カテゴリー: 畠山裕美(はたけやまひろみ)

  • 私がずっと、植物嫌いだったワケ 三日目

    なお、先日あるテレビで、男女の脳の性差についてやっていました。
    赤ちゃんでも、女の子はお人形を手に取り、男の子は車を手に取るそうです。
     
    私は、小さい頃から、お人形ではなく、サンダーバード二号が大好きだったという、妙な趣味を持っており、なおかつ、魚類図鑑と人体図鑑とか百科事典系を愛読し、3歳から自ら児童図書館に行くような、親からみたら「妙な子」だったので、植物図鑑に夢中になるのもヤバイ、と思ったのかもしれません。
     
    べつに、植物図鑑を読みふけるあまり、勉強しなかったとか、成績が悪いとかそんなことはなかった(と思う)んですが。。
     
    ちなみに、私の妹はあるマンガに夢中になり、そればっかり書いていましたが、親はやっぱりそのマンガを「夢中になりすぎるから」といって隠したのを覚えています。
     
    そういうことはやめましょう(笑)
    私が小さい頃は(遠い昭和の話です)、マンガを読むとバカになるとか、そんなことがまかり通ってましたが、今はそんなことはありませんよね。
    また、もしかするとマンガ好きな子が「鬼滅」とか「ワンピ」みたいな凄いのを描くかもしれないじゃないですか(笑)。
     
     

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  • 私がずっと、植物嫌いだったワケ 二日目

    性格的なものなんでしょうが、私は飽きっぽくありません。
    一度凝ると、ずっと好きです。
    操体がいい例ですね(笑)。
     
    私は本好き、特に子供の頃は図鑑が大好きでした。
    小学校1年と2年の時は、ポケット植物図鑑がお気に入りで、いつも読んでいました。
    この頃は、気に入った本を読んで読んで読みまくり、暗記するくらい読むような感じです。
     
    ところが、うちの親というのが、
     
    「この子は夢中になりすぎる」と
     
    いうのを怖れたんだと思いますが、
    (多分、普通の子と違うことが怖かったのではないでしょうか。昔は、子供の個性を伸ばそうとかというよりは、他の子と一緒、出る杭は打たれる、そんな考えがあったんですね多分)
     
    その、私の最愛のポケット植物図鑑を隠したんです。
     
    私は勿論家中探しました。探して探して探しまくって、見つけました。
     
    その時に、味わったのは、親に対する絶望です。
     
    しつこい私は今でも「あの時隠したよね」というのは、うっすら覚えています。。
     
    自分が愛してやまない植物図鑑を「この子は夢中になりすぎるから」と言って隠すというのは、私にとっては大きな衝撃であり、不信感となりました。
     
    多分その時のショックで、しばらく植物が嫌いになったんだなと、後で気がつきました。
     
    最近は「子供の『好き』は伸ばそう」という風潮がありますが、いいことだと思います。
     
    そして私は古典の『虫めづる姫ぎみ』(虫が変態的に好きなお姫様の話)を何となく思い出すのでした。
     

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  • 私がずっと、植物嫌いだったワケ。 初日

    こんにちは。畠山裕美です。
    1週間宜しくお願い致します。
    今回も、瀧澤さんと「次回のブログのテーマは何にしよう」と、話をしていて「そうだな、植物?」という感じで、わりとさくっと決まったテーマです。
     
     
    その割には、「私がずっと、植物嫌いだったワケ。」とは、何だかぶっそう?なテーマですが、これについて書いてみたいと思います。
     
    今現在ですが、植物は嫌いじゃないですし、仏様に花を供えているし、普通に花や植物と接しています。

     
    そして思い起こすと、10歳位から30歳位までの20年は、なぜか花や植物とは疎遠というか、何だか好きじゃない的な気持ちがありました。
     
    多分環境のせいもあったのではないでしょうか
     
    今では、子供が興味を持っていることや、好きなことは、伸ばそう、という風潮があると思います。
     
    ふと思い出したのは、
    「私は、小学校の低学年の時は、植物が大好きだった」ということなんです。
    それをずっと忘れていたんですね。
     
    なぜ、忘れていたかというと。。
     
     

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    2021年の夏は、蓮の写真を撮りに方々に出かけました。
  • (七日目)不自然の自然

    1週間にわたってアートと操体について書いて来ました。
     
    今回改めて分かったことは「自然(神が造ったもの)はサイエンス」「アート(人間が造ったもの)」という明確な区別でした。
     
    まあ「自然の芸術」と言ったりはしますが、その自然も、実は国立公園で人の手が入ってたりします。
    人類未到の地以外は、アート(人間の手が加わっている)のかもしれません。
     
     
    私が今回興味を持ったのは、橋本敬三先生が、アーティストでもあったということ。
    アートの歴史をみると、人間は「自然の摂理(死)」と、「自然の摂理からの脱却」(不死・完全)の間で揺れていたようです。
     
    さて、操体を理解する上で、大事な言葉があります。
    それは「不自然の自然」。
     
    おばあちゃんの曲がった腰を、操体で伸ばせないかというご相談を受けたことがあります。
    おばあちゃんは、べつに悪いところもないのですが、娘さんが「腰が曲がっていて姿勢が悪く見えるから」というのです。
     
    この場合(操体ではなく)他力矯正的に背骨をどうにかするとか、脊柱の手術をするということもあるでしょうが、おばあちゃんのからだのことを考えると、あまり現実的ではありません。
     
    スポーツ選手なども、職業的なからだをしています。
     
    専門的職業的なからだをしている人を、無理矢理枠にはめて矯正したりすると、結果が出せなくなったりします。
     
     
    神が創造したもの(サイエンス)と、人間が造ったもの(アート)は、常にバランスを取っているのです。
     
    「アート」っていうのは本当に大きなテーマだな、と感じた1週間でした。
     
    ちなみに、操体はアートだと思っています。
     
    1週間ありがとうございました。
     
    明日からは、三浦寛先生の担当です。
     

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    明日はハロウィン(万聖節)ですね。西洋版のお盆です。
  • (六日目)シンメトリーとアシンメトリー その4

    バロックの語源は、名前通り、歪んだ真珠、という意味のバロッコというポルトガル語だそうです。
     
    ちなみに、明治時代まで真珠は、自然界にあるものを採取していましたが、真珠の養殖に成功したのが、御木本幸吉です。
    伊勢にあるミキモト真珠島※には何度も行ったことがありますが、真珠を養殖しようというのは、なんとも凄いアイディアだと思いました。それまで、自然にお任せ(貝が異物を飲み込んで、それを核として真珠ができる)していたものを、人間の手で核入れを行うようになったからです。
     
    海女さんがボートでやってきてダイブしてくれる「海女さんショー」や、あこや貝を焼いたものなどを食べることができます。
    どうやって養殖真珠を造るかという工程も見ることができます。
     
    ルネサンス(この場合は、ギリシャ、ローマ時代の古典文化を復興しようという運動。14世紀末から16世紀)の後、16世紀後半から、18世紀に起こりました。
    元々は「もとは曲線の多い装飾的な建築や装飾に侮蔑(ぶべつ)的に用いられた」そうです。
     
    バロック(バロック音楽の時代も同様です)の時代と、日本で織部焼きが評価を得だした時期が16世紀辺りというのも面白いのですが、人間は、自然(サイエンス)と、人間が造ったもの(アート)の間を行ったり来たりしているのかもしれません。
     
    ルネッサンス ギリシャ・ローマ的な「結構裸体や肉体美賞賛」
    バロック 「曲線が多く装飾的で重厚感がある」
     
    的に考えると、ルネッサンスは、スポーツクラブで筋肉を鍛えている皆さん、バロックは、地下のライブハウスにたむろするロックな人達、みたいに考えちゃいますね。
     

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    オレンジのさつまいも。
  • (五日目)シンメトリーとアシンメトリー その3

    それなら、神社の鳥居はどうなの?と言われたので、考えてみます。
     
    鳥居の起源には諸説あるので、いちいちは述べませんが、いずれにせよ、元々日本の神社というのは、木や岩や山自体がご神体だったりして、左右対称でなかったのです。
    また、天照大神が岩戸に隠れた時云々とういうのもありますが、当時の岩戸は岩穴を岩板でフタをしたものだと思うので、これもまた左右対称ではなかったでしょう。
    そして、仏教伝来とともに(聖徳太子の働き)、日本では仏教を重んじるようになりました。
    現在の「国家神道」は、明治維新以後のものなのです。一般的な「二礼二拍手一礼」も、実は明治以降に制定されたものなんです。
     
    明治政府が、廃仏毀釈などで仏教を弾圧したのは、徳川幕府が仏教を政治的に使っていたからでもあり、仏教は、明治政府にとっては「にっくき徳川のツール」だったので、日本の仏教界は、維新で苦汁をなめたのです。
     
    話を戻しましょう。
    日本人は「自然を崇拝しており、自然の摂理である”死”を受け入れてきた」ということです。
    それが「非対称性」あるいは「破対称性」指向になってくるのでしょう。
     
    そういえば、バロック・パールというものがあります。
    真珠は、完全球に近いもののほうが、価値があるとされていました。
     
    古代の日本人も、真珠を身につけていました(限られた人ですが)。
    私が小学生の頃まで住んでいた千葉市は、海沿いということもあり、近所に貝塚が結構ありました。
    古代の人々は、海の近くで貝を食べていたのです。その貝の中から、丸い美しい球が出てきました。それを飾り物にしたのです。
    彼らが完全な球を求めていたトは考えられません。勾玉(まがたま)は、胎児の形を模していると言われていますが、多分、完全な球などにはこだわらなかったのではないでしょうか。
     
    それが、西洋では、完全球に近いもので、色はピンクやクリーム色が珍重されていました。
    黒真珠や形がいびつな真珠は、わりと敬遠されていたようです。
    しかし、それに光が当たったのが「バロック」です。
     
    バロックの語源は、名前通り、歪んだ真珠、という意味のバロッコというポルトガル語だそうです。
     
    ちなみに、明治時代まで真珠は、自然界にあるものを採取していましたが、真珠の養殖に成功したのが、御木本幸吉です。
    伊勢にあるミキモト真珠島には何度も行ったことがありますが、真珠を養殖しようというのは、なんとも凄いアイディアだと思いました。それまで、自然にお任せ(貝が異物を飲み込んで、それを核として真珠ができる)していたものを、人間の手で核入れを行うようになったからです。
     
    ルネサンス(この場合は、ギリシャ、ローマ時代の古典文化を復興しようという運動。14世紀末から16世紀)の後、16世紀後半から、18世紀に起こりました。
    元々は「もとは曲線の多い装飾的な建築や装飾に侮蔑(ぶべつ)的に用いられた」そうです。
     
    バロック(バロック音楽の時代も同様です)の時代と、日本で織部焼きが評価を得だした時期が16世紀辺りというのも面白いのですが、人間は、自然(サイエンス)と、人間が造ったもの(アート)の間を行ったり来たりしているのかもしれません。
     

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    2021年秋季フォーラム

    2021年11月23日(火)勤労感謝の日 ハイブリッド開催

    テーマ「アートと操体」

  • (四日目)シンメトリーとアシンメトリー その2

    日本でも、神社やお寺の建造物は、左右対称に造られているものが多いですが、これは、あきらかに仏教の影響です。
    有名なのが十円玉になっている、平等院鳳凰堂です。中学の修学旅行で行きましたっけ。。
     
    なお、平等院鳳凰堂が左右対称なのは、阿弥陀様のいらっしゃる極楽浄土を再現したからだと言われており、これは「死を克服して極楽浄土に行きたい」という貴族達の切なる願いですね。
     
    ここで、一度まとめてみますと
    日本(仏教伝来以前)は、自然崇拝であった。
    また、日本は「自然の摂理である”死”を受け入れる」という考え方があった。
    それは、いわゆる「左右対称的な完全」を求めるものではなかった
     
    日本以外(キリスト教、ヒンズー教、仏教、神仙思想など)では「自然の摂理である”死”を超克する」という思想があった。
    それが「完全性」つまり、シンメトリーに繋がってきた。
     
    大雑把ではありますが、こんな図が浮かんできます。
     
    一方、面白いのは、チャクラとか経絡図です。
     
    これは、関西相談役の日下和夫先生から教えて頂いたのですが、古い図をみると、お腹のチャクラは、真ん中ではなく、少し左に寄っているそうです。
    素人考えですが、お臍を避けたのでしょうか?近年のチャクラ図は皆からだの真ん中を通っていますが(背骨に沿っている)あれは、真ん中にしたほうが、説明しやすいとか、見栄えがいいとかという人的理由があったのかもしれません。
    また、経絡図は、ご存知の通り、規則性がありませんし、シンメトリーではありません(私にはそう見える)。経絡については「からだに宿るもの」として、古代の中国の人は、極めて客観的に「経絡」というものをからだから読み取り、それを図示したのでしょう。
     

    2021年秋季フォーラム

    2021年11月23日(火)勤労感謝の日 ハイブリッド開催

    テーマ「アートと操体」

     

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    最澄展より
  • (三日目)シンメトリーとアシンメトリー その1

    今回のフォーラムでも話題になると思いますが、シンメトリーとは大雑把に言って「左右対称」、アシンメトリーは「左右非対称」のことを指します。
     
    アート(建築なども含めた大きな分野)を考えた時、シンメトリーというのは大きなポイントだと思います。
     
    自然界には、厳密な意味でのシンメトリーは存在しないのです。
     
    しかし、昔から「シンメトリーに限りなく近い」ものが作られてきました。
    古くはピラミッド、ゴシック系の建物とか。
     
     
     
    遡ると、キリスト教、ヒンズー教(仏教も少し入る)、中国の神仙思想などは、
    「自然の摂理である“死”を超克する思想」と言っていいようです。
    つまり、「完全」を求めます。
    (アダムとイブの楽園追放あたりからの話になるようです)
     
    ゴシック建築のキリスト教の教会が天に向かっているのは、そのためだそうです。
     
    古代エジプト(ピラミッドは左右対称です)も、死後の世界を考えて、なきがらをミイラに加工しました。
     
    一方、仏教が入ってくる以前の日本の古代神道は、木や岩や山そのものをご神体としていました。
    つまり、自然崇拝です。
    日本人は「自然と死を受け入れる」という思想があったのです。
     

    2021年秋季フォーラム

    2021年11月23日(火)勤労感謝の日 ハイブリッド開催

    テーマ「アートと操体」

     

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    最澄展より。
  • アートと操体(二日目)

    昨日の続きです。
    神が作ったものが「サイエンス」で、人間が作ったものが「アート」と考えてみると、世界を別の視点で見ることができます。
     
    美術館にあるものが、アートというようなそんな狭いものではなくなってきます。
     
    遡って考えると、Art の語源は、ラテン語の Arus(アルス)なのですが、これが「芸術、技術、(神の創造した自然と対比して)人の手による製作物」という意味なんです。
     
    人の手?というと、「手技」を連想します。医術や手技療法、徒手療法、心理療法などは、アルスであり、アートなのです(操体法に繋がりました)。
     

    2021年秋季フォーラム

    2021年11月23日(火)勤労感謝の日 ハイブリッド開催

    テーマ「アートと操体」

     

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  • アートについて(初日)

    友松さん、1週間ありがとうございました。
     
    こんにちは。畠山裕美です。1週間宜しくお願い致します。
     
    今回のテーマは「アートについて」です。
    ご存知の通り、2021年秋季東京操体フォーラム(11月23日火曜開催)のテーマが「アートと操体」なので、それに向けての序章でもあります。
     
    これまでの実行委員の皆さんの投稿を読んでいると「アート」という概念は人それぞれ違うのだなと感じました。
     
    なお「アート(Art, Arts)」を明治以降日本語に翻訳したのが「芸術」ですが、かなり曖昧な言葉のようです。
     
    色々しらべてみると「リベラル・アーツ」という言葉が出て来ます。
    これは
    「源流は古代ギリシャにまで遡る。その後中世以降にヨーロッパの大学制度で学問の基本にあたるとされる文法学、修辞学、論理学の三学と、幾何学、算術、天文学、音楽の四科をさすのがリベラルアーツ(自由七科)」と、なります。
     
    今の大学の「教養課程」は、一応この辺りを勉強するのが建前(建前です)となっています。
     
    そして、なんで「リベラル」(自由)なの?と思って調べてみると、ギリシャ時代、これらの学問に通じていれば「奴隷にならずにすむ」ということがあったようです。
     
    まあ、奴隷というのは、ローマの属国から連れてこられた人達ですから、中には優秀な人もいます。
    教師、医師、会計士なども奴隷の仕事だったようです。
     
    ローマのコロシアムで試合をしていたグラディエーターも奴隷だったのかなと(ドラマで「スパルタカス」とか見るとそう思う)調べてみたところ、実は現在のプロレスラーのようにエンタメ的に試合をしており、死ぬまで戦うとか、ライオンと戦う、なんていうのは、あまりなかったようです。
     
    元々の意味としては「奴隷にならないために、言語学や数学の基礎を学んでさらにはその先の哲学にまで触れることができるようになる、その奴隷でない人の姿こそ自由人である」ということのようです。
     
    さらに調べてみると、人間が作ったものがArts なのだそうです。
    そうでないもの、神が作ったものが Science(サイエンス)という分類になるそうな。
     
    また、これも興味深かったのですが、日本では理系と文系の断絶が深いとのことです。
     
    この辺りは、やはり明治維新以降の政策が関係しているようです。
     

    2021年秋季フォーラム

    2021年11月23日(火)勤労感謝の日 ハイブリッド開催

    テーマ「アートと操体」

     

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    橋本敬三先生とりんりん。