カテゴリー: 瀧澤 一寛(たきさわ かずひろ)

  • ここから これから⑦

    今回のブログも今日で最終日を迎える。

    前回のブログを振り返りつつだったので、続きを書いているような気分だった。

    当初、不安を感じたり、悩んだ時期もあったけれど、
    結果的には色々と変わるきっかけになったと思っている。

    色んな自分がいてもいいし、色んな考えがあってもいい。

    今までと違うこと、人と違うことを受け入れられるようになったら、

    気が楽になったし、過ごしやすくなった。


    これが今のところ、僕の「この時代の暮らし方・私の免疫力アップ法」。

    一週間お付き合いありがとうございました。

    明日から寺本さんです。

    よろしくお願い致します。

     

  • ここから これから⑥

    月が出ている夜に外に出てみると、
    ほとんど街灯のない家の前も、月の光で思いのほか明るい。

    お陰で山に続く坂道も仄白く浮かび上がり、
    目が慣れてくるとさらに奥にある木々の輪郭も見えてくる。

    足下から立ち上がってくる青々とした草の匂い、
    近くをチョロチョロと流れる水の音や蛙の声が混じる空気はぬるくやわらかい。

    そんな7月の空気を感じながら、ぼーっと夜空を眺める。

    いつの間にかすーっと吸い込む息が深くなる。

    自分でも意図せず深く息を吸い込んでいる瞬間が好きで、
    からだの中を風が通るような感じがしてくる。

    住んでいるところのその時々の夜の空気を味わうのは好きで、
    去年や一昨年も今頃やっていたことだけれど、今年はちょっと感じ方が変わっている。

    なんだかホッとする。

    新しい生活様式になったり、感染予防に努めるようになったりで、
    今までとは変わってしまったことに目がいきがちだったけれど、
    こうして変わらずにできていることもある。

    その変わらずにできていることの中にも変わっていることはあるから、
    やっぱり色んなことが変わってきているのかもしれない。

    なんだか最近振り返ることが多くなったけれど、
    元に戻りたいというわけではなく、ここからがこれからの始まりという気がしている。

  • ここから これから⑤

    今回の豪雨災害のニュースを見る度に、
    被害に遭われた方々の悲しみや辛さ、無念さを思うといたたまれないきもちになる。

    ここ何年か毎年各地で水害が起こり、
    被害状況も厳しくなってきているように感じる。

    僕の住んでいる久慈市も、ここ数年で2度、台風による水害があり、
    家族の間でも話題に上がり、個人的にも影響を受けたことを思い出す。

    当時心配して声をかけてくれた人達、
    復旧作業中に差し入れを持ってきてくれた人達のように
    直接きもちを伝えてくれたことは原動力になったし、

    それぞれの場所でこちらにきもちを向けてくれていた人達の存在を
    後から知った時も嬉しかった。

    当時はそこまで気がいかなかったけれど、

    きっと今回のニュースを見てそれぞれが感じているように、
    あの当時も、画面の前で安否を気遣ってくれていた人達もいたはずで、

    そのほとんどが一度も会ったことがない、これからも会うことはない人達が大半
    だったんじゃないだろうか。

    当事者がたとえ知らない人であったとしても、
    他人事のようには思えない瞬間は誰にでも訪れるだろうし、

    当事者がその時気づかなくても、
    遠く離れた場所から送られてくる想いもあるんだろう。

    もちろん、励ましや気遣いとは反対のことも起こるわけで、
    そこは僕自身も紙一重だけれど、そこに生まれる素朴なきもちと
    それぞれの事情を慮ることは持ち合わせていたいと思う。

  • ここから これから④

    前回のブログの中で、職場まで歩くようになった話を書いた。

    さしたる目的があったわけではないけれど、
    外に出たくなるような陽気に後押しされて、
    職場までの道のりをいろいろ感じながら愉しんでいた。

    あれからしばらく続いていたけれど、
    朝の生活リズムが変わったこともあり、最近はまた車通勤に戻ってしまった。

    それでも、歩く時間は持ちたくて、
    朝の身支度を終えると近くの山に散歩に行くようにしている。

    やっぱり歩くとなんとなく気分がいいのだ。

    このくらいシンプルな動機がちょうどいい。

    そういえば以前ご近所さんから、
    朝の挨拶がてら「車はどうしたの?」と聞かれたことがある。

    ちょうど職場に向かって歩こうと、家の近くですれ違ったときのことだった。
    通勤に車を使うのが当たり前になっている土地柄だから、
    「どうして、わざわざ歩くのか?」と不思議に思ったんだろうと思う。

    急に聞かれて、
    「このあと妻が使うんで」とかなんとかそれらしく答えたんだけれど、
    ホントのところは、その日ただなんとなく歩きたかったから。
    ただ、その時は相手が納得するようなそれらしい動機をその場でつくってしまった。

    「ただなんとなくそうしたい」っていうのは、動機としてどこか頼りない印象が僕の中にあったからなのかもしれない。

    コロナ前の出来事である。

    先日、久しぶりに歩いて職場に向かった。

    別のご近所さんから「運動のためか?」と声をかけられたとき、
    「歩くと気分がいいんで」という言葉がとっさに出た。

  • ここから これから③

    朝一番に各部屋のカーテンと窓を開けてまわる。
    そこに停滞していた空気が流れ出す瞬間を肌で感じる。

    風通しがいいっていうのはきもちがいい。

    不安を感じていた3月、4月は、
    からだの中は何かが詰まったように、固まったように、
    重くなったように感じることが多かった。

    からだとこころはつながっている、そんなことを改めて感じていた。

    そんな状態を変えるきっかけになったのは、
    気の置けない知人との会話や身の回りで起こる日々の些細な出来事、
    ゆっくりとからだと向き合うことだった。

    何かがスパッと解決したわけではないけれど、
    みんな色んなことを感じたり、考えたりしていることが分かったし、
    何でもない日常の断片に支えられていることにも気づけたし、

    からだとこころはゆるんで「これもありだな」って思えるようになっていった。

    朝一番の換気のように、
    停滞していた空気が流れ出すように、
    自分の周囲や内側に通り道ができていたんだろうと思う。

    今でも、ふっとゆるんで風通しがよくなる瞬間を大事にしている。

    きっかけはどこにでもあるんだなって感じているし、
    特別なことがなくても、「今日も悪くないね」って思えるくらいが
    今の僕にはありがたい。

  • ここから これから②

    そのとき強烈に感じたことでも、日が経つにつれて、
    頭の中の記憶は否が応でもどんどん薄れていってしまう。

    1週間前の記憶だってもうすでに怪しい。

    あのときどんなことを感じていたんだっけ?

    こんなときだからこそ、そんな生の感触をとっておきたくて、
    最近はこれまで以上に、一日の中で感じたことや思ったこと、
    考えていることなんかを書き残している。

    誰に見せるわけでもないノートは、ときに呟くように、ときに吐き出すように、
    気兼ねすることなく、そのとき発したい言葉で毎日埋められていく。

    後になって読み返してみると、
    書いたこと自体忘れてしまっていることも多いけれど、
    きれいにまとまっていない生の声は、
    確かにその時そう感じた自分を思い出させてくれる。

    ノートの中にその時々の自分を再発見すると共に
    以前よりも色んな自分がいてもいいなと思えるようになってきた。

  • ここから これから①

    香さん
    一週間の投稿ありがとうございます。

    今週は瀧澤が引き継ぎます。
    テーマは引き続き「この時代の暮らし方・私の免疫力アップ法」です。

    よろしくお願いします。

    前回ブログを書いたのは、4月も半ばが過ぎた頃で、

    新型コロナウイルス対策の緊急事態宣言が、
    その対象区域を全国に拡大した直後だった。

    あの頃のブログを読み返すと、
    感染の怖さや先行きの見えない不安の中、
    自分自身のからだやこころと向き合っていたことを思い出す。

    あれから2ヶ月半が過ぎた。

    僕の住んでいる岩手県久慈市はいまだ感染者は出ていないけれど、
    みんな気をつけながら新しい生活様式での日々を送っている。

    僕はというと、当時感じた「誰かに感染させてしまう怖さ」を今も大切にしている。

    ただ、「怖さ」っていうのは表面的なもので、
    その奥にある誰かと共に生きているって感触を
    再確認できたことが僕にとっては重要で、

    誰かが言ったからとか、ガイドラインに書いてあったからとかじゃなく、
    心の底から素直にそう感じた感触を大事にしているということ。

    その感触は自分のやりたいこと、したくないことの足枷にはならず、
    むしろ今感じられる喜びや楽しさに焦点を当ててくれている。

  • ききわける・なっている⑦

    ここ何ヶ月かの間で、「からだ」との付き合い方がまた変わってきている。それは自分ごとだけじゃなくて、周りの人達も含めた生活空間のできごととして感じている。きもちの部分も「からだ」に委ねることで変わることを感じてきた。

    初日に、今の状況下で「僕を取り巻く空気はなんとなく重苦しく感じることがある」と書いたけれど、僕はその重苦しさをどこで感じていたのだろうか。ブログを書きながら、それを肉体で感じていたのか、心で感じていたのか、呼吸で感じていたのか、その全てなのか、考えていた。一つ興味深いのは、時間の流れさえも重いと感じられることだ。

    ひとり、淡々と歩いている時、僕はからだの内側と外の世界のつながりを感じている。それを感じられる窓口は確かにあるようで、そんなときはからだが軽いし、時間の流れも軽く感じられる。歩く以外でも、日常のふとした瞬間にそれはあらわれる。

    今の状況が早く終息しますように、という想いを抱きつつも、今までも「僕を取り巻く空気はなんとなく重苦しく感じることがある」という状況はあったし、多分終息した後も、また違う形でそれはやってくると思う。そんなとき、ちょっとしたことで、少しでもからだやきもちが軽くなるのなら、しかも、気づいたらそうなっていたというぐあいに、「からだ」に委ねることでそうなるのなら、繰り返しの日々の中で僕はその可能性を大切にしていきたい。

    一週間ありがとうございます。

    寺本さん、明日からよろしくお願い致します。

    2020年春季東京操体フォーラムはWeb配信で開催致します

  • やってみる・ききわける⑥

    今、近所の公園や広場はガラガラだ。こんなときは、誰かとのつながりよりも、自分のからだとか、遊び場という空間とつながってみるのもいい。

    誰もいないときを見計らって、子供と一緒に出掛けてみる。草っぱらの斜面をかけたり、濡れて滑りやすくなった苔の生えた置き石を渡ったり、背の低い木の間をくぐったり、木登りしていると、「からだの使い方、動かし方」なんて微塵も考えていない自分がいる。たまに、足の裏から伝わる感触を感じるくらいで、ただ夢中で今を愉しんでいる。

    ひっかかったり、滑ったり、転んだりしている子供を見ていると、環境という空間が「からだの使い方、動かし方」を教えてくれているようにも感じられる。

    「からだ」のデフォルトということをここ何年か考えていた。

    一時は純粋、無垢な存在として、僕らが大切にしている原始感覚を体現しているのは子供だろうと、それを減点せずにどうやって大人まで持っていくか、そんなふうに考えていた時期もあった。その考えだと、子供に回帰することが目標になってしまう。

    けれども、「からだ」には、大人になるにつれて増えていくもの、豊かになっていくものもある。それはなぜなのか、今はまだ言葉にできないけれど、感じられることはある。

    からだの内側と外の世界をつなげる窓口で感じてみると、

    息したり、座ったり、ハイハイしたり、立ったり、歩いたり、何かを感じ、何かを思い、何かを考え、他者や社会とつながることでさえ、目に見えないけれど、常に影響を受けているちょうどいい力によって成り立っているのかもしれず、それを感じることを育んでいけるのが大人になるということで、そんなふうに「からだ」」はできているのかもしれないと思えてくる。

    2020年春季東京操体フォーラムはWeb配信で開催致します

  • やってみる・ききわける⑤

    ここ久慈も桜が咲き出して、朝晩はまだまだ寒いけれど、外に出たくなるような陽気になってきた。

    ひとり、淡々と歩く分には大丈夫だろうと、最近は職場まで歩いている。15分程度の道のりをいろいろ感じながら愉しんでいる。

    昨日も書いたけれど、今までとは違った基本が見えてくるように感じられると、世界の見え方、感じ方が変わってくるのかもしれない。歩いているとそんな気になる。

    「からだ」の内側に意識を向けて歩くことは今までにもあった。そんな時は、自分のからだをどんなふうに使おうか、動かそうか、いろいろと実験している時で、自分が主語のちょっと複雑な世界。それが、最近は一つだけ意識して、あとは「からだ」に委ねる。そうすると、主語は「からだ」に変わって、随分とシンプルに「からだ」の内側と外の世界がつながって感じられる。

    何を、どこに、どんなふうにとばすのか、やってみなければ分からないし、「僕」が意識を飛ばしているようで、じつは「僕」の意識が飛ばされているのかもしれない。

    2020年春季東京操体フォーラムはWeb配信で開催致します