カテゴリー: 瀧澤 一寛(たきさわ かずひろ)

  • 「からだ」が主語になるように①

    岡村実行委員
    一週間のブログ投稿ありがとうございました。

    今日から担当の瀧澤です。

    引き続きテーマは「修業」でつないでまいります。
    よろしくお願い致します。

    「一生修業なんですね」

    何年か前に、ご自身でも色々と勉強されている方から言われたことがあります。

    今でも月に一回は操体の勉強をしに上京している、という話題になった時でした。

    そのときはお互いに「勉強って終わりはないですよね」、と納得して話は終ったように思います。

    「修業」というテーマと向き合っていたら、そんなことを思い出しました。

     

    操体とのご縁をいただいてからそろそろ11年。

    「勉強には終わりはない」という想いは今も持ち続けていますが、変わってきたこともあります。

    以前は、「好きなことを勉強できている」という実感が操体の勉強を続ける理由でした。

    今でも好きなことに変わりはありませんが、もっと違う理由があることに気がつきました。

    それは、「からだ」が必要としているから、という理由です。

    「好きだから」という理由はアウトプットのように感じられる。

    「からだが必要としているから」という理由はインプットのように感じられる。

    操体と向き合う姿勢と、「からだ」と向き合う姿勢はつながっている。

    そのようなことを「からだ」からいただいています。

    (つづく)

    2022年春季東京操体フォーラム
    2022年4月29日(金)祝日 開催予定です
    詳細は追ってお知らせ致します

  • 「からだ」で植物を感じること⑦

    その日の空を見上げること。

     

    空気を介して、皮膚で感じられる変化を味わうこと。

     

    太陽の光や雲、風や水、ときには虹など、とても惹かれる自然現象との出会いがある。

     

    なぜそのような現象が起こるのだろうかという理由は、「からだ」の植物的感覚をとおして触れられる「からだ」の記憶へとつながってくる。

     

    そんなときは、ほんとうに「植物」になっているかのような感覚を味わえるとき。

     

    些細な変化に悦びを感じられることは、好きだからという理由よりも、もっと深いところでつながっている感覚なのだという気がしています。

     

     

    宇宙にある地球という大循環そのものの中で、他の生物と共に、人間が大地環境の場に生かされているということ。

     

    自らの意思で動く前に、その環境には何があって、その環境から何をいただいているのか、を感じ取れる「からだの表現」がある。

     

    「息」をいただき、「からだ」によって表現される「からだのうごき」があり、継続的な「からだの学習」をとおして感覚を共有していける。

     

    「からだ」がききわけてくれている感覚には根っこでつながっている感覚の素がある。

     

    植物の在り方と「からだ」の中の「植物」は共鳴しながら、そのようなことも伝えてくれるのです。

     

     

    「植物」というテーマをとおして、操体を語ることは真理を語ることだと、「からだ」は語りかけてくれます。

     

    継続進化中の操体において、点と点が線になって貫通したとき、真理が真理の力で立っている、と感じられるように学んでいきたい。

     

    新鮮な感覚を「からだ」で共有することは、共に生きることにつながっているのだ、と「今の自分」は想うのです。

     

     

    一週間お付き合いいただきまして、ありがとうございました。

     

    岡村実行委員からのバトン(とタスキ)を寺本実行委員に委ねます。

     

    よろしくお願い致します。

     

    明日からも、どうぞお愉しみに!

  • 「からだ」で植物を感じること⑥

    人間として思考し、判断していくこともできる。

     

    動物のように、好ましいものに近づいて嫌なものから逃げることもできる。

     

    植物のように、動けなくても変化をありのままに受け入れることもできる。

     

    「からだ」の中にあるものは、それぞれに機能していてどれも大切。

     

    もっと大切なことは、変化に適応しながらそれらが最適なバランスになっていること。

     

    そのバランスをどのようにとるか、ということを操体をとおして学んでいる最中です。

     

     

    学問として進化し続けている操体は今、植物的な在り方を学習させてくれています。

     

    それまで常識だったことが覆るということは、操体も例外ではありません。

     

    継続した「からだの学習」の中で、変化に対応し続けるということ自体がすでに植物的なのです。

     

    呼吸もうごきも意識も感覚も、「からだ」に委ねて植物的に表現されてきたとき、まったく新しいありのままの「今の自分」を感じられるようになる。

     

    「あゝ何もかもみんな透明だ

    雲が風と水と虚空と光と核の塵とでなりたつときに

    風も水も地殻もまたわたくしもそれとひとしく組成され

    じつにわたくしは水や風やそれらの核の一部分で

    それをわたくしが感ずることは

    水や光や風ぜんたいがわたくしなのだ」

    (宮澤賢治)

     

     

    植物的な「からだの学習」は、今まで感じられなかったことが感じられるようになってくる、今まで意識できなかったことが意識できるようになってくる、という変化もギブしてくれる。

     

    原始感覚でギブをいただくと、真理があるところに「今の自分」は存在しているんだ、もう存在していたんだ、ということも「からだ」は気づかせてくれるのです。

     

  • 「からだ」で植物を感じること⑤

    頭で理解したり、きもちで共感したりすることもできる。

     

    その前に、「からだ」で共振、共鳴することもできる。

     

    思考や感性でキャッチする前に、原始感覚で振動をキャッチすること。

     

    先日の岡村実行委員のブログの中で紹介されていた、「なぜ植物は緑色をしているのか」という真実。

     

     

    blog.tokyo-sotai.com

     

     

    blog.tokyo-sotai.com

     

    このことを初めて耳にしたとき、猛烈に感動しました。

     

    折しも植物的な「食」を営んでいた時期です。

     

    継続的な「からだの学習」の中でひびきあうことはあります。

     

     

    人間も生命体である以上、代謝活動は必須です。

     

    むしろ、代謝活動をしているということが生命体の一条件、と捉えることも出来ます。

     

    「生きている」ということは、繋がりの中でエネルギーや物質をいただいて、それを熱エネルギーとして宇宙に放出し続けること。

     

    息、食、動、想は自らの意思で営むことができるけれど、まず環境から有難くありのままをいただいて、無駄に摩擦を生じさせない生き方も可能だよ、ということも「からだ」の中の「植物」は感じさせてくれるのです。

     

    欲で反応すればギブして終わりということも、感謝しながら、いただく、委ねるという姿勢であれば、人間もギブアンドギブでつなげていける。

     

    「ウソかホントかやってみて この味をつかんだら教える責任がある筈」

     

    「からだ」に満ちる「愛」を伝え、共に生きることは植物的である、ということも感じ取れてくるのです。

  • 「からだ」で植物を感じること④

    植物の生命力には、見た目の美しさとは裏腹に、ときにゾッとするものを感じることがあります。

     

    そんなときは、人間のスケールを超えたものに触れている、と感じている瞬間。

     

     

    住んでいる処の勝手口の裏に、ずっと植わっていた蕗(ふき)がありました。

     

    管理人さんらしき人が、年一回ぐらい茎の根本を刈ってくれるのですが、あっという間にドアを塞ぐように伸びてきます。

     

    この間、根っこの方はどうなっているのだろうか、と手入れをしたら、その根っこの張り方と強靱さに舌を巻きました。

     

    しかも、その根っこだと思っていたものは、地中で横に伸びる地下茎だったのです。

     

    蕗は、その地下茎から芽が出るそうですが、芽が縦に伸びていく前に、目に見えない地中で横に伸びていた茎があるということ。

     

    目に見えないところで横に伸びる地下茎が、蕗そのものの生命力のようにも感じられました。

     

     

    「からだ」には、「からだ」を操る動物的な筋骨格系横紋筋系の動きもあれば、「からだ」に委ねる植物的な皮膚体壁内臓系のようなうごきもある。

     

    原始感覚をとおして「からだの表現」に触れていくと、筋肉以外のところが「うごき」の動機になっている、と感じられるようになってくる。

     

    動物的には動かないところにこそ、植物的な生命力が貫通している、なんてことも素直にいただけるようになってくるのです。

     

    目に見えない「からだのうごき」も含めて、「からだの表現」によって現れてくる「からだ」のつくり。

     

    たとえ、それが奇異なつくりに見えたとしても、内臓感覚や皮膚感覚で植物と共振、共鳴している自然なつくりなのだと、「からだのうごき」は教えてくれるのです。

  • 「からだ」で植物を感じること③

    散歩の度に目にしていたスギナの水滴のつき方は日毎に変化していました。

     

    通常水気孔から水蒸気として排出される水分は、大気の温度や湿度の変化に対応して、気体から液体へと状態を変え、その大きさやつき方もその時々で様変わりする。

     

    朝を迎えたときに見せてくれる生命現象の輝きは、大気という環境の変化に対応している輝きでもあったのです。

     

    「その場から動いているから動いている」のではなく、たとえ、その場から動いていなくても、「環境の変化に適応し続けているからうごいている」、と素直に感じられる。

     

    環境と共に表現されていることには理由がある。

     

     

    変わり続ける生命にとっての再現性とはなんだろう。

     

    「からだの学習」をとおして、足下の生命に目をやりながら考えていたこと。

     

    変わり続ける中で、変わらないこと。

     

    継続した「からだの学習」で原始感覚をとおすなら、今感じられることはあります。

     

    生命のベクトルから見れば、環境との関わりに終わりはないし、共生の中で個を維持しながら種を維持することはこれからも連鎖していく。

     

    地に根を張り、天に枝を伸ばし、日光を受けて、大気の変化に対応しているスギナの生命活動からも、目に見えることの背後で再現されていることは感じられるのです。

     

     

    どのような環境に生かされているのか、誰の視点でどこにピントを合わせるかで、目に見えることも、感じられることも変わってくる。

     

    個人の選択を越えて、生命として有難くいただいていること。

     

    「からだ」はそのようなことをいただいているから、それが現れるつくりが表現されてくる。

     

    操体においても、「こう操らなければいけない」という縛りから解放された自由な「うごき」によって「つくり」が表現されてくる。

     

    それは決して自分勝手な「我」の「うごき」ではないのです。

  • 「からだ」で植物を感じること②

    つい先日、久慈でも雪が降りました。

     

    散歩道の小脇も、朝には霜が降りて白くなりだしています。

     

    季節の移ろいを感じながら、春頃のことを思い出します。

     

    朝の日光を浴びてキラキラ光る足下のスギナに、よく目がいっていたこと。

     

    キラキラ光っていたのは、スギナの枝についている水滴でした。

     

    スギナの枝についている水滴は、水分調節のためにスギナ自身が水気孔から排出したもの。

     

    朝露かと思っていたものは、もともとスギナ自身が体内に取り入れていた水分だったのです。

     

    日光に反射して輝いていたのは、それまで体内にあって目に見えなかった水分が、目に見える形になって現れた生命現象の循環そのものの輝き。

     

    スギナを見て、そんなふうに感じられるのは、「からだ」に原始感覚が与えられているから。

     

    外と内がつながっているのは「からだ」も同じだと、「からだ」が原始感覚をとおして教えてくれる。

     

    「からだ」の呼吸と真摯に向き合えば、「息」という営みをとおして、「からだ」の外と内のつながりを感じさせてもくれるのです。

     

    目に見える生命現象と目に見えない生命現象はつながっている。

     

    そんなことを感じられるようになってくると、「からだ」自身の輝きは一層増してくるように思うのです。

     

    目には見えないけれど、調和を感じられたとき、美しいと思えることがある。

     

    目には見えないものにも光は訪れる、ということも植物をとおして「からだ」で納得できるのです。

     

    (つづく)

  • 「からだ」で植物を感じること①

    岡村実行委員、一週間のブログ投稿ありがとうございました。

     

    今週担当のMr.植物こと瀧澤です。テーマは引き続き「植物」で想いを繋いでまいります。

     

    一週間よろしくお願い致します。

     

     

    「からだ」が「からだの学習」をしてくれている。

     

    そんな現在進行形の操体の学び。

     

    どんなテーマであっても、「からだ」で感じたことが「ことば」になって現れてくる。

     

    文字にすれば目に見える状態になるけれど、目に見えないことも感じて学んでいけるから、自ずと感謝できることがあります。

     

    「植物」にしても、対象としての「植物」と向き合うだけでなく、「からだ」からいただく感覚の中で、はじめから「からだ」に備わっていた「植物」も現れてくる。

     

    「からだ」が「植物」を感じさせてくれるのです。

     

    地球上で共に生きている生命体は、「からだ」の中でも共に生きている。

     

    「からだ」」で共生していることを感じられると、感動と共に、つながりの中で生かされている「今の自分」が現れてくる。

     

    それは、ありのままで満たされている自分。

     

    「自分ははじめから満たされていた」ということを、「からだ」の中の「植物」は教えてくれるのです。

     

    「植物」は「愛」を伝えてくれるのです。

  • アート~ギブアンドギブ⑦

    いただいたことを、次につないでいく。

     

    「からだ」をとおしていただいていることは、

    ギブの連鎖になっているんだなあ、と感じています。

     

    伝えようとして伝わっていくこともあるし、

    伝えようとしなくても伝わっていくこともある。

     

    受け取る側の感性で、どんなふうに伝わったかを教えてくれる

    ことばは少しずつ違う。

     

    けれども、確かに伝わっているなと感じることは、

    なんとか伝えようとしてくれるオノマトペだったり、

    本人すらも気づいていない些細なからだの変化だったり。

     

    うごきひとつ、こきゅうひとつ。

     

    そんな些細な変化でも、受け取ってことばにできるように、

    わたくし自身も「からだ」と向き合い続ける。

     

    時に自分の意思が「からだ」を越えてしまうこともあるけれど、

    ことばも「からだの表現」として抜いていきたい。

     

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    ギブは次のギブへと連鎖する。

     

    からだとじぶんの関係性を軸にして、そんなふうになれたら素敵だなあ、と思うのです。

     

    一週間ありがとうございました。

     

    明日からは寺本さんの登場です。

     

    よろしくお願いいたします。

     

     

    2021年秋季フォーラム

    2021年11月23日(火)勤労感謝の日 ハイブリッド開催

    テーマ「アートと操体」 

    https://www.tokyo-sotai.com/

  • アート~ギブアンドギブ⑥

    自然の中に美しいと感じられることがあります。

     

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    空を見上げることも、日光を浴びることも、風に吹かれることも、そうです。

     

    お腹が膨れるわけではないけれど、美しいと感じられることもわたくしのたべものです。

     

    「そのように感じられる」感性の基層に、からだの感覚があるおかげです。

     

    これも一つのスイッチです。

     

     

     

    そのからだの感覚の中で表現されていることに、自然と調和するうごきがあると思うのです。

     

    「からだ」からいただいていることは、自然からいただいていることと同じだと思うのです。

     

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