カテゴリー: 瀧澤 一寛(たきさわ かずひろ)

  • 私のズッコケ操体クロニクル~その3~

    鍼灸接骨院では、退職する一年半ほど前から、副院長職を務めることになった。経験が浅いにもかかわらず、よく使って頂いたと思う。

    その分業務も増え、時期によっては家に帰らず、院に泊まることもあった。単に要領が悪かっただけなのかもしれない。

    それもあって、次の就職先は、家から歩いて五分のところにある訪問マッサージの会社に決めた。土日が休みで、仕事はほぼ定時にあがることができた。

    これが、後に操体を勉強するには都合がよかったのである。

    就職して半年が過ぎた頃、鍼灸の本を買いに神保町に向かった。

    どの本を買ったらいいのかピンとこず、何軒か梯子した後、最後に寄った本屋でふと手にしたのは三浦先生の著書「快からのメッセージ 哲学する操体」だった。

    「操体か、操体法ってあったよな……」と読み始めたら、なんだかよく分からないがすごい、という感じでヒビいてきた。

    気づくとその本を持ってレジに向かっていた。

    何日かかけて読み終わると、実際に操体法を受けてみたくなった。当時は横浜に住んでおり、近くで受けられるところはないか、とネットで検索してみた。二件ヒットした。

    一件は近くで出張専門でやっていらっしゃる方のサイト、もう一件は藤沢で治療院を構えていらっしゃる方のサイトだった。

    惹かれるものがあってしばらく迷っていたけれど、はじめにヒビいてきた感触に従って三浦先生のところに決めた。

     

     

  • 私のズッコケ操体クロニクル~その2~

    学校を卒業した後は、都内の鍼灸接骨院に就職した。

    卒業するまでは、リラクゼーション系のマッサージ店でバイトをしていたのだけれど、柔道整復師の資格を持っていた同級生に誘われたのだ。

    グループ内で新設院ができるから、オープニングスタッフとして働かないか、ということだった。

    先が決まっていなかっただけに、この時はありがたかった。

    この鍼灸接骨院には四年ほど勤めたけれど、三年が経とうとする頃、「操体法」もやっているという柔整師が入ってきた。

    「操体法? あのとき見たヤツだ」、と記憶が蘇る。

    そのスタッフの治療を横目で見ていると、両膝を立てさせて、膝の裏を診ている。どうやら圧痛があるらしい。

    足首の所に体重をかけるように手を置き、足首を反らせるように指示して、少ししてから一気に力を抜かせる。

    多分、足関節の背屈の操法をやっていたんだと思う。

    「膝の裏の痛みはどうですか?」、「今は痛くないですね」、というやりとりをしていたので、

    「このあとどうするんだろう?」と思っていると、そこから先は特に説明もなくマッサージをし始めた。

    そのスタッフは割と初めに、それをしてからマッサージをすることが多かった。

    これで効果が上がっていれば、「どうやるの?」と聞いたかもしれないけれど、正直そんなふうには見えなかった。

    あまり魅力的には思えずに、この時もそれっきりになってしまった。

  • 私のズッコケ操体クロニクル~その1~

    香さん
    一週間の投稿ありがとうございました。

    今日から、瀧澤一寛のズッコケ操体クロニクルです。
    よろしくお願い致します。

    鍼灸マッサージの国家試験を終えて、「ほっ」と一息ついた頃。

    学校側が用意してくれたのは、外部講師を招いての特別授業だった。

    出欠は任意だったけれど、同級生に誘われて参加した一日目に、「操体法」との出会いが待っていた。

    講師を務めてくださった先生は「操体法をしてから鍼をすると、効果が長持ちする」、確かこんなことをおっしゃっていたような記憶がある。

    目の前で見せてくださったデモンストレーション(腹臥位での下肢の腋窩挙上など)は「楽な方に動かす」とってもクラシックな操体法だった。

    左右差があったモデルの動きが、操法後は左右均等になった。

    それを目の当たりにして、「動きでバランスがとれるのはおもしろいな」と興味が湧いたりしたけれど、

    その日の帰り道に、「でも、あれってすぐに元に戻るよね」といった同級生の一言に、

    「やっぱりそんなものなのかな」とそれっきりになってしまった。

  • 般若身経を解説~有難くお借りして~

    「『般若身経』は身体運動の法則に基づいたからだの使い方、動かし方をまとめたもの」として教わり、学んできましたが、その底はまだまだ見えません。

    操体そのものにも治療医学の側面、未病(予防)医学の側面があるように、「般若身経」にもいろいろな側面があり、

    日常動作の改善など、実用的に用いるのも良いと思いますし、「般若身経」を入り口に改めて自身のからだと向き合うきっかけにしても良いと思います。

    「般若身経」をどのように生かすかは、向き合うひとり一人に委ねられているような気もします。

    僕が今感じていることは、「般若身経」はこの身を通して感覚できる操体の世界観そのものなんじゃないか、ということです。

    そのように感じるのは、僕のからだに対するイメージが変わってきたということもありますけど、「般若身経」そのものが変わってきているということでもあります。

    初めに、橋本先生が「般若身経」という言葉を用いられ、「生き方の自然法則」と「身体運動の法則-その基本運動」として紹介されました。

    そこから、「般若身経」は「身体運動の法則に基づいたからだの使い方、動かし方をまとめたもの」になり、僕らが現在学んでいる「般若身経」は、直弟子の三浦先生によって、さらに進化してきたものです。

    その継承のプロセスが「般若身経」に宿り、感覚を通して操体の世界観を垣間見せてくれるのかもしれません。

    「般若身経」は橋本先生、三浦先生、ひいては「からだ」から有難くお借りしているものである、と思っています。

    一週間ありがとうございます。

    明日からは寺本さんに「般若身経」を解説して頂きます。

    よろしくお願い致します。

  • 般若身経を解説~想念の変化~

    実用的な面から「般若身経」をみれば、安定した動作を獲得できる、ケガをしにくくなるなど、動(身体運動)の営みとしてのメリットがあります。

    ただ、そのような実用的なメリットだけではなく、学習していくうちに想(精神活動)の営みにも変化が見られるようになりました。

    筋トレやストレッチが大好きだった頃、僕はからだに対して、自分の意識下にあってコントロールできる存在というイメージを抱いており、まさか感謝の対象になるなんて思ってもいませんでした。

    それが「般若身経」を通して、必要以上の負荷をかけずに動作できること、からだの動きを理屈ではなく感覚で身につけていくこと、からだとともに一つ一つの動きを表現できることを教わるうちに、

    今まで自分が抱いていたからだのイメージは、からだのほんの一部であり、構造も機能も、そして動きも、僕の意識できる範囲を超えてからだは存在しており、むしろ、有難くからだを使わせて頂いているというきもちが湧いてくるようになりました。

    それは形式的な感謝ではなく、感覚を伴った実感としての感謝です。

    息(呼吸)、食(飲食)、動(身体運動)、想(精神活動)の四つの営みと「環境」を加えた五つは同時相関相補性といって、すべて関連しあっているとされていますけど、

    動(身体運動)と想(精神活動)のつながりは「般若身経」によって、確かに感じられます(もちろん全部の営みはつながっています)。

  • 般若身経を解説~作法と癖~

    「般若身経」を学習する際は型や作法として身につけていきます。

    そのような学習を通して感じたことは、今まで随分と偏ったからだの使い方をしてきたんだなということ。

    それは、作法のおかげで、今まで気づかなかった癖に気づけるようになってくるということでもありあす。

    昨日書いたように、「般若身経」を教わるまでは、僕にとっての前屈動作は準備体操やストレッチとしての前屈動作でした。それは、日常生活においても変わらず、ももの裏が突っ張っていようが、腰に違和感を覚えていようが、膝の裏筋を伸ばしてからだを前に倒していました。

    たとえ違和感があっても、子供の頃から繰り返し行ってきたそのやり方だけが僕にとっての前屈動作だったのです。

    それは、「前屈はこういうもの」という思い込みによる動きの癖でもありました。

    しかし、作法を通して、膝をゆるめながら行う前屈動作に出会えたことは、それまでの動きの癖から解放されたと同時に、新たなからだとの出会いでもありました。

    「般若身経」は実用的な面からいえば、動作の際の負担を減らして、無理なくからだを使えるようにするツールと捉えることもできますけど、自身のからだに対する理解を深める入り口にもなるようです。

  • 般若身経を解説~知らないという衝撃~

    「般若身経」は「からだの使い方、動かし方」のテキストのようなものでもあります。

    人間には基本的な八つの動き(後述の六つの動き以外は、牽引と圧迫という動き)があるということ、

    そのうち自力でできる動きは前屈、後屈、左右側屈、左右捻転の六つの動きだということも「般若身経」を通して教わりましたし、

    普段自分が何気なくやっている動きと法則に従った動きではこんなにも違うのかということも「般若身経」を通して体感してきました。

    特に衝撃を受けたのは前屈動作で、僕の知っていた前屈動作は準備体操なんかでよくやる膝の裏筋を伸ばして行うもの。しかし、般若身経の中で行われる前屈動作は、前屈するに従い膝の裏筋がゆるんでくるというもの。

    なぜ、衝撃を受けたかというと、そのやりやすさを実感したと共に、「前屈は膝の裏筋を伸ばして行うもの」という先入観が頭の中にこびりついていて、膝をゆるめて行うという発想が全くなかったからです。

    言い換えれば、「準備体操としての体の動かし方」は知っていても、「法則に基づいたからだの使い方、動かし方」は知らなかったということ。

    けれども、「知らない」ということを知ることができたお陰で、「からだの使い方、動かし方」は目的によって変わるのだということに気づくことができました。

    「般若身経」を通して身につけられる「からだの使い方、動かし方」は、からだにかかる負担を減らし、無理なく動作を行える「からだの使い方、動かし方」でもあるのです。

  • 般若身経を解説~般若身経のベース~

    橋本先生の著書「生体の歪みを正す」の中に「般若身経」についての記載があります。

    橋本先生は「般若身経(その2) 生き方の自然法則」という項の中で、息(呼吸)、食(飲食)、動(身体運動)、想(精神活動)という四つの営みとその営み方をそれぞれ紹介されています。

    そして、動(身体運動)の営みに関しては「般若身経(その1) 身体運動の法則-その基本運動」という項で、具体的なやり方まで紹介されています。

    「般若身経」を「生き方の自然法則」と「身体運動の法則-その基本運動」に分けて紹介しているあたりはとても興味深いのですが、

    「般若身経(その1)」に記載されていた、前屈、後屈、左右側屈、左右捻転の六つの各動作が現在の「般若身経」のベースになっています。

    今は、六つの動作について、「身体運動の法則に基づいたからだの使い方、動かし方としてまとめたもの」を「般若身経」としています。

    初めて「般若身経」という名称を耳にしたとき、「なんだか宗教っぽいな」と感じましたけど、橋本先生は仏教の一番短い経典「般若心経」になぞらえて、身体のことを要約したものだから「心」ではなく「身」の字を当てて、ユーモアで名づけられたそうです。

    僕たち操者は人に指導する前に、まず、自分たちが「身体運動の法則に基づいたからだの使い方、動かし方」を学習し、身につけていきます。

     

     

     

  • 般若身経を解説~操体的自己責任~

    未病(予防)医学としての側面も持つ操体には、ベースとなる考え方があります。

    それは、健康は第三者(医療機関)に委ねるのではなく、自身のからだに対する向き合い方に委ねられているというものです。

    そこには自身のからだに対する自己責任という捉え方があるということ。

    自己責任というと、昨今の世間一般では、「自分のせいでそうなったんだろ」とか、「自分のやりたいようにやる」とか、なんだか人を突き放すような言葉として受け取られがちですけど、

    操体における「自己責任」は、冷たく突き放すような言葉ではなく、ひとり一人に健康維持の可能性を託す言葉と捉えていいかもしれません。

    そして、そのからだに対する自己責任において日々営まれているのが、息(呼吸)、食(飲食)、動(身体運動)、想(精神活動)という人に替わってもらうことのできない四つの営みです。

    ここに「般若身経」は位置します。

  • 般若身経を解説~操体の二つの側面~

    香さん、一週間の投稿ありがとうございました。

    今週は瀧澤が引き継ぎます。
    テーマは引き続き「般若身経を解説」です。
    よろしくお願い致します。

    ひとり一人の健康度合いによって、操体での関わり方には大きく二つの側面があります。

    一つは治療医学としての側面、もう一つは未病(予防)医学としての側面です。

    症状を抱え、自分一人では対処しきれなくなった方(患者)に対しては、ある程度回復した状態になるまで操者が臨床を行う。これは治療医学としての側面です。

    ※「操者」とは、操体の世界で使われている言葉で、「治療者」の立場に当たる人。ただし、操者は症状の治療を行うのではなく、からだ自らの力によって癒えるようにはたらきかける

    一方で、臨床によって健康状態が回復してきた方、ある程度健康を維持されている方に対して、実生活の中で病を未然に防ぎ、健康に暮らせるように指導する。これは未病(予防)医学としての側面です。

    僕は初め、操体(法)は臨床家が患者の症状や体のバランスを改善させる「手技療法」の一種だと思っていました。

    しかし、未病(予防)医学としての側面を知ることで、むしろその根底にある操体の世界観に惹かれていきました。