カテゴリー: 寺本 雅一(てらもと まさかず)

  • くいつき遍歴

    今まで接してきた物事のなかで

    自分はどんなことにくいついてきたか。

    その遍歴を振り返ってみると、

    ほぼ共通していたのは、

    「何もなくてもできる=身ひとつあればできる」というキーワードだった。

     

    例)

    トゥバ共和国ホーメイ → 伴奏楽器がなくても、身ひとつで摩訶不思議な倍音を奏でることはできる。

     

    お芝居の出前 → 上下黒の格好で小道具も衣装も不要。絶対的に必要なのは観る人の想像力。

     

    操体 → 道具は基本的に必要ない(使おうと思えば、使える自由度もある)。

     

    どれも「からだ」さえあれば、極端な話、場所も選ばず実行・実現可能。

    自由度というか、可能性というか、ほどよい「軽やかさ」を纏っている。

     

    そんなことにくいつきながらも、油断すると「~がなきゃできない」のような

    考え方にシフトしていることがある自分、というのも事実だ。

     

     

    操体という大きな器のなかで、身ひとつへの憧れを

    未だ育てている最中なのだと思う。

     

    2018年春季東京操体フォーラム
    4月30日(月)昭和の日(振替休日)に開催致します。
    テーマは「スポーツ障害と操体」です

     

  • くいつけなくなる

    ここ数年久しく風邪で寝込むことなどなかったが

    久しぶりにたっぷり風邪をひいた。

     

    普段何気なく行っていることのすべてが

    すんなりと思い通りには行かなくなる不思議。

    改めて、「当たり前の生活」を送れていることは

    とてつもない恩恵であるように感じられる。

     

    中でも、「食欲」というものが消えてしまうのが

    今回、興味深く新鮮なことに感じられた。

     

    普段なら、美味しそうなものを目にすれば

    「食べてみたいなあ」と感じるところが、

    まったくその「要求」が感じられない。

     

    通常、「欲」が作動しているときは「くいつきたい!」と思うことに

    「からだの要求感覚」はまったく反応を示さない。

    そう、「からだの要求感覚」にスイッチが完全に入れ替わっている、

    そんな感覚だ。

     

    体調を崩したり、病んだりというのは

    そのこと自体が「からだの要求感覚」をダイレクトに感じることができる

    学習の場になっているのかもしれない。

     

    こんなときは、寝込みながら、普段じっくり会話できていない「からだ」と

    たっぷりお話ができる。

    そして、いつもの自分の生活態度から強制的に少し離れることもできる。

     

    「病む」というのは自分とからだとの関係において

    そういった特別な効果もあるのかもしれない。

     
    2018年春季東京操体フォーラム
    4月30日(月)昭和の日(振替休日)に開催致します。
    テーマは「スポーツ障害と操体」です

     

  • 楽の時代

    本当に便利な時代になった。

    欲しいものは「~屋」さんに行かなくても

    近所のコンビニエンスストア

    インターネットで注文すれば手に入る。

     

    自分は今、「楽」の時代のなかで

    生活しているような気持ちになることがある。

     

    でも「楽」ばかり選択していては

    どこかしっくりこないことも多いと思う。

     

    この便利な生活空間で

    自分はどんな振舞い方をして、

    何にくいつくのか。

     

    そういうことがすごく大事なんじゃないかと思う。


    2018年春季東京操体フォーラム
    4月30日(月)昭和の日に開催致します。
    テーマは「スポーツ障害と操体」です

  • 人間

    おはようございます。瀧澤さん一週間ありがとうございました。

    Tさんはアルジャンスーの生演奏を聴いていて

    イノチを操るアーティストの姿に、シビレれました。

    久しぶりの即興生演奏、かっこ良かったです。

     

    さて、バトンを受け取りまして本日から寺本がしばし担当致します。

    宜しくお願い致します。

    テーマは『くいつく』です。

     

    「自分のからだのことを、もう少しちゃんと知りたい」
    自分が「操体」という得体のしれない領域に
    最初に飛び込んでみようと思った理由はそこでした。

    飛び込んで学んでいるうちに、

    それまではっきり言葉にできていなかった自分の気持ちに遭遇しました。

    ぼんやりと、でもしっかりと根付いていた

    かねてからの要求のようなもの。

    自分は「治療家」になりたいわけではないということ、

    そして自分を含めた「人間」のことについて

    ずっと学びたかった、知りたかったのだということ。

     

    操体を語るときに、色々な切り口から語ることができると思いますが、

    今とても興味があるのは、操体を介して触れることのできる

    生命哲学に裏打ちされた人間学の側面です。

    操体って本当に食いつき甲斐のある学問だと思います。

    2018年春季東京操体フォーラム
    4月30日(月)昭和の日に開催致します。
    テーマは「スポーツ障害と操体」です

  • 清濁

    魚介類について良く「天然もの」か「養殖もの」か、

    が目に付くことがある。

    一般に前者が高価で、質も高いというイメージがあるようだが、

    いやいや、そんな単純なことではないようだ。

     

    「養殖」にもピンからキリまであって、

    手間隙をかけて育てられた養殖ものは

    「絶品」ときく。

    そういう話をきくと、人間の手に宿る可能性を見るような気持ちがする。

     

    ここで思い切って変な話に突入してみたい。

     

    人間における「天然もの」は、この地球上でみれば

    自然そのまんまのワイルドエリアに、

    いまもひっそり暮らしているだろう。

    一方で、自分たちで創造した便利な世の中に生きている人類は、

    恐らく『養殖』の部類に入るのかもしれないと思う。

    なんだか80年代のSFのような話になってきたが。 

     

    さて、自分の生き方について考えてみて、

    自然に還る、「天然もの」の生き方に憧れることもできる。

    また、この便利な社会の流れにのって、生きることもできる。

    そして、そんな中で、あえて自分事として手間隙をかけて生きることもできる。

     

    清濁入り混じる現代に生きている。

    それこそ、自分は人間らしいな、と感じるようになってきた。

    さあ、どのように泳いでいくか。

     

    その責任を全うしていくこと、

    筋道をつけていくこと、

    次代に伝えていくことは

    他でもないこの人間にしかできないことなのだと感じている。

     

    一週間のお付き合いありがとうございました。

    明日からは友松実行委員の「正義」がスタートします。

    どうぞお愉しみに。

     

    2018年春季東京操体フォーラム

    4月30日(月)昭和の日に開催致します。

    テーマは「スポーツ障害と操体」です。

     

  • 護る  

     「正義の味方」というのは

    いわゆる「悪」と呼ばれているものと対峙すると同時に

    何かを「護る」ことも、担っていることが多い。

    世界の平和を護るため、日夜、悪と対決する存在。

     

    この世界の平和の話を

    「からだ」の世界に重ねるとき、

    さて、我々のからだの世界の平和を護っているのは誰であろうか。

     

    白衣を身に纏った、あのヒーローたちの顔が浮かぶ人もいるだろう。

    でも彼らの多くは、こちらから相談へ訪れないと護ってはくれない。

    そして、護り続けてもらうには、やはりこちらから通い続けるしかない。

    心底困ったときの、お助けマンというところか。

     

    御承知の通り、

    実際はもっと身近に、日夜からだの平和を護ることのできる存在がいる。

    「自分」という存在も重要な担い手だ。

     

    しかし、この「自分」という存在は曲者らしい。

    どうやら裏の顔もあるようで

    実はからだの平和を乱している張本人でもあるらしいという噂が耳に入ってくる。

     

    だとしたら、果たして「護る」とは、どんなことを意味するのだろうか。

    一人二役を演じていることに気が付けば、

    からだの世界にも、今までとは一味違う平和が訪れはじめるかもしれない。

     

    2018年春季東京操体フォーラム

    4月30日(月)昭和の日に開催致します。

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  • カナ?  

    先日、とあるお世話になっている方から

    人生のあれこれについて、いろいろ話を伺っていたときのこと。

    気が付いたら、話の流れで「正義」についての話をしていた。

     

    その方は、「自分が『これは正義だ』と思いこむところから、色々な問題が起こると思う。『正義』なんて、ないんじゃないかしら」としみじみと話していた。

     

    たしかにそうかもしれない、と感じた。

    思えば人と人とのぶつかり合いの中には、

    お互いの大事にしている「正義」がぶつかり合って

    火蓋を切っているようなことがあるからだ。

     

    でもそれは間違いなく、お互いにとって「正義」なのだ。

    どうしたものか・・・。 

     

    うちの師匠に登場してもらおう。

    師匠は、時たま「ほんとう カナ? カナ? カナ?」

    という呪文のような言葉を口にすることがあるのだが、

     

    ほんとう カナ?・・・  カナ?・・・   カナ?・・・  

     

     と、3度問いかける間の中で、吐き出す事よりも

    キャッチすることに意識のスイッチを切り替えられれば、

    しめたもの。

     

    自分が大事にしているはずの正義が

    武器になってしまうことから、

    もしかしたら半歩ぐらいなら、距離を置けるかもしれないと思う。

     

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  • エンマ様

    こどもの頃にみた「夢」の話である。

     

    小学校に入るより前だったと思う。

    夕食後に居間で家族と過ごしている時、

    気が付いたらころっと、うたた寝をしてしまった。

     

    その夢の中で、「エンマ様」らしき人と会った。

    気付くと、ぼや~っとした暗くも明るくもない空間のなかに

    でかくて顔が赤くて何か装束のようなものを身に着けた

    荒々しい鬼のような人物が目の前に座っていた。

     

    「いいか、ウソをつくようなやつは、その舌をひっこぬくからな!」

     

    ちゃんとは覚えてはいないが、

    そんなようなことを唐突に告げられて、目が覚めた。

     

    こども心に何か突き刺さるものがあったのだろう。

    目が覚めてから、周りにいる家族に泣きながら

    「これからはいい子になります!」

    と宣言した記憶がある。

     

    今思えば、絵本か何かで見たものを

    夢に見てしまったのだろうなと、笑い話になってしまうが、

    異様に生々しくて、まるで現実のような体験だったので

    強く印象に残っている。

     

    そして実は、この時に宣言した気持ちのようなものが

    未だに尾を引いて自分のなかに残っている感覚がある。

    果たして世の中的に「いい子」であるかどうかは別にして、

    何か自分のなかで線を引くきっかけになったような出来事だったので、

    あのときにエンマ様に出会えてよかった、と今では感じている。

     

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  • ごまかす

    他人に向けてのことは置くことにして、

    「自分」に対してのことである。

     

    「本当は〇〇」なのに、

    この「〇〇」を選択しないことにする、ことは意外と多い。

     

    自分に対して言い訳をして、ごまかされたフリをすることは簡単だ。

    けれども本当のところはごまかしきれていない、

    ということも事実だ。

     

    結局のところ、そこのところをどうにかしようと思ったのならば、

    ごまかすこと、ごまかされることは諦めるに尽きるのではと思う。

     

    自分自身の感じている本当のことを、

    素直に、速やかに実行する。

    こんなことができたら

    それはもう立派な正義だと思う。

     

    2018年春季東京操体フォーラム
    4月30日(月)昭和の日に開催致します。
    テーマは「スポーツ障害と操体」です。

  • 非常識

    「常識」は世間一般に正しいと思われているもの。

    しかし、それを支えている「正しさ」の根拠が見直されれば、

    それまで「常識」と捉えられていたものは、

    揺らいでしまうこともある。

     

    人間の歴史を振り返ってみれば、

    その繰り返し。

     

    けれども、「常識」が「常識」であるうちに

    そのことに疑問を投げかける人は

    決して多くはない。

     

    常識に疑問を持ち、

    見直して、点検し、

    再構築し、実践している人は

    「非常識」としてたたかれることになるかもしれない。

     

    それでも、どこまでも素直に、謙虚に、続けていく。

    それもまた、正義だと思う。

     

    2018年春季東京操体フォーラム
    4月30日(月)昭和の日に開催致します。
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