カテゴリー: 瀧澤 一寛(たきさわ かずひろ)

  • はじめに「からだ」が在る、ということ②

    今回のブログのテーマは「はじめての操体法」です。

     

    趣旨とは少し逸れてしまうかもしれませんが、

    今わたしたちも「はじめての操体法」と向き合っています。

     

    これまで操体から学んできたこと。

     

    これまで操体法を実践してきたこと。

     

    その中で「からだ」と向き合い、

    「自分」と「からだ」との信頼関係を築いてきました。

     

    それは、操体・操体法から「からだ」を捉えてきたということ。

     

     

    今わたしたちが新たなとらえ方で取り組んでいる操体は、

    これまで築いてきた「自分」と「からだ」との信頼関係を、

    新たな観点から捉え直していくことだと感じられるのです。

     

    それは、「からだ」から操体・操体法を捉えていくということ。

     

     

    わたしたちが共通の感覚言語として使っている「からだ」。

     

    「からだ」とはなんですか。

     

    「からだ」を感じとっていくとはどういうことですか。

     

     

    「からだ」がわたしたちに問いかけているのです。

     

    www.tokyo-sotai.com

  • はじめに「からだ」が在る、ということ①

    岡村さん、一週間のメッセージに感謝致します。

     

    「操体法はシンプルです」という想い。

     

    そう感じ合えるのは、

    「からだ」からの問いかけに応えていくから。

     

     

    今週は久慈から「からだ」と共に瀧澤が担当致します。

     

    一週間のお付き合い、よろしくお願い致します。

     

     

    初学者であっても、経験者であっても、

    自身のケアに用いても、臨床で用いても、

    操体法との関わりには「からだ」がある。

     

     

    わたしたちは今、操体法の新たなとらえ方に取り組み、

    今まで感じられなかったことを「からだ」で感じ、

    感じられたことが意識となって共有し合っています。

     

     

    これからの操体をとおして「からだ」から感じとっていることは、

    そのまま「からだ」に伝わっていってく。

     

     

    はじめて操体・操体法を学ぶ人にも、

    はじめて操体・操体法を受ける人にも、

    「からだ」がはじめにあるんだ、という感触を受け取って頂ける。

     

     

    はじめに「からだ」が在る、ということ。

     

    「からだ」が在る、ということを感じとっていくこと。

     

     

    操体・操体法が身になっていくことは、

    「からだ」からはじまる、と「からだ」が感じさせてくれるのです。

  • 「からだ」が育む感覚意識⑦

     

     

    「からだ」からのメッセージを感じ取ることは

     

    自然法則を感じ取ることです

     

     

    それは難しいことではありません

     

     

    「からだ」の学習をとおして

     

    ゆっくりと味わっていけばいいのです

     

     

    ゆっくり味わうというプロセスもまた

     

    「からだ」の学習なのです

     

     

    「からだのうごき」や「息」をとおして

     

    「からだ」が表現してくれていることを

     

    感じ取っていく

     

     

    変化し続ける「からだ」からいただく絶対的な感覚

     

     

    その感覚こそ

     

    「わたしたち」が自然法則に生かされている

     

    生命そのものであるという感覚意識の素なのです

     

     

    「健康」や「寿命」はそこからはじまっているのです

     

     

    一週間のお付き合いに感謝です。

     

     

    明日からは寺本さんです。

     

    お愉しみに。

     

     

  • 「からだ」が育む感覚意識⑥

     

     

    「からだのうごき」の学習と不可分なのが

     

    「息」の学習

     

     

    そもそも、目に見えないだけで

     

    一日に途方もない量の空気が

     

    空間と「からだ」を循環しつづけている

     

     

    目に見えないから意識にのぼらない

     

     

    そんなことはないのです

     

     

    「からだ」を介してもっとも繊細に

     

    感じ取れるようになってくるメッセージのひとつ

     

     

    それが「息(吸気)」

     

     

    「息」が「からだ」の必要としている「質」で

     

    入っているかどうか

     

     

    「わたしたち」は「息」をとおして

     

    空間と「からだ」を循環している「ながれ」さえ

     

    感じ取っていけるのです

     

     

  • 「からだ」が育む感覚意識⑤

     

     

    一日一日ほんの少しの時間でも

     

    「からだ」と向き合う

     

     

    ずっとつづけていると

     

    時間の長さではなく

     

    そのとき

     

    どんなことを「からだ」から感じ取って

     

    どんな意識になっているかということが

     

    大事なんだと「からだ」は気づかせてくれる

     

     

    時間ではなく「間(ま)」

     

     

    そのような「間(ま)」で育まれていく

     

    繊細な感覚や縛りから解放された意識は

     

    「わたしたち」の生き方を変えてくれる

     

     

    刻む時間とは違うもう一つの時間が

     

    生き方を変えてくれるのです

     

     

    生命そのものの「からだ」が感じている

     

    ことと重なってくるのです

     

     

  • 「からだ」が育む感覚意識④

     

     

    「からだのうごき」の学習は

     

    目に見えないことを感じ取っていく学習

     

     

    「からだのうごき」の学習をとおし

     

    普段意識にのぼらないようなところが

     

    感じ取れるようになってくる

     

     

    たとえば背中

     

    たとえば足底

     

    たとえば目尻

     

    たとえばひかがみ

     

    たとえば内臓

     

    そして皮膚

     

     

    目に見えないところや

     

    見ているつもりのところが

     

    「わたしたち」を生かしてくれている

     

    環境との接点であることを

     

    「からだ」は気づかせてくれる

     

     

    「からだのうごき」の学習は

     

    環境を感じ取っていく学習なのです

     

     

  • 「からだ」が育む感覚意識③

     

     

    「からだのうごき」の学習は

     

    新たに「うごき」を身につけるものではなく

     

    こびりついた本人の思考意識を

     

    そぎ落としていく学習

     

     

    お手本を真似することが目的ではなく

     

    実際にやってみてどう感じ取っていくか

     

    ということです

     

     

    「わたしたち」の動きが消えて

     

    「からだのうごき」と重なっているときは

     

    ほんとうに美しい

     

     

    「からだ」が表現されているから

     

     

    生命力が表現されているから

     

     

  • 「からだ」が育む感覚意識②

     

     

    日毎の「からだ」との対話

     

    随分と繊細になっていく「からだ」からのメッセージ

     

     

    いたずらに増幅させることもせず

     

    素直にそのままいただく

     

     

    そのメッセージにどんな意味があるのか

     

    「からだ」に応えていく日々がある

     

     

    からだが感覚意識を育んでくれているから

     

     

     

    「わたしたち」はつねに動いている

     

     

    その動きにも「からだのうごき」があることを

     

    学習しつづけている。

     

     

    「からだのうごき」を学習しつづけているから

     

    「からだ」からのメッセージをより繊細に

     

    感じ取れるようになってくる

     

     

    「わたしたち」はそういういきものです

     

     

  • 「からだ」が育む感覚意識①

     

     

    目には見えないところに宿っている

     

    まるで「からだ」のまんだらのよう

     

     

    岡村さん、ありがとうございました。

     

     

    今日から担当の瀧澤です。

     

    よろしくお願い致します。

     

     

     

    「からだ」に宿る生命力を

     

    色をつけずにそのままいただく

     

     

    体調の波はあってもいい

     

     

    変化として感じ取っていけることが有難い

     

     

    日毎に感じ取っていると

     

    波の中で浮かぶブイのように

     

    ひとつの目印が在ることに気づく

     

     

    変化し続ける「からだ」からいただく絶対的な感覚

     

     

    それを基準に「からだ」に委ねていると

     

    生命にとって必要なことはそこにあると

     

    「わたしたち」の意識は更新されていく

     

     

    からだが育む感覚意識になっていく

     

     

  • 感覚=表現~あらわれてくる「からだ」~⑦

     

     

     

    「からだ」は、

     

     

    人を選ばないし、急かさない。

     

     

    私(人間)を支配しないし、干渉しない。

     

     

     

    いつでも、それとして、そこにあって、

     

     

    だれがやってもそうなるってことを教えてくれる。

     

     

     

    計測できない「間」でゆっくり「からだ」と対話できる。

     

     

     

    目に見えるのがおもてで、

     

     

    目に見えないのがうら。

     

     

    そんなふうに決めているのは、

     

     

    私(人間)の意識関与。

     

     

     

    「感覚=表現」であらわれてくる「からだ」は、

     

     

    すきとおっているから、

     

     

    うらもおもてもあって、

     

     

    うらもおもてもなくて、

     

     

    吸気はすき「間」にすーっととおる。

     

     

     

     

    (からだ主語)

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    「からだ」とお付き合いいただき感謝です。

     

     

    明日からは寺本さんです。

     

     

    どうぞ、お愉しみに。