり考えていても操体は面白くありません。
    実際に体験することによってその面白さが何倍にも膨らみます。

    そして、統合されたからだの動きは美しいことに気づきます。

    11月だというのにまだ咲いている朝顔
    何箇所かで見かけましたが、皆一様にこの青紫色でした。
    この種類は晩秋に咲くのでしょうか。