カテゴリー: 瀧澤 一寛(たきさわ かずひろ)

  • ひだりで次第に光りだす②

    操体の学問の中で「ひだり」というものを感覚していると、次第に「からだ」というものの範囲はどこからどこまでをいうのだろうかと考えずにはいられません。

    あえてひらがなで「からだ」と表記する意味、あえて「ひだり」とひらがなで表記する意味がここにあるのではないかと思われて仕方が無いのです。

    足を踏み出すという行為も、利き手、利き足ということでなしに、どちらの足から踏み出すのか。

     自身のからだをとおして、また、臨床後のクライアントの歩き方、靴の履き方をとおして、ああ、確かに変化しているなと納得できるのは、からだに共通した感覚であるが故です。

    今この瞬間も感じられる「からだ」や「ひだり」は今までもずっと存在していたにもかかわらず、わたくしが認識できていなかっただけのことではないか。

    それを具体的な「うごき」の中で感じられることは、認識(大脳皮質による理解)の前に、言葉になる前のフィーリングを「からだ」から受け取っているということでもあります。

    それに気づくまでには、その感じられたことをどのように表現するかには個人差はありましょうが、自身が認識する前に「からだ」がそのように変化しているという点においては本人が気づくよりも速く「からだ」に現れる。

    「からだ」が先行してわたくしに感覚をききわけさせてくれていると感じられると、「からだ」はボディ(体)という存在を越えて、関係性の中で主語が変わっていく。

     日々「からだ」と謙虚に向かい合っていると、この「からだ」の(反応する)時間と本人の(気づく)時間の差がどんどん埋まってくる。

    それは取り決めを設けなくともからだの要求とわたくしの要求が一致してくるということでもあります。

    そのとき「ひだり」にひかりが満ちているように感じられるのです。

  • ひだりで次第に光りだす①

    香さん
    一週間ありがとうございます。

    今日から担当の瀧澤です。
    一週間よろしくお願いします。

    テーマは引き続き「ひだり」です。

    操体という学問をとおして頂いている「ひだり」とは感覚そのものです。

    それはからだがききわけさせてくれる感覚そのものです。

    繊細なものを繊細なままに、繊細なことを繊細なままに教えてくれます。

    ここだと感じられる「ひだり」は既存の「左右」から解き放たれて、ただそこが「ひだり」という感覚を与えてくれます。

    そのようなことを感じられる瞬間にわたくしは感謝せずにはいられません。

    それは、自分の意思を遙かに超えたからだという存在の認識を更新していく作業でもあります。

    常に新鮮に感じられることにより、もともとただ感じられなかった存在が目には見えなくともそこに存在していると感じられることにより、息、食、動、想はより鮮明に味わい深いものへと移行していく。

    そのときわたくしが接している環境はそれまでの環境と同一のものであるかどうか、頂ける感覚が変われば世界も変わっていくということも「ひだり」は教えてくれるのです。

  • あなたにとってもからだにとっても⑦

    からだが悦ぶということはどういうことだろうか。

    からだが悦ぶ感覚というのはどういう感覚なのだろうか。

    先日臨床中に相手のからだに対して一切アプローチをしていない時間がありました。時間すらも止まっているような感覚でした。

    ただただ呼吸をとおしていると途中からからだに対して働きかけようという意思がまったくなくなり、臨床中なんだから何かしなければという義務感もなくなり、相手のからだに触れることもはばかられ、そのまましばらくからだがききわけさせてくれる感覚を静かに味わっていました。

    からだの邪魔をしてはいけない感じだったというニュアンスに近いでしょうか。

    この感覚は毎朝起きたら行っている呼吸の作法中に感じていることでもあります。

    からだをとおして呼吸させてくれているもの、ことをからだがききわけさせてくれている感覚。

    臨床中にもこういうことが起こるんだなととても新鮮に感じつつ、わたしも相手もからだをとおしてその変化を実感していました。

    そうじてからだもこころも軽い。

    見かけ上は何もしていないようでもからだは悦び、からだが悦ぶ感覚も味わえる。

    とる、とらないはあるにしても、わたしに合う、合わないの前にからだが悦ぶ感覚がある。

    ほんとうにそう感じているからお薦めする理由になるのです。

    一週間ありがとうございました。

    明日からは寺本さんです。

    よろしくお願い致します。

  • あなたにとってもからだにとっても⑥

    したほうがいいこと。

    しないほうがいいこと。

    してもいいし、しなくてもいいこと。

    健康維持に対して、きっと人それぞれ答えは違ってくる。

    そう思うと、そんなに健康に気を遣っていなくても元気に過ごしている人もいるし、健康に気を遣っているのに体調を崩しやすい人もいるというのも納得できる。

    そういう観点から息(呼吸)、食(飲食)、動(身体運動)、想(精神活動)、環(環境との関わり)を改めてみてみると意識と無意識のバランス、わたしとからだのバランス、生きることと生かされていることのバランスなど、いろいろみえてきておもしろいです。

    息、食、動、想、環の何かしらを身に付ける学習のプロセスでこういう状態を目指そうと思って営むこともありましたが、段々としてもいいし、しなくてもいいという範囲が広がってきているのかなと感じることが多くなってきました。

    からだにとってほんとうに必要なことを感じられるなら、したほうがいいことも、しないほうがいいこともわたしとからだで語り合うことができる。してもいいし、しなくてもいいことの折り合いをつけることもできる。

    それがいつもできているかと言われれば、そうとも言えませんが、少なくともからだが悦んでいると感覚する瞬間はあります。

    からだがそのように感覚させてくれるのです。

  • あなたにとってもからだにとっても⑤

    日々の生活の中で実践できるということは、それを実践したときにどう感じられるかということだと思います。

    毎朝起きたら立位の作法を行います。

    その日のからだをとおして、からだを立たせてくれているもの、ことを感覚としてからだがききわけさせてくれるからです。

    毎朝起きたら呼吸の作法を行います。

    その日のからだをとおして、呼吸させてくれているもの、ことを感覚としてからだがききわけさせてくれるからです。

    誰かにやらされているわけでもないし、これをやらなければ健康を維持できないというわけでもありません。

    何かのためにやるだったら続かないかもしれませんし、やめたくなるかもしれません。

    でも、そうならないのはからだとわたしはノンバーバルで語り合っている、感覚をとおして悦び合っているからです。

    もともと操体には自力自療という捉え方があります。

    本人にしか分からない感覚(快適感覚)をからだにききわけ、味わい、治癒力を高める。

    操者がいてもいなくてもそれは可能です。

    それを可能にするもの、ことを伝えていくのが操者の役目でもあるのですが、最近は操体法と操体法以外の操体の実践の垣根がどんどん薄れてきているように感じるのです。

  • あなたにとってもからだにとっても④

    操体は橋本先生の哲学で操体法は実際に臨床の場で行われていること。

    臨床の場で操体法をより効果のあるものにするためには、テクニックとしての操体法ではなく、どのようにからだと向き合うかということも含め、橋本先生の生命観や人間観、健康観の理解が不可欠。

    操体があるから操体法の真価が発揮される。

    初めはこんなふうに思っていました。

    最近はちょっと捉え方が変わってきまして、操体という世界観を理解するためには操体法が不可欠というようなあべこべな捉え方もありだなと思うようになってきました。

    というのも、操体法を実際に体験する場があって、そこでからだをとおして感覚するからそのバックボーンにある操体という哲学に触れることができるからです。

    からだをとおした感覚が操体と操体法をつなげてくれる。

    そんなふうに感じるのは、最近の操体法はからだという現象をとおしてもっとその奥というか広がりというか、そういったことを感じさせてくれているからだと思います。

    臨床の場で行われる操体法以外にも操体には普段の生活の中で実践できることもたくさんあります。

    息(呼吸)、食(飲食)、動(身体運動)、想(精神活動)、環(環境との関わり)も実際に体感してみてどうなのかとフィードバックできるからいつまでも飽きないし、新鮮なわたしでいられるのです。

  • あなたにとってもからだにとっても③

    操体と操体法。

    バックボーンにある橋本先生の哲学と臨床の場で行われていること。

    初めて操体法を知ったとき、手技療法の一つだと思いました。楽な方向、動かしやすい方向にからだを動かすとバランスがととのうちょっと変わった手技療法。

    この頃の操体法を実際に体験したことも臨床の場で使ったこともなかった僕には、その効果を生で体感することはありませんでした。

    それから飛んで5年後、三浦先生の臨床で再び出会った操体法にわたしは飛ばされる。

    このとき体験した操体法は楽な方向に、動かしやすい方向にからだを動かすものではなかったということです。

    わたしは飛ばされましたが、皮膚を伝って、からだの中を伝って、情動を越えて、感覚に出会い、からだが悦んでいるという直感は確かにからだの記憶として残っています。

    このとき感覚をとおしてわたしはからだと再開し、その後のレッスンでからだとわたしの関係は再構築されていきます。

    操体法もそのバックボーンにある操体に支えられているということもからだをとおして納得していく。

    操体と操体法。

    バックボーンにある橋本先生の哲学と臨床の場で行われていること。

    それをつないでくれているのが感覚なのです。

  • あなたにとってもからだにとっても②

    ほんとうに必要なものはどれだけあるのでしょうか。

    ミニマリストという言葉を聞いて久しいですが、ミニマルに絞っていくとからだにいきつくのではないかと思います。

    そのからだも絞っていくと感覚にいきつき、その感覚も絞っていくと内部感覚にいきつき、その内部感覚も絞っていくとからだが悦ぶ感覚にいきつく。そんなふうに思います。

    その日にからだから届いてくるメッセージを受け取ったとき、忘れないように書き残して寝かせておいたり、誰かに話して共有したくなったり、明日はまたどんなメッセージとして届いてくるんだろうと思ってみると嬉しくなります。

    このからだの中にどれだけ知らない世界が広がっているのだろうと感じられたり、知らないのはわたしが忘れていただけで、感覚をとおしてからだと再会しているのかもしれないと感じられたり、からだが悦ぶ感覚の上に悦んでいるわたしがいると感じられたりすると、どうしたってわたしの生活からからだを切り離せなくなる。

    ほんとうに必要なものはもういただいているという実感をいただいている。

    そのようなからだとわたしの関係もあるのです。

  • あなたにとってもからだにとっても①

    香さん
    一週間ありがとうございます。

    今日から担当の瀧澤です。
    一週間よろしくお願いします。

    テーマは引き続き「あなたに操体・操体法をお薦めする理由」です。

    初めに申しますと、からだが悦ぶからです。

    ただほんとうにそう感じていることがお薦めする理由になります。

    それは、先日開催されました2021年春季東京操体フォーラムでも感じたことであります。

    お時間を割いてご参加くださった皆様本当にありがとうございました。

    フォーラムの中で皆様が語ってくださったこと、知識として耳にしたことはあっても届くのは頭ではなくからだへの直当たりでした。

    その言葉に語り手の感覚がのることで、同じ言葉でも受け取る側の受信モードが一変してしまう。

    またその反対に、こちらの受信モードが感覚優位になっていると、語り手の言葉の奥にある感覚が届いてくる。

    愉しいとか、おもしろいとか、興味が湧くとか、首突っ込んでみたいとか、深掘りしたいとか、頭で考える前にからだにスイッチが入っていることにわたしは後から気づく。

    これはフォーラムそのものの熱量もさることながら、操体の根本にからだがききわけている感覚があるからでしょう。

    感覚の学問であれば、とる、とらないはあるにしてもからだを介して共有できる感覚の世界がそこには広がっている。

    ほんとうにそう感じているからお薦めする理由になるのです。

  • セルフケアだけど7

    セルフケアとか、意識的にからだを使うとか、
    鍛錬的なことも含め、割と好きでやっていました。

     

    それこそ、操体と出会う前から。

     

    ただ、「からだ」を主体にするという考え方を実感するように
    なったのは、操体に出会ってからです。

     

    「からだにききわける」とか、「からだを主語にする」と言います。

     

    「自分が主語」の世界と「からだを主語にする」世界の違いは、
    別次元と言っても言い過ぎではない、と思うのです。

     

     

     

    夜は布団に入って、暖かさに包まれるのを感じます。

     からだに委ね、いつの間にか眠りに入り、また朝を迎える。 

     

     

     

    からだをケアしているようでいて、からだにケアしてもらっている。

    「からだ」という現象をとおして、毎日更新されていく「感覚」を
    味わいながら、ふとしたときに頂ける「生かされている」実感。

    「元気」とは、からだの奥から湧き上がる感覚そのものなのかもしれませんね。

    一週間ありがとうございました。
     

    香さんから受け取ったバトンを寺本さんに渡します。

    明日からよろしくお願い致します。

     

    2021年春季東京操体フォーラム開催
    2021年4月29日(木)昭和の日にオンライン・会場で開催致します。
    テーマ「操体法クロニクルズ2~呼吸とセルフケア特選~(仮)」

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